しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/12/10 ベストバイは鳩のぬいぐるみ、ミャクミャク様現前す、カメムシホテル破壊、ビタミンB1が足りない!

12/2(土)風紀は乱れるがお金は儲かる、ポトフはラーメン

美容院で髪を切る。懇意にしている美容師Oさんが手袋をつけて髪を洗うようになっていた。冬だからか、歳なのか。一日に何度も皮脂を流していたら手は荒れるものね。

 

職場の人間観察の話をしたらOさんは「美容院の店長で苦労した話」をしてくれた。美容師業界には個性的でハチャメチャな人がいて、彼らはルールは守らず店内の風紀を乱すそうだ。「どうかこのラインは超えないでくれ」といって管理するのが精一杯だという。

おもしろいのは「ハチャメチャ美容師には客がよくつき、人それぞれに客の傾向がある」こと。新規の客が来たら「この雰囲気はあの人かな〜」というのがわかるものらしい。

ある種キャバクラ・ホストクラブみたいだな、と思った。接客業を突きつめると夜職になる、という話ではある。

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週末じゃーいわっしょい、ということでポトフを作ることにした。手羽元とスペアリブを入れたので旨味が出るはずだ。煮込みに使う肉は骨付きがよい。

毎回そうなのだが、私が大鍋系の料理をすると量がめちゃくちゃになる。「塩が決まればどうにでもなる」と思ってるフシがある。肉の量もよく考えずに買うし、野菜を切るのも好きなのでフンフーンとやっていたら鍋から溢れるのである。こうして妻氏に怒られる。

なんでこうなるのか?

後日、余ったポトフにニンニクとそうめんを入れたらラーメンになった。そういえばラーメンの出汁も骨と肉と野菜の煮込みである。同じなのだろう。

カレーにもラーメンにもなって便利なイーブイである。

12/3(日)調理用ピンセット、『観光客の哲学』を読んだ

ピンセットとトングの間の子みたいな道具を買った。調理で使う。

焼肉屋にあるやつだ!

このごろ料理系Youtuberの動画をよく見ていて、彼らが調理用のピンセットを多用するのに気づいた。炒め物に使うこともあるし、パスタの盛り付けに使う人もいる。人それぞれ使う道具がバラバラなのだが、ピンセットであることは共通していた。

興味が出てきて雑貨屋へ行き、見つけたのがこれ。おそらく焼肉用なのだが、ふつうに料理でも便利に使える。

日本人なら箸を使えよ、という話はあるが、場面によってはピンセットのほうが楽である。たしかに我々は箸で米粒を掴むくらい造作もない文化圏にいるが、かといって箸で物を掴むときに集中力がいらないわけではないのだ。その点、ピンセットは手の閉じ開きで大雑把に使えるから楽なのである。

🎴🎴🎴

『観光客の哲学』を読んだ。

東浩紀哲学書というか思想書。「国民国家=理性=善 vs 消費社会=欲望=悪」の対立構造を脱構築しよう、という壮大な目論見がゴールである。というのも、彼の古巣である人文系の学では「消費はよくない!理性を大事に!」という考えが主流だから。しかし実際には人文学者であっても消費をする。消費ですらない、欲望のための買い物もする。理性的人間性と欲望的動物性のあいだで引き裂かれているのが人間であり、免れられる人はいない。だから、どちらかに振り切って対立するのではなく、中間を目指す必要があるわけだ。

「観光客」が両者を脱構築するキーワードらしい。「我々は「観光客」が生活圏内にやってきて、彼らがどこか無責任に消費するのを認めなければならない」と東は書く。京都市に住んでいると観光客がちょっと嫌になるのだが「来るな!」とまでは思わない。「来るのはいいけど君らのことは知らんし、勝手に避けるわ」という態度でよいのだろうか。こなれた京都市民は観光客の乗るバス路線、地域を避けるのだ。

この本はお話としては未完で、どうやって「理性 vs 欲望」対立構造を解体するのかは示されていない。今年出た続編の『訂正可能性の哲学』で続きが議論されるとか。近いうちに読みます。よい問いだし、結論が出たらすばらしいことだと思う。

12/4(月)ロハスってSDGsなんですね!

たいへん疲れておる。月曜日なのに。

先週金曜日にえらい冷えたような気がしていて、それからずっと体調がよくない。たぶん風邪(漢方用語)だと思う。

対策としてお灸をしたり、ほうじ茶を飲んだりいろいろ試すのだがあまり効いている感じはしない。ただただ頭が重くて軽い本を読んだり動画を観て過ごしている。

🌀🌀🌀

今日はロハス猪捕獲解体調理動画を観た。ロハスはいかんと思う。

と、ここでロハスを調べると"lifestyles of health and sustainability"の略だと知った。SDGsじゃん。「ロハスってSDGsなんですね!」と言うと嫌がられそう。

ロハスが気に入らないのは「かっこよく観られる私」という視線を前提にした消費活動であること。ちゃんと信念をもって"lifestyles of health and sustainability"してほしい。自分の素直な信念として思想があるのはかっこいいと思う。

 12/5(火)ベストバイは鳩のぬいぐるみ、『中国共産党 世界最強の組織』を読んだ

まわりで「ベストバイ」とやらが流行っている。今年買ってよかったもの自慢の恒例行事である。

自分だったら何かなあと思って考えてみたが、二つしか思いつかなかった。モバイルディスプレイと鳩のぬいぐるみ。

モバイルディスプレイはスマホの画面を大写しにするために買ったのだが、今は会社の拡張モニタになっている。会議室でラップトップに繋ぐと便利なのだ。自分だけ画面二枚になる。あとは、同人イベントのデジタルサイネージ用。どちらの用途でも非常に便利だった。

鳩のぬいぐるみはお気に入り度が高く、今年の買い物すべてを差し置いてトップに君臨している。実用性なんか全くないのがいいのかもしれない。ただ鳩に似ているだけのぬいぐるみである。

今年のベストオブベストバイです

HANSAのぬいぐるみを買うと家にいらないものが増えます。

🔎🔎🔎

中国共産党 世界最強の組織』を読んだ。

中国共産党の末端組織に主眼をおいて解説した本。日本では党中央の動向にばかり目が行くが、末端の理解も大事でしょ、と主張し説明する本だった。

共産党の末端には党組織がある。地域ごとの党組織もあるが、特徴的なのは職場の党組織。ある程度の人数の企業には必ず党組織が設置されること、という法があるらしい。

党組織は「広報活動」「党員教育」「レクリエーション活動」を任務とする。「広報活動」はプロパガンダから「詐欺に気をつけてね」の注意喚起まであり、立て看などを手段とする。「党員教育」は中央の政策方針理解など、知識の更新や教育のこと。「レクリエーション活動」は本当に娯楽の提供で、カラオケ大会、運動会、文化祭などを企画し、運営するらしい。そういえば中国に出張した人が運動会に参加した、という話を聞いたことがある。

 

内容はまあまあよかったのだが、著者の技量、態度はダメな本だった。全体の構成が下手くそで無駄なことばかり書かれているし、何より著者が「日本の共産党知識はこれだからダメだなのだ」みたいなことを平気で書く。著者の言うように中国共産党についての本は少ないが、この本はまったくおすすめできない。

12/6(水)ミャクミャク様現前す、キャラのよさと管理職、ひょいぱく性

通勤中にミャクミャク様モチーフの人がいた。原色赤と青のかっこうをした女性。真っ赤なコートに真っ青なトートバッグをさげていて、バッグにはミャクミャク様のぬいぐるみがついていた。

生き神だと思って拝んでおけばよかっただろうか。

ミャクミャクふわねこ様

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妻氏とマネージャー談義をする。どちらの会社も中間管理職は感情表現が下手な人が多く、その上の部長級になるとキャラがよくなる、ということがわかった。

管理職は単に判断が得意なだけではダメで、最終的にはとっつきやすさ、キャラのよさが重要になるのだと思う。

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春はいちご、夏はぶどう、冬はみかん。

これで決まり!

冬の果物に悩んでいたのだが、みかんが王者となった。一時期りんごに浮気してみたが、資本主義りんごは大きい個体が多くて二人で食べきるにはちょっと多い。それに皮や芯を切るのもちょっと面倒。というわけで、剥いたらひょいぱくできるみかんを常備することにした。ちょうど旬が来ていておいしいし。

ひょいぱく性が大事で、いちごもぶどうもこの要件を満たす。

問題は秋。秋固有のひょいぱく果物はない気がする。とりあえずぶどうとみかんで代打してもらう。

12/7(木)首凝りストレッチ、カメムシホテル破壊

冷えにやられてるということで急遽お休みにした。家でじっとして養生に励む。夜には鍼で施術を受けて若干マシになった。

🪄🪄🪄

鍼で首凝りストレッチの方法を教えてもらった。上を向いたときに首の後ろ側が痛くなる人が対象。

【首(頭板状筋)のストレッチ】 ストレッチ動画 | 名古屋市中川区高畑駅すぐの高畑駅前接骨院

やり方はこれと同じ。首の斜め後ろの筋を伸ばすとよい。

この凝りの原因はディスプレイに向かい続けて首が前に伸びているから。たぶんスマホの使いすぎでもなる。

たまに上を向いたら抑止できるそうだが、集中して仕事をしていると難しいのである。なので、このストレッチを覚えておくとよい。

🪄🪄🪄

ベランダのバジルが枯れ始めている。インド原産なので日本の冬には耐えられないのだ。

この日は風が強く、突風で葉っぱが落ちまくってしまった。モルモットの餌にしたかったのだが、落ちてしまったものはあまりあげたくない。おいしくもないだろうし。

ベランダに散らばった葉っぱを掃き集めていると、カメムシくんたちも落ちているのに気づいた。バジルはカメムシホテルになっていたので、葉っぱと一緒に落ちてしまったのである。越冬するつもりで居着いたのだろうが、もう終わりだ。バジルは枯れ、カメムシくんたちは路頭に迷うだろう。不法占拠の報いを受けよ〜。

ほんとにカメみたいだ

12/8(金)ビタミンB1が足りない!

