近況
- MacBook Airを受けとってセットアップをした。数年間机でしかPCが使えない生活をしていたので新鮮。どの椅子で何をするかのコンテキストを作っていく。
- 椅子の修理手続きをしている。パスワード別送、PDF印刷捺印などの洗礼がある。ドイツ企業日本法人なのに仕草はJTBCである。この椅子は会社用に転用し、家用に新しく輸入する予定である。台湾有事で船便が止まったらたいへん困る。
- 大学サークルの現役生から連絡があり、通帳名義が私のままであることが発覚した。うっかり。しかしどのサークルでもよく起こりそうな問題である。引き継ぎは失敗しうるので現金と金庫が一番かも、と思った。
- 誂靴の仮合わせがあった。私の腰の高さが左右で1mmくらい違っていて歩くときに体軸がぶれる。右足底に敷物を入れましょう、と言われた。実際に歩き方が変わった。すごいスキルである。靴職人さんは身体構造をよく理解している。
- ファンタジアが苦しむ被害妄想、リフレインはエヴァQ中盤のシーンで表現されてるのに気づいた。アファンタジアである私には内言がないのでこれがわからないのだが、映像作品として表現されると理解できた。庵野監督は脳内で映像を再生できるタイプだと思われる。リフレインで苦しむのだろう。
『知的生産の技術』を読み返して物理的な情報カードを作るようになった
梅棹忠夫の『知的生産の技術』は半世紀前に書かれたのに未だに通用する本である。身近な例としてはScrapboxに実装されている。アイデアや出来事をカードに書いてタグなどを使って並び替えるシステム、それが情報カードである。
『知的生産の技術』によると、情報カードは手で「くって」*1読み返すことが大事らしい。繰り返し読み返すことで理解を深め、次のアイデアの種を作ることができる。
電子的な情報カードでは「くる」操作ができない。Scrapboxのタグによる一覧表示がカードのフォルダ分けをしつつ「くる」ためのUIになっていると思われるが、手で「くる」体験とは別物である。複数枚を並べて読んだり、机に並べて眺めたりできないといけない。根本には、ディスプレイが物理空間より狭い問題がある。
また、物理的情報カードには制限があるのがよい。B6の紙切れには罫線が引かれており、詰めこんでも500文字くらいが限界である。一方で電子的情報カードはいくらでもテキストを入れられる。
有限性は大事だ。日記でも何でもそうだが、テキストをたくさん書けるのが電子デバイスのよいところであり、悪いところでもある。大量のテキストは管理できないのだ。対策は検索システムしかない。
物理的有限性があると、情報を詰めこむために要点だけ圧縮して書くことができる。情報カードを書く時点で、頭の中で推敲が一段階進むのだ。電子的なメモの場合、だらだら書いて書きながら考えられるのはいいところなのだが、あとから読むのには向いていないテキストができる。
このように電子メモと物理メモそれぞれの利点がある。今更電子メモのスケーラビリティを捨てることはできないので、併用することにした。
毎日Workflowyに日記を書いているのだが、とても読み返すことはできない。量が多すぎるから。1年後には読めない量になるから7日単位でまとめよう、と思って始めたのが週報である。週報は生存報告も兼ねて公開しており、インターネットに公開する以上は公益性を意識して書いている。そこに載せられない内容の行き場として、物理カードを使うのがよさそう、と判断した。
物理カードにはまだ人に説明するのが難しいアイデアとか考えごとを書く。自分にしかわからないであろう考えごと、言葉というものはある。おそらく煮詰まりきっていないだけだとは思うが、残して途中から考えられるようにしておきたい。それに使えるのが物理的な情報カードだと思う。
『天然知能』を読んだ
著者の考えた心の哲学か何かを書いた本なのだが、内容はよくわからなかった。
おもしろいことが書かれているような気がして最後まで読んでしまったが無駄だった。著者の説明が下手すぎる。本が合わないときは早めに見切りをつけるべきである。
天然知能であることは、外部に対して開かれた態度をとることらしいが、それを天然知能と呼ぶことの意味はわからなかった。
内容: △, サービス: ×な本。
その人の考えた、人生の独自理論を広義の哲学と読んでもいいとは思う。でも説明できないのは本にしたらダメ。
あとがきによると編集は全面改稿を勧めたそうだが、書き直してこれがでてきたらしい。どうしようもない。
AI画像生成は写真撮影である
さまざまな空間に対してカメラを向けて(プロンプトを考えて)撮影し、たくさんの写真(画像)からよくできた数枚を選びとるから。
という観点において同じ構造をしている。絵を描くが写真を撮らない人には向いてないかもしれない。いろんな画角や構図(プロンプト)を試して撮影し、これぞという一枚を選べる人は向いている。
違いは撮影する空間とカメラの構え方だろうか。AI画像生成で撮影する空間は、学習されたインターネット画像すべて、である。超多次元の空間があり、そこをプロンプト(呪文)で切り抜き撮影していく。プロンプトを練ると独特の空間が残り、その人にしか撮影できないものが出てくる。
NovelAIの画像は全部一緒じゃないか、と思うかもしれないが、そんなことはない。似たような画像が氾濫しているのはmasterpiece, bestqualityのタグの頼った人が多いからであり、定番タグを外せばもっと広い絵柄、線を出せる。実際にこの人が証明している。
大量の画像から選び抜く点も大事だ。撮影者の「目」がよくないといけない。平均的な視点だと落とされてしまう画像を拾うには「目」が必要であり、「目」はセンスや訓練によって培われる。よいもの、本物をたくさん観るとか。
これまでイラストを作るには手で描くしかなかったのだが、イラスト空間を撮影するカメラマンが発生した。イラスト消費者たちがみな画像生成をしないのは、ここにも向き不向きがあるからだろう。今後、イラスト空間カメラマンは増えるし、空間を切りとる道具も整備されていくだろう。できれば日本語の呪文が使えるといいのだが。
*1:トランプやカードゲームで手札をくる動作