近況
今週は漫画のアシスタント作業をしていた。
家業となっている漫画制作は二、三週間の周期で締め切りがやってくる。締め切りといっても特に約束をしているわけではないので、完成し次第アップロードするものだが、一応この日には完成させたいねという目標を設定して作業している。
今回は火曜日が締切になっていたのだが、作業が遅れて水曜日の夜まで作画をしていた。作画はほとんど妻氏がやるので私にできることは少ないのだが、あらかじめ決められたトーンを貼る作業をしている。このお仕事を溜めてしまっていたので今週はトーン貼りに追われることになった。
そして無事に?二日遅れで完成させることはできたので安堵している。そしてまた次のスプリントが始まる。
完成した漫画はこちらに上がっております。
manga-no.com
先日紹介したGather部室の運用も続いている。部室と定義している場所になんとなく集まって喋ったり喋らなかったりする。だんだん人の集まる時間が収束してきて、夕食のあと、20時から0時にかけて部室が賑わうようになってきた。
最新のマップはこんな感じになっている。 いくつかの施設とオブジェクトが増えている。畳と布団、バスタブのドット絵を妻氏に打ってもらって、「北白川」の部屋に設置した。アバターをバスタブや布団へ移動させて、物理世界の状況を示すのに使っている。
労働
細かいリファクタリング実装をして、お喋りをしていたら五日経っていた。
数日後に次年度の有給が補充されるのだが、このままの消化ペースだと一年後に有給が消滅することが分かっている。
有給は月曜日か金曜日に入れて週休三日にしがちだ。仕事が進まなくて悩ましい側面もあるが、今年度は暇な時期は見つけて四週連続で週休三日を出現させてみたい。
読書
読んだ
- ハイデガー 世界内存在を生きる: よかった
- ピープルウェア: この本はだめです
読んでる
読むつもりで積んでる
雑記
日記用アプリをUlyssesに乗りかえた
もう日記を三年書いている。日記帳にはiOSやmacOSにプリインストールされるNotes.appを使っていた。なぜScrapboxやNotionを使ってないのかというと、日記のためのメモアプリにはデバイス間同期機能さえあればいいからだ。日記は夜にまとめて書くのではなく、随時少しずつ書くと運用しやすいので、iPhoneやMacなどのその時手元にあるデバイスで書くようにしている。
Notes.appで特に困ることなく三年を過ごしてきたのだが、つい先日、千葉雅也氏がUlyssesが原稿を書くのによいとツイートしているのを見かけた。個人的に千葉雅也氏の感覚をよく信頼しているので、興味本位でUlyssesについて調べてみた。
UlyssesはScrapboxやNotion, Evernoteのような知識を貯めるノートアプリというよりは、原稿を書くためのアプリだった。快適に原稿を書くのに特化したUIと機能を持っている。もちろんiCloudを使ったデバイス間同期もあるし、フォントや行の幅もいじれる。なるほどよくできている。
だが、そのぶんコストもかかるアプリだった。サブスクリプションが必須のサービスになっていて、年間五千円になる。ただのメモ帳にそれだけの価値があるだろうか?私は日記に毎日一時間くらい割いている。何か思いついたら作文をして頭を整理するし、愚痴があれば日記に書く。最近では週報や読書ノートもつけている。たぶんSNSと同じくらいメモ帳を触っていると思う。
というわけで課金して日記アプリを乗り換えることにした。ノートアプリの乗り換えで課題になるのはデータの移行だが、UlyssesはちゃんとNotes.appから移行するツールを用意してくれていた。ツールをダウンロードしてきてボタンを押すだけですべてのメモが移行された。画像つきのメモだけデータが壊れる問題があったが、これは手動で貼り付け直してなんとかした。
Ulyssesはさすが課金アプリなだけあってNotes.appの上位互換に思われた。UIは軽快で文字入力がすばやくできる。何を当たり前のことを、と思われるかもしれないが、Notes.appはただのメモ帳なのにもっさりしているのだ*1。WebViewが内部実装に使われているのかもしれない。また、Notes.appはデバイス間同期が遅い問題があった。iPhoneである日記を編集しても、その変更がiPadに届くのに遅延があるのだ。原因はよくわからないので、ただ耐えていた*2。
また、UlyssesはiPad対応がしっかりしていた。Split Viewとマルチウィンドウに対応しているのだ。 こんな感じの機能である。Split Viewは過去の日記を読み返しながら週報を書くのに使える。下書きを表示しながら清書という使い方もできる。マルチウィンドウ機能については、存在すら知らなかった。じつはOSがサポートしていたらしい。
というわけで、まともな日記帳アプリを見つけたという話だった。機能やUIが優れていてよいアプリだと思う。お金もちゃんと取られるのでサポートも期待ができる。大量に文字を書く人にはよいツールだと思う。
信用と平等さについて
ある日のこと、風呂で独裁と西側社会について対比しつつ考えていた。ソ連の指導者の記事を読んでいたら、悉く権力争いをして死んだら交代をしているのを知った。プーチンも習近平もそうなるだろう。なぜ彼らは生きているうちに権力を委譲しないのか。所有欲が強すぎるのもあるし、ルールがないのもあるだろう。そして、何よりも信頼できる後継者がいないことが原因であろう。この人になら任せられるという人を育てていないか、あるいは育てる気がなかったのだ。
この人ならば任せられる、という感情は信用と呼ばれるものである。他者への信用がないのが独裁者であり、独裁国家なのだ。まさに中国とロシアがそうだ。中国は信用スコアを導入して(民間部門は)変わりつつあるのがさすがではあるが、ロシア(プーチン)は致命的に信用という概念がない。だから大型旅客機を返さなかったり、ロシアから撤退する企業の設備を奪う法を作ったりもする。
一方で西側社会では信用が大事になっている*3*4。信用がリスクと対になる概念として整備されている。人々は信用をスコア化して投資をしたり、契約したりする。西側の、開かれた社会では信用が大事にされるが、独裁の社会では信用が機能しない。信用ではなく、独裁者の意思で何もかも決まってしまう。一方で開かれた社会を統べるのはルールである。さまざまな粒度のルールがあり、それらのルールのうちもっとも高度なものが自由である。自由で平等というメタルールが神のごとき法となっている。
開かれた社会にも問題がないわけではない。いま問題になっているのは格差である。開かれた社会は福祉などの仕組みで、災害や病気、老いへのサポートをしてくれる。少なくとも日本の場合はそうだ。日本は災害が多いからなのか、けっこう理不尽イベントに優しいと思う。だが、それでも格差はあり、おそらく広がっている。
格差に対するアプローチでも共産主義と民主制は異なるアプローチをとる。共産主義は建前上格差がない。社会全体で生産した結果を分け合うので、個々人の能力や生産性に差があろうとも、結果的にすべてのリソースは平等に分配される。ということになっている。しかし、民主制はルールでカバーできる範囲の自由と平等を保障するだけであって、個々人の活動の結果として出てくる不平等には手を出さないのだ。自由を重んじる制度では、事前条件の平等性しか目指していない。
条件の平等がよいのか、結果の平等がよいのか、どちらだろうか。これはどちらなのか、という問いを立てるのが間違いで、条件の平等のうえに結果の平等を目指すシステムを作る、中間を目指すのが正解である。これが民主制の社会でも実装されている再分配システムである。であるから、格差の結果として飢えるものがいる限り、稼いだ人は税を差し出さねばならない。でなければ社会全体が持続不可能になるであろう。