休んだおかげでちょっと元気になり、仕事をバリバリ片づけて週末に突入した。

🪬🪬🪬

なんとなくビタミンB1の摂取量を計算してみたら、ぜんぜん足りてないことがわかった。

目標値は成人男性の場合1.4mg/dayで女性は1.1mg/dayくらいなのに、我が家で摂れてるのは1.0mgくらいだった。調理で失われるものもあるので、実際にはもっと少ない数値になる。やばーい。

原因は豚肉と豆の不足。朝はパテとパン、昼は鶏肉の味噌汁、夜は焼き魚と豚肉少しの味噌汁を食べている。鶏肉も焼き魚もビタミンB1は0.3mg/100gとかそれ以下で、豚肉は赤身ならば0.8mg/100gくらいある。夜の味噌汁とパテで豚肉は摂っているが量は少なかった。

大豆のほうはどうか。大豆をそのまま煮て食べるならいいのだが、残念ながら豆腐や味噌には大して残っていない。加工や発酵の過程で失われるようだ。

 

足りないと何がヤバいのかというと、ビタミンB1が不足すると糖代謝(脂質代謝)が回らなくなるのである。つまり糖や脂質からエネルギーを取り出せないのであり、ガス欠状態になる。余った糖は脂肪になるし、内臓脂肪や皮下脂肪も減らないし、まったくいいことがない。なんとなくやる気が出ない体調、冷えの原因でもある。糖代謝は生命の根幹なのだ。

fooddb.mext.go.jp

を使って食材別の含有量を調べたところ、やはり豚肉の赤身か大豆しかないことがわかった。鰻も上位に入るが、毎日食べる人はいないと思う。

豚肉は赤身が大事で、脂肪が増えると摂取量は減る。でも脂肪うまいしどうしよう。日によって買える部位が変わってくるし、豚肉だけで補おうとするとけっこう難しい。毎日外食でトンカツや生姜焼きを食べる人なら大丈夫だろうけど。

我が家では豆に頼ることにした。味噌汁に豆を入れたり、煎り大豆を食べたりする。煎り大豆は節分で人に投げつけるやつ。意外とおいしくてポリポリ食べたら止まらない。よさそうである。というかうますぎてとまらん、助けてくれ。

豆うますぎる

週報 2023/12/03 一生使える鍋は中古で安くなる、客も資源、猫耳センサーによるディストピアの構築

11/25(土)おいしさへの好奇心、フランスおでん

食べもののことばかり考えてるなあ、と思った。週報でも日記でも食べものの話がたくさん出てくる。数年前から「料理と哲学とプログラミングをする」と標榜しているが、この点一貫しているようである。

食べもの、特に調理して食べるのが好きらしい。自分で作ることで「なぜおいしいのか」を理解したいのだと思う。理解したうえでおいしいものを作れるようになるのが目標。おいしさに対する好奇心だ。

💸💸💸

ポテを作った。

シェフ三國の動画で見つけたレシピで、ポトフみたいな料理である。シェフ三國は「フランスのおでんみたいなもの」だと言っていた。翌日の大根に味が染みていたのでたしかにおでんだった。

www.youtube.com

作り方は簡単で、野菜を大きめに切り、水、塩漬け肉、ハーブで煮込むだけ。沸騰させたら弱火で放置。とにかく手間がかからない。

豚バラは脂がきついので鶏がいいかも

こうしてできたスープはおいしかった。想像の域を出ない味ではあるが、滋味があってうまい。身体も温まって冬にぴったりだった。

味のレベルとしてはフランス野菜スープのほうが上ではあるが、香味野菜をポテに入れたら両者の中間になると思う。

11/26(日)爆発するパテ、一生使える鍋は中古で安くなる

またパテを作る。

今回はブレンダーでレバーと挽肉を混ぜてみた。簡単便利。

ところが、焼くとおもちみたいに膨らんでしまった。内部に空気が入っていて隆起したらしい。ブレンダーで空気を入れてしまったのだろうか。

爆発パテ

断面はちゃんとパテだった。混ぜかたはこんなもんでよいらしい。

次の課題は臭み対策。妻氏は臓物の風味が得意で「むしろこれでいい」と言うが、私は苦手。今は三國シェフのレシピに従って胡椒しか入れてないが、一般的にはナツメグなどを入れる。基本ができてきたので、レシピから逸脱してスパイスを増やそうと思う。

🪣🪣🪣

いい鍋が欲しい!という気持ちが高まってヤフオクルクルーゼを落札した。

琺瑯の鍋は重くて性能がよいとされている。本当に性能がいいのかは疑問なのだが、見た目がよいのでずっと気になっていた。

しかし高いのだ。3Lくらいのサイズになると定価4万円。ちょっとそれは。

 

そこで中古である。人気の鍋だから一定数使わなくなる人が出てくる。それでいて「一生使える」と言われるほど頑丈なのだから、中古で調達してもふつうに使えるのである。

状態はよかった

「重くて使いこなせなかった」という主婦っぽい人から落札した。美品が安く手に入ってよかった。

11/27(月)実績解除: 債権者、合気道ブーム

債権者になる実績が解除された。

とあるサービスを契約していたのだが、相手方が倒産した。「対価を払ってるのにサービスが提供されぬままつぶれたから、あなたは債権者である」というお手紙が代理人の弁護士から届いた。

千円くらいの債権なのでどうでもいいのだが、法的にはたしかに権利者である。お手紙には今後の破産処理の説明が書かれていて興味深く読んだ。

なお、お金は帰ってこない。債務超過だったらしい。

🎩🎩🎩

合気道への関心が高まっている。

きっかけは塩田剛三についてどこかで知ったこと。たぶんtumblrのquoteだったと思う。「おもしろい技術だな〜」と思った。それに姿勢の良さには関心があり、気になる。

私が合気道の動画、テキストを渉猟していると妻氏も触発されて、合気道YouTuberの動画を観はじめた。妻氏は合気道経験者なのでもともと関心が高い。我が家のブームとなった。

 

「通えそうな場所の道場を破りにいくか?」等々検討したが、社交ダンスもやっていて暇がない現実に直面し断念した。ちょっと習いごとを増やす余裕はない。

諦めたが、妻氏は家の中で後ろ受け身をとるようになった。いい運動になるらしい。

11/28(火)誰でも態度に出る、殿堂入りカレー屋、客も資源

いらいらしてる同僚をみたとき「この人はすぐ態度に出るなあ」と思った。

いや、そうではない。誰でもすぐ態度に出るのだ。私も体調が悪いときは声の調子が変わるし、妻氏の態度は物を扱う音に出る。足音に出る人もいる。毎日会っていれば簡単に態度から気分が把握できるし、初めての人でもたいてい読める。

誰でも感情が態度に出るものだが、人の態度を読めない人はいる。鈍い人。自分の態度が出ていることすら気づいてないので扱いがめんどくさい。

よく「いつも上機嫌であることが大事」みたいな道徳が言われるが、逆に危ないと思う。感情というものはその人固有の強さがあり、上に強く振れるなら下にも強く振れるのだ。下に振れたときの扱いがめんどくさい。それよりも、振幅が小さくて安定している人がよい。何事にも動じない人。

🧼🧼🧼

yomitai.jp

イナダシュンスケの記事を読んでいたら知っている店が出てきた。

ちょうど同じ頃、僕はまた別の、今度は本当に衝撃的なカレーに出会いました。場所は京都の学生街にある小さな店です。まだ若い女性店主が営んでいました。店主はいわゆるバックパッカーで、その店ではアジア放浪中に出会ったインドやネパールのカレーを中心に提供しているということでした。当時お客さんは日本人よりむしろ欧米人の方が多かったように思います。

これは左京区元田中にあるカレー屋のDiDiである。イナダシュンスケの発言を「DiDi」で検索したら2012年に「京都でおすすめできるカレー屋はDiDiとタルカだ」と言っていた。間違いない。

 

DiDiはおいしくて不思議なカレーを出す。妻氏はよくここに通ってはさまざまなストレスを癒やしていたそうだ。

「おいしいけど殿堂入りというほどじゃないなあ」と思っていたのだが、権威主義者である私は「イナダシュンスケが言うならまた行こうかな」と思ってしまうのだった。

それを聞き妻氏は「もともとおいしいいうとったやろ」と怒るのだった。

🧼🧼🧼

同僚にチョコザップを使う人が増えている。

チョコザップはジム設備の掃除、メンテナンスを会員にやらせているらしい。そうやって人件費を節約することで、会費を安くしつつあちこちに新店舗が立てられるのだろう。ただ、同僚によるとマシンが壊れっぱなしのところもあるのだとか。

「客に仕事をやらせる」という点では飲食店のタブレット注文も同じだ。注文管理を客に押しつけている。どこも人手が足りないので仕方のないことだと思うのだが、たいてい注文システムのUIは破滅的に使いにくい。わかりやすいUIで「注文はシステムからやってください」と言われるのならいいのだが、使いにくいものを渡すのはどうかと思う。

 

経済学の原則は「資源の最適な利用」なので客に仕事をさせるのに合理性はあるのだが、そんなところから利益を絞りだすのかあ、と「感心」するばかりである。

 

私はジムというかマシンを使った運動そのものが合わなかった。つまらなくて続けられない。ここ何年かは社交ダンスを習って運動と姿勢研究の糧にしている。

11/29(水)春夏色の清潔感、大きなかぶ

妻氏がパーソナルカラー診断を受けてきたそうな。それ以降自分に合う衣類や化粧品を探している。

https://luxeetmode.jp/2021/05/07/light-spring/ より引用

パーソナルカラーの図を見たとき「清潔感」が淡い「春」「夏」系の色であることに気づいてしまった。

いや、もちろん「清潔感」には「毎日風呂に入って爪を切りましょう」というレベルの意味もあるのだが、淡い色が似合うさまを意味する人もいるのではないか。建前と本音が巧妙に使い分けられるシーンがありそう。

🕳️🕳️🕳️

設計に悩みつつ定時に会社を出て食糧品の買出しへ。

スーパーへ行くと大きなかぶが売っていたのでうっかり買ってしまった。存在感があったのでつい。

うっかり買ったがあまり日持ちしない

これどうしよう……。

あっポテにしたらいいかな。

11/30(木)ちゅるちゅる、猫耳センサーによるディストピアの構築

職人タイプの同僚がいる。謎のこだわりがたくさんあって、いろいろレビューをしてくる。雑な私は「細かいな〜」と思ってしまうのだが、指摘内容はたいてい正しい。腕はあるから評価してるのだが、そのこだわりの基準を自発的に説明・共有してくれないところには問題がある。これが職人タイプの意味するところだ。

あるときこの人が「昔ながらの職人」であることに気づいて、勝手にスキルを盗むことにした。盗み続けて数ヶ月、ようやくあれこれ言われることが減ってきたと思う。

 

せっかく盗んだ知恵、忘れたらもったいないと思って秘密のドキュメントに残すことにした。アンチョコである。

アンチョコの名前は「ちゅるちゅる.txt」とした。脳みそを吸うイメージである。きもちわる〜

🎈🎈🎈

同僚と「ChatGPTのたぐいをGoogle Homeに載せるならどうすべきか」という雑談をした。

 

日常で使うには「冷蔵庫にあるものでレシピ組んで。気分は中華」に答えてもらわないといけない。今は人間が「冷蔵庫には蓮根と豚肉と松茸があります。調味料は……」とテキスト(音声)入力する必要があって、とても日常で使えるレベルにない。

彼ら執事AIにはセンサーを持たせないといけない。冷蔵庫、本棚……、家中に。そうすると、冷蔵庫の中身が確認できるようになる。だが、このセンサーは記録し続けるからバッテリーも必要。wifiも喋ってくれないといけない。うわたいへん。

 

そうじゃなくて、人の頭にセンサーをつけたらよい説もある。眼鏡*1とかカチューシャ(猫耳)にセンサーを満載しておいて、勝手に撮っておいてもらう。冷蔵庫の中身の画像も履歴のどこかにある。執事AIには履歴から冷蔵庫の状態を推定してもらう。

問題はプライバシー。少なくともGoogleはダメだ。「今週のあなたの食事は不健康なので、ビタミン剤を買うべきです」みたいなことを言いだす。Amazonだったらもっと酷くて「買っておきました」までいく。

 

となるとよっぽど信頼できるサービスに金を払うか、自宅に執事AIのシステムを構築する、というような話になる。大量の写真・音声を記録するのだ。ネットワーク帯域が必要。LANですむならそれがよい。

 

攻殻機動隊みたいな電脳は倫理的に不可能なので、頭に何らかのセンサーを満載するのが現実的であろう。そのうち街中に変なカチューシャをつけた人が闊歩しているのかもしれない。ちょっとこわい。というか、昭和のSFイメージに戻ってない?意外と合理的なのか?

