しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/04/30 うわーんほんまに引っ越すんかー、『カラスと京都』を読んだ、「私は本物を知ってるんだぞ」の難しさ

4/22(土)うわーんほんまに引っ越すんかー

朝早くに起きて片づけをしたあと不動産屋へ。新居の鍵を受けとった。新居に入るのは二回目だが印象は変わらず。想定より狭いかな?とも思ったが、こういうものは家具を入れてみないとわからない。長めに住む覚悟で契約したので、しばらくはこの空間でやりくりする。

午後になってあれこれ心配になってくる。引っ越しが現実として迫ってきて狼狽し始めた。片づけはまだ終わっていない。うわーんほんまに引っ越すんかー、となったが、パンを食べて梱包作業をしまくったらスンとなった。私は片づけが趣味である。物を片づけていると精神が落ちつく。

結局、この日は深夜まで片づけをしていた。徹夜をしないだけ成長したとも言える。

4/23(日)気配りは最強のスキル

引っ越し当日。担当してくれたのは3人のチーム。チームリーダーの女性が頼もしかった。細身なのに何でも自分で運ぶしチームメンバーへの指示も的確で効率的だった。そして大事な家具は丁寧に扱ってくれる。引っ越しという業務は筋力だけでなく、繊細さと気配りも大事なのだなと思った。この点はどんな業務でも共通することで、プラスアルファとして気配りができると重宝される。就活用語だと多面的視点とでも言うのだろうか。

4/24(月)食生活♥️ ♥️ロピアとはいったい……

インターネットの開通工事をしたのに開通しなかった。物理的な線はちゃんと繋がっているのだが、回線の認証に使うIDとパスワードが間に合わなかった。プロバイダからの電話によると、住所が間違っていて郵便が戻ってきたらしい。私が旧居の住所を間違えたのだ。新居の住所を間違えるならともかく何年も住んできた住所を間違えるとはどういうことなのか。

 

役所で住所変更の手続きをしたあとヨドバシカメラで買い物。電気タップは5年くらいで買い換えねばならないという話を聞いたので真面目に全部交換することにした。
ついでに地下のロピアへ寄ってみる。異様なスーパーだった。数年前にヨドバシ地下のスーパーが交代したのは知っていたのだが、実際に利用するのは初めて。私はただ今週の食材を買いたかっただけなのだが、妙にテンションの高い店内放送で正気度が下がるのだった。

4/25(火)

住所を間違えた報いによりテザリングで在宅勤務をした。ゴリゴリギガが減っていく。
USBメモリをUSBと呼ぶなと同じようにモバイル回線の通信容量をギガと呼ぶのは正しくないのだが、私は不真面目で雑な人間なのでギガって呼べばいいじゃんと思っている。そういえばUSBメモリってまだ使うものなのだろうか。

4/26(水)

会社のコーヒーメーカーにコーヒーの粉を入れたらゴミ箱に直行してしまった。操作方法を間違ったらしい。

 

抗生剤にやられていたモルモット氏の体調が戻った。元気にいっぱい食べて出してくれている。間違った処方の代償は体重50g(全体重の5%)だった。ヤブ医者許さん。エキゾチックアニマルを病院に連れていくときは、医者の指示を鵜呑みにしないよう気をつける必要がある。人間でも似たようなことはあるか。

4/27(木)身体は遅れて反応する

烏丸通を歩いていたら引っ越し前よりも車の音が気になるのに気づいた。

こういう変化は動物っぽいなと思った。どんな動物でも巣から出されて見知らぬ場所に連れて来られると、あたりを嗅ぎ回り隅々まで観察をするものである。人間も動物なので住処が変わると情報を集めるモードになるのだろう。経験的に、この手の変化が落ち着くには2週間くらいかかることがわかっている。意識が慣れたと思っても身体反応はけっこう遅れる。しばらくは感覚過敏で疲れやすくなるとは思うが、ゴールデンウィークがあるので休み休み適応していきたい。

 

部屋が片づいてピアノが弾けるようになった。少しずつ日常を回復しつつある。

4/28(金)

焼肉を食べて高級肉が趣味に合わないと思った。無限にタンを食べる党に入りたい。寿司も同じで、大トロより中トロくらいのほうが好きかも。脂は多ければいいものではないと思う。要はバランスおじさん。

『カラスと京都』を読んだ

tabisurumishinten.com

カラス好きの学者が京大の思い出を書いたエッセイ。そこそこおもしろかった。文章は中の上。

百万遍周辺のエピソードだけでなく、京都の飲み屋の話も出てくる。今はなきDENENが90年代にもあったのだなあ。そういえばあれは古い店だった。80年の歴史があったとか。今でもKMC Slackではエビジェンガを偲ぶ言葉が絶えない。

コロナ禍でいくつか閉店しちゃったのではないか

カフェコレクションをよろしくお願いします

いわしコンビーフライス……

「私は本物を知ってるんだぞ」の難しさ

Twitterで檜垣先生が『現代思想』か何かの鷲田清一特集を批判していた。特集に寄稿している人たちが鷲田に対する本質的批判をしていない、と。つまりこの特集は「本物」ではないという主張だ。

自分には本物が何か分かっていて、これこれのものは本物ではない、という主張はインターネットでよく見られるものだが、下手な人がやるとフォロワーを不快にさせるだけである。檜垣先生の場合は指摘内容が具体的で本質をついており、説得力があった。また、態度も落ちついていてマウントっぽさを感じなかった。「私は本物を知ってるんだぞ」形式の批判は知性と謙虚な態度が必要なのだろう。

片づけ・整理一般が好きらしい

引っ越しの片づけをしていたら考えごとができないようだ。物と触れあっているとそれだけで手一杯になる。哲学的には物も他者なので、他者との関わりは思索を阻害する、と言える。つまり(真に)一人の時間が大事だ、ということ。しかしずっと一人で、地下牢のなかで思索をしても得られるものは少なく、ただ発狂していくだけだろう。ここにも要はバランスという話が出てくる。生活を他者で埋め尽くさずに、他者と自己をいい塩梅でバランスする必要がある。そうすれば他者から刺激を受けつつ思索も捗るのだろう。

でも引っ越しは仕方がない。妻氏は漫画原稿で忙しいし片づけが得意ではない。たくさんの物を目の前にすると情報量に圧倒されるタイプ。私はアファンタジアゆえに物からあまり情報を得ない。意識に上るのはそぎ落とされた記号だけ。箱に乱雑に入れられたケーブルがめちゃくちゃに絡まっていてもウワーっとならずに一つずつほどいて整理してしまう。この違いから必然的に私が引っ越し物理作業担当になった。だいたい一ヶ月間、物の整理をし続けていた。その代わりに引っ越し期間は考えごとが捗らなかった。引っ越しの結果として非常によい生活空間ができたので満足しているが、趣味には少なからぬダメージがあったようである。

私にとっての片づけと思索は同じである。何週か前に頭の整理が趣味で云々と書いた覚えはある。他者から得られた情報を意識世界で整理するのが思索で、物理的他者を整理するのが片づけである。どちらも整理ではあり、整理すると快感が得られる。ふだんは思索を楽しんでいるところに、物の整理というわかりやすい代償行為が発生したので考えごとが阻害されたのだろう。実際、片づけは楽しくてやめられない。睡眠に影響するのに退勤後24時まで片づけをしていた。「整理」は私の本質的欲望であり、どうしようもないのだろうなあ。