しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/03/26 『ウクライナ戦争』を読んだ、AIが使えるかは問いのセンスにかかっている、ヘタウマが許されるインターネット

日記

3/18(土)文久ゴシックがよさそう

朝食にゆで卵を作ろうと思って卵の尻に針を刺したら割れた。黄身の半分が失われる。呆然と立ち尽くしたが、我に返り残った卵液を救出。焼いて食べた。それでもうまかった。

午後はジムで走る。妻氏はヨガをしていた。身体の水を抜くべく15分走り15分歩いたのだが、ポカリスエットを500ml飲んでしまった。ダメかもしれない。

 

テキストエディタとブラウザのフォントを変えた。これまでデフォルトのヒラギノなどを使っていたのだが、どうも読みにくい。いろいろ試したところ凸版印刷文久ゴシックが良さそうだ、となった。Appleがいつの間にかmacOSにバンドルしていたフォントで、日本語が読みやすい。

こんなフォント

ブラウザの文字もすべて文久ゴシックにした。はてなブログもそうだが、noteなどウェブサービスのフォントは決まっていてブラウザ設定は優先されない。そこでCSSを上書きするブラウザ拡張を使って全要素に"font-family: Helvetica, Toppan Bunkyu Gothic;" を当てるようにした。Helveticaが入っているのは欧文用。これであらゆるテキストが好みのフォントで読めるようになった。ブラウザに不可能はない。

3/19(日)祠、部室の条件

道端の祠で手を合わせる人をよく見る。京都の街中にはそこら中に祠がある。祠は手入れされているものもあるしそうでないものもある。近所の祠は大事にされているようでいつもきれいだ。この日は、走りながら手を合わせる四人家族を見た。ダッシュで家に帰っているのに一瞬止まって手を合わせる人々がおもしろかった。

 

大人になって「部室」を再現しようとする人は多いがたいてい失敗する。シェアハウスは生活力の高い人、繊細な人が割を食うし、かといって誰も住まない家を共同で借りるのも無駄が多い。

大学生の部室は何が違うのか。大学生は単に暇なのではない。学生の本義は講義を受けて単位を取ることだが、たまに空きコマができる。次の講義までの暇つぶしに部室で喋る。時間になったら強制的に話を終わらせられる。あるいは、盛りあがったときにサボる手もある。それもまたおもしろい。

将来への漠然とした不安があるのもよい。大学生は中間的な、将来へのつなぎの身分である。たまに八回生やドクターの人もいるが、基本的には四、五年でそこを出ていく。単位を取りさえすれば自由、という独自の全能感がありつつもスパイスとして不安もある。

部室は大学生という独自の身分、時間のあり方が必要だったのだと思う。

3/20(月)行けたらいく

有給。あまりに天気がよく、ゴミ捨てをしたその足で散歩をしてしまう。いい季節である。そのままコンビニで朝食を買おうかとも思ったがマスクをしてなかったので入らなかった。まだ慣れてない。感染状況的には大丈夫だとは思うが、マスクのない顔を観られることへの気恥ずかしさがある。

 

スタジオでピアノを弾いた。ベンチで部屋が空くのを待っていたらおばさんグループがやってきた。

「四月に大阪でライブがあるからぜひ来てちょうだい」「えっあのはい、その日は予定が、ああはい、行けたらいくわ」行きたくなさそう。おばさんグループは一枚岩ではない。

その後、そのおばさんが「(部屋に)マイクないの?」と聞いていたので、ピアノのライブではなく歌のライブだったらしい。

3/21(火)そうめんが救い

蒸し暑くて一日ダメになる。やっぱり雨は苦手。

湿気で胃腸が弱っていたのでにゅうめんを作った。粥でもいいが私はそうめん派。死ぬときも最期にそうめんを食べたい。にゅうめんには野菜、肉を細かく切って入れた。麺の細さと調和する。味付けは五香粉、塩、酒、鶏ガラ。うまかった。

この日は一日中日記を読んでいた。

3/22(水)未病のつらさ

労働。2時に寝たのに身体が勝手に7時に起きた。困る。出社し会議三つとDynamoDBのチューニング実験をしていた。

 

いまlong COVIDの治療は数ヶ月待ちらしい。治療中の同僚が言っていた。病院の待合にいると「(後遺症がキツくて)緊急だから何卒」みたいな声も聞こえてくるそうな。

long COVIDは後遺症なのだが、不定愁訴に近い性質もあり通常の医療よりも漢方が効きやすいらしい。そういえば鍼の主治医は「感染した人は腎と肺がダメになっている」と言っていた。体力と酸素供給能力のこと。

3/23(木)食べものばかり買っている

味噌が届いた。十個も。玉那覇味噌としてもイレギュラーなのか大きい箱と小さい箱が無理やり合体させられていた。十個も買う人はいないのだろう。我が家の味噌消費量は尋常ではない。

