しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/11/12 妻氏COVID-19感染す、遁世し動物園のモルモットになる、足の幅で姿勢と自律神経を操れる

11/4(土)妻氏COVID-19感染す、ユーモアが文章を書かせる

起きたら勝手に妻氏の熱を測る。赤外線方式の体温計は勝手に他人の熱をはかれて便利。

 

ピッ 37.5℃ わーお

 

朝食を食べて近所の発熱外来へ。鼻に棒をつっこまれ、しばらく外で待たされる。

結果、COVID-19陽性。インフルエンザかと思ったらそっちだった。妻氏が職場でもらってきたらしい。

実は感染するのは初めて。この三年半、私も妻氏もうまいこと回避し続けてきた。知り合いが何人も感染してきたのでもはや珍しい病気でもないのだが、我が家では初のイベントだ。しかも二週間前に五回目のワクチンを打ったばかりなのだ。なんと不運な。

9000円するゾコーバを出してもらう手もあったが、カロナールと咳止め漢方薬だけもらって帰宅。看病生活が始まった。

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といっても、できることはあまりない。「水のみたい」「あれとってきて」などの要望に応えたらあとは寝かせるだけ。食事も粥やうどんといった簡単なものしか作らない。

なので暇があり「(土曜日だから)週報でも書くか」となるのだがどうも調子が出ない。私の熱はなかったが、文章が書ける感じはしなかった。

 

そのままうーうー言いながら転がっていたら疲れとストレスに苛まれているのに気づいた。なるほど我が家初のイベントだし、自分も感染するかもしれない。来週の出勤どうしよう、等々といろいろ悩みがあった。それを言語化せずに脳裏でぐるぐるさせていたから文章が書けなくなっていたのだった。

「我ながら人間味があるではないか」と思ったのも束の間、日記を使って言語化したらすぐに頭の調子が戻り文章がするする出てくるようになった。

 

現実について思い悩んでいるとユーモアが足りなくなるのである。文章とはユーモアで書くもの。

ユーモアがなくてもくそ真面目な文章は書けるが、それは私の望むものではない。なんというか、文章のリズムが悪くなる。リズムがないときは書くのが苦痛である。

人を傷つけない上品なおかしみやしゃれ。知的なウイットや意志的な風刺に対してゆとりや寛大さを伴うもの。

ユーモア(ゆーもあ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

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妻氏が胃腸の痛みを訴えたので足三里にお灸をした。胃腸症状の定番のツボである。

するとてきめんに効果があり、胃のキリキリした感じがとれたのだとか。妻氏はすごい勢いでみかんを食べ始めた。スコア4個。

 

私が副反応で寝こんだとき「なぜかみかんがうまい」と書いたのだが、本物のCOVIDでもみかんを食べたくなるらしい。

11/5(日)回復傾向

この日も熱は下がらなかったが、症状の改善は見られた。発症初期は全身の皮膚がザワザワしていたそうだが、次第に引いていき、日曜午後には微熱と喉の痛みだけになっていた。皮膚のザワザワは炎症反応によるプロスタグランジンが原因であろう。全身症状がなくなったということは、ウイルスがあらかた駆逐され、最初に感染した喉の細胞に残ってる状況である。

しかし喉が痛むと不便だ。何を飲みこんでも喉が爆発するとのこと。それに気づかずカレーを与えてしまった。

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結局私は発症しなかった。副反応も人によって多様なのでそういうものなのだろう。

11/6(月)回復期にはステーキとみかん、濃厚接触者はもう存在しない

ついに解熱。金曜の午後から発熱していたので三日間でウイルスを倒したことになる。
妻氏は食欲が出てきてステーキを食べたいと言い始めた。肉を買ってきて食べたらしい。

また、みかんもすごい勢いで減るので調達をがんばった。病気は体力を消耗するのだなあ。

万能薬みかん

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労働日だが出社するか迷った。熱も喉の痛みもないが、ちょっとフラフラする。まだ免疫ががんばっているような気配がある。それに11月の夏のせいで寝つきが悪かった。疲れもありフラフラ。

しょうがないので午前を休みにして昼まで様子見。やっぱり症状がなかったので午後から出社した。

 

できれば在宅勤務がよかったのだが、弊社は五類移行のタイミングで濃厚接触者が云々の制度が消滅している。どうかと思うのだが、正社員は会社の犬なのでしょうがない。じゃあ休めばいいじゃん、となるが仕事が詰まっていたのでやむをえず出社した次第である。

