しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/08/05 四つ葉を引く、はとぽっぽ、木を植えたい

7/29(土)四つ葉を引く、ジャパナイズド異国料理

法事があり知恩院で読経を浴びた。エリート僧侶によるお経は上手だった。ラップめいていてリズムがよい。
ことが終わったら中華を食べて解散。中華はおいしかったが最後のデザートが巨大かき氷で難渋した。冷たいものそんなに食べられない。

 

そういえば移動に使ったタクシーが四つ葉だった。幸運。

⛄️⛄️⛄️

この頃人付き合いによって二回にわたって(高めの)中華を食べたが、どちらも和食っぽいアレンジがされている気がした。京都の料理店は観光客に売る側面が大きいから仕方がないのだろうか。

中華に限らず、日本人向けの異国料理店はジャパナイズ改造されていることが多いのではないか。商売のためには仕方がないので、諸外国の変な?料理が好きになったら自分で作るしかなさそうである。

7/30(日)冷やし中華になんでも入れる、猿まね学習法

昼は冷やし中華。玉ねぎを入れてみた。キュウリと一緒に下ゆでをしたら辛味が抜けておいしくなる。食感がよい。

タレは自作。白ごはんドットコムのレシピは複雑すぎたのでクックパッドにした。シンプルな混ぜるだけのレシピだがじゅうぶんうまい。こういうところでクックパッドは役に立つ。潰れないでくれ〜。

 

ガスパチョも一瞬だけ火を入れた野菜で作るといいのかも。夏バテに食べやすいものを、という趣旨でガスパチョ冷やし中華を食べるのだ。であれば火は入れたほうがいい。火は消化装置である。

🧅🧅🧅

7月初旬から他人の猿まねをしてスキルを盗むようになった。何も考えずに行動を真似てみるだけ。そうやると、あとから行動の意味がわかって知識やスキルが増える。具体的には「責務とか気にせずその辺に落ちている問題を拾い食いするスキル」が身についた。

それ以前には「本になっているもの」「言語になっているもの」からしか学習ができなかった。今は猿まねで言語化されてないものを食べられるようになっている。ちょっと負荷はかかるけれども。

これって自然科学みたいだな、とも思った。観察を大事にしてそのあと言語にするやり方。私にとってはまわりの人間も自然である。

7/31(月)はとぽっぽ、『唯脳論』を読んだ。

ポポポ...

はとぽっぽぬいぐるみが届いた。予想どおりかわいい。その辺に転がしておいたらびっくりするくらいにははとぽっぽである。

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養老孟司の『唯脳論』を読み終わった。「哲学とか知らんし、すべての基礎は脳だろ」と至極まっとうなことを言う本。養老孟司が若い頃に書いているのでキレッキレ。
前半の山場が脳を見る脳について。これは先週の週報で書いた。意識とは脳を見る脳である。

後半は、脳の溝の前後で脳の機能がまったく異なる話。前半分は運動および判断をする「意思」と関わる脳で、後ろ半分は視覚や聴覚など、認識に特化した脳である。この二項対立構造はそのままポスト構造主義構造主義の対立と一致する。

思想の変遷も脳のモジュールのどこを使うかの対立にすぎない、とするのが養老孟司である。納得感はあった。

www.chikumashobo.co.jp

8/1(火)出汁味なのが和食、木を植えたい

夜は肉野菜うどんにした。昆布と鰹節少量で出汁を引いて出汁がらごと食べた。本気で出汁を引くと昆布片がたくさん出て食べられなくなるのだが、出汁の濃さを控えめにすると現実的な量になって食べられる。以前は出汁がらを冷凍して後日佃煮にしていたが、今は面倒がってその場で食べている。

こうしてできる出汁は和食に比べると薄めだが、濃くなくてもふつうにおいしい。完飲してしまった。

和食で濃い出汁を必要とするのは、素材の味を抜いて出汁で染めるからだろうか。何を食べても出汁味なのが和食という印象を持っている。

🦑🦑🦑

あっ木を植えたい。

友人がシャインマスカットとイチジクを飼い始めたのをみて、我が家にも常緑樹が必要だと確信した。ほんまか。

できればベランダで越冬できる種がいい。ブドウでもいいのだけど、京都の過酷な環境でおいしいブドウができるのかは疑問だ。

 

候補は月桂樹かオリーブ。

そういえば発酵の本を読んだとき「オリーブの実を食べられるようにするには乳酸発酵が必要だった」という記述を読んだことがある。オリーブにはオレウロペインという苦み物質があるのだとか。

organic-olive.com

ご家庭ではワインに漬け込んだり、乳酸発酵でオリーブの実を食べられるようにする。工業的には苛性ソーダで処理する。

発酵は好きなので一度実験してみたい。「もう食べられるかな?」と取り出して食べては渋い顔をすることになるだろう。

8/2(水)問いの構造を理解させたら仕事は終わり

業務でややこしい検討をしていると、中核メンバー数人しか問題を理解してなくて周りが置いていかれることがある。

喩えるならば、子供の頃に両親がしていた難しい話だろうか。お金とか墓とか。知識や考えた経験がないと、ついていけないタイプの議論がある。

核家族だと議論できる人が大人=両親しかないのでそれでいいもいいのかもしれないが、仕事の議論では置いていかれる人が少ないほうがいい。目玉の数が増えるほうが、議論の客観性が担保できるから。また、古参だけが理解して勝手に決められるよりも、チーム全体で問題を理解して決定したほうが士気はあがりやすい。自分(たち)で決めた感が出るから。

 

しかし現実には一部の人しか理解できないことがある。ややこしい問題は人に理解させるのが難しいから。理解の前提となる経験や知識には人によって偏りがあるから。知識は解説すればいいものとして、問題構造が複雑な場合が大変だ。混み合った問題をわかりやすく表現するのはふつうに難しい。

哲学だと論点を整理して問題を理解できるようにすることを「問いを立てる」と言う。大事なのは問いに答えることよりも、問いを立てることである。そして、もっと大事なのが立てた問いをわかりやすく表現すること。せっかくよい問いを立てても他者が理解しなければ意味がない。

 

先日、「気合いを入れて資料を作り丁寧に論点を整理して会議に臨んだら、皆がすぐに理解して先の議論へ進んでしまう」出来事があった。「あっさり理解されてしまい、自分では思ってもみなかった方向へ議論が進んだ」と若干ショックを受けたのだが、あとからふりかえるとそれでよかったことがわかった。

せっかく目玉がたくさんあるのだから「問いの構造を理解させたら仕事は終わり」でもよいのだ。

8/3(木)二重線の路側帯は運転手から見えやすい

道路の端っこの路側帯には二重線のものと一重線のものがあるのを知った。二重のほうは歩行者専用で、車も自転車も入ってはいけない。通行どころか停車もダメ。

www.zurich.co.jp

そんなもんどこにあるんや?と思っていたが、帰りに通勤コースを歩いたらふつうに見つかった。

通りによってあったりなかったりして基準はよくわからない。二重線が引かれているにしてもたいてい片側だけ。運転席に近いほうが二重線になっていた。つまり車の進行方向に対して右側。右側の路側帯は運転手が把握しやすいので、そっちが歩行者にとっても安全ですよ〜ということになっているのだろう。

