しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/03/06 姿勢改善, 判断と独裁

近況

今週は調子が悪かった。一日中眠かったり気分が落ち込むことがあったり。原因は気候の変化だと思う。

この時期は木の芽どきと呼ばれる季節で、精神科・心療内科では要注意とされる季節である。木の芽が芽吹いて生物が活発になりはじめる時期なのだが、人間も例外ではなく、冬の落ち着いた状態から春の活発な状態への変化を強いられる。心を病んでいる人はこういう季節に少し元気になることで自殺をする弾みがつくそうだ。春に狂ってしまうのも同様。

というわけで私もなんだか調子が悪く、冬仕様だった生活リズムが役に立たなくなってきている。寝てしまえば回復するようなので、早寝と昼寝で対処している。

健康

プロテインを粉にしてみた。マグカップで適当に混ぜただけだとまずいのだが、シェイクするとおいしいことがわかった。よくできている。

労働

今週はたくさん雑談できた。

私は毎日Slack Huddleに繋いでいる時間を設けておいて、「この時間なら私に話しかけてもいいですよ」という制度を(一人で)運用している。出社していたらオフィスの休憩場所や自席でだらだらしていたらいいだけなのだが、フルリモートだと表現が難しいので、いつでも喋れますよというアピールが必要になる。

とはいえ、どうしても一対一の会話になってしまうので敷居は高くなる。だが、それでも雑談は貴重なので、たとえ人が来なくても「店」を開けておくようにしていた。

というわけで、実際にはいつも閑古鳥が鳴いていたのだが、今週はなぜか来客が多かった。突然話しかけられるのはちょっとびっくりするし、「店」に来た人もおっかなびっくり喋っているとは思うが、こういうものは数をこなせば慣れるものとして、気にせず喋るようにしている。たいてい話し出すとどうにでもなるものである。

読書

読んだ
読んでる
読むつもりで積んでる

雑記

姿勢改善

先日社交ダンスのレッスンを受けていたときに、いい姿勢のポジションを見つけて肩こりを軽減できるようになった。

姿勢の感覚はいい加減なもので、自分が正常だと感じる姿勢は、単にいつもの姿勢という意味しかない。今回見つけた姿勢は、ほんの少し背中を後ろに倒すだけのもので、客観的には数センチしか変わっていない。なのに、主観的には大きく背中をそらしているような感じがする。

こうして猫背の後遺症を少しずつ軽減しているのだが、まだ股関節に課題が残っていた。猫背は変な姿勢で頭の重さを支えるので、首や肩だけでなく股関節にも猫背の癖を付けてしまう。股関節が硬くなると足の裏側の筋肉が硬くなってしまう。前屈をして手が地面につかないやつ。これを放置するとぎっくり腰、ヘルニア、坐骨神経痛で苦しむことになる。

私は幸いぎっくり腰をやったことはないのだが、このところ右足首が痛むようになってきた。鍼の先生に診てもらうと股関節の硬さが原因だと言う。確かにこのところ在宅勤務のせいで歩く量が減っている。先生にマッサージをしてもらうと大殿筋や梨状筋が硬くなっているのがわかった。かなり硬くて肘を使って揉みほぐさないといけないほどだった。

これを放置すると腰痛で苦しむことが明らかだったのでストレッチを生活に取り入れることにした。特に風呂上がりのストレッチが重要で、温かいうちにたくさんほぐしておくとよい。日中でも休憩をするとき前屈をする。椅子に座っていても片足だけ折り畳んで体を前に倒せば筋肉を伸ばせる。

ストレッチはすぐに結果が出る。問題はいかにして習慣にするかであるが、お風呂イベントにフックするのはうまくいきやすい気がする。

股関節の改善は、お仕事に例えると運用の問題なので、ゴールはよい状態を維持し続けることである。インドアな性格で労働をしている限り腰の問題はついて回るので、せめて風呂上がりのストレッチは欠かさぬようにしたい。

判断と独裁

ついウクライナやロシアの情報を見てしまうことが多かった。SNSが騒がしいのもあるが歴史的な事件が起きているのでどうしても気になってしまう。

私の関心は戦況よりも、ロシアやプーチン氏を取り巻く状況の方に向いていた。さまざまなニュースやソ連時代からの政治家のWikipedia記事を読んだ。

 

この歴史的事件でいちばんおもしろかったのは、あれほどの国の最高権力者が、非合理な判断をしたことだ。

気になったので、今週はプーチン氏の判断が出てきた構造を分析していた。

 

いくつかの報道によると、ロシア政府が独自の世界観を持っていることが指摘されていた。プーチン氏がイヴァン・イリインというロシア的右翼哲学者の著書を愛読して官僚に本を配り、イリインの墓をスイスからロシアへ移設した事実があるらしい。

もし、プーチン氏がイリイン哲学を信奉し、国家的判断の材料にも使っているならば、困ったことにウクライナ侵略は合理的*1な行動なのである。

 