11/7(火)遁世し動物園のモルモットになる、トークン数はAIの賢さではなさそう

やっぱり症状がないのでふつうに出社して仕事をした。無限に会議をする。
今後のタスクの棚卸しをしたところ、私の仕事は一年先まで埋まっていることがわかった。うわーん。

得意な仕事だから嫌というわけではない。忙しいな、と思うだけ。無理に残業をしろと言われることもないので何か具体的に困るわけでもない。やれる範囲でがんばる。

「私が病気や事故になると詰むのだなあ」とは思った。雲隠れしてやろうかしら。動物園のモルモットになって小松菜を奪い合う生活がしたい。

🎳🎳🎳

今や各社が競って大規模言語モデル・言語生成AI(以下AI)を作っているが、その性能の謳い文句に「トークン数」が掲げられることが多い。「トークン数」とはAIが覚えておける文章の量のことである。一万文字までしか覚えられないやつは、その枠を超えた会話を忘れて文脈が失われていくのである。

たしかに長い記憶能力を持っていると便利ではある。「インターネットの仕様書を丸ごと投げて要約してもらう」といったタスクは難なくこなせるようになるだろう。

ただ、トークン数がAIの性能なのか?というと疑問がある。あくまで便利に使うためのバッファ容量であり、直接的に生成の「賢さ」を規定するものではない。本質的な性能指標ではないが、数値化されていて比較しやすいからアピールされるだけなのだとは思う。

 

じゃあ何ができたら「賢い」のか。何回か前の週報で「AIにテレパシーを求めている人がいる」と書いた。これが賢さのゴールであろう。短いセンテンスで、ハイコンテクストな指示を投げたら勝手に意図を察してくれること。阿吽の呼吸。

AIに察してもらうにはAIの身体や感覚器官がいる。自由に動き勝手についてきてくれて、カメラとかマイク、触覚センサーなどで我々の文脈を推定してくれねばならない。センサーがないと察してもらうことはできない。文脈には言語的な文脈と非言語的な文脈とがあるから。

そういう意味では今のAIはしょぼい。テキストで指示を投げないといけないし、AIの知識はインターネットに閉じてる。いずれすべての出版物を学習させられたとしてもまだ足りない。我々は言語の外の世界で生きているのだから、AIにも言語の外に出てきてくれないとそう便利にはならない。

逆に、AIが身体をもつことを許してしまえば、我々が労働から解放される可能性も出てくる。実は実現されそうな分野が一つだけあって、自動運転がそれである。あれはまさにAIが身体を持っていると言える。もし公道での走行が認められたら、ただちにタクシー運転手の労働を奪うだろう。

リスキリングとは自動化による仕事の簒奪を背景にしている。自動化されて職を失った人は別の仕事をしてもらわねばならない。いかに人間が柔軟とはいえ無理があるとは思うのだが、建前としてはリスキリングで次の職に適応できることになっている。「仕事を奪われる。次のスキルを身につけろと強制される」のいたちごっこは社会的な問題になるのだろう。

そう考えると「AIに身体を持たせるのは人権蹂躙であるから規制すべき」みたいな話にも筋がある。意外と数年後には「EUがAIによる生成および物理世界での活動を規制しました」というニュースが見られるかもしれない。

11/8(水)アプリ内アプリは社内政治が反映される、足の幅で姿勢と自律神経を操れる

PayPayで同僚からお金を受け取ろうとしたらUIがめちゃくちゃで苦労した。アプリ内機能のアイコンがいっぱいあって何がどこにあるかわからない。一時期のLINEアプリみたいである。

いらないアイコンばかり出てる

これは妄想なのだが、この手の混乱したUIは社内政治を反映しているのだと思う。例えばLINE内部でスタンプ部署の政治力が高まるとスタンプショップのアイコンがUI上の一等地に出てくる。LINE Payの政治力が高まると……、以下同様。

本当はこういう機能はアプリを分けて実現すべきなのだが、分けないで作ると最初から市場が大きくて便利である。それに開発コストも多少は安くなる。それをいろいろなアプリ内アプリで行うと、機能が増えまくってアイコンを出す余白がなくなってしまうのだ。