昼ににゅうめんを食べたが味が微妙。コンビニの揖保乃糸を使ったのが悪かった。ここ数ヶ月間は箱買いした揖保乃糸のいいやつを使っていた。和食みたいな澄んだ味で「おいしいな〜」としか思っていなかったが、安物と比べてみると差は歴然だった。もう戻れない。2.5kg注文した。

3/24(金)ゆっくりしている

駅から会社へ歩いていたら同じ部署の同僚二人組を見つけた。目が合い会釈をして追いつこうとしたがトロくて離されるばかり。オフィスのエレベーターで追いついてお喋りをした。

夜はワインを飲みながらアシスタント作業。妻氏の漫画が仕上がった。次の話思いつかないどうしよう会議をして頭を絞ったところなんとかネタが出てきた。毎回綱渡りをしている気分。

manga-no.com

雑記

ウクライナ戦争』を読んだ

小泉悠先生の『ウクライナ戦争』を読み終わった。ウクライナ戦争に至るまでの出来事と経過を半年分描いた本。読みやすさは最高だった。イズムィコ先生は文章が上手。論理性も高く事実と推測の区別がしっかりしている。

でもエッセイを書いて欲しい。『ロシア点描』はよかった。軍事オタクが本業なのだろうけど、ユーモアのある方なのでエッセイも向いていると思う。不思議なことにユーモアには高い論理性が必要である。

AIが使えるかは問いのセンスにかかっている

dailyportalz.jp

爲房さんの記事がよかった。GPTに賞状の内容を書かせるものだ。プロンプトを投げるだけでなく印刷して賞状にしたのもよい。ここまでやってこそDPZの記事になるのだと思う。

この「〜〜について賞状を書いてください」というプロンプトは優れている。記事でも描かれているように、どんな情報をいれてもおもしろい結果が返ってくる。

プロンプトが大事なのはStableDiffusionでもそうだった。台湾コミュニティから出てきて界隈を席巻した『元素法典』もプロンプトの用例集である。AI絵師や大企業たちがプロンプトを秘密にしているように、優れたプロンプトは商売上の武器になる。

おもしろい情報を引きだすプロンプトを哲学的には「問い」と呼ぶ。哲学がおもしろくなるかどうかは「問い」のセンスにかかっている。日常的にもよくあることで「GPTって知ってる?」というクローズドクエスチョンは「問い」が開く空間が狭く、話が弾まない。それよりも、「ここまでどうやって来たの?」みたいなオープンクエスチョンが優れているとされる。「問い」の質は、引きだす情報の広さ、深さを決定するのである。

 

爲房さんの真似をして誰が使ってもおもしろくなる問いを考えてみた。占いである。
例えば「占い師になったつもりで今日のめんだこ占いをしてください」と問う。単純に占いを求めると、占いは提供してないと言い張るのでロールプレイをさせる必要があった。

変化と成長を象徴する三めんだこ

選んでもないめんだこの数を解釈してくれる。

さらに電子レンジ占いをさせる。

加熱しすぎ注意

誰が上手いことを言えと。

むむむこのポップコーンは……

ヘタウマが許されるインターネット

このごろ四半期まとめの準備をしている。自分の日記を総括して三ヶ月の間にどういう流れがあったかをまとめる事業だ。

私の日記には一次日記と二次日記がある。一次日記がツイートみたいに随時書くもので、思ったことを忘れたくないからひたすら書いている。二次日記は深夜にその日のトピックをまとめるもので、一次日記をもとに読みやすさを意識して書く。週報は一次日記および二次日記を再編集し書きなおしたものになっている。

二次日記にたまによい文章がある。会話そのものがおもしろかったり、考えごととして価値があったり、自分の情けない行動が描かれていたりする。この手のテキストは渦中にいるとおもしろさがわかりにくいもので、あとから冷静になってふりかえると見つけられるものだ。だから「溜め」の少なくなったSNSではあまり出てこないタイプのテキストである。

今のインターネットに足りてないから供給しようかな、とも思うが、基本的には週報に載せている。週報の紙幅をはみ出しそうだったらSNSに流すつもりだ。

 

でも、狙って書くのは違う。いいテキストが出てくるかは漁みたいなもので、日によって採れたり採れなかったりする。たぶん体調とか気候も影響している。

無理をして出力すると歪なものが出てくる。歪なテキスト、イラストには作為が感じられる。「よく見られたい!」という意思が伝わってくる。品がないのでこういうものは作りたくない。

私はあくまで自分の欲望を満たすために書いているのであって、他人のために書いているのではない。書きまくった結果「ああこれええなあ(CV: 土井善晴)」なものが出てきたら世にお出しする、おすそ分けの姿勢で公開している。

その道で食っていくプロはこれだとダメで、ちゃんと消費者にサービスをしないといけない。サービスとは対価を受けとって相手をいい気持ちにさせることである。自分の欲望を半ば押し殺して、数万人〜数十万人を喜ばせられるよう配慮しなければならない。身を削るような仕事だ。

インターネットのよさはまさにここにあって、プロでは許されない、欲望のための出力を公開できる場である。先日のDPZ記事にも書かれていたように、ヘタウマがインターネットの良さなのだ。

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