4/6(土)
すべては原宿になる
ロードバイク専門店に用があって四条河原町へ。久しぶりに訪れたら相変わらず観光客だらけだった。10年くらい前から徐々に観光地化が加速していたけれども、今や河原町は渋谷、原宿みたいな雰囲気になっている。広告こそないが、その辺で売っている食べものがテンプレ観光地のもの。もうここは地元民の繁華街ではなくなったらしい。
自転車整備をしてもらっている間に丸善で暇を潰す。ここは平和。観光客は京都BALの地下に巨大本屋があることなど知らないだろう。旅先で本を買う人は多くあるまい。
千葉雅也の新刊、林・ヨシタケシンスケの新刊、ミャクミャク様グッズを買った。そういえばヨシタケシンスケ氏と林さんの対談記事良かったですね。
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小籠包は十個以上
夜は中華料理店で小籠包を十二個注文した。
稲田俊介はエッセイの『おいしいものでできている』で「小籠包は十個以上」注文するものだと主張している。理由は「最初の三個か四個を夢中で食べ、八個目くらいで「このまま無限に食べられるのでは?」と思い、十個を超えたあたりでうんざりしてくる。でも、そのうんざり感がまたおいしさを生むから」らしい。
そういう文脈で、本当に小籠包は十個以上なのか確かめにきたのだ。
しかし日和ってしまった。「さすがに二人で二十四個注文するのはやばない?」となってとりあえず十二個にしてしまった。
結論からいうと足りなかった。六個程度ではまだ五合目だ。まだうんざりしてない。
それに黒酢もある。先に汁を吸って黒酢と針生姜でいただくか、破らずに丸ごと黒酢をつけるか、などなど味変の可能性は開かれている。
小籠包は十個以上。それでまちがいない。
もしかすると店員さんがびっくりするかもしれないけれども、そこはおいしさのために我を通すところである。
4/7(日)
理想的二分木剪定
オリーブの剪定をした。
オリーブは昨年買った。三年か四年の樹とまだ一年も経ってなさそうな受粉用の樹がある。どちらも元気に越冬して、春になり芽が動き始めていた。
実はまだ買ってから切ってなかった。オリーブは通年剪定をして樹形を整えるものらしい、のだがどこを切ったらいいかわからなくて放置してたのだ。でももう春。これからニョキニョキ伸びてくるのでもう手をいれないといけない。切ることにした。
動画や文献によるとオリーブはバシバシ切ったらよいらしい。わりと無計画に枝を伸ばしてくれるのがオリーブだが、湿気には弱いので風通しがよくなるよう、枝をスカスカにせねばならないそうだ。
イメージとしては二分木だと思った。二分木とは計算機科学を勉強するものが必ず習うデータ構造で、上の画像のような形をしている。一つの枝から二つの枝が出ていて、その構造が無限に繰りかえされる。なるほどフラクタルは自然界の基本だ。二分木で効率的に空間を埋め尽くすように樹形を作ったら、最小の葉っぱで最大の日光浴ができるのではあるまいか。しらんけど。
実際には一本の枝から三本の枝が生えてくるし、そもそも樹は三次元の物体なので二分木ぽくならない。そこは枝と日光浴の効率性を考えてその場その場で考えるしかなかった。でもそれが楽しい。美しくなるように切っていたら正解で、美しい構造には効率性が備わっているのである。これが盆栽なのか、と理解した。
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落とした葉っぱはお茶に加工する。茹でて乾かすだけ。
後日、飲んでみたらすごい味がした。えぐい。まっずい。
焙煎が必要だったらしい。ほうじオリーブ茶。
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家中に掃除布をばらまく
壁際や家具の隙間に埃や髪の毛が落ちていることがある。家の端っことか目につきにくいところ。ふと気がついたら「ここ掃除するの忘れてたな」と思って残念がるのだが、いざ掃除用具を持つとそのまま忘れっぱなしになることが多い。
それなら気づいたその場で掃除するのが良い。家中にマイクロファイバークロスをばらまくことにした。
目についたその場で近場にある掃除布を使ってゴミとか髪の毛をひっつけること。土日になったら布は洗う。また家の四隅にばらまく。こうすると家はピカピカに保たれるだろう。掃除用具をとりにいくようではダメなのだ。
