10/28(土) 粗忽者のための岩塩、🫒契約
疲れから6時間の昼寝を……。早起きすると昼寝し放題である。早起きした意味はあるのか。それはわからない。
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岩塩を重宝してるのだが、あまり見かけない。成城石井にもなかった。ミルつきのもの、砕かれたものなら売られてるのだが、ミルに詰めるための2ミリ粒くらいの塩が見当たらないのだ。ミルは持っていて、岩塩だけが欲しい。
なんで重宝してるのかというと、その場で粉にできるから。岩塩withミルだと削りながら均一に塩を当てられるので、下拵えで魚や肉へ塩をするのに便利なのだ。ちゃんとした料理人ならば塩を手にあててふりかける技術を使うが、私は楽をしたいのである。家庭料理はなんでもありなのだ。
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Oliveを契約した。三井住友銀行が売り出している新種の決済システムである。クレジットカードが主サービスだが、デビットカードやら何やらいくつかの決済手段がついていて、それらを任意に切り替えて使えるのが売りである。
と、説明してみたものの、それらの機能が欲しくて契約したのではない。ただ、メインカードを変えたかっただけである。
メインカードはAmazonカードだった。5年か6年前、よくAmazonを使っていてポイントも調子よくもらえる時代に作りメインにしていた。ところがだんだんとAmazonの市場が劣化し、ポイントプログラムも旨みの少ないものになっていった。「どこかで番号が漏れたかも」メールが届いたこともあるし、割と限界だった。そこへていのよい乗り換え先が見つかったので、契約したわけである。もともとメインバンクがSMBCだったのも大きいし、妻もOliveを契約していたので家族連携が使えるのも決め手となった。
審査が通るとすぐにカードが発行された。電子的に。
スマホアプリでカード番号が確認できて、それを外部サイトに設定するとちゃんと決済も通る。クレジットカードは今や完全に記号的な存在になったようだ。物理カードが届かぬうちに使える。もとより信用情報とは記号的なものなのだから、こうなるのも自然なのかもしれない。番号、個人情報が印字されないカードも珍しくないし。すべてはスマホアプリに吸収されていくようである。
10/29(日) 🐦になりたい、休むのが苦手、『中世を旅する人びと』を読んだ
買い物ついでにはとぽっぽ。
午前の早い時間だった。「はとぽおらんなー」と思って探しまわったら木の下に集まっていた。ちょうど日差しがさしていて、一羽は羽を広げている。
鳩になりたい。
目と足が恐竜みたいなのもよい。
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11月のテーマは休息である。まだこの日は10月だったが、もういいやということで積極的に休まる活動をしていた。ワインを開けたり、お昼寝をしたり……。
休むのは苦手である。スマホとPCとインターネットに脳を破壊されているので、気がつくとテキストを探しにいってしまう。読みやすいテキストがあればなんでもよくて、さほど興味があるわけでもないニュース記事、Wikipedia記事を読む。
テキストを読むなら積み本を片づければいいのにそうはならない。なんというか、時間感覚が違うのだ。記事は三分で読めるが、本は一節十分くらい。三分くらいで読みきれるものを求めているあたり、まだまだ脳はまともになっていないらしい。SNSだと二秒で読めるテキストを求めるからそっちの方が重症だし、回復してきてはいるが……。
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『中世を旅する人びと』を読み終わった。
中世に興味はないのだが読みやすそうなので読んだ。読みやすかった。
テーマは中世欧州の下層階級。庶民がどのように暮らしていたのか淡々と語られる。
この時代の欧州村落はとにかく治安が悪い。警察なんてないので自衛が基本。復讐権を持っている人であっても、犯人を自力で探して復讐しないといけない。殺人までの揉め事にならなくとも、市場の肉屋、粉挽き、パン屋がいつ騙してくるとも知れぬ。
というわけで、当時から契約が大事だったようだ。何かと契約書、誓約書が出てくる。欧州の交渉のうまさ、契約を大事にする文化はこういう背景があるのだと思った。もちろんキリスト教の影響もあろうが。
10/30(月) 飲み物を買わずに本を積む、ネットは広くない、正しさは書くまでわからない
