3/23(土)
疲れで寝たり寝たり……。夜に風呂に入った頃に回復した。
💻💻💻
モルモットを鎮圧しないでください
『不思議の国のアリス』を読んだ。
あまりにも有名なお話なのに内容を知らなかった。「うさぎを追って穴に落ちる」くらいだと思ったらもっと複雑。たくさん動物が出てきておかしなことばかり起きる。
正直なところ、かなり狂った物語だと思う。そして狂ってることが掛け値なしに素晴らしい。予測ができないから次に何が起きるかわからない。これこそが物語である。
💻💻💻
なぜかモルモットが三回登場する。当時の英国でも有名な動物だったようだ。
外には小さなけものや鳥たちが大勢群がっていました。真ん中には気の毒な小さなトカゲのビルがいて、二ひきのモルモットに支えられ、びんから何かを飲ませてもらっているところでした。
p.57「まったくつまらんのはおまえの話しぶりだ」と王様。
ここで一ぴきのモルモットがおもしろがって歓声をあげたので、たちどころに法廷の役人たちに鎮圧されてしまいました。(これはかなりむずかしい言葉なので、どのようになされたか説明しておきましょう。口のところをひもでぎゅっとしばれる大きな粗布のふくろを用意して、これにモルモットを頭からほうりこみ、その上にすわったのです。)
p.155「知ってることがそれだけなら、さがってよい。」王様が続けられました。
「さがるといっても、これ以上、低くはなれません」と帽子屋。「床にひざをついておりますので。」
「では、尻もちでも、つけ。」
ここで、もう一ぴきのモルモットが歓声をあげて、鎮圧されました。
「さあ、これでモルモットはいなくなったわ。」アリスは思いました。「少しは先へ進むでしょう。」
p.156
全体的にモルモットの扱いがひどいのだが、そもそも『不思議の国のアリス』ではどの動物の扱いもひどいので大丈夫。モルモットがおもしろがって歓声をあげるのがかわいい。今ならモルカーのおかげでみんなわかるだろうけど、本当にPUIPUIというか、キュイキュイと鳴くのである。
3/24(日)
小麦食品は水を吸う
謎にテンションが低い一日だった。春にやられているのではないか。
あまりに気力がなくて夕食をマクドナルド🍔🍟にしてしまったのだが、マクドナルドの食べものは何を食べても飲みものが欲しくなる。たしかコーラを飲むように設計されているとかいないとか。飲まなければお腹のなかの芋と小麦が重くなって苦しむ。よく設計されたファストフードだ。
「小麦製品は水分含有量が少なくて消化が大変なのでは?」という仮説が出てきた。調べてみると、パスタ、パンなどは40%くらいが水分なのに対し、お米は65%である。ただし小麦食品の例外がうどん。うどんは茹であがりで外側が80%、中心部が50%だそうな。お米に近い特性になりそう。なるほどうどんが消化に良いとされるわけである。
今後は体調に応じて穀物の水分量を変えようと思う。明らかに今日のマクドは失敗で、お粥とかうどんを食べるべき体調だった。うどんは好きじゃないけど……。
🐌🐌🐌
ジャンボピーマンデカチャンプ
そろそろ春なので種まきをする。この夏のプランター布陣をどうするか考えたところ、唐辛子とトマトで迷ってトマトを植えることにした。なぜならインドカレーとパスタでよく使うから。実用重視である。
唐辛子も魅力的だったのだが、気になった品種がそれなりに辛いことがわかったのでやめた。
玉置さんが記事にしていてさすがである。
内藤唐辛子というやつも気になったが、今は種が手に入りにくいようだ。
種ショップで目についたのがジャンボピーマン デカチャンプという品種。
味も大きさもチャンピオン級
ピーマン好きにはたまらない食感!
