しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/12/11 明るいうちに帰りたい, 話を聴くのは難しい

週報 2022/12/11

明るいうちに帰りたい

暗くなってきた。もう冬至である。

このごろ自転車通勤を再開したのだが、暗くなってから帰ると気持ちが落ちこむのに気づいた。朝は寒くても爽快な気分で漕げるのだが、帰りは疲れと暗さで嫌になる。徒歩と電車の通勤でも同じで、そもそも暗いなか移動するのが嫌いらしい。たぶん夏は問題になりにくい。

これもすべて近代が悪い。電気によって人間はいつまでも働けるようになった。太陽をまったく無視して深夜まで働ける。前近代であれば、仕事は日が出てから沈むまでだった。夜は寝る時間である。

と、言いつつ夜にはゲームや読書をする。電気はありがたい。

要するに時間管理された労働とそれに伴う通勤が嫌なだけである。

『ええかげん論』を読んだ

mishimasha.com

土井先生と中島先生の対談本第二弾。前著の『料理と利他』がよく売れたのだろう。というかふつうに二人が仲良し。

内容は「一汁一菜によって日常を整えましょう」「『ああすればこうなる』の近代合理化精神批判」「守破離によって人為からはなれ、偶然性の肯定へ至る」など。いつもどおりな話もあるし、新しくておもしろい話もあった。まあまあおすすめである。

ただ、最後の章が説教くさかったのが気になる。近代合理性(現代社会)を批判するとき、どうしても説教じみた態度になることは多い。私もやりがちである。しかし読者へのサービスとしてはないほうがいい。という点で、最後の読み味が微妙ではあった。

p169にこんなことが書かれていた。

中島 土井先生とお話をさせていただくようになって、自分で料理をするときに、どんどん 素材に任せるように、調味料をあんまり使わないようになり、かつ劇的に変わったのは、味噌汁から出汁を抜いたところでした。その味にずっと馴染んでくると、外食するとき、つらいんですよ。味が濃く感じて。どんどん外食の量が減っていく。

土井 一汁一菜のような基準をもって、料理して食べるという暮らしを実行していると、外食に行く理由がなくなってきます。それに感性がよくはたらいて、よく気がつくようになりますよね。自分の体を傷つけるものや、食べなくてもよいものを食べようと思わなくなると思います。

これは私も思っていたことである。一汁一菜を毎日やっていると、舌がチューニングされるのだ。外食は味が濃くて毎日食べられるものではなくなった。我が家だけの現象かと思っていたが、どうやら一般性がありそうである。

評価の季節

大ボス*1からの評価コメントに「同僚にすばやく頼るといいよ」と書かれていた。たいへん耳が痛い話で、私は(ある程度)一人で考えて手を動かせるがために人に頼らないところがある。最近になってようやく頼るようにはなってきたが、それでも頼るのが遅い。頼ると他人の仕事を止めることにはなるが、チーム全体の効率を考えるとさっさと頼ったほうがいい。

大ボスはよく人をみているな、と思った。

いかにして生き残るか

www.youtube.com

この動画がよかった。50分もあって長いのだが内容はおもしろいのでおすすめである。
主題は殺伐としてきた社会状況の分析と、どうやって生き残っていくか。みんな気になる話題だと思う。

動画の中盤に「自分の畑をもっておいてそれを耕す」「作品は一つ作って終わりではない」という趣旨の発言が出てきた。これは2019年のこの記事で「ひと鍬いれる」と言っていた考えである。毎日ひと鍬入れることを念頭に読書と日記、そして週報をやってきたが、自分の畑もそれなりに育ってきた感じはしている。妻氏も漫画を描き続けており、それぞれの畑を耕している。これでよかったのだな、と安堵している。

話を聴くのは難しい

業務で専門的な会議をしているとついていけなくなることがある。集中力の具合や雑音にもよるのだが、気を抜くと置いていかれる。幸い議事録があるので致命的には困らないのだが、日本語リスニングに難があるのだろうか、と不安になることもあった。

とも思ったのだが、どうも妻氏も同じで、同僚の話を聴くのは難しいという。さらに、妻氏が同僚に聴いたところ、半分くらいは話を聴くのに難しさを感じているようだった。

 

なぜこんなにもリスニングに問題が出るのか?と考えたところ次のような仮説が浮かんできた。

まずは、聴きたいレベルに個人差があること。正確に聴いて意味を理解しようとするほど、ノイズに弱くなる。気を抜くとついていけなくなってしまう。私や妻氏がこのタイプである。一方で、てきとうに聴いてわかった気になる人もいる。そういう人は、リスニングに難はない、と言うのである。これは実感にも合っていて、饒舌で話があちこちへ飛ぶ人ほど人の話を聴いていないことが多い。ただ思ったことをまくしたてて、相手が反応を返してくれるから会話が成り立っているように見えるのだが、饒舌な側は話を聴いていないのである。まじめに聴いているほうがサービスをしている状態。割を食っている。

また、ふつうの人は喋るのが下手、という話もある。私の経験としては、大学に入ってから講義を聴くのが難しくなったように思う。それも当然で、大学の先生は教育者としての教育を受けていないのだ。学生によく伝わるように喋るテクニック、サービスの技術を持っているとはかぎらない。持っているのは予備校教師や義務教育、高校の先生だけである。あるいはそういう教育を受けた人、才能がある人。同様に、職場の同僚もわかりやすく喋る技術を持っていない。だから聴きとりは難しいのだ。

というわけで、職場で、公的空間で聴きとりが難しいのも仕方のないことだと思う。たしかにAPD(聴覚情報処理障害)という障害はあるし、ワーキングメモリの量などの認知的な問題で聴こえが悪い人もいるとは思う。しかし、それだけでない原因として、素人の喋りの下手さは挙げられると思う。たいていはみんな素人なので責めるものではなく、諦めて話を止めて聞き返すのがよい。聞き返されて腹を立てるような人は、自分の技術の問題だと思って反省すべきである。

