しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/02/25 しっぽを見るのは犯罪です

2/17(土)

カフェ飯にはイヤホンが必要

お昼に近所の洋食堂へ。開拓である。外食のバリエーションを増やしておきたくて。
このごろ忙しさで自炊に失敗することが多いので、気軽に使えて健康的なものが食べられる店が必要なのだ。「健康お手軽」制約を入れた時点で中華、ラーメン、イタリアン、フレンチ、和食専門店が落ちる。残ったのが洋食堂とかカフェ飯と呼ばれる形態。

真のからあげを食べた

開拓した店は当たりだったのだが、長居する女性二人組が早口で喋り続けているのが気になった。まさにマシンガントーク。内容も恋愛観についてのぶつけ合いといった感じで、楽しくお喋りしているのかよくわからない。互いに話を聞いてなさそう。

そういう会話を聞くのは辛いので、遭遇したときのためにイヤホンを持っておくべきなのだ。カフェ飯系にはかしましいおばちゃん集団も来るので注意が必要である。

🏀🏀🏀

8時間モニタを見るのはふつうではない

眼鏡屋へ。眼鏡が合わなくなってるのでは?頭痛と肩こりの原因でもあるのでは?と思って作り直しプロジェクトを進めている。

用途はPC作業特化にした。左が1.2あるところへあえて遠視的な矯正をして、1mくらいまでしか見えないようにする。

「毎日8時間モニタをみる生活をしているので、遠くまで見える必要がないのだ」
処方箋をもらうとき、眼科でそう言ったらドン引きされた。

1mより遠くが見えない生活、どういうものなのか想像できなくて不安である。ド近眼のプロである妻氏は何が不安なのかわからない様子だった。

🏀🏀🏀

道具は美しければよい

いらない調理器具を買いたくなることがある。実用性はどうでもよくて、道具として美しければそれでいい。

例えば菜切り包丁。野菜を切ることに特化した和包丁で、他の用途には使えない。でもシルエットがいいのだ。前から欲しいのだが、明らかに使わないので買っていない。使うにしても今ある包丁と競合してしまう。

www.kai-group.com

今日もハンズをうろつき、最終的に茶さじを買った。これは本当に使うもの。キッチン用品コーナーに行って何か買って帰れるとうれしい。

 

あ、調理用ピンセットは美しくて実用性抜群なので十本持っていても良い。おすすめ。

2/18(日)

自動リラックス職場

久しぶりにびよーいんへ。忙しいことを見越して前回は短めに切ってもらっておいた。そのバッファも食いつぶしてしまったので、諦めて出頭。みじかみをえた。

 

妙にいいにおいがしたので「何のフレグランスを使ってるんですか?」と尋ねてみる。

サブカルクソにおい棒*1は枯れてるし、最近は何も使っていなくて、シャンプーとか精油を使って仕事をしていたら、このにおいになってしまう。お客さんにも娘にも「このにおいなに?」と聞かれるが、本当に何もしていない」

とのことだった。業務をしてるだけでリラックスできるなんて。羨ましい。

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DiDi再現カレー

妻氏はこのごろミニベロ整備にお熱で、今日も部品や工具を買うべく走り回っていた。喫鴨川もしているようで羨ましいことだ。

ついでにDiDiに寄ったらしい。我が家いちおしのカレー屋である。以前にもイナダシュンスケのエッセイを交えて紹介した。

 

DiDiは自宅再現のためのスパイスセットも売っていて、妻氏が買ってきてくれた。

「これの素性を明らかにすれば完全再現できる!」と思ってDiDiカレー粉をぺろり。

う〜んよくわからない。胡椒、ターメリック、クミンシード、コリアンダー、カルダモンはわかるが、残りがよくわからない。むねん。

なんなんだこの粉は

作り方はふつうにインドカレーだった。

  1. 玉ねぎ、にんにく、生姜を刻んで炒める
  2. カレー粉を入れる
  3. 1と同時に鶏もも肉に焼き目をつけるように焼く
  4. 2のフライパンに3の鶏もも肉、ヨーグルト、水、野菜をいれて長時間煮こむ
  5. 最後にガラムマサラと塩で調味

典型的なインドカレーと違うのは鶏もも肉をマリネしないところくらいだろうか。焼き色をつけるためなのかもしれない。ヨーグルトがまぶしてあると焼き色はつかない。

具を入れるとインドカレーは見栄えがしなくなる問題

秘密はスパイスの調合にあることがわかった。聞いたらふつうに教えてくれそうなものだけども、自分で試行錯誤してみたい。そういうゲームだ。

2/19(月)