4/8(月)
生きている味噌はこわい
我が家ではビニル袋入りの味噌を買う。弁当の味噌汁、夜の味噌汁と消費量が多いので750gのプラ容器では足りず、3kgをまとめ買いしてタッパーに詰め替えて使っている。
ビニル袋から開封し、詰め替えたのが昨日。そのまま常温でコンロの下に置いといたらタッパーの蓋が浮きはじめた。詰め替えで味噌に空気が吹き込まれ、菌たちが動きはじめたらしい。味噌は生きているのだ。
さかんにガスやら液体を出して怖いので冷蔵庫に封印した。ちょっと悪いことをした気分になった。
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人は見た目で判断されている
社会規範は「見た目で人を判断してはいけない」と言う。それが大人だとされている。
ところが実際には、みんな見た目で性格を推し量っている。映画や漫画、アニメのキャラクターは性格を反映する見た目にされ、読者もそれを望んでいる。現実のコミュニケーションでも第一印象が大事だと言われ、初見の印象で人を判断している。
「見た目で人を判断してはいけない」は間違いである。正しいのは「見た目で人を判断しても、それを本人に言ってはならない。態度に出してはならない。差別してはならない」である*1。規制されているのは具体的な行為であって内心ではない。
4/9(火)
ピーマン玉ねぎだけスパ
『ミニマル料理』に「だけスパ」というレシピがある。バターで野菜を炒め、パスタと和えただけのもの。
これを改造して自分の「だけスパ」を作ってみた。すこぶるうまい。
材料: 豚肉をはさみで切ったやつ、ピーマン細切り、玉ねぎ2cm角、ニンニク薄切り、オリーブオイル、マスタード、塩、チーズ(オプション)
量は適当だが、あんまり多いとバランスが崩れる。パスタは具と麺が競合する変な料理なのだ。
作り方:
- 塩水を1Lくらい沸かす
- フライパンにオリーブオイル、肉、ピーマン、玉ねぎ、ニンニクを入れて弱火から中火で放置、たまにひっくり返す
- 麺を茹でる
- マスタードとチーズを入れる
- 麺と少しの茹で汁を入れてよく混ぜて完成
ほんとにおいしかったのだが、写真からは何も伝わってこない。映えるような作り方してないので……。
それにしても視覚で料理のおいしさを伝えるのって無理がある。無理なのにインターネットには映像、テキストしか流せないから料理人も映えを意識した盛りつけをやるのだろう。真にうまい料理は見た目とかどうでもよかったりする。
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使いこんだ包丁は薄くしないといけない
包丁の研ぎを研究している。本日見つけたのは「刃を薄くしないと「ヌケ」が悪くなる」という知識。「薄いほうがよく切れるでしょ?」という単純な話だが、包丁をふつうに研いでいると気づきにくい。先日の週報にまとめた方法では刃が薄くならない。
なぜなら包丁は峰から刃にかけて薄くなる形をしているから。刃先の切れ味が良くても刃が分厚ければたくさん抵抗を受けるのである。
そのため、包丁は使いこんでいくうちに「厚みぬき」「肉ぬき」という研ぎが必要になる。角度をつけずに砥石にベッタリと押しつけて研ぐだけ。
詳しくはTOGITOGIというYoutubeチャンネルをどうぞ。
試しに肉抜きをやって料理に使ってみたら野菜がおいしくなってしまった。「ニンジンのエッジが立っていてうまい」という未知の領域に到達。
4/10(水)
動画も簡潔なほど説明が上手
研ぎ動画界隈ではJIKKOという包丁屋のチャンネルが強いのだが、このチャンネルはパフォーマンスが上手なだけで説明は下手である。
実用上はTOGITOGIというチャンネルがいちばん参考になったのだが、このチャンネルの主は、その辺の空き地?で主婦たちの包丁を研いでいるおっさんである。もっとも現場に近い研ぎをしている人だ。この人は説明が簡潔で的確。
違いは動画の長さにも出てくる。説明が上手なほうが動画が短くなるのだ。だいたい10分くらいにおさまっている。自分で何がポイントなのかわかっているからなのか、サービス精神があるからなのかはわからないが、このおっさんには、情報を簡潔にまとめて伝える能力があった。
