しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/10/01 利休はきっと抹茶ラテを認めてくれる、台所にコーヒーの海

9/23(土)チル曜日、根かきリトライ

珍しくリラックスした土曜日。朝から元気だった。掃除をして溜まった雑務をこなす。

昼にはパスタを作った。普段のだるだる土曜日ならサッポロ一番塩味を食べるところである。土曜日は労働の疲れが噴出してあまりやる気がないものなのだ。

パスタにはベランダのバジルも使った。バジルは今カメムシマンションとなっていて、一部の株がカメムシの家になっている。彼らの住んでない葉っぱを選んでよく洗い、細かく切ってソースに入れた。汚染されている可能性はあるのだが、それを言うと我が家のベランダは排ガスに汚染されているのでもとから「穢れ」ている。気にせず食べた。

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オリーブの根かきにチャレンジする。先週敗退して根かき用の熊手を注文した。

カチコチの根鉢

これが初期状態。6号か7号の鉢いっぱいに根が撒いていて根鉢はカチコチになっている。指では崩せない。一部の根っこは黒ずんでいて死んでおり、よくない状態だった。

半分

道具があるとちゃんと崩せる。鉄ってすごい。歯医者の歯石とりの道具にも似ていてそういう気分になってきた。痛かったら左手をあげてください(手は緩めない)。

完了

最終的にここまでやった。太くて元気な根っこだけ残っている状態。これくらい残しておけば再生してくると思われる。むしろ古い根っこは除去したほうがよい。根っこは新しいほど栄養をよく吸収するそうだ。

シャカシャカ

根鉢から出てきた土をふるってみた。簡単に根っこと土が分離されておもしろい。けっこう楽しい作業だった。

土とか植物に触れていると謎のゲージが回復するような気がした。原初的な欲望なのだろうか。

9/24(日)効率的に野菜を切る方法、『植物の体の中では何が起こっているのか』を読んだ

効率的に野菜を切る方法を見つけた。ただし二人必要。

A: 野菜を切る人、ひたすら切る
B: 野菜を出したりしまったりする人

という分業をする。たったこれだけなのだが毎日の切りものが5分とかからず終わるようになった。2倍か3倍速くなってると思う。

切っているのはキャベツ、白菜、人参、玉ねぎ、ピーマン、大根など。毎晩翌日の三食分の野菜(弁当A、弁当B、夕食)を切るので一人でやるとけっこう時間がかかるのだが、本質的に時間を食ってるのは包丁を持ち替えたり野菜を出し入れする作業だとわかった。カイリキーみたいに手が4本あれば解決する問題なので、人を二人用意して分業するとよい。

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www.beret.co.jp

『植物の体の中では何が起こっているのか』を読んだ。

植物生理学の専門家とサイエンスライターが書いた本で、内容はわりと平易。しかし高校生物学の知識は要求されると思う。

光合成の仕組み、植物ホルモン、呼吸と代謝の話がおもしろかった。特に、呼吸と光合成が逆反応になっているところ。最終的に、植物の祖先と動物の祖先が同じ単細胞生物だった話にまでなる。

園芸趣味の観点では「頂芽優勢」の知識が実用的だった。太陽に近い芽が優先的に伸びるよう植物ホルモンで制御されている。

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テキスト生成AIへの期待に現実的なものと非現実的なものがある。非現実的なほうはテレパシーを要求していて、自分の頭の中にしかない、言っても書いてもいないことを言語化してもらおうとしているのではないか。AIが人間の脳をスキャンする世界というとSFっぽくて調子がいいが、人文系からはディストピアだとして糾弾されるやつだ。

9/25(月)占いを都合よく使う、利休はきっと抹茶ラテを認めてくれる

朝起きたら背中がひんやりしていた。あまりに冷たくて「ギリギリ生きてますね?」みたいな体調。冷え性の季節が始まっていることを認識した。

 

しいたけ占いをみたら「外に出て身体を動かすべし」「仕事から離れなさい」みたいなことが書かれていた。「そういえば妙に忙しくて最近休めてないよなあ」と思ったので週末に休みをねじ込むことにした。

占いとはこうやって使うものである。建前。ある種のメタ認知として、無理やり自分の行動を変えるのに便利である。しっくり来る助言だけ取りいれるような、都合のいい使い方をしてよい。

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突如として抹茶ラテのおいしさに目覚める。こんなおいしいものがあったなんて。

利休に抹茶ラテを煎れさせるクソコラがあるが、抹茶ラテはほんとうにおいしいので利休も認めてくれるのではないか。認めてくれない場合は180cmの体躯から暴力が飛んでくるであろう。

 

抹茶グッズというか茶碗と茶筅、抹茶粉は持っていたので自分で作ることにした。ふつうに薄茶を点て少量の砂糖と牛乳を垂らすと美味である。苦味と甘味、それを支える乳のタンパク質が一体となって味わい深い飲みものになる。

9/26(火)朝は余裕があってほしい、モバイルディスプレイ

朝、いつもの時間に起きて忙しく支度をしていたら「朝余裕がなさそうだし、早起きするのが向いてそう」と妻氏に言われた。アッたしかに。

というのも私は朝起きやすいタイプで、いつも7時に起きて8時半まで二度寝をしているのだ。妻氏はつつかれても起きないタイプで対極的。

朝忙しいのは嫌なもので、少しのミスで時間がなくなり慌ててしまう。出社時間に余裕は持たせているものの、出勤が遅れるとそれだけ遅く帰ることになる。これもまた嫌なことだ。

もしかして、私は朝型が向いているのか?と気づいて生活を変えてみることにした。

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モバイルディスプレイを買ってみることにした。スマホを繋いで画面を大きくするのが目的。新幹線移動中、会社での日記に用いる。

サブの目的に、同人イベントでの広告表示がある。お品書きとか漫画、イラストを印刷して掲示するのは毎回手間だし、イベントの机は狭くて掲示できる紙の数が限られている。デジタル表示にしてスライドショーさせたら便利なのでは?という考え。すでにやっているサークルもある。

9/27(水)カメムシ飛散予報、我々は卵を食べている、キーワードでテキストを素描する

7時に起きてオリーブの世話をしていたらカメムシが多いのに気づく。マンションの廊下もカメムシがたくさん。まさか……。

会社の最寄り駅を降りたら地面はカメムシの染みだらけ。ベランダ植物についてるカメムシ量でカメムシお天気予報ができることがわかった。

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ディルにも虫がついていた。

にょろにょろ

これはピクルスに使ったディルの余りを水にさしておいたもの。あわよくば発根させてプランターに植えようと思って室温で放置していたらイモムシが発生したのだ。もともと卵がついていたのだと思う。

幼虫のサイズがこれだと卵は相当小さい。卵がついているか見分けるのも難しいので、ふだん我々は卵を食べていることがわかる。よっぽど嫌な人はしっかり洗うしかなさそう。洗うとハーブの香りが落ちるのが悩ましいところ。

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文章の下書きはキーワードを羅列するだけでよいのに気づいた。テキストを書くとき、我々は「何を書くか」「どんな順番で書くか」「どう表現するか」でそれぞれ悩む。これらの作業を一気にやると頭が爆発するので、問題を分割しよう、というわけだ。

キーワードのメモから清書ができる様子

例えばこんな感じ。これは9/29に美容院に行ったときの記録。左がその場で書いたメモで、右が夜に書いた清書の日記。キーワードだけのメモがあれば、あとは思いだして書けるのだが、逆にキーワードも残ってないと細部が思いだせない。

DPZ古賀さんも同じことを言っていた。

「あ、これはいいな」という瞬間が結構あるんですよね。それをメモしておくんですが、1日のメモの数って4個くらいなんです。そこまで多くもないし、使うところと使わないところがあるんです。使わないところを見返すと、たいしたことじゃないことが書いてありますね……。でも、書いておかないと、「面白い」「家の中でのトピックだったな」と思ったことを、本当に忘れちゃうんです。だから、とにかく忘れないように、「こんなことを話した」というレベルのことでもメモに書いています。

DPZ編集部の古賀及子さんインタビュー 毎日日記を書く原動力は「ひとつもわからないけど、なんだか書けちゃって」 - 週刊はてなブログ

 

キーワードがよいのはぱっと見で把握しやすいこと。キーワードで話の「幹」である「何を書くか」「どんな順番で書くか」が整理されているので「どう表現するか」に注力しやすい。

しかしキーワードは消費期限が短い。特に日記だと、数日後にキーワードをみても細部が思いだせなくなってしまう。寝るまで、あるいは翌朝に清書をして「固定化」するのがよい。

日記だけでなく論理的な文章でも「幹」の整理と「枝葉」の表現の工程分けはできる。より「幹」の整理が大事で難しい、というだけ。

9/28(木)かつてない快眠、台所にコーヒーの海

かつてない快眠ができた。水曜日から「7時以降なら目が開いたタイミングで起きる」実験をしたところ、0時にすこーんと寝てしまった。自然な目覚めに従うと夜の寝つきもよくなるらしい。寝入りがよかったからなのか、起きるのも自然で理想的だった。

朝型だったことを知る

もともと私は二度寝に弱い体質である。土日祝日に二度寝をするとたいてい体調が悪くなるのだ。自律神経がおかしくなるのだと思う。なので平日でも二度寝をせずに一度目で起きるべきなのだ。

早寝早起きになって模範的でよろしいが、この睡眠リズムが万人に合うとは思わない。鍼の先生にも「いつ寝るか、どれくらい寝るか、などの睡眠リズムは人によって異なるから、自分にとって最高の睡眠法を模索するしかない」と言われた。

🍪🍪🍪

ところが調子よく朝の時間を過ごしていたらコーヒーをドリッパーごと倒してしまう。台所の作業台からコンロにかけてコーヒーの海ができた。液体だけでなくコーヒー粉末も混ざっていて面倒なことこの上ない。

観念して掃除をしていたら妻氏が起きてきたが驚かれなかった。「圧力鍋のピンを抜いてシチューを噴火させたときほどのことではない」とクールに対応される。

私はたまに大ポカをやらかす。こぼす、こがす、割る、落とす、シチュー噴火。調子がいいときほどぼーっとしていて注意が欠陥するのでコーヒーの海ができるのである。どうしようもないのであまり気にしてはいない。

9/29(金)バカンス実施、頭の整理とメモ帳

休みの日。予定通り「バカンス」にした。

家でゆっくりしたあと美容院へ行き髪の毛のみじかみを得る。そのあと北白川でラーメンを食べ、川端のホームセンターで園芸コーナーを眺めて帰ってきた。

自宅に戻ったら昼寝をして夜になった。大残業をした妻氏と合流し月一社交ダンス指導を受ける。

 

ダンスの先生と姿勢の話をしていたら「家の中でもヒールのある靴を履くと姿勢がよくなる」ことに気づいた。よい姿勢は背骨を立て続けるので、かかとの支えが大事なのだ。

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LogSeqというアウトライナーを知り、調べたが宗派が違うと判断した。私はWorkflowyのままでよさそうである。

なぜなら知識や考えを整理するには木構造のアウトラインがあればじゅうぶんだから。

人間にとってわかりやすいデータ構造は木構造である。木構造とは本で言うと章、節、段落みたいな構造のこと。あらゆる本、お話が木構造になっていることからも、普遍的な把握方法なのがわかる。

 

高度なメモ帳には、タグでドキュメントを横断管理する仕組みがあるが、タグをつけただけでドキュメント群が構造化されることはない。タグのついたドキュメント相互がどんな関係にあるのかはタグ付けだけでは表現されないし、タグをたくさん含む長いドキュメントがリンクされても何が関連するのかわからない。結局、人間が整理する必要がある。