 

なお、誰もルールを守らないので、歩行者専用の路側帯に駐車されてるし、内側を自転車が暴走するのであった。

🍑🍑🍑

頭寒足熱はほんとに大事なようで、腰から足だけを暖めるとにわかに体調がよくなる。冷え性人間は真夏であろうと毛布でぐるぐる簀巻きにならないといけないらしい。

8/4(金)新ブックスタンド、ブーケガルニ売ってた

新しいブックスタンドが届いた。これまではAmazon定番のブックスタンドを使っていたのだが、先日、背面の傾き調整部品が割れてしまった。大きくてちょっと使いにくかった不満もあり、カール事務器の商品を買ってみた。

www.carl.co.jp

畳むと5mmくらいの厚さになって非常にコンパクト。本の保持力もちゃんとある。何より壊れそうな可動部が見当たらない。

ただ、文庫や新書などの薄い本の保持は得意ではなさそう。300ページ級の本に向いたスタンドである。

本をおさえる棒がちょっと短い

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暑くて食欲がない。

「無理に食べなくていいよ。量より質で食べたらいいよ」という記事を見かけた。

www.s-re.jp

とにかくたんぱく質を切らさないようにしたらよいと解釈している。豆腐が便利。

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この頃ぶどうばかり食べている。

ぶどうは太い枝から切り離して野菜室で保存すると日持ちするらしい。実の水分が枝に吸われちゃうのだとか。

www.nichireifoods.co.jp

一粒ずつ切るのはやってられないので、4つ単位くらいで雑に切っている。こういうのは丁寧にし始めるときりがない。

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フランス式一汁一菜、通称イーブイの記事で「ブーケガルニを素人が作れるわけがない」と書いたのだが、ふつうにS&Bやmascotがブーケガルニを売ってるのを知った。無知〜。

ティーバッグみたいな出汁パック(フランス)にハーブがいろいろ入っているらしい。価格も安いので気軽に使えると思う。

週報 2023/07/30 足上げ冷え性対策、脂質カット、王子様の不在

7/22(土)パッケージングの技術、ガスパチョ

この頃土曜日は疲れ気味。平日に働きすぎているのだと思う。
休もうにも妙に大事な会議が入っていてどこにも隙がない。労働者としては仕事の内容を無視して勝手に休めばいいのだが、弊社の属人性は高いので難しい。どうしても気にしてしまう。なかなか隙がないので、凪が見えたら「ここや!」と有給をねじ込み無理やり休むくらいがよさそう。

起きたらなぜか食欲が高く、朝からカップ麺を食べようとした。ストレスだからいいんじゃないの?とも思ったがやめた。一日ダメそうだったので昼寝やお灸をして回復をはかる。

 

千葉雅也と坂口恭平twitter(X)スペースを聞く。千葉氏が芥川賞に落選し「どうやって書くか」について悩んでいるという話題。しかし坂口氏はめちゃくちゃな人間なのであまり参考にならなさそうだった。千葉氏と精神構造が違いすぎる。

個人的に気になったのは「パッケージング」の話題。本質は「人とか商品がたくさんある中で、どうやって自分の商品を突出させるか」。千葉氏としては「高級感」を出すことが大事で坂口氏としては「人を驚かせる」「いたずら心」が大事だそうな。どうやって「存在感」を出すか?という問いは共通しているが二人のアプローチはぜんぜん違う。

「パッケージング」の問題意識があまりに参考になり、弊ブログのタイトルが変わるに至った。また妻氏主催の同人誌にもよい影響がありそう。

 

深夜、コンビニから帰ってきたらエントランスで立派なコクローチニャンを見かけた。でかかった。

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昼にガスパチョを作った。トマト、ニンニク、ズッキーニ、玉ねぎなどをブレンダーで粉砕した料理。スペインで夏に食べられる料理である。
生野菜料理なので苦手かと思いつつ作ったが意外とおいしかった。でも、キュウリやズッキーニはなくてもいいや。ハーブとネギ類、トマトだけでよろしい。青臭さはできるだけなくしたい。

できたガスパチョはパスタにかけて食べた。冷製トマトソースみたいなものなので当然調和する。これをそうめんにかけて食べる人もいるらしい。夏らしくてよろしい。

 

作ってみてわかったのは冷やし中華ガスパチョが似ていること。酸っぱくて夏の生野菜を食べるもの。暑さ対策はどこでも同じらしい。

意外とうまい

7/23(日)台所に棲む、冷凍紅茶

暑いので朝のうちにスーパーへ行く。鉾(山)が立っているせいで道が迷路になっており、行き止まりに向けて迷い込むタクシーを見かけた。この時期の道は地元民にしか攻略できない。
朝のスーパーは品揃えがよかった。すべての棚が輝いて見えた。魚も野菜もおいしそう。果物は今、桃が旬だという。剥き方を知らないのでいつもの葡萄を買った。好物のデラウェアも売られていたが、4房で1000円だった。そんなに食べられない。

 

イーブイ」を作りながら台所で読書をした。ときどき鍋の様子を見つつ、台所で本を読むのが性に合うようだった。

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千葉氏の『エレクトリック』を読む。芥川賞三島賞にノミネートされておきながら落とされるという不遇な小説である。どうしてそんなに微妙な立ち位置なのかが気になっていた。

読んでいて引っかかったのはアファンタジアにはたいへん読みにくいこと。妻氏に読ませてみてもそういう評価だった。妙に風景描写が多いのだ。千葉氏は本当にそういうふうに世界を観察して記憶しているのかもしれないが、その繊細さをテキストで表現されてもイメージ能力が乏しいものにはついていけない。

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冷凍紅茶みたいな名前のお茶(凍頂烏龍茶)を認識した。先日の中華ランチでおいしいと思ったお茶がこれだったらしい。妻氏は台湾観光の経験から知っていた。近頃よく名前を聞くとは思っていたが、味の認識ができていなかった。
たしかにおいしいお茶だと思う。夏に合うというか、日本茶に飽きた人によいというか。

日本のお茶ってなんだか重いのだよな。茶葉の味がそのままだから。微発酵のほうが複雑でおいしいのは当たり前か。

7/24(月)足上げ冷え性対策

冷えで体調が悪かった。会議だけこなして16時に退勤してしまう。
幸い鍼の日だった。身体を観察してもらったところ「ストレスと冷え」を指摘される。心当たりしかなかった。

 

私の冷えは「頭に血が集まりすぎる」のが原因らしい。現代人は考えごとや仕事でいつも頭に血が集まっている。頭は加熱されっぱなし。頭に熱が溜まり、さらに下から熱が上ってくると首や肩、喉が熱でやられるそうだ。これが首筋の凝りや喉の違和感につながる。

逆に足は冷える。熱が上のほうにとられるから。このような熱の偏りが冷えであり、現代人の持病である。

対策はシンプルで、足を暖めたらよい。伝統的に言われる「頭寒足熱」とはまさにこのこと。頭がアツアツの状態で休めるわけがない。

 

