しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/02/06 コードレビューはコミットを新しい順に読むとわかりやすい説, アファンタジア被験者に応募した

近況

ワクチン接種3回目

近所の病院でモデルナが捨てるほど余っていると聞いたので打ちに行った。ワクチンを捨てるなんてとんでもないことだ。手元にはまだ接種券が来ていなかったが、2回目の接種証明書があれば打てるそうなので打つことにした。そういえば1回目と2回目もこうやって急に決まった気がする。

前回はファイザーだったのだが今回はモデルナになった。副反応がきついという噂は聞いていたのでしっかり準備をしたが、それでもつらい思いをした。一番つらかったのは悪寒で眠れなかったことだ。手足は冷え体は震えていたのに、頭は半分寝ているので対処ができない。そのまま数時間過ごしたのちに、なんとか起き上がってたくさん着込んだり薬を飲んだりしたら、やっと眠れた。

熱は最高で38.2度ぐらいまで上昇したが、熱が上がってからは割と楽だった。大事なのはしっかり食べてしっかり寝ることだと思う。我々の体は物理法則に従っており、熱を出したり免疫システムを動かすにはエネルギーがいる。なのでワクチンを接種したら多めに食べておくのがよい。発熱して以降も熱が続く限りたくさん食べる。レトルトカレーとご飯が手軽でよかった。

木曜日の夕方に接種して、金曜日の夜には熱が引いていたのだが、体のだるさや頭痛は土曜日まで続いていた。日曜日も急に冷え込んだことで、落ち込んでいた体調が大打撃を受けた。私はファイザー2回目でも大して発熱をしなくて甘く見ていたのだが、モデルナの3回目はきつかった。

労働

ワクチン接種で倒れることが分かっていたので、稼働日3日で進捗を出せるように奮闘した。設計上の難問があり、私の頭も混乱していたのだがシーケンス図を作って整理したら何とかなった。PlantUMLはえらい。

読書

読んだ

アファンタジア: アファンタジアユーザーコミュニティでインタビューをしまくった本。英語版を読んでいたのであまり新鮮さはなかった。アファンタジアがどういう人たちかを知るには良い本だと思う。

僕はなぜ小屋で暮らすようになったか: 雑木林に土地を買って小屋を建てて暮らしている人が、なぜそうなったのかを語った本。読みやすくて面白かった。とにかく人生が辛そうである。

読んでる

日本語とはどういう言語か

認知心理学放送大学の教科書)

うつ病九段

論理哲学論考

雑記

コードレビューはコミットを新しい順に読むとわかりやすい説

私の仕事の半分くらいはコードレビューなのだが、いつもそれなりに苦労して読み、わからんけどこうじゃないですかみたいなコメントをしている。どうしてもコードを書いた人が一番理解していて、レビュワーが短時間で同じレベルの理解に至るのは難しい。とはいえ変なコードやバグが素通りしてしまうとまずいので、それなりの真剣さでコードレビューをする。

一般にコードを読むときに大事なのは、全体構造を把握することである。ソースコードというものは依存関係が張り巡らされていて、エントリーポイントを根とする木構造ができている。自分でコードを書くときは、この木構造を把握してコードを挿入したり消したりする。だがレビュワー視点で、差分としてコードを読むと、その差分が全体の木構造のどこに位置するものなのか分かりにくいことがある。コードレビューをする時に差分だけでなくソースコード全体を見るようにしたら良いのはそうなのだが、すでに業務の半分くらいをコードレビューに費やしているので、楽にレビューができるのならそれに越したことはない。

差分の情報だけで全体像を把握するにはどうしたらよいだろうか。これはコーディングのスタイルにもよるので一般的に使えるわけではないのだが、コミットを新しい順に読んでいくと全体像が掴みやすいと思う。というのも素朴にやると、まず最初に部品を作り、いくつか部品を組み合わせて最終的な機能を実装するという流れになりがちだからだ。つまり、もっとも抽象度の高いコードは最後の方のコミットに集まっているはず、という仮説を考えている。

