3/16(土)
お香エンターテインメント
お香を買ってみた。薫玉堂のお試し用16本入り台座付き。
目的はリラックス。しばしば頭を使いすぎて体調が自爆するので、匂いでぼや〜っとできないかと目論んでいる。それはそうとして、家でいい匂いがしてたらうれしい。
豆皿に乗せて点火。けっこうな勢いで煙が出てきた。もわもわもわもわ
この煙がなかなかおもしろいエンタメだった。不規則にゆらゆらするので見ていて飽きない。匂いに頼らずともこの煙を見ているだけで頭を空っぽにできるかも。
お香が消えると茎みたいな灰が残った。お香に火をつけたら煙の花を咲かせ、灰が残る。侘び寂び的サムシングが感じられる。
部屋にはしばらく残香が漂っていた。数時間経ってもうっすら香る。
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バターの暴力
イナダのレシピを写経し、その通りにパスタと蒸し野菜を作った。
パスタは大量のバターで細切りピーマンを炒めて麺を和えただけのもの。バターは二人で30グラム。あまりに多くて日和ったのだが「最初はレシピを守らなくちゃ……!」と信じてそのまま作ったらやっぱりバターは多かった。私はおいしくいただけたのだが、妻氏が降伏。海外旅行でバター責めに会ったときのトラウマによりたいへん苦手らしい。次は10グラムにする。
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バターはフランスの煮干し
バターを使うと簡単にパスタがまとまることがわかった。なんというか、パスタはオリーブオイルと大蒜で作ると麺と油脂がバラバラな味になることがある。乳化の難しさだと思うのだが、バターを使うとこの問題が起きにくいようである。
なるほどこれは昆布や煮干しなのだ。日本でイージーに使える旨味物質があるように、フランスやイタリアにもバター、生クリームがある。入れるだけで簡単に料理がまとまり、うまくなるもの。
だが、イージーな調味料こそが文化的な壁になる。三國シェフは「生クリームをドバドバ入れるフランス人にはなれない」と理解して日本に帰ってきた。我々はバターびちゃびちゃ生クリームドバドバには耐えられないのである。煮干しはなんぼでも入れられるのに。
どの文化の料理にも、イージーな調味料はあるはず。人類のうまいものへの欲望は普遍的であり、誰もが楽をしてうまいものにありつきたい。その結果としてバターや煮干しがよく使われるようになったのである。しかし、我々がバターに耐えられないようにモンゴル人は和食を食べても「ぜんぶ魚味じゃん。羊肉のほうがいい」となるかもしれない。イージーな調味料は幼少期からの洗脳で適応するので、そこに分厚い食文化の壁ができるのだろう。
3/17(日)
料理は技術か素材か問題
『ミニマル料理』の凝縮ポモドーロを作った。
- オリーブオイルと塩をフライパンに入れる
- 半割りにしたトマトを並べ蓋をして火にかける
- トマトの皮をとって潰しねっとりするまで煮こむ
- パスタと和える
これだけ。ニンニクとかチーズを入れてもいいのだけど、あえて入れないで作ると上品な酸味とトマトの旨味が感じられてうまかった。
たしかにイナダ氏の言うような「高級店のシンプルさに通じる味」が感じられる。
ただのスーパーのトマトが高級な味になるということは、高級店の味は素材のコストよりも技術が支配的だということである。それが実感できた。
調理技術を高めるほど技術料を支払わずにおいしいものにありつけるのなら*1、これほどうれしい投資はない。料理のやる気が高まった。
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先日の「カレーは玉ねぎ100g/人必要」仮説ですが、実験したところ非常にうまいスパイスカレーができたことを報告しておきます。
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毎日走るようにしてみたら、生活に「走る」コマンドが増えた。例えば次に渡る信号が青になっているとき。急いでなければ走らなくていいのだけども、ただでさえ運動は足りてないので走るチャンスが増えたと思って走ればよい。街中で走るのは目立つからちょっと嫌なのだけども、信号ならまわりの人も納得するはずだ。
3/18(月)