*1:部長級上司

週報 2022/12/04 ドウが爆発して妻氏が飛び起きる, 認知メディアの多様さ, インターネットで消耗しないために

雑記

寒いとよく眠れる

12月。冬になった。いきなり1℃である。

寒くなって、寒いとよく眠れるのを思いだした。動物は冬には寝るものである。そういうものだと思って好きなだけ寝てしまえばいいのだ。

ドウが爆発して妻氏が飛び起きる

exploding

土曜日の朝、ふとワインセラーを眺めたらパン生地がパンパンに膨らんでいるのが見えた。「The dough is exploding」と伝えたら妻氏は飛び起きたのだった。パンづくりで過発酵は避けたいものらしい。

IOを遠ざける

IO(入出力)をロジックから離しておくのは、アプリケーション実装の鉄則である。Clean Architectureが有名。業務でリファクタリングをしていたらロジックとIOが密結合しているのを見つけた。切り離すと見通しがよくなった。

IOはファイルシステム操作や通信だけでない。UI描画もIOだ。UI描画は、画面への出力、人間への出力であるとも言えるし、実際にプラットフォーム固有の面倒さが出てくるレイヤーである。具体的になるほどややこしいのだな。

だからアプリの中核的なロジックはピュアにしておいて、IOは脇に追いやる。プログラムの結合の構造としてそうしてもよいし、IOを抽象化する手もある。Goのio.Readerもそうなっている。抽象化をすると、結合は減らせる。

『食べることの哲学』を読んだ。

sekaishisosha.jp

文章が上手でおもしろい本だった。倫理学的な観点から、食べることの問題をいろいろ論じている。食べることは人間性と動物性が交わるところであり、人間は食べないと死ぬ、生物を殺し続けなければならない、という問題意識からはじまる。

ただ、終盤はちょっと議論が雑だった。食べることの哲学に結論を出すことは要求しないのだが、もうちょっと最後のほうの読み味を丁寧に構成して欲しかった。

エイヤで議論を進めて全体像をわかりやすくするのは檜垣先生の魅力ではありそうなので、トレードオフなところがあるのかもしれない。おもしろいのは間違いない。

よかったところの引用

ヘルシンキにいったときも、目の前の会社帰りとおぼしき二人は、立ち席の丸机に陣どって、ほぼ何もしゃべらず数時間ひたすらビールだけを飲んでいた。何も食べずに、無言で、である。すさまじいなとおもった。

p.169

欧州は北にいくほど食文化が貧しい話。

認知メディアの多様さ

知り合いのプログラマたちがChatGPTで遊び始めた。有名な例はこの記事。

結城浩とChatGPTの対話 · GitHub

これを読んで、AIに生成された文章は読めないな、と思った。

文章を書く人にとってはテキスト生成AIにあらが見えて、絵を描く人には生成イラストにあらが見える構造があるようだ。

文法的には正しいし意味がとれない日本語ではない。だが、どこか下手くそである。『みんなのユニバーサル文章術』の観点からすると赤が入る。そう思うのは、私や妻氏がうまい文章の本をえり好んで読んでいるからだろう。その辺を気にしない人たちはおもしろがってテキスト生成で遊んでいる*1

人によってあらが気になるメディアは違うらしい。絵描きはイラストへの厳しい目を持っているし、私はテキストに対して。そういった違いは、認知傾向、認知処理の得意分野によって決まってくるのだろう*2。脳の情報処理の偏りであり、ほとんど生得的な性質だ。

画像生成AIで遊んでいると、絵描きである妻氏は一瞬で画像のあらを指摘していた。見ていて気持ちが悪い、とも言っていた。イラストに対するこの感覚はわからなかったのだが、テキストに対しては同じような感覚があった。テキスト生成によって、絵描きにとって生成イラストがどう見えているか、が想像できておもしろかった。

文章はリズム

ここで思いだしたのは、文章はリズムである、ということ。

『仏教思想のゼロポイント』の著者である魚川さんことニー仏氏の記事の引用に、

というものがある。至言である。

note.com

インターネットで消耗しないために

インターネットの権力者

インターネットで権力を持っているのは、ソフトウェアエンジニア、発信者、大衆である。

ソフトウェアエンジニアが強いのはウェブサービスを作れるから。開発だけでなく運用という観点ではSREも含まれる。mastodonを動かすのに必要なのはSRE的な技術力である。

発信者とは、インターネットにコンテンツを投じる人である。ライター、ブロガー、SNS参加者、YouTuberすべてを含む。仕事であれ趣味であれ、テキスト、動画などをインターネットに投稿する人たち。範囲が広すぎるので、もう少し限定をしよう。これらのコンテンツ生産者のなかでも強いのが、わかりやすい説明をする人たちだ。わかりやすい説明、表現は大衆に影響を与えられる。説明が上手な人は文章を読ませて、読者に知識や思想をインストールしてしまう。なかには支配して洗脳してしまう人もいるだろう。

最後に大衆。数の暴力で圧力をかける。大衆社会だから当然強い。ただ、核がなくて容易に制御はできない。倫理と感情に訴えかけると大衆は動くのだが、運の要素もある。同じような反社会的行動をした二人の人のうち、片方だけ燃やされることは珍しくない。

インターネットの権力構造

インターネットという空間は、人間と人間の間の情報流通を担う場だ。情報流通のための交通整理をしているのが、インターネットサービスである。サービスを作っているのがソフトウェアエンジニア。情報の流通システムを握っているので当然強い。上述のとおり。そして、発信者はインターネット空間に情報を投じる、流し始める人である。わかりやすい情報を出せる人は自然とフォロワーが多くなる。影響を与える。だから強い。

大衆を除く二者、ソフトウェアエンジニアと発信者は構造的に強い。インターネットが人間に情報を流すシステムである、という性質を持った瞬間から、この権力構造は決まっていたのだ。

権力に抵抗する

抵抗する方法はフィルタである。物理的にスマートフォンを見ないでおくこと、インターネットサービスの提供するタイムラインをそのまま使わないこと。推薦システムによって挿入されたコンテンツはCSSJavaScriptで取り除ける。プログラミング技術は権力に対抗する権力である。また、SNSならばリスト機能を使えばよい。

