しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

2023年1月〜3月ふりかえり

方針

ふりかえりを年末にやると大変なので四半期に分けることにした。今回は1月から3月までの日記や週報を読み返し、自分の身に起きた出来事とそれに伴う変化を拾っていく。本当は4月に書きたかったのだが引っ越しがあってこの時期になってしまった。

4月の内容もまとめてふりかえってもいいのだが、ふりかえりとは長期的な視座で自分の行動を見返すことである。ある程度冷却期間をあけないと冷静な目で自分を見つめることができない。毎週ブログを書いていてわかってきたのだが、7日程度だとまだまだ自分への客観性は乏しく、その時々の短期的なブームの影響を受けることがある。少なくとも2週間程度は間を空けないと真にふりかえることはできない。こういう事情があり、四半期という区切りを厳密に守って書くことにした。

 

このふりかえりでは「きっかけ」と「変化」を軸に書く。変化には必ずきっかけがある。人に何か言われたとか、身の回りで事件が起きたとか。日記を書いていると愚痴ったり考え込んだりすることは多いのだが、読み返すと何がきっかけでそう考えたのかわからなくなることがある。きっかけが書かれてないとせっかくの考え事も未来の自分に伝わらない。今回のふりかえりでは思い出せる範囲できっかけも書くようにした。

ピアノを再開した

きっかけ

年末に『ぼっち・ざ・ろっく!』を観て演奏もいいなと思うようになった。

ピアノを再開しようかなと思っていたところ、誕生日に故郷のピアノの先生から電話がかかってきて再開することを決意した。

変化

ピアノは10年以上の経験があるし家に電子ピアノがあるということですぐに再開できた。

3ヶ月経った今でもピアノは続いている。週に3回か4回練習をして、たまに近所のスタジオでグランドピアノを借りて弾く。

ピアノを続けられているモチベーションは、ストレス解消と好きな曲を弾くこと、集中力の訓練である。また、毎日のように弾いていると自分の体調やメンタルのチェックにも使える。音には体調がよく出る。

 

変な話だがピアノを再開したことが引っ越しの一因になった。

ここ数年はピアノを弾いていなかったので、電子ピアノは物置として旧居の通路に置かれていた。しかしピアノを弾くようになると、椅子を引いてそこで集中するので通路を塞いでしまうのである。30分から1時間、妻氏が通れなくなるのでたいへん困った。かといって他に置ける場所はない。

引っ越し

きっかけ

管理会社が突然変わってしまった。

変化

日当たりや狭さについて不満を持っていたところ、管理会社の変更が最後の一押しになった。これは天佑だなと思いスモスモスーモを始める。

パッと見でこれだ!と確信した物件に申し込みをした。思い立ってから2日目のことであった。

引っ越しと新居の雑感については第2四半期の振り返りで書く予定。これもある程度長く時間を取らないと冷静に見ることができない。でも、いい家だと思う……。

占いを便利に使う

きっかけ

妻氏が兼業漫画家の進路に悩んで電話で占いを受けた時のこと。

妻氏だけでなく私も占ってもらったら「仕事のことも相談できる。アイデアが出るほう。深い話が好きなほう。人が考えないことが出てくるタイプ。特殊な人。調べる力もすごい強い。ひとつのことをとことんやるとすごく強い。特殊な人ですよ、ふつうじゃないです」と言われたらしい。

変化

「そうか〜やっぱり変なのか〜」と思った。

うすうす分かっていたことだし、社会とは気が合わないような気はしていた。諦めがつき、合わないものは無理に合わせずに生きていこうと思えるようになった。

 

とはいえ安易に占いを信じるのは私の中の理系が許さない。というか周りの生真面目な人たちは絶対何かを言ってくる。占いは長い歴史を持ち今も滅びていないのだから価値がないわけではなかろう、と思って考えたところ、占いとは「生活を秩序づけて説明するストーリーを提供してくれるもの」「自分にはない別の視座を提供してくれるもの」であることがわかった。

事実と論理に忠実に生きると「全ては法則と必然性に支配されており、ストーリーは人間の妄想にすぎない」と言い切ることができる。しかし物語を求めてしまうのが人間であり、人生に意味を求めてしまうのが人間である。普通は常識的なレールの上を歩くことで、まっとうな人生を歩んでいるというストーリーを享受できる。だが、常識を疑うことを覚えてしまった以上、我々はそういう物語では満足できない。すべての物語を捨てて事実だけを頼りに生きるのも可能だが、スパイスとして物語があるのも面白いだろうと思って、占いを生活に取り入れている。

顔色が読めるように努力する

きっかけ

同僚のミスを指摘したら嫌味を言われ数日間にわたって険悪なムードになった。

変化

たまたまその同僚の体調が悪かっただけではあるものの、けっこう堪えた。「xxと言われたらooと返そう」と勝手に妄想してしまうのを体験し、自動思考は意思で止められるものではないことを実感した。唯一の方法はストレスを受けているという自覚、メタ認知だけだった。この点でも日記は有効だった。

今冷静に振り返っても相手が9割5分悪いのだが、体調の悪い同僚が私に向かってくる隙を作ってしまったことへの反省はあった。つまり体調が悪い人間にとって敵だと思えるような行動をしていたということ。