もちろん人によっては最初に抽象度の高いコードをコミットするかもしれない。しかし、この組み方をすると実装中にビルドが通らなくなるはずだ。コミット単位でビルドが通るように実装すると、小さい機能のコミットが並んで最後に機能を呼び出すコミットができる。もちろんプルリクエスト単位でビルドが通ればよくて途中のコミットでビルドが通らなくてもよい、という考え方はあるし、実際に私もそうする事はある。

いずれにせよ、全体像を把握するための抽象度の高いコミットは先頭か末尾のどちらかにはあるだろう、ということは主張できる。ある程度熟練したソフトウェアエンジニアならば大抵成り立つ話だと思う。

アファンタジア被験者に応募した

アファンタジアはつい最近発見された認知特性なのであまり研究が進んでいない。日本のアファンタジア研究者である、福島大学の髙橋先生が被験者を募集していたので、応募してみることにした。メールのやり取りののち、心理学っぽい調査票に回答することになった。調査票は選択式のイメージの鮮明さを尋ねる質問と、自由記述のエピソードを書く欄があった。イメージの鮮明さは視覚だけでなく五感と体性感覚(運動しているときの身体の感覚のことです。詳しくは調べてください)も対象らしい。そうなのだ、アファンタジアは視覚以外の感覚も脳内再生ができないことがある。私には分からないのだが、普通の人は、階段を駆け上がる感じも脳内再生できるらしい。質問に答えていくうちに、私はほとんどの感覚で脳内再生ができないことがわかった。

唯一、微かにあるのが聴覚だ。ピアノをやっていたからなのか、何度も聞いている曲のフレーズは脳内で再生ができる。しかし他人がしゃべった声と内容を覚えておいて再生することはできない。

普通の人は他人の声を脳内再生できると聞いてから、普通の認知は幻聴と地続きなところにあるのだ、と思っている。人によっては他人の声を沢山覚えることができるため、幻聴がたくさん聞こえて辛かろうなと思った。アファンタジアの研究が進むことで有害な脳内再生を抑制する方法が見つかるとよいと思う。

調査票に答えたら先生からフィードバックを頂いて一旦やり取りは終わった。今後用事があったら被験者として用いてもらう予定である。心理学や認知科学に関わる研究ではfMRIを使うことがある。ものすごい威力の磁場を使い頭の血流を計測するのだ。脳のどこに血が集まっているのかを高精度に測定できる。面白そうなので、そのうちfMRIで計測されながら実験をされたいなと思っている。実現するかどうかは知らない。

週報 2022/01/30 社交ダンス, 耳式体温計, 音声入力

近況

労働

今週の出力は微妙でほとんどレビューをしていただけだと思う。
メインお仕事でgenericsが使えるコードがあるので、go 1.18のリリースを心待ちにしている。

体調

何も考えずに毛布を増やしたら暑くて睡眠が悪化してしまった。体温調節は難しい。

読書

『「欲望」と資本主義』を読んだ。

ウィトゲンシュタインの思い出本を読んだ。弟子たちがウィトゲンシュタインのエピソードを書いた本。ウィトゲンシュタインはすごく繊細だが、誠実な人間だった。

石川九揚の「日本語とはどういう言語か」を読んでいる。面白い題材ではあるけどサービスが悪くて読むのがたいへん。

余暇

ブルアカの1周年記念イベントが発生し星3排出率が倍の5%になってしまった。
それなりに課金をしてしまう。
育てるリソースはない。

雑記

社交ダンス

月に1回の社交ダンス指導を受けた。

なんで社交ダンスなんかをやっているかというと、ジムのパーソナルトレーニングがネタ切れになったからだ。社会人2年目くらいにジムを契約し、運動のついでに猫背を治すためのパーソナルトレーニングを受けていた。ところが数年間指導を受けて姿勢を改善していくと、ついに教えてもらう事がなくなってしまった。この姿勢指導の先生は本業が社交ダンスなので、興味全部で社交ダンスを教えてもらうことにした。社交ダンスは男女ペアでやるものなので、同じくネタ切れになっていた妻氏にペアになってもらうことにした。