オフィスでペットボトル飲料を買うのをやめた。代わりにほうじ茶を淹れている。なぜなら私は冷え性だから。
もう11月なのに自販機にホットのお茶が入らない。どうなっているのか。困るのだが。
余計な出費が減ったのもよかった。よく考えると毎日2本のお茶を買っていると月に6千円くらいになる。3本買う日もあるからもっと高い。6千円あったら本を6、7冊積めるのだ。お茶淹れたほうがいい。本はできれば読みたい。罪をお許しください。
冷え性からみて不思議なのは冷たい炭酸水を飲み続ける人たち。なんかいいことがあるのだろうか?お腹に悪くないのか?コーラを飲みたいのならまだわかる。
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インターネットでは「他人の愚痴」「家族の不仲」「婚活が云々」みたいな話題に事欠かない。というかありふれていてすでに飽きられている。ちょっとした愚痴くらいでは話題にならないほどに。熟練インターネット太郎になると「またこの話題か。何週目だよ」となる。人間関係のいざこざですら数分で消化される。
しかし、本来この手のネタは重いはず。もし我々が村落共同体で生きていたらこれらの愚痴で数日は盛りあがるのではないか。というか今でもインターネットの外の社会ではそれなりに重い扱いを受ける話題だ。だからおかしいのはインターネットに慣れた人の感覚である。
今もまだインターネットの外は広い。ネットは広大だわと言っても、まだまだ井の中の蛙である。スマホを持っていても、この手の愚痴、人間消費コンテンツばかり見てる人は少ない。ということを自覚した。
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先週の週報で「自然言語の作文は自分で正しさを検証しないといけない」と書いた。
私は文章を書くとき、必ずアウトラインを書いている。アウトラインは文章の「骨」であり、書くつもりの内容を網羅している。論理的な整合性、正しさは「骨」の段階でだいたい見えている。
つまりこの書き方は正しさの検証と具体的な表現のフェーズを分けているのである。まず「骨」の整理に集中して正しさのチェックをして、そのあと「肉」づけをしている。
こう書いてみるといかにも効率的な作文法かのように思えるが、現実には不思議なことが起きる。
具体的に表現すると「骨」のとおりの文章にならないのだ。
文章というものは「語」が「語」を呼ぶ。連想と言ってもよいだろう。「語A」に続くのは「語X」と「語Y」などの仲間たち、という連関がだいたい決まっていて、逸脱することはできない。文法というか、用例による制約である。この連想は自動的にはたらく。
連想に任せて書いているうちに「骨」で想定してなかった文章ができてくる。趣旨が「骨」と一致してたらいいが、そうでないこともある。「あれ?おかしいな?」と思って書きなおしてもやっぱりズレる。そういうときは「骨」の論理が間違っている。飛躍や矛盾があって具体的に表現できないことを書こうとしていたのだ。
しかるに、文章は書いてみるまでわからないのである。アウトラインを箇条書きで書いて言語化したつもりになってはならない。具体的に表現しなければ、自分の考えの正しさはわからないのである。
10/31(火) 🖐️🌾、EDM盆踊りに参加したい
在宅勤務の日。会議会議とリリース作業。丁寧丁寧に仕事をする。
夜は社交ダンス。ひたすらホールドの指導をされ「結局筋肉なのよね」となる。ダンスをしていると腹筋と背筋がバキバキになる。胸鎖乳突筋も。
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渋谷でハロウィンが抑圧されていると聞く。軽トラをひっくり返したりものを破壊するのはよくないとは思うが、非日常の場が失われるのはつまらないような気もする。一説によるとハロウィンは都市から失われた「祭り」の代替だそうな。本当かどうかは知らないけれども、非日常、羽目を外せる場が必要なのは理解できる。
なんか代わりの非日常はないものかと思ってEDM盆踊りを思いついたらすでにあった。
DJ KOOが力を注ぐ「盆踊り」の魅力。ハードロックやTRFを経て知った日本のリズムのおもしろさ | CINRA
近所でやってくれたら朝まで踊りたいものである。
朝まで踊る祭りは日本にもいくつかあるが、私は白鳥おどりの「世栄」が好きである。
11/1(水) あべこべ靴下、SpikeVax、ニンゲンの群れ
微妙にあべこべな靴下を履いて出社。給湯室でおしゃべりをしていたら同僚に「なにそれファッション?」と言われて色違いになってるのに気づいた。
これはこれでありでは?