タグに価値があるとしたら「忘れてしまったドキュメントを掘り起こす」機能だろうか。構造化ではなく、偶然性による知識の再発見である。Scrapboxなんかはそういうデザインになっていると思う。タグをつけたら思わぬドキュメントが発掘される体験。しかし忘れているのなら「今ここ」では必要のない知識なのだと思う。

これは私の思想だが「脳は必要なら必ず思い出す」はずである。具体的な名前が出てこずとも「あのときのあれ!」という感覚で想起される。

そう考えると、複雑なメモ帳を好む人は、忘れることを恐れているようにも思われる。「必要なら必ず思い出す」とは対立する考え方だ。

ものごとは忘れてしまっても構わない。それよりも、「今ここ」で整理することが大事である。混乱した頭を、テキストを使って整理するのが書きながら考えることの本質なのだ。

中秋のめん月

週報 2023/09/24 パンが爆発、京都ではいまカメムシがモードを牽引している

9/16(土)発酵ピクルス

なんとなく朝マックをしてみた。昼夜のハンバーガーではなく朝マクド(多様性表記)じゃないとダメな日もある。

食べてみたら脂が多くて驚く。北米では朝からファットなものを食べるのがふつうなのか、だから彼らは余裕で100kgを超えるのか、など疑問が尽きない。何かに惹かれて食べたのにそういうことを思った。

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マクドナルド連想が働いたのかピクルスを食べたくなる。我が家の場合、「食べたい」は「作って食べたい」を意味する。北米のハンバーガーで使われるピクルスはディルピクルスという。ハーブのディルでキュウリを漬け込んだもの。

www.sozainochikara.jp

ふつうは酢で作るが、我が家の流儀だと発酵させて作る。酢漬けの漬物はここ100年くらいの間に簡略化されたレシピであり、本来は発酵させるものなのだ。それに、発酵させたほうが風味が豊かになってうまい。

soraironote.com

作り方は簡単で、ザワークラウト等と同様に2%〜3%の塩水に漬けるだけ。漬物はぜんぶこれである。野菜を何のハーブや香辛料と合わせるか、にアレンジの要素があるだけ。

キュウリの場合は中心部が分解されちゃう問題があるらしい。もともと水99%みたいな野菜なのでたしかに弱そう。

対策はタンニンを添加すること。この記事では柿タンニンを入れているが、お茶でもよいらしい。スウェーデンのピクルスはディルのほかにブドウの葉を入れている。おそらくこれもタンニン源である。赤ワインの渋み(タンニン)はブドウの皮や茎から出るので。

翌週(23日)に仕込んだもの

9/17(日)名古屋遠征、臭い川、味噌の国

朝から名古屋へ。コミティアで本を売る。
1時間で会場について不思議な気分になる。インテックス大阪で開かれる関西コミティアは京都からだと1時間半かかる。南港とはいえ大阪より名古屋のほうが近いとはどういうことなのか。

地方都市感

名古屋は不思議な都市だった。大都市のはずなのに地方都市っぽい雰囲気がある。背の高いビル、繁華街があるのは一部の地域だけであとはのっぺりと住宅街、商業施設が広がっている。鉄道も本数が少なく駅は古びている。なるほど車社会になるわけだ。

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イベント会場横の川が臭かった。

いい景色なのにすごい臭い

この川は人工河川らしい。江戸時代に開削された運河のようなもので、別の川からちょろちょろ水を流している。開削当初は淡水魚をとって食べられるほどまともな水質だったが、文明が進むにつれて汚濁が進み60年代には「死せる川」とまで呼ばれる。さすがに社会問題になり対策がなされ、今は昔に比べて綺麗になっているらしい。めちゃ臭かったが。

原因は水源不足。自然の川ではないので、山から出てきた水が流れているわけではないのだ。自然河川よりも人間の排水の量が多いので、どうしても汚くなってしまう。もちろん下水をそのまま流しているわけではないのだが、合流式下水道があるため大雨が降ると汚水が流れこんでしまう。浚渫や水源の確保など対策はしているようだが、まだ臭いは取れなさそうだった。

堀川はなぜ汚れたか

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終わって名古屋の友人と味噌煮込みうどんを食べる。

味噌の洗礼をうけた

本当にあらゆる料理に味噌がかかっていて驚いた。素材の味+おいしい味噌という世界観で、土台となる料理が多少薄味でも味噌ですべてを挽回するスタイルらしい。実際味噌はうまいので成立してしまうのだった。

 

本場のコメダ珈琲店にも行く。京都のそれと違って落ちついた雰囲気だった。コーヒーを飲みながら豆をボリボリ食べ、人生の話をした。30代の人間が集まると必然的に人生の話になる。

9/18(月)根かき失敗、パンが爆発

秋になったのでオリーブの植え替えをする。「引っこ抜いて新しい鉢に入れ、土を足すだけ。簡単でしょ〜」と思って臨んだら失敗した。

石みたいになってる

根鉢(根っこと土が塊になったもの)がカチコチになっていたのだ。本来は根っこと土をほぐして植え替えるのだが、硬すぎて手ではほぐせなかった。「思ってたんとちがう!」と混乱し、何もせずに新しい鉢に入れてしまう。

正解は「根かき」と呼ばれるフォークみたいな熊手を使うこと。装備が足りなかったので来週やり直しになった。

このまま放置して植え替えたことにしてもいいのだが、できれば根っこは整理したほうがいい。根っこが詰まっていると根腐れや生育不良につながる。地植えなら根かきは不要なのだが、地植えは地植えで病気や雑草のリスクが高くなる。植物のお世話もなかなか手がかかるものだ(たのしい)。

これでガリガリやる

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四条烏丸でいろいろと買い物をし、カマルでカレーを食べた。カマルのサービスはちょっと悪くなっている気がする。インフレの余波だろうか。

ぷくぷく

家に帰ったらパンが爆発していた。二次発酵をしかけて出かけ「そろそろやばいかな?」という時間に帰ってきたらとっくにやばかった。発酵しすぎたパンはアルコール臭がしておいしくない。でも、もう元には戻らない。悲しみながらそのまま焼いてみた。

発酵が均一でよろしい

すると意外とちゃんとできていた。生地が均一に膨らんでいてモチモチフワフワである。発酵しすぎなのではなく、発酵量は適切で生地が多すぎただけらしい。おいしかった。

パンは生きている

9/19(火)京都ではいまカメムシがモードを牽引している

もう京都新聞のニュースにもなっているが、京都はいまカメムシがアツい。トレンドである。同僚も、おばちゃんたちもカメムシの話をしている。

我が家は日曜日くらいにカメムシが多いのに気づいた。名古屋から帰ってきたらマンションの廊下にたくさんのカメムシがいた。翌日もカメムシの波は引かず、むしろ勢いを増すばかり。そして火曜日になるとカメムシブームは最高潮に。

東洞院のパスタ屋の窓ガラスのカメムシ

知らないマンションの入り口にたくさん。

カメムシ集団のそばにヤモリもいた。

たすけてくれ。

🪲🪲🪲

川に人が飛び込んだ件でカメラマンは「飛び込みを勧めるものではない」と繰り返し言っていて、飛び込んだ人は「たくさん中傷された」と言っていた。

ある種の愚行権であり、好きにすればよろしい。あの写真に美があるのは明らかであり、あの場でそうしてしまう人がいるのも自然である。感染症で死のうがその人の責任であり、わざわざ大勢で「やってはいけない」と言う必要ない。ましてや中傷する必要もない。なんでただ川に飛び込むことについてとやかく言われなければならないのか。

 

「真似をする人がいるから表現すべきでない」という批判様式はよく見られる。たしかに「自殺の具体的方法、詐欺の手法などを公衆配信すると社会的に問題が生じる」とは言える。しかし真に個人の自由を尊重するならば、あらゆる判断をその人に任せるべきなのだ。

「子供が真似をするからダメ」は言えるかもしれない。これは子供の判断能力を信じていないのだが、欧州だと当然とされる価値観である。妥当性はあるとは思われるので、安易には否定しにくい。

ということは、これはゾーニングの問題である。紙の時代は報道の気配りだけでゾーニングがうまく機能したが、今はあらゆる情報があらゆる人に届きうるので問題になっている。インターネットで揉めている問題は半分くらいがゾーニング問題に帰着する。

表現を自由にしておく派閥としては「情報の受け手(スマホを持つ人)の判断能力をAIがテストして「適切な」情報だけを届ける」というディストピアしか思いつかない。逆に今インターネットで流行っているのは炎上の圧力で表現を変えさせる全体主義的なディストピアである。どっちもダメそう。

9/20(水)奇声の主

会社から帰ってきたら同じ階のおばさんと鉢合わせになる。無言でエレベーターをやりすごし、そそくさと自室に入った。

「これがいつも聞こえる奇声の主か」とか思われただろうか。いつもじゃないけど「ピャー」とか言うことがある。

🐛🐛🐛

19時くらいに退勤しようとしたらやばやばバグが見つかって祭モードになる。同僚と通話をしながら原因の特定と対処をしていたら21時になった。げっそり。

途中で抜けて夕食は食べたからいいのだが、モルモット氏のごはんがまだだった。かわいそうなので野菜を多めにやる。モルお世話より優先される仕事なんてないのだから、通話を聞きながら餌をやればよかったかも。

はよえさくれ

9/21(木)水やり三年、苔はり十年

調子の悪いオリーブのことを考えていたら「水のやりすぎ」なのに気づいた。

私はなんでも習慣化してしまう悪癖があり、スマホゲームのログインボーナスを意味なく数年続けてしまうことがある。同様にオリーブに毎朝水をあげる習慣を作ってしまったが、本来、水やりは「土が完全に乾いたらたっぷり与える」が原則である。乾燥地方で育つオリーブに水をあげまくると根っこが呼吸できなくなる。葉っぱが黄色くなるわけである。

ちなみに「土が乾いたら」の判断はとても難しい。「水やり三年、苔はり十年」と言われているくらいには。

一概に「何日経ったら土が乾く」とか言えなくて植物の種類、土の性質、その土地の気候、天気などによって変わってくる。観察して経験を積むしかない。

🫒🫒🫒

水やりも植物の世話一般もYouTubeに知識が溜まっている。週報 2023/08/13の「広告が増やす知識」に書いたとおりだ。動画の世界にしかない知識があるので、手っ取り早く知識が欲しいならばYouTubeは避けて通れない。

しかし私は動画が苦手である。投稿者によっては内容が冗長だし、喋りかたがうるさいのに有用な知識を持ってる人なんかもいる。何より時間がかかる。倍速再生とかスキップを駆使するしかないのか。

9/22(金)バカンスで光合成

バカンスが必要なのに気づいた。

この頃妻氏も私も働きすぎである。有給はぜんぜん取ってないし遅くまで残ることも多い。我々はやる気のない不良社員だったはずなのにどういうことなのか。

よくないので意識的に休むことになった。休みを合わせられたら理想だが、忙しいなか隙をみて休むことになるので無理であろう。個別に休んでいく。我が家での「バカンス」とは予定のない日に家でぼーっとすることである。モヤシ人間は休みだからといって旅行なんかしない。かといってゲーム等で一日を埋めることもない。家でぼんやりしていたら光合成か何かがされて充電されるのである。

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窒化鉄フライパンはガシガシ洗ってよい、という情報を見つけた。

プロが教える【鉄のフライパンのメンテナンス】窒化鉄フライパンRosso - YouTube

なぜなら鉄フライパンより硬くて錆びにくいから。たしかにタワシでこすっても油膜が落ちた感じはしない。

真似してよかったのは裏面をしっかり洗うこと。火がよく入るようになった。フライパンは裏面の汚れ方で熱伝導率が変わってくるらしい。

www.prokitchen.co.jp

🐰🐰🐰

日記を書こうとして書けない状態になることがある。頭にゴミが溜まっていてデフラグ(死語)が必要、みたいな。

こういうときはメモ帳に「う〜疲れたなんも書けないよ〜」と書くと頭のゴミがなくなる。不思議なことに頭の靄は文章にするとどっか行くのだ。

ADHDの人が「やるべきことがあるのに机の上にでっかい信楽焼の狸が置いてあって何もできなくなる」と言っていた。これと似たような状態が「う〜」であり、私の場合はテキストにすると狸が里に帰ってくれるのだと思う。

週報 2023/09/17 容れ物を替えると商売になる、おかずコミット、人類の宿痾

9/9(土)広島風お好み焼

歯医者で定期検診。合格だが磨けてないところもあった。右利きだと右下内側の歯が磨きにくいらしい。両利きになればいいのか?