麻疹について調べる。なんでも京都で感染者がちょくちょく出ているようだ。
熱が出るだけでなく発疹が身体中にできたり、後遺症が残ったりとなかなかしんどいものらしい。ワクチンを二回打っておけばかからずにすむというので、できればそうしたい。不幸なことに私の世代は一回しか打ってないのだ。昔から一回しか打ってないことは認識していたのだが、増え続ける外国人観光客のせいで麻疹の流入が活発になってきた。もう逃げられないので病院を探して予約の調整をし始めた。
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自転車通勤をするようになってから気づいたのだが、京都って午後になると強い風が吹くのだ。冬だけかもしれない。夏は暑すぎて意識したことがない。なんで毎日のように4mの風が吹くのかはわからないのだが、自転車で移動してると向かい風になることがあって甚だ不便である。今日なんか7mの風だったし。あんまり風が強いと体力を消耗してしょうがないので、そういう日は別の手段で通勤しようと思った。
3/19(火)
刹那的な欲望に負ける動物と人間
会議だらけで消耗。社内イベントの発表資料を作っていたら21時まで働いてしまった。
スナネズミの掃除は毎週日曜日に行う。おがくずや牧草、厚紙などでできた巣を破壊し、巣材をほぼ入れ替えてしまう。スナネズミたちは狼狽し、あちこちにおしっこをする。そして失意の昼寝をする。
本当は巣で昼寝をするものなのだが、巣がなくなったせいで回し車の下に隠れて寝ているのが見つかった。熟練のスナネズミならば数時間で巣を再構築するものなのだが、新人スナネズミたちはまだ巣作りが下手らしい。
哀れに思って紙箱を与える。スナネズミたちは喜んだのかどうかわからないが、そこを巣にして昼寝をし始めた。これで安泰。と、思いきや彼らは巣箱を囓りはじめた。スナネズミは厚紙を囓ることを至上の喜びとしており、その欲望にあらがえないのだ。
こうして一夜にして彼らの巣は崩壊した。刹那的な欲望に負けて家を失うのはどこか人間にも通じる愚かさである。
あまりに哀れだったので、後日木製の箱を与えた。
⭐️⭐️⭐️
『ペンギン・ハイウェイ』を読んだ
あらすじ: 常に冷静で大人びた小学生の男の子「アオヤマくん」が主人公。アオヤマくんは歯科医院に勤めるお姉さんのペンギンを産み出す能力、街に起きる異常現象を「研究」と称して調査していく……。
キャラクターがよかった。アオヤマくんは大人びたことばかり言うのに20時になると眠くなってしまうし、まだ乳歯がグラグラしている。お姉さんはアオヤマくんを「少年」と呼ぶし、気分で生きていて何を考えているかわからない。ミステリアスでクールなお姉さんだ。
なるほど、これだけ魅力的なキャラクターを量産するから森見作品はアニメ化ばかりされているのだろう。
⭐️⭐️⭐️
文体は意識をデータにしたもの
お話の筋もおもしろかったのだが、なんというか、文体が合わない感じがした。
『四畳半神話体系』もいまいちキャラクター以外に惹かれなかったので、森見登美彦とは文体が合わないのだと思う。
文体が合わないと「この文章何か意味があるのかな?私にはイメージできないんだけど」となる。これは本当に合う合わないの問題で、作者が悪いわけではない。相手は名の知れた商業作家なのだ。お伝える能力に問題があるわけがない。
これもイメージのやり方が異なっているのだろう。お仕事でも文章を書いたとおりに読まれないことがある。逆にその人の文章は読みにくいなと感じる。
文章は意識とかイメージをデータ化したもので、そのフォーマットが人によって微妙に異なるのだ。それが文体だと思う。
3/20(水)
麺の太さ戦争
朝食にそうめん。米ブームに翳りがみえてきて、急にそうめんが食べたくなったのだ。昨夜の夜食にも食べている。また夏にかけて箱買いをするのかも。
たいていそうめんは塩とオイルだけでいただくのだが、今期のブームでは新しい食べかたを発見して試している。時間どおりに茹でたら流水で洗い、水をよくきって皿に盛る。そこにオリーブオイル、酢、塩をてきとうにふりかけまぜて食べる。美味である。妻氏に紹介したら「うどんのほうがうまい」と言って細麺アンチ活動をしてきたので中指を立てておいた*2。
酢とオイルでおいしくなるということは、そうめんはサラダなのである。実際サラダの材料として使われることも多いようだ。いろいろと酢、オイルの組み合わせを変えていくとおもしろい味が見つかるかもしれない。