未来に来ちゃったのだわ!あの頭のぴょこぴょこは何かしら……

12/1(金)カメムシマンション家宅捜索、hontoからe-hon

夜中に冷えてダメな日だった。冬用の布団を出してきて寒さに立ち向かう。

🧸🧸🧸

ベランダにバジルがあってカメムシマンションになっている。

そろそろバジルは枯れる季節で、葉っぱが散りまくっている。どうせ散るならモルモットの餌にしてしまえ、と考えて少しずつバジルを切りモルモットに与えることにした。

緑色のやつなので難易度が高い

収穫はカメムシとのかくれんぼである。葉っぱの裏をよく観察してカメムシがいないことを確認し、水で洗ってからモルモットに与える。ぼんやり生きてるモルモットのことだからうっかり虫ごと食べてしまいそうだが、最期の抵抗をしたカメムシが匂いをだしたら嫌なので、事前に取り除くようにしている。

不思議なことにカメムシというものは、葉っぱを叩いたくらいでは落ちてくれない。以前、バジルを台所で洗っていたらカメムシが落ちてきたことがある。水攻めは効くらしい。だからカメムシは葉っぱの裏に張りついているのである。

どうやってもとれないので、葉っぱごと落とすのがいちばんである。あるいは霧吹きが有効かも。

🧸🧸🧸

ついにhontoの物理本通販が終わってしまった。希少な本を取り寄せるのによいサービスだったが、誰も本を買ってなかったのだろうか。

代わりのサービスを探してe-honにたどり着いた。e-honは古めかしくてUIが微妙で検索もできが悪いのだが、近所の本屋に届けられるのは優れている。

仕方なしにhontoのカート、お気に入りから積読書名をコピペしてe-honに移植した。そしてうっかり注文してしまう。また積読が増えた。

*1:Ray-Ban Meta

週報 2023/11/26 客が来るなか肝臓を叩く、中華餃子メーカーがうまく使えないと思ったら餃子文化が違った、ジャービルおらんかね?

11/18(土)The Kyoto museumはどれだ、さまざまな賦活物質

三条東洞院の角(カマルの前です)を歩いていたら、ある婦人に英語で道を訊かれた。我が家は道を訊かれやすい。いつもぼーっとしているから。

 

御婦人「Kyoto museumはどこや(英語)」

いやまてmuseumは無数にある。マンガミュージアムか?国立か?市立か?それとも万華鏡か?それは何の略称なのだ???

妻氏とあわわわわわてながらGoogle Mapで検索する。察するに、至近のmuseumらしいmuseumは京都文化博物館である。

妻氏「cultural museumであっとるか?(英語)」

私は英単語が出てこないので妻氏に任せる。

「そこであっとる(英語)」とのことなので、「ほなここまっすぐいって左や(英語)」「おおきに〜(英語)」とやりとりしてミッション完了となった。観光客が増えてきて我々の英語力はピンチである。

🥣🥣🥣

家に帰り巨大昼寝をするが、疲れがとれない。

気合いを入れて丁寧に作った

「好物を食べたら回復する」法則に従いにゅうめんを作った。出汁をまじめにひいて丁寧に作る。冷え性なので生姜もいれる。元気になった。

 

疲れたときに食べるものはいろいろあるが、世間的によくあるのは寿司とか焼肉だろうか。我が家で人気なのはカレーで、妻氏は就活で疲れていた頃、毎日のようにカレーを食べていたそうだ。スパイスにはいかにも賦活作用がありそうでもっともらしい。

11/19(日)客が来るなか肝臓を叩く

午後、友人が家に来る予定だったのにパテを作り始めてしまった。どうしても時間がなくて……。

しかも到着したとき、私は🐓レバーを🔪で叩いていた。手が血と臓物まみれである。

まったく失礼な話だが、率直に喋る関係なので問題はない。対応は妻氏に任せ、そのまま喋りながら調理をした。

ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち

🧨🧨🧨

完成したパテはこんな感じ。

肉を錬ってベーコンで巻き焼く料理

元気が出る味がしておいしかったのだが、肉の練りが足りなかった。粒感があってなめらかさが足りない。反省し、次はブレンダーを使うことにした。

11/20(月)安っぽいと逆に嬉しい、うまい雑草

家に帰ったら中国から餃子メーカーが届いていた。

餃子の皮を作り、包むこともできる君

きっかけはtumblrで見かけた動画。ダルそうな女性が餃子メーカーをぱかぱかさせて皮と餃子を作っている。

すぐに商品を探しだして注文した。

なぜなら皮から餃子を作って失敗したことがあるから。失敗したと言ってもおいしくできたのだが、皮づくりが大変だった。餃子の皮を円形に加工する工程で効率があがらなくて、50個の餃子を作るのに2時間かけた覚えがある。

 

届いた餃子メーカーは、はるばる北京からやってきた。なかなか届かないと思ったら、本当に中国本土の製品だったらしい。

開けてみると予想通りの安っぽさ。パッケージには3Dの餃子がプリントされていて箱はボコボコ。中身の餃子メーカーには白い粉がついていて、工場で組み立てたものを洗浄せずに出荷したのがわかる。日本製だったら苦言を呈するところだが、私はおもしろ全部で買っているのでむしろ喜んだのだった。

3D餃子たち

🛎️🛎️🛎️

昨日、友人から大量のローズマリーをもらった。

わさわさ

調べてみると何に使ってもよいことがわかったので、毎日の魚にのせて焼くことにしてみた。

たっぷりのせる

すると不思議なことに魚の臭みが消える。スズキでも鯛でもそうなった。いい具合に臭みが抜けておいしくなる。なるほど洋食で多用されるわけだ。

 

便利そうなのでベランダで育てることにした。根っこつきの枝を余っていた鉢にさして水をかけておく。ローズマリーは割と雑草なのでなんとかなるのではないか。

 

そういえば洋食屋の前には必ずと言っていいほど、ローズマリーとオリーブが植わっている。かなり確率が高いのでDPZのコネタに投稿しようかと思ったのだが、背景知識の説明がややこしいのでやめにした。誰か代わりに投稿してくれても構いません。

ローズマリーは実用性があるのでわかるのだが、オリーブはなぜなのか。よくシンボルツリーとして使われる常緑樹なので、ただ見た目がよいという理由で飾られているのだろう。

11/21(火)玉露エナドリの2倍効く、労働者支配の方法を考える

玉露を飲んだら睡眠が終わってしまった。「そういえば飲んだことないな」くらいの気持ちで茶葉を買い、月曜の夜に飲んだ。こうして夜中何度も起きる。阿呆である。

「カフェイン 飲みもの」で検索するとカフェイン量ランキングの画像が出てくる。一位はエスプレッソか玉露である。それくらい多い。コーヒーの3倍、レッドブルの2倍カフェインがあるので、徹夜をするときに便利そうである。

🏮🏮🏮

会社のエラい人が労働者を動かす方法として「お金」「時間・空間」「洗脳」がある。具体的には「給与制度」「オフィス環境および在宅勤務制度」「全社会議とかエラい人ポエムによる情報・意図共有」である。

 

お金の制度はほぼ変えられない。みんな給与の増減にはたいへん敏感で、一度上がった給与が下がると劣化の如く怒り始める。給与システムは私情が入りにくい客観的で公平なシステムになっているのが理想で、そういう仕組みができたら容易にはいじれなくなる。

「時間・空間」の管理は「どこでどのくらい働くか」を規程する。出社している場合はオフィス環境だし、在宅勤務が許されている場合は在宅勤務への手当てとか、在宅出社比率とか。こちらの制度はわりあいいじりやすいようで、経営者がころころいじくりまわすのを見かける。特に、業績が悪化した企業が在宅勤務を縮小する話をよく聞く。

「洗脳」は言葉による働きかけである。面談でもいいし、全社集会でも朝会でもよい。ただ、人を集めて喋るとそれだけ人件費が浪費されるので、文章で非同期に発信するのがよろしい。「洗脳」という悪い言い方をしているが、まともに使うと効果的である。適切に情報を開示し、納得感のある説明をしたらいいだけだから。それに、そもそも教育自体が「洗脳」なので、近代社会は「洗脳」だらけである。

 

私は「洗脳」がよいと思う。「お金」も「時間・空間」の管理も大雑把で、具体的な行動を変えさせるのに使えるものではない。文章を書かずに「労働者が言うことを聞いてくれない!」というのは怠慢である。

11/22(水)『徒然草』を読んだ、知識と論理は分離できない

徒然草』を読み終わった。ちくま学芸文庫版。

「古典に通暁した人の文章がやたらとうまい問題」の研究のために読んだ。そういう目的があったので、できるだけ原文で意味を掴むようにしてみた。

内容は「有職故実へのコメント」「こんな変なことがあったよのコーナー」「社会への愚痴」。

「こんな変なことがあったよのコーナー」がいちばんおもしろかった。狐が人を化かしたり猫又が出たりする。人間が今と変わらずバカなことをやっているのもよい。

兼好は何かと「うるさい人が嫌いだ」「品がないのは嫌だ」みたいなことを書く。友達になれそうだな〜と思った。

🪄🪄🪄

この時代の学者は生き字引だった。天皇が「論語のあのエピソードどこだっけ?」と聞き兼好が「この辺でございます」と即答した自慢話の段があった。

連想して思いつくのはプログラマソースコードの生き字引になっている現象。OSSでも業務でもいいのだが、熟達したプログラマは読み書きしてきた何万行ものソースコードのどこに何があるかをなんとなく把握している。「あれどうなってたっけ?」に即答できることもあるし、即答しなくても、その箇所を読みにいって精確な答えを返せる。職業プログラマは多かれ少なかれ、こういう能力を持っている。

 

この能力はLLM(大規模言語モデル)に代替されうるのだろうか?