具体的な対策は「足を上げて座る」「横になる」「半身浴」「足湯」「足三里へのお灸」。「足を上げて座る」のにニーチェアはおすすめである。ハンモックとかでもよさそう。
なぜ「足を上げて座る」といいのかというと、心臓が楽をできるからだと思う。立って(座って)いると、心臓は重力に逆らって血を吸い上げないといけない。横になっていると重力を無視して効率的に血を行き渡らせられる。

私は身長の割に心臓が弱く、いつも血の吸い上げには苦労している。血圧はいつ測っても110/70を切っている。
心臓が強い人にこういう苦労はないのだと思う。いつも元気潑剌としており声の大きいような人は心臓が強いのだろう。彼らは冷えに苦労しないしいつも元気で体力もある。ただし、高血圧で死にやすいのではないか。この辺はトレードオフなのでどっちがいいとかではない。

挿絵: 夏の京都

7/25(火)頭寒足熱、心身のズレ、エレクトリック

これまで足を出して寝ていたのだが間違いらしい。明らかに「頭寒足熱」に違反している。

なんでこうしていたのかというと「寝るときは深部体温を下げるために手足から熱を放出する」という事実を睡眠本から学んだから。たしかにそういう事実はあるし、寝入るまでは手足を冷やしたほうがいいのだが、本格的に寝るときは足を冷やさないほうがよい。
妻氏は経験的にそれを知っていて「当たり前じゃん」とのことだった。

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家に帰ってきて仕事の続き*1をしようとしたら身体が動かなかった。
会社にいるときは「ウオ〜〜〜」と仕事ができてたのに、家に帰った途端にふにゃふにゃになっている。たぶんオフィスだと一定の緊張感があるので若干の無理をして仕事ができていたのだと思う。
家に帰ると身体は勝手にリラックスモードになり、無理をしなくなる。そこへ精神が「続きやるぞ!!!」と言って無理やり動かそうとしたからダメになったのだ。

ということを認識したらゆるゆる仕事ができるようになった。
これが酷くなったバージョンが鬱なのだと思う。心身のズレの恐ろしさを学んだ。

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『エレクトリック』を読み終わった。千葉氏の高校生のころ、実家の体験、同性愛の目覚め、ヒステリックな母、不安定な父の事業、などの生活が描かれている。全体的に不穏。
おっさんたちが「インターネットですべてが変わる!」と連呼してるのは、本当にそう言っていたのだろうな。その結果として、地方都市のDTP業者(千葉の父の事業)は滅びるわけだが。

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7/26 (水)ぜんぶ書く、脂質カット

同僚から「ふわねこさんは難しいことを言いすぎ」問題を指摘される。n回目mヶ月ぶり。わかってはいるのだが、他人にどう伝えたらよく伝わるのかがわからない。多少テキストの量が増えてもいいから、思ったことを全部投げつければよいのだろうか。テキストの量が多いと読むのが大変だから、という理由で業務での長文は書かないのだが、諦めて読者に負担を強いたほうがいいのかもしれない。複雑であろうと考えてしまったものは伝える必要がある。

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我が家で「減量するぞ」ムーブメントが発生。このごろ妻氏も私も体重が微増傾向である。まだ問題ない範囲だが、増えないうちに手を打つのがよろしい。
方法は脂質削減。自炊で使う肉を脂質の少ないものにする。その他の炭水化物、野菜などはいつも通り食べる。ただし魚は好きなだけ食べる。魚油は人体に必須だし脂質の鎖が短いので代謝しやすい。
我が家は昼も夜も味噌汁である。弁当も一汁一菜になっている。メニューは変えずに肉を変えれば済むので簡単だ。

 

経験的にこの方法がいちばん効くのを知っている。コロナ禍で太って食生活を変えたときも、脂質カットがいちばん効いた。
なぜなら脂質はgあたりのカロリーが多く、脳のエネルギーになりにくいから。
それに現代社会では何を買っても脂質がたくさん入っている。自炊で脂質をカットしても食生活のなかで勝手に入ってくるものなので、あえて自分で摂る必要がない。

7/27 (木)王子様の不在、納涼記事

妻氏との会話で「ダメな男を捕まえ続けてしまう女性の悲哀」が話題になる。妻氏は安野モヨコ岡崎京子内田春菊の漫画をよく読む。これらの漫画ではバブル期以降の「王子様を探し続ける女性」の悲劇が描かれているそうだ。

でも「王子様」はいないのである。「何か」を与えてくれる人は現れない。
結局のところ、自分自身が「王子様」になって自分自身に「何か」を与えるしかない、という。願いを叶えてくれる他者は存在しない。

ここまで一般化するとジェンダーと関係がない原則になる。一人で生まれてきて一人で死ぬ、みたいな話。

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昼の暑さで思ったことをもとに納涼記事を書いた。

non117.com

熱電変換の機材が安くなると、無料の電気を求めて熱を奪いまくる輩が現れる。政府が規制しても無駄だ。闇ルートで機材を手に入れてしまう。こうして鴨川にペンギンが跋扈する。

7/28 (金)脳をみる脳

社交ダンスの先生に「おっさんには身体がない」と言ったら通じた。我が家独自の用語でこの言葉の意味がわかる人は少ない。この先生はすごいな、と思った。

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養老孟司の『唯脳論』に「脳は脳をみている」という主張が書かれていた。意識とは脳の二階である、という話。

まず脳に一階がある。脳の一階には全身の神経がマッピングされた脳領野がある。例えば🐭ちゃんであれば、ひげの付け根の神経の並びがそのまま🐭ブレインにマッピングされている。神経が格子状になっているならば🐭プレインにも格子状の並びが存在する。このように、脳にはそのまま全身の神経と対応する「写し絵」が存在する。有名なのはペンフィールドの脳地図だろう。こんな気持ち悪いやつ。

ワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド - 脳科学辞典

脳の二階とは「脳の一階をマッピングした脳領野」のことである。一階の、身体の「写し絵」の「写し絵」。養老孟司によると、ヒトの脳は発達しすぎて場所が余っているから「二階」が発生したのではないか、とのこと。

言語は脳の二階でみられる「写し絵」をそのまま記号化したものである。その人にとって身体がどう現れているか、身体の情報をもとにどんな処理をしたか、が記号として出てくる。だから言葉の意味は人によって微妙に異なるのだろう。

二階の「写し絵」つまり意識をそのまま記号にすると、文字を読むことで二階の情報を一階に入れることができる。つまりもともとの脳に対する「三階」が作られる。同様に文字を介すると無限に高層化ができてしまう。これが人類の智慧の源泉であろう。

 

この仮説が正しいかどうかは知らない*2。おそらく養老孟司もこの手の仮説に強く拘らない。私も同様に「いろいろ説明できておもしろいね」と言ってよりよい仮説が出てきたら乗り換えてこの仮説は捨てる。

www.chikumashobo.co.jp

*1:出社したあと在宅勤務する制度がある

*2:脳をみる脳領野、高次脳機能が存在するのは事実

暑い。このごろ京都は38℃とかいうばかみたいな予報が出る。実際、15時に外に出たら37℃だった。今日の午後は曇りでこれなので、カンカン照りになった日にはそれこそ40℃になるのだろう。

 

