免許更新のオンライン講習が便利だった
これこそがDXだと思った。ゴールド免許更新の講習が家で受けられるのだ。使うのはスマホとマイナンバーカードだけ。免許更新センター現地での事務作業は20分。入所してから30分で新免許証を受けとることができた。
ただし以下の注意点がある
- オンライン講習のサイトへの誘導が貧弱なので、警察署HPではなくGoogle検索で見つける
- オンライン講習へのログインにマイナポータル連携が必要だが、エラーが出てリトライが必要になる
- オンライン講習の動画を観ながら、途中で3回自撮りをする
- オンライン講習を受けた場合の(京都駅前での)更新手続きは10時半からである(早めに行ったら追い返された)
というふうに、罠はいっぱいあるが便利ではあった。使わない手はない。
サーモンランの考え方
1回のゲームのなかに無駄な時間はない。これがポイントだと思った。つまり常に盤面を有利にするような行動をすること。オオモノが出てこないからといって遊んでいてはいけない。シャケ・コジャケを撃滅したり、コンテナ周辺の治安を維持することで盤面は優勢に傾く。こうやって有利になる行動を積み重ねるとWave3までクリアできるようになるのだ。
というかこれってゲーム一般の性質だ。サッカーとかにも適用できそう。ミクロな行動で有利さを積み重ねマクロな結果を動かす。将棋もそう。
ゲーム一般の考え方は言語化できたのだが、実際にそのように動けるかは別の話である。具体的な立ち回りは練習するしかなさそう。
そうめんをほどいて収納する
好きな食べ物第一位はそうめんである。うどんやラーメンではなくそうめん。小学生の頃から一貫してこうだった。今や朝食にそうめんを食べることすらある。箱買いもよくしている。
そうめんは束だと扱いにくい。夏場にそうめんを食べるとき、1束だと少ないが2束食べたら多かった、という経験をした人も多いだろう。朝食や間食としてのそうめんも1束ではなく1.5束食べたいことがよくある。
束なんてものがあるのが悪いのだ、ということで紙テープを外してパスタケースに入れて保管してみた。
そうめんを食べまくっていると乾麺の量感覚は勝手に身につく。見たらわかる。それでも困ったら重さを測ればよい。
また、見た目もおもしろい。立っている乾麺をチラ見するとパスタかな?と思うのだが、よく見ると白いのだ。違和感すらある。
今回使ったのはOXOのケースだった。ヨドバシカメラで見つけて買ってきた。見た目も機能もよいケースだったのでおすすめである。
お花・植物・ねずみちゃん
妻氏と雑談をしていたら「あなたの無害さはお花・植物・ねずみちゃんのようなものなのだ」と言われた*1。これはどういうことかというと、ふつうの人は感情を撒き散らして生きているものだが、私はそういったドロドロしたものを抱えておらず、かつ、垂れ流すこともないから家にいても平気なのだ、という話である。ただそこに生きていて、感情的なエゴの発露をしない、という点でペットのスナネズミやプランターの植物と同じカテゴリーに入れられている。決して悪い意味ではない。
感情がない?
感情がないということはない。映画やノベルゲームで感涙したことはあるし、体調不良で怒ることはある。しかし、かなり安定していて情緒が揺さぶられることが滅多にないのは事実である。
なぜ安定しているのか?
他人の感情の影響を受けにくいからだと思う。アファンタジアであることが関係している。
例えば、知り合いのXさんがSNSで家族の愚痴をツイートしているものとしよう。おそらくファンタジア、ふつうの認知の人であれば、怒って愚痴る知人Xの姿、音声が脳内再生されると思う。その人の怒っているさまがありありと描写されるから、その感情からダメージを受ける。
しかし、私はこのイメージができない。脳内で人間の姿形や顔、音声が再生されることはない。ただ知り合いであるXさんが、何らかの事情で怒っているのだなあ、と思う。事実をそのまま受けとる。このように、他人の感情の発露を見ても影響はほとんど受けない。だから安定している。
感情の影響を受けないのはいいことでは?
もちろんいいこともある。便利だとも思っている。特にこのSNS時代においては。
しかし他方で、影響を受けないことは共感能力が乏しいことも意味する。共感は示せないことが多いし、日常的な感情の発露も少ないので、冷たくて無神経な人間だと思われることも多そうである。まあ実際にそうなのかもしれないのだが、能力的にイメージできないのだからどうしようもない。
共感ってなに
共感をするには、相手のイメージをビビッドに描く必要があるのだと思う。ただの情報処理ではない。脳内での再現、追体験が必要なのだ。
共感能力を支える脳内再生、イメージの能力は人によって異なる。アファンタジアでも多少はイメージできる人がいる。私のように味、体性感覚、皮膚感覚、イメージ、人の声、すべてが再生できない人もいる。また、イメージ能力自体はあっても、その鮮明さが人によって異なる。頭の中に詳細なイメージを描ける人、曖昧でブラーのかかったイメージを描く人、さまざまである。
であるから、共感能力はもともと人によって大きく異なるものなのだろう。インターネットで言われる「共感」は「共感を示すこと」まで含意されることが多いので、感受性と言うのが正確だろうか。感受性は人によって大きく異なる。これなら意味が通りやすいだろう。そのうえで、共感を示すのか、共感を示したふりをするのか、は各人の選択である。
よかったツイートオブザウィーク
インフラを整えると生産性があげられる
生産性ってインフラに支えられる必要があって例えばトラックドライバーであれば拠点間を2トン車で配達する人と20t車で配達する人では運べる荷物の量=生産性が高くなるがそのためには20t車でどこでも行けるような道路が必要=インフラの整備が必要。知的生産の分野でこれを蔑ろにしている事例は多い
— ろんず (@athlonz) 2022年12月22日
情シスなんかはまさにこういう仕事をしている。インフラそのものだけでなく、インフラを整備するための予算の余裕も大事だろう。SaaSの導入とか。
文化的な側面として、Wikiの使いやすさがアウトプットの量を決めるとかがありそう。UIはバカにならない。UIのよさもインフラである。
アメリカの謎の冗長文化
アメリカの入門書は、いいことが書いてあっても具体例や無駄口が多くて読みにくいといつも思う。あのように書かないと説得できないお国柄なのだろうか。3分の1で書ける内容だと思うことがしばしば。
— 千葉雅也『現代思想入門』発売 (@masayachiba) 2022年12月24日
どの分野でもアメリカの本だとこの傾向がある。本当に困っている。
*1:お花と植物が同じカテゴリーでは?とツッコんだが、語呂がいいのでこのままになった