しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/02/05 朝に弱い人のための粥, 言葉とリズム

近況

少し春が近づいた。立春である。あれほど寒かったのに、今週は十度まで上がる日もあった。ありがたいことである。代わりに寒暖差に悩まされている。自律神経がおかしい。この時期、気候が安定するまでは神経がおかしくなるものだ。狂わないよう休み休みやっていきたい。

生活もいったんリセットされてしまった。年始からコミティアに向けて走り、ゴールしたと思ったら雪でめちゃくちゃになり、そして厳冬が終わった。今週になって落ちついてみると余暇で何をしていたのか思い出せなくなっていた。何してたんだっけ?と思いつつとりあえず本を読んでいる。

できごと

  • TwitterAPIが有料になりタイムラインは大混乱。職場も影響を受けている。でもよく考えると、あんな複雑なシステムが無料なのはおかしい。
  • 腰に不穏さを感じ机を高くした。運動はいつも不足している。
  • ブログをPROプランにして独自ドメインをつけた。妻氏サークルがmendako.landはてなブログで公式HPを作った影響。
  • なんで自分は大学院を移る判断ができたのか不思議に思った。京都は合ってるから正しかったが、何か予感でもあったのだろうか。
  • よく水を飲み忘れるので必要な量を計算した。3.3L必要で、飲むべき水は1.7Lだそうな。
  • ピアノの上達につまらない練習曲が近道なのを理解する。素振りは大事だ。

朝に弱い人のための粥

朝食にずっと悩んでいた。夜型で冷え症な私は起きて腹が減っているということがまずない。一時間経ってようやく食べようかな、と思えてくる。でも食べないわけにはいかない。やっぱり食べたほうが仕事は捗るし、休日も早めにエンジンがかかる。だが、身体はいらんと言っている。無理に食べると胃腸はおもーくなるのだった。お腹を犠牲にして頭を動かしていた。

キムチは粥の色が悪くなるのでやめたほうがいい

そこで粥である。粥は病人食であることからもわかるように消化がよい。それに暖かい。冷え症にとってはこれが重要だ。香港や中華文明圏で粥が好まれるのは、粥が身体を温めるからである。中国医学(漢方)では特に冷えを嫌う。
料理としてシンプルなのもよい。水、米、塩だけでおいしくなる驚異的な料理だ。うまみ系調味料使ってないんだけど……。これくらいシンプルで味がよい料理はあまりない。膾くらいだろうか。
ただ、調理に時間がかかる弱点がある。米から煮ると三十分くらいかかるし、丁寧に、おいしくしようと思ったらもっと煮こんだほうがいい。

介護用途の需要が高い製品らしい

解決策は自動化だ。予約して朝起きたら炊けているようにする。もちろん炊飯器でよいのだが、我が家はお釜派で炊飯器がなかった。調べてみると、象印がお粥専用の家電を出していたのでこれを買った。小さくてシンプルな機構で、しかも安い。粥の味もよい。

こうして毎朝お粥を食べるようになった。どんなにだるくてもなぜか粥は食べられる。お腹に優しいのに腹持ちはして、0.3合で三時間くらいはもつ。卵を入れてもよい。お粥メーカーには保温モードがあるので、起きたらとりあえず卵を落としておけばよい。5分くらい放置するといい具合の半熟になっている。

粥を食べる生活をもう十日ほど続けている。今のところたいへんうまくいっている。朝に弱い人にはおすすめだ。

『戦後日記』を読んだ

三島由紀夫の日記を抜粋したエッセイめいた本。内容は文学評論とライフイベント、日常の様子。
我々は彼の壮絶な最期を知っているので、ドキドキしながら読み進めることになる。三島事件に近い時期には不穏なことも書かれていた。どうも三島は「侍」になりたかったらしい。

おもしろかったのは習俗と言葉の変化。70年も前なので生活や言葉の使い方が違っている。当時のセレブだった三島は、何かとキャバレエ、ナイトクラブ、映画館、劇場へ行く。娯楽のバリエーションが少ないなと思った。
挙式後すぐに旅行へ出かけるシーンもあった。当時の新婚旅行は式場をあとにしたその足で行くものだったのだ。もちろん今もそうしている人はいるかもしれないのだが、私にとっては新鮮だった。

