しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/07/10

雑記

ちょっと時間がない感じがする

余暇は妻氏の漫画のアシスタント作業をしていた。あとはサイゼリヤ問題について書いたり。

manga-no.com

 

seiga.nicovideo.jp

ふだんから日記で使う時間は多い。考えて書くのが趣味なのでいいのだが、1日1時間以上書いてるような……。でもこれは減らせない。

となると、やはりSNSの時間がいちばん無駄。誰もが通る結論である。特に今週は騒動も多かった。私はダメージを受けることはないのだが、時間が足りないのでやめておきたい。

疲れているのに気づいた

調子がいいからといって鍼を1ヶ月開けていたのだが、限界だったのかも。疲れの管理ができていない。

頭脳労働の疲れは運動をしないととれない。散歩とストレッチをすることにした。なかなか散歩の時間はとれないのだが、けっこうヤバい体調になるので死活問題である。在宅勤務は不健康だ。

買った。

塩蔵物から塩をだすとうまくなる

youtu.be

この動画でそう言っていた。たしかに塩蔵物はうまい。塩蔵物とは漬物、アンチョビ、ベーコンなど。

野菜を塩漬けにするとたいてい発酵しておいしくなるし、肉はそれ自体がうまい。

パスタにはアンチョビとベーコン、チーズを入れて、純粋な塩は少しだけ。塩加減がわからなければ味見をしつつ最後の塩で調整する。

炒飯にいれるチャーシューも塩蔵物といえるだろう。味噌もそれ自体が塩蔵物。

たしかにオイルサーディンでおいしくできた

サイゼリヤ問題の分析

non117.hatenablog.com

疎外の問題は当然あるのだが、記号化の解釈が難しかった。他人の解釈をあらかた眺めると、記号化のグロテスクさ、記号化で情報が落ちるという解釈が多かった。間違ってはないが、「情報が落ちる」と言うだけでは曖昧さがある。

最初は自分もその程度の認識だったが、高村先生のツイートを足がかりに、書きながら分析したら「情報を食べている」という観点が出てきた。自分でもびっくり。でも、これには自分でも納得できた。カントっぽく「物自体」を食べているのではない、とも言える。

 

サイゼリヤは庶民にとって大事な店になっているため、デートで使うには云々みたいなマウントをされてしまう。おそらく中流意識の象徴みたくなっているのだと思う。

しかし、サイゼリヤはどこにでもあるわけではない。サイゼリヤを利用できる人たちはごく一部であり、その庶民性は全国的には上流階級かもしれない。

 

それにしても、サイゼリヤの愚痴だけであそこまで人々が怒るとは……。人々は「私を怒らせたから謝れ」あるいは「炎上しているということはお前が間違っている、認めろ」と言っていた。たしかに全体主義的である。

私にとって哲学とはなにか

哲学の定義は人によって違うところがある。問いを立てること、批判的思考が本質だ、と言う人もいるのだが、私にとっては違う。

問いを立てること、批判的思考は自然科学でも使うからだ。なんならソフトウェアエンジニアリングでも必須の思考方法だ。哲学に固有のものとは言いがたい。

哲学があらゆる学に浸透している、哲学はすべての学の基礎だと言うなら間違ってはいない。ギリシア時代以降、哲学から諸学が派生している。

 

私にとって哲学で大事なのは人間について考えることである。いわゆる心の哲学。心理学や言語学社会学脳科学、あらゆる人間に関する学を総動員して人間について考える学である。

人間一般のうちいちばん大事なのは自分自身である。自分自身および人間一般について考えるのだ。自己分析という、極めて個人的な探求を哲学と言っているところもある。

とはいえ、人生においてこれほど大事なこともない。私の目は直接自分を観ることはできないし、身体と思考のほとんどは無意識さんが勝手に動かしている。癖は自覚できない。

人間という構造、この精神の構造は所与である。これを詳しく調べないでどうやってよく生きるというのだろうか。