10/14(土) ワクチン接種、靴屋さん、鳩の爆発
5回目の新型コロナワクチンを接種した。京都市の集団接種サイトから申し込んで、河原町御池の市役所でチクっとされてきた。
市役所に行くのは初めて。内装が品良く落ち着いた雰囲気で感心した。と、同時に「破綻しそうなのにえらいお金かかってそうだな」と思った。京都市では「京都らしさのアピールのため」という名目があるといくらでも見た目に金をかけられるのだ(漆塗りエレベーターの話です)。
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一年ほど履いているメインの革靴をみてもらったところ、靴底の革を貼り替えるべき状態だという。修理することになった。
次に誂え靴の調整。これは先日納品された冠婚葬祭用のちょっといい靴である。足型を取って作ってもらったので履き心地は抜群なのだが、まだ革が硬くて長時間履けない。特にくるぶしの靴擦れが気になったので、そこだけ革を伸ばしてもらった。
最後にルームシューズの発注。ついにスリッパまでこの靴職人の製品になってしまう。
フィッティングをしてもらい、革の色を決めた。完成まで一ヶ月半くらい待つそうだ。待ち遠しい。
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帰りに鳩スポットへ寄る。
妻氏が鳩の群れに向かってしゃがんでいたら、茶色いやつが妻氏の膝、肩に乗ってきた。立ちあがっても降りてくれない。おもしろがった私は動画を撮りまくる。
そこへなぜか別の鳩が飛びかかってきた。地面にいたはずの灰色鳩が妻氏の肩の茶色鳩目掛けて飛んできて、茶色鳩がたまらず肩から飛び降りる。抵抗されて足場を失った灰色鳩は私のスマホ目がけて飛んできてぶつかった。
漫画みたいな出来事も起きるのだな〜と思った。
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副反応に備えてレトルトカレーや袋麺を買って家に籠った。
チクっとして十二時間後くらいから体調が不穏になる。
10/15(日)熱にはみかん、『陰翳礼讃』を読んだ
予定通り朝からダメで、副反応の頭痛と発熱にやられていた。ひたすらイブを飲む。
何もできないので読書とスイカゲームをして過ごす。スイカゲームは確かに楽しいのだが、一度スイカを作ったら満足した。
今回の副反応対策ではみかんがMVPだった。よくわからないが、みかんを食べたら元気になるので一日に何個も食べていた。発熱するのに血糖を使うからだと思う。途中で「甘味ならポカリでいいじゃん」となったのだが、ポカリを買ってきたのにみかんばかり食べていた。
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『陰翳礼讃』を読んだ。谷崎潤一郎のエッセイで「近頃電燈が明るすぎてダサいけど、東洋には古くから陰翳を尊ぶ文化があってな」という愚痴の文章。あまりに文章が上手なので説得されかけるのだが「ほんまか?」となる記述も多い。
他にも東洋文化や厠に関するエッセイが入っていた。
特に良かったのが『懶惰の説』。「東洋の人間は西欧人と違って懶惰なんだから多少汚くても仕方ないだろう」という話。
「この調子だと、今にアメリカ人は鼻の穴から臀の穴まで、舐めてもいゝようにキレイに掃除をし、垂れる糞までが麝香のような匂を放つようにしなければ、真の文明人ではないと云い出すかも知れない」
p80
このくらい斜に構えているのがよろしい。
10/16(月) 最高の有給カード
労働日の予定だったが副反応が長引いて休みになった。起きたら38.4℃と最高潮である。頭痛が辛かったが「最高の有給カードだ!」と喜んで会社に連絡した。
他方、妻氏はふつうに出社していった。これまでの四回は妻氏が重く、私が軽い傾向だったのに今回だけ逆である。免疫はよくわからない。
液体の朝食を食べたらひたすら寝る。四時間ほど昼寝。ゴロゴロ読書をして免疫の応援をした。
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接種後、三十六時間くらいで熱が引いた。
最後に汗が出てくるのが合図らしい。なるほど発汗は熱を下げるためのシステムである。
回復して体重を測ったら変わっていなかった。ほとんど食べてないのになぜなのか。理不尽だ。
10/17(火) モノとしての人間性
副反応は倒せたが本調子ではない感じがしていた。大事をとって在宅勤務にする。この日は会議だらけだったのでそれも都合がよかった。あまり喋ることはなく聞いてばかり。その間に大量に溜まったSlackログを読んだ。
午後はもりもりコードを書く。病み上がり(?)なのに働きすぎてしまった。
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人間が苦手と言って憚らない人が、アイドルや配信者には傾倒することがある。矛盾していて不思議だったので解釈を練ってみた。
六月に書いた「人への興味」と「モノへの興味」の二分法が役に立つ。この興味の傾向を人間に適用すると「人間を人間としてみて接する」「人間のうちモノ的な側面へ接する」というコミュニケーションの様式が出てくる。後者が、人間が苦手なのにアイドルなどを消費する在り方であろう。
どこか倒錯的だが、人間をモノ的に扱う態度は新しくない*1。双方に合意があってモノ化された人間性を売るのなら好きにしたらいいとは思う。
10/18(水) ソフトウェアエンジニアは資本主義を実装する
電車に乗っていたら修学旅行の高校生集団と遭遇した。
その集団は立っていたのに、一人だけ輪から出て座席に座り、猛烈な勢いでスマホをいじりはじめた。かと思ったら、チラチラと集団のほうを見遣っており反応が気になるようである。自慢?アピール?なのだろうか。