それから数年間、月に1回社交ダンスをしている。最初はジルバとタンゴを教えてもらってある程度できるようになったら、ワルツをやるようになった。今はずっとワルツの練習をしている。1年くらいかけて初心者用のステップを覚え、今はステップをばらして自分で考えて踊る練習をしている。

社交ダンスは派手な動きが少ない地味なスポーツではあるのだが、やってみると底知れぬ奥深さがあって面白い。上手く踊れると足が4本になったかのような感覚が得られるそうだ。そのためには二人とも良い姿勢をキープしなければならない。我々はホールドがまだまだ未熟なので4本足の生物になるには課題が多そうである。

『「欲望」と資本主義』の感想

資本主義が発達してきた歴史を紐解きつつ、資本主義を駆動しているのが欲望であることを論じた本だった。欲望とは生活にとって必須ではないことを含意している。この本は90年代初頭に書かれているので、著者はバブル崩壊を振り返りながら、そろそろ欲望の拡大も限界ではないかと書いて本を締めくくっている。しかし実際に2020年代になってみると、人々の欲望が健在であることに気づかされる。コロナ禍において人々が外食を控えただけで、牛乳や魚や肉が余ってしまう。我々は食っていくぶんには十分すぎるほど豊かな基盤の上で生きている。

おそらくインターネット上のコミュニティも欲望の横溢を助けている。コミュニティの中では自慢と共感が通貨になっている。中世に貴族が珍しいものを求めたのと同じように、顕示的消費は未だに行われている。もちろん顕示性と有用性がない交ぜになった商品も多いが、コミュニティの一員であることの証として、コミュニティの中での序列を示すために、消費は便利なのだ。

確かに90年代初頭の物理的なコミュニティしかない時代であれば、欲望の拡大には限界があったのだろうけど、今やインターネットによって複数のコミュニティに所属できる。それぞれのコミュニティにおいて認められるステータスの証は変わるため、資金の許す限り他者欲求の代替としての消費ができるだろう。というわけで、著者の意図には反して、資本主義は今後も割と安泰なのではないかと思った。

耳式体温計

耳で測る体温計を買ってみた。このタイプの体温計は赤外線センサーを備えており、1秒かからずに体温を測定できる。実際に使ってみると、出てくる値が1日を通して安定していることに気づいた。私の場合は、たいてい36.8度から37.0度の間になっている。なぜ安定した温度が出てくるのかというと、鼓膜が体の深いところにあって深部体温を反映していること、鼓膜が汗や外気の影響を受けにくいことが挙げられるだろう。

鼓膜の温度、深部体温を意識しながら生活することで、頭の晴れ具合や睡眠を上手くコントロールできるようになった。この一週間の観察をふりかえると、体のだるさや覚醒レベルは深部体温ときれいに相関している。朝はだいたい36.6度ぐらいで、これが37度付近にならないと食欲も出てこないし頭も回らない。起きた時に測ってお湯を飲んだり着込んだりしたらよい。逆に寝る前には体温を下げる必要がある。寝る前の体温が高ければ水を飲んだり手足を布団から出して積極的に体温を下げればよい。睡眠は最初の2時間が大事なので、ここで体温を下げられるかが翌日の体調に影響してくる。

テキストを音声で入力する

アファンタジアとは頭の中にイメージが無いタイプの人のことである。さらにイメージがないだけでなく、頭の中で他人の声を再生することができないこともある。同様に匂いや味や皮膚の感覚を思い返すこともできない場合もある。私もこれら全部ができなくて、ふだん頭の中に何が浮かんでいるのか自分でもよく分かっていない。