コンピューターにMPを吸われている

仕事に疲れてソファで虚無をやる。寝ていない。寝てないぞ。

疲れてしまうのはモニタを眺め続けているから。今まで当たり前にやってきたけれども、緊張性頭痛がでるようになってから消耗の激しさを自覚するようになった。

コンピューターは人間の魔力とかMPとかそういうものを吸うに違いない。増え続けるメンタルヘルス諸問題も半分くらいはコンピューターに問題があるのではないか。

失ったMPは散歩とかモルモットつんつく、食事などで回復される。ソファで虚無をやるのもその一種だ。

 

コンピューターはリモートで仕事ができるほど便利な道具だが、その反面浴びせられる情報が多すぎる。情報量が我々を疲れさせるのである。

人間の脳は視界に入る情報を常に処理していて、意識に上らなくてもシナプスでシャカシャカ計算し続けている。だから「なんか今自分の名前が書かれていた気がする」みたいに気づくことができるのである。

そんなものは見ているだけで疲れるはず。本当に疲れてるときは文字も動画も視界に入れてはいけないのだと思う。だから自律神経をやると「散歩をしろ」「森へいけ」みたいな話になるのだ。

 

そういえば以前「画面が狭いほうが原稿が進む」ということを書いた。これも情報量が少ないほど集中できるという原理であろう。

🚲🚲🚲

我が家には妖刀がある。

持つものを狂わせるナイフ

左の二本。有次*2の牛刀とペティナイフである。よく切れる。

おそろしいことに、この包丁を持っていたら自分や人を刺す想像をしてしまう。切れ味がすごい上に、包丁のシルエットが細身でシュッとしているから「めっちゃ切れるで!」という印象を与えてしまうのだと思う。

でも、美しい。美しさと怖さが同居するような道具は良いものだと思う。

🚲🚲🚲

『外国語学習の科学』を読んだ

第二言語習得論とは効率的な外国語学習を目的とした学問である。心理学と社会言語学を応用した領域。

で、どうやったらいいのか。

  • インプットをたくさん、毎日少しずつアウトプット
  • 外国語を聞きながら文法の解釈もしてみる

この本で言われるインプット量は、おそらく我々の想像よりだいぶ多い。たぶん多ければ多いほど良い、まである。ただし興味が持ててある程度知識があるものを聞くこと。だいたい内容が理解できて、未知の単語も類推できるくらいの難易度がよい。

おもしろかったのは「言語はルールでは割り切れない」というところ。正しい文法規則と単語を組み合わせただけだと自然な言語にならないのだ。「昨日知らない人が私の財布を盗みました」みたいなやつ*3。実際に使われる言葉には無数の例外があり、それを文法として記述しきることはできないのだ。

2/20(火)

夢の神に願うとサボれる

夢に同僚が出てきてDJをしていた。隣の席の同僚である。多趣味でいろいろやってる人だからよく登場していろんな役をやらされている。私の夢のなかで。

そのDJイベントは身内でやるようなもので、私も出番があるようだった。同僚の次が私の番。同僚はたまに音を止めてしまっていたが、それでもちゃんとやっているようだった。

私はDJなんかやったことない。このごろdjayというアプリを入れてApple Musicの曲をautomixさせてはいるものの、自分で曲を繋いだことはない。いまだにアプリの操作方法すらわからないのだ。

「困ったな〜出たくないな〜」と思いながらこれが夢であることに気づいていた。そこで一計を案じる。
夢の神かに「どうにかして出番をキャンセルしてくれ」と頼み込んでみた。

するとそのうち画面が変わって、ソファでぐったりしている自分がいるのに気づいた。40℃の熱が出ていて流行り病にかかっているらしい。

こうして無事に出番をサボることができた。

📦📦📦

会議でのこと。

「この工夫をすれば、1ふわねこ週の工数が空くじゃないか。何をさせよう」と同僚に言われ、とっさに「寿司でも握ります」と答えた。

もちろん握れない。

2/21(水)

見るべきものは少ない

このごろ私を悩ませている緊張性頭痛の原因を考えてみる。何かを凝視し続けていると目首肩が凝って血流が悪くなり、頭が重くなるのではないか。

私にはなんでもしっかり見る癖があるようで、無意識に目のまわりに力を込めている。文字が好きだしよく見えるからだと思う。両眼で1.0近く出てしまう。妻氏は0.5しか出ないメガネをかけているので、いつもぼんやりしている。
街を歩きながら「あの張り紙みた?」と聞いてもだいたい「なにそり」と言われる。私はあらゆるものをじっくり見ていて、そのせいで疲れるのだ。

よく考えると目が良くてもそんなにいいことはない。縄文時代に文字はない。多少目が悪くても罠が作れたら狩りはできる。現代社会では道路も文字だらけだが、車を運転しない限りは文字がはっきり見えてなくて良い。歩行者は信号と近づいているものに気づけたらそれでいい。