妻氏や同僚とおしゃべりをしてこの点について考えてみた。その結果「顔色の表現が乏しくてどういう調子で物を言っているのか分かりにくいことが多い」ということがわかった。実際に感情の起伏はかなり少なく、表現するまでもなく何も思っていないことが多いのだが、私と対峙した人が勝手に狼狽するので、怖がられているのかな?と思うことがちょくちょくある。こちらとしては何の感情もないのだが、私は事実と論理で喋るので相手はますます怖がるのである。

 

このことに悩んでいた時期に三島由紀夫の『戦後日記』を読んだ。三島によると「日本人は顔色を読んでばかり」とのことである。個人的には、顔色を読んでくれるのに甘えるのは良くないと思うのだが、日本人はそういうものなので文句を言っても仕方がない。それに私も相手の顔色を読んで行動することはある*1

しかし、相手は私の顔色が読めないのである。顔色とか気にせず、はっきり言葉で表現してくれればそれでいいのだが、はっきり言えるのは自信のある人だけである。気弱な人、弱っている人にはっきりした物言いを求めるのは酷である。だから、なにがしか私の思っていることを読めるように、自己開示をしっかりと行うようになった。何も感情は動かしていないのだから顔色そのものは表現できないのだが、何を受け取って何を思っていたかは語れる。素直にそれを表現するようにした。

 

また態度にも気をつけている。この点はまだまだ至らぬところばかりではあるが、少なくともチャットではぶっきらぼうにならないよう気をつけているところだ。

牛に蛇口がついているとうれしいかもしれない……

日記の階層構造を発見した

きっかけ

妻氏が父の死をきっかけに憑きものが落ちたと言っていた。精神分析みたいなエピソードだなと思って、自分も精神分析を受けてみたくなったが、千葉雅也の『勉強の哲学』で「欲望年表」という精神分析めいたワークがあるのを思いだしやってみた。

変化

中学生から大学生までつけていた日記を全部読み返して、自分の文体と思考様式がほとんど変わっていないことに気づいた。

 

昔からずっと日記を続けられていることから、習慣化をするとそれをずっと続けてしまうことがわかった。ちょうどSNSスマホゲームが時間を食うことに悩んでいたので、これらの習慣をすっぱりやめることにした。

 

また、古い日記は今のWorkflowyの日記と違ってちゃんと日記らしい面白さがあるのに気づいた。Workflowyの日記は箇条書きのエディタにツイートを連投するようなものである。連投したツイートはまとまりがなくて後から読めるものではない。と、反省してちゃんとしたテキストの日記を残すようになった。Workflowyも便利ではあるので二種類の日記をつけるようになり、ツイートの連投みたいな日記を一次日記、ちゃんとしたテキストの日記を二次日記と呼んで区別した。これが2月に書いた『日記の抽象化』である。

時間経るごとに自分について客観的に見られることから、日記を読み返しながら高次の日記を書くという世界観で、三次日記と四次日記も作ることにした。三次日記が週報、このふりかえりが四次日記である(もはや日記ではない)。

自分なりの『論理哲学論考』解釈を得た

きっかけ

ChatGPTが流行ったとき、GPTはテキストの何を理解しているのかが気になった。GPTの論文を読んで考えたところ、自然言語処理一般は言語を構成する記号と意味のうち記号しか分析できていないことに気づいた。意味と記号を分けて操作するアイデア論理哲学論考に書かれていたよなと思って読み返した。

変化

数年ぶりに『論理哲学論考』とその解説書を読み、『論理哲学論考』で論じている哲学の意味がより深く理解できた。詳細はこの週報を参照すること。

言語はリズムが本質だと気づいた

きっかけ

宮本常一『忘れられた日本人』を読む』と『民俗学の旅』を読んで、古典の教養がある人は必ず文章が達者であることに気づいた。

変化

リズムのよい文章の源泉を知りたくて古典を読むようになった。ただ、いきなり平安時代に突入しても読めないと思われるので、少しずつ時代を遡るようにしている。今は『福翁自伝』と『徒然草』を読んでいる。

 

日本語には独自のリズムがありその基本構造は古典から変わっていない。平家物語がやたらと耳に残るのは現代人にとっても同じである。万葉集を暗唱できるような人は、日本語のリズムを頭に叩き込んでいるから良い文章が書ける。

リズムが良い文章は効率的に内容を伝えられる。短歌や俳句などがいい例で、あれだけの短いテキストで多くの内容を持っている。

 

ある言語を極めることは、言語の基本構造から出てくるリズムのルールを身体に覚えさせることである。外国語を学ぶ時もリズムが本質であろうが外国語にはあまり興味がないので、ひとまず日本語のリズムの修行をすることにした。

その他小粒の変化

  • 冬の冷え対策に粥を作るようになった
  • 睡眠の質を維持するために、カフェインは午前だけのルールを守るようにした
  • つまらない諍い、皮肉、論争を見かけても無視できるようになった

読んだ本

どれもおもしろかった。

*1:何も思わないことと読めないことは別の問題であり、HSPほどではないにせよある程度は読めます