6/15(土)
平日の疲れにより料理とお昼寝で終わる。
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冷凍セロリが便利だった。いつだったかイナダシュンスケのツイートで「セロリは大量に入れるとよい。一本買ってきてもどうせ使いきれないから刻んで冷凍しておくよろし」と言われていてセロリ入りジップロックを作った。このセロリをパスタ、野菜スープなどに入れると出汁が出て美味である。セロリが入っているだけで本格的っぽい味になっておすすめ。
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創作系の趣味にはつきものなのか、自信がない人は多い。結果が数で出るから?インターネットで無限に比較ができるから?
そういう側面もあるけれども「これができたら一人前」みたいな基準がないのも問題かもしれない。将棋の段位とか襲名とか、家督とか、暖簾分け、そういうの。イエ制度の再興をしたらいいとは思わないけれども、他者比較による無間地獄するのではなく何かしらの基準を立てて安心できるようにしたほうが良い気がする。
まあでもそれも付け焼き刃か。資格をいくつ取っても安心はできないもの。医師免許があるからといって信用できるかはわからないのと一緒。つまり実戦経験の数が大事なようだ。経験が自信を生む。おー当たり前の結論に到達した。とにかく手を動かすのが大事だということだ。
6/16(日)
聞き取りには自信がないのでAPDの本を買って読んでみた。そもそも聴覚だけで長い発話を理解するのは難しいタスクだよ、と書かれていた。たしかに〜
英語どころか日本語のリスニングに苦労するわけである。
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包丁立てを探しにあちこちのお店を巡ってみた。どの店にも置いてないか、置かれていても一種類がいいところだった。みんな流しの下の包丁立てで満足してるのかしらん。包丁ってすぐに鞘から抜いて使えるのが大事だと思うのだけれども。我が家は瓶に挿していたが、こないだ割れたのでちゃんとしたナイフブロックを探している。今のところツヴィリングの竹のやつが良さそう。おそらく定番だ。定番でいいんだよ。
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社会学にラベリングという概念があって良くないこととされる。「ナントカ人だからほげほげな行動をするに違いない」みたいな決めつけがラベリング。差別の源泉である。さらに預言の自己成就という概念もあって「ナントカ=ほげほげ」というラベルを押しつけられた人は、ほんとうに「ほげほげ」になってしまう、という現象が知られている。言葉によるラベリングは呪いなのだ。
差別の再生産に関わるので良くないことなのだが、ラベリングそれ自体は我々が日常的にやっていることでもある。例えば「京都人はいじわるだ」「美人だから得ばかりしてるんでしょう」みたいなの。本当にいじわるな京都人が同僚にいたとして、その人から受ける嫌な気持ちを癒すのにラベルを使って言語化し「モヤモヤ」を解消している。「美人だから〜」という偏見も妬みの気持ちを昇華するために使っているかもしれない。ラベリングといえども言葉による昇華作用を用いており、内心の平穏のためならまったく使わないのも無理がある。
じゃあどこに線があるのか。どこまでラベリングを使ってよいのか。「京都人はいじわるだ」に根拠があるなら公に言ってもよいし、そうでないなら言うべきではない*1。その上で、内心を穏やかにするために秘密の日記帳とかアカウントに「あのやなやつは京都人だからいじわるなのだ」と書くぶんには良かろう。というのも、我々が納得をするには何らかの説明原理に縋る必要があり、ある人がいじわるであることを完璧に説明するには、その人の来歴と内心をつぶさに知らねばならないからだ*2。合わない人相手にそんなことをするのは無理なので、てきとうなラベルを持ちだして納得したことにする。ただし、この仮の説明原理は人に伝えてはならない。ここが落しどころである。ラベリングに繋がる無根拠な説明は誰にも言わず、自分のための言語化としてだけに使うのだ。
6/17(月)
一日中必死にデバッグをしていた。締め切りをもう過ぎているのに、何がバグっているのかわからなかった。カンでどうにかなるものではなさそう。初心に立ちもどってDatadogのログをいっこずつ追っていき事実の突き合わせをしたらようやく光明が見えた。
こうしてバグの原因を見つけたら数字一文字の間違いだった。一文字で致命的なバグになるのがソフトウェアでもある。でもこんな桶屋が儲かるようなバグは久しぶりだ。おもしろいデバッグだったけど、集中しすぎてクタクタになってしまった。
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頭が疲れたときは手を動かすのがいい。料理とか工作とかをするとスーッと頭の血が降りていって、疲れが回復していくのが感じられる。手慣れたレシピや作業だと頭を使わずに手を動かせるし、時間が無為にならず何か成果が出てくる。
我が家はつくりおきをしない派だけれども、こういうときのための軽作業として作り置いてもいいのかもしれない。サブジとか芋料理が魅力的かも。
6/18(火)
夏に寝るときエアコン入れると冷えすぎる問題があって困っていたが、隣の部屋でエアコンをつけてサーキュレーターで送りこむことで解決できた。
冷えすぎるよりは暑いほうがまだマシな気がする。ただし隣の部屋においたねずみたちのカリコリガサゴソプイプイ音がうるさくて中途覚醒することがある。