LLMはある種の検索エンジンなので、ソースコードを食わせたら生き字引が作れるはずだ。そういう意味では、生き字引であるだけなら職は失うだろう。

しかし、プログラマの本質は生き字引ではなく「設計能力」である。設計をするとき工学者(エンジニア)は、目的に対して効率的な解決手段を考える。例えば、私の専門であるサーバーシステムの目的は効率的に「正しく」動き続けることである。

プログラマは設計によって問題を抽象的に解き、プログラムとして具体的に表現する。プログラムは表現手段に過ぎないのだから、ソースコードの生き字引ができることは本質ではない。単なる余技である。

同じようなことは任意の学者にも言えて、学者にとって大事なのは「知識を覚えていること」ではない。知識を使って考え、論証し、新しい意味(解釈)を提示することが学者の価値である。例えば古典力学に対する相対性原理とか。哲学でいうと、ギリシア哲学の注釈をし続けていることも。どちらの事例も扱う事象は同じで解釈のほうが変わっている。

共通するのは「新しくて正しい解釈を生みだせるか」である。工学は問題解決が本質かのようにみえるが、よりよい問題解決をするためには「新しく正しい解釈」が必要である。

 

だから「AIが人類に比肩しうるか?」という問いのコアは「LLMは新しくて正しい解釈を生みだせるのか?」である。一見すると「LLMが新しいものを生みだした!」と騒がれる事案もあるが、このとき「新しく」解釈しているのは生成結果をみた人間である。

「LLMが新しくて正しい解釈を生みだした」と言えるのは「生成結果の文が解釈を提示しつつ、その正しさと新規性を説明できている」場合であろう。これは査読が通る論文を書くのに等しい知能である。

 

「新しくて正しい解釈」を考えるためには、既存の知識を持っていたうえで視点を切り替え、正しさを論証する能力が必要である。考えるためには、知識だけでも論理だけでもダメなのである。両者が揃って、脳内で密結合してはじめて考えることができるのだろう。

11/23(木)中華餃子メーカーがうまく使えないと思ったら餃子文化が違った

勤労に感謝しつつ餃子大会を開催。あやしい中華餃子メーカーを使ってみた。

餃子の皮を作るのは意外と簡単で、中力粉と水と塩があればできる。これを錬って寝かせて餃子の皮っぽくなるように圧延するだけ。小麦玉を餃子メーカーに挟んで上から潰せばよい。

分厚い餃子

ところが、思ったような皮ができなかった。分厚い。市販の餃子皮の数倍の厚さになってしまった。

 

安物なので期待はしてなかったが、ちょっと残念。このまま餃子メーカーを使うと生地が枯渇して中身が余ってしまうことがわかっていた。しょうがないので作戦を変更し、パスタマシンで生地を伸ばすことにした。

変な形だがよく伸びる

てきとうにちぎった小麦玉を伸ばしてカードで切るので餃子皮は不定形になるのだが、なぜか自作の皮はよく伸びるので問題なく包むことができた。

🧷🧷🧷

そして焼く。

どれがモチ餃子だったかわからんくなった

こうしてできたモチモチの餃子を食べたとき、なんで中華餃子メーカーの皮が分厚いのかを理解した。この皮は、水餃子用なのである。

なぜなら中国の北方は小麦食文化圏で、餃子は水餃子にして主食で食べるものだから。この餃子メーカーは北京から届いた。厚手の皮ができるのは現地では正しいのである。

tumblrで見つけた動画では、中国のご家庭で本当に餃子メーカーを使っていた。違っていたのは使い方ではなく、文化のほうなのだ。

11/24(金)ジャービルおらんかね、瞬間湯沸かし器とは何か

休みにした。モルモット用の牧草を買いに行ったついでにペットショップの小動物コーナーをみる。春にスナネズミを失って以来、心にスナネズミ型の穴が空いているのだ。スナネズミおらんかね?

 

ハムハムハムハムハムハムうさぎフェレットチンチラデグーインコ以上。おらんかった。

レジのお姉さんがやたらと話しかけてきたので「ジャービルおらんかね?」と尋ねてみる。お姉さんは知らなかったようで代わりにボスが出てきた。

「おらんか?」「需要がない」

がーん!あんなにかわいいのに!

 

もう一度『動物のお医者さん』が流行ればいいのにと思った。いやハスキーが人気になるだけだろうか。

🪆🪆🪆

すぐ怒る人を瞬間湯沸かし器と揶揄することがある。

そういえば瞬間湯沸かし器って何?具体的にどんな器具なの?と思って調べたら台所の壁についている機械なのがわかった。最近の家だとまずないが、バランス釜よりは新しそう。幼少期に遊びに行った家で見たことがある。

ガス瞬間湯沸器 - リンナイの給湯器

でも、すぐに怒る人を瞬間湯沸かし器といわれてもピンと来ない。ケトルとか薬罐をイメージするのが適切なような気がするのだが。薬罐がピーッと鳴ってるさまなんか怒っている人の描写にぴったりだろう。

すぐにカッとなる、瞬間湯沸かし器な人の特徴 | 恋のミカタ

週報 2023/11/19 料理は気合い、秋刀魚が小さい、ユーモアは距離をとる態度から

11/11(土)日常の回復、料理は気合い

9時に起きたもののソファでなめくじになってた。うねうね。
妻氏発熱事件は終わったが、やっぱり疲れている。非日常ってたいへんだ。ノーイベントグッドライフがよい。

 

気力が沸いてきたら、日常を回復すべく掃除を始めた。片づけ魔法(私だけ使える)を発動し🧹で床を掃く。それからモップ。

クイックルワイパー的なものがなくなってたので代わりにマイクロファイバーの布を使ってみた。埃がよく取れるフワフワのあれ。濡らしてモップにつけると意外とふつうに使えた。これでもうクイックルワイパーの在庫をカピカピにせずにすむ。

⛱️⛱️⛱️

料理をがんばった。昨日食べたフランス料理に影響されている。

「料理をがんばる」といっても変な料理を作るのではない。ただ丁寧に調理するだけである。フランス料理は仕事が繊細なので、そういうものを食べると「丁寧に作るか〜」という気分になる。丁寧さというのは、食材の切り方や火を入れるときの観察。ほんの少しの気配りだが、丁寧さを意識するだけで仕上がりが変わるから料理は不思議だ。

丁寧さは日常のなかで失われる。調理を仕事にしてるなら常に丁寧な仕事ができるのだろうけど、我々の料理は余技である。今や自炊をする人は少ない。疲れてるなか「外に出たくない」とか「外食は味が濃くてやだ」「そんなにおいしいものがない」という欲求を満たすために自炊をする。だから疲れて手を抜き粗雑に作ることもある。たいていあまりおいしくなくなる。

そこで丁寧さを賦活するのが真においしい外食なのだと思う。外食と一口に言ってもピンキリだ。自炊に毛の生えたようなレベルのものもある。たまにはうまいものを食べないといけない。

あとは料理動画もよい。動画でプロの丁寧な仕事をみてたら意識も高まるというものだ。

11/12(日)ミッフィーはずるい、『味つけはせんでええんです』を読んだ

引き続きフランス料理に脳を殴られていて、今度は別の店のパテを食べにいった。

パテに脳をやられています

その帰りにミッフィーのばかみたいなお皿を買った。妻氏が朝食に使うらしい。ミッフィーは顔をアップにしてたらデザインとして成立するからずるい。

おばかプレート

🗿🗿🗿

土井善晴『味つけはせんでええんです』を読んだ。

ミシマ社の雑誌に載っていたエッセイ集。内容は料理論?食についての哲学?なのだが、正直なところ微妙だった。

微妙だったのは内容と文章。どのエッセイも似たような主張をしていて、新しいところがなかった。いつも動画で述べている内容でもある。また、文章が散らかっていて読みにくい。

よかったのは「料理の本質は味つけではなく、素材を適切に加工すること。いらない手をいれないこと」という話。タイトルの名を冠する章はよかった。

土井せんせー本人も仰るように、書きものが苦手なのはよくわかった。苦手な媒体で、背伸びをして食哲学を語るのは大変なので、具体的な料理の話を書いたらよいのでは、と思った。『一汁一菜でよいと至るまで』はおもしろかったので、背伸びが原因で読みにくくなってるのだと思う。料理というものはどこまでも具体的な営為なのだろうなあ。

11/13(月)パテを朝食にしたい、秋刀魚が小さい!

急に寒くなり同僚たちがバタバタと倒れていく。一週間で15℃くらい下がってるのだから無理もない。

我が家もモルモット用ヒーターに火を入れた。ついに冬である。

🦠🦠🦠

頭の中がパテでいっぱいなので成城石井で買ってみた。薄いのに千円くらいして高い。

パテは朝食にする。冷えていてもおいしいので、朝食に向いていると思うのだ。それにタンパク質が豊富。パンにも合うので、朝はパテとパンだけ食べれば昼まで元気にすごせるのでは、という魂胆。

 

朝食メニューとして有益ならば、そのうち自作せねばならない。成城石井で買ってばかりいると高くついて仕方がない。

レシピは意外とシンプルで、鶏のレバーを叩き挽肉とともに練り、香辛料とピスタチオを入れて焼くだけ。型はiwakiのパウンド型を使う。三國シェフが使ってた。動画概要にはテリーヌ型と書いてあるが、これは間違いである。明らかにiwakiの製品と同じものが使われている。

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🦠🦠🦠

秋の実績解除として秋刀魚を食べた。脂が乗っていてうまかったが、骨が多くて食べるのが面倒だな〜と思った。

なぜなら秋刀魚が小さくなっているから。小さくなると小骨が取りにくい。気にせず飲み込めばいいのかもしれないが、そういうワイルドさは私にはない……。本来は、串を打って囲炉裏で焼き、かぶりつくように食べるものなのだと思う。箸でちくちく骨を避けながら食べるようなものではない。Googleで検索すると「魚を手づかみで食べるのはマナー違反」とか言われるけど、無視して手づかみで食べたらいいと思う。そういう形をした魚である。

11/14(火)ユーモアは距離をとる態度から、フリーレン魔法の謎挙動

業務ですったもんだがあり、寒さで人々が疲れていそうなのを感じた。皆さん冷えに気をつけてください。

どうでもいいけど「すったもんだ」と「ずんだもん」の音が近くて楽しい。

 

朝食実験中のパテは案の定おいしかった。パンと調和する。これは常用候補か。

🔩🔩🔩

先日「ユーモアがないと文章が書けない」「ユーモアとは余裕のことである」と書いた。

余裕というか、距離を置くのが大事である。現実から距離を置いて、近づきすぎずに観察しているとユーモア的な態度がとれる。

ということを考えなおしていたとき、『徒然草』を読んでいたら似たようなことが書かれていた。第百三十七段の評より引用。

(兼好は)何ごとであれ「良き人」たる教養人は、対象と距離を置くことによって、むしろその本質や価値に肉薄していることに注意を喚起し、逆に対象に近づけば近づくほど、そのものを損なうことを述べて、その解答としている。

このような観点は、ドイツの哲学者・カントの『判断力批判』に書かれている、対象をわがものとせず、静かに眺める「趣味判断」の態度とも通じるものがある。

訳者によると、カントも同じようなことを言ってるらしい。昔から考える人は距離を大事にしていたのだろうか。

そういえばインターネットの古いウォッチ文化にも「観察対象に直接触れてはならない」という鉄の掟があった。古いインターネットはユーモアだらけだったので、距離を取れる人が多かったのだろう。

🔩🔩🔩

フリーレンというアニメのあるシーンがまわりで評判だった。調べてみると「「魔力が高いほうの命令に従う魔法」を使う敵に対して、魔力が低いふりをすることで返り討ちにした」という筋なのがわかった。

TCGやゲームみたいな効果だな〜」と思ってるうちに、ちょっとこの魔法の挙動が変なのに気づく。

この物語世界では「「人を殺す魔法」が発明されて数十年後には「人を殺す魔法」が解析し尽くされて防御できるようになった」という設定が登場する。つまり魔法は自然法則の一部であり、どこでも誰でも再現する現象であるようだ。

服従させる魔法」の動作は「魔力が低いほうが服従させられる」という挙動で一貫はしてるのだが、実は別の例外挙動も考えられる。例えば「「服従させる魔法」の発動者より魔力が高い相手の意思は奪えない」とか。というか、こちらのほうが自然法則的な魔法としては自然だと思う。単に物語の都合上そうなっただけではあるのだろうけど、「服従させる魔法」は自然法則的魔法ではなく「神か何かと契約して権限昇格している魔法」と解することができる。だから発動主体が誰かによらず効果が強制される。「服従させる魔法」だけ魔法のルールが異なっているのだ。

というクソリプめいた疑問を覚えたものの、設定を追加したらどうにでもなると思う。物語はTCGではないので(バレなければ)ルールに一貫性がなくてもよい。なので、真面目に批判をする気はなくて、ただ「ゲーム的だな〜」と思った次第である。

11/15(水)下僕を呼ぶ声、欲望は秘められていてほしい

深夜、目が覚めたらモルモットがPUIPUIしてるのに気づいた。いつもは深夜に鳴くことなんてないのになんで?

