近況
労働
今週の出力は微妙でほとんどレビューをしていただけだと思う。
メインお仕事でgenericsが使えるコードがあるので、go 1.18のリリースを心待ちにしている。
体調
何も考えずに毛布を増やしたら暑くて睡眠が悪化してしまった。体温調節は難しい。
読書
『「欲望」と資本主義』を読んだ。
ウィトゲンシュタインの思い出本を読んだ。弟子たちがウィトゲンシュタインのエピソードを書いた本。ウィトゲンシュタインはすごく繊細だが、誠実な人間だった。
石川九揚の「日本語とはどういう言語か」を読んでいる。面白い題材ではあるけどサービスが悪くて読むのがたいへん。
余暇
ブルアカの1周年記念イベントが発生し星3排出率が倍の5%になってしまった。
それなりに課金をしてしまう。
育てるリソースはない。
雑記
社交ダンス
月に1回の社交ダンス指導を受けた。
なんで社交ダンスなんかをやっているかというと、ジムのパーソナルトレーニングがネタ切れになったからだ。社会人2年目くらいにジムを契約し、運動のついでに猫背を治すためのパーソナルトレーニングを受けていた。ところが数年間指導を受けて姿勢を改善していくと、ついに教えてもらう事がなくなってしまった。この姿勢指導の先生は本業が社交ダンスなので、興味全部で社交ダンスを教えてもらうことにした。社交ダンスは男女ペアでやるものなので、同じくネタ切れになっていた妻氏にペアになってもらうことにした。
それから数年間、月に1回社交ダンスをしている。最初はジルバとタンゴを教えてもらってある程度できるようになったら、ワルツをやるようになった。今はずっとワルツの練習をしている。1年くらいかけて初心者用のステップを覚え、今はステップをばらして自分で考えて踊る練習をしている。
社交ダンスは派手な動きが少ない地味なスポーツではあるのだが、やってみると底知れぬ奥深さがあって面白い。上手く踊れると足が4本になったかのような感覚が得られるそうだ。そのためには二人とも良い姿勢をキープしなければならない。我々はホールドがまだまだ未熟なので4本足の生物になるには課題が多そうである。
『「欲望」と資本主義』の感想
資本主義が発達してきた歴史を紐解きつつ、資本主義を駆動しているのが欲望であることを論じた本だった。欲望とは生活にとって必須ではないことを含意している。この本は90年代初頭に書かれているので、著者はバブル崩壊を振り返りながら、そろそろ欲望の拡大も限界ではないかと書いて本を締めくくっている。しかし実際に2020年代になってみると、人々の欲望が健在であることに気づかされる。コロナ禍において人々が外食を控えただけで、牛乳や魚や肉が余ってしまう。我々は食っていくぶんには十分すぎるほど豊かな基盤の上で生きている。
おそらくインターネット上のコミュニティも欲望の横溢を助けている。コミュニティの中では自慢と共感が通貨になっている。中世に貴族が珍しいものを求めたのと同じように、顕示的消費は未だに行われている。もちろん顕示性と有用性がない交ぜになった商品も多いが、コミュニティの一員であることの証として、コミュニティの中での序列を示すために、消費は便利なのだ。
確かに90年代初頭の物理的なコミュニティしかない時代であれば、欲望の拡大には限界があったのだろうけど、今やインターネットによって複数のコミュニティに所属できる。それぞれのコミュニティにおいて認められるステータスの証は変わるため、資金の許す限り他者欲求の代替としての消費ができるだろう。というわけで、著者の意図には反して、資本主義は今後も割と安泰なのではないかと思った。
耳式体温計
耳で測る体温計を買ってみた。このタイプの体温計は赤外線センサーを備えており、1秒かからずに体温を測定できる。実際に使ってみると、出てくる値が1日を通して安定していることに気づいた。私の場合は、たいてい36.8度から37.0度の間になっている。なぜ安定した温度が出てくるのかというと、鼓膜が体の深いところにあって深部体温を反映していること、鼓膜が汗や外気の影響を受けにくいことが挙げられるだろう。
鼓膜の温度、深部体温を意識しながら生活することで、頭の晴れ具合や睡眠を上手くコントロールできるようになった。この一週間の観察をふりかえると、体のだるさや覚醒レベルは深部体温ときれいに相関している。朝はだいたい36.6度ぐらいで、これが37度付近にならないと食欲も出てこないし頭も回らない。起きた時に測ってお湯を飲んだり着込んだりしたらよい。逆に寝る前には体温を下げる必要がある。寝る前の体温が高ければ水を飲んだり手足を布団から出して積極的に体温を下げればよい。睡眠は最初の2時間が大事なので、ここで体温を下げられるかが翌日の体調に影響してくる。
テキストを音声で入力する
アファンタジアとは頭の中にイメージが無いタイプの人のことである。さらにイメージがないだけでなく、頭の中で他人の声を再生することができないこともある。同様に匂いや味や皮膚の感覚を思い返すこともできない場合もある。私もこれら全部ができなくて、ふだん頭の中に何が浮かんでいるのか自分でもよく分かっていない。
こういう認知特性を持っているので、言葉の扱いも少し特殊である。普通の人は喋るように文章を書いているようなのだが、私は頭の中で喋ることができないので思いつくまま直接文章を入力している。なので、おそらく私の書く文章は普通の人と作り方が違っている。よく妻氏には、目が滑ると言われていた。このような問題意識はずっとあったのだが、認知特性は変えられないのでどうしようもないものだと考えていた。
だが仕事で同僚と議論をしたり説明をするのは困っていない。それでも普通の思考様式と違ってるところがあるのか、説明が伝わりにくいことはあるが、抽象度の低い議題であれば問題なくコミュニケーションができている。なので、喋る時はそれなりに普通に喋っているのだと思う。
解決策: 音声入力
喋りながら文章を書けば普通の人がやるような文章の書き方になるかもしれない。これを実現するのが音声入力ツールである。最近の音声入力ツールは精度が高くて、Apple 標準の音声入力はそれなりに使えるものである。私が一番気に入っているのは勝間和代が紹介していたVoiceInというChrome拡張と、これの開発元が運営するメモ帳サービスのdictanoteである。dictanoteはAppleよりも精度がよく、ほとんど修正をすることなく文章を喋ることができる。
音声入力を使えば良いことに気付いたのは先週の月曜日だった。それからずっと日記やTwitterのテキストを音声で入力している。このブログ記事もdictanoteを使って書いている。音声入力ツールの良さは量を書いても時間がかからないところにある。手で打つとどうしても二倍くらいの時間がかかってしまう。また漢字の変換などの煩雑なことを考えなくて済むので、思考に集中してただ喋れば良いという特徴もある。対話でもないので言葉に詰まっても問題はない。そういえば、昔の哲学者はしばしば人に口述筆記やタイプ起こしをさせていた。当時はお金を出して人にやらせていたことが今や無料で自動化されている。素晴らしい時代だと思う。