自分用のフィルタを作れるか、フィルタの手入れができるかどうか、ここもポイントになる。この人はおもしろいかな?いい情報を出すかな?と判断する必要がある*3。優柔不断な人は判断ができないだろう。意思がはっきりしている人でないとインターネットを使うのは難しい。人をみる目もいる。もちろん世の中はそんな人ばかりではない。だから大衆は影響を受けて各所を燃やしているのだ。

フィルタを自分で持たないと影響を受けてしまう*4。これがインターネットの宿命だ。かつて「アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う」というツイートがあった*5。私はいまもこれがインターネットの原則だと思う。2009年当時と違うのは自分でフィルタをしないと包摂されちゃうよ、という点だけである。

*1:日頃からプログラマ一般の文章は下手だなあと思っているのだが、こういうところでも違いがあるようだ。彼らは文章をどういうふうに読んでいるのだろうか……。syntaxが正しければ受理するのだろうか。

*2:『医師のつくった「頭のよさ」テスト』を読むべし。

*3:合わないのによく流れてくる人はミュート・ブロックをしてもいい!

*4:エコーチェンバーが云々の批判は無視していい。インターネットだけから知識を得るのが間違っているので本を読むこと。

*5:アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。 - 橋本商会

週報 2022/11/26 製パン趣味の続きやすさ, 組織文化と歴史, DreamBoothをやってみた

赤味噌がうまい

さいきんの一汁一菜には赤味噌を使っている。

赤味噌といっても米味噌と混ぜてある製品で、豆味噌100%の硬いやつではない。赤だし味噌とも言われる。本来の赤味噌も使ったことはあるのだが、硬すぎて扱いづらい。味噌はあの柔らかさだから便利なのだ。

赤味噌は味が濃いめで、味の強い具とよく合う。鰹節をたくさん入れてもよいだろう。鰹節の独特の癖と張りあってくれていい塩梅になる。牛肉などの臭い肉をいれても大丈夫。赤味噌はそれくらい強い。

チャイ

このごろチャイを飲んでいる。

我が家では冬といえばココアだったのだが、今年はチャイのようだ。アッサムの茶葉を熱湯に浸し、牛乳と砂糖、シナモン、カルダモンなどを入れて沸騰寸前まで加熱する。シナモンと砂糖はたくさん入れるとよい。また、茶葉も安いものでいい。

以前インターネットで「チャイは安い茶葉で淹れるものだ」という主張をみたことがある。香辛料によって紅茶のボディっぽい味しか残らないのでたしかにそれでいいと思う。

製パン趣味の続きやすさ

最近は食パンを作っている

製麺は続いていなくて、ここ2ヶ月くらい作っていない。おいしい麺を作れるようにはなったのだけど日常化することはできなかった。一方、妻氏は製パンをし続けている。パン作りは2020年の6月から始まり、ずっと続いている。主食の一部である。

なぜ製パンは続くのか。もちろんおいしいからなのだが、それよりも食べやすいのが大事だと思う。パンはすぐに食べられるのだ。焼いたあと数日は常温で保存しているし、冷凍保存したものもトースターで焼けば5分で食べられる。また、パンは焼いても焼かなくてもうまい。ジャムやマーガリンなどがあれば使ってもいいが、そのままでもじゅうぶんおいしい。

麺はそうはいかない。具がないと味気ないし、茹でないといけない。パンみたいにおやつになるのではなく、主食の構成要素である。献立設計への影響もあり扱いが難しいのだ。

でも、たまには作りたい。麺帯を切る工程に児戯的な楽しさがある。年末にでもやってみようかしら。

モルモットアラート

横暴モルモット

夜行性のモルモットは夕方から0時にかけて、野菜をよこせと鳴き声をあげる。あるいは黙ったままケージをガシャガシャ揺らしてアピールをする。たいへんうるさい。齧歯類としては高等な動物*1なので、音をたてると人間がやってくることを覚えているのだ。

興奮したモルモットに、バジルの葉っぱを2枚与えると30分ほど黙らせられるのを発見した。バジルの栄養価が高いからなのかはわからないが、よく再現する。バジルを食べたモルモットはすぐにペレットと牧草を食べ、しばらくリラックスモードになる。効果が切れたらまたガシャガシャやる。

おそらくモルモットは野菜とペレット、牧草をバランスよく食べたいのだろう。あくまで主食は牧草なのでそれを食べてほしいのだが*2、柔らかいものも食べたいようである。モルモットにとって野菜はジャンクフードみたいなものであろう。

組織文化と歴史

職場の組織文化を言語化し、新人さんや中途の人にも効率よく伝達したい。どこの職場でもみられる悩みだろう。私の職場も例外ではない。謎の文化があり、受け継がれてきている。もちろん悪い文化は廃絶すればよろしい。でも、必要な文化はあるのだ。

先日、それは歴史なのだと気づいた。組織と仕事の歴史。システムやら何やらを作って運用し続けていると、歴史が積み重なっていく。機能を作るときも、そのときどきの最適な判断をして、それが歴史になっている。

古参社員に聞けば歴史的事情は出てくるのだが、聞かないと出てこない。知らないものは聞けない。だから歴史として編纂しておく価値があると思う。

追加学習に手をだした

阿慈谷ヒフミチャレンジ2

画像生成だけでなく追加学習によるモデル作りにも手を出した。
学習には大量のビデオメモリが必要。これを見越してグラフィックボードを買い替えたのだ。

仕組みはよく知らないのだがDreamBoothとやらがすごくて、10枚しか学習させていないのにそれらしいキャラを出すモデルができた。

マイナーキャラのさまざまなイラストが欲しい人が泣いて喜ぶ技術だと思った。

おまけ DreamBooth手順

追加学習の手順をまとめておく。今回試行錯誤したものであり、最良の手順ではない。

  1. stable diffusion web uiにdreambooth extensionを入れる*3
  2. 学習用画像を10枚〜用意する
  3. 顔の周辺を512px四方で切り抜く
  4. 左右反転した画像も用意する(キャラクターデザインの対称性が高い場合)
  5. 2000ステップくらい学習をさせる(RTX3090で3時間くらい)
  6. できたモデルを戻し交配する*4
  7. モデルを使う