フッ素の喪(30分)が開けたらベローチェでヤケクソピクルスホットドッグを食べた。

ヤケクソ量のピクルス

🪿🪿🪿

夜はお好み焼きを作った。広島風である。
ポイントは粉と水を目分量で合わせること。広島で生まれ育った者なら、目で見て適切なとろみがわかるはずである。袋に書かれた比率で混ぜると余ったり硬すぎたりするので、目で調整するのがいちばん。

ホットプレートがあるとかんたん

「広島焼」という呼称の問題がある。私はもう慣れたが、関西に出てきて「広島焼」と言われたときには少しイラッとしたしびっくりした。広島→広島人みたいな連想が働くのかもしれない*1

9/10(日)狩猟民族のナイフ、所属感情の問題

プーパーピーナイフ

先日買ったピーリングナイフが大活躍している。果物は剥きやすいし、にんじんをちょっと削ってモルモットに与えるのにも使える。ナイフは大きければよいものかと思っていたのだが、逆に小さいほうが便利なこともあるらしい。このナイフは刃渡り6cmである。

「小さいナイフなら銃刀法に違反せずに携帯できて便利なのでは?」と思った。しかし調べてみるとどんなサイズの刃物でも職質を受けたら逮捕される可能性があるらしい。軽犯罪法でしょっぴかれた人、裁判をしている人の記事が出てくる。日本だと合理的な理由があってもナイフを持っているだけで逮捕される。そういう安全観なのは知ってるけども不便そうである。

『嫁はフランス人 2 p.100』

🧶🧶🧶

よくインターネットでは意見🅰️と🅱️に分かれて運動会をしている。二元論である。
なんでそうなるのか不思議だったのだが「所属感情」という仮説を思いついた。「ぜったい🅰️に決まっている!」とポストすると🅰️を支持する人たちからいいねがついて所属感情が満たされるのだ。

これまでインターネット上の人間たちを批評するのに「コミュニティ」という言葉が使われてきたが「所属感情」と言ったほうが直接的でわかりやすいと思う。「コミュニティ」には「所属感情」以外の要素もあるかもしれないけど。

9/11(月)容れ物を替えると商売になる

巨大な味噌を注文した。我が家では750gの味噌が二週間でなくなる。昼も夜も味噌汁を食べているせいだ。

3月末に味噌のパックを10個くらい買ったのだがもうなくなってしまった。注文せねばならない。

www.tamanahamiso.co.jp

今回は3kgの樽にした。存在感があっていいと思う。

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ほんの少しの加工をし、ものを詰め替えると商売になる。

  • ペット用牧草: 北米から輸入した牧草を袋に詰め、パッケージにモルモットかうさぎを描く
  • 刻みネギ: 地域のネギを切ってプラ容器に詰める
  • オリーブ専用土: 軽めの土をpH調整して混ぜて袋に詰める
  • 知識: 読んできたものに少しだけ思索を加えて本にする

DPZにOPP袋にものを詰めると商品になる、という記事があったがあれと同じ。ほとんど加工をせずに容器を変えるだけで、商品でなかったものが商品になってしまうのだ。詰め替えによって付加価値が生じている。

dailyportalz.jp

ものをいじらない商売には他にも輸送がある。香辛料をインドからヨーロッパへ運ぶと付加価値で大聖堂が建つ。現代の輸送コストは安くなっているが、それでも輸送だけで食っている人は多いと思う。

さらに考えを進めると「お金を詰め替える」「お金を動かす」という形態に行き着く。お金というか株式をパッケージにまとめて詰め替えたらETFができる。お金を動かしているだけの商売といえばFXだろうか。

 

「情報の詰め替え」は上述のとおり本である。知識人がやっていること。テキストサイトやブログもあるかもしれない。「情報の輸送」はもともとは活字だったが、今ではインターネットである。非常にコストが安くなっている。輸送するための情報、元ネタは誰かが生産している。ニュースであれば記者の労働である。誰かが人生の経験を言語化したものもありうる。

 

「詰め替え」は消費者の用途に応じたパッケージングを目的としている。消費者自身で労働をせずにそのまま使えるようにする。そういう細かいところからもお金をとる状況になっているということだ。

めんだこの原価は0円よオホホ

9/12(火)おかずコミット

会議をしたら私の仕事が4つも5つも増えていく。たすけてくれ〜。

👾👾👾

チームで雑談をしていたら「Pull Requestを読みやすくするには、どのコミットがハンバーグなのか示すようにしたらいい」というアイデアが出てきた。書いた人はどれがメインのおかずで、どれが添え物のパセリか知っているので説明しちゃえばいいのである。

実際のコードレビューで試したらとても便利だった。変更意図が一発でわかるので、大事なところのレビューに集中しやすい。

 

ところでパセリは添え物としてよく捨てられるが、あれはいかんと思う。私はパセリみたいな変な味の草を好む。捨てずにむしゃむしゃ食べる。茎も残さない。パセリがかわいそうなのでぜひ食べてやってほしい。

今週のモルモット

9/13(水)いいカメラで記録する、『おしゃべりな脳の研究』

同僚がiPhone 15を買うか悩んでいたので「お子さんの生育過程を残すのにできる限りいいカメラを使ったほうがいいですよ」と悪魔の囁きをした*2

しょうもない理屈ではあるのだが、意味はある。成長中の子供の様子はその場限りのもので、時間が経つと失われてしまう。思い出として写真や動画が残るのだ。その解像度は大事だ、と言える。

ペットも同じだ。たいていのペットは人間より短命である。犬猫であっても20年経ったら死んでしまう。死んだら骨と写真とビデオしか残らない。だからペットの死のためにカメラをよくしておく、という理屈は成り立つ。

 

もちろんスマートフォンである必要はない。巨大なレンズのカメラとかコンデジがあるなら、そちらを使ったほうが美麗な画像が残ると思う。だが、なぜか我々はスマートフォンで撮影してしまうのだ。私もGR3を持ってるのに、もるちゃんを撮影するときはいつもiPhoneである。不思議なことだ。

🙀🙀🙀

『おしゃべりな脳の研究』を読み終わった。

「内言」や「聴声」などの頭の中で聞こえる声についての研究をまとめた本。

「内言」とは自分自身と対話するときに使われる頭の中の声のこと。私には内言もないのでよくわからないが、おそらく自分の声で聞こえるのだと思う。

「聴声(hearing voice)」とは頭の中で何者かが自分に話しかけてくる現象である。ふつう幻聴と呼ばれるものだが、幻聴ではなく聴声と呼ぶ人たちがいる。統合失調症というラベルを押しつけられるのではなく、聴声とうまくつきあっていこう、という運動が諸外国で起きており、hearing voice movementと呼ばれている。

聴声の原因は幼少期のトラウマである可能性が高いようだ。「声」とうまくつきあうためにも自己との対話、トラウマに傷つき分離してしまった自分のなかの他者を認める必要がある。このあたり、とても精神分析的である。

 

聴声者の話はおもしろいのだが、本書は死ぬほどつまらない。というかまともに読める本ではない。

一番問題があるのは著者で、小説家でもあるらしいのだが書き方が下手で何を言っているのかわからないところが多かった。読書メーターの感想でも読みにくいと言われており、ひどい本であることがわかる。翻訳書だが出版社はみすず書房。ちょっとみすず書房の評価が下がった。

9/14(木)頭を空っぽにしたい、土井先生は油に弱い

鍼へ行くとストレスを指摘された。自覚はなかったのだが、たしかに疲れている。それに仕事が忙しくてやる気を70%くらい出してしまっている。ふだんは30%くらい。お仕事は締切がだんだん近づいてきていて、締切前に夏休みの宿題パニックをしたくないので徐々に本気を出しているのだ。でも、私は晴耕雨読タイプの人間なので別にがんばりたくはない。毎日確実に30%の力を出して気づいたらなんかできてた、みたいなやり方が好みなのだ。70%出してたら翌々日には5%になるかもしれない。人間無理せんほうがええ。

 

ストレスの解消法はシンプルだ。鍼の先生によると運動と睡眠のどちらかしかないそうだ。頭を空っぽにすればいいのである。運動をすれば血が脳から抜けていくので自然と空っぽになる。血流もよくなって最高。しかし運動は面倒なのでなかなか定着しない。寝るほうが簡単かと思いきや、どの時間を削るか、という話になりこちらも難しい。

 

頭を空っぽにするなら酒はどうだろうか?アルコールで頭がぱっぱらになってくれる。いいのでは?

当然副作用のほうが多いと思われる。基本的にエタノールは毒物である。

フレンチパラドクスといって、ワインを飲むフランス人は肉食なのに心臓病になりにくいという統計的事実がある。なぜそうなるのかというと、ワインのポリフェノールが健康に効いているのでは、という仮説で説明される。もっともらしくワインを飲む口実になるが、ポリフェノールを食べたいのであればブドウをたくさん食べればよろしい。他にも渋柿やお茶にも入っている。

やっぱり運動とお茶しかないのか。

👒👒👒

疲れて土井善晴動画を観たら癒しになった。土井先生はすぐ誘惑に負けて油をドバドバ入れるのだ。

ダイエットはええからごま油入れますわ

9/15(金)人権としてのスマホ、人類の宿痾

iPhoneのページを見ていたらおもしろい契約を見つけた。

iPhone 15 Proを金利0%、36回の分割払いで購入できます。24ヶ月目に新しいiPhoneにアップグレードすると、残りの分割払いが不要に。

36回払いなのに24ヶ月目にiPhoneを買い換えたら残りの12ヶ月ぶんがチャラになるのである。直観的にはお得な感じがして意味がわからない。

Legal - iPhone 36か月分割払いオファー – 利用規約 - Apple

もちろん無料だとかそんなうまい話ではない。この仕組みは「公式下取りプログラムを使って12ヶ月分の料金を相殺する」だけのものである。なので2年後のiPhoneが少しでも壊れている場合は、12ヶ月分チャラオプションは発動できない。

3年ローンにすると5千円/月になってお得に見えるが、トータルで支払う金額は変わらないし、下取り金額もiPhoneの使用状況で決まる。一括で購入して下取りプログラムを使っても全く同じ状況になるのだが、見かけの支払額が違って心理的には安く見えるのだろう。

しかも2年後にiPhoneを買い換えないといけないからまた出費になる。一度この仕組みに入りこむと、永続的にiPhoneを5千円で借りるような状態(リース契約)になるのだと思う。よくできている。

🦊🦊🦊

今やスマートフォンは人権だ。我々はアプリを通してサービスを受ける。お店のポイントカード、行政サービス、買い物、なんでも。これらのアプリはある程度最新の機材しかサポートしてくれない。我々にはスマートフォンを買い替える「義務」がある。たとえ高額なローンを組むことになったとしても。

紙による手続き、紙による掲示などは最後の砦になっている。たとえ非効率だとしても公共性の高いところでは紙を残さないといけない。もしそれすらやめるのならば、法律でスマートフォンの所有を義務付け、維持できない人には補助金を配る、という話になるだろう。

🦊🦊🦊

久しく更新が滞っておりました.....実は3月の半ばくらいから、人類の宿痾、腰痛に悩まされておりました。今は快方に向かっています。重力に対して頸椎脊椎を垂直に立てている動物はあまりいないと思いますが、人間はその上、重たい頭を支えています。腰痛は進化の代償とでも言うべきでしょうか。

カタクリとニリンソウ | 断箋残墨記

インターネットを彷徨っていたら変なブログを見つけた。人類の宿痾、腰痛。まさに。脊椎を立てて人類は繁栄したがそのせいで腰痛という宿命を負ったのである。

*1:広島人を焼くと言えば原爆ですね……

*2:買うことになったらしい

週報 2023/09/10 プーパーピー、数字があるとわかった気になれる、こばらがすいたらクッキー1枚

9/2(土)飼い主は餌やり機

7時に起きて二度寝をし、一日がめちゃくちゃになった。二度寝をすると自律神経がバグる感じがする。

 

スナネズミへの郷愁に駆られて売っている店を探す。京都市にはいなかった。やっぱりレアな動物らしい。『動物のお医者さん』が放映された当時はどこでも手に入ったのだろうか?

