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いらんことばかり考えます

週報 2022/10/09 Stable Diffusionを試した, BA1ワクチン接種 ほか

Stable Diffusionを試した

宇宙モルモット

こんな画像が出てくる。たしかにおもしろい。

導入手順は以下のとおり。ふつうは素のWindowsで動かすと思われるが、まともなシェルが欲しかったのでWSLを使った。sshmacOSから管理できて便利である。

必須要件

  • メモリ16GB
  • nvidiaのグラフィックボード

手順

  1. .wslconfigでメモリ割り当てを12GBくらいに設定する。モデルがでかいので多量のメモリがないと落ちる。
  2. Hugging Face からStable Diffusionのモデルを落としておく。Waifu Diffusionでもよいかも。

  3. WSLのインストール、ユーザー作成。
  4. 22番、7860番ポートをVMからホスト側へフォワードする*1sshとStable Diffusion web UIのポート。
  5. パッケージを入れる。Pythonの依存cudaなど。cudaが必須なのかはよくわかっていない。
  6. asdfを入れる。
  7. asdfPythonを入れる。
  8. Stable Diffusion web UIをgit cloneする
  9. webui.shを動かす。いろいろ自動でビルドされるので待つ。
  10. 無事に起動されたら一回落として、python webui.py --listenで起動する。これで0.0.0.0で起動される。
  11. ホストマシンの7860ポートにhttpアクセスして遊ぶ。

アイコンのキャラを生成しようとして出てきたふんいきイラスト

今のところWaifu DiffusionはNovelAIほど精度がよくない。精度とはなんやねん、とは思うが、ともかく、そう簡単に綺麗なイラストは出てこない。ただ、シンプルな呪文であればおもしろいものは出てくる。

AI画像生成の領域は数日でブレイクスルーが発生する状況、確変状態であり、悲観する必要はない。メモリとGPUを犠牲にする余地さえあれば、どんどんおもしろい、あるいは綺麗な画像が生成できるのではないか。

刺されそう

プロンプトに呪文を入れて試行錯誤するのが楽しい。ランダムにノイズを除去していって、画像を生成しているので、どこかガチャみたいなところがある。時間と電気を使って何かを降臨させる儀式だ。

プロンプトに入力する呪文は空間を制約するためにある。思ったとおりの絵を出すには、できるだけ狭い空間になるよう、言葉を選ぶとよい。語は重複しないほうがいいだろう。重みづけは()でできるので。

かにパルサー

AIと絵師の対立があるが、たしかに絵師は困るだろうな、と思う。虹裏としあきが「スケブに発注せずにすむ」と言っていた。たしかにそうである。投げ銭で稼げる時代が来たと思ったら、AIに仕事をとられるのだ。たまったものではない。

となると、AIで再現できない絵はなにか、という問いが出てくる。個人的には「狙ってないのに出てしまう癖や絵柄」が答えだと思う。こういうものを「味がある」とも言う。

個人を狙ってモデルを作られたら癖すらも学習可能だとは思われるが、そんなあからさまな敵対的な行動をする人には法的闘争の余地があるだろう。ひとまず、自分の味を磨くのがよいと思われる。

クラブサンドハウス

BA1ワクチン接種

一昨日、オミクロン株対応の二値ワクチンを接種した。ファイザー製。10月に入ってそろそろかな、と思っていたら明日から打てます!と告知がなされた。7、8月の波で幸いにもブースター感染をしなかったので、すぐに打つことにした。感染した人はいつ打つか判断が難しいと思われる。

 

副反応は軽かった。熱は微熱程度で、37℃を超えていない。副反応は腕の痛みと倦怠感。3回目のモデルナに比べたらかなり楽。

と、言葉でいうと軽かったのだが身体のだるさはきつかった。おそらく免疫反応によってプロスタグランジンが産生されまくったのだと思う。足はむくんで頭はふらふらだった。

対策はイブプロフェン等のプロスタグランジンブロッカーである。すぐに飲めばよかったのだが、気づくのが遅くて苦しんだ。12時間後から18時間後にかけてだるさのピークがあるので、その辺の時間を狙って6時間ごとに飲むとよい。だいぶ楽になるはずである。

バジル

初夏の頃、知人にバジルの苗をもらった。数ヶ月育てて腰の高さまで成長したのはいいのだが、もうすぐ冬である。バジルは耐寒性がなく、寒さでやられてしまうそうだ。家の中に入れることにした。

UPSとバジル

数年間ベランダで何かしらの植物を育ててきたのだが、室内に入れるのは初めてである。そもそも鉢皿を持っていなかった。鉢皿とはプランターの底から溢れる水を受けるための皿である。

京都大丸の屋上の園芸店が最寄りだったのだが、閉店していた。なぜか大丸の8Fは廃墟になっている。最寄りだったペットショップも閉まって実に困る。もっと収益性のよい店舗に入れ替えるのであろうか。横暴な。

鉢皿がその辺で買えなくて困り、結局東急ハンズでお盆を買った。銀色のステンレス製のお盆である。ふつうにコップや皿を運ぶ道具なのだが、サイズがちょうどよかったので、鉢皿にしてみた。

 

バジルが家の中にあると便利だ。すぐに料理に使えるし、手入れもしやすくなる。モルモットの餌にもなる。問題は光量が足りるかどうか。蛍光灯と植物用のLEDライトを使っているが、屋内で越冬できるかは賭けである。

ロシア料理店キエフ

祇園にあるキエフというロシア料理店で食事をした。キエフのロシア料理というだけでもう怒られそうな店名なのだが、この店はソ連時代からあるので非難される謂れはない。そうはいっても、いちゃもんをつける暇人はいるだろうけど。

