6/8(土)
朝から友人がやってきてコーヒーを飲みながらおしゃべりをした。近所でラーメンを食べて解散。新幹線で東京へ帰っていった。
私は歯医者へ。細部が磨けてないというフィードバックを賜った。そこを歯医者でなんとかしてくれよ〜、とも思ったが細かいところを磨くためのブラシを買って帰った。
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なんだかフラフラするなあ、と思ったらひどい低血圧だった。先日見かけた「頭痛の原因が低血圧で、塩が効く」という記事が脳裏にあって測ってみたら上が82だった。アレ?死人じゃん。やばいやばい。すぐに塩水を飲み横になった。
ふだんの血圧は90〜100くらい。慢性的な低血圧で朝は弱く疲れやすい。妻氏も低血圧なので食生活が原因であろう。心当たりはあって、大量の野菜を食べること。血圧はカリウムの摂取で下がり、カリウムは野菜に多いので食べまくると低血圧になるのだと思われる。
対策はナトリウム増やす作戦にした。血圧なんてナトリウムとカリウムのシーソーと水分摂取量で決まるので、塩飴を舐めて水を飲めばよろしい。もちろんスポーツドリンクでもよい。
世間では減塩減塩とうるさいのに、一人だけ増塩を考えていて変な状況だなと思った。
6/9(日)
低血圧と低気圧のダブルパンチでほとんどお布団だったが、午後にかけて体調が良くなっていった。外に出て本と食材を買ってくる。
買ったのは料理本と小説とブルーバックス。
料理本コーナーに土井善晴氏の新刊らしきものがあったが、パラパラめくってみたら趣味が合わなかった。趣味が合わないというのは日頃から作りたいと思える料理ではないということ。本質的には時間の感覚が合わないような気がする。じっくり時間をかけて皿数を増やす思想は土井氏が一汁一菜で打破したはずなのだが、それでも土井氏のレシピには昭和の主婦的料理に通じるゆったりした時間感覚がある。それは生きてきた時代とか、本人の性格によって変わってくるものだ。合わないものはどうしようもないのだろう。
せかせかしたくはないが時間がないものはどうしようもない。切りものは喜んでやるしちょっと炒めるくらいならいいが、ずっと火の前にいるのはめんどくさい。私がよく作る一汁一菜、カレー、パスタ、野菜スープは火入れで放置できるのが特徴なのだ。煮込みフェーズの間に休んだり別の作業ができる。
放置調理といえばヘルシオやホットクックが挙げられるが、試したうえでこれも合わないと判断した。調理家電は、できる料理のわりに洗い物が巨大すぎて逆に不便。調理は自動化するほど設備が巨大になっていくもので、狭い日本の家にそんなものを置いとくスペースはないのだ。自動化は皿洗いだけでよい。
そういう考えがあり、スープの本が気になり手に取った。季節の野菜を出汁にしてなんでもスープにしましょう、という主張の本で一本筋が通っていて良さそうだった。
🫒🫒🫒
『村上さんのところ』という本を読んでいる。村上春樹のファン(村上主義者)からの質問に「そうなんですね、がんばってください」と塩対応するメール集。3万7千通ものお便りに対する473通のレスを収録した本。
この本のなかで村上春樹が「小説家には絵画タイプと音楽タイプがいて、絵画タイプは細部にこだわって美しい文章を書くがリズムが悪くなりやすい。一方で音楽タイプはリズムが良いが細部の展開が強引であることが多い」と自説をときながらメールを返していた。
私は明らかに音楽タイプだ。幼少期からピアノをやっていたし、今も130bpmの音楽しか聞かない。文章を書くときもリズムばかり気にしている。強引さにも心当たりがある。ある同僚には「ウッカリ読ませられてしまう」という評価をされた。たぶん細部が間違っているのだろう。絵画タイプの文章は合わない。千葉雅也がまさにそうだった。哲学書はおもしろいのでいけるかと思って小説を読んだら、音楽タイプにはまるで読めない文体だった。それくらい双方の思考様式には乖離があるようである。
村上春樹は「絵画タイプと音楽タイプの良いところを兼ね備えるのがよい」と締めくくっていた。そうだと思う。
6/10(月)
寝苦しい夜。京都の夜。ついに夏がやってきた。
まともに眠れず朝になり、回復しなかった身体を引きずって出社した。会議とコードレビューをしたらやる気が尽きて終わりになる。
🥭🥭🥭
12月から私を悩ませている頭痛も低血圧のせいだとわかった。頭が痛いときに計測すると見事に100を切っている。再現性は高いので間違いないだろう。
塩をとってもいいのだが、腎臓の仕事を増やすのも考えものだ。何か他に方法はないものかと思ってXのポストを検索したら、ふくらはぎを鍛えたり、高くあげたりすることで血圧を挙げられる、という情報が得られた。
ふくらはぎを鍛える方法はつま先立ち。何かとペンギン歩きをしながら生きていこうと思う。ぺんぺん🐧
6/11(火)
うっかり爆睡してしまい遅刻確定時間に起きる。弁当調理を放棄しパンを咥えて妻氏は出勤していった。幸い私は在宅勤務の日だった。
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同僚とおしゃべりをしていて「建前の有害性」みたいな話になった。このブログでは何度か「納得感が大事な時代になっている」とか「納得感を与える説明能力が権力である」と書いてきた。建前が良くないのは、嘘をついているから。建前で騙せる人もいるかもしれないが、嘘を見抜く人もけっこう多い。もし建前で嘘をつくならば、その嘘には説得力と一貫性のある論理が必要になる。そこをちゃんとしてないことは多くて、論理をいい加減にして雑な建前を持ちだすのは有害だ、という話。
余談だが、自分に嘘をつくのも同じである。「ほんとうは感情的なのに雑な論理的説明をでっちあげる態度」にも何度か言及してきた。自分に嘘をつくのは意識的にやっているものではないかもしれないが、外から見たときに嘘をついているという点は揺るがない。感情的反応は顔や所作に出るからである。
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ダンスミュージックのライブを見てると、野外の岩の上に電源とDJ機材を持ちこんで演奏していることがある。壮大な自然をドローンで空撮し、そのままMVにもしてしまう。あれって何が嬉しいのだろう?