デグーならよく見かける。なんでデグーは人気なのかはよくわからない。「懐く」のがいいのだろうか?たしかにそんじょそこらのネズミよりは賢いけれども。

小動物が「懐く」のも疑わしい話だ。相当高度な動物にならぬ限り、彼らにとっての飼い主は餌やり機である。犬猫、鳥のレベルだとコミュニケーションが可能で「こいつが撫でるのは許さん」とかあるけれども、モルモットほど高度な動物でも個体の識別をしているようには思われない。私は🥕🫑出し機である。

🌽🌽🌽

昼はイタリア料理店へ行きパスタを食す。隣の席にやってきた中年夫婦がパスタをラーメンみたいにすすっていてびっくりした。

OKURA-IKURA🍝

午後は週報原稿。やる気が出なかったので散歩をした。本屋へ行きまた積み本を増やしてしまう。スタバでカフェミストベンティエスプレッソチョコ追加を買った。カフェインパワーで書きものを進める。

9/3(日)プーパーピー、砥石には相性がある

週報の清書と読書をしたあと、午後から外へ。漬物容器とピーリングナイフを探しに出かけた。

ピーリングナイフとは皮剥き用のナイフである。玉ねぎ、ニンニクの薄皮を剥くのに重宝する。果物にも野菜にも使える。料理系のYouTube動画をみていると本職の人、フランスの料理人が使っているのを見かける。

www.amanofoods.jp

このナイフを求めてハンズと百貨店を巡ったがどこにもなかった。そもそも日本のメーカーはあまり作っていない。無理もないか。仕方がないのでインターネットで買うことにした。

しかしこのナイフ、名前が安定しない。

  • ピーリングナイフ
  • パーリングナイフ
  • シェービングナイフ
  • シャトーナイフ
  • ペティナイフ

という名前で同じような形のものが売られている。プーだのパーだのどうなっているのか。

peeling, paring, shavingは剥いたり剃ることを意味する。シャトーはお城のことだが、フランス料理にはシャトー剥きという野菜の剥き方がある。そのためのナイフだからシャトーナイフ。ペティナイフはフランス語のプチ(petit)から来ていて、小さいナイフという意味。つまり総称である。皮剥きナイフは小さいのでペティナイフ集合に入るのは正しい。なので、本当にぜんぶ皮剥きナイフである。ややこしい。

上が13cmペティナイフ、下が6cmピーリングナイフ

結局ドイツ製、ヴォストフのピーリングナイフを買った。ビクトリノックスでも良かったが、見た目を重視した。安っぽいプラ製のは好まない。

梨の季節ですね

🫧🫧🫧

百貨店の包丁コーナーを眺めていたら婦人と店員の会話が聞こえてきた。
「鋼の包丁には砥石の相性があって……」
なんだって!?なにそれ知らない……。

砥石の選び方 | 燕三条製包丁の藤次郎株式会社|TOJIRO JAPAN

たしかにあった。鋼は堅めのピドリファイド製法、ステンレスは柔らかめのレジノイド製法、と覚えておけばよさそうだ。

つまりそれってなんなんや。

砥石の性能を決める3要素 | 堺打刃物 株式会社高橋楠|包丁の製造卸

  • ピドリファイド製法: 焼いてあるから硬い
  • レジノイド製法: 練ってある、浸水の必要がない

つまり従来の水に浸す必要のある砥石は硬いタイプであるようだ。

 

有名な刃の黒幕は浸水がいらない砥石である。つまりあの砥石はステンレスを研ぐのに向いた製品らしい。この世の包丁の99%くらいはステンレスなのでたしかにそれでよい。しかし我が家の包丁は鋼のものが多い。

私はこれまで#2000の刃の黒幕で包丁のメンテナンスをしていた。「なんだか包丁の切れ味が微妙だなあ」と思っていたのだが、それは砥石の相性だったらしい。

改めて#1000の焼きもの砥石を使って研いだらよく切れるようになった。無知だった。

9/4(月)朝ダメだと一日ダメ、コンテンツ生産の非対称性

起きたとき休日だと思っていた。何度もアラームを延長する。8時40分に妻氏が起きたとき「なんで休日なのに早起きしているのだろう?」と思った。月曜日である。

体調は悪かった。血圧は100をきっていて、まともに起きられる値ではない。夕方の鍼でわかったように、冷えていたのだ。働くべきではなかったのかもしれない。こういうときに休む判断ができないがち。

🌼🌼🌼

鍼で五臓のうち四臓の弱まりを指摘される。エアコンで冷えている。京都と温暖化が悪いので対策が難しい。鍼の先生によると、冷え性人間は夏でもレッグウォーマーをつけて寝るとよいらしい。冷えは手足から入るため。

 

朝の体調の悪さは挽回できるのか?訊いてみた。

「朝起きたとき、その日の体調がどうなるかはだいたいわかるものですが、体調が悪い朝は二度寝で挽回できますか?」
「だいたい無理なのでどうしようもない。もし脈診ができたらお灸で対処できるけれども」
「脈診ていちばんむずいやつじゃないですか」

脈診は鍼灸医でも習得していない人が多い。手首の脈から健康状態を把握する謎技術である。
つまりダメな日はずっとダメなのである。休むのがいちばん。

🌼🌼🌼

日記でもなんでも、テキストを書くにはそれなりに時間がかかる。3千文字書くと30分から1時間くらい。5千文字となると1時間を超えるかも。

それだけ時間をかけても読まれるのは一瞬なのだ。漫画に劣らずテキストにもそういうところがある。

趣味だからいいのだが、コンテンツ生産の非対称性はすごい。

しかも、読みやすくなるよう腕を磨くほど一瞬で読まれるのだ。たとえ技術が向上しても生産にかかる時間はそれほど縮まない。漫画も同じ。それでも生産しちゃうのは暇だから。

この世にコンテンツが溢れているのはみんな暇だからである。あるいは欲望があるから。

またぬいぐるみが増えた

9/5(火)数字があるとわかった気になれる、『芸術のパトロンたち』を読んだ

出社して会議をたくさんこなす。合間にそうめんトークをした。食べものの話は外れない。

夜、ジムへ行くつもりだったがサボる。急にバグ報告が来たため。火曜日は妻氏とジムへ行くことにしているのだが、この日は妻氏も会社を出るのが遅れてすべてがダメになった。

🦡🦡🦡

転職、婚活でも何でもそうだが、人と人をマッチングさせるシステムはコネを抽象化したものである。コネで人を斡旋するとき「この人ならその要求に応えられそうかな」「この人となら合うんじゃないか」という判断をする。つまり審美眼が働いている。

審美眼は属人的なスキルである。たくさんの人をマッチングさせるには使いづらい。だからコネによる人の斡旋を民主化し、社会全体で効率的なマッチングができるようシステムが作られているわけだ。しかし今のレベルだと審美眼を抽象化できていないので、このシステムはそんなにうまくいかない。数値化しきれるかというとそんなことはないし、レジュメをたくさん書かせるならばそれは抽象化できていない。現状では「目」が必要である。

Temple Grandinは「作ったものを5秒見せたら腕前はわかるものだから、(売りこむために)見せてしまえばいい」と言っていた。たしかにその人の作ったものをみたら仕事ができるかはわかる。テキストでもプログラムでもそうだ。イラスト、漫画でもわかるだろう。

問題は選ぶ人が詳しくないとき。目を肥やしてないとものを見ても価値はわからない。どれも同じに見えるのだ。だから、目を養ってない人にとっては完全でなくてもよいから数値評価が欲しいのかもしれない。それがどんなトラブルの原因になるとしても。例えば年収とか。

どうやって目を養うか、は古い問題である。昔から多くの人が「いいものをたくさん観察しろ」と言っている。今もこの箴言は有効なので、本当にそれしかないのだと思う。

🦡🦡🦡

『芸術のパトロンたち』を読んだ。

文章が上手な稀有な本。真に上手だった。格調高いテキストで芸術のパトロンの歴史について語られる。正直なところ芸術のパトロンにあまり興味はなかったのだが、よい文章なのでそれを目当てに読んだ。結果、芸術家とパトロンの関係の変化だけでなく、芸術家の趣向・役割の変化まで理解させられてしまった。芸術史としてもよい本である。

おもしろかったのは批評家の役割。フランス革命を契機として芸術が王家のコレクションおよび公共事業から、ブルジョワの自慢の道具に変化していった。しかし成り上がりの市民に教養などない。無学な市民たちのために美術作品の価値を説明したのが批評家だった。

この傾向は1980年くらいまでの日本にもあったように思う。戦後の労働者は岩波文庫ビニ本を同時に読んでいた。当時はまだ教養への憧憬があったのだ。教養ある専門家たちがいて尊敬され、批評家も活躍していた。それは芸術における批評家と同様に、ハイカルチャーへの注釈の意味があったのだろう。

今は批評家が必要とされないと思う。かつての憧憬はもうない。専門家もSNSで手が届くところにいる。距離が近く、ただの人間である。お高いところに留まっていなくて、大衆のほうへ擦り寄ってくるのが今の専門家。そこに教養人としての格はない。

www.iwanami.co.jp

9/6(水)血糖値管理の時代

朝の血圧でも一日の体調がわかる。不自由な労働者である私は決まった時間に起きなければならない。無理やり起きたときの血圧で、まだ寝ているべきだったかどうかがわかるのだ。この日は上の血圧が96だった。ダメな日のはじまり。

 

午前は会議をして雑務。午後に入ったら急にお腹が壊れた。不穏である。
また会議をして家に帰りぐったり。そのうち回復したらドキュメントを書いた。

🐈‍⬛🐈‍⬛🐈‍⬛

『やせたい人はカロリー制限をやめなさい』という怪しい本を読んでいる。この手の本は赤線が勝手に引かれていて文章がひどいのが相場だが、知識は得られるのでがんばって読む。

 

本の主張は「摂取カロリー<消費カロリーでやせるのではなく、インスリン=血糖値のコントロールでやせる」というもの。北米のナントカ学会か何かのお墨付きの理屈らしい。

なぜインスリンが大事なのかというと「血糖値があがる→インスリンが分泌されて細胞に糖が取りこまれる→余った糖が脂肪に変換されて蓄積される」というシステムがあるから。