スマホいじりとチラ見を繰り返していて、滑稽だった。
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ソフトウェアエンジニアの仕事は主に自動化で、プログラム(コード)を書いては自動化されたシステムを作る。作られるシステムは様々だが、もっとも特殊な形態では起業家の「ビジネスモデル」を自動化している。
何で特殊なのかというと「商売の仕組みを作る側に立っている」から。ふつうの労働者は、資本家とか起業家の「商売の仕組みの内側」で使用されている。ソフトウェアエンジニアと起業家は共犯関係であり、どちらか一方だけでは商売のシステムができない。起業家は「ビジネスモデル」を作って効率よく大規模に儲ける方法を設計し、ソフトウェアエンジニアは「ビジネスモデル」を具体的に実現する仕組みを作る。もし「ビジネスモデル」の仮説が正しくて有用性があれば、そのシステムは何百万人ものユーザーを収容し自動的にお金を稼ぐ仕組みになるだろう。ソフトウェアエンジニアの腕が良ければ、数億人オーダーでも壊れないシステムが作れる。
これが我々の使っている音楽配信アプリとか、フリマアプリの実態である。そして、ソフトウェアエンジニア(の一部)の給料が高く、社会的地位が高いかのように言われている理由でもある。任意の社会組織において、システムの内部にいるよりもより外部にいるほうが強いのである。
「ソフトウェアエンジニアの一部」と言ったように、全員がこの特殊な地位にいるわけではない。しかし、かといって「どこからが資本主義システムの実装か?」を明確に切り分けるのも難しい。実際にはグラデーションがある。なので、コードを書いてお金をもらう以上は、何らかの形で資本家と共犯関係にあるのかもしれない。
10/19(木)発酵食品は常温管理がいい、ヒールがないと歩けない
発酵食品は常温がいちばんもおいしい、ことに気づいた。理屈はわからないのだが、実体験としてはそうなのである。味噌も常温だとふっくらしている。
舌は菌の生き死にを観測できるのだろうか?あるとしたら、乳酸菌の代謝物のセンサーがある、とかだろうけど。
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季節の変わり目で身体を冷やしてダメになっていた。大きな仕事にケリをつけたらそそくさと退勤して家で休む。
「朝起きたときに嫌な予感がしたら一日中ダメ。挽回はできない」の原則を実感した日だった。
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メイン靴の代わりにスニーカーを履いてみたら、ヒールがなくて困っている。
もしかしたらスニーカーによっては、ヒールに相当するものがあるのかもしれないが、私の持っている靴にはなかった。持っているのはアシックスウォーキングで買ったやつで、足のサイズを計測してもらい「ワイズCですね。かなり細いのでこの靴しかありません」と言われて買ったもの。専門店のウォーキングシューズなのでまともかと思いきや、歩行と姿勢の知識について勉強しまともな革靴を履くようになったら、歩けたものではないのに気づいてしまった。
いい姿勢をとるのにヒールは必須である。いい姿勢とはかかとで地面を蹴って背筋を伸ばした状態のこと。重心は親指の付け根あたりにあるのがよいとされる。けっこう前なのだ。そのため、単に靴底が分厚ければよいのではなく、靴底が少し傾斜したうえで硬さのあるヒールがついてないといけない。もしかしたら人種や骨格によってヒールがなくてもいいのかもしれないが、姿勢指導をしてくれた先生はヒール必須派だった。
ではなぜスニーカーにはヒールがないのか。もともと運動靴だからだと思う。歩く靴じゃなくて、激しい運動、飛んだり跳ねたりに使う靴なのだ。靴底が分厚くてかかとにクッションが入ったスニーカーもあるが、目的は弾ませるためのものだと思う。ウォーキングやいい姿勢で立っているのとは目的が異なる。
大変困っているのだが、まともに歩ける靴は正装用のものしかない。まだまだ硬いが頑張って履くしかなさそう。
10/20(金)みかんを信仰します、「判断」をめぐるすれ違い
朝起きてみかんを食べた。みかんいっこ。甘くておいしい。
起きてしばらく食欲がでないのが私の身体である。しかしエネルギーは必要。寝ていたら血糖値はすっからかんになるものだ。そうやって朝はデッドロックに陥る。
そこで行きついたのがみかんである。副反応で倒れたときにみかんに助けられて思い知った。みかんこそが人類の救いであると。こうして朝はみかんという、食欲がないなりの最適解に行きついたのである。なんせ皮を剥いたらひょいぱく十秒。すぐに糖分を頭に届けられるし、果物はすごい。ブドウだとこうはいかなくて一粒一粒食べるのが面倒なのだが、みかんはユニットがいい大きさなのである。
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上司と部下のすれ違い、みたいなものはよくあるが、このたび「判断」とか「相談」という言葉のニュアンスが双方で異なるのに気づいた。
- 上司: 偉い人しか持ってない情報を用いてトレードオフ構造を解決する、あるいはエイヤで決断する
- 部下: 方向性が合ってるか自信がない、不安なので助言をしてほしい
部下は手戻りが嫌で、あとから文句を言われたくない。文句じゃなくても失敗は嫌だ。こっちに進むのであってるのか?という気分で上司に相談し「判断」を求める。ところが、偉い人にとっての「判断」とは決断に近いニュアンスを持った行為なのだ。
というすれ違いが、開発職ではよく発生している。もっとラフに相談できたらいいのだろうけど、偉い人も忙しくてちょっと遠くにいるのが難しい。難しいですね。
*1:奴隷、売買春には相当な歴史がある