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アファンタジアと全盲の共通性があるのでは?という気がして調べてみる。例えば夢。どちらもイメージがないはずだ。
そのようである。もともと目が見えていた人は夢にもイメージがあるらしい。私は全盲の人と同じく、まったく夢にイメージがない。
アファンタジアの脳がどうなってるのかはまだ解明されてないだろうけど、おそらくイメージが記憶すらされてないのではないか。
イメージが乏しい代わりにわりと手先が器用で、触覚も敏感だ。この点も目が見えない人々と似ている。案外、イメージ盲という名称がぴったりハマるのかもしれない。
6/19(水)
いい睡眠がとれたな〜という日で、調子良くバグ退治をしていた。大事な目標を締切三日遅れで達成し気分よく退勤しようとしたときのこと。検証環境でアラートが発生し対応に追われた。しかもただのアラートじゃなくてDB設計のやり直しが必要か?と思われるようなエラーだった。DBの仕様とかち合うやつ。
やばいなどうしようと思いつつ退勤し、風呂で回避策を考えたらなんとかなった。重箱の隅みたいな仕様を使ってデータ構造の変更はしないで済んだ。
風呂はなんでも思いつく。ドシドシ風呂に入るべきである。なんなら毎時風呂に入ってお昼寝をして仕事をしていたらさぞかし捗ることであろう。自律神経を犠牲にして。
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スナネズミの趣味は齧ることである。すぐに溶けて餅になるハムスターと違ってスナネズミは勤勉。夜の活動時間にはだいたい巣作りをしている。巣といっても紙屑とか草の切れ端を集めてこんもり盛っただけのもの。ふわふわガサガサのベッドを作り、その中に潜って寝る。それがスナネズミだ(モルモットは食べて寝てばかり)。
彼らも人間と同じく暇になるようで、齧るものがなくなるとケージの四隅を掘り始める。もちろん掘れない。プラスチックだから。砂漠とかステップに住むスナネズミは地面に穴を掘るという。その本能がプラスチックを掘らせるのだろう。しかし掘れない。
哀れなので齧るものは絶やさず与えることにした。ただし紙切れを入れるときに多少の紙屑を除去すること。そうしないとケージがボワボワでわけがわからなくなる。彼らの仕事の成果を捨てて新しく娯楽の紙切れを提供する。マッチポンプである。これが人間のやり口だ。
6/20(木)
今日も残業。来週までにやるべき大玉タスクを二つ抱えていて、どちらも進んでいない。分身してやる必要があり、時分割にした。今日は鍼で整えられていたのでわりあい元気な残業だった。というかご飯を食べたら再び働けるような感じがする。こうして社畜ができていくのだろうか。大玉はいっこ処理できた。明日のがんばりにかかっている。
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別件のお仕事でソフトウェアの更新をしてたらテストがこけるようになった。こちらの業務は手付かずの野原で草ぼうぼうである。何なら小さな木が生えているような管理ができてない土地。ソフトウェアの世界ではシステムを放置してると勝手に劣化して壊れていく。システムが依存しているソフトウェアが変わっていくのに最新バージョンへの追従をしていないでいるとだんだん動かなくなっていくのだ。家電の交換部品が少なくなって修理すらできなくなるのと似ているかも。現代的な複雑な製品はソフトであれハードであれ、時間がたつと維持できなくなるのだ。あと書物もそういうところはあるか。戦後間もない時期のエッセイを読んでも社会が変わりすぎていて理解できないことがある。三島の日記が特にそうだった。というわけで、なんもかも勝手に変わっていくのである。
6/21(金)
また残業をしてしまう。今週は朝十時から午後九時まで働いていることが多かった。来週こそは定時ダッシュの生活に戻れるような気はするのだけども。
そろそろにんげんに戻りたい(社畜はにんげんではない)。
🫑🫑🫑
会社で水出しのお茶を運用し始めた。1リットルくらい入るガラス容器を持っていき、名前を書いておいて給湯室の冷蔵庫に入れる。中にはお好きな茶葉10gといろはすをたっぷり入れておく。退社する前にお茶を仕込んでおくと翌日にはおいしいお茶が飲めるという算段だ。水出しはうまい茶葉をたっぷり味わえておすすめである。
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我が家のサークルは夏コミに当選した。今年のお盆も有明で本を売る予定である。新刊はいま製作中。間に合うかどうかは未定。
毎回のコミケには東京へ前日入りして参加していたのだが、そろそろモルモットが高齢で細かい世話が必要になってきた。なんとか当日入りできないか、と思って調べたらいつの間にかコミケのサークル入場時間が九時半までになっていて、始発の新幹線で間に合うことがわかった。コロナ禍の頃はいろいろ準備会のタスクが多かったのか、九時までだったはず。正常化されたおかげで当日入りが可能になっていた。
これでモルモットのお世話をしつつ、自宅の慣れた布団で寝てからコミケ遠征ができる。欲を言えばもっと新幹線が早くなってくれたら良いのだが、リニアはまだまだできないだろうし今後は五時半に起きてコミケ遠征をすることになりそうだ。
リンク集
こういう文脈で「男性には身体がない」という話をよくします。
tumblrみたいだ、という評価を聞いて「tumblrでいいのでは?」となりました。
likeしたpostをtumblrに流したら良さそう。
過学習っぽく見えるけれども、検索エンジンの代わりとしてのチャットAIだからたしかにこうなる。
イメージ盲の文脈で見つけた。
やってください。
インタビュー系DPZ記事は外れがないですね。🐦かわいい。