インスリン | e-ヘルスネット(厚生労働省)

裏取りをしたところ、たしかにそうらしい。

カロリー制限の時代も糖質制限の時代も終わって、血糖値管理の時代のようだ。主に食べる順番の話なので現実的だと思う。

9/7(木)こばらがすいたらクッキー1枚

ちょっと自律神経がダメな感じ。中途覚醒もあったし季節の変わり目な感じがする。気温が下がってきているし、秋が落ちつくまで耐えるしかないのだろう。

久しぶりに自転車で通勤し、夕方まで実装業務をしていた。

午後から腹筋がときおり痙攣する不具合に遭遇し困惑する。瞼の痙攣はたまにあったのだが、腹筋は初めて。しばしば自律神経をやってしまう妻氏によるとよくあるバグらしい。慣れるとのこと。うーん不随意で気持ち悪い。

🐢🐢🐢

炭水化物に油脂、タンパク質を合わせると腹持ちしやすい、という知見を知った。例えば、白米だけを食べてもすぐに消化されてお腹が減ってしまう。ガーンと血糖値があがってすぐに下がっていくのだ。だから炒飯のほうがまだよい。ゆっくり消化されて血糖値が下がりにくくなる。

この日の深夜にお腹が減ったとき、洋菓子を一つだけ食べてみた。バターと小麦粉と卵なので上記の理屈と合う。実際にピタリと空腹感が止んで驚いた。いつもは小さめのインスタントヌードルや冷蔵のごはんを食べては「足りないなあ」と思っていた。必要なのはクッキー1枚だけだったらしい。

非常用おやつを用意した

9/8(金)濃いお茶が増えてる、starfield

お腹ぴくが辛くて早めに寝たらよい睡眠が取れた。元気に労働して実装をしまくる。

夕方にスーパーへ行ったら肉だけのつもりだったのに三千円もいろいろと買ってしまった。家に何があって何が足りないのかおおよそ覚えており、スーパーの棚へ行くと記憶(イメージではない)が蘇るのだ。いつも予想以上の買い物をするので自分で驚いてしまう。

🐏🐏🐏

このごろ自販機やコンビニで濃いお茶を売っている。苦いものは好みなのでよく買う。この手の濃いお茶はどの会社の商品でも、機能性表示食品でありカテキンが体脂肪を減らすと主張されている。

 

機能性表示食品の申請書類を見つけた。

様式Ⅰ:届出食品の科学的根拠等に関する基本情報(一般消費者向け)

ガレート型カテキンはリパーゼを阻害する可能性があるとのこと。なーるほど。
つまり濃いお茶の目的はこのタイプのカテキンの濃度を特定の領域まで高めることのようだ。それで結果として濃いお茶になっているのだろう。

ところで、リパーゼとは主に十二指腸で脂質を分解する酵素である。リパーゼのはたらきを阻害するということは、食べた油がそのまま尻から出てくることを意味するのではないか。

Xで「濃いお茶 お腹」で検索してみる。壊れる人はよくいるようだ。未消化のものが小腸へ流れるのだから無理もない。

緑茶が糖尿病を改善? 緑茶の新たな健康効果 糖尿病を悪化させる悪玉タンパク質を低下 | ニュース | 糖尿病ネットワーク

それとは別にインスリンの分泌を抑制する効果もある。こちらは肝臓で作用するとのこと。であれば、炭水化物が多く脂質が少ない食事の前に、濃いお茶を飲むのが有効だと思われる。

🐏🐏🐏

うっかりstarfieldを買って遊んでいる。

今日は宇宙ステーションでドンパチやっていた。私はまともにドキュメントを読まないので、ドッキング方法がわからなくて一度爆発四散した。

宇宙ステーションに体当たりをしてはいけない

ドンパチというかFPSは苦手である。すぐに回復アイテムが足りなくなった。宇宙ステーションの食堂でミミズ肉やトマトを拾ってきて窮地を凌いだ。

週報 2023/09/03 天然睡眠薬、アジャイル漫画開発、『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ

8/26(土)からあげパフェ食べたい、目指せキッチンドランカー

元気だったので珍しく朝から外出。冷え性人間の朝は遅く、土日の午前はゾンビみたいに家のなかをうろうろしている。俊敏に動けるようになるのは昼すぎ、遅いと夕方である。

 

カフェで週報執筆をした。選んだのはホリーズという関西ローカルのチェーン店。タリーズのパクリなのかな?と思って調べたが確たる情報は出てこなかった。ホリーズの発祥はからあげパフェで有名なからふね屋で、もともとは同じ企業だったらしい。バブルで失敗していろいろあったあと、今はからふね屋だけJR西日本の系列会社になっている。ホリーズとからふね屋で、今でも共通するのはダッチコーヒーという抽出方法を用いる点だろうか。店頭に実験器具みたいな抽出装置が置かれている。

なお、ホリーズにからあげパフェはない。なんでよ。

 

ホリーズはフードメニューが微妙だったので、今後はタリーズベローチェを使うことにした。カフェとしてはスターバックスも魅力的ではあるのだが、いつ行っても座る場所がない。そろそろスタバ席とりシステムができてもおかしくない。それくらい混んでいる。

🐜🐜🐜

夕食後、疲れを癒やすためにワインを飲む。「疲労物質のフリーラジカルをワインのポリフェノールで打ち消すのだ!」と言って飲んだがただの言い訳である。でも、胃腸がよく動いて体温が上がり、元気にはなった。西欧料理の食前酒はもともと食欲増進を目的としている。冷えで食欲が失われやすい私も食前酒を嗜んでもよいのではないか。目指せキッチンドランカー。

ついでに妻氏にも飲ませた。妻氏の場合は仕事か何かで悩んでいたようで、話を聞いたところ答えが出ない悩みにみえた。とりあえずアルコールで忘れさせ、あとで日記による言語化をしてもらった。ワインで上機嫌になった妻氏はmtd製作所にスパチャをし始めた。

隠し味よ〜〜〜

8/27(日)種ありブドウはレトロニム、天然睡眠薬、『自閉症とマインド・ブラインドネス

種があるブドウのほうがおいしいのに気づいた。種があるとほどよい苦みが感じられる。たぶんタンニンだと思う。
というか「種ありブドウ」ってレトロニムだ。本来はふつうのブドウのことである。種なしのほうが自然ではない。

🐝🐝🐝

我が家には「カレーを食べたらなぜか寝る」という謎があった。昔からよく再現する現象で、お気に入りのカレー屋、自炊のカレー、イーブイ(フランス式野菜スープ)を食べたらたいてい寝落ちしてしまう。特に妻氏は寝やすい。昼でも夜でも寝落ちする。

weathernews.jp

原因はセロリとタマネギだった。不眠対策に使われるほどの野菜だ。たくさん入ったカレーを食べたらリラックスしすぎて寝るのだと思う。

🐝🐝🐝

自閉症とマインド・ブラインドネス』を読んだ。

ヒトはふつう「他者の心を推測する機能」を持っている。例外的にできないのが自閉症スペクトラム障害ASD)の人たち。なんでできないのかというと、心の理論が欠けているから、らしい。本書では心の理論はID, EDD, SAMなどの基本的な機能で構成されて云々、と謎の理論が出てくる。ほんまか〜?となった。

大事なのがSAM、共同注意と呼ばれる機能で、定型発達の乳幼児であれば「母が見ているものを見る」みたいな行動ができるようになる。これが欠けているのが自閉症だ、という主張がされていた。

 

翻訳もよくなくて読みにくい本だった。自閉症の理論を知りたい人にはおすすめ。

www.seidosha.co.jp

8/28(月)冒涜的邦題、サービス精神と創作

また積読を増やしてしまった。目当ては『ビジュアル・シンカーの脳』という本だったのだが、いつもの癖で人文学、科学の棚を眺めていたら二冊増えた。本屋に行くとお財布がガバガバになり、値段を見ずに買ってしまう。好奇心とはそういう生き物である。私のせいじゃない。

その後さらに本屋へ行き罪を増やし続けている

家に帰って『ビジュアル・シンカーの脳』の装丁を眺めていたら原題が"visual thinking"なのに気づく。どこにも"brain"なんて書かれてないのだが?

邦題に変換するときによくある操作で、日本人に売れやすいようタイトルを改変しているのだ。冒涜なのでやめてほしい。

有名なのは映画化で"The Martian"を『オデッセイ』にしてしまったやつ。ハヤカワ文庫だとちゃんと『火星の人』だったのに。

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『ハンチバック』の市川氏が芥川賞授賞式で挑発的なことを言っていた。「二十年ラノベ新人賞に応募してきたが、落としてくれた人たちのおかげで今私はここにいる。感謝いたします」的な。

本人が自分で言っていたことだが、たしかに厨二病的な人だと思う。それでいて格調高い文章を書くし皮肉もお上手なので、文学性が高くてラノベの枠に収まらなかっただけではなかろうか。

 

エンタメは読者へのサービスである。熱心に自分の描きたいものを書く、というよりは冷徹かつ論理的に読者の需要に応えるようなところがある。妄想が止まらなくて自分の描きたい世界を在らしめるような人はエンタメには向いていない。サービスが苦手だから。そういうサービス精神の欠如と社会の間を取りもつのが編集の役割なのだろう。逆に「特に描きたいテーマがあるわけではない」という人のほうがよくサービスできる。皮肉な構造である。

8/29(火)モルモットのカルシウム管理

バリバリ働いたあとジムへ。ストレッチとか筋トレをした。血流がよくなり、調子にのって町中華で注文しすぎたら量が多くて食べすぎになってしまった。ぐったり。

🦥🦥🦥

モルモットの結石について調べる。高齢モルモットは結石症になりやすいらしい。
我が家のカレー味様はもう6歳なのでその辺を警戒する必要がある。膀胱にでっかい石ができると、開腹手術が必要になり大事だ。老齢モルモットは手術に耐えられないこともあるし。

 

対策はカルシウムの少ない餌、日光浴、それから運動。

必要以上のカルシウムは取らないのがよい。しかし骨が脆くなるのも困る。要はバランス。カルシウムが多いのはパセリ、小松菜、春菊あたり。セロリ、白菜、レタス、人参、ピーマンは安全そうだった。

注意がいるのはおやつ系のフードだろうか。モルモット・うさぎ用に野菜を乾燥させたおやつ、アルファルファを押し固めたおやつなどが売られている。カルシウム多めのものが原料に入っている。モルモットも嗜好品は好きなので、おやつへの食いつきはよい。モル・ヒューマンコミュニケーションのために餌で釣ってばかりいると、結石になりやすいなるのかも。餌で釣るならば、チモシーの穂が使えるのでそちらがおすすめ。

日光浴モルモットの寝姿

8/30(水)身近な温暖化、オタクモードの店員

八百屋に寄ったらブドウを買ってしまった。さいきん見かけると我慢ができない。露地栽培のブドウが出てきて値段が下がっているのもよくない。

八百屋の入り口には黒ずんだ人参が積まれていた。北海道産。ニュースで見たとおり、異常気象によって野菜が傷みまくっているらしい。温暖化で食が脅かされているのを感じる。新潟では雨が降らなくて米が大ダメージを受けているらしい。

ニンジンが「土の中で腐った」暑さと湿度で 北海道の畑“悲鳴”

会計をしようとしたら一人で切り盛りしている赤髪のお姉さんがポップを描いていた。スマホを観ながらマジックで文字を書いている。集中していて悪いので待った。

🪨🪨🪨

近代教科書アーカイブを読んでいたら夏目漱石伊勢物語が同じ教科書に載っていた。戦前は古文と現代文の区別がなかったのだろうか?連続する日本語として取り扱う態度であるならば、それはよいことだと思った。

🪨🪨🪨

LUUPに乗って寺町へ。実は初めての20km/h走行。解禁されてから機会がなくて乗っていなかった。近所になぜかLUUP車体がないがちなのだ。
なかなか軽快だった。速度を引き上げでようやく便利な乗り物になった気がする。
でも京都の交通はひどい。交差点で一時停止しない自転車と車ばかり。

 

寺町でロードバイクを眺め、靴下を買った。

靴下屋さんでいくつか質問をすると店員がオタクモードになってしまった。本質的な質問をすると、店員がオタクになるのだろうか?