よく理解しているほど表現が短くなる。テキストでもよくある現象だ。校長先生や会社のエライ人の長い話は本人もよくわかっていないことを言っているのだろう。
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「です・ます」の力
これまで業務でも「だ・である」文体を使ってきたのだが、このたび改めることにした。ぜんぶ「です・ます」に統一する。
文体というものは不思議で
- 「だ・である」: 硬い、一人でなんか言ってる、むずかしそう
- 「です・ます」: 柔らかい、態度が開かれてる、やさしそう
という印象を与える。
日記や週報は「一人でなんか言ってる」ものだし、私のこだわりとして、ある程度の格をもった文体にしたい。ので、ここはこのままでよい。一方でお仕事のほうは同僚に情報を伝え、できれば反応を引きだしたいものなのだから開いておいたほうがよろしい。それに文体を変えると書き手の意識も変わって、文体にふさわしい内容を書くようになる。業務では「です・ます」に統一するのが良いだろう。そういえばエライ人はいつも「です・ます」を使っていたな。
悩ましいのが「です・ます」でバカっぽくなる種類の文章があること。特に感想がそれで、個人的な心情の吐露や思ったことの開示を「です・ます」でやるとふぬけた感じが出る。そもそも日本の文化として「です・ます」を使って感想を公衆送信するようにはできていないのかもしれない。あくまでお仕事モードとして割り切って使うのが「です・ます」でもある。
4/11(木)
コミュニティには食べもの沸きドコロが必要
コロナ禍で人々がコミュ障になって以降、どのコミュニティ(広義)でも「いかに人を交流させるか」が課題になっている。
先日「オフィスで無料のサンドイッチを配ったら人が集まってきて勝手に雑談とかしていた」という現象を目にした。
なるほど食べものや飲みものが沸くと人が集まるのだ。古くは井戸やお祭り、動物界ではオアシスにその性質がある。
一定額以上のまかないは所得と見做されるタックスアンサーがあったはずなので調整は大変そうだが、食べもの飲みものを配るのは有効そうに思う。
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自家製冷凍パンはポップアップトースターにささらない
我が家のパンは自家製である。二週間に一度、機械で捏ねてオーブンで焼き、切って冷凍している。
冷凍パンはこんな歪な形になる。冷えて固まるときに平面に置かれていないとパンがねじ曲がったまんまになるのだ。
先日ポップアップトースターを買うかどうか?という議論があった。ちょうど台所を整理して広くしたので置き場所はある。ポップアップトースターのデザインもおもしろいので買う機運が高まったのだが、よくよく考えてみたらパンがささらないのに気づいたのだ。冷凍庫で固めるときにうまく固定したら平面パンができるかもしれないが、我々は二週間分のパンを冷凍庫に入れるのでどうやっても三次元パンができちゃう。
というわけで、ポップアップトースターは我が家には合わないことがわかった。自家製でもできたて切り立てか、工業的に作られた由緒正しいパンだけがポップアップトースターを使う権利を持っているのである。
4/12(金)
『失踪日記』を読んだ
何かと紹介される漫画で気になっていたが「そもそも(妻氏の蔵書として)家にある気がする。でも見つからない」という本だった。
今日、頭があじゃぽよになって家の整頓をしまくっていた。妻氏が散らかした机の周り、本棚を整理していたら*2ついに見つけることができた。
感想。
読みやすくてまあまあおもしろかった。147ページのアル中幻覚扉絵がいちばん良い。
漫画は昔のコマ割りという感じ。文字が多くてコマが細かい。むしろ好ましい。漫画は文字だらけだとうれしい。
すぐに読み終わった。いい漫画だと思う。
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エライ人は質問箱をやるべき説
何らかの組織のエライ人、政治家でも何でもいいのだけど、今の世の中では「説明できる人が権力者になる」↔️「権力者は説明できなければならない」という「権力者の資格」があるので、権力者は質問箱を置いて説得的な説明を述べていけば*3支持されるのではないかと思った。