リビングに出てみたら電気がつけっぱなしなのに気づく。私が消し忘れたような気がする。

なるほどモルモット氏は「電気がついている→下僕(私)がいる」と判断したのだろう。かしこ〜い。

期待させてしまってかわいそうだったので、ピーマンを与えてから寝直した。

💡💡💡

30代の恋愛はややこしいという話をよく聞く。そのくらいの歳になると人を見る目ができてきて、ずる賢くなるからなのだろう。

妻氏の同僚もちょうどそのような関係を持っており、「やっとれんわ」となって別れたのち、なぜかくっついたり離れたりを繰りかえしているそうだ。私の知人も似たようなことをやっていて、30代は理想と現実の狭間で苦しむことがわかってきた。彼らは理想のパートナーを求めて邁進し妥協はしないのに、短期的には「実利」が欲しくて「理想的でない」人との関係を維持してしまうのである。

こういう関係はちょっと怖いな、と思う。理性では拒否しているのに「実利」とか「他者への欲望」には弱いところ。恋愛そのものにそういう要素があるとは思うが、それでも「実利」のために他者を求めるのはちょっとグロテスクだ。互いに利用する関係であり、当人同士ではある種の取引になっているのだろう。

「他者への欲望」に衝き動かされる関係は好きにしたらいいけれども、私や妻氏に喋ってくれなくていいんだけどな、とは思う。おもしろさは感じなくはないけども、ちょっと重い、というかある種の下品さを感じる。

 

そもそも「欲望」の発露自体が下品という話がある。これは「他者」「モノ」「自己」どれに向かう欲望でもそうだ。少々ならいいが、多めの欲望表現をみてもあまりいい気分にはならない。これを古い価値観では「下品」と言った。今ではちょっと規範が緩んでいて広告を嚆矢として、世の中下品だらけである。私が古い規範に属しているだけで取り残されていくだけなのだろうけど、それでも下品なものは嫌だなあと思った。この頃話題の「エンジニア年収自慢記事」もそう。彼らは欲が強くてそれを表現しちゃうのである。欲が強いことが問題なのではなく、表現のしかたが問題。

11/16(木)アウトラインとしての仕様書、出奔🐢

お仕事でプログラムを書くときもアウトラインが使えるのに気づいた。これから書くプログラムの概要をアウトラインとして日本語で表現する。すると、日本語で考えてるうちに細かい挙動への疑問が出てきて、プログラムを書く前に問題に気づけるのである。それって仕様書では?はい、仕様書です。

ふつうじゃん、となるかもしれないが私のチームだとそうではなかった。皆忙しくてドキュメントを書きたい人も少ないので「ややこしいところだけドキュメントを残す」ことが多かった。そこだけ守っておけば実際には困らなかったので、今もそういう風潮になっている。

アウトラインとしての仕様書は、日常的に書くものである。ある新機能を作ろうとするならば、必ず書かれる。でも、これまでの「ややこしいところドキュメント」とは違って気軽に書くのが大事。長くても千文字くらい。

あくまで自分のために書きつつ、仕様書という体裁を取ることで将来の誰かのためにもする。仕様書を書くのも一石二鳥なのだなあ、と思った。

🍞🍞🍞

DPZで「シリーズ出奔」という企画連載をやっている。

「ライターが経費で旅行したいだけなのでは」と邪推してしまうが、ちゃんとおもしろいのでおすすめだ。

でも「出奔」という言葉のチョイスはどうなのか。林さんみたいな本をたくさん読んでる人、DPZの編集者たちにとっては読めて当たり前かもしれないが、世間では通じにくい言葉だ。出奔と聞いてもピンとくる人は少ない。別のメディアだったら「シリーズ家出」にしてそう。

でも「出奔」を選ぶDPZだから私はファンなのだよなあ。

dailyportalz.jp

これは夜逃げ

11/17(金)『すばらしい暗闇世界』を読んだ、店構えからわかるものがある

椎名誠の『すばらしい暗闇世界』を読んだ。

何者か知らずに読んだのだが、あとで『岳物語』の人だと知って驚いた。『岳物語』は読みやすくておもしろい本だった覚えがある。

このエッセイ集も文章が上手。かなり上手いほう。エッセイの醍醐味は語り口、文章の巧さが六割くらいである。

ただ、内容はまちまちな感じがした。大当たりの話もあるし、あまりおもしろくない話もある。締切に追われて適当に書いたんだろうな、と感じられた。

🧲🧲🧲

三國シェフが部下を激詰めする動画を見た。新作メニューを試作する様子を取材したドキュメンタリー動画。三國シェフは一般人向け動画ではニコニコしているのに、部下の料理人、ビストロにはとても厳しい。弟子によると、立ち方や手の洗い方などにも口うるさいそうだ。

マイクロマネジメントと激詰めは嫌だな〜、とは思うものの、実際私は店構えで飲食店の善し悪しを判断することがある。店内の照明の暗さとか、キッチンが整頓されてるかどうか、とか。立ち方、手の洗い方はたしかに料理の質に関わるのだと思う。

ここで見ているのは仕事への態度とか性格そのもの。店構えなどから店を運用するチームの性格を見抜き、自分と合うかどうかを判定してるのかもしれない。自分がどういう店構え、空間が好きかを把握しておくと良さそうだ。

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週報 2023/11/12 妻氏COVID-19感染す、遁世し動物園のモルモットになる、足の幅で姿勢と自律神経を操れる

11/4(土)妻氏COVID-19感染す、ユーモアが文章を書かせる

起きたら勝手に妻氏の熱を測る。赤外線方式の体温計は勝手に他人の熱をはかれて便利。

 

ピッ 37.5℃ わーお

 

朝食を食べて近所の発熱外来へ。鼻に棒をつっこまれ、しばらく外で待たされる。

結果、COVID-19陽性。インフルエンザかと思ったらそっちだった。妻氏が職場でもらってきたらしい。

実は感染するのは初めて。この三年半、私も妻氏もうまいこと回避し続けてきた。知り合いが何人も感染してきたのでもはや珍しい病気でもないのだが、我が家では初のイベントだ。しかも二週間前に五回目のワクチンを打ったばかりなのだ。なんと不運な。

9000円するゾコーバを出してもらう手もあったが、カロナールと咳止め漢方薬だけもらって帰宅。看病生活が始まった。

🎲🎲🎲

といっても、できることはあまりない。「水のみたい」「あれとってきて」などの要望に応えたらあとは寝かせるだけ。食事も粥やうどんといった簡単なものしか作らない。

なので暇があり「(土曜日だから)週報でも書くか」となるのだがどうも調子が出ない。私の熱はなかったが、文章が書ける感じはしなかった。

 

そのままうーうー言いながら転がっていたら疲れとストレスに苛まれているのに気づいた。なるほど我が家初のイベントだし、自分も感染するかもしれない。来週の出勤どうしよう、等々といろいろ悩みがあった。それを言語化せずに脳裏でぐるぐるさせていたから文章が書けなくなっていたのだった。

「我ながら人間味があるではないか」と思ったのも束の間、日記を使って言語化したらすぐに頭の調子が戻り文章がするする出てくるようになった。

 

現実について思い悩んでいるとユーモアが足りなくなるのである。文章とはユーモアで書くもの。

ユーモアがなくてもくそ真面目な文章は書けるが、それは私の望むものではない。なんというか、文章のリズムが悪くなる。リズムがないときは書くのが苦痛である。

人を傷つけない上品なおかしみやしゃれ。知的なウイットや意志的な風刺に対してゆとりや寛大さを伴うもの。

ユーモア(ゆーもあ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

🎲🎲🎲

妻氏が胃腸の痛みを訴えたので足三里にお灸をした。胃腸症状の定番のツボである。

するとてきめんに効果があり、胃のキリキリした感じがとれたのだとか。妻氏はすごい勢いでみかんを食べ始めた。スコア4個。

 

私が副反応で寝こんだとき「なぜかみかんがうまい」と書いたのだが、本物のCOVIDでもみかんを食べたくなるらしい。

11/5(日)回復傾向

この日も熱は下がらなかったが、症状の改善は見られた。発症初期は全身の皮膚がザワザワしていたそうだが、次第に引いていき、日曜午後には微熱と喉の痛みだけになっていた。皮膚のザワザワは炎症反応によるプロスタグランジンが原因であろう。全身症状がなくなったということは、ウイルスがあらかた駆逐され、最初に感染した喉の細胞に残ってる状況である。

しかし喉が痛むと不便だ。何を飲みこんでも喉が爆発するとのこと。それに気づかずカレーを与えてしまった。

🧪🧪🧪

結局私は発症しなかった。副反応も人によって多様なのでそういうものなのだろう。

11/6(月)回復期にはステーキとみかん、濃厚接触者はもう存在しない

ついに解熱。金曜の午後から発熱していたので三日間でウイルスを倒したことになる。
妻氏は食欲が出てきてステーキを食べたいと言い始めた。肉を買ってきて食べたらしい。

また、みかんもすごい勢いで減るので調達をがんばった。病気は体力を消耗するのだなあ。

万能薬みかん

🧩🧩🧩

労働日だが出社するか迷った。熱も喉の痛みもないが、ちょっとフラフラする。まだ免疫ががんばっているような気配がある。それに11月の夏のせいで寝つきが悪かった。疲れもありフラフラ。

しょうがないので午前を休みにして昼まで様子見。やっぱり症状がなかったので午後から出社した。

 

できれば在宅勤務がよかったのだが、弊社は五類移行のタイミングで濃厚接触者が云々の制度が消滅している。どうかと思うのだが、正社員は会社の犬なのでしょうがない。じゃあ休めばいいじゃん、となるが仕事が詰まっていたのでやむをえず出社した次第である。