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『一人称単数』を読んだ
村上春樹の短編集。なんだか変な話が多くて記憶に残った。
お気に入りは「品川猿の告白」。
群馬県の古びた温泉旅館に人語を喋る猿がいて、身の上話をしてくれるという話。その猿は意中の人間の女性の名前を盗むことでその欲を昇華させる。猿はもう盗まないと言っていたが、後日主人公の前に名前を盗まれたかのようにみえる女性が現れる……。
3/21(木)
皿数を増やすのは面倒だが味は良くしたいジレンマ
ミニマル料理をやるようになってから「料理は具材を入れすぎたら味がわからなくなる」ということに気づいた。一つの料理に入れていい野菜、肉は三種類か四種類が限度。あんまり増やすと味がぼやけてしまう。雑味も出やすくなるかも。
しかし自炊は現実を生きるための食事だ。栄養バランスと調理の手間を考えると、一つのスープにたくさんの野菜を入れたくなる。こうして、おいしいけどやや微妙な味のスープができる。
素材の味が感じられるおいしい料理にするには具材の種類を絞らないといけない。栄養バランスを考えると皿の数を増やすしかなくなるのだが、手間は増やしたくない。難しい問題だが、酢を使った作りおきなどに活路があるような気がする。冷蔵庫で冷やしてもおいしいままの料理ってかなり限られるので。
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デジタル人間とサービス趣味の問題(未解決)
しいたけ占いに「山羊座はサービスしすぎて自滅するのに気をつけてください」と書かれることが多い。これは私にはよく当てはまる性質で、私は何も見返りが得られなくてもサービスをしてしまうことがある。「わかりやすくなるよう背景からしっかり説明してさしあげよう」とか「この発見(ライフハック的なもの)を記事に残してGoogle検索の糧にしよう」とか。というかこの週報だってそうだ。別にお金がもらえるわけではない。なのに毎日それなりに手間*3をかけて書いている。半分は自分のためだが、もう半分は読者と知人のためだ。サービスするのが趣味なのである。
問題はサービスしすぎて燃え尽きる可能性。疲れてるのに惰性でサービスしちゃうと体調が大変なことになる。何度も自滅してきたので回避できるようになってきたが、今でもたまに自滅寸前までいくことはある。週報以外の仕事とか、生活でのサービスが積もってそうなる。
また、別の性格として「興味を持ったら100%の力でやるが、興味がなかったら0の出力しかださない」というものがある。つまりデジタルな行動様式を持っているデジタル人間である。でじでじ
サービス趣味とデジタル行動様式が合わさると「興味のあるサービス趣味(仕事)には必ず100のパワーを出す」という行動になる。楽しいのだけどたいへんだ。こうして私は日々自滅とのチキンレースをしているのである。週報は効率化を重ねて余裕で書けているのだが、他にもたくさんサービス趣味(仕事)がある。どうにかして50のパワーで済ませていかないとダメなのだろうなあ、と思った。解決策はみえてない。
3/22(金)
業務でスライドを作りながら録音していたら「自分で思っているより喋るスピードが遅い」ということに気づいた。何度やってもそうなる。主観的にはせかせか精一杯喋ってるのに録音だと遅く聞こえるのだ。誰でもそういう事象は起きるのかも?とも思ったが、妻氏によると私はもったり喋るタイプらしい。それに会話に口を挟むのは得意ではない。音ゲーが苦手なタイプ。なので本当にもったりした喋りなのだなと納得した。せっかちに見えるよりは良いでしょうと前向きにとらえている。
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さいきんお茶に凝っている。高い茶葉の味を知ってしまい基準があがってしまったのだ。このままだと破産する……!と思ったが、よく計算してみるとお茶に凝る前は毎日ペットボトルのお茶を買っていた。これがちりつもすると、けっこうな額になる。結局、高い茶葉を買って毎日飲んでもペットボトルお茶と同じくらいの費用になることがわかった。だからといって破産へ向かってはならぬのだが、ちょっとだけ安心した。