サウナみたいな熱風を浴びながら歩き「この熱を電気にしてくれ〜」と思った。ペルチェ素子の逆の原理で、熱を電気に変換する技術は存在するし研究もされている。

www.titech.ac.jp

そりゃあ熱から電気を産み出したい。熱は人類の活動のゴミとして環境に溜まっているので、これを電気として再回収できるならば、エネルギー源にもなり環境は冷え、良いことづくめだろう。

 

果たしてそうか。「熱電変換の機器が普及したら冷えすぎる可能性」がある。今の温暖化は皆が好き勝手に熱と二酸化炭素を捨てることで起きている。逆に、皆が熱を回収しまくる合成の誤謬もありうる。もちろん、そのためには熱電変換が安価にならなければならない。たくさんのブレークスルーが必要。しかし、いつかは普及価格帯になるやもしれない。

そのときは逆に冷えすぎて、鴨川をペンギンが闊歩しているだろう。

週報 2023/07/23 その基準は本当に正しいんですか?、躁鬱人の衝撃、体質・規範意識・開かれ

7/15(土)ハト、冷やし中華、まずいたこ焼き

急にハトのぬいぐるみが欲しくなって注文した。サービスが悪すぎてAmazonは使いたくないのでヨドバシカメラで注文。取り寄せになったが、すぐに届かなくてもいいのでよしとした。
衝動買いのようにみえるが、衝動的にハトがよいと思ったのではなく、ずっとハトはよいと思っている。リアルなハトのぬいぐるみが家にいてほしい。

一群12羽 1ポッポ2ポッポ…眠れない夜に数えてみては

www.hansa-jp.com

HANSAという企業はリアルなぬいぐるみを作るのが生き甲斐らしい。

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昼に冷やし中華を作る。暑くて食欲がないのでこういうものしか食べられない。実は自炊で作るのは初めてだ。

問題はキュウリ。キュウリって青臭いのだ。「絶対に臭みを抜く方法があるはずだ!」と思って調べたらGoogleがすぐに教えてくれた。湯通しするといいらしい。
やってみたらキュウリの緑色が濃くなり、食感もシャキシャキになった。もちろん青臭さもなくなっている。苦手なキュウリをおいしく食べる方法を見つけて喜ばしい。ただでさえないキュウリの栄養が無になっているとは思うけども。

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宵山の出店で食糧を買いお太り様活動をする。

八百屋の出店でたこ焼きを買った。でもおいしくなかった。粉が重くてタコも少ないし、紅ショウガも青のりもなかった。妻氏曰く、大阪的にはこれらが必須らしい。
ちょっとレベルが低い。そりゃあ八百屋だからだ。仕方がない。八百屋は調理のプロではない。

7/16(日)膳處漢ぽっちり、その基準は本当に正しいんですか?

友人とのオフ会。錦の膳處漢ぽっちりで昼食を食べた。祇園祭の膳處漢ぽっちりはしみだれ肉まんで有名。この日も炎天下のなか、長蛇の列ができていた。そんな列を無視して店に入っていくのはいい気分だった。

今回はコース料理。前菜からメインまでずっとレベルが高くておいしかった。中国料理特有の神経質であり繊細な仕事が感じられる。ただ、フカヒレスープは微妙だった。珍味なだけであって、味そのもののレベルが高いとは思えない。

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深夜、妻氏が「仕事の進め方をミスって締切りを延ばしてしまった」といって悩み始めた。妻氏の会社では(だけでなく一般に)開発プロジェクトで締切りが伸びることはよくある。「それはよくあることなのでは?」「そこに至るまでの判断は最適だったのでは?」と質問をしたら妻氏は納得して落ちついた。

「自信がない」とか「うまくいかない」という心理には「理想状態と現状のギャップからくる不安」で説明できる。目標があって主体的に取り組むこと自体は必要だが、「〜あらねばならない」式の外から押しつけられた「理想像」や「規範意識」は持たないほうがいい。しかも悪いことにその「理想像」は誰かが具体的に求めたものではないことがある。主観的に産み出した謎基準なのだ。

また「現状」の評価もおかしいことがある。能力がちゃんとあって発揮されているのに「自分には能力がない」と言う人もよくいる。
どちらも主観の謎基準・謎評価の設定が原因なので「その基準は本当に正しいんですか?」と質問するとよい。

似たようなことはhitode909さんが『ライバル』という記事で言っている。ここでは、まわりの人を合成した超人が脳内の理想像に設定されるケースが想定されている。

blog.sushi.money

7/17(月)祭りの汚れ、躁鬱人の衝撃

今日の烏丸はいつもより人が少なかった。前祭が終わってみんな帰ってしまったのだ。ふだんどれほど観光客が多いか、が思い知らされる。
路面はどこも汚れている。飲み物や食べ物が溢れたあと。車を止めて屋台を出すとこういうことが起きるのだ。もしかして、これが嫌だから日本では屋台が少ないのだろうか。
これらの汚れも雨で流れていく。汚れてるなあ、と思っていつの間にか洗い流されるのを毎年経験している。

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『躁鬱大学』を読んで愕然とする。

なんだこの(躁鬱病が)一生治らないってのは。(中略)

いや、だめです。怒っちゃだめです。不正を見つけると、つい怒ってしまう。ただ、躁状態のときは、本人は怒りだなんて思っちゃいません。不正をただそうとしているんですから、「当然のことだ」「むしろ正義だ」と思っています。いや、思い込んでます。しかし、思い込んでいることに気づけません。(p18)

 

話を戻しますと、つまり僕も、あらゆる行動を、一見、人のためにやっているような行動までも、すべて自分のためにやっているんです。

自分のためにってどういうことかというと、「そんな不正をただす行為をやっているあなたは素晴らしい!」と周囲の人、いやそれ以上に多くの人から賞賛されたいと思っているということです。褒められるためだけに生きています。(p21)

この手の人はその辺にいるし、弊社にも妻氏の会社にもいる。特徴は怒りっぽくてひどく主観的なこと、気分屋であること。
でも能力がないなんてことはない。それなりの手続きを経て採用されているので腕っぷしはある。なのに、気分の波がすごくてまわりがついていけないのだ。

自閉症、多動、神経症サイコパス、アファンタジア、HSPなどの傾向をもつ人たちとはいろいろ喋ったことがあるし、相互理解もある程度は可能だった。こういう坂口恭平みたいな極端なタイプの躁鬱人*1はなかなか言葉が通じない。

でも逃げるわけにはいかない。ADHDを併発してるケースもあるからだが、躁鬱人にはすばらしい思いつきをする人もいる。うまくやっていけると強い味方だ。どうにかして理解してみたい。

www.shinchosha.co.jp

7/18(火)アイデアと自尊心

業務でアイデア出しをしたときのこと。人の案に対して「この案そのままだと量が多くて実装が大変かも?」と言ったら若干食い気味に「大丈夫だ」と言って説得された*2
イデアというものはめんどうで、自尊心とくっついてしまうことがある。数日経つまでは、その人の柔らかいところと密結合していて簡単には触れない。触ると反撥される。
丁寧にやさしく指摘できたらいいのだろうけど、私の性格だと無理だ。どうしてもハッキリ指摘しては食い気味に返されてしまう。

