しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/10/29 広告軍拡競争、牛乳卵補充お化け、「私の話を聞いてくれ」社会

10/21(土)コミティア準備、雑出汁、デジタルサイネージ

翌日のコミティア準備で忙しくしていた。

妻氏は原稿の仕上げ。今回はコピー本なので前日まで作業ができるのだ。間に合わなかったからコピー本になっている、ともいえる。数日前に「これ明らかに間に合わないよね」「はい」という儀式をしていた。はい。

前日までにペン入れを終わらせておいたので余裕はあった。朝イチにキンコーズで手書き原稿のスキャンをし、昼間はデジタル作業でトーン塗り、背景など。午後には終わっていて昼寝をしてから印刷しにいった。

こうして原稿が皆様のもとに届けられた。

moko-oxygen.booth.pm

🍥🍥🍥

私はごはん係をしつつ暇を見つけては週報の原稿を書いていた。イベントは日曜の朝からあるので前日に書かないと間に合わない。月曜日に延期してもいいのだけど、忙しくて休日にしか書けないし月曜休む予定もないので必然的に前倒しすることになった。たまに「なんでこんな活動をしてるのか?」と思わなくもないが、🐟が泳ぎ続けるようなものなのでなんとなく続けている。もうすぐ週報は二年である。だいぶ書けるようになった。

 

夜はうどんにした。我が家のうどんは出汁をとるのだが「ちゃんと」出汁を取ってるわけではない。

  1. 昆布を小さくちぎって沸騰するまで野菜と茹でる
  2. 鰹節を少量入れて火を止める
  3. 砂糖、塩、醤油で味を整える

という作り方をする。気分で味醂や酒も入れる。

出汁がらはそのまま食べている。少量だから気にせず食べられるのだ。もとより野菜や肉をごちゃごちゃ入れたうどんなので多少昆布が入っていたところで気にならない。その代わりにおいしい出汁になるのだから、家庭料理としては割に合っていると思う。鰹節は一掴みとか入れなくてもじゅうぶん香りと旨味が出る。日本人が大好きな味になるのでおすすめ。

🍥🍥🍥

明日のイベント用デジタルサイネージを整備した。

いろいろと用途があってモバイルディスプレイを買ったところ、イベントで使えるのに気づいたのだ。お品書きとかイラストを表示する。

Type-Cってすごい

めちゃくちゃな配線になったが一応動く。こんなややこしいことをしているのは、イベント会場では電源がモバイルバッテリーしかないから。低消費電力の構成を作ったらこうなった。

20100mAhあれば8時間絵を出し続けられるシステムができた。

10/22(日)関西コミティア、広告軍拡競争

ワーン

設営してみた。

本来はお品書きを吊るしているところにディスプレイを置いて絵を出すようにした。スライドショーになっていて、指定した秒数経過すると絵が変わる。初回はお品書きと鳩のイラストになった。鳩で向かいのサークルを威圧していく。

けっこう効果があるようで、通りがかった人がだいたいディスプレイを見てくれる。たまに立ち止まって本を買っていく人もいた。広告効果は上々である。

🛒🛒🛒

そう、広告なのだ。

同人誌即売会だけでなく、あらゆる展示会、フリーマーケット、デパートなど、どこであれものを売るにはアピールが必要になる。

(販売を伴う)個人制作には「自由に創作をして云々」というイメージが付きまとうが、実際にやっているのは競争である。似たようなことをする人がまわりにたくさんいると、自分がよいと思うものを作っていても埋もれてしまう。よさをアピールする前に目に止まらなくなるのだ。今や文学フリマコミティアもこの問題に悩まされている。「自由で開かれた市場」の行きつく先は広告による軍拡競争なのだ。

皆やっているのがポスター。A1とかB1の巨大なポスターを刷ってスタンドに吊るして見せびらかす。昔はこれでよかったのかもしれないが、今はどこも当たり前にやっていてそんなに差別化ができるとは思えない。

 