ソフトボール大のビッグサイズのピーマン。苦みが少なく、肉厚で甘みたっぷり。サラダにもおすすめです。
とのこと。
レビューもおもしろくて
「ソフトボールくらいの大きさになる予定で頑張りたい」
と書かれていた。来年はこれにしよう。
3/25(月)
ストレスは考え方を変えると減らせる
ストレス管理がうまくできてないので鍼のせんせーに「ストレスってもしかして強敵なんですか?」と聞いてみた。
「ストレスはバランスが大事で、なさすぎるとモチベーションが消滅してやばいし、ありすぎるともちろんダメ。ストレスの原因はたいていなくならないから、考えかたを変えたりすることでストレスをストレスじゃなくし中庸にしていくのがよい」
と、いいことを言われた。
「五年前の悩み言えますか?」問題とも似ている。慣れと工夫でどうでもよくなることがある。
強すぎるストレスでないならば、うまくいなす方法を編み出していくのが良いのだろうな。
🀄️🀄️🀄️
利害があると仲良くなれない
「雑談は利害関係のない人がいちばん」という真理に気づく。
どんな人間も良いところと悪いところがあって、全部良い人は存在しない。良いところは遠くからでも見えやすいが、細かい欠点は近づかないと見えにくい。ふつう隠すから。隠されていても、仕事とか取引とかの真面目な関わりでは、しばしば相手の欠点が見えてくる。一度欠点に気づいてしまうと、その人とはあまり楽しく喋れなくなる。雑談をしてても「でもこの人の仕事ぶりはあれだよな」とよぎってしまう。
おもしろいのは、利害関係がなくなってある種疎遠になるとまた楽しく喋れるタイプの人もいること。「仕事で関わらなければいい人なんだけどねえ」みたいなやつ。
もしかすると「部室」概念とか飲み友達みたいなのも利害関係がない限りにおいて成立するのかもしれない。パートナー関係は利害と雑談の両面でうまくいくのが理想なので、親密な関係は難しいことがわかる。
3/26(火)
お仕事のトラブル収拾をやってたら12時間くらい労働していた。
🌶️🌶️🌶️
リリースしたサーバーの挙動がおかしくてデバッグで活躍する。チームは大混乱に陥ったが、一人だけ冷静で素早く原因を突きとめることができた。
「私って鉄火場に強いタイプだったんだなあ」と得意に思ったが*1、よく考えるとそもそもバグが出ないのが一番である。ノーイベントグッドライフがいい。
3/27(水)
朝に走ったら身体が軽いことを知る。だから朝のランナーが多かったのか。朝は体内の水とか食べものが少ないわりに体力が回復してるので楽なのかもしれない。
それがわかったところで、早寝ができないから朝に走るのは不可能なのだけども。
🐸🐸🐸
経験は貴重な資源である
何年かやってた仕事に区切りがついたので今後の身の振り方について考え始めた。
これまでは「ややこしい問題を解く仕事が好きなのだ」という看板を掲げて仕事をしてきたが最近はそうでもない。たしかに難しい問題を解決するのは得意なのだけども、好きかというとそうでもない。今は書きもののほうが楽しい。
もともと功名心は乏しいし、年々感情的な執着も薄くなってきている。別に私が難しい問題を解かなくても、同僚に任せちゃえばそれでいいのではないか。プログラマが苦手な書きもので同僚たちをサポートし、勝手にものができてお給料がもらえるならそれがいちばんではないか、という考えすら出てきた。
私は運が良いようで、入社して以降おもしろい仕事ばかり任せられてきた。他の人にとっては喉から手が出るほどやりたかった仕事だと思う。これを独り占めし続けるのも悪いし、私にだけ経験が集積するのはリスクがある。
つまり経験は希少な資源なのだ。独り占めするより分け与えたほうがいい。文章や動画で、経験のエッセンスを具体的なエピソードを添えて説明する。そういう経験知を結晶化させるのに趣味でやってきた読み書き言語化修行が役に立つ気がする。
3/28(木)
社内イベントでの発表も終わって怒濤の三月が終わりつつある。この二週間はやばかった。今週は入社して以来最高の忙しさだったような気がする。
