しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

性差と身体

養老孟司は「言葉は脳をつなぐ」と言ったが*1、それは人間のコミュニケーション様式の半面でしかない。たしかに言語運用能力の高い人たちの脳は言葉でつながり、言葉で通じ合っているのだが、そうでない人も多い。

おばちゃんたちのかしましい雑談を観察すると、おばちゃんは言葉の内容ではなく、相手の身体的な反応をみて、身体に身体で反応していることがわかる。態度が大事であり、言葉の内容は本質ではない。女性の集まりは言葉(だけ)ではなく、身体でコミュニケーションをしている。

よく「男性は言語優位であり、女性は感覚優位である」と言われる。もちろん当てはまる例もあるし、例外もたくさんある。性差に関係なく、言語優位の人と身体優位の人がいる。

この構造を図にするとこうなる。

  • 横軸が性差および性的自認であり、縦軸が身体性である。身体性というのは、身体優位(感覚偏重)と言語優位の対立だと考えればよい。
  • 身体性は、身体が開かれている、閉じられている、という言葉でも語られる。身体を無視して頭だけで生きている人は、身体が閉じられていて、言葉だけで脳をつないでいる。
  • 縦軸と横軸が点線で描かれている。これは、軸が絶対的なものではなく、人間の認識によって変わりうることを示している。A, B, C, Dそれぞれの領域に軸足を置きつつ、たまに越境するのが人間である。全体が連続的であることに注意してほしい。
  • ここから具体例を出していく。ポリコレ棒でたこ殴りにされる内容になるだろう。しかし、私は、このカテゴリの人が必ずここにいると主張したいわけではない。自分がどこに属するかは自分で考えてほしい。

各領域の代表例

  • Aは女性的身体優位の人たち。ヘテロ女性、MtFの人たち。
  • Bは男性的身体優位の人たち。ゲイやFtMの人たち。
  • Cは男性的言語優位の人たち。ヘテロ男性、FtMの人たち。
  • Dは女性的言語優位の人たち。女性の自閉症MtFの人たち。

各領域について

  • AとBでは「共感」が大事にされ、CとDでは「理解」が大事にされる。身体性が違う、縦軸方向に差があるほど、コミュニケーションが難しくなる。
  • AとCは「ふつう」のカップルである。しかしAとCの間にはコミュニケーションプロトコルの相違がある。ちゃんと身体性の近いひとを伴侶にしているなら問題ないが、そうでないケースは多い。
  • MtFの領域移行はC→DとC→Aの2パターンに大別される*2*3FtMも同様に2パターンあるだろう。身体性と性自認の2変数でどのような越境をするかが決まってくる。
  • BとDの領域にいる人は少ない。AもしくはCからはみ出た者として、何かしら悩みを抱えている人が多いのではないか。身体性からすると明らかにBなのに、がんばってCのふりをする時期などがある*4*5
  • なぜ、CはA(もしくはB)を欲するのか。それはCの者が身体を無視しているからである。自分の身体がちゃんとあるのにそれを抑圧しているから、Aに求めるのである*6

創作と身体性

  • 言語優位で理屈っぽいキャラクターは物語を動かせない。CとDの領域。論理的に「正しい」ことをやっておもしろい物語になるのはSFやミステリーくらいのものである。
  • 文学は、身体優位な感覚を言葉で表現する芸術活動である。AとBの領域。論理的な「正しさ」は置いておいて、開かれた身体で動くキャラクターこそが物語を動かす。「正しさ」に依拠していたら悲劇の物語なんか出てこない。
  • BL二次創作は、原作に出てくるすべてのキャラクターをBの領域に持っていく操作をしている。言語優位でロジカルな男性キャラクターを、感覚優位なキャラクターに転倒させるのは、さぞかしおもしろいだろう。
  • とはいえ、もともと物語にはBもしくはAのキャラクターが多い。でなければ物語が進まないから。Bにいる、現実にいたらヘテロ的ではない男性キャラクターをBLにするのは自然な操作とも言える。
  • 動物は人間ほどの言語性を持っていないと思われる。つまりAとBの領域。

百合とホモソーシャル

  • 身体性が異なると言葉が通じにくくなる。AとCの組み合わせは原理的に困難を抱えている。であれば、AはAと、CはCとつるめばよいのだろうか。
  • AとAがつるむと百合(もしくは単なる親友)になる。そういう恋愛を現実で実践している人たちもいるだろう。また、このごろ物語の世界で流行っているのも事実である。
  • CとCがつるむとき、恋愛になるかというとそうではない。なぜかわからないが、恋愛には身体性がセットである。BとBではなく、CとCでつるむ集団、それはホモソーシャルである。マウントと言葉のロジックがコミュニケーションプロトコルになる。

性差より身体性が大事

  • ここまで書いてみて、私は性差より身体性に力点をおいていることがわかった。興味と言ってもいい。とはいえ、AとBそれぞれの身体性は同じではなく、Aにしかないもの、Bにしかないものはあると思う。
  • CとAに閉じこもる人たちからみると、BとDは存在しない。CおよびAの人たちには性差と身体性が混在した問題に見えるはずだ。

*1:養老孟司の人間科学講義』ほか多数の本で主張されている

*2:厳密には、元から性自認がAであることに気づく、という形なのだろうか

*3:ただし、CからAとDの境界に移動するパターンもあるだろう

*4:ちなみに私は中性的なCとBの間くらい、妻氏はDである

*5:他にも、AからDへ移行しようとする者(例: バリキャリ)など、いろいろパターンがありえる

*6:https://kangaeruhito.jp/interview/12967