学習画像の切り抜きは手でやったほうがいい。stable diffusion web uiに自動切り抜き機能はあるのだが精度はよくない。学習用画像の品質が結果に直結するので、顔が正方形の範囲に入るよう手で調整する。追加学習では必要な枚数は少ないのでなんとかなる。もしかすると、いい自動化ツールがあるかもしれない。

なぜ顔の学習に特化するのか。キャラクターの特徴はほとんど顔に現れるからだ。衣装の再現性は重要ではない。AI画像生成で遊ぶ場合、どうせいろいろな格好をさせてみるので、顔だけ再現できればよい。実際にモデルを作って生成してみると、いかに人が顔ばかり見ているかがわかる。顔さえそれっぽければそのキャラクターだと認識してしまう。

学習に使うイラストは上手なものを選ぶべきだ。線が整理されていて、キャラクターの特徴をよく捉えているものを選ぶとよい。枚数が少ないからこそ、学習元画像の品質が重要になる。

戻し交配と言っているのはモデルのマージである。いま汎用モデルAに対して追加学習をし、キャラ特化モデルBができた。Bをそのまま使ってもいいのだが、ちょっと呪文の効きが悪くなる。過学習が起きていると気持ち悪いくらいのハンコ絵になってしまう。これを緩和すべく、もとのモデルAとモデルBを混ぜるのだ。すると、ほどよく汎用的でキャラクターがよく表現できるモデルができる。

ただし、やはり呪文は効きは悪くなっているので、CFG Scaleをあげたり、呪文を厳密に書く必要はある。

 

今回のパラメータ

learning rate: 1e-6, learning rate scheduler: constant, training steps: 3000, totale number of class/reg images 2000

*1:なんと脳味噌に皺がある!ハムスターなどの脳味噌はツルツル

*2:硬いものを食べて歯並びを維持してくれないと、歯のトラブルで毎月動物病院へ通うことになる

*3:GitHub - d8ahazard/sd_dreambooth_extension

*4:必須かどうかはよくわからない。学習stepが小さいモデルを使えばそれでよいだけかもしれない

週報 2022/11/20 インターネットに情報を増やしたい, フローをストックにする, ライザーケーブル問題, 『これがニーチェだ』を読んだ

近況

さむい

なんだか眠れなくて2時に寝る生活をしている。起きるのは8時から9時。出社するときは8時に起きるのでちょっと足りない。でも夜には眠くならない。もともと夜型なのもあるが、ストレスで寝たくないという説もある。ストレスがあるときは「〜せねばならない」的な思考を止めて好きなようにするのがいい、と鍼師に言われた。好きなようにしている。

冷え性

鍼で調子をみてもらったら20点だった。点数は五臓(肝・心・脾・腎・肺)のうちいくつが元気かでつける。四つ元気がなかったので20点だ。原因は冷え。いま一度冷え対策を考えてくれ、と言われたのでレッグウォーマーを買った。家では着る毛布にくるまってすごす。

『これがニーチェだ』を読んだ

サービス: ○, 内容: ◎

ニーチェについて語る永井均先生の本。もちろん哲学。
私はニーチェの入門書をこれしか読んでいないので、解釈のまともさは評価できない。でも、非常に永井均らしい解釈だと思った。この生が端的にこの生であることを不思議に思い、しかし認めるという態度。これが永井均哲学である。

この本の魅力を短いテキストで伝えられたら、とは思うのだがそれは難しい。生の理不尽さは知ってる人には当たり前でも、伝えるのが難しい問題なのだ。理解するには読んで感じて考えるほかない。興味があれば読んでみてほしい。ただし、この哲学が人生の救いになることは保証しない。

『オートファジー』を読んだ

サービス: △, 内容: △

またまたブルーバックスの医学系の本。細胞内のゴミ掃除ユニットの話。これもダメな本だった。無駄に細かいし著者の自慢話が多い。日本語作文もちょっと下手。

もしかすると医学の教科書はひどいものなのかもしれない。ブルーバックスおよび科学読みものはいろいろ読んでいるのだが、医学・生物学の先生はひどい文章を書く。医学部生は教員のひどい日本語で苦しんでいるのだろうか。

ライザーケーブルが原因でグラフィックボードが不安定になる

世間的にはAI画像生成はもうブームが終わったのだろうけど、私はまだやっている。最近はまったく意図していない画像が出てくるのを楽しみに生成している。これも偶然性の楽しみだ。思いもよらぬ構図が出てくるとおもしろい。

偶然出てきた変な絵

画像生成に大事なのはGPU、ということでRTX 3090を買った。40xxが発売したばかりではあるが、画像生成および絵柄学習ではVRAMの量が最重要である。24GB確保するためには4090か3090になる。4090は巨大でPCに入らないうえに、ケーブルが溶ける問題が報告されている。多少のワットパフォーマンスには目をつむって3090を使うことにした。もともとGTX 1070だったので10倍以上速くなる。

 

ところが、RTX 3090で画像生成を回したらPCが不安定になった。突然再起動したり、GPUとの疎通ができなくなったり。CUDA Kernel Errorが何度も出てきた。グリッチした画像も生成された。

天然グリッチ

不思議に思っていろいろ試しては仮説を立てたが、どうも熱暴走や電力不足ではないようだ。高負荷をかけなくても問題の事象が起きるから。

マザーボードとグラフィックボードが並行に設置され、ライザーケーブルで接続されている

しばらく困っていたのだが、あるとき、ライザーケーブルが原因なのに気づいた。私のPCは小型ケースで、グラフィックボードを縦置きすることができる。縦置きにしたほうがエアフローがよいのでそうしている。縦置きにすると、マザーボードとグラフィックボードが並行になる。ふつうは接続できないので、PCIeの延長ケーブルである、ライザーケーブルを用いることになる。これはケースに付属していた。

なにが問題かというと、このライザーケーブルはPCIe 3.0規格なのだ。マザーボードとグラフィックボードはPCIe 4.0である。どうやら4.0の機器を3.0のライザーケーブルで接続すると問題が起きるらしい。この記事で検証されていた。実は知る人にとっては当たり前の問題らしく、PCケースの製品ページにはちゃんと注意が書かれていた。なるほど読んでいるわけがない。しかしメーカーは責務を果たしていた。