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夜に爪切りをしたところ、王(モルモット)は身をよじって暴れた。王よ。

7/19(水)体質・規範意識・開かれ

さいきんの読書の影響で、精神分析と躁鬱人の知見を使って性格一般を分析してみた。性格には「体質」「規範意識」「開かれ」の側面がある。

 

「体質」とは脳の配線の違いのこと。物理的にはシナプス結合の偏りであろう。脳領野同士を結ぶ「高速道路」の太さ、経路は人によって違うはずだ*3。そうでなければ記憶力や刺激への反応の速さが多様になるわけがない。これはWAIS*4に出やすい性質かもしれない。

脳の配線が生得的な傾向かどうかは知らないが、成人後はあまり変わらないようにみえる。たまに薬が効くこともあるが、効果は安定しない。だから「体質」と呼んでいる。

ADHD双極性障害(躁鬱人)、アファンタジア(イメージ欠如)やスーパーファンタジア(画像記憶能力者)も体質の問題だと思われる。

「体質」についてはくよくよ悩んでも仕方がない。「体質」という天与の性質として事実的に受け容れると楽になる。

 

規範意識」とは精神分析で言うところの「神経症」であるかどうか。精神分析では人はみな「神経症」か「精神病」である、とする。「神経症」は常識的な発達をしてきた人。「神経症」の人は「常識」や「規範」「理想像」に悩まされやすい。常識的だから。

無意識に「規範意識」を発動させてしまうのが「神経症」だが、訓練で抑制できることが知られている。精神分析や書くことが有効。

 

「開かれ」とは「他者および他者の言葉をどの程度信用するか」である。パラノイア的な性質、自閉的な性質な人は他者を信用しないし世間で流行する言葉も安易に取りいれない。「それって本当にそうなんですか?」と疑り深く質問をしてくる。哲学者やソフトウェアエンジニアに多いタイプ。

これも学習によって変わってくる性質。「勉強」をするほど疑り深くなることからもわかるように。

 

私は「イメージ欠如の体質」で「規範意識が乏しく」て「閉じられている」タイプである。千葉雅也は「イメージ過剰な体質」で「規範意識が強く」て「閉じられている」タイプだと思われる。坂口恭平は「躁鬱人+ADHD体質」で「規範意識がなく」て「開かれている」タイプであろう。

7/20(木)締切り前のトラブル、冷えと寝汗

疲れた。一日中業務の実装をしていて23時半に退勤した。

 

そういえば夕方にトラブルがあった。自宅へ移動して実装の続きをしようとしたらDockerが起動しなくなったのだ。Dockerが動かないと開発用サーバーとの通信ができない。かなりやばい状態だったが、すべての設定ファイルを吹き飛ばしたらなんとかなった。締切り直前にこそ物は壊れ雷が落ちるのである。

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冷えてるときほど寝汗をかくという逆説があるらしい。鍼の先生曰く。
なんとなく経験則として知っていた。鍼で冷えの治療をされると寝汗をかかなくなる。鍼バフが弱まるとだんだん寝汗がひどくなる。

冷えの原因はエアコン。京都の夜は厳しいのでエアコンをつけて寝ている。近所の老婆はドアを開けて蚊取り線香を焚く。我々には真似ができない。妻氏はたいへんな暑がりである。
交渉してちょっとだけ設定温度を上げた。

7/21(金)メタ指摘の投げ方

妻氏が「後輩にあの仕事を投げたのは間違いだったのか、もっとよい投げ方があったのではないか」と悩みはじめたので「どうすべきだったか?という問いは意味がないですよ」と言った。仕事を投げたタイミングは締切り前だったというし、そのときどきの最適な判断をしていたに違いない。「もっとうまくできたのではないか?」という問いは後知恵なのだ。それに、その後輩に「投げられた仕事についてどう感じたのか?」を聞くのがいちばん。他者について「〜したほうがよかっただろうか?」と問うのは出口がなくて自分を消耗させるだけである。

 

「その悩みは意味がないですよ」という指摘はメタ認知を発動させて有益である。我が家だとメタ認知が大事にされているので許されるのだが、同僚に言うとまずいだろうか。

厄介なのはこの手の思考が自動的であること。自分で主体的に考えているわけではないのだ。ただ思考が巻きこまれているだけ。メタ認知でもって、ぐるぐるを問いごと否定するのは正しいが、指摘としてはちょっと重い。

大事なのは共感を示すことらしい。「その悩みは理解しますけれども、たぶん答えが出ないのでやめておいたら?」という調子。がんばったら仕事でもそういうふうに言えるかしら。でも、私は共感的な信号を出すのが無理なので棒読みになっちゃうかも。ダメでは〜?

*1:双極性障害でも躁鬱病ではなく体質としての躁鬱人だという坂口氏の主張

*2:実際に量は多くて大変だった

*3:シナプスには太くて速い高速道路と細い下道がある

*4:IQテストのこと

引用はてなスターを押しやすくする

私は引用つきのはてなスターが好きで、押すのも押されるのも好きだ。
だが、今のはてなブログの仕様だと引用スターの操作がけっこうめんどくさい。

私の認識では「気に入ったテキストを選択→スクロール→スターボタンを押す」の操作が必要*1
短い記事ならスクロールはいらないのだが、長い記事だと何度もスクロールするはめになってたいへんめんどくさい。しかもいい記事であるほど苦行が増える。

そこで公式UIを台無しにするCSSを書いた。

span[data-hatena-star] {
    position: fixed;
    top: 400px;
}

これをStylusというブラウザ拡張で設定したら、こんなふうになる。

https://i.gyazo.com/a3de895a8ebaccf09d24620b7d022687.gif

表示位置を無理やり変えているだけなので、スターもふつうに押せる。
最高便利〜。

ちなみに

破滅

リスト画面だとめちゃくちゃになる。気になる人はフォークしていい感じのスタイルにしてください。

*1:昔はテキストを選択したらスターボタンが出ていたが、どこかの仕様変更でなくなった

週報 2023/07/16 『人はみな妄想する』を読んだ、「能力があること」「能力が発揮できること」は別の問題

7/8(土)

一日中ねむい。一刻も早く鍼をされねばならないが、次は火曜日である。もうだに。

 

朝は10時すぎまで寝て野菜スープを作ったらお灸をしてもらった。ちょっとよくなったが、すぐにばんたきゅー。ばたんきゅー。

昼食のパスタイーブイを食べて昼寝。いろいろ無理なのであえて寝た。

起きたらまだ微妙で動画をみて過ごす。

 

夕食後しばしソファで過ごし、ようやく週報を書いた。
風呂から出てきたら相変わらず頭がぼやぼやしていてダメそう。

🍇🍇🍇

あまりにダメなので料理動画をみている時間が多かった。

 異常に丁寧なソフリット

 別の人の野菜炒め、中華料理の基礎。

7/9(日)

(ランチの中華料理屋にて)

店内のBGMがJ-popだった。リズムが単調で遅くて、ぜんぶ中高生の合唱曲に聞こえる。
なぜこんなにつまらないのか。根本的にはリズムだが、リズムのひどさをもたらしているのは発音の単調さである。標準語が悪いのだ。いつもの方言・外国語の話をした*1