しっかり休んでいきたい。無論、次の締切りがまた来るのだけども。
🎰🎰🎰
家庭料理の味は金を出しても買えない
『おいしいものでできている』を読んだ。
イナダの食のこだわりを語ったエッセイ集。「ミニマル麻婆豆腐」の節でいいことが書かれていた。
でも自分が積極的にそれを使うことはまずありません。その理由を一言で説明するなら、「クックドゥなんか使っちゃったらお店みたいな味になっちゃう!」というところでしょうか。せっかく家で作る料理なのにありふれたお店の味になってしまうのは、それがたとえ文句なくおいしかったとしても勿体ない!と思ってしまうのです。
p.178結論から言うと、僕はこの麻婆豆腐がとても気に入りました。「ミニマル麻婆豆腐」と勝手に名付け、今でもよく作って食べています。もちろん簡単ですぐにできる割においしいから、という理由もあります。でも単にそれだけのことではないのです。これはお店で食べる、あるいはクックドゥで作る確実においしい「四川麻婆豆腐」の代用ではありません。むしろそういう麻婆豆腐は日本中至るところでいつでも食べられます。でも「ミニマル麻婆豆腐」のシンプルな味わいというのは、実はお金を出しても買えないんです。作るしかない。今やこういうものこそが家庭料理ならではの価値のひとつなのかもしれませんね。
p.181
家庭料理の味は金を出しても買えないのである。何か工夫をしてそうなるというよりは、素朴に作ったらそうなるというだけなのだが。
他にもポテサラやコロッケの話で同じことが言われていた。「コロッケを自分で作ったら惣菜とまったく別のものができるでしょう?」と。
我が家は作ったことがある。それはおいしいものだった。かなり面倒なのだけど、たしかに自炊でしかできない味だった。そういう素朴な味の外食は駆逐されて、外の味は均一になっている。どうにかならんものだろうか。
3/29(金)
プランはお茶を飲む余裕から
今週はとみに疲れたのであえてゆっくり仕事をする。お茶を煎れて飲みながらぼーっとメモ帳を眺める。
だらだらしていると勝手に今後の仕事の計画が思い浮かぶ。どの仕事を優先したら最適になるか、あれは後回しでいいや、など。
これってPDCAのPなのだな。プラン、計画。しばしば現実の仕事ではPとCとAが抜け落ちるものだが、大事なのはPである。できない人がそれなりにいるし、できる人も忙しいと忘れてDDDDしてしまう。
Pをちゃんとやるのに必要なのは、お茶を飲む時間である。まったりお茶を飲んでリラックスしていると、自然にやりたいことが浮上してきてやる気も出るのである。余裕がなかったり、急かされるのがいちばんダメ。
🍵🍵🍵
説明せよ説明せよ納得させろ
妻氏の会社のとあるマネージャー配下の人が辞めまくっているらしい。今の人はどういうときに辞めるのか、どういう環境になら残るのか?を考えたところ「ちゃんと説明されることが大事」なのに気づいた。
私の世代も含め、納得できないことがあるとそれに耐えられず去ってしまう*2。説得されること、説明されることが大事な世の中になってきているのだ。やたらと言語化にまつわるビジネス書があるのもそれが背景。
やや問題に思うのが、説明する - 説明されるの関係に権力勾配があること。うまい説明をして納得させてくれる人は人気になり、権力を持つようになる。インターネットでもよく見られる構図ですね。
また、説明は論理的に正しくなくても良い、という性質がある。大事なのは聞き手の納得であり正しいことではない。もちろん聞き手にとっては正しいと思われるのだろうが、客観的にみるとおかしな説明で人が説得されちゃうことはよくある。
これらの観点を総合すると「リテラシーを身につけましょう」みたいなつまんない話になるのだが、騙されないためには実際に必要なのだからしょうがない。事実の認識と論理的正しさの検証はできたほうがよい。
私としては権力が欲しいわけではなくて*3、単に好奇心であらゆることを調べて理解するようにしている。結果として、よくわからん説明とか常識から自由でいられるのが便利だが、あくまで趣味として深い理解が得られるように本を読むのである。