おそらくマザーボードかグラフィックボードはPCIe 3.0のライザーケーブルがささっているのに気づかず、PCIe 4.0の信号を流していたのだろう。4.0の帯域は16GT/sで3.0は8GT/sである。2倍。なるほどおかしな挙動になるわけだ。グリッチ画像ができたのも、信号が落ちたからなのだろう。また、かりに流せたとしても倍の信号に対するノイズ対策はできていないはず。だからランダムに壊れるのだ。

対策はBIOS設定だけで済んだ。ありがたいことにマザーボードにはPCIeのバージョンを固定する機能がある。これを3.0にするだけでまったくエラーは出なくなった*1。最新のマザーボードならばAdvanced OptionとかChipset Optionのどこかにあるはずだから探してみてほしい。

心境をテキストで書けるのは特殊能力である

ソフトウェアエンジニア業界のSlackには分報と呼ばれる文化がある。timesともいう。これは仕事の状況や困っていることをつぶやく、個人のチャンネルで、一人一人が好きなことを書いてよい、とされている。twitterを業務Slackチャンネルでやっているようなものだ。

だが、分報には適性がある。つぶやける人とつぶやけない人がいるのだ。これはTwitterでもRTしかしていない人がいることと同じなのだろう。publicな場に対して言葉を投げられる人ばかりではない。内心を言語化できるのは特殊能力なのだ。得意な人、できない人がいる。

私は過去の記事で「内心の相互接続」を批判してきたのだが、便利なのは認める。分報やSNSで他人の近況、考えが見えるのは便利だ。見えすぎるのはどうかと思うのだが、節度があり、他者を尊重し適切に距離をとるのであれば、便利だと思う。

訓練でひとはつぶやけるようになるのだろうか。私はもう20年もインターネットをやっているので、できない人のことはわからない。認知特性も言語偏重タイプ、画像・映像偏重タイプ、音偏重タイプなどさまざまである。認知特性の偏りによって、つぶやくスキルがあったりなかったりするのならば、ただ諦めるのみである。

フローをストックにする

業務でも私生活でもまとまった文章を書くのはたいへんだ。私はこうやって週報を書いているが、楽にやっているわけではない。土曜日には書かないとなー、と思っていて少々負荷は感じている。しかし週報という形が最適だからこうしているし続いている。一年ぶんの日記を年末に読んでふりかえるのは不可能なのだ。読めないから、書いたものはほとんど失われてしまう。しかし、七日周期で、記憶があるうちにふりかえると、何か残るものが出てくる。

同様に、業務でもSlackログや日記を社内記事に変換することにした。業務では記事を書くのに気合いがいる。コーディングやコードレビュー、コミュニケーションに忙しいから。フロー情報ばかりが溜まっていって、あとから参照するには記憶に頼るしかない。誰かが忘れたら終わりだ。理想的には自動で要約されるといいのだろうけど、まだそれは難しいだろう。

だから、日々フロー情報をストック情報に変換していく必要がある。まずはコピペして記事に流しこみ、コメントを添えるだけでいい。元発言だけを読んであとから理解できるか?という視点で評価しさえすれば、まともなドキュメントになるだろう。たいてい背景や文脈が落ちているはず。補足はいる。

よりよいドキュメントにするにはいちから書いたほうがいい。でも、そんな暇はないからコピペしてコメントを添えるだけでもいいのだ。ないよりマシという考え。一方で、この週報は、暇つぶしでもあるので、日記を読んでいちから書き起こしている。そのほうが質がよくなるから。

インターネットに情報を増やしたい

この週報はインターネットに情報を増やす目的もある。何か自分で気づいたこと、トラブルを解決した知識、などをまとまった情報にしてアーカイブしていく。もし価値があれば検索エンジンが拾ってくれるだろう*2。短期的に読まれることは期待していない。インターネットに残る情報が増えればそれでいいのだ。

SNSの短いテキストでインターネットをよくするのは難しい。どうしても情報はまとまった形でないと価値が落ちる。イーロン・マスクのてこ入れによってTwitterで長文が投稿できるようになり、検索エンジンにも拾われるようになるかもしれない。しかし、人様のタイムラインに二千文字のテキストを流しこむのは憚られる。無粋な推薦システムで知らない人のところに表示されるかもしれない。それはちょっと。

長文テキストはそれを読める人にしか届かない問題がある。長い文章、いや日本語を読める人は我々の想像以上に少ない。だからテキスト情報をインターネットに増やしても、それにアクセスできない人は居続ける。そうなのだが、その問題の解決は私の仕事ではないのだ。そういう人たち相手に情報を届けるのは、動画を作る人の役割である。旧来のマスメディアでもよいし、Youtuberでもいい。彼らが万人にわかりやすい、情報量のある動画を作ってくれたらそれでよいだろう。テキストが苦手な人が無理して長文を読む必要はない。

私の言う「インターネット」とは、テキストに変換できる世界のことである。検索技術によって価値ある情報を届けるのがインターネットの全体像だが、まだ動画の検索は難しい。しばらくはテキストインターネットが主役であり続けると思う。ぱっと見で情報が把握できるのは便利なはずだ。

*1:実用上3.0でも困らない

*2:実際に検索流入が増えている

週報 2022/11/13 近況、論理的思考の社会的構築を読んだ、欲望を露わにする社会

近況

なんだか元気がない。

私の元気さは日記の量でわかる。二千字を切っていたらその日は元気がない。頭のはたらきが鈍っていて活動も少ない。起きたこと、考えたことを書くので、文字数に元気さがあらわれるのだ。

まわりも元気がないようにみえる。同僚も体調が悪そう。SNSの知り合いにも調子が悪い人がいる。人身事故も増えているようだし、冬の訪れにより人々の身体とメンタルはやられているのだろう。

