「君の名は。」を観たので言語化を行います。上映が終わって1時間も経っていないので大変新鮮なエモをお届けできることかと思います。ネタバレは多量に含むものとするので各位勝手にやっていってください。
✨表現✨になんか負けない (@ イオンシネマ京都桂川 - @ac_katsuragawa in Kyoto, Kyōto w/ @pastak) https://t.co/6n52EdvnlG
— 下京区 (@non_117) 2016年8月29日
客層
中高生メインで小学生も見受けられた。イオンで観たというのもあるかもしれないが。客層のせいか、せっかくのやまむらやCMが流れている間にも喋っている人が多くて大変よくない態度だった。でも、我々は大人なので慈悲の心で許さなければならない。
序盤
どのタイミングで入れ替わっているのかが多少わかりにくかったが慣れるとなんとかなった。OPが流れるまでのシーンですでに映像表現と5.1chサラウンドで脳がやられかけていた。桂川イオンの設備はULTIRAとかいうやつで、スクリーンがでかくて音が良い。眼前いっぱいのスクリーンにかわいい女の子と美麗な風景、光表現が登場するとオタクは速やかに脳をやられて死ぬ。
中盤
ちょっと退屈だったがぎりぎり没入できていた。たぶんここの筋に致命的な所は少なかったのだと思う。
終盤
おいおいまじか爆破させるのか。
一つだけデバッグ的発言をすると、電力系にSPOFは無いのでは?というツッコミです。
— 下京区 (@non_117) 2016年8月29日
これは許せない。
あと結局落ちちゃったのは、新海誠が蒸発→衝撃波を描きたかったのだと思っています。
ラスト
直後の感想としては『良かったですね👏』だったんだけど、スタッフロールが流れ始めた途端にもやっとしたものがとめどなく。
— 下京区 (@non_117) 2016年8月29日
記号!映像!音楽!ドーン!
— 下京区 (@non_117) 2016年8月29日
総括
記憶力を無にして素直に観ると大変良い作品だったと思う。後味が良くて象徴的な記号シーンでいい感じの歌が流れていたら脳直で人々は感動するんですよ。三葉がこけて手を開いたシーンとかで隣の席の女性泣いてたし……。
しかし、細かいところを突っ込みだすとキリがないくらいもぐらたたきができると思う。我々オタクはだいたいアニメの台詞を覚えて日常生活で喋っちゃうタイプなので、大筋に満足するのだけど細かいところが気になってモヤモヤするという現象が起きる。
なぜモヤモヤするのか
物語での整合性として、登場人物の気持ちで解決できるラインと、魔法で解決できるラインがあると思う。ヤシマ作戦とかの勝利が前者で、ウィッチに不可能は無いのが後者。ガルパンの特殊カーボンも後者。
フィクションである以上は気持ちが存在しない作品はおそらく存在しないので、これはある前提で良い。ここを疑ってはならないので、気持ちのパワーで秋の山頂で寝ても大丈夫だし、気持ちの力で山を高速に降りることができる。
問題なのは、魔法の存在とそのルールが視聴者に共有されるかどうかで、これが共有されてないと視聴者は混乱したり没入できなくなる。「君の名は。」でも魔法はいくつか登場しており、入れ替わりや酒と紐で物理はねじ曲がるのが主である。日記アプリのログが消えるのも個人的には絶対に許せないがそれは今いいです。
現代のフィクションでは物語の序盤で魔法のルールとその運用について視聴者に説明されることが多い。ラノベ原作アニメの第一話で見られるアレである。理想的には、最初のルールに原則従っていきつつ気持ちでルールをハックしたり、隠しルールを出す物語が視聴者にとってわかりやすいのだと思う。ただし、ルールが追加、更新されるさいには必ず視聴者への説明が必要になる。これが無いものはご都合主義のそしりを逃れることはできない。(既存の世界観やルールから自然に類推できるものが追加されるのであれば省略されることも多い気はする)
魔法の提示方法を踏まえたうえでの「君の名は。」での問題点は、現代っぽいどこかの世界を前提にしているのに、要所要所は未説明魔法で物語が進んでしまう点にある。簡単に言うとご都合主義にすぎない。というのも、我々は現実世界に生きているので魔法の説明がされなければ自然と現実世界ルールで物語を消費することになるからだ。
新海誠の世界が現実に即したものではなく、完全にファンタジーな世界であれば、多少変なことが起きてもそういう世界なんですねで済むのだが、現実世界ルールが適用されてるとなるとそれは守られなければならない。説明で例外が適用されない限りは。
だが、新海誠は鉄道とふすまのオタクなので現実世界を書かないわけにはいかないし、現実世界ルールが前提になっていると視聴者が覚えるルールが少なくて済むので一般人にとって楽というメリットもある。
このようにして、大衆的商業主義に舵を切ると現実世界ルールがベースになるのだけど、そこに追加ルールを敷いて全体の面白さと整合性のルールを守るのはけっこう難しい作業な気がする。
とは言ったものの、「君の名は。」のルール違反で私が思いつくのは送電網の単一障害点問題と、衝撃波での生き残りすぎ問題くらいで、大半は気持ち駆動で片付けられるような気はする。というか私は割と没入できてしまった弱いオタクです。。。
気持ち成分強めの作品は、気持ちの振幅が小さい人々には響きにくいので没入感が得られにくく、没入できないとなるとかなり冷静に物語を眺めるので物語のルール違反が散見されるのが各位が苦しんでいる現象ではないでしょうか。たしかに、気持ち多すぎは胸焼けするので良くないです。
(追記)
気持ちで物語を動かすのにも準備が必要で、登場人物みんなの気持ち遷移の整合性も重要そう。つまり、徐々に高まっていって状況を作り、最後にえいっと気持ちでキメるみたいな?
この状況作りができずに、我々視聴者の知らないところで勝手に主人公の気持ちが高まるとご都合主義だとか置いてけぼり感が出てしまうのだと思う。
(追記終わり)
どうすればモヤった視聴者は救われるのか
救われません。残念でしたね諦めましょう。
父との融和は???
ここまで書いて気がついたのだけど、三葉と父が最後の最後でかち合ってから避難するシーンが描かれていない。実は生きてたんよ〜演出をして視聴者をびっくりさせたいのもわからないでもないが、親子の確執をよくあるテーマとして記号的に出した割に解決しないのは中途半端で良くない。他に削れるシーンあるでしょ。
(追記2)
に記載されたやり取りでわかりもあったが、外伝小説読んだらすべて解決した。
以上です。私はここまで言語化できたのでもう満足です。
それにしても三葉はかわいいですね。