11/7(火)遁世し動物園のモルモットになる、トークン数はAIの賢さではなさそう

やっぱり症状がないのでふつうに出社して仕事をした。無限に会議をする。
今後のタスクの棚卸しをしたところ、私の仕事は一年先まで埋まっていることがわかった。うわーん。

得意な仕事だから嫌というわけではない。忙しいな、と思うだけ。無理に残業をしろと言われることもないので何か具体的に困るわけでもない。やれる範囲でがんばる。

「私が病気や事故になると詰むのだなあ」とは思った。雲隠れしてやろうかしら。動物園のモルモットになって小松菜を奪い合う生活がしたい。

🎳🎳🎳

今や各社が競って大規模言語モデル・言語生成AI(以下AI)を作っているが、その性能の謳い文句に「トークン数」が掲げられることが多い。「トークン数」とはAIが覚えておける文章の量のことである。一万文字までしか覚えられないやつは、その枠を超えた会話を忘れて文脈が失われていくのである。

たしかに長い記憶能力を持っていると便利ではある。「インターネットの仕様書を丸ごと投げて要約してもらう」といったタスクは難なくこなせるようになるだろう。

ただ、トークン数がAIの性能なのか?というと疑問がある。あくまで便利に使うためのバッファ容量であり、直接的に生成の「賢さ」を規定するものではない。本質的な性能指標ではないが、数値化されていて比較しやすいからアピールされるだけなのだとは思う。

 

じゃあ何ができたら「賢い」のか。何回か前の週報で「AIにテレパシーを求めている人がいる」と書いた。これが賢さのゴールであろう。短いセンテンスで、ハイコンテクストな指示を投げたら勝手に意図を察してくれること。阿吽の呼吸。

AIに察してもらうにはAIの身体や感覚器官がいる。自由に動き勝手についてきてくれて、カメラとかマイク、触覚センサーなどで我々の文脈を推定してくれねばならない。センサーがないと察してもらうことはできない。文脈には言語的な文脈と非言語的な文脈とがあるから。

そういう意味では今のAIはしょぼい。テキストで指示を投げないといけないし、AIの知識はインターネットに閉じてる。いずれすべての出版物を学習させられたとしてもまだ足りない。我々は言語の外の世界で生きているのだから、AIにも言語の外に出てきてくれないとそう便利にはならない。

逆に、AIが身体をもつことを許してしまえば、我々が労働から解放される可能性も出てくる。実は実現されそうな分野が一つだけあって、自動運転がそれである。あれはまさにAIが身体を持っていると言える。もし公道での走行が認められたら、ただちにタクシー運転手の労働を奪うだろう。

リスキリングとは自動化による仕事の簒奪を背景にしている。自動化されて職を失った人は別の仕事をしてもらわねばならない。いかに人間が柔軟とはいえ無理があるとは思うのだが、建前としてはリスキリングで次の職に適応できることになっている。「仕事を奪われる。次のスキルを身につけろと強制される」のいたちごっこは社会的な問題になるのだろう。

そう考えると「AIに身体を持たせるのは人権蹂躙であるから規制すべき」みたいな話にも筋がある。意外と数年後には「EUがAIによる生成および物理世界での活動を規制しました」というニュースが見られるかもしれない。

11/8(水)アプリ内アプリは社内政治が反映される、足の幅で姿勢と自律神経を操れる

PayPayで同僚からお金を受け取ろうとしたらUIがめちゃくちゃで苦労した。アプリ内機能のアイコンがいっぱいあって何がどこにあるかわからない。一時期のLINEアプリみたいである。

いらないアイコンばかり出てる

これは妄想なのだが、この手の混乱したUIは社内政治を反映しているのだと思う。例えばLINE内部でスタンプ部署の政治力が高まるとスタンプショップのアイコンがUI上の一等地に出てくる。LINE Payの政治力が高まると……、以下同様。

本当はこういう機能はアプリを分けて実現すべきなのだが、分けないで作ると最初から市場が大きくて便利である。それに開発コストも多少は安くなる。それをいろいろなアプリ内アプリで行うと、機能が増えまくってアイコンを出す余白がなくなってしまうのだ。

今はLINEは整理されたUIになっていると思う。PayPayはめちゃくちゃなので、絶賛政治中なのだろう。

🚀🚀🚀

「足を肩幅に開いて歩くべし」という原則の意味を理解した。

原理はよくわかってないのだが、足を開くと腹横筋がちゃんと絞められる。腹横筋は姿勢をよく保つのに大事な筋肉で、コルセット筋とも呼ばれる。
逆に足を閉じると腹に力が入らない。上半身はグンニャリして歪む。

 

後日、鍼師に聞いたら「介護では有名な知識で、足を肩幅に開かせると老人を安定して立たせられる」と言われた。
また、妻氏によると、フランス人は老若男女問わず足を開いて膝に手をついて立ちあがるそうだ。

 

ただし、いつでもお腹を締めたらよいわけではない。このコツが大事なのは歩くときと椅子に座って作業をするときくらい。逆に、リラックスするときは足を開いてはならない。自律神経は胃腸と繋がっていて、胃腸がよく動ける状況は副交感神経優位である。お腹を締めると胃腸の動きが抑制されるので交感神経優位になる。仕事をするにはいいが、休むときはまずい。だから、メリハリをもって足を閉じたり開いたりしたらよいと思う。

 

実際に肩幅を意識して歩いてみたら、尻の筋肉(中臀筋)が柔らかくなった。かつてないほど椅子に深く座れるようになったので即効性のあるコツのようである。

11/9(木)未病状態、英語教育に蔓延る漢文訓読の亡霊

鍼に行って診察を受けたら健康度0点だった。五臓のうち五臓全部がダウンしており、たいへん不健康な状態。COVID-19にはかからなかったものの、やっぱり消耗はしていたらしい。たっぷり鍼とお灸をされた。

🛟🛟🛟

『お言葉ですが2 週間文春の怪』を読み終わった。

高島俊夫が書物や新聞の日本語に文句を言っていくエッセイ集その2。今回は辞書への批判が目立った。広辞苑がまともではないのは『お言葉ですが1』に書かれていたが、今回は他すべての辞書に共通する間違いなども指摘される。古い辞書で間違いがあると、後代の辞書すべてが間違うようだ。辞書編集者も原典に当たらないので、ミスはそのまま引き継がれる。

パーマーの英文和訳批判のくだりがおもしろかった。大正時代のパーマーという英国人が日本の英語教育を変えさせようとして失敗したそうだ。パーマーが反対したのは英文和訳。なぜダメなのかというと、英語は英語のまま理解し身につけるものだから。どの外国語もこれが正道である。日本語に変換しても英語は身につかない。

なんでも和訳してしまうのは漢文訓読の歴史があるから。日本人は漢文を読むために「この漢語はこの日本語に対応する」「レ点があるときは……」と杓子定規な攻略法を作っていき、漢語読解で一定の成功を収めてしまった。そこへ英語が入ってきて我々のご先祖は英文訓読をし始める。こうして漢文訓読の亡霊は英語に引き継がれ、我々は英語を英語のまま理解できないような教育をするようになったのである。

11/10(金)うまいもので英気を養う

妻氏も鍼へ行き、ついに完全回復した。感染で落ちたところを戻してもらったそうな。幸い後遺症になりそうな不調もないとのことで安心である。
これで土曜日から通常業務。日常が回復された。

🗼🗼🗼

めでたしめでたし、ということでうまいものを食べにいった。フランス料理。我が家はフランスかぶれである。
実はもともと前の土日にフランス料理を食べる予定だったのだが、見事にコロナに見舞われて延期していた。なので予定を遂行しただけとも言える。

ラディッシュ、ハム、レタス、生ハム、タコのマリネ

いちばんおいしかったのは前菜のプレート。変わり種としてラディッシュがある。生のまま半分に切られていて、バターを乗せてパリパリ食べる。フランス人はこういう食べ方をする、と説明された。野生的でいいと思う。
MVPは右側のタコだった。ただのタコのマリネなのだが、異様にうまい。過去に食べたタコでいちばんおいしかった。
あとは真ん中のハム。なんでこんなにうまいのだろう?と思って調べたら、フランスのハムである「ジャンボンブラン(jambon blanc)」は燻製せずにブイヨンで煮込むことを知った。そりゃあうまいわけである。

 

この手のプレートはフランス人が平日に食べる料理そのままである。『フランス人と気の長い夜ごはん』調べ。
フランスハムとかパテを作ってサラダとともに食べる生活もいいかしらん、と思って作り方を調べたらめんどくさすぎて卒倒した。

週報 2023/11/05 休むのが苦手、ネットは広くない、フィルタコストは無視できない

10/28(土) 粗忽者のための岩塩、🫒契約

疲れから6時間の昼寝を……。早起きすると昼寝し放題である。早起きした意味はあるのか。それはわからない。

🪂🪂🪂

岩塩を重宝してるのだが、あまり見かけない。成城石井にもなかった。ミルつきのもの、砕かれたものなら売られてるのだが、ミルに詰めるための2ミリ粒くらいの塩が見当たらないのだ。ミルは持っていて、岩塩だけが欲しい。

なんで重宝してるのかというと、その場で粉にできるから。岩塩withミルだと削りながら均一に塩を当てられるので、下拵えで魚や肉へ塩をするのに便利なのだ。ちゃんとした料理人ならば塩を手にあててふりかける技術を使うが、私は楽をしたいのである。家庭料理はなんでもありなのだ。

🪂🪂🪂

Oliveを契約した。三井住友銀行が売り出している新種の決済システムである。クレジットカードが主サービスだが、デビットカードやら何やらいくつかの決済手段がついていて、それらを任意に切り替えて使えるのが売りである。

と、説明してみたものの、それらの機能が欲しくて契約したのではない。ただ、メインカードを変えたかっただけである。

メインカードはAmazonカードだった。5年か6年前、よくAmazonを使っていてポイントも調子よくもらえる時代に作りメインにしていた。ところがだんだんとAmazonの市場が劣化し、ポイントプログラムも旨みの少ないものになっていった。「どこかで番号が漏れたかも」メールが届いたこともあるし、割と限界だった。そこへていのよい乗り換え先が見つかったので、契約したわけである。もともとメインバンクがSMBCだったのも大きいし、妻もOliveを契約していたので家族連携が使えるのも決め手となった。

 

審査が通るとすぐにカードが発行された。電子的に。

スマホアプリでカード番号が確認できて、それを外部サイトに設定するとちゃんと決済も通る。クレジットカードは今や完全に記号的な存在になったようだ。物理カードが届かぬうちに使える。もとより信用情報とは記号的なものなのだから、こうなるのも自然なのかもしれない。番号、個人情報が印字されないカードも珍しくないし。すべてはスマホアプリに吸収されていくようである。

10/29(日) 🐦になりたい、休むのが苦手、『中世を旅する人びと』を読んだ

買い物ついでにはとぽっぽ。
午前の早い時間だった。「はとぽおらんなー」と思って探しまわったら木の下に集まっていた。ちょうど日差しがさしていて、一羽は羽を広げている。