そういう紙ばかりの空間にディスプレイを持ちだしたので効果はあった。ディスプレイの絵は動くし、自ずから光っている。

軍拡競争なので他のサークルが真似したらまた埋もれるとは思う。そうなったらまた次の手を考えるだけだ。競争に終わりない。

それに、大事なのはアピールではなく中身のほうである。アピールは吟味してもらうためのとっかかりであって、本質は自分にとっておもしろいものを作ること。本質を疎かにして広告だけがんばっても売れるだろうけど、金を稼ぐだけなら賃労働のほうが効率がよいので、やろうとは思わない。

 

どこに行っても競争原理が現れてちょっと嫌になるが、競争というものは進化論レベルに根源的なこの世のルールである。競争が必要なことについては諦めて、いいものを作りアピールするだけである。それがいちばんファンのためになる。

10/23(月)ホット甘飲料、牛乳卵補充お化け

会社帰りにでっかいココア缶を買った。もうココアの季節である。
我が家では毎晩ホット甘飲料を淹れる。大事な儀式である。

夏はチャイ。お湯を沸かし紅茶葉を蒸らしたら牛乳とスパイス、砂糖をいれてよく混ぜる。これを濾して飲む。
冬はココア。少量のお湯でココアパウダーを練り、牛乳で伸ばして完成。

どちらも飲みすぎると太ることに注意だが、身体を温めて神経を休めるのに大事な飲み物である。

🥮🥮🥮

買い物のついでに牛乳、パスタ、チーズなどを補充しておいた。

夜に妻氏が気づき気味悪がられる。

妻氏はものの管理が苦手で使い切ってから「あっもうない」となることが多い。対して私はなんでもなくなる前に補充してしまう。それをこっそりやっているので、妻氏からするとお化けが牛乳を冷蔵庫にいれておいたかのように見えるのだ。

ほんとにお化けがやってるかもしれないのに。

ふわねこ家には巨大ピーマンしかない

10/24(火)捕縛され婚、ハルヒがわからない

妻氏と仲の良い同僚がこっそり結婚していたことを知り、びっくりした妻氏は会社でプリッツを一箱食べてしまったそうだ。夕食前なのに。

その同僚はかなり「閉じて」いる人で、いらんことを言わないタイプではある。だから報告してなかったのも不思議ではない。責める気にもならない。

でも、だからこそ不自然だったのだ。「閉じて」いて、押しが弱く、あまり意志を示すタイプではない。

 

「顔がいいから捕まって求婚されたのだろう」と思っていたら、後日その通りだったことが判明。謎が解けた。

🥎🥎🥎

なんとなく、ハルヒのおもしろさがわからなかったことを思い出した。流行っていた当時私は高校生で、ライトノベルを読んでいた。平積みされてたので何冊か買って読んでみたが、いまいち何がいいのかわからない。その後アニメ化されてキャラクターの良さは理解したものの、話の筋の魅力はついぞわからなかった。SFとしておもしろい云々という記事を読んだこともあるが、そんなにSFだったかしら。

10/25(水)『お言葉ですが』を読んだ、「私の話を聞いてくれ」社会

『お言葉ですが』を読み終わった。

高島先生の最初の文春連載原稿を本にしたものだ。当時は連載初心者だったそうだが、それでもじゅうぶんにおもしろく、切れ味もある。

「日本語に二人称はない」「元号漢籍ではなく日本の古典から引けばよろしい」「物分かりのよい年寄りに存在意義はない」「日本語は性別を明記せずとも成立することが多い。西欧語の影響を受けなくてよろしい」「満州は間違いで満洲が正しい。満州では意味をなさない」

などの文章が印象に残った。

🛷🛷🛷

「弱者ナントカ」の定義をめぐって争う増田記事を見かけるようになった。定義はどうでもいいが、彼らが「弱者ナントカ」であることを認めてもらいたがるのは興味深い。

「弱者ナントカ」である認定をいただくと何が嬉しいのか。インターネットで認めてもらえたところで金はもらえないし、現実が変わるわけでもない。もらえるのは「共感」だけで、これが目当てだろう。「共感」してもらう特権を欲しがっている。

 