食べたのはランチのコース料理で、前菜、ボルシチ、メイン、黒パンなどが出た。あとは取り分け用にプロフ。

ちゃんとサワークリームが入っているボルシチ

味はふつうだった。学生時代から知っている店で、当時はかなりおいしい店だと思っていたのだが、店と私のどちらか、あるいは両方が変わったらしい。味の記憶とは信頼できないものである。むしろ変わらない味のほうが珍しいかもしれない。

これはピラフ

プロフを注文したらカレー味のピラフが出てきて驚いた。ピラフではなくプロフと表記されているので、中央アジアのあのプロフだと思ったのだが、この店の解釈は違うらしい。私は羊肉にクミンが効いたものを期待したのだが、ちょっと残念である。

この店は黒パンも黒パンらしくなかったので、日本人好みの味に寄せているのだろう。客層は中高年。あまり尖った味付けにはできないと思われる。おいしかったが、もっと本格的なものを食べたいな、と思った。

労働の様子

この頃出社日の弁当として味噌汁弁当を運用している。ジャータイプの弁当箱に具沢山の味噌汁を入れたものだ。それとおにぎり。出社する日は早めに起きてちょっとした調理をする。

前の晩にカット野菜をタッパーに詰めるのです

切っておいた野菜と鶏肉を蒸して、ジャーに入れ、味噌とお湯を入れる。すると、運んでいるうちに自然と味噌が溶けて味噌汁ができる。おにぎりはタッパーの白米をラップと塩で包んだもの。

10分〜15分で作れて、味もよい、野菜もたくさん食べられる食事なのだが、それでも早起きが必要になるのはたいへんである。弊社の定時がちょっと早めなのも問題ではあるが。

 

今週数日出社労働をしたところ、私は出社しているほうがよく働くことに気づいてしまった。やっぱり家だとだらけるし、運動不足で頭のはたらきが鈍るのだ。歩いて血流をよくしたほうが働ける。特に冷え性の私の場合はそうである。

通勤で時間が減るのは歯痒いのだが、ちゃんと進捗を出してから退勤するほうが気分がよい。塩梅が難しいなと思う。寝ている間に会社の席についているならば、毎日出社しても構わないのだが。

私的領域の包摂

ロシアは欧州からどう見られるか、ではなくロシア国内からどう見られるかを気にしているようだ。外に向けては一貫性のない主張を繰り返している。矛盾や不誠実さがあっても気にしない。

大国は外ではなく、内部の対立、反乱が怖いのだと思う。大きな国は内側から崩壊するのが歴史の常である。中国も警察費用が嵩んでいるし、外よりも内をみているのだ。

 

この構造は身近なところでも見られる。この頃ニュースやインターネットで槍玉にあげられる「炎上」は、身内向けの態度そのもの、あるいは身内向け態度を外に見せたことで起きるものが多い。

内輪では身内向けの態度をとり、外と違った顔をする。これは動物的に自然である。人が群れて集団を作り、身内を優遇する、身内向けの特別な態度をとる、何千年もこうしてきたはずだ。

公的な空間と身内向けの空間を区別する規範は昔からある。我々の祖父母世代であれば、「世間」向けの態度を叩き込まれているし、我々にもそう躾けてきた。彼らの世代では身内と社会が峻別されており、世間向けにちゃんとした態度をとっていればそれでよかった。あるいは、場に応じた規範がはっきり決まっていて、それに従っていただけなのか。

 

現代では公私は曖昧、というか、私的空間が公的空間に侵食されている。どの身内向けの「コミュニティ」「会社組織」も閉じていなくて、どこかに穴が空いている。身内向けだと思って行動したら晒されることがある。「コミュニティ」独自の規範はあってないようなものになり、常に公的空間の規範の側から比較、判断される。

公的空間における「大人」の凄みはなくなり、すべての人はただの人間になった。つまり、前期近代は誰もが公的空間で「役」を演じていたということだろうか。今はみんな私生活をもった人間である。誰もが裏側に生活世界を持っている。ハルヒが指摘したように。

 

今や誰もがSNSで直接的につながるようになっている。裏側の生活世界は筒抜けで、政治的信条すら露わになっている。『露出せよ、と現代文明は言う』で言われたように、情報化時代の市民は「心の闇」を失い、個人の心は白日のもとに晒されている。

その結果「心の闇」や私的な領域を失ったもの同士、公的規範によって監視しあう社会ができる。いつどこでも、監視のまなざし、他者の目線を気にしないではいられなくなる。

世間の目線を気にしていたのは祖父母世代でもそうでは? 同じではない。彼らの世代は、公的空間における他者の目を気にしていたが、私的空間では自由だった。一方で、今は私的空間も世間の目を気にする場所となったのである。

 

対抗する方法は、もちろん「心の闇」をもつことである。公私をはっきりとさせて、私的領域への「社会」の干渉を無視すること。自己と他人をしっかりと区別すること。

残念ながらコミュニティを作るのは難しくなっている。少人数の信頼のおける人だけで作るならばいいが、人数が増えたら途端に私的空間に穴が空いて、公的規範が入り込んでしまう。大きなコミュニティはすなわち社会だと思ったほうがよい。

自他の区別が曖昧な人は苦しむことになる。安心できる私的領域がなくなり、常に「社会規範」の圧力に晒される。皆で相互監視をして、皆で不幸になるゲームのなかにいる。残念だが、公私の厳密な区別が外から与えられる時代は終わってしまった。現代を幸福に生きるには、自己を定立する以外の方法がないようにみえる。

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