🍇🍇🍇

睡眠薬の副作用により妻氏が布団に沈んだ。3時間くらい寝ていた。

起きてくると悪夢を観たという。私が人を殺して食うのだそうな。睡眠薬の悪夢はキツいらしい。

🍇🍇🍇

やっと引き切りを身につけた。ファビオのおかげ。

左利きの料理人を見たからだと思う。たいていの料理動画では包丁の動きが見えない。料理人の右腕を写すような画角って見たことない。

ファビオの場合は左利きで正面にカメラがあったので引き切りの作法がよく見えた。このおかげで自分の切り方がおかしいことがわかった。

たぶん他の領域でも同じことがあるだろう。左利きの人を観察することで身につく所作。

🍇🍇🍇

テキストは書きやすいところから書けばよい。

書けるところから、頭が意識しているところから書くのだ。書き始めると頭の調子、体調がどうなっていようと書ける。とにかく始めるのが大事。手をつけさえすればいい。

デジタルはこの点でも有利。書いたものの入れ替えが簡単だから、順番をめちゃくちゃにしても成立する。

7/10(月)

 しいたけ占いが復活していた。

下半期の占いが出ていて大喜び。

 

カプリコーン(山羊座)はなんともハチャメチャそうな占いである。

2023年下半期は「空けてきたスペースに、大きな贈り物がすっぽり入っていく体験」をあなたはしていくのです。

自分がやってきた偉業を証明する
自他共に認められるような、コツコツやってきたことの結果が出る
準備してきたことが、完全に実る
自分の予想も覆し、独壇場の状態になる

いや本当にそういうことがあると嬉しいけれども。

時期としては8月に変化があるようだ。もう来月じゃん。7月は休んどけとのこと。了解。

🍇🍇🍇

千葉雅也の『アメリカ紀行』を読み終わる。

サバティカルという大学の制度を使って北米の大学で研究や交流をしていたらしい。そのときのTwitterをもとにした日記形式のエッセイ。文章が上手で暗いのでよかった。

 7/11(火)風邪

念願の鍼に行くと風邪だと言われる*2。自覚はなかったがよく観察すると喉が鳴るしちょっと違和感もある。「コロナか?」と恐れるが「コロナの場合はもっとあちこちがめちゃくちゃになっているので、たぶんコロナじゃないと思う」と言われた。コロナかもしれないしそうではないかもしれない。というか妻氏が今日二次会まで行っているのでそこでもらってくると思う。そしたら私も感染して(予定されている職場の行事)に参加しなくてよくなるのだ。39℃の熱と引き換えに。あっ備蓄がない。やべえ。お粥メーカーしかないな。 

それはさておき、どう風邪なのかというと肺と腎がずーんと落ちているやつ*3。脈でもお腹でもそうだったので間違いない*4。大椎*5なんかはそこだけ冷たかったそうだ。もちろんお灸をされた。というか、(鼓膜の)体温もこの頃低かった。夕方に37℃を超えない日が多くておかしいな、と思っていた。鍼灸治療をされたらふつうに37.5℃とか出ている。初めて冷えを数値観測できて喜び。やっぱりここ何週間かの体温グラフはおかしかったのだ。

なぜ冷えたのか。いろいろある。梅雨のじめじめと夜のエアコン、(職場のあれこれ)。いちばん怪しいのは長風呂。夏の長風呂はよくないらしい。長風呂して本を読んでるがな。やめます。

この夏風邪は要警戒なものらしく「家に帰ったら暖かくして早く寝ろ、できれば明日は休むといい」とまで言われた。よっぽどなのでしっかり休みたい。ちょうど明日は在宅勤務なのでなんとかなるだろう……。

妻氏のなかの流行のキャラ

7/12(水)「能力があること」「能力が発揮できること」は別の問題

このごろ労働のパフォーマンスが高い。「バカ」になって*6仕事をしていたらそれが進捗の速さにつながってしまった。マネージャーのxxさんには感謝してばかりである。

だが、xxさんがアドバイスしたのは「コアが掴めなくてもとりにいったらどうか」「コアがわからないまま動くのもあり」だけ。私は二週間で変化したので、もとから今のタスクの進め方をする能力はあった、ということである。xxさんは私の能力が発揮できるように方向づけたわけだ。

つまり「能力があること」「能力が発揮できること」は別の問題なのだ。前者は労働者の責務で、自分で能力を鍛えて維持する必要がある。後者はマネージャーの責務で、労働者が力を発揮できるよう環境を整える必要がある。その手段としてチームの人の組み合わせとか、道具を買ってやることなどがある。1on1による指導も然り。

🍇🍇🍇

昼に焼きそばを作ったらかつてなくおいしくできた。先日中華料理の野菜炒め動画を観たのがよかった。中華料理では水が出る野菜、出ない野菜を区別してカテゴリごとに炒めてわきに除けておく。こうすると、いらない加熱をせずに適切なシャキシャキ感を維持できるのだ。

ザーレンとコークスコンロが欲しいぞ。

7/13(木)開かれていたほうがお得

「バカ」になってメモを書きまくったあと、それを業務wikiに貼りつけて簡易なドキュメントにする技を覚えた。「あーどうしよめんだこにょろにょろ」入りのメモ書きをそのまま社内システムに上げている。でも内容はちゃんとしたお仕事。

 

考えながら書いた思考をそのままチームに共有しちゃうのって「いみじくも君の言うとおりだ」と言われたときの、「リーダーシップとは?」「勝手に行動すること」と同じなのではないか。「バカ」になって思考の例を示すということ。沈思黙考し、よく考えてきちんと行動することは知性だが、それは範としての行動からはほど遠い。

うー?「来るべきバカ」であることは、何が起こるかわからない現実に対して開かれつつ行動すること。開かれた突端で行動すると、未知のものや偶然性が得られてお得であるだけでなく、もっとも素早く動くことができるのだろう。

開かれた突端で行動するには勇気がいる。うまくいったら模範になるが失敗も多い。道化みたいだ。

 

なんでこれを思ったのかというと、真面目な人は完璧なドキュメントを書こうとするのに対して、私は「あひゃ〜」みたいな中途半端でてきとうなドキュメントを書いては捨てているから。閉じられたものを作るのは安全だが何もおもしろくはない。開かれたものを作るのは、不安定で勇気がいるが、たまにおもしろいことがある。

7/14(金)各々が症状と向きあうしかない

起きて朝食を食べ、日課のインターネットをしたら読書。荷物を受けとってまた読書。ラカン本『人はみな妄想する』をほぼ読み終わるところまで来た。

🍇🍇🍇

ラカン哲学の結論はなかなかおもしろい。

神経症も精神病も関係なく、人は自分の症状(サントーム)といい感じの距離をとっていればそれでよい」
「症状の原体験に幼児期の言語との出会いの衝撃がある。その人固有の原体験に対して、社会的な言葉による説明をつけるのではなく、自分なりの言葉を与えるのが大事」
「自分なりの言葉を作り、自分なりの大他者を作ることは、洗練された自閉症がやっていることと同じである」

