週報 2022/12/11
明るいうちに帰りたい
暗くなってきた。もう冬至である。
このごろ自転車通勤を再開したのだが、暗くなってから帰ると気持ちが落ちこむのに気づいた。朝は寒くても爽快な気分で漕げるのだが、帰りは疲れと暗さで嫌になる。徒歩と電車の通勤でも同じで、そもそも暗いなか移動するのが嫌いらしい。たぶん夏は問題になりにくい。
これもすべて近代が悪い。電気によって人間はいつまでも働けるようになった。太陽をまったく無視して深夜まで働ける。前近代であれば、仕事は日が出てから沈むまでだった。夜は寝る時間である。
と、言いつつ夜にはゲームや読書をする。電気はありがたい。
要するに時間管理された労働とそれに伴う通勤が嫌なだけである。
『ええかげん論』を読んだ
土井先生と中島先生の対談本第二弾。前著の『料理と利他』がよく売れたのだろう。というかふつうに二人が仲良し。
内容は「一汁一菜によって日常を整えましょう」「『ああすればこうなる』の近代合理化精神批判」「守破離によって人為からはなれ、偶然性の肯定へ至る」など。いつもどおりな話もあるし、新しくておもしろい話もあった。まあまあおすすめである。
ただ、最後の章が説教くさかったのが気になる。近代合理性(現代社会)を批判するとき、どうしても説教じみた態度になることは多い。私もやりがちである。しかし読者へのサービスとしてはないほうがいい。という点で、最後の読み味が微妙ではあった。
p169にこんなことが書かれていた。
中島 土井先生とお話をさせていただくようになって、自分で料理をするときに、どんどん 素材に任せるように、調味料をあんまり使わないようになり、かつ劇的に変わったのは、味噌汁から出汁を抜いたところでした。その味にずっと馴染んでくると、外食するとき、つらいんですよ。味が濃く感じて。どんどん外食の量が減っていく。
土井 一汁一菜のような基準をもって、料理して食べるという暮らしを実行していると、外食に行く理由がなくなってきます。それに感性がよくはたらいて、よく気がつくようになりますよね。自分の体を傷つけるものや、食べなくてもよいものを食べようと思わなくなると思います。
これは私も思っていたことである。一汁一菜を毎日やっていると、舌がチューニングされるのだ。外食は味が濃くて毎日食べられるものではなくなった。我が家だけの現象かと思っていたが、どうやら一般性がありそうである。
評価の季節
大ボス*1からの評価コメントに「同僚にすばやく頼るといいよ」と書かれていた。たいへん耳が痛い話で、私は(ある程度)一人で考えて手を動かせるがために人に頼らないところがある。最近になってようやく頼るようにはなってきたが、それでも頼るのが遅い。頼ると他人の仕事を止めることにはなるが、チーム全体の効率を考えるとさっさと頼ったほうがいい。
大ボスはよく人をみているな、と思った。
いかにして生き残るか
この動画がよかった。50分もあって長いのだが内容はおもしろいのでおすすめである。
主題は殺伐としてきた社会状況の分析と、どうやって生き残っていくか。みんな気になる話題だと思う。
動画の中盤に「自分の畑をもっておいてそれを耕す」「作品は一つ作って終わりではない」という趣旨の発言が出てきた。これは2019年のこの記事で「ひと鍬いれる」と言っていた考えである。毎日ひと鍬入れることを念頭に読書と日記、そして週報をやってきたが、自分の畑もそれなりに育ってきた感じはしている。妻氏も漫画を描き続けており、それぞれの畑を耕している。これでよかったのだな、と安堵している。
話を聴くのは難しい
業務で専門的な会議をしているとついていけなくなることがある。集中力の具合や雑音にもよるのだが、気を抜くと置いていかれる。幸い議事録があるので致命的には困らないのだが、日本語リスニングに難があるのだろうか、と不安になることもあった。
とも思ったのだが、どうも妻氏も同じで、同僚の話を聴くのは難しいという。さらに、妻氏が同僚に聴いたところ、半分くらいは話を聴くのに難しさを感じているようだった。
なぜこんなにもリスニングに問題が出るのか?と考えたところ次のような仮説が浮かんできた。
まずは、聴きたいレベルに個人差があること。正確に聴いて意味を理解しようとするほど、ノイズに弱くなる。気を抜くとついていけなくなってしまう。私や妻氏がこのタイプである。一方で、てきとうに聴いてわかった気になる人もいる。そういう人は、リスニングに難はない、と言うのである。これは実感にも合っていて、饒舌で話があちこちへ飛ぶ人ほど人の話を聴いていないことが多い。ただ思ったことをまくしたてて、相手が反応を返してくれるから会話が成り立っているように見えるのだが、饒舌な側は話を聴いていないのである。まじめに聴いているほうがサービスをしている状態。割を食っている。
また、ふつうの人は喋るのが下手、という話もある。私の経験としては、大学に入ってから講義を聴くのが難しくなったように思う。それも当然で、大学の先生は教育者としての教育を受けていないのだ。学生によく伝わるように喋るテクニック、サービスの技術を持っているとはかぎらない。持っているのは予備校教師や義務教育、高校の先生だけである。あるいはそういう教育を受けた人、才能がある人。同様に、職場の同僚もわかりやすく喋る技術を持っていない。だから聴きとりは難しいのだ。
というわけで、職場で、公的空間で聴きとりが難しいのも仕方のないことだと思う。たしかにAPD(聴覚情報処理障害)という障害はあるし、ワーキングメモリの量などの認知的な問題で聴こえが悪い人もいるとは思う。しかし、それだけでない原因として、素人の喋りの下手さは挙げられると思う。たいていはみんな素人なので責めるものではなく、諦めて話を止めて聞き返すのがよい。聞き返されて腹を立てるような人は、自分の技術の問題だと思って反省すべきである。
*1:部長級上司