6/17(土)瞑目休息法
頭の調子、みたいなものがある。
たぶん脳の血流とか老廃物の溜まり具合なのだと思う。睡眠とか疲れの影響で脳の調子が変わり、調子が悪いと読み書きができなくなる。私にとっては趣味の半分ができなくなるのでとても困る。
この日も午後から頭がダメになっていた。はて、困ったな。
思いついたのが「瞑目休息法」。目を瞑るだけで頭が休まる瞑想に近いなにかだ。目を瞑ると脳波に現れるくらい脳血流が変わることが知られている。視覚領野にまわすぶんの血液を他のところに回せるから回復するのだろう。
問題は寝落ち。瞑目休息法を見つけて濫用してたらそのままスーッと昼寝をしてしまった。起きたら19時。一日が終わってしまった。
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近所の八百屋でデラウェアを買った。
だんだん安くなってきていて嬉しい。旬が近づいている。
妻氏はぶどうの渋みが苦手なので私一人でぜんぶ食べる。夕食後、ぷちぷちもいで食べ続ける。口に入れて皮を捨てる作業をえんえんと繰りかえしていて異様なのだが、私は昔から虚無単純作業が得意なのだ。そういう虚無作業性も好きで食べているのだと思う。
6/18(日)焼き色を待ちなさい
炒め物をおいしく作るには土井善晴せんせーを憑依させないといけない。土井せんせーは動画で「焼き色をつけなさい」とよく言うのだが、それが難しい。めんどくさいな、時間がないな、と思っていると焼き色をつけずにてきとうに調理してしまい、おいしくなくなる。焼き色は絶対に必要なのだ。ちゃんと焦がすためにはフライパンをこちょこちょ触らずにに放っておかないといけない。
こういうことを考えると鷲田清一の『待つということ』を思い出す。いかに現代人が「待てない」か、という観点でいくらでも説教ができるが割愛する。
反省してちゃんと待ち、焼き色をつけたらおいしいパスタができた。
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ゼルダの伝説 Totkを進めた。四つ目の神殿をクリアしたら中央の城を見てこいと言われる。嫌だボス戦なんてしたくない。世界なんて滅んでしまえ。
アクションは苦手である。勇者は魔王を放置して祠めぐり・観光を始めた。
6/19(月)本読み同志求む
読書メーターを再開してみた。目的はよい本、気の合う読書家を探すこと。インターネットは広すぎるし本を読む人は少ないので、専用のサイトで感想を読みあさるのがよかろう、と判断した。
読書メーターには読書家のマッチング機能がある。本を登録しておくと似たような本を読む人を推薦してくれる機能だ。読書家を探したいといっても好みが似てないと意味がないので、読んだ本をすべて登録することにした。本棚にスマホを持っていってバーコードをスキャンすれば簡単に登録できる。これもまた虚無単純作業で楽しかった。2時間くらい夢中でスキャンをして全部登録した。
アカウントはこちら。そのうち感想も増えていくだろう。
オールタイムおすすめ本はこちら。
6/20(火)人々の加速
SNSで、職場で、人々が加速している。加速?なぜかテンションがあがっていていつもより活動的なこと。下手をすると出すぎた行動につながる。
中医学(漢方)では夏至のこの時期、陽の気がMAXになると考える。陽気が多いと元気になるとか云々。でも、夏の盛りは七月や八月では?科学的でないのでは?
日照時間がポイントだと思う。緯度や夏冬で鬱病の発症率が変わる事実があり、日照時間はメンタルに影響する。だから逆に日照時間が長いと人々が加速してしまうのではないか。
科学的な説明は可能なので、やはり中医学にみるべきところはあるな、と思った。
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月一社交ダンスの指導を受けたら「このポーズを維持するのに中臀筋がたくさん必要」「この姿勢は広背筋が大事」「ドローイン(腹横筋)を常にマックスで」と言われた。
足型を覚えるフェーズから筋肉で解決するフェーズに移行した。進歩である。いやつらい。
先生は「ダンスの指導っぽさが増している」と大喜びである。
6/21(水)人間おもしれ〜太郎
私は1on1(上司や同僚との面談)をするとき、自分の話だけでなくまわりの人の話をするのだが、珍しいらしい。
びっくりした。えっふつうじゃないの?