これ我が家では当たり前のやつだ。千葉氏を経由して影響を受けているとはいえ。

 

症状とうまくやっていく*7のに大事なのが創作だ*8。結局のところ、各々の創作行為を突きつめると自分の症状との向き合いになってくる。

それがわかっている人は、他者がどう言うかよりも自分がどう作りたいかを優先する。そうやって毎日作り続けることが、症状への癒やしになるのだ。癒やしは自分で与えられる。これを享楽という。

わかってない人は真似をして、他者の歓心を買おうとする。洗練されていない自閉症。社会的な言葉、自分のものではない言葉で妥協をするようなものだ。こういう人の創作はつまらないものができる*9。人に合わせちゃうから消費はされるけれども。

人に見せる創作で大事なのは、自分の症状と関わる創作を人に認められることだ。たった一人でいい。症状の核の部分を表現し、それが伝わればよいのだと思う。

🍇🍇🍇

(他人の精神構造についていろいろ分析したテキストがあった)

この件に限らないが、人はたいてい他者へ期待する方向へ向かう。他者に何かを求める。私にはこれがわからない。

たぶん大文字の他者が、象徴界のなかにいて自分を見つめてくる他者の機能が欠けているのだと思う。ふつうの人は無意識のなかに他者を飼っているものらしい。

なるほど、だから人々は「明らかに自分の性質が優れている」場合でも、大他者による抑制がはたらいて、自信を得られないのだろう。躁鬱病や精神病構造、アファンタジアにはこれが欠けている。そんなに大事なものなのかどうかは知らない。

 

出てきたものは出てきたもの

私は毎日日記を書いている。『日記の抽象化』にも書いたように、一次日記と二次日記がある。一次日記はWorkflowy上のツイートで、二次日記はちゃんと煮詰めて書いたもの。毎日二千文字から三千文字くらい書いている。

先日、坂口恭平と千葉雅也の対談動画を観た。坂口氏はおかしな人だが、そのおかしさが私に少し似ている気がしたのでさいきん興味がある。

この動画のなかで「毎日絵を描いていて、できたものをそのまま出すしかない。いいものができる日もできない日もある」と坂口氏が言っていた。

たしかに「そのまま出す」のが一番いいよな、と思った。これまでの週報は基本的に編集をして書きなおしていた。書物の原稿のように書くならばそうするほうがいいのだが、ブログ記事でそこまでする意味はない。むしろインターネットに公開して差し支えないテキストならば、二次日記を書いたそのときの気分をそのまま露出したほうがよいまである。

しょうもない事情としては時間の話もある。文章を書くのは早いほうだが、週報のテキストをいちから書いていると合計で3, 4時間は使ってしまう。それよりももっと読書や休息に時間を充てたい。

 

こうやって、コラージュ形式で週報にすると30分で原稿ができる。こんな楽なことはない。しかも無編集の、思考のごりっとしたものがそのまま出てくる。毎日産出したものはそういう事実的なものなのだから、無理にいじらないほうがいいのだろう、と思った。

*1:子音の貧困さがリズムの単調さを生む、方言には外国語に近い音のものがある、という話

*2:中医学における風邪(ふうじゃ)とは冷えがひどくなった状態のこと

*3:五臓のうち二つがダメ、冷えと体力の指標

*4:脈診と腹診

*5:冷えが入るツボ

*6:https://non117.com/entry/2023/07/02/164844 先々週の「野生と知性の弁証法」の用語

*7:誰もが精神病か神経症の構造を持っている、という精神分析の前提

*8:ラカンはそこまで主張していなくて、現代の雰囲気を汲んだ私の解釈

*9:自分のフェチに素直な絵描き vs 流行りの絵柄・題材を追う絵描き と同じ構造だと思うとわかりやすいかも

週報 2023/07/09 日記を書かないと頭がバグる、業務の雑談が減る構造、チームビルディングの本質

7/1(土)エアコンクリーニング

念願のエアコンクリーニング。
4月に引っ越して夏が来て、エアコンを稼働させたら臭かった。前の住人がクリーニングしていなかったらしい。
クリーニングを手配したのは6月中旬くらい。繁忙期ゆえ、2週間待ちだった。

 

午後に空調服を来たおじさんが一人でやってきて、3時間半かけて完全分解清掃をしてもらった。
エアコンの内部は汚く、特に結露した水を受ける部品が黒っぽかった。

 

知らない人が3時間も家にいるのはストレスだが、それはおじさんにとってもそうかもしれない。ちょっとピリピリしながら机で待機していたら読書が捗った。

7/2(日)バジルがでかい

越冬させていたバジルが全滅したので近所のKMC部員に種をもらって再出発をした。

ジェノベーゼソースくん

いつ種を撒いたのか覚えてないのだが、いつの間にかモサモサになっている。バジルの種はゴマほどの大きさしかないのに、最終的に低木になるのだ。すごい。

ちょっと鉢が狭すぎたかも。このバジル兄弟たちには生き残りを賭けた競争をしてもらう。

7/3(月)バカになる実践

先週の週報で「わからんまま歌えるようになりたい」「バカになる」的なことを書いた。

さっそく仕事で実践してみる。
「わからんまま歌う」とは何かというと、理性を使うのを留保して感覚的に行動すること。「スロー」な理性に対して「ファスト」な感覚を少しばかり優先すること、だと解釈している。おそらく登大遊『論理的思考の放棄』と近いもの。

大事なのは一カ所を凝視しすぎずにぼーっと画面全体、本全体を見ること。半ばぼーっとしていて、刺激に無意識で反応できるようにしておく。

思ったことはすべて文字にする。バカみたいに「えーと次は何するんだっけ、あーあれだ、えーと」みたいなテキストをメモ帳に書く。

「バカになる」と表現すると字面がよくないのだが、バカなほうが仕事が進んだ。タスクをするのに迷うことがなくなった。何でも頭のなかだけでやらないほうがいいらしい。

🥦🥦🥦

Twitter API制限の狂騒を眺めていたら「テキストインターネットの特殊性」に思い至った。

7/4(火)生活としての料理

先日のフランス野菜スープの記事が人気だった。
長く残る知見だろうな、と思って記事を(週報から)分けたのは正解だった。このブログはなぜか料理記事への流入が多い。

私のことを料理趣味の人間だと思う人もいるのだが、たぶん今は違う。
料理は生活に必要だからやっているだけで、趣味的にあれこれ作るものではない。連休でよっぽど元気があれば変なものを作るくらい。基本的に時間がないので、料理よりも読書を優先している。

 

毎日作るものの知見は以下の記事にまとまっている。生活としての料理に興味がある人には参考になると思う。

7/5(水)日記を書かないと頭がバグる

頭が疲れて何もできなくなる体験をした。

重い会議が二つ入っていて、メンタル的にも消耗することがあった。二つ目の会議の途中で頭が動かなくなり、議論についていけなくなる。先週の諍いが遠因ではある。

そのまま夜まで頭が動かなかったのだが、日記を書いたら調子が戻った。
もしかしたら躁鬱に近い何かだったのかもしれない。頭が動かないことほど恐ろしいものはない。ストレスを避け休養し、日記を書き続けていきたい。