ピースフル

鳩になりたい。

目と足が恐竜みたいなのもよい。

ポポポ

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11月のテーマは休息である。まだこの日は10月だったが、もういいやということで積極的に休まる活動をしていた。ワインを開けたり、お昼寝をしたり……。

 

休むのは苦手である。スマホとPCとインターネットに脳を破壊されているので、気がつくとテキストを探しにいってしまう。読みやすいテキストがあればなんでもよくて、さほど興味があるわけでもないニュース記事、Wikipedia記事を読む。

テキストを読むなら積み本を片づければいいのにそうはならない。なんというか、時間感覚が違うのだ。記事は三分で読めるが、本は一節十分くらい。三分くらいで読みきれるものを求めているあたり、まだまだ脳はまともになっていないらしい。SNSだと二秒で読めるテキストを求めるからそっちの方が重症だし、回復してきてはいるが……。

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『中世を旅する人びと』を読み終わった。

中世に興味はないのだが読みやすそうなので読んだ。読みやすかった。
テーマは中世欧州の下層階級。庶民がどのように暮らしていたのか淡々と語られる。

この時代の欧州村落はとにかく治安が悪い。警察なんてないので自衛が基本。復讐権を持っている人であっても、犯人を自力で探して復讐しないといけない。殺人までの揉め事にならなくとも、市場の肉屋、粉挽き、パン屋がいつ騙してくるとも知れぬ。
というわけで、当時から契約が大事だったようだ。何かと契約書、誓約書が出てくる。欧州の交渉のうまさ、契約を大事にする文化はこういう背景があるのだと思った。もちろんキリスト教の影響もあろうが。

10/30(月) 飲み物を買わずに本を積む、ネットは広くない、正しさは書くまでわからない

オフィスでペットボトル飲料を買うのをやめた。代わりにほうじ茶を淹れている。なぜなら私は冷え性だから。
もう11月なのに自販機にホットのお茶が入らない。どうなっているのか。困るのだが。

余計な出費が減ったのもよかった。よく考えると毎日2本のお茶を買っていると月に6千円くらいになる。3本買う日もあるからもっと高い。6千円あったら本を6、7冊積めるのだ。お茶淹れたほうがいい。本はできれば読みたい。罪をお許しください。

冷え性からみて不思議なのは冷たい炭酸水を飲み続ける人たち。なんかいいことがあるのだろうか?お腹に悪くないのか?コーラを飲みたいのならまだわかる。

🍊🍊🍊

インターネットでは「他人の愚痴」「家族の不仲」「婚活が云々」みたいな話題に事欠かない。というかありふれていてすでに飽きられている。ちょっとした愚痴くらいでは話題にならないほどに。熟練インターネット太郎になると「またこの話題か。何週目だよ」となる。人間関係のいざこざですら数分で消化される。

しかし、本来この手のネタは重いはず。もし我々が村落共同体で生きていたらこれらの愚痴で数日は盛りあがるのではないか。というか今でもインターネットの外の社会ではそれなりに重い扱いを受ける話題だ。だからおかしいのはインターネットに慣れた人の感覚である。

今もまだインターネットの外は広い。ネットは広大だわと言っても、まだまだ井の中の蛙である。スマホを持っていても、この手の愚痴、人間消費コンテンツばかり見てる人は少ない。ということを自覚した。

社会性

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先週の週報で「自然言語の作文は自分で正しさを検証しないといけない」と書いた。
私は文章を書くとき、必ずアウトラインを書いている。アウトラインは文章の「骨」であり、書くつもりの内容を網羅している。論理的な整合性、正しさは「骨」の段階でだいたい見えている。

つまりこの書き方は正しさの検証と具体的な表現のフェーズを分けているのである。まず「骨」の整理に集中して正しさのチェックをして、そのあと「肉」づけをしている。

 

こう書いてみるといかにも効率的な作文法かのように思えるが、現実には不思議なことが起きる。

具体的に表現すると「骨」のとおりの文章にならないのだ。

文章というものは「語」が「語」を呼ぶ。連想と言ってもよいだろう。「語A」に続くのは「語X」と「語Y」などの仲間たち、という連関がだいたい決まっていて、逸脱することはできない。文法というか、用例による制約である。この連想は自動的にはたらく。

連想に任せて書いているうちに「骨」で想定してなかった文章ができてくる。趣旨が「骨」と一致してたらいいが、そうでないこともある。「あれ?おかしいな?」と思って書きなおしてもやっぱりズレる。そういうときは「骨」の論理が間違っている。飛躍や矛盾があって具体的に表現できないことを書こうとしていたのだ。

 

しかるに、文章は書いてみるまでわからないのである。アウトラインを箇条書きで書いて言語化したつもりになってはならない。具体的に表現しなければ、自分の考えの正しさはわからないのである。

10/31(火) 🖐️🌾、EDM盆踊りに参加したい

在宅勤務の日。会議会議とリリース作業。丁寧丁寧に仕事をする。

夜は社交ダンス。ひたすらホールドの指導をされ「結局筋肉なのよね」となる。ダンスをしていると腹筋と背筋がバキバキになる。胸鎖乳突筋も。

🏠🏠🏠

渋谷でハロウィンが抑圧されていると聞く。軽トラをひっくり返したりものを破壊するのはよくないとは思うが、非日常の場が失われるのはつまらないような気もする。一説によるとハロウィンは都市から失われた「祭り」の代替だそうな。本当かどうかは知らないけれども、非日常、羽目を外せる場が必要なのは理解できる。

 

なんか代わりの非日常はないものかと思ってEDM盆踊りを思いついたらすでにあった。

DJ KOOが力を注ぐ「盆踊り」の魅力。ハードロックやTRFを経て知った日本のリズムのおもしろさ | CINRA

近所でやってくれたら朝まで踊りたいものである。

朝まで踊る祭りは日本にもいくつかあるが、私は白鳥おどりの「世栄」が好きである。

www.youtube.com

11/1(水) あべこべ靴下、SpikeVax、ニンゲンの群れ

微妙にあべこべな靴下を履いて出社。給湯室でおしゃべりをしていたら同僚に「なにそれファッション?」と言われて色違いになってるのに気づいた。

こういう間違え方をした

これはこれでありでは?

🍥🍥🍥

昼にインフルエンザワクチンの注射を受けた。なぜコロナワクチンより痛いのだろうか。子供は余裕で泣く。

予診票に「最近接種したワクチン: SpikeVax」と書いて問診に臨んだら医師が固まってしまった。モデルナワクチンの正式名称なのだがピンと来なかったらしい。医者なら通じるでしょ、と変なものを書いたが賭けに負けた。

🍥🍥🍥

社会のニンゲンたちはお行儀良くルールを守り、規範的に行動している。かのようにみえる。

かりに神になって各位の内面をみてみると「まわりの真似をしている人」と「ルールに従っている人」の二種類がいるのに気づくだろう。

外からみえる行動は同じなのに、行動原理は異なる。

この差異は大きく、たまに行動まで変わってくることがある。例えば著作権の理解とか……。親告罪なのに他人を殴る便利な棍棒みたいに思っている人たちがあり、そういう集団のなかでは著作権通俗的な曲解が規範になっている。

できればルールそれ自体を理解して欲しいものだが、真似によって群れを作るのはお魚さんにも備わる基本的な本能だと思う。それに「ルール(本質)を理解してからでは遅いので、とりあえず真似から始める」のが有益なこともある。うーん難しいですね。最初は真似でいいからそのうちルールを理解すべき、とは言えるか。

11/2(木) フィルタコストは無視できない、ダメな本

アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。

アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。 - 橋本商会

私はこの考えの信奉者だったのだが、同僚から「フィルタコストが無視できない」という批判をいただいた。本質的な指摘である。

黎明期インターネットは「テキスト処理が得意な人」が集まっていた。2chなんかテキストしかなかったし。

集団として偏っていて、集団の内部ではテキスト情報をフィルタするコストが安かっただけなのである。

つまり「たくさん出力しているものを受け手が取捨選択する」のは局所最適だった。万人に採用していただける戦略ではない。

 

今やお仕事でも多量の情報を吐きだして整理する必要がある。publicインターネットはどうでもいいが、業務でどう情報を整理し伝えるかはたしかに課題になる。AIが使えるかというと微妙。今のところ、社内用の検索エンジンを用意するのがいちばんだと思う。

あるいは報道官、情報を整理する専門の人をおくか。やっぱり人間が整理するほうが信頼できるので。しかし相当コストがかかるのでこれも現実的ではないかも。

⛲️⛲️⛲️

『生きづらい明治社会』を読んだ。

江戸時代から明治時代にかけていくつかの前提が変化したことで、互助システムが崩壊。明治以降の社会に貧困層が発生した。しかし「努力すれば必ず報われる」という成功者の価値観のせいで貧困層は救われなかった、という話。

趣旨は悪くないのだが著者の客観性に問題があった。裏テーマに現代社会批判があり、そのためにエピソードを選んでいるし、過去の価値観を現代の価値観から安易に批判している。歴史を語るときは、我々の価値観がより未来の価値観から批判されることを想定し、できるだけ価値観から自由になるよう努力すべきである。著者にはその覚悟がなく、いかに現代社会批判として価値があろうともダメな本だと思った。つまり誠実な語り手ではない。

11/3(金) 洋包丁はハマグリ刃に、妻氏発熱

なぜか夏日だったが冬支度をした。ヒーターやら毛布を出してくる。毛布はナフタレン臭かったので天日干しした。

🥣🥣🥣

包丁のメンテナンスもした。ペティナイフの正しい研ぎ方を知る。ずっと切れ味が悪くて不満だったのだが、改めて調べたら堺の刃物屋さんが「洋包丁は片刃気味かつハマグリ刃に研ぐべし」と書いていた。

hocho.ichimonji.co.jp

説明が難しいので詳しくはリンク先を読んで欲しい。
たしかにこのやり方で研ぐと切りやすい包丁ができた。切った野菜の身離れがよく、切れ味も前よりよくなった。

🥣🥣🥣

妻氏が鴨川散歩から帰ってきたら「喉が痛くて熱がある」という。こりゃまずい。インフルエンザがCOVID-19だろう。
寝ておいてもらってお世話をする日々が始まった。お粥を作ったり食材確保に奔走したり。

週報 2023/10/29 広告軍拡競争、牛乳卵補充お化け、「私の話を聞いてくれ」社会

10/21(土)コミティア準備、雑出汁、デジタルサイネージ

翌日のコミティア準備で忙しくしていた。

妻氏は原稿の仕上げ。今回はコピー本なので前日まで作業ができるのだ。間に合わなかったからコピー本になっている、ともいえる。数日前に「これ明らかに間に合わないよね」「はい」という儀式をしていた。はい。

前日までにペン入れを終わらせておいたので余裕はあった。朝イチにキンコーズで手書き原稿のスキャンをし、昼間はデジタル作業でトーン塗り、背景など。午後には終わっていて昼寝をしてから印刷しにいった。