今はLINEは整理されたUIになっていると思う。PayPayはめちゃくちゃなので、絶賛政治中なのだろう。

🚀🚀🚀

「足を肩幅に開いて歩くべし」という原則の意味を理解した。

原理はよくわかってないのだが、足を開くと腹横筋がちゃんと絞められる。腹横筋は姿勢をよく保つのに大事な筋肉で、コルセット筋とも呼ばれる。
逆に足を閉じると腹に力が入らない。上半身はグンニャリして歪む。

 

後日、鍼師に聞いたら「介護では有名な知識で、足を肩幅に開かせると老人を安定して立たせられる」と言われた。
また、妻氏によると、フランス人は老若男女問わず足を開いて膝に手をついて立ちあがるそうだ。

 

ただし、いつでもお腹を締めたらよいわけではない。このコツが大事なのは歩くときと椅子に座って作業をするときくらい。逆に、リラックスするときは足を開いてはならない。自律神経は胃腸と繋がっていて、胃腸がよく動ける状況は副交感神経優位である。お腹を締めると胃腸の動きが抑制されるので交感神経優位になる。仕事をするにはいいが、休むときはまずい。だから、メリハリをもって足を閉じたり開いたりしたらよいと思う。

 

実際に肩幅を意識して歩いてみたら、尻の筋肉(中臀筋)が柔らかくなった。かつてないほど椅子に深く座れるようになったので即効性のあるコツのようである。

11/9(木)未病状態、英語教育に蔓延る漢文訓読の亡霊

鍼に行って診察を受けたら健康度0点だった。五臓のうち五臓全部がダウンしており、たいへん不健康な状態。COVID-19にはかからなかったものの、やっぱり消耗はしていたらしい。たっぷり鍼とお灸をされた。

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『お言葉ですが2 週間文春の怪』を読み終わった。

高島俊夫が書物や新聞の日本語に文句を言っていくエッセイ集その2。今回は辞書への批判が目立った。広辞苑がまともではないのは『お言葉ですが1』に書かれていたが、今回は他すべての辞書に共通する間違いなども指摘される。古い辞書で間違いがあると、後代の辞書すべてが間違うようだ。辞書編集者も原典に当たらないので、ミスはそのまま引き継がれる。

パーマーの英文和訳批判のくだりがおもしろかった。大正時代のパーマーという英国人が日本の英語教育を変えさせようとして失敗したそうだ。パーマーが反対したのは英文和訳。なぜダメなのかというと、英語は英語のまま理解し身につけるものだから。どの外国語もこれが正道である。日本語に変換しても英語は身につかない。

なんでも和訳してしまうのは漢文訓読の歴史があるから。日本人は漢文を読むために「この漢語はこの日本語に対応する」「レ点があるときは……」と杓子定規な攻略法を作っていき、漢語読解で一定の成功を収めてしまった。そこへ英語が入ってきて我々のご先祖は英文訓読をし始める。こうして漢文訓読の亡霊は英語に引き継がれ、我々は英語を英語のまま理解できないような教育をするようになったのである。

11/10(金)うまいもので英気を養う

妻氏も鍼へ行き、ついに完全回復した。感染で落ちたところを戻してもらったそうな。幸い後遺症になりそうな不調もないとのことで安心である。
これで土曜日から通常業務。日常が回復された。

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めでたしめでたし、ということでうまいものを食べにいった。フランス料理。我が家はフランスかぶれである。
実はもともと前の土日にフランス料理を食べる予定だったのだが、見事にコロナに見舞われて延期していた。なので予定を遂行しただけとも言える。

ラディッシュ、ハム、レタス、生ハム、タコのマリネ

いちばんおいしかったのは前菜のプレート。変わり種としてラディッシュがある。生のまま半分に切られていて、バターを乗せてパリパリ食べる。フランス人はこういう食べ方をする、と説明された。野生的でいいと思う。
MVPは右側のタコだった。ただのタコのマリネなのだが、異様にうまい。過去に食べたタコでいちばんおいしかった。
あとは真ん中のハム。なんでこんなにうまいのだろう?と思って調べたら、フランスのハムである「ジャンボンブラン(jambon blanc)」は燻製せずにブイヨンで煮込むことを知った。そりゃあうまいわけである。

 

この手のプレートはフランス人が平日に食べる料理そのままである。『フランス人と気の長い夜ごはん』調べ。
フランスハムとかパテを作ってサラダとともに食べる生活もいいかしらん、と思って作り方を調べたらめんどくさすぎて卒倒した。