他人の内面は知ったことではないので憶測しかできないのだが、SNSをみるに人々は他人の評価をしまくってるように見える。それを1on1では言わないだけなのかな。
場を与えられると自分について喋りたがる人は多いので、自分について喋っていると時間がなくなってしまうのかもしれない。しらんけど。
私としては「人間おもしれ〜」と思って観察しながら生きているので、つい観察報告をしてしまうのである。
6/22(木)身体性による自我の回復
serial experiments lain第13話のあるシーンが脚本での想定から変わっていたことを知る。
lainはもう何遍も見ていて、シナリオ本も読んだはずだったのだが、すっかり忘れていた。
小中氏のブログを読んでいて気づいた。
シナリオでは、マドレーヌを紅茶に浸して食べるという事を康雄に教わり、玲音はそれを口にして、自分のこれまでの人間として生きてきた中で感じた事、抱いた気持ちを全て思い出して涙を流し、このセグメント最後の台詞(これは映像化版も同じ)を言う。
(中略)
知識がある人なら、紅茶とマドレーヌが「失われた時を求めて」の引用である事が判るだろうし、そうではない人にとっても、とても暖かくて柔らかく、甘く美味しいものを食べるという実感で、自分の「感覚」、「意識」というものを失うのがどれだけ悲しいのかも共感して貰えるだろうと考えていた。Layer:13 Ego - Alone in Shibuya city - welcome back to wired
lainをみた当時(大学生)の知識だと気づけなかった。でも、今ならこのシーンを変更することがどれだけ野暮かは理解できる。スケジュールが理由なら仕方がないけれども。
6/23(金)コンビニエンストレードオフ
八百屋とコンビニをはしごしたら食品の扱いがぜんぜん違っていて驚いた。八百屋では野菜を常温で置いておく。ほうっておいてもぜんぜん悪くならないから。他方、コンビニでは何もかも冷蔵庫に入っている。賞味期限も短い。加工済みの食料はそれだけ劣化しやすいのだ。
私は野菜でいいや、となった。このごろ自炊のほうがおいしく感じられるし、長く保存できるほうがありがたい。短期的な利便性よりも、効率的な調理法のほうが大事だと思った。
『言語の本質』を読んだ
ゆる言語学ラジオか何かの影響でバカ売れしている新書。
今井むつみ先生は認知科学・言語学で有名な人なので期待して読んだのだがちょっと微妙なところがあった。この人の本は昔読んだことがあるのだが、言語学者なのにテキストが読みにくい。テンポが悪いのだな。また、ブルーバックスなみに実験条件をちゃんと書いてしまう。新書レベルだとどうでもいいのに。正しさにこだわる姿勢は科学者として大事だが、そのまま一般読者に出すと読みにくくなる。
本書も最初はつまらなかった。全体像が示されず、リズムが悪いテキストで細かい説明をされる。オノマトペの性質について定義したいようだった。そういうノリがずっと続いて半分くらいからようやくおもしろくなる。
ポイントはオノマトペが「記号接地」の鍵になること。オノマトペはふつうの語と違って意味が直観的にわかりやすく、感覚・身体との結びつきが強い。これが「接地」。感覚的理解と言ってもよいだろう。
もう一つのポイントが「アブダクション推論」。仮説形成推論と訳すらしい。帰納推論の親戚で、ある一連の出来事が与えられたとき、事実からは論理的に導けない仮説を形成するのがアブダクション推論。例えばりんごが落ちるのをみて重力というモデルを思いつく、とか。明らかに動物はアブダクション推論をしない。人間だけである。
言語はオノマトペによって身体と接地され記号と意味(体験)が強く紐付く。そうやってできた記号群を足場としてほかの記号を学んでいく。と、同時にアブダクション推論によって記号たちをまとめる仮説を作っていく。仮説は世界のありさまを説明するモデルであり、記号群で表現されるモデルが人間の認識する世界である。それが言語の本質。
本旨はおもしろい本だと思う。後半の議論はよかった。しかし、とにかく前半がダメ。微妙な本である。
モノへの興味、人への興味
モノへの興味が強いか、人(および生き物)への興味が強いかの二軸で他者を分析できると思う。興味は趣味や職業に現れやすい。
モノへの興味
- 乗り物: 自動車、電車、自転車
- ルール・システム: 数学、法律、プログラミング、計算機、時刻表
- 製品: おもちゃ、フィギュア、プラモデル
人への興味
- 職業: 看護師、保育士、花屋、接客、動物園
- 文化: 美術、文学、音楽
- その他: 子育て、園芸
私のまわりにはモノへの興味が強い人が多いのだが、彼らは人への興味が少なく、苦手そうである。人そのものの分析もしたがらない。ただ、アイコン化されたキャラクターは受けつけるようである。内実の伴った人が苦手らしい。
もちろん、この観点は二元論ではない。両方への興味を持っている人もたくさんいる。しかしどちらかの軸へ偏った人も多いので、どちらへの興味がどのくらいあるか?を軸に観察すると有用ではないかと思ったわけである。
偏った人には他方の軸の話が通じない。興味がないのだから言葉を投げても意味が伝わらないと認識しておくと平和にコミュニケーションができるだろう。