こういう認知特性を持っているので、言葉の扱いも少し特殊である。普通の人は喋るように文章を書いているようなのだが、私は頭の中で喋ることができないので思いつくまま直接文章を入力している。なので、おそらく私の書く文章は普通の人と作り方が違っている。よく妻氏には、目が滑ると言われていた。このような問題意識はずっとあったのだが、認知特性は変えられないのでどうしようもないものだと考えていた。

だが仕事で同僚と議論をしたり説明をするのは困っていない。それでも普通の思考様式と違ってるところがあるのか、説明が伝わりにくいことはあるが、抽象度の低い議題であれば問題なくコミュニケーションができている。なので、喋る時はそれなりに普通に喋っているのだと思う。

解決策: 音声入力

喋りながら文章を書けば普通の人がやるような文章の書き方になるかもしれない。これを実現するのが音声入力ツールである。最近の音声入力ツールは精度が高くて、Apple 標準の音声入力はそれなりに使えるものである。私が一番気に入っているのは勝間和代が紹介していたVoiceInというChrome拡張と、これの開発元が運営するメモ帳サービスのdictanoteである。dictanoteはAppleよりも精度がよく、ほとんど修正をすることなく文章を喋ることができる。

音声入力を使えば良いことに気付いたのは先週の月曜日だった。それからずっと日記やTwitterのテキストを音声で入力している。このブログ記事もdictanoteを使って書いている。音声入力ツールの良さは量を書いても時間がかからないところにある。手で打つとどうしても二倍くらいの時間がかかってしまう。また漢字の変換などの煩雑なことを考えなくて済むので、思考に集中してただ喋れば良いという特徴もある。対話でもないので言葉に詰まっても問題はない。そういえば、昔の哲学者はしばしば人に口述筆記やタイプ起こしをさせていた。当時はお金を出して人にやらせていたことが今や無料で自動化されている。素晴らしい時代だと思う。

週報2022/01/23 キャラクタービジネス, 理不尽に耐えられない社会

近況

誕生日が過ぎてました。特に欲しいものもないので何も貰いません。

労働

重めのデバッグ業が発生しました。2営業日くらいかけて原因を特定しました。訳のわからないバグを突き止めるのはたのしいですね。

私は労働のモチベーションが暇つぶしなので、変なバグが出ると喜んで解決しにゆきます。

体調

雪の降った日に体調が崩壊しました。原因はいつもどおり、冷えです。行きつけの鍼灸院では脈をとって五臓(心・肝・腎・脾・肺)の元気さを測定するのですが、五臓全部がダウンしていました。大寒のこの時期は寒さが厳しいので、油断をすると冷えが身体に入ってきて体調が終わるのですね。対策は着込むことしかありません。あと運動。運動不足は在宅勤務の弊害ですね。

体調が終わると体温が下がり頭がまったく動かなくなります。トムラウシ遭難事故レポートによると、低体温症によって脳に低温血液が入ると思考がダメになるそうです。今回の不調はこれと似た体験をしたのだと思われます。察するに、死ぬときはだんだん体温が下がって思考が鈍っていくのでしょう。死そのものは苦痛というより意識が鈍って消えていく感じなのだろうなと思いました。

余暇

言語の本質を探るべく論理哲学論考を読んでいました。二周目です。一周目とは違って読書ノートをつけながらゆっくり進んでいます。いま3.xを読んでいます。

金曜日にはブルアカの一周年記念生放送を見ていました。1時間くらいで終わるかなと思って観ていたら3時間あって生活がめちゃくちゃになりました。Yostarのシナリオ・コンテンツディレクターの加藤くんが誠実でよかったですね。

料理

いつもどおりの一汁一菜です。この週末も忙しくて製麺は無理そうです。

今週の考えごと

キャラクタービジネス

漫画ではキャラクターが大事だと言われています。ジャンプ編集部が開いた漫画講座では、第一回でキャラクターの重要性が説かれています。

jump-manga-school.hatenablog.com

キャラクターを磨く仕事をしているのは漫画家だけではありません。(スマホ向け)ゲーム業界では、キャラクターを量産できる企業が珍しくありません。短い期間でキャラクターを設計し声とエピソードをつけてガチャに投入してゆきます。キャラクターに魅力がないと売り上げがあがらずゲームが死ぬので、必死にキャラクターを作っていることでしょう。おそらく今の娯楽業界でもっともキャラクター作りに長けているのは(スマホ向け)ゲーム企業です。