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昼にインフルエンザワクチンの注射を受けた。なぜコロナワクチンより痛いのだろうか。子供は余裕で泣く。
予診票に「最近接種したワクチン: SpikeVax」と書いて問診に臨んだら医師が固まってしまった。モデルナワクチンの正式名称なのだがピンと来なかったらしい。医者なら通じるでしょ、と変なものを書いたが賭けに負けた。
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社会のニンゲンたちはお行儀良くルールを守り、規範的に行動している。かのようにみえる。
かりに神になって各位の内面をみてみると「まわりの真似をしている人」と「ルールに従っている人」の二種類がいるのに気づくだろう。
外からみえる行動は同じなのに、行動原理は異なる。
この差異は大きく、たまに行動まで変わってくることがある。例えば著作権の理解とか……。親告罪なのに他人を殴る便利な棍棒みたいに思っている人たちがあり、そういう集団のなかでは著作権の通俗的な曲解が規範になっている。
できればルールそれ自体を理解して欲しいものだが、真似によって群れを作るのはお魚さんにも備わる基本的な本能だと思う。それに「ルール(本質)を理解してからでは遅いので、とりあえず真似から始める」のが有益なこともある。うーん難しいですね。最初は真似でいいからそのうちルールを理解すべき、とは言えるか。
11/2(木) フィルタコストは無視できない、ダメな本
アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。
アウトプットは量多い方がいい。フィルタは各自がやればいい。この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う。 - 橋本商会
私はこの考えの信奉者だったのだが、同僚から「フィルタコストが無視できない」という批判をいただいた。本質的な指摘である。
黎明期インターネットは「テキスト処理が得意な人」が集まっていた。2chなんかテキストしかなかったし。
集団として偏っていて、集団の内部ではテキスト情報をフィルタするコストが安かっただけなのである。
つまり「たくさん出力しているものを受け手が取捨選択する」のは局所最適だった。万人に採用していただける戦略ではない。
今やお仕事でも多量の情報を吐きだして整理する必要がある。publicインターネットはどうでもいいが、業務でどう情報を整理し伝えるかはたしかに課題になる。AIが使えるかというと微妙。今のところ、社内用の検索エンジンを用意するのがいちばんだと思う。
あるいは報道官、情報を整理する専門の人をおくか。やっぱり人間が整理するほうが信頼できるので。しかし相当コストがかかるのでこれも現実的ではないかも。
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『生きづらい明治社会』を読んだ。
江戸時代から明治時代にかけていくつかの前提が変化したことで、互助システムが崩壊。明治以降の社会に貧困層が発生した。しかし「努力すれば必ず報われる」という成功者の価値観のせいで貧困層は救われなかった、という話。
趣旨は悪くないのだが著者の客観性に問題があった。裏テーマに現代社会批判があり、そのためにエピソードを選んでいるし、過去の価値観を現代の価値観から安易に批判している。歴史を語るときは、我々の価値観がより未来の価値観から批判されることを想定し、できるだけ価値観から自由になるよう努力すべきである。著者にはその覚悟がなく、いかに現代社会批判として価値があろうともダメな本だと思った。つまり誠実な語り手ではない。
11/3(金) 洋包丁はハマグリ刃に、妻氏発熱
なぜか夏日だったが冬支度をした。ヒーターやら毛布を出してくる。毛布はナフタレン臭かったので天日干しした。
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包丁のメンテナンスもした。ペティナイフの正しい研ぎ方を知る。ずっと切れ味が悪くて不満だったのだが、改めて調べたら堺の刃物屋さんが「洋包丁は片刃気味かつハマグリ刃に研ぐべし」と書いていた。
説明が難しいので詳しくはリンク先を読んで欲しい。
たしかにこのやり方で研ぐと切りやすい包丁ができた。切った野菜の身離れがよく、切れ味も前よりよくなった。
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妻氏が鴨川散歩から帰ってきたら「喉が痛くて熱がある」という。こりゃまずい。インフルエンザがCOVID-19だろう。
寝ておいてもらってお世話をする日々が始まった。お粥を作ったり食材確保に奔走したり。