 

街の中だけでなくディスプレイやスマホを見るときも真面目、不真面目モードを使い分ける。どうせタイムラインに大したことは書かれていないし、重要な情報なら名前と同じように光ってみえる。ほとんどの情報はぼや〜っと薄目で見るくらいでよいのである。

🔌🔌🔌

Slackに「まめちしき: 蟄居は蟹ではない」と書いたら🦀のリアクションが全種類ついた。みんな暇なのかね。

2/22(木)

朝、同僚を駅で見かけたがあえて回避。柱に隠れる。まだ頭が人間モードじゃないのだ。あーうーしか言えない状態。冷え性の朝は遅い。

出社し、席についてもSlackのログを読まない。チャットログも人間モードが必要。

なのにコードは読めた。プログラミング言語人工言語でそんなに複雑じゃあないから。

つまり頭が起きてきたら人間モードになるのである。人間は複雑な存在である。

🍑🍑🍑

レモンが便利。家にあるとマリネに使えるし、輪切りにして紅茶に入れるとうまい。見た目もよろしい。柑橘はえらいやつだ。

じつはコーヒーにいれてもよい

🍑🍑🍑

しっぽを見るのは犯罪です

あらゆる人間に興味があるのだが、人間と喋るのは面倒、という話をしていた。

人間にはざっくり意識上の部分と意識下の部分があって、私が興味を持っているのは意識下のほうである。その人の根っこみたいなものが無意識の深いところにあるイメージ。そこを知りたい。もちろん自分のも。

 

でも簡単には見せてもらえない。というか、根っこについて自分で把握してる人なんかほとんどいない。説明できるほど内省してる人は稀だし、わかっていても深い関係にならないと教えてもらえない。言語化能力も必要で、言葉を磨かないと語れない。

私は根っこが知れればそれでいいので「催眠アプリを使って無意識さんに喋らせたらどうか」とも思ったが非倫理的すぎる。
そんなことをしたら私は即座に逮捕処刑されるであろう。

 

あれかな。耳と尻尾が生えた獣人の国ではなぜか尻尾を見せるのが失礼とされているのに、私は異常に尻尾を見たがっていて収監されかねない、みたいな話。
いや違うんですよ、文学とか芸術の世界では尻尾が問題になっているのです。

2/23(金)

イデアと言うのにプラトンが関係ないことがある

天皇誕生日により休み。未だに12月23日の休みが2月に移動したことに戸惑いを隠しきれない。

 

朝から晩まで『みみずくは黄昏に飛びたつ』を楽しく読む。川上未映子村上春樹の対談本。

哀れ川上未映子

村上春樹は『騎士団長殺し』に「イデア」という用語を出したのを川上未映子が『国家』を読んでまで解釈しようとしたのに、村上春樹本人はプラトンとの繋がりを意識してなかったくだりが良かった。「正しい」解釈なんかどうでもいいことがわかる。

🌱🌱🌱

きょうの料理

昼にスープを作る。野菜と肉を煮たもの。

そこからどう進化させるか迷ったが「マカロニと牛乳とマスタードを入れよ」と私の中の直観音様が言ったので、その通りにした。

結果、たいへんうまいスープになった。慣れた料理ならばレシピなんかいらんのである。

シチューみたいな何か

夜はビリヤニ。ヨーグルトマリネの方式にした。米に翼が生えて吸いこむように食べられるが、食後は血糖値乱高下に苦しむことになった。

ビリヤニとサラダ

🌱🌱🌱

クヨクヨしない小説を探していく

『みみずくは黄昏に飛びたつ』に「日本の「純文学」は近代的自我とかエゴの葛藤にこだわりすぎ。僕(村上春樹)はおもしろいとは思わない」ということが書かれていて、いたく共感する。

地下一階のクヨクヨ室を評価しない話

私がたくさん本を読んでおきながら(日本の)小説には手を出していないのはその辺りの事情があった。私小説的とでもいうのだろうか、人が葛藤してクヨクヨしてるさまを読みたいとは思わない。

村上春樹のこの発言により、海外文学にはそうではない作品があるのを知った。そういえば『百年の孤独』も近代的自我が問題にならないな。

 

「本当に素晴らしいと思える小説は人生で五冊あるかどうかだと思う」という発言も励みになる。合わないものは合わないので、積極的に選別しながら小説のほうも探索していこうと思った。

なお、村上春樹の対談・エッセイは好むが小説の文体は好きじゃなかった。文体とは不思議なものである。

*1:リードディフューザーのこと。美容師がそう言ったわけではない

*2:刀鍛冶がルーツの包丁屋

*3:日本語では「知らない人」という主語を入れず、単に「昨日財布を盗まれた」と言う