言葉の違いはたくさんあった。日除眼鏡、完全徹夜、颱風、眼鏡の玉、数奇(さっき)、不振(スランプ)、だあとなる、意識家、内証にする、など。

いちばん気にいった言い回しは178ページの「金環食。(美しい名だ!)但し東京では部分食。(情けない名だ!)」である。

www.chuko.co.jp

言葉とリズム

創作(妻氏の同人活動)に関わっていると、名前を考えることがある。キャラクターの名前もそうだし、ペンネームなども。面倒に思っててきとうな名前をつけることもあるが、先日は真剣に取り組んだ。

 

よい名前とはなんなのだろうか?名の意味も大事だが、音にも気を配らねばならない。口に出して発音しやすいこと。音の高さ、アクセントが頻繁に上下する名前は言いにくい。高さの変化は少なく、シンプルに上がって下がる音「↗↘」が理想的だと思う。
また、可能ならば七五調になっているとよい。私の幼少期の知り合いに「いいのかな」という名前の人がいた。五文字でリズムがよく濁音もなくて発音しやすい。それにインパクトもある。一度聞いたら一生覚えていられる名前だ。

と、よい名前の条件を考えたのはいいが結局思いつかなかった。具体的によい音を見つけるのは難しい。これは詩作の難しさである。その場としては諦めて先送りすることになった。

英語のリズム

日本語のリズムとアクセントについて考えたところ、英語の事情が気になった。調べてみるとこの動画が見つかった。

www.youtube.com

曰く、アクセントではなくストレスと呼ぶのが一般的。しかしストレスといっても音を大きくするのではない。高くする。ここに日本語と同様の高低変化があり、この点においては日本語と変わるものではない。

だがリズムが違う。全然違う。英語にはリズムがあり、しかも裏拍である。「ツッタンツッタン」のリズム*1。単語のアクセント(ストレス)のところで拍が乗り、音が長く、高くなる。この構造が発話全体を支配している。

諸言語のリズム

動画では日本語にリズムはない、と言われていたが、そんなことはないと思う。リズムがなかったら音楽文化が発生しないはずだ。ただ、英語のようなわかりやすい裏拍ではなく、休符がリズムを作っているのだと思われる。これはフランス語とも似ていて、フランス語はリズムグループ末尾で音が上がり、休符が入る。日本語は文節が終わるからといって音が上がることはないが切れ目でひと呼吸置く。

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図にするとこんな感じである。英語は短いリズムのループで息が切れるまで喋るのに対して、フランス語と日本語はなんらかの塊で喋って休符を挟み、また喋りだす。リズム構造がぜんぜん違うので、単純に比較して論じられるものではないが、英語の特殊性はよくわかる。

リズムの習得

我々は母語それぞれのリズムを体得しており、言語固有のリズムにハマる音を心地よく感じる。12月4日週報に「文章はリズムだ。お前にあったリズムを見つけろ」と書いたように、たしかにリズムは各人の個性によって変わるものではある。しかし、それでも外せない地盤はあるはずで、共通基盤がなければ相互理解ができないはずだ。そのリズムの基本構造が古典から学べるのではないか、と述べたのが1月15日週報だった。古典のリズムが洗練されているのは、千年生き残ったテキストという強さもあろうし、当時は和歌が大事だった、というリズム全盛時代だったのもあるだろう。

リズムというものは身体に叩き込むしかない。リズムがそうなっているのに根源的な理由がないからだ。犬がinuでありdogであるのと同じである。理屈ではないし、概念を覚えるものでもない。ただ真似をして覚えていくしかないだろう。できれば、よいリズムをもった上手なテキストを覚えるのがよいと思う。いいものをたくさん見ることが、真似、ひいては創作の肝であるから。

私はひとまず日本の古典を読もうと思う。英語やフランス語のリズムにも興味があるのだが、さしあたり必要性は乏しい。まず足元に何があるのかを確かめてみたい。