7/6(木)精神分析がおもしろい

『人はみな妄想する』『生き延びるためのラカン』を読んでいる。ラカン精神分析の本。

精神分析はもとから興味があった、というかフランス現代思想をかじっていると避けて通れない。それに、自己探求もずっと趣味なので精神分析で自分を掘り返す体験はしてみたかった。

 

ところが、本を読んで精神分析について知ると、自分は精神分析を受けてはならないタイプなのがわかってきた。精神分析は「神経症タイプ」に有効な方法であって、「精神病タイプ」にしてはならないのだ。

この二つのタイプはプリズムとガラスみたいなものである。人間の頭蓋骨がプリズムもしくはガラスでできているイメージをする。

外から入ってくる情報を光だとすると、「神経症タイプ」はプリズムみたいに光を曲げて意識に入れる。曲げかたは個々人の「欲望」によって異なる。「精神病タイプ」は光をそのまま意識に入れるのだが、たまにガラス面にゴミがついていて絶対に光が入らない場所がある。

神経症タイプ」「精神病タイプ」と言っても、別に病気になっているわけではない。多大なストレスを受けたらそのように発病するであろう、というだけ。精神分析家のもとには発病した人が来るので。

どちらなのかを知っておくのは大事。特に「神経症タイプ」であれば何らかの抑圧された「欲望」があり、それと一生付き合う必要がある。把握しておくと便利である。

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苦労してLUUPのポートを見つけ、乗ろうとしたら巨大ミミズを踏んでしまった。
なんで都市のマンション敷地内に巨大ミミズがいるのか。

宇宙ミミズとの遭遇

7/7(金)業務の雑談が減る構造

みんな疲れているのか雑談が多い日だった。雑談ってなぜか疲れていると発生しやすい。残業とか。

昔(2019年まで)は会社に残って仕事をするしかなかった。締切り前には毎日20時くらいまで残っていて、集中力が切れたら同僚といらん話をしていた。なぜか日中は雑談が起きなくて、定時後に喋れるようになる。

今だとだいぶ状況が変わっていて、定時後に在宅勤務をしてしまう。仕事が溜まっていても定時で切りあげ、少し休んでから家で仕事をする。効率的で昔よりも健康的だが、雑談は起きえない。

私も残りたくはないのだが、構造的に雑談が失われているのは問題だと思う。しかし解決策は思いつかない。

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bamixのブレンダーを買った。

増えすぎる予定のバジルちゃんを刻んでジェノベーゼソースにするのだ。

かつて、京都ヨドバシカメラの7Fに「先斗入ル」というパスタ屋があった。そこのジェノベーゼソースパスタが好きだったのだが、この店はコロナ禍で消滅した。チェーン店なので他の店舗はあるのだが、どうもうちからはアクセスしにくい。

『短歌をよむ』を読んだ

『サラダ記念日』で超有名な俵万智の歌論エッセイ。寡聞にして知らなかったのだが俵万智は恋愛の短歌を詠む人だったらしい。知らずにタイトルで買った。

短歌の解説についてはまっとうな内容だった。曰く、短歌とは57577の31文字の空間で心情を表現する文学である。31文字の制約は窮屈でも長すぎでもない。ちょうどよくて、いろいろな題材が詠める。また、逆に制約があることで止めどない悲しみを切りつめて表現するのに使えるのだとか。

短歌は若いうちから詠む人が多い。だが、たいてい第一歌集がピークで、そこを超えるのが難しいとされる。現代短歌では「心の動きの表現」が評価されるのだが、短歌を長く続けても技巧だけうまくなって内容が伸びることは稀だから。

短歌についてよくわかるいい本だとは思うのだが、俵万智のじめっとした語り口は苦手だった。

チャットと偶像

チャットってけっこう毒なところがあって、「偶像」を相手に喋ってしまう。
「偶像」とは自分で勝手に作った相手のイメージ。思い込みとか感情的な捻れが織り込まれて「偶像」になるので、相手そのものとは別物である。

口頭での会話では、会話の速度がはやくて「偶像」を出す暇がない。
精度のよい「偶像」ができない限りはチャットをしないほうがいいな、と思った。

チームビルディングの本質

弊社でエラい人がよく「チームビルディング」という言葉を使う。「チームがいい感じに力を発揮できるように環境を整える」くらいの意味に理解していたが、どうも本質を掴めてない感じがしていた。たぶんエラい人や世の中の人も曖昧な認識で使っている言葉だと思う。具体的に何をしたらいいのか、ようやくわかったので書いてみる。

相互に知ること

本質は「相互に知ること」である。それだけ?それだけ。
それだけなのに難しいからあえて「チームビルディングが云々」と言われるのだ。実際に「人を知る」のは難しい。

 

長く同じ仕事をしていると「ああメンダコさんね、知ってる知ってる」となる。でも、こう言う人はその人のことを「わかった気になっているだけ」。少しずつ実際のメンダコさんは変化しているのに、わかった気になった人の認識はどんどん現実から遅れていく。人は数年あれば考えかた・行動が変えられる。長い付き合いほど油断しやすい。

「人見知り」のタイプもいる。知らない人は怖いという感情。きっかけがないまま同僚とは最低限の距離をとり、そのままにする。これが一番多い。

あとは「興味がない」タイプ。業務が遂行できていればいいでしょ、みたいな人。あるいは道具とか計算機にしか興味がない人*1

なにを知っておくのか?なぜ知っておくのか?

「相互に知っておいてほしいこと」はプライベートの趣味とか家族関係ではない。大事なのは「人となり」。その人の性格の癖とか、興味の対象、持っている技術や知識について知っていたらそれでいい。

 

ではなぜこんな面倒なことをして「相互に知る」必要があるのか。

チームで働いているからである。『分業は悪だがやめると食えなくなる問題』に書いたように、組織的に仕事をすると一人では生みだせない量の富が得られる。これが我々の豊かさである。分業は社会構造レベルだけでなく、ある会社の中、部署の中でも行われる。つまり、チームで働いている以上は誰かに仕事を頼む必要がある。

ここで「人となり」の知識が効くのだ。仕事を頼むときに相手のことを知っているほどスムーズである。知らないとその人に向いていない仕事を押しつけてしまうかもしれない。失礼でもある。

「村」と「液体社会」の中間へ

「相互に知っている」人が増えていって、知り合いネットワーク構造がフルメッシュに近づくと、それは「村」になる。すべてが筒抜けで不自由な社会。

我々はこの「村」にNOを突きつけ、個人化された自由な社会に至っている。だから「村」には戻れないはず。なのに、「相互に知って」効率的に仕事をするために「村」的な所作が必要になってきている。

 

たぶん我々は「村」の逆張りをしすぎたのだろう。

社会学では自由すぎるこの社会を「リキッド・モダニティ」と呼ぶ。水みたいに分子間力が弱い状態。自由の横溢。

一度液体になった以上、我々はソリッドな「村」的な社会には戻れないので、どこか中間地点に落ちつくのだと思う。液体でも固体でもない社会に。

 

*1:他人を知ることを強制すべきとは思わないが、上司に人となりを知らせることはチーム労働者の義務だと思う