「口のゴムが切れにくい商品ないですか?」
「合成ゴムは伸縮性に難があって天然ゴムを使っている。しかし天然ゴムは劣化して切れやすい。どうしようもない。洗い方に気をつける手はあって、干すときにゴムを上側にすると水が溜まらなくて気持ち長持ちしやすい」

だそうな。であれば紫外線も避けたほうがいいのだろうな。ゴムが切れる前提の設計なのはSDGsじゃないと思うのだが、靴下ってそんなに消耗品なのだろうか。

8/31(木)アジャイル漫画開発

エアコンなしで寝る実験はことごとく失敗した。夏の京都は地獄。湿度も気温も高くてエアコンなしで寝るなど無理なのだった。諦めて秋になるのを待つ。京都の秋は一瞬だけども。

🍗🍗🍗

妻氏がスランプに陥っていたのでメンタルのデバッグをした。課題として出てきたのは漫画のワークフロー。ここ数年はアナログ原稿で作画をしていた。そのほうが楽しいから。しかし大変ではある。先日、妻氏は残業モードになり疲れで原稿が進まなくなってしまった。そのときデジタル作画に切り替えてしまったのである。

これがまずかった。デジタル作画は楽しくないらしい。描く楽しさが減るので趣味としての漫画制作が苦行になってしまう。原初的な線を引く楽しさはアナログでないと得られないようだ。それに、画面の回転とかツールの切り替えはデジタルのほうが遅い。描いている画面の解像度もデジタルのほうが低い。総じてデジタル環境は劣っていることが再確認され、アナログ原稿に戻すことになった。

また、漫画の制作工程も変えた。ふつう、漫画は

  1. ネーム(コマ割りと台詞の決定)
  2. ネームレビューと修正
  3. 作画
  4. 仕上げ

という工程を経る。これはIT業界用語で言うところの「ウォーターフォール開発」である。順番に工程が流れていって、基本的に後戻りはできない。

問題は二つある。

  • ネーム工程の責任が重くなって大変
  • ネームで描いたときの気分を忘れると作画が進みにくくなる

働きながら漫画を描いていると、ネームを描いた二週間後に作画をするのが珍しくなくなる。当然、ネームを描いたときの心理状態なんか覚えていない。ネームは漫画の下書きである。下書きと清書の間が空くと効率が悪くなるのは当然だ。

だから

  1. ネームを数ページ描き、ネームレビューも描かれたぶんだけ行う
  2. すぐに作画に入って、ネームに追いついたら1に戻る
  3. 仕上げ

という工程に変えた。商業連載の場合は編集の許可が必要なので「漫画のウォーターフォール開発」が求められるのだが、同人にはそんなの関係ない。「漫画のアジャイル開発」が可能なのである。

なにより、ネームなんか描きながら変わっていくものなのだ。下書きの時点で精度よく筋書きを予測することなんかできない。本来の漫画の描き方はこれでよいのだと思う。オチなんか最後の気分で決めていいのだ。

9/1(金)シュレッダーねずみ、『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ

厚紙を捨てるとき「スナネズミがいたらな〜」と思うことがある。スナネズミは厚紙をあげると囓ってバラバラにしてしまうのだ。シュレッダーねずみ〜。かつてスナネズミが3世代6年間くらい家にいたのだが、今はいなくなってしまった。再びスナネズミを飼おうにもスナネズミ仕入れてくれる京都大丸のペットショップはなくなってしまった。あそこのおじいさんがスナネズミマニアだったから入荷されていただけなのだ。

また飼ったとしても4歳までは生きられないあたり諸行無常である。同じサイズでもデグーは長生きなあたりよくわからない。

シュレッダーねずみ

🧂🧂🧂

『ビジュアル・シンカーの脳』を読んだ。
「ビジュアル・シンカー」とは考えごとをするとき、頭の中に画像を思い浮かべる人のこと。著者によると、考えごとの思考様式には以下の三種類がある。

  • 物体視覚思考者: 具体的な物をイメージする人、見たものをそのまま覚えられる
  • 空間視覚思考者: パターンや抽象的な絵としてイメージする人、数学やパズルが得意
  • 言語思考者: 画像ではなく言葉で考える人

著者のTemple Grandinは物体視覚思考者である。この本で描かれる「ビジュアル・シンカーの脳」とは物体視覚思考者の内面のあり方のことなのだ。Grandinは「物体視覚思考者は言語思考者中心の社会で虐げられている。物体視覚思考者は機械の設計・メンテナンスで大活躍するので地位を向上させるべき」と主張する。実はこれ、政治的な本である。政治といっても北米社会がターゲットだが。

 

何度もこのブログでとりあげているように、私はアファンタジアである。極端な言語思考者であり、画像は一切イメージできない。ふつうは「ビジュアル・シンカー」のどちらかでありつつ、言語思考もできるタイプのようである。職業によってどのタイプなのかは偏りがあり、ソフトウェアエンジニアには「ビジュアル・シンカー」が多いような気がする。

Grandinは「言語思考者の社会が物体視覚思考者をいじめている!」と言って言語思考者を敵視するのだが、たぶんそうではないと思う。単に「どのタイプの人も自分の思考様式が当たり前だと思っている」だけである。敵は自分のあり方を自明視する人であって、思考様式の問題ではない。こう言うと「多様性を受容する社会」みたいな話になってGrandinの意図にも合うのではなかろうか?その意味においては『ビジュアル・シンカーの脳』は脳の多様性(ニューロダイバーシティ)を理解するのによい本である。

 

正直なところ、言語思考者としては退屈な本だった。序盤はおもしろいのだが、中だるみがひどい。具体的すぎるエピソードが羅列されているだけで説得力に欠ける。

しかし物体視覚思考者にとってはこの批判は筋違いなのだろう。「具体的なイメージをたくさん並べる」ことは説得的なのだ。

視覚思考とは、連想するイメージを「視覚記憶のファイル」から見つけだし、さまざまな方法でそのイメージにアクセスして、問題を解決したり、世間を渡ったり、まわりの世界を解釈したりする能力だ。
p.63

彼ら視覚思考者にとって、言語とは二次的なメディアにすぎない。大事なのは「イメージ」であって、頭の中の画像を言語に変換しているだけなのだろう。だから、彼らの「テキスト」は言語思考者にとってのテキストではない。何らかの「絵」が提示されていると思って読まないといけない。逆に、視覚思考者にテキストを読ませるときはイメージに変換しやすいものだと喜ばれるのだろう。

ということに気づけた。やっぱり他人の思考様式を理解するのはたいへんである。

nhkbook-hiraku.com

週報 2023/08/27 現実逃避ビリヤニ、ペットと食べもの、充分に豆の味が出て美味であります

8/19(土)露ついたりつかなかったり、薬膳カレーパスタ

「命旦夕に迫る」という表現を知った。「めい、たんせきにせまる」と読む。命が危うい、という意味。危ういけど、危篤ほどのやばさではないニュアンスがある。

用例としては日本住血吸虫症wikipedia記事に載っている死体解剖御願が有名。

私はこの新しい御世に生まれ合わせながら、不幸にもこの難病にかかり、多数の医師の仁術を給わったが、病勢いよいよ加わり、ついに起き上がることもできないようになり、露命また旦夕に迫る。

地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia

この言い回しはもともとは「露命旦夕に」だったようだ。「露命」と言われたらピンとくる人も多いのではなかろうか。この言葉が使われるうちに、どこかで「露」が落ちてしまったのだろう。だから「命」と書かれたものを「めい」と読むのに違和感が生じるわけだ。

 

と、ここまで書いたところで違う解釈があるのに気づいた。「露命」は自分の命を指す場合にしか使えないのだ。他人が私のことを指して「こいつの命、朝露の如しwww」と言ったら激おこである。だから、誰が言うかによって「露命」になったり「命」になったりするのだな。気遣いとへりくだりが古い日本の文化である。今の人はこんな気遣いはできない。だからこの語は廃れているのだなあ。

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夕食はパスタ。「イーブイ」を作るつもりだったが、すでにお腹が減っていて煮込み料理は無理だった。待てない。すぐにできるパスタにする。

人間は矛盾に満ちているので、急いでるのに変な調理をし始める。トマト、セロリ、にんじん、ニンニクをブレンダーでガーッとやって香味野菜ジュースを作り、焼き玉ねぎと混ぜてパスタソースにした。この調理方法は「ファイナルカレー」と呼ばれるカレーの作り方を参考にしている。『いちばんおいしい家カレーを作る』という本で紹介されていたテクニックで「欧風料理で香味野菜が大事ならば、粉砕してしまえ」という発想。

薬膳カレーパスタスパイス抜き

果たしてできたものはカレーだった。いや、パスタである。パスタなのだが味はカレーだった。クミンもコリアンダーも入っていないのになぜかカレーの風味がある。おいしいがなんか変。
カレーと言っても薬膳系の味だと思う。おそらくセロリを入れすぎたのもある。薬膳系なのでどこか和風っぽさがあり、醤油をかけるとさらにうまくなった。

8/20(日)国産異常小麦粉、現実逃避ビリヤニ

うどんを作った。粉はゆめちから。パン用に買っておいたのだが、使いにくい粉なのでパン用途ではクビになった。何がまずいのかというと、硬すぎること。水と合わせるとふつうの粉よりも硬い生地になってしまうのだ。モチモチというよりもガチガチ。グルテンか何かが強すぎるわりにあまり味がしなくてパンとしては微妙である。タピオカ粉かな?