なぜ特権になるのか。「弱者」というラベルは憐憫と共感のおひねりをいただける特別な立場だから。洋の東西を問わず昔からそういうものである。

本来、インターネットで共感をもらうのに肩書きはいらない。自分の悩みを素直に、かつ他人によく伝わるように書ければラベルに頼らなくても共感してもらえる。人の目に止まれば、だが。

でもその表現が難しいのだ。伝わる言語化ができる時点で、その悩みは半ば解決している。客観的に書けているということだから。

これが対面での愚痴や相談であれば伝わりやすくなる。聞き手が客観性の担い手であり、質問をして対話を重ねていけば悩みがそのうち伝わる。この技術に秀でているのが飲み屋の常連とか水商売の人たちであろう。

しかしふつうの人は話を聞くのが上手くない。相手の悩みの核がわかるまで辛抱強く対話し続けるのは大変だ。たいてい途中で飽きて違う話をし始めてしまう。

よく言われるのが「家族や恋人、友人に相談せよ」というアドバイスだが、現実的ではないと思う。コミュニケーション不足ですれ違う家族の愚痴をいくつも読んできた。家族であっても「話を聞くのは難しい」のは変わらない。

 

このように人の話を聞いてくれる人は少ないのが現実だ。「私の悩みを聞いてくれ」「私の話を聞いてくれ」という悲鳴がインターネットでこだまし、「話を聞いてもらえる特権」を求めて政治をしているのであろう。

10/26(木)胃腸冷え、日本語はむずい

今週は調子が悪いな〜と思いつつ鍼に行ったら「胃腸が冷えている」と言われた。やばいやつ。

なぜなら人間(生物)はごはんを食べて栄養を燃やすシステムだから。胃腸は栄養の取り込みを担うので、ここが冷える(活動低下する)とてきめんに体調が悪くなる。動物の本質は消化管という管である。

「何か心当たりはないか?」と聞かれて答えに窮したが、あとから考えたら副反応で倒れているし、イベントに行き休みなく働いている。なかなかハードである。

 

幸い鍼へのアクセスがあり救われた。翌日から食欲も回復し、睡眠もよくなった。そしてこの土日は久しぶりに予定がない。すばらしいことだ。やっと休める。

🚓🚓🚓

「眠いとドキュメントは書けないが、プログラミングはできる」ということに気づいた。
なぜそうなるのか。プログラミング言語人工言語で、自然言語(日本語など)よりはシンプルにできているからではないか。

また、プログラミングは「正しさのチェック」をコンパイラという機械がやってくれる。どの程度まで正しさをみるかは言語によるのだが、ものによっては相当細かくみてくれるのだ。

一方で日本語でも英語でも、文法の正しさ、論理の正しさは人間が自分でチェックしないといけない。レビューをしてもらうにせよ、他人の力を借りるのはある程度形になってからである。

もしかしたら対話的AIが文法のチェックはしてくれるかもしれないが、論理の正しさを任せられるほど賢くないのが現状だ。実際のところ、母語であれば文法は問題にならない。それよりも論理である。これが大変だから眠いときは文章が書けないのだな。

10/27(金)飲み会にはガスピタン

久しぶりに飲み会があった。

場がよかったので二次会に行こうかなとおも思ったのだが、どうもお腹が張っている。それに妻氏の様子が悪そう。固辞して帰ることにした。

 

いつも居酒屋、料理屋で酒を飲むとお腹がガスでぱつぱつになってしまう。脂っこいものとかお酒が悪さをするのだろうか。

変な感じはするが、ガスピタンを飲んでから酒の席に臨むといいのかもしれない。今度実験してみよう。

🥌🥌🥌

家に帰ったら妻氏がダメになってたのですぐにお灸をした。背中の筋肉がカチコチで疲れているのが察せられた。指圧とお灸でほぐし、すぐに風呂に入ってもらう。するとマシになったそうだ。

 

というお世話をしたり、モルモット掃除、日記などをこなしていたら2時近くになってしまった。人と喋るのは楽しいが、日課が後ろにズレてしまうのは考えものだ。仕事なんか放り出して午後すぐに酒を飲むのがいいと思う。

ピーマンに夢中