冷えは首から入る。首を冷やさぬよう気をつけて過ごすとよい。冷えたら暖かくして寝るほかない。冬は寝るものである。

読書

2冊読み終わった。『論理的思考の社会的構築』と『時計遺伝子』。

『論理的思考の社会的構築』

www.iwanami.co.jp

内容: ◎, サービス: ○

「論理的」と呼ばれる思考様式は国、社会によって異なる。アメリカのエッセイ(小論文)は5段落エッセイの形式になっていないと「論理的」とは認められない。日本やフランスの書き方では点がつかない。逆にアメリカの教育を受けた人がフランスで小論文を書いてもまったく評価されない。

何が「論理的」で説得力があるのかは、その国の歴史、政治的事情、文化によって決まる。社会それぞれに型がある。そのなかでもフランスの小論文の型について調べたのが本書である。

フランスのアイデンティティフランス革命である。革命は未だに続いていて未完成である、社会は変革され続けなければならない、ただし言論によって。これがフランスの核となる考え方、ひいては市民のあり方である。フランス市民は社会を批判的に検討し、よりよくするための思考法を持っていなければならない。高校卒業時の試験でもこれが問われるし、市民による嘆願でも同じ型が使われる。

フランスの型は弁証法をベースにしている。正と反の二項対立を立て、それらを包括する中立的で抽象的な視点に立ち問題を解決する。ヘーゲル的なお手本通りの弁証法である。他方、アメリカは主張、理由、主張のシンプルな構造をしていて、自然科学の論文に近い形式をしている。フランス人にとってアメリカの型は直線的でつまらない。弁証法的を用いて相反する現実の難しさを抱えたまま考えるのがおもしろいとされる。

フランスで弁証法が大事なのは、フランス革命の辛酸を教訓にしているからだ。フランス革命では王政を倒して逆張りをして、また逆張りをして、というような両極端を行き来する混乱があった。こうした二項対立を経験しているために、両極端を視野に入れつつ考える思考様式が教育のゴールに選ばれた。

フランス革命のような歴史をもたない国には当然なじまない。このように、社会および教育のゴールである、「論理的」思考の様式は社会固有の事情、歴史によって決まるものである。

では日本はどうか。日本はアメリカのエッセイ方式をベースにした独自の形式らしい。しかし「日本の歴史と文化を考えるとこの形式がベストである」みたいな練り上げはされてないようだ。

個人的にはアメリカのエッセイはつまらない。フランスの弁証法のほうがおもしろいと思う。アメリカの文化である、強すぎる個人主義には、キリスト教の予定説の影響もある。我々にはなじまないだろう。

時計遺伝子

内容: △, サービス: ×

理系読み物枠でブルーバックスの『時計遺伝子』を読んだ。人間の脳には概日リズムを正確に管理するモジュールがある。それを研究している人の本。

つまらなかった。著者が自慢ばかりするし、内容は無駄に細かい。サービスレベルは低かった。ブルーバックス、というか理系研究者の本にありがちな傾向ではある。すごい成果を出した研究者でも日本語や作文はめちゃくちゃなのは珍しくない。それを覚悟したうえで読みとばすジャンルが科学系の読みものである。

欲望が露わになった社会

品がなくなっている。山手線の車内の広告でわかるように。

品とは、欲望が隠されたさまである。建前をおいて、欲望を水面下に隠しているのが品がよいことだった。かつて品がよいことは大事な規範だった。

 

妻氏はたまに、深田えいみをおもしろがってウォッチしている。
深田えいみは喋らせると知性がみてとれる。整形を使いつつ、戦略的に今の地位を築いているのだろう。では、なぜ彼女はあのような顔に作りかえたのか。

親しみやすさが大事だから。身近にあのような顔の美人がいてもおかしくはない。もしかしたら自分でもお近づきになれるかも、そう思わせる親しみやすさがある。この傾向は女優やアイドルでも顕著だ。おそらくAKB以降なのだが、アイドルは親しみやすくなった。会いにいけるアイドル、というコンセプトにも表れている*1。その系譜に地下アイドルの隆盛もある。

それ以前のアイドルは、生活世界からの遠さがあった。私生活が隠されていたのもあるし、顔が端正で整いすぎていて、身近にはいなさそうだったのもある。

古いタイプのアイドルへの評価は「綺麗」「美しい」で、今のアイドルへの評価は「かわいい」「推し」である。前者は対象への距離があり、欲望を内に秘めつつ尊崇する姿勢がある。まさに偶像である。後者は対象への近さがある。「推し」なんかはとても近い*2。欲望は直接的、隠さないものになっている。「手が届くかも」と思わせることで、欲望は露わになるのだろう。

どちらが良いかではなく、どこかのタイミングで価値観が反転したのである。「綺麗」なアイドルの時代でも抑圧された欲望自体はあった。需要はあったのだから、それを表に出してきただけではある。世代交代が進み、「価値観をアップデート」した人が増えて欲望を発露することが普通になった。

同じ構造はインターネット文化にもある。震災以前のインターネット、特にiPhoneが発売された2008年以前のインターネットはアングラ的な場で、「表」の社会とは離れた抑圧された空間だった。水面下の存在だから欲望を発露してもよい、そういう建前があった。ハンドルネームとリアルネームを分けていたのも、別の世界と扱っていたからである。それが、欲望を発露する時代の到来により、「表」の社会と同化した。この価値観の反転は徐々に進んでいき、2010年付近で入れ替わりが進んだとみてよいだろう。

今や価値観は転換し、もう元には戻らない。どこかで再反転が起きて中間に落ちつくとは思うが、それを実践するのは若い世代であろう。今でも「表」のSNSを嫌って仲間内のDiscordなどに籠る人は増えている。メインストリームのSNSでは社会的にふるまい、水面下で親しみをもったやりとりをする。

今のSNSおよび社会では、距離感が人によって違う。知らないアカウントにリプライをしまくる人もいるし、できるだけ避ける人もいる。距離の近さが同人活動などのクリエイティブ趣味を支えている側面はあるので一概には否定しがたいが、距離感についての共通見解、規範ができていないのはややこしいと思う。

