しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報2021/12/18

日記に書いた近況や考えごとをふりかえって週報としてまとめてみる。

近況

労働: 相変わらず在宅勤務。設計をしてgolangを書きまくる日々。

体調: 冷え性でだるい。メンタルは平和。

余暇: 読書と日記。妻氏の漫画サポート。低優先度枠としてインターネットとスマホゲーム。

料理: 毎日味噌汁焼き魚。干物と大福餅を同時に買ってしまい冷凍庫が溢れた。包丁を研がないとやばい。

米国から輸入した2万5千円のパスタカッターが壊れていたので修理した

半年ほどキッチンエイドで製麺をしているのだが、細麺を作りたくなった。パスタなら多少太くてもよいのだが、中華麺は細めにしたい。うちにあるのはスパゲッティ幅のパスタカッターだけだった。

北米ではカッペリーニ幅のパスタカッターも販売されているようだ。だが日本の代理店は取り扱っていない。どうしても欲しかったので輸入することにした。Amazonの怪しい輸入業者に注文し金を払うと二週間くらいで家に届いた。

ところが、このパスタカッターを使ってみると壊れていることがわかった。パスタカッターには溝のついたローラーと、ローラーから麺を剥がす櫛がある。ローラーで麺帯を切り櫛で麺を剥がす仕組みだ。この櫛が衝撃か何かで外れていた。おそらく輸送中に投げられたりしたのだと思う。櫛が外れていると麺をローラーから剥がせなくなる。実際にローラーが目詰まりしてパスタカッター内部が小麦塊だらけになった。

2万5千円を捨てるわけにはいかないので修理することにした。幸い単純な機構をしていたので、分解したら櫛の付け直しは容易だった。問題は内部に詰まった小麦の処置で、50個くらいあるローラーの溝を一つずつ掃除するはめになった。2時間くらいかかったと思う。

教訓としては、「個人輸入はお金を捨てる覚悟をする」「外国の輸送網を信頼しない」「届いたらすぐに動作確認をする」あたりだろうか。幸い修復できたのでよかったが、もっと繊細な機構の物だったら詰んでいたと思う。

暇と孤独と欲望

100年前に比べるとわれわれは相当暇な生活をしている。家事の多くが自動化されたからだ。そして余った時間を労働や遊びに費やしている。労働のほうはおいといて、余暇の使い方が気になる。私は余暇が暇で仕方がないのだが、アファンタジアなので映像やゲーム、漫画があまり楽しめない。なので本を読むのだが、難しい本を読むには体力がいる。いつでも読めるわけではない。一方で小説も映像イメージを再生できる人に向けて作られている。なので、私に合う娯楽は少なく暇で困っているのだ。

暇は孤独感を生みやすい。私は哲学をかじって人間は本質的に孤独じゃん、と納得したのでいいのだが、ふつうは孤独が嫌なのだと思う。だからインターネットの人々はコミュニティを作って競争や自慢をしている。暇だから直ちに他者との連帯を、となるのは安易だと思うのだが、そのおかげで消費が活発になっている側面もあり一概に否定はできない。

孤独と仲良くするならばお金はかからないが、他者を求めるとお金がかかる。貨幣を分析をしてみると、お金はさまざまなものと交換できることがわかるが、その中でも大きな地位を占めるのが賃金である。他人を使役するのにお金が使われるのだ。カフェでコーヒーを飲むときもアルバイトの人間を使役することになる。お金を使うことは他者の使役が絡んでくるし、お金を貯めることも他者を使役する可能性を保存しておくことになる。もちろん資源の値段もばかにはならないし、資本家への利子・配当としての支払いも含まれているが、それでも人件費は支配的だと思う。でなければ経営者・資本家は人を減らしてコストカットをしないだろう。

人々は暇になり他者を求める。お金で使役してサービスをしてもらうのがもっとも高価である。自慢をするために市場から「アイデンティティ・キット」を調達することもある。商品は他者の労働で作られている。また、YouTubeなどで他人のお喋りを観ることもある。これには広告で対価を払っている。このように、暇を原因として欲望が生じ、他者の労働を頼りにする。あるいは直接的に他者をお金で買っている。暇そのものは分業による効率化の恩恵であり、効率化は市場経済で駆動されている。どうやら現代の経済は、効率化によって時間を生み、余った時間を全力で欲望に投じるシステムになっているようだ。

友人とのお喋りほどお金のかからないものはない。飲み屋やカフェのような場所を使うこともあるが、それも必須ではない。仲の良い友人とならば公園のベンチと飲み物だけでも楽しく暇を潰せるだろう。今ではDiscordやSlackを使う人も多そうだ。だが、暇なときいつでも友人と話せるわけではない。相手にも都合がある。だから、友人がいたとしても暇つぶし消費は必要なのだ。楽しく話せる友人が多い人ほど、金をかけずに余暇を楽しめると思う。また、孤独を楽しむ人は暇だからといって他者を必要としないのでこれもお金がかからない。中間の、平均的な人数の友人を持つ人にとって暇つぶし消費が大事なのだと思う。

日記で自分に説明をする

このように日記でいつも物事の解明をしている。自分なりに説明をつけて納得するということだ。とはいえ、説明は仮で構わない。とりあえずの結論として考えておくものだ。新しく経験や知識が入れば以前の説明を覆すこともある。だから本を読み続ける。自分の持っている情報の範囲内で説明し、納得しておく。説明をする対象は社会現象や他者、自分の性格、不安など多岐にわたる。なんでも素人なりに考えてみる。

日記で自分に説明すると、理解が深くなるのがわかってきた。これは「人に教えると自分が理解していないことが明らかになる現象」や「人に説明するうちに自分で答えを見つけてしまう現象」と似ている。書くことで自分の理解の度合いを確かめ、わかってないことをわかってないなりに考える。うまくいけば自分に説明しているうちに理解が深くなる。わかっていないことを知るのも大事だし、本を探すきっかけにもなる。だから何でも文字にして考えるのだ。これが私の日記である。