まず、人間の判断について考える。あらゆる判断は、目的をゴールにして、その人の持つ情報を勘案して下される。情報とは頭の中にある情報のことだ。情報は感覚器官によって集められ、偏見や経験、知識によってフィルタされる。だから、同じ出来事を経験した人が同じ情報を認識するとは限らない。

人間は、個々人の得た情報をもとに目的を達成する効率的な判断を導く。効率の良さ、論理の筋の良さは訓練によってばらつきが出るものだが、ある程度訓練をした人の間で判断の効率性に差が出ることはあまりない。

それよりも、何の情報を世界から得るか、というレベルで差が出てしまう。熟練の猟師が雑木林を観察してイノシシの体重と巣の位置を割り出すのは、その猟師が経験によって多くの情報を抽出できるからである。

ある人の判断が非合理にみえるとき、われわれは彼が知らない重要情報を持っている。われわれは彼の外部にある情報をもとに判断し、彼は非合理だと言っているだけで、それでも彼にとってのその判断は合理的なのである。

なので、判断が合理的かどうかで争うのは意味がなくて、世界から読みとっている情報のうち、何が重要な情報か、何が事実かの点で争うべきなのだ。

だが、事実の認識は難しい。どうしても一人で情報を集めると、偏ったものが出てきてしまう。偏った情報は最適でない判断、そして失敗に繋がる。だから、科学では目玉をたくさん用意した上で、どんな実験をして情報を集めたか、そこからどんな判断をしたか、を論文にしているのだ。情報収集と判断のサイクルを大人数で繰り返すことによって、科学は客観的真理に近い事実へ近づいていくのである。

科学と民主制*2の関連がよく論じられるように、民主制の国家でも同じ構造が成り立つ。民主制は各種の自由によって、複数の「事実」を集めて戦わせる。だから、まともに運用されている民主制は専制よりはマシなのである。もちろん、判断が遅いという副作用は出る。

 

続いて、プーチン氏が政敵を殺しまくって孤独な独裁*3を作ってしまったことを問題にする。独裁というシステムをより具体的に考えてみる。

独裁にはマシな独裁と、孤独な独裁がある。マシな独裁は、独裁しているのが集団である場合だ。ソ連共産党や中世の貴族政治がこのタイプだと思われる。なぜマシなのかというと、集団で判断するからである。先に述べたように、目玉の数は多いほうがよい。対等な目玉が複数あって、何が事実であるかを争えると事実認識の歪みは低減できる。市民の自由を剥奪し、目玉の数を減らしているのは問題だが、それでも独裁者集団のなかで対等な競争があるならば、判断はうまくいく可能性がある。一方で、政敵を殺しまくって孤独な独裁をすると、事実の認識がうまくいかなくなる。

また、独裁が集団で行われていると、トップの権力者が死んだとしても意思決定システムが滅びることはなくなる。つまり冗長性がある。だが、孤独な独裁はこの点でも脆弱である。独裁者が死んだとき社会は混乱するし、独裁者は死ぬに死ねなくなる。

この構造を、われわれに身近な会社組織で考えてみよう。マネージャーが会議で判断するのがマシな独裁(以下、集団独裁と呼ぶ)で、すべてを社長が決めてしまうのが孤独な独裁である。残念なことだが、たいていの会社組織にはどちらかの独裁システムが採用されている。社員全員の判断をすり合わせるのは、あまりにコストがかかるからである。

このように、独裁システムは民主制の社会でもそこかしこにある。目玉の数を制約することで、すばやく決断する必要があるため、民主制でも会社等の組織に独裁システムが採用されるのである。

ただし、独裁される組織でも居心地のよいものとわるいものがある。この違いはなぜ生じるのか。答えはルールの有無である。独裁によって判断と権力が独占されていても、その権力がルールによって統制されているならば、判断はルールに拘束される。ルールで独裁権力を縛っておくと、判断が予測可能になる。社員にどこまでの自由が約束されるのか、事前に見積もれるということだ。だから、たとえ独裁システムがあったとしても、納得可能なルールがあれば、その組織は居心地がよく感じるのである。

 

以上、孤独な独裁と集団独裁を対比して、意思決定のまともさ、組織の堅牢さを論じた。民主制と独裁システムは対立するものではなく、民主制にも独裁システムが入り込むことがわかった。また、民主制社会における集団独裁の性質についても考えてみた。いちばん快適なのは、ルールによって支配された集団独裁の社会、あるいは組織である。

だからルールに縛られない孤独な権力者は危険である。容易に他人の権利を侵害するだろう。プーチン氏の行動は喫緊の課題ではあるが、われわれの社会にもこのような人はいるので近づかないよう気をつけよう。

*1:ここでいう合理性は客観的合理性ではない。そもそも客観的合理性なるものが存在するのか疑わしいが。

*2:democracyを民主主義と訳すのに反対の立場です。

*3:ロシア政府は集団で運用されているが、異を唱える人は排除されたものと認識している。