しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/03/05 皮膚が薄くなっている、伝わらないものと思う、深呼吸で無をやる

ストレス・疲れに悩まされたが鍼で持ち直し休む技術を模索した週だった。

2/25(土)服が薄くなっている

大丸へ行きPOLOの肌着を求めるも在庫なしとのこと。「じゃあ別の厚手のシャツを……」と言ってみたら「POLOほど生地がしっかりしたものはない。これが最高だから入荷を待つべし」と言われる。百貨店のおばちゃん店員が言うのだから間違いない。待つことにした。KFC🍗を買って帰り「このごろの服はどれも薄い。競争によってけち臭くなっているのだろう」と妻氏と話した。

夜、週報を書く。原稿用紙に万年筆で書いた。原理はよくわからないが、情報を圧縮して書くには紙がいちばんなのだ。二時間ほどで完成させた。よく頭を使って楽しい作業だった。妻氏によると漫画のネームも紙で書くとよく圧縮できるらしい。どんな読みものでも短くて稠密なのがよい。その作り方は漫画でもテキストでも変わらないようだ。

 

モルモットが足裏を怪我していた。ひとまずクッション牧草を敷いて様子見。

2/26(日)体力って何?

スタジオでピアノを弾いたら全然ダメだった。グランドピアノは電子ピアノの数倍の集中力がいるから、と思ったが今考えると単に疲れていただけである。この日は朝から怒りっぽくて不調だった。体力不足を疑いトレーニングも考えてみる。ピアノで集中力を増やしたので、次は体力が欲しくなった。でも体力とは何なのかよくわからない。体力がないと本は読めないのに、明らかにそれは筋力ではない。体力って何?

 

SNSとゲームを減らしたらソファでぼーっとして休む時間ができた。「無」をしながらモルモットを眺めるのが楽しい。たまに食糞がみられてウワーーッとなる。彼らモルモットの便は二種類あり、再消化のためには食糞が必要なのだ。食糞が必要ない草食の最終形が🐮さん。でも人間としては食糞を見るたびに驚く。

深夜によくないものを食べた。炊きたて白米にごま油と塩をかけたもの。炒飯みたいな味がした。

2/27(月)🐭の通院

ペットのスナネズミ氏を病院へ連れていくと糖尿病・腎不全であろう、と診断された。このごろ🐭は調子が悪くもうすぐ死ぬことがわかっていた。食欲はないようで水ばかり飲んでいる。食べられるものを与えてできる範囲で命を繋いでいたのだが、日曜日になって一応診てもらおう、という判断をした。懸念していたのは歯の伸びすぎ。齧歯類は歯が伸びすぎて上顎に刺さることがある。それで食べられないのならば歯を切れば回復する。歯はまともに見えたのだが悔いが残ると嫌なのでちゃんと診てもらうことにした。結果、歯には問題がなかった。じゃあなんで?と思って簡易な検査をすると尿からたくさんの糖が出たそうな。なるほど水をやたらと飲むわけである。

この手の病気は餌や世話の問題というよりも個体差および種の宿命らしい*1。ついにできることはないことがわかり、自然に任せつつお世話をし続けることにした。

2/28(火)皮膚が薄くなっている

妙に怒りっぽいなあ、と思っていたところ鍼に行くとストレスと疲れを指摘され治療された。怒りっぽいことは日記にも書かれていたがストレスの自覚はなかった。原因は三週間前の理不尽で嫌な出来事のようだ。理性では「もう消化できた!納得した!」と思っていても身体に遅れて出てくることはある。

ストレスがひどいときは人の反応が気になったり、些細な発言で怒ったりする。なんというか「皮膚が薄くなる感じ」がする。外界の刺激を緩衝する皮膚が綻び薄くなるイメージ。実は漢方・中国医学に似たイメージの概念があり「衛気」と呼ばれる。衛の文字どおり身体を守るはたらきがある。「衛気」は味の濃い食べもの、気性の激しい人との会話で消耗し、睡眠・食事・深呼吸で回復する。現代でも、体力がない状態で強い刺激を受けすぎると鬱になる。昔の人もストレスについて同じような認識をしていたのだろう。