*1:秋元康はそう言ってないらしいが、公式サイトにはそう書かれているし、実際に握手券を売りまくった

*2:尊い」は古いアイドル的な遠さがある

週報 2022/11/06 カフェ作業習慣復活, サービス精神とプロ性, マキネッタ茶, コインに任せて意思を手放す

近況

家具屋さんで新しいオフィスチェアの注文をしていたら、担当のお姉さんの持っているカタログに大きな虫がとまった。担当のお姉さんは「わあ!」と言って一瞬固まったのちに虫をふりはらった。「きゃー」とかじゃなくて「わあ!」なのがおもしろかった。肝が太いというか。

 

冬の風物詩、冷えにやられている。鍼の診断でも五臓のうち三つがやられていた。腎と心と肝。私は毎年11月15日と1月15日付近で体調が悪くなる。季節の変わり目というやつだろう。その時期は鍼の通院を外さないようにしている。たいてい大量のお灸をされて回復するが、今年もそうなりそうだ。

 

鍼の先生に簡易な回復方法を教えてもらった。目をつむるだけ。横になれるなら横になったうえで瞑目するのでもよい。スマホは触らないこと。頭に情報を入れないようにするのが目的だ。仕事中であれば座ったままでよい。目をつむると深呼吸もしやすくなる。深呼吸も神経を整えるのによい。

 

毎日体重を測っているうちに、夜食を食べた翌日には体重が減らないのに気づいた。これだけは再現性がある……と思う。ダイエットは人類の最大の関心事なので「xxをすると体重が増える」という論文と「xxをすると体重が減る」という論文の両方とも存在する。インターネット記事も同様。もはや何もあてにならないので、自分の身体を観察し実験するのがいちばんだと思う*1

カフェ作業習慣復活

カフェで読書、週報執筆、プログラミングをしたら捗った。
まわりに人がいるのが大事なのだろうか。相互監視、緊張感のある空間が集中力を産むのかもしれない。高校や塾の自習室あるいは図書館みたいな空間を求めている。

近所のタリーズは妙に作業者の多いカフェで、いつ行ってもPCや論文、本を開いている人がいる。今日は図面を開いて新居の設計をしている夫婦もいた。作業をする人ばかりなので緊張感があってよい。

ただしご飯は大したことない。というかおいしくない。でも作業が目的なのでそれでもいい。コーヒーはうまい。

サービス精神とプロ性

サービス精神が主で利己心が従なのがプロだと思う。昔の記事で、本はサービスと内容で評価できる、と書いた。

non117.hatenablog.com

本でのサービスは読者にわかりやすく伝えること。サービス精神と対立するのは利己心、独りよがり。

書物ではサービス精神が多いほどプロの物書きと言える。これは一般化可能で、利己心をある程度おさえてサービスをするのがプロである。漫画家でも歌唱でも何でも。昔からよく指摘される原則でもあると思う。

でもこれが難しいのも周知のとおり。ただ自分を安売りするのではなく、自立した精神のままサービスをするのが理想である。理想のプロ性を持っている人は利他とか愛と呼ばれる精神を体現しているのだろう。

マキネッタ茶

マキネッタで紅茶も抽出できるのでは?と思ってやってみた。マキネッタとはコーヒーをいれるための道具である。インスタ映えするのでキラキラしたキャンプ写真に登場することが多い。

otonaplan.exblog.jpところが、この道具、もともと茶をいれるためのものだったらしい。インターネット調べ。なるほどマキネッタは湯を噴水させるだけの機構である。なんでも抽出できるはずだ。

acts-coffee.net実際にやってみると濃厚な紅茶ができておいしかった。特に香りがよくなる。

コインに任せて意思を手放す

決断が必要なときはコインに決定をしてもらうことにした。コインに決めさせて人間は責任意識を負わない、というシステム。

些細な事例としては夕食のメニューに悩んで決まらないとき。重いケースは大きな出費、人生の選択など。選択肢を絞るところまでは考えて、どっちでもいい二択が残ったらコインの裏表で決める。

コインの決定には絶対に従う。どんなに重い決断であっても、コインに委ねると決めたら従わなければならない。コインの結果を裏切るとき、意思がはたらくから。意思とセットになっている責任を放棄するためにコインを投げているのだ。コインを無視する決定をしたら意味がない。

 

なぜ意思を放棄したいのか?自己責任が嫌だからだ。自分が決めたことには100%の責任が発生し、判断の結果を引きうけないといけないが、偶然性に決めてもらうことで責任を薄めることができる。他人からみたらこの理屈は通じないが、内心の平和のために必要な仕組みである。

やっていることは神頼みと同じである。二択まで絞ってどっちがよいかわからなくなったら、あとは天に任せる。超越的存在を仮定し、意思を放棄する契約を結びそれに従う。人事を尽くして天命を待つとはこのことである。

人事は尽くさねばならない。安易に神頼みをするのもよくない。軽く考えて答えが出て、結果を引きうけられる場合は自分で判断すればよい。本当にどっちでもいいとき、どっちでもいいが結果が重すぎる場合に神頼みを使う。

超越的存在の偶像としてめんだコインをつくった

意思を排除したい理由

都市とインターネットをみたらわかるように、現代では曖昧さが嫌われている。都市では効率的に空間を使わなければならない。地価と経済的生産性によって、稼げない空間は排除される。有用性だけが求められる。インターネットでは「なんとなく」な行為が許されていない。特に炎上時に顕著だが、すべての行動には納得可能な理由が添えられてなければならない。
曖昧さを嫌い、人為で支配しようとするのが現代である。病的だとは思うが、科学的説明を内面化した人々は多く、あらゆる場で納得が求められる。身の回りが人為で横溢すると、何ごとも人為、意思でなさねばならぬと思ってしまう。

しかし、人為が意図したとおり「ああすれば、こうなる」ように世界はできていない。人為に関係なく事故や災害は起きる。そもそも生の始まりにも偶然性が絡んでいる。どこまでも偶然性があり、偶然性という暴力に晒されるのが生である。いくら技術が発達しようとも人は車とぶつかったら死ぬ。

そういった意思の専横に反抗し、偶然性を受けいれるのがコインを投げて決める態度である。そんなに意思を求めないから責任も引きうけない、という気持ちで意思を手放す覚悟をした。