ニーダーで混ぜ、圧延し、苦労して麺の形にしてみた。ところが、茹でて食べてみたらうどんという感じがしない。鹹水を入れていないのに、麺が硬くてラーメンみたいな食感になっている。それもそのはず、この粉はラーメンでよく使われるのだ。家二郎をするのに使っている人がいた。ある程度再現できるようだ。粉が異常なので食感だけでラーメンぽくなる。むちゃくちゃである。

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ビリヤニも作った。夏季休暇が終わるのが嫌になって。縁起物を作って気分を盛りあげるのだ。

初めてなのでいちばん基本的なレシピにした。鶏肉のグレービー(カレーだと思ってよい)の上に茹でたバスマティ米を載せて蒸す方法。

チキンビリヤニ

おいしくできたのだが、少しべちゃべちゃになった。ビリヤニの難しさは蒸す工程にあるようだ。鍋の特性と熱源、グレービーの性質を鑑みてちょうどいいパサパサ具合で炊けるように工夫せねばならない。日本米の炊き込みご飯と違ってビリヤニにはパラメーターが多く、野菜の個体差みたいな偶然的な要素も出来栄えに関わってくる。でも、だからこそ料理としておもしろいのかもしれない。

作って食べたらすぐに次のビリヤニのことを考えていた。また作る気がする……。

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『芸術のパトロンたち』を1ページ読んだら獅子の爪痕だとわかった。手練れによる文章だ。リズムがよくて情報密度が高い。
著者略歴をみたら戦前生まれ東大卒だった。やっぱり。なぜ戦前生まれのエリートはこんなにも文章がうまいのだろうな。戦前の教育に何があったのか。

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『「野口体操」ふたたび。』を読んだ。

東京藝大に変な体操の授業があった。にょろにょろ身体を動かす変でダサい体操で、この講義をとった学生たちは「はずれだ」と思ったそうな。しかし妙な魅力があるのか、学生たちは気がついたらにょろにょろし始めるのであった。この野口体操のファンおよび弟子である元ピアノ奏者が書いたのがこの本。野口体操の成り立ちおよび、その哲学が語られる。この体操をするとたしかに身体の力が抜ける。全身がカチコチになっている現代人に良さそうな動きだった。

8/21(月)薬より運動、マインドブラインドネス

社会復帰の日。7時半に緊張で目覚めた。Slackとメールのログが溜まりすぎて読みきれずに1日の労働が終わった。

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鍼の先生に「抑肝散てどうなの?(妻が)服用してみてよい?」と聞いてみた。

先生によると「市販の漢方薬はほとんど効かないし、効くにしても時間がかかる。ほぼ効かないので飲んでもいいのはいい」という評価だった。なぜならドラッグストアで買える漢方薬は有効成分が処方薬の半分しかないから。また相性の問題もある。効く人には効く。

なぜ相性があるのか?漢方薬は大腸の腸内細菌の力を借りて作用するから。まず、大腸へ到達するまでの間に胃酸などによって効果が減じられる可能性がある。そして仮にうまく大腸に届いても意図した吸収をされるかは腸内細菌の状態次第。胃や小腸で吸収される薬と違ってパラメーターが多いのだ。

 

「(たいていの場合)運動したほうが手っ取り早いよ」とも言われた。ウワーおっしゃる通りです。

運動でどうにもならない問題は、鍼灸で解決してくれる。だから通っているのだ。

🧊🧊🧊

自閉症とマインドブラインドネス』を読んでいたら「(重い)自閉症の人は誤信念課題ができない」ことを知った。いわゆるサリーとアンの課題で「他者が何を知っているか?」を推定できるか調べる試験。
もちろん他人の心なんて知る由もないのだが「この人納得してなさそうだなー」とかはなんとなく伝わるものである。自閉症ではない場合は。

これができない人はいるのだ。身の回りでも心当たりがある。「相手が何の情報を持っているか?」「相手は会話についていけているか?」を把握できない人に対して、内心では「主観が強すぎる人だなあ」と評価してきたのだが、心理学界隈では「心の理論ができていない」というらしい。

この本によると自閉症は脳の器質的問題らしい。つまりハードウェアの問題だ。本人の努力でどうにかなるものではないので、なんとか先回りをしてサポートするしかないのだと思う。

8/22(火)ペットと食べもの、充分に豆の味が出て美味であります

睡眠がダメでなぜか早起きしてしまう。頭が回らぬまま夜まで働いたが、社交ダンスレッスンをしたら回復した。運動で血流をよくするのは最強の健康法らしい。

🫚🫚🫚

我が家のモルモットの名前はカレー味。毛並みが黄色いから。ターメリックみたいな色である。だいふくという名のハムスターもいたことがある。

一般的なペットの名前として、おはぎ、おもちとかそういう名前もつきやすい。黄色ければきなこになる。
これらの傾向が日本だけかと思ったらそうでもないらしい。海外でもビーフ・ストロガノフ、ラビオリ、パパイア、エッグ、アボカド、バナナなどなど。

エッグ、ビーフ・ストロガノフ、パパイアなどなど、海外の飼い主が猫に付ける名前がかなりユニークな件 : カラパイア

なので、これは人類共通の性質であるようだ。我々はペットをなんだと思っているのだろうか。

モルモット浮世絵

🫚🫚🫚

戦前の女子高等学校の教本を読んでいる。科目は割烹。

近代教科書デジタルアーカイブ

当時の教科書のテキストには独特の味がある。人間が書いている感じがしてよい。例えば味噌すりについて「充分に豆の味が出て美味であります」というある種余計なことがかかれている。
教科書はこれでいいのだ。カチコチしていてはいけない。おおらかな教科書が欲しかったものだ。

最初から強火でよろしい

あとは飯炊きの知見。1929年の時点で「はじめチョロチョロ」は時代錯誤になっていたようだ。なのに未だにこれを口酸っぱく言う人がいる。ただ覚えやすいから、というだけだとは思うがこれほどまでに誤った知識は時代を超えて残ってしまうのである。

 

できればPDFじゃなくて物理書籍で読みたい。調べてみると戦前の教科書の新装版は見つかるのだが、中身は現代語訳されていた。それじゃあ意味がない。私は戦前の日本語のリズムがよいから読んでいるのであって、それを潰したものが欲しいわけじゃない。
新装版のAmazonレビューを見るに、修身とか国語の教科書をありがたがるのは「真実」に目覚めたねずみたちのようだった。愛国のねずみちゃんたちにそういうものを売りつける出版社もあるようである。

8/23(水)シャインマスカットは冷やすべし

運動のおかげでよく眠れた。元気に仕事をする。

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シャインマスカットを食べたらおいしいと思えなかった。高いのに。ちゃんと高いのを買いました。

Xで調べてみるとおいしくないと言っている人はちらほらいる。ヤフー知恵袋によると「マスカットはどれも甘みが単調である」という回答もあった。じゃあそういうもので私にはダメなのかもしれない。ブドウにはピオーネみたいな馥郁とした香りがほしいなあ。

 

あとで温度を変えて実験してみた。野菜室で冷やしてみたらちょっとマシになる。白ワインと同じで低温がいいらしい。

「シャインマスカット」の香りは貯蔵温度により変化する | プレスリリース・広報

我らが農研機構によると10℃がよいとのこと。

8/24(木)雑談が必要な日もある

黙々とコーディングをした日だった。退社して自宅へ移動するとき、ちょうど大雨に降られる。「駅に着くまで降らないでしょ」とたかをくくっていたらオフィスを出た直後に雷が鳴った。 80㍉とかいう馬鹿げた雨だったので傘は無力。びちょびちょ。

 

一日中人と喋らずにコードを書き続けていたらちょっとあたまがおかしくなった。私は疲れて頭がダメになると踊ったり、戯れに喃語を発したりする。この日は息抜きの雑談が必要だったようである。仕事しすぎ。

大残業をして帰ってきた妻氏と喋って回復した。

🦔🦔🦔

令和最新版COVID-19が職場で流行っていたのだが、感染する人のパターンがよくわからない。マスクをしているか、していないかは関係ないようである。かかる人はかかる。ワクチンは全員打っているものと思われる。免疫はよくわからない。

 

幸い我が家はまだ感染者が出ていない。未だに感染後、long COVIDで苦しむ人もいるようなので、なんとか回避したいものだ。

8/25(金)獣医はペットをたくさん飼える、モップもるちゃん

よく寝て元気に仕事をした。大量のタスクを抱えていたが、半分しか終わらずに土日に突入した。

🦦🦦🦦

これは無理なのだが、モルモットの多頭飼いをしてみたい。少なくとも10頭くらい。私の頭だと10種類の名前を覚えられないかもしれない。

現実的な問題は獣医だろう。たくさんいると病気の確率があがる。データセンターのHDDが故障しまくる話みたいだ。爪切りも大変。
もし暇な獣医であれば動物を飼いまくれるのだろう。さすがに自宅にレントゲンは置けないが、薬とか検査試薬、簡単な処置をする道具などは持てるはず。行きつけの獣医も爬虫類をいっぱい飼っていたし、獣医はペット趣味の自由度が高いに違いない。いい職業だ。大変だけど。

 

ハムスターとかスナネズミの多頭飼いはモルモットよりは現実的。なぜならわけがわからないままに死んでいくから。そういえば黄色スナネズミも突然死した。デブねずみだったので心臓麻痺でもしちゃったのだろうか。

🦦🦦🦦

もる掃除をしていたときのこと、床にビタミンC錠剤をぶちまけてしまった。
錠剤は拾って袋に戻したからいいものの、ビタミンCの粉が床に落ちている。回収するのは困難だ。
困ってカレー味氏を床に放ってみた。粉でもビタミンCが好物なので舐めてくれるかと思って。さあ働けモップもるちゃん。

ところが、カレー味氏は怖がって固まったのであった。好物であろうと知らない土地はダメらしい。おそらくピーマンくらいの好物でないと掃除機もるちゃんにはなってくれないのだと思う。

週報 2023/08/20 C102、醤油ではなく塩で決める、日記の違い

8/12(土)東京遠征、モルモットの性格の違いはどこから来るのか

コミケ東京遠征の日。週報をほぼ完成させ、モルモットにたくさんの🫑、チモシーを与えて家を出た。新幹線で東京へ行く。

 

東京駅についたら荷物を置いて山手線の某駅で降りた。友人宅を目指す。

いつ東京に来ても思うのだが、東京の道路は東京としか言いようのない雰囲気がある。大阪にも京都にも、私の地元にもない雰囲気。地価の高さからくる家の小ささ、道路の狭さ、なのだろうか。あと商店街が栄えている。どの駅に行っても商店街があることに驚く。

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友人宅で二匹のモルモットたちにご挨拶をした。初めてお目にかかる。二匹のモル様はどちらもうちのモルモットと性格が違っていておもしろい。片方は態度がでかくて凶暴そう。すぐにケージを囓ってアピールする。もう片方はモルモットらしい臆病な性格。なのに好物の餌を見つけたら猪(鼠)突猛進。餌を拾うのに邪魔な囓り木があれば咥えて放り投げる。臆病なのに大きな音が出ても気にしない。どこか矛盾を感じるモルモットである。

 

なんで彼らは脳が小さいのに性格が違ってくるのか。性格の違いは高等動物だけでなく、モルモット、スナネズミみたいな小さな動物にもある。彼ら齧歯類の脳はシンプルで容積が少ない。あまり複雑な処理はできないはずなのだ。

小動物の脳は判断よりも認識に使う部分が多いと思う。前頭葉が発達して判断しまくれるようになったのがヒトだから。つまり性格の差異を産み出しているのは認識系の脳領野ということになる。視覚とか聴覚とか。あと触角。🐭ちゃんはあまり目が見えていなくておひげセンサーでいろいろ感じ取っている。ひげを触るとすごい嫌そうにしておもしろい。

脱線した。認識系の脳領野の実装に個体差があるのだろう。遺伝かもしれないし環境かもしれない。たいてい両方。認識系に差異があると、同じ大きな音を聴いても片方はびっくりして片方は平然としている、ということが起きる。これは人間でもよくあることなのでヒトの性格の差異も認識系の差異に依るのかもしれない。判断するより前に情報がフィルタされていて意識より前の処理が性格に影響する。意識でどうにかなるものではない。

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コミケの宿は会場の真ん前にした。国際展示場駅のホテル。この日は1日目の夜だった。駅へ着くとまだその辺にオタクたちがいた。

 

歩き疲れて足湯をしてみる。すぐに血流がよくなって頭が動いた。やっぱり私の心臓はしょぼくて足の老廃物を循環させられないのだと思う。

8/13(日)C102、「若者」呼ばわりの問題

コミケの朝。いつもの遠征とちがってちゃんと眠れた。妻氏も眠れたようでかつてないまともなイベントである。昨晩ホテルについたあと昼寝をしなかったのが大きいのではないか。