触るもの皆傷つけるトゲめんだこくん

妻氏の母上によると「おもしろい人はちゃんと考えて言葉を返す人」だと言う。たしかに身内ネタばかりで「xxと言われたらyyと返す」ばかりの人は多い。

3/1(水)人に喋らせる

鍼で絶好調になりバリバリ仕事をしてしまう。この日は同僚とのお喋りも多かった。ただ、お喋りといっても私はあまりボールを持たず人に喋らせる*2。そのほうが楽だから。皆さん何かと喋りたいことはあるようで、話を振るとおもしろいことを言ってくれる。その人が過去に言ったことを覚えておき「あれどうなりました?」と言うのが簡単である。妻氏は私よりもレベルが高く、自分からも少し語ったと思ったらしれっと相手にボールを渡すらしい。合気道のようである。しかし、相手も喋らせる技の使い手だと間合いの読み合いになる。これもこれでおもしろい。たいていはいい塩梅にボールを投げ合う会話になるけれども。

でも、喋ると疲れるのでほどほどにしたい。我々は基本的には家でじっとしている種族なのだ。

3/2(木)伝わらないものと思う

二月のどこかで人間観が変わっていたのに気づく。それまでは他者を根拠なく信じ、話せば伝わるだろうと思っていた節がある。伝えるよう努力をしなくても伝わるだろう、という甘えがあった、とも言える。認識が変わり、他者には基本的に伝わらないものだ、という立場になった。悲しいような話だが、冷静に考えると事実である。実際に哲学などで昔から問題になっているし。

じゃあ語るのをやめるか?というとそういうわけにもいかない。どう考えていようと仕事や生活は続いていく。基本的に伝わらないものと思って一生懸命説明すればよいだけなので、そう難しい話でもない。丁寧にやるだけだ。それに数少ないながら伝わりやすい友人および妻氏もいる。このものたちは他者との隔絶をよく理解しているので同志である。しかし隔絶を前提としているので距離感が適切で心地よいのである。

3/3(金)深呼吸で無をやる、🐭の死

集中力がつき、他者への甘えもなくなったことで本気で仕事ができるようになった。よいことだが半面、体力を消耗してしまう。この日も夜まで仕事をしてヘロヘロになった。ピアノを弾いてもミスが多く音もちゃんと聞けていない。演奏にはよく体調が顕れる。体調管理ができないと音楽趣味は楽しくない。

お灸をしてもらい湯船に浸かってもダメだった。これはヤバい!と思ったとき、鍼師との会話を思い出す。体力とは何かを質問したところ「体力には心肺機能、つまり酸素の吸収効率という要素もある」と言われた。

正解は深呼吸。それもただ深呼吸するのではなく、上を向き、吸って止めて吐くのがよい。上を向くのは深呼吸が自動で始まるから。意識で深呼吸をすると忘れてやめてしまうのだが、なぜか上を向いていると勝手に深呼吸になる。吸って止めるのは酸素の交換を長くやるため。

この呼吸をやっていると自然に自律神経もリラックスモードになる。食後や朝、椅子に座って少し上を向くだけで勝手に身体が回復していくので便利だ。なるほど『上を向いて歩こう』は真理だった。でも上を向いていると歩けないので、少し上を向くくらいがよろしい。

 

ついにスナネズミ氏が仏になる。先代スナネズミと違って穏やかな最期であった。痩せてはいるが身体は綺麗で見目悪くなし。日本人としてはこれが大事だ。

月曜日の日記に書いたように、我々はできうることをやった自負があり、飼い主のエゴとしても悪くない終わり方だったと思う。

檜垣立哉ドゥルーズ』を読んだ

ドゥルーズの入門書。哲学。ドゥルーズの前期・後期が第一部・第二部と対応している。第一部がおもしろかった。ドゥルーズ現代思想のイメージがあったが、実は古典ギリシア - カント - 現象学 - ベルクソン - ドゥルーズという歴史的な流れがあることがわかった。

現代哲学は「生」の哲学のベルクソン系列と大陸哲学の批判と解体、脱構築をするデリダ系に分かれる。私はベルクソン - ドゥルーズ系列が肌に合うなと思った。現象学ではないやり方で、「生」の哲学を遂行し、世界をありのままに捉えようとする態度は魅力的である。

*1:スナネズミは糖尿病研究のモデル動物でもある

*2:体調が悪いとできない