こうして原稿が皆様のもとに届けられた。

moko-oxygen.booth.pm

🍥🍥🍥

私はごはん係をしつつ暇を見つけては週報の原稿を書いていた。イベントは日曜の朝からあるので前日に書かないと間に合わない。月曜日に延期してもいいのだけど、忙しくて休日にしか書けないし月曜休む予定もないので必然的に前倒しすることになった。たまに「なんでこんな活動をしてるのか?」と思わなくもないが、🐟が泳ぎ続けるようなものなのでなんとなく続けている。もうすぐ週報は二年である。だいぶ書けるようになった。

 

夜はうどんにした。我が家のうどんは出汁をとるのだが「ちゃんと」出汁を取ってるわけではない。

  1. 昆布を小さくちぎって沸騰するまで野菜と茹でる
  2. 鰹節を少量入れて火を止める
  3. 砂糖、塩、醤油で味を整える

という作り方をする。気分で味醂や酒も入れる。

出汁がらはそのまま食べている。少量だから気にせず食べられるのだ。もとより野菜や肉をごちゃごちゃ入れたうどんなので多少昆布が入っていたところで気にならない。その代わりにおいしい出汁になるのだから、家庭料理としては割に合っていると思う。鰹節は一掴みとか入れなくてもじゅうぶん香りと旨味が出る。日本人が大好きな味になるのでおすすめ。

🍥🍥🍥

明日のイベント用デジタルサイネージを整備した。

いろいろと用途があってモバイルディスプレイを買ったところ、イベントで使えるのに気づいたのだ。お品書きとかイラストを表示する。

Type-Cってすごい

めちゃくちゃな配線になったが一応動く。こんなややこしいことをしているのは、イベント会場では電源がモバイルバッテリーしかないから。低消費電力の構成を作ったらこうなった。

20100mAhあれば8時間絵を出し続けられるシステムができた。

10/22(日)関西コミティア、広告軍拡競争

ワーン

設営してみた。

本来はお品書きを吊るしているところにディスプレイを置いて絵を出すようにした。スライドショーになっていて、指定した秒数経過すると絵が変わる。初回はお品書きと鳩のイラストになった。鳩で向かいのサークルを威圧していく。

けっこう効果があるようで、通りがかった人がだいたいディスプレイを見てくれる。たまに立ち止まって本を買っていく人もいた。広告効果は上々である。

🛒🛒🛒

そう、広告なのだ。

同人誌即売会だけでなく、あらゆる展示会、フリーマーケット、デパートなど、どこであれものを売るにはアピールが必要になる。

(販売を伴う)個人制作には「自由に創作をして云々」というイメージが付きまとうが、実際にやっているのは競争である。似たようなことをする人がまわりにたくさんいると、自分がよいと思うものを作っていても埋もれてしまう。よさをアピールする前に目に止まらなくなるのだ。今や文学フリマコミティアもこの問題に悩まされている。「自由で開かれた市場」の行きつく先は広告による軍拡競争なのだ。

皆やっているのがポスター。A1とかB1の巨大なポスターを刷ってスタンドに吊るして見せびらかす。昔はこれでよかったのかもしれないが、今はどこも当たり前にやっていてそんなに差別化ができるとは思えない。

 

そういう紙ばかりの空間にディスプレイを持ちだしたので効果はあった。ディスプレイの絵は動くし、自ずから光っている。

軍拡競争なので他のサークルが真似したらまた埋もれるとは思う。そうなったらまた次の手を考えるだけだ。競争に終わりない。

それに、大事なのはアピールではなく中身のほうである。アピールは吟味してもらうためのとっかかりであって、本質は自分にとっておもしろいものを作ること。本質を疎かにして広告だけがんばっても売れるだろうけど、金を稼ぐだけなら賃労働のほうが効率がよいので、やろうとは思わない。

 

どこに行っても競争原理が現れてちょっと嫌になるが、競争というものは進化論レベルに根源的なこの世のルールである。競争が必要なことについては諦めて、いいものを作りアピールするだけである。それがいちばんファンのためになる。

10/23(月)ホット甘飲料、牛乳卵補充お化け

会社帰りにでっかいココア缶を買った。もうココアの季節である。
我が家では毎晩ホット甘飲料を淹れる。大事な儀式である。

夏はチャイ。お湯を沸かし紅茶葉を蒸らしたら牛乳とスパイス、砂糖をいれてよく混ぜる。これを濾して飲む。
冬はココア。少量のお湯でココアパウダーを練り、牛乳で伸ばして完成。

どちらも飲みすぎると太ることに注意だが、身体を温めて神経を休めるのに大事な飲み物である。

🥮🥮🥮

買い物のついでに牛乳、パスタ、チーズなどを補充しておいた。

夜に妻氏が気づき気味悪がられる。

妻氏はものの管理が苦手で使い切ってから「あっもうない」となることが多い。対して私はなんでもなくなる前に補充してしまう。それをこっそりやっているので、妻氏からするとお化けが牛乳を冷蔵庫にいれておいたかのように見えるのだ。

ほんとにお化けがやってるかもしれないのに。

ふわねこ家には巨大ピーマンしかない

10/24(火)捕縛され婚、ハルヒがわからない

妻氏と仲の良い同僚がこっそり結婚していたことを知り、びっくりした妻氏は会社でプリッツを一箱食べてしまったそうだ。夕食前なのに。

その同僚はかなり「閉じて」いる人で、いらんことを言わないタイプではある。だから報告してなかったのも不思議ではない。責める気にもならない。

でも、だからこそ不自然だったのだ。「閉じて」いて、押しが弱く、あまり意志を示すタイプではない。

 

「顔がいいから捕まって求婚されたのだろう」と思っていたら、後日その通りだったことが判明。謎が解けた。

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なんとなく、ハルヒのおもしろさがわからなかったことを思い出した。流行っていた当時私は高校生で、ライトノベルを読んでいた。平積みされてたので何冊か買って読んでみたが、いまいち何がいいのかわからない。その後アニメ化されてキャラクターの良さは理解したものの、話の筋の魅力はついぞわからなかった。SFとしておもしろい云々という記事を読んだこともあるが、そんなにSFだったかしら。

10/25(水)『お言葉ですが』を読んだ、「私の話を聞いてくれ」社会

『お言葉ですが』を読み終わった。

高島先生の最初の文春連載原稿を本にしたものだ。当時は連載初心者だったそうだが、それでもじゅうぶんにおもしろく、切れ味もある。

「日本語に二人称はない」「元号漢籍ではなく日本の古典から引けばよろしい」「物分かりのよい年寄りに存在意義はない」「日本語は性別を明記せずとも成立することが多い。西欧語の影響を受けなくてよろしい」「満州は間違いで満洲が正しい。満州では意味をなさない」

などの文章が印象に残った。

🛷🛷🛷

「弱者ナントカ」の定義をめぐって争う増田記事を見かけるようになった。定義はどうでもいいが、彼らが「弱者ナントカ」であることを認めてもらいたがるのは興味深い。

「弱者ナントカ」である認定をいただくと何が嬉しいのか。インターネットで認めてもらえたところで金はもらえないし、現実が変わるわけでもない。もらえるのは「共感」だけで、これが目当てだろう。「共感」してもらう特権を欲しがっている。

 

なぜ特権になるのか。「弱者」というラベルは憐憫と共感のおひねりをいただける特別な立場だから。洋の東西を問わず昔からそういうものである。

本来、インターネットで共感をもらうのに肩書きはいらない。自分の悩みを素直に、かつ他人によく伝わるように書ければラベルに頼らなくても共感してもらえる。人の目に止まれば、だが。

でもその表現が難しいのだ。伝わる言語化ができる時点で、その悩みは半ば解決している。客観的に書けているということだから。

これが対面での愚痴や相談であれば伝わりやすくなる。聞き手が客観性の担い手であり、質問をして対話を重ねていけば悩みがそのうち伝わる。この技術に秀でているのが飲み屋の常連とか水商売の人たちであろう。

しかしふつうの人は話を聞くのが上手くない。相手の悩みの核がわかるまで辛抱強く対話し続けるのは大変だ。たいてい途中で飽きて違う話をし始めてしまう。

よく言われるのが「家族や恋人、友人に相談せよ」というアドバイスだが、現実的ではないと思う。コミュニケーション不足ですれ違う家族の愚痴をいくつも読んできた。家族であっても「話を聞くのは難しい」のは変わらない。

 

このように人の話を聞いてくれる人は少ないのが現実だ。「私の悩みを聞いてくれ」「私の話を聞いてくれ」という悲鳴がインターネットでこだまし、「話を聞いてもらえる特権」を求めて政治をしているのであろう。

10/26(木)胃腸冷え、日本語はむずい

今週は調子が悪いな〜と思いつつ鍼に行ったら「胃腸が冷えている」と言われた。やばいやつ。

なぜなら人間(生物)はごはんを食べて栄養を燃やすシステムだから。胃腸は栄養の取り込みを担うので、ここが冷える(活動低下する)とてきめんに体調が悪くなる。動物の本質は消化管という管である。

「何か心当たりはないか?」と聞かれて答えに窮したが、あとから考えたら副反応で倒れているし、イベントに行き休みなく働いている。なかなかハードである。

 

幸い鍼へのアクセスがあり救われた。翌日から食欲も回復し、睡眠もよくなった。そしてこの土日は久しぶりに予定がない。すばらしいことだ。やっと休める。

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「眠いとドキュメントは書けないが、プログラミングはできる」ということに気づいた。
なぜそうなるのか。プログラミング言語人工言語で、自然言語(日本語など)よりはシンプルにできているからではないか。

また、プログラミングは「正しさのチェック」をコンパイラという機械がやってくれる。どの程度まで正しさをみるかは言語によるのだが、ものによっては相当細かくみてくれるのだ。

一方で日本語でも英語でも、文法の正しさ、論理の正しさは人間が自分でチェックしないといけない。レビューをしてもらうにせよ、他人の力を借りるのはある程度形になってからである。

もしかしたら対話的AIが文法のチェックはしてくれるかもしれないが、論理の正しさを任せられるほど賢くないのが現状だ。実際のところ、母語であれば文法は問題にならない。それよりも論理である。これが大変だから眠いときは文章が書けないのだな。

10/27(金)飲み会にはガスピタン

久しぶりに飲み会があった。

場がよかったので二次会に行こうかなとおも思ったのだが、どうもお腹が張っている。それに妻氏の様子が悪そう。固辞して帰ることにした。

 

いつも居酒屋、料理屋で酒を飲むとお腹がガスでぱつぱつになってしまう。脂っこいものとかお酒が悪さをするのだろうか。

変な感じはするが、ガスピタンを飲んでから酒の席に臨むといいのかもしれない。今度実験してみよう。

🥌🥌🥌

家に帰ったら妻氏がダメになってたのですぐにお灸をした。背中の筋肉がカチコチで疲れているのが察せられた。指圧とお灸でほぐし、すぐに風呂に入ってもらう。するとマシになったそうだ。

 

というお世話をしたり、モルモット掃除、日記などをこなしていたら2時近くになってしまった。人と喋るのは楽しいが、日課が後ろにズレてしまうのは考えものだ。仕事なんか放り出して午後すぐに酒を飲むのがいいと思う。

ピーマンに夢中