カーテンを開けて外をみるとすでに列ができている。アーリーチケットの一般参加者だろうか。

🍱🍱🍱

チェックアウトして会場へ。徒歩5分でビッグサイトについて便利だった。毎回ここをおさえられたらいいのだが。

サークル入場口で id:utgwkk さんを発見したが特に挨拶はしない。KMC部員はいきなり話しかけられると狼狽することがあるため。何よりidしか知らなくて顔を覚えていないことがある。

今回は西館。前回もそうだったかもしれないがよく覚えていない。

 

9時には到着してスムーズに設営ができた。懸案の追加椅子も買えて完璧な設営だった。

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暇になったタイミングで東へ移動してみる。

歩いているとコスプレした人をよくみる。コミケはこの点がコミティアなどと違う。その辺に仮装をした人が闊歩していてお祭り気分になる。

どんなにがんばっていてもコスプレ特有の不気味さがあるのもおもしろい。上手な人、企業の公式コスプレイヤーになれた人でもそのキャラクターらしくなさが見えるのだ。それくらい二次元と三次元は異なる。

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帰りの新幹線でKMC Slackでチャットをする。

「若者」という言葉があって、いわゆる「老人」のインターネットの人がよく使う。「老人」といっても30代である。そう離れているわけではない。別にインターネットでなくても世間一般で使われるかもしれない。

私はこの言葉が嫌いで、使うべきではないと思っている。なぜなら「若者」とカテゴライズすることで自分より若い人を遠ざけている感じが出るから。「老人」の集まりで使うのはまだよいと思うのだが、若い人がみているところで「若者」と言うのはないと思う。言われたほうは愉快ではないだろう。

「老人」は若い人を「若者」と言うようになって「老人」になるのかもしれない。自分から若い人を遠ざける壁を作っているのだ。

すばやい撤収のためにスーツケースが必要

8/14(月)夏期休暇、醤油ではなく塩で決める

ようやく夏休み。存分に寝て起きた。妻氏は無限に寝るので放っておく。

🥭🥭🥭

夕食ににゅうめんを作って食べていたら塩気が薄いのに気づく。卓上の再仕込み醤油を入れてみたがあまり変化はない。そこで塩を入れてみる。これで味が決まった。

汁物の塩気の調節は醤油より塩を入れたほうがいいことがある。
醤油は高級であるほど「塩カドが少ない」と言われるらしい。たまり醤油とか再仕込み醤油は塩分濃度が低く旨味も多い。安価な醤油は塩カドがきついので、塩気の調整には向いているのだと思う。それよりももっと直接的に味を決めるのが塩だと思う。

私は土井善晴動画に教育されてしまったので塩は指で量る。何食分あるか、野菜と肉がどれくらい入っているかを考えて勘で塩を入れて味見をする。慣れた料理だと一回で塩が決まるが、たいてい追加が必要。妻氏は薄味のほうが好みなので控えめに調整して個人で足すくらいがよいという話もある。土井先生曰く、フランスだと調味は自分でやるそうだ。それでよいと思う。

🥭🥭🥭

疲れているのでテレビでYouTubeをみる。なぜかPCだと動画を観る気にならない。PCはテキストを読み書きする道具である。

この頃オリーブ栽培に興味がある。オリーブ農家の動画を観た。
オリーブには日本固有種の害虫がつく。オリーブアナアキゾウムシという。明治時代にオリーブ栽培が始まったとき、なぜか木が枯れるので調べてみたらこの虫がいたという。
もともとこの虫はネズミモチという木に寄生していたのだが、なぜか外来種のオリーブが大好物になり害虫として覚醒したのだとか。

8/15(火)言葉が通じるのが不思議

関西に台風が来ていた日。気圧が低いせいでずっと体調が悪かった。ぜんぶ台風が悪い。

🧉🧉🧉

家の片づけをしていた。友人宅の床が多かったのに影響を受けたのかも。

模様替えはおもしろい。ちょっとした工夫で家が広く見える。ポイントは床にグリッドがあると思って、グリッドに沿った配置をすること。空いた空間が長方形になるようにする。
あと色を揃えること。我が家は床と壁が白いので、白くない家具は端っこに追いやるようにしてみた。目につくところには白いものばかり。遠近感がなくなって分けがわからなくなる。

🧉🧉🧉

中途覚醒をしたときになぜか哲学の思いつきがあった。夢で哲学してたのだろうか。

現象学では事物が意識に去来したそのままを捉えて哲学をする。
先日のモルモットの性格差を鑑みると「意識に去来したイメージ」は人によって異なることがわかる。当たり前の事実だと思うが、なぜか現象学は「去来のしかた」の差異を暗黙的に無視している。フッサールハイデガーの生きていた時代の制約かもしれない。

この問題を考えると「人によって言葉の意味が異なっている」ことを考えずにはいられない。日常生活でも「あれ?思ったのと違う捉え方をされてるな」と思うことはよくある。対面であれば「そういう意味じゃなくて……」と追加の説明をして軌道修正ができる。意味がだいたい同じになったら相手の反応でそれがわかる。チャットだと難しいので、表情や間を読んで意味が伝わったかどうかを判断しているのだと思う。

しかるに、哲学は対面でやらないとあまり意味がないのだろうなと思うのだった。

8/16(水)日記の違い

整頓のおかげで床が広くなった。家が輝いて見えてきて掃除がしたくなる。健全な夏休みという感じがする。ゴミを吸ってモップをかけた。
かがやきだした〜ぼくらをだれ〜が〜

🦴🦴🦴

kiryuanzu.booth.pm

桐生あんずさん(id:kiryuanzu)の『休職日記』を読んだ。コミケ戦利品のひとつ。他人の日記が好きなので買った。

読む前は「どうして休職中の日記を本にするのだろうか?」と思っていたのだが、読んでみたら良かった。落ちこんだ人間が回復していくさまはたしかにドラマ性がある。そういえば『うつ病九段』も似たような読み味があった。ずっと落ちこんでいるだけだとしんどい読み物なのだが、復活するオチを知っているから暗くても楽しく読めるのかもしれない。

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日記のスタイルが自分と違って驚いた。そういえば日記ってこんな感じだった。その日の出来事と雑感を書くもの。生活で出てくるモヤモヤ、悩みを書きつけるもの。

私の日記はこのとおりである。出来事は書かれるが、ドライであまり感情が表現されない。パッサパサである。乾物。

たまにモヤモヤを書くこともあるのだが、どうも表現がふつうのモヤモヤテキストにならない。感情のあり方が違っているのだと思う。モヤモヤ特有の歯切れの悪さ、みたいなものがない。それはそれで便利なのだけども、小説とかはまったく書けないタイプだよな、とも思う。

私の日記は昆布とか木片(シナモン)みたいな味だと思う。噛んでも水が出てこない。問題だとは思っている。と、書いてみるが本心でそう思っているわけではない。

8/17(木)抽象化のつまらなさ、果物はワインセラー

non117.com

ふりかえり記事を公開した。清書をブログに流しこみ妻氏に読んでもらう。わかりにくい表現を修正してイラストを入れてもらって完成した。総括〜。

今回はなぜか文章のテンションが低かった。疲れているのかもしれない。あるいは書きたくなかったか、何も覚えていないのか。週報よりもロジックが整理されたのでやってよかったとは思うのだが、書き味には不満がある。

抽象化のつまらなさかもしれない。毎日の日記(非公開)がいちばんおもしろい。読める人が妻氏と友人だけなので、内容に容赦がない。書くのも楽しい。週報はなんとか日記の味を残そうとしつつ書いている。でも何かが失われる。それをさらにふりかえり記事まで抽象化すると無味乾燥となって、自分にとってもつまらなくなるのではないか。味がしなくなるところまで整理しちゃった説。

であればどのテキストも毎日の日記のように書くのがよいのだろう。週報もふりかえりも日記みたいに書く。初めてそれを言語化するときのように。これが簡単にできたら苦労はしない。漫画でもよくある問題で、下書きやラフの線がいちばんいいことがある。最初の感じを殺さないように線を整理する。ライブ感のある生ものがいいか、丁寧に推敲して整理したきれいな作品がいいか、どっちも必要で難しい。

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胃腸がダメすぎるので外へ。私の体調不良は歩くと治る。散歩を目的として本屋と八百屋で買い物をした。道すがらオリーブの木を探す。意外とその辺に生えているもので、中には実がなっている木もあった。さすがシンボルツリーと言われるだけのことはある。次は害虫の様子をみようと思う。都市にオリーブアナアキゾウムシはいるのか。

 

スーパーの2Fにオリーブの木が売られていた。シプレッシーノ(品種名)の4年か5年の木が2万円。1年くらいの木が3千円。あと月桂樹が2千円。ここで追加の苗を買ってもいいかもしれない。しかしあとで調べたらシプレッシーノはあまり実をつけるタイプではないとか。アメブロのオリーブ大好きプロ主婦ブロガーがそう言っていた。アメブロにはすべてがある。

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🍇を14℃のワインセラーにいれたらおいしかった。酸味と甘味のバランスが非常によくなる。どうやら果物は温度管理が大事らしい。

なぜ果物で温度が大事なのか。ワインに適温があるのと同じで温度によって甘みの感じられ方、香りの立ち方が変わるからだと思う。

 

🍑でも実験をしたらやはりおいしくなった。ただし🍑の場合は温度だけでなく剥き方も大事だった。触りすぎたり、皮を剥きすぎると味が落ちる。🍑の皮を一発でつるりと剥く技術が必要。

8/18(金)読書しまくり

社会復帰(連休明け)を前にして早起きを意識している。
包丁を研いだり本を読んだりして過ごす。この日は三冊も読み終わった。

🧆🧆🧆

ビリヤニ

自宅でビリヤニを作る予定があるので読んだ。つまるところビリヤニとは、グレービー=カレーとバスマティ米を混ぜて炊いただけのものである。構造はほぼこれで、調理方法や具・香辛料に地域ごとの違いがある。カレー自体が自由な料理なのでビリヤニも自由な料理である。カレーの構造の基本はあるが、そこを逸脱しなければどう作ってもよいと思われる。香辛料と野菜のソースで炊きこめばどうやってもビリヤニになることがわかった。

publications.asahi.com

🧆🧆🧆

『これならできるオリーブ栽培』

脱サラオリーブ農家の山田さんによる単著。オリーブの栽培方法、病害虫対策、搾油など情報が多い。ただし一般人向けではなく就農者向けの本。搾油工場のレイアウトまで載っている。内容はブログ記事を編集したものが多いがまとまっていて便利。また文章が上手なので読みやすい。オリーブ農家になる気はないが、苗木を買ったので読んだ。

脱サラ就農の成功者。国内で誰もやってない有機栽培ならばオイルの値段をあげてもよい、と気づいたあたり賢い。都市には有機栽培なら何でも買う人がいるのだなあ。そういえば神戸の自然派マダムは虫食い穴だらけの野菜を買うらしい(『マル農のひと』)。

shop.ruralnet.or.jp

🧆🧆🧆

『継続するコツ』

坂口恭平のエッセイみたいな本。テーマは継続する方法だが、メッセージは「人との比較や規範なんか無視して自分が好きなものを作り続けろ」だと思う。相変わらず散らかった本だがたまによいフレーズが出てくる。「才能があるから創作をやるのではない。才能という概念は疑わしい」「好きなものを作り続けることが幸福である」「スランプ・鬱・不幸は作りたいものと作るべきと思っているものがズレているときに生じる」「目が肥えても、手を動かしながら悩むめばよくて、手を止めて悩むのはおかしい」

この人は精神病構造の極みみたいな人だと思う。サントームに達していて作り続けることで発病を抑止しているやつではないか。でも真似は容易ではない。坂口氏は「規範なんかどうでもいいじゃん」と言うのだが多くの人にとって憎くて大事なのが規範なのである。