6/12(水)
いつもより早起きしたらプランターへの水やり、家の片付けなどをしてから出社することができた。昨晩は謎の眠気の波に襲われてスコンと寝落ちしたのだが、毎日こうなったらどんなに良いことか。
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また仕事で小さなトラブルが起きて業務後に悩んでしまった。ぐるぐる考えてみたが答えが出ない。そのうち考えるのをやめた。
定時後の悩みは、たいてい答えが出ないものである。翌日喋ってみたら重く考えすぎていた、ということもしばしば。人の考えは喋ってみないとわからないし、同僚や自分のその日の気分の影響も受ける。翌日になったら気分が変わっていることもある。だから定時後に考えるのは無駄。結局「他人が何を考えているか、未来がどうなるかはわからないし、わからないならどうでもいいや」となった。
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「お仕事は川みたいなものだから放っておいても流れる」と書いたことがある。
問題は流れていない川があるとき。川が流れていれば放っておいてもいいのだが、流れていない川は流さないといけない。うまく川を流すのはエライ人とかプロジェクトマネージャーの仕事だが、ヒラのメンバーも流れてないことに気づき次第、流れるように介入をするのがよいだろう。今回私の仕事に起きた小さなトラブルは、その手の問題だった。「流れてますか?」という問い合わせ。「流れてなかったので流します」
流してしまえばあとは同僚らが勝手にやってくれる。少しの工夫で川は流れるのである。
6/13(木)
クタクタに疲れた。朝から晩まで労働していたがだんだん加速していき、午後八時くらいにはもうわけがわからなくなっていた。次々とバグとか不思議現象の報告がくるし、それが何種類か並列で走ってるのでたいへんだった。
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疲れは足に溜まるらしい。デスクワークをしてると手と頭ばかり動かしていて、足が動かないので足に血が溜まるそうだ。重力の影響もある。足に集まった血はそのうち血管外に染み出してそのうちリンパとして回収されるが、そのぶん血管系の栄養とかミネラルは足りなくなるわけで、それが疲れとして感じられるようだ。
ということを知り、お風呂あがりにふくらはぎのマッサージをしてみた。足首から膝にかけて筋肉をぐねぐね揉みほぐしていく。下から上へ何回か。すると五回目くらいで頭に血が戻ってやる気が横溢してるのに気づいた。なんでもできる気分。すごいすごい。
身体の仕組みはシンプルだ。筋肉がすべてを解決するというミームもあながち嘘ではないのかもしれない。
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村上春樹が他人の不機嫌について「でも自然現象だと思えばあきらめもつきます。がんばってくださいね。艱難辛苦があなたをタマにします。タマになって「にゃあにゃあ」ととぼけててください」と書いていた。
人間の内面なんか推しはかるものではない。にゃあにゃあ
6/14(金)
めちゃくちゃ疲れていたが大事なマイルストーンがあったので這って机にたどりつき労働をした(在宅)。しかしマイルストーンは達成できず締切延期の調整をした。せちがら〜
夜は中華を食べにいく。私は点心トマ卵担々麺だったが、妻氏は点心トマ卵点心点心だった。点心だけでおなかいっぱいにするのありかも。小籠包餃子祭り。テーブルに蒸し器が四段五段と積み重ねられていく。
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本だけでなく、お仕事とか人間関係も「内容とサービス」の双方が大事である。この記事、じつは一般的なことを書いていた。
きっかけは「アピールや表現とかしなくても内容だけ見て褒められたい」という趣旨のツイートを見たこと。そんなわけないだろ、と思って考えていたら、数年前にこの問題について答えを出していたのを思い出した。
サービスなしで評価される仕事もないことはないが、それは人間国宝とかリーナスのレベルの仕事だと思う。ふつうそこまで尖ってないので、内容だけで勝負するのは無理。というかリーナスですら態度をまともにせざるを得なかったし。
サービスをしたくないけど褒められたい、という人は利己的なわけだ。何人かそういう人を見てきたことはあるが、彼らは「サービスをしたら見返りとして評価・報酬があるべきだ」と考えているように見える。サービスをするのは確実に見返りがあるときだけで、サービスしたのに対価が貰えなかったら怒る。もちろんそれも生き方としてあるのだろうけど、おそらくその先にあるのは消耗だ。より大きな報酬を得るために個人の限界を超えたサービスが必要になってくる。まったく持続的でない。
私は取引的な考えで書いているのではない。第一に自分のために書いていて、その上で報酬ではなく、どれくらい広く伝わったかを気にしている。いろんな人に届くように平易になるよう気をつけること。そのために自分のできうる範囲でのサービスをする。ここに働いているのは取引ではなく贈与的な心性だと思う。あげちゃってもいいや、という気分。不思議なもので、無料であげたものから意外な反応が返ってくることもある。何が人の琴線に触れるかなんかわからないものなのだ。そうやって、自分を大事にしつつ暗闇に石を投げるのが報酬を得るための逆説的な近道だと思うのだけども。
リンク集
こわかったです
改善したい
汗をかくと血圧が下がることを知った
ランダム猫画像API
こういう現象があるのを知るとIPS細胞を研究するのも納得がいく
Apple Storeで体験して良かったら買います
そこしか通せなかったとのこと
ビオレUVを使ってます
シャカシャカ