*1:物理的に食べすぎると増えやすい原則はあるが

週報 2022/10/30 近況, 情報カードの話, AI画像生成が写真撮影である話

近況

  • MacBook Airを受けとってセットアップをした。数年間机でしかPCが使えない生活をしていたので新鮮。どの椅子で何をするかのコンテキストを作っていく。

  • 椅子の修理手続きをしている。パスワード別送、PDF印刷捺印などの洗礼がある。ドイツ企業日本法人なのに仕草はJTBCである。この椅子は会社用に転用し、家用に新しく輸入する予定である。台湾有事で船便が止まったらたいへん困る。

  • 大学サークルの現役生から連絡があり、通帳名義が私のままであることが発覚した。うっかり。しかしどのサークルでもよく起こりそうな問題である。引き継ぎは失敗しうるので現金と金庫が一番かも、と思った。

  • 誂靴の仮合わせがあった。私の腰の高さが左右で1mmくらい違っていて歩くときに体軸がぶれる。右足底に敷物を入れましょう、と言われた。実際に歩き方が変わった。すごいスキルである。靴職人さんは身体構造をよく理解している。

  • ファンタジアが苦しむ被害妄想、リフレインはエヴァQ中盤のシーンで表現されてるのに気づいた。アファンタジアである私には内言がないのでこれがわからないのだが、映像作品として表現されると理解できた。庵野監督は脳内で映像を再生できるタイプだと思われる。リフレインで苦しむのだろう。

『知的生産の技術』を読み返して物理的な情報カードを作るようになった

梅棹忠夫の『知的生産の技術』は半世紀前に書かれたのに未だに通用する本である。身近な例としてはScrapboxに実装されている。アイデアや出来事をカードに書いてタグなどを使って並び替えるシステム、それが情報カードである。

『知的生産の技術』によると、情報カードは手で「くって」*1読み返すことが大事らしい。繰り返し読み返すことで理解を深め、次のアイデアの種を作ることができる。

電子的な情報カードでは「くる」操作ができない。Scrapboxのタグによる一覧表示がカードのフォルダ分けをしつつ「くる」ためのUIになっていると思われるが、手で「くる」体験とは別物である。複数枚を並べて読んだり、机に並べて眺めたりできないといけない。根本には、ディスプレイが物理空間より狭い問題がある。

また、物理的情報カードには制限があるのがよい。B6の紙切れには罫線が引かれており、詰めこんでも500文字くらいが限界である。一方で電子的情報カードはいくらでもテキストを入れられる。

有限性は大事だ。日記でも何でもそうだが、テキストをたくさん書けるのが電子デバイスのよいところであり、悪いところでもある。大量のテキストは管理できないのだ。対策は検索システムしかない。

物理的有限性があると、情報を詰めこむために要点だけ圧縮して書くことができる。情報カードを書く時点で、頭の中で推敲が一段階進むのだ。電子的なメモの場合、だらだら書いて書きながら考えられるのはいいところなのだが、あとから読むのには向いていないテキストができる。

このように電子メモと物理メモそれぞれの利点がある。今更電子メモのスケーラビリティを捨てることはできないので、併用することにした。

毎日Workflowyに日記を書いているのだが、とても読み返すことはできない。量が多すぎるから。1年後には読めない量になるから7日単位でまとめよう、と思って始めたのが週報である。週報は生存報告も兼ねて公開しており、インターネットに公開する以上は公益性を意識して書いている。そこに載せられない内容の行き場として、物理カードを使うのがよさそう、と判断した。

物理カードにはまだ人に説明するのが難しいアイデアとか考えごとを書く。自分にしかわからないであろう考えごと、言葉というものはある。おそらく煮詰まりきっていないだけだとは思うが、残して途中から考えられるようにしておきたい。それに使えるのが物理的な情報カードだと思う。

『天然知能』を読んだ

著者の考えた心の哲学か何かを書いた本なのだが、内容はよくわからなかった。

おもしろいことが書かれているような気がして最後まで読んでしまったが無駄だった。著者の説明が下手すぎる。本が合わないときは早めに見切りをつけるべきである。
天然知能であることは、外部に対して開かれた態度をとることらしいが、それを天然知能と呼ぶことの意味はわからなかった。

内容: △, サービス: ×な本。

その人の考えた、人生の独自理論を広義の哲学と読んでもいいとは思う。でも説明できないのは本にしたらダメ。

あとがきによると編集は全面改稿を勧めたそうだが、書き直してこれがでてきたらしい。どうしようもない。

AI画像生成は写真撮影である

さまざまな空間に対してカメラを向けて(プロンプトを考えて)撮影し、たくさんの写真(画像)からよくできた数枚を選びとるから。

という観点において同じ構造をしている。絵を描くが写真を撮らない人には向いてないかもしれない。いろんな画角や構図(プロンプト)を試して撮影し、これぞという一枚を選べる人は向いている。

違いは撮影する空間とカメラの構え方だろうか。AI画像生成で撮影する空間は、学習されたインターネット画像すべて、である。超多次元の空間があり、そこをプロンプト(呪文)で切り抜き撮影していく。プロンプトを練ると独特の空間が残り、その人にしか撮影できないものが出てくる。

NovelAIの画像は全部一緒じゃないか、と思うかもしれないが、そんなことはない。似たような画像が氾濫しているのはmasterpiece, bestqualityのタグの頼った人が多いからであり、定番タグを外せばもっと広い絵柄、線を出せる。実際にこの人が証明している。

domaindesign.co

大量の画像から選び抜く点も大事だ。撮影者の「目」がよくないといけない。平均的な視点だと落とされてしまう画像を拾うには「目」が必要であり、「目」はセンスや訓練によって培われる。よいもの、本物をたくさん観るとか。

これまでイラストを作るには手で描くしかなかったのだが、イラスト空間を撮影するカメラマンが発生した。イラスト消費者たちがみな画像生成をしないのは、ここにも向き不向きがあるからだろう。今後、イラスト空間カメラマンは増えるし、空間を切りとる道具も整備されていくだろう。できれば日本語の呪文が使えるといいのだが。

*1:トランプやカードゲームで手札をくる動作