よいキャラクターの条件は二次創作がしやすいことです。二次創作が盛んであることは、誰でもそのキャラクターを動かせることを意味しています。「このキャラクターはこの状況でこう言うに違いない」という想像、ごっこ遊びが誰でもできるのです。キャラクターの性格に客観性(再現性)がある、ファンに対して開かれている、とも言えるでしょう。誰でも動かせるキャラクターは、ファンの脳内に棲みつくことだってできます。

ですが、キャラクターは何でもよいわけではありません。必ず作品世界のなかにいて、何らかの役割を持って存在しています。作品世界なりの社会があり、そこで何らかの役割を持って物語を動かすからキャラクターが活きてくるのです。キャラクター単体でいるよりもキャラクター同士の会話があったほうが存在感が出てきます。二次創作ではR-18コンテンツも多いものですが、エロ表現はキャラクターの日常的な側面があってこそ魅力的になります。なので、キャラクターはどこかの作品世界のなかで、役割をもって活躍してなければなりません。

役割としてのキャラクターは作品世界の基底になっています。役割は被ってはいけません。異なる役割を持ったキャラクターが協調して動くことで物語が進んでいくのです。キャラクターの魅力は物語が進むことでも高まります。キャラクターと物語は両輪となってコンテンツ全体を魅力的にしてゆくのでしょう。

理不尽に耐えられない社会

先日論じたように、偶然性・理不尽は耐えがたいものです。強靭な理性を持っていない限り、偶然的な出来事を事実として受け容れることはできません。偶然性に耐えられないと、出来事に対して、これは超越的な誰かが意図したものだという説明を導入することになります。これが信仰です。ですが、科学技術の恩恵が生活に浸透することで信仰は廃れました。現代では科学への「信仰」が活発ですが、科学は科学の知らないことを説明してくれません。なので、科学に説明できない領域は空白地帯になっています。

宗教への信仰が廃れても理不尽が起きない限り問題は表面化しないものですが、地震感染症という理不尽が起きて、「科学信仰」が盤石でないことが明らかになりました。震災以降、SNSが変わったとよく言われます。理不尽としては、東北の震災はまだわかりやすいものでした。地震という災害は誰の目にも明らかな物理的破壊です。これを誰かの責任に帰せるのは難しいものです。人は傷つくと説明を求めます。なぜこんな理不尽が起きたのか、どうして私がこんな目に遭わねばならないのか、と説明を求め、誰かのせいにしたがります。ですが、相手が完全な自然現象である限りどうすることもできません。誰の責任でもない事態には耐えるほかありません。

一方で感染症は目に見えない理不尽です。感染と闘病が当事者にしか見えないだけでなく、感染者の死も社会から見えない点が重要です。これは近代批判としてよく言われることですが、人が病院で生まれて病院で死ぬようになってから、生老病死は社会から切り離されています。こうして理不尽としての感染症も社会の表舞台からは見えにくくなっています。目に見えず伝聞でしか存在が確かめられないのに、人の動きが変わり生活は否応なく変化させられます。実感から遠いために感染症の理不尽には陰謀論が入りやすいのです。

宗教が衰退した社会は厳しいものです。傷ついたとき、理不尽に見舞われたとき、合理化をする原理がどこにもないのです。今後も理不尽な出来事に対して無力な社会は続くでしょう。傷ついた人間に必要なのはカウンセリングのような対話です。語ることによって偶然性を受けいれるか、宗教や陰謀論によって超越的説明を求めるかしか選択肢がありません。どちらがよい選択なのかはわかりませんが、全体として厳しい時代であることは間違いないでしょう。

週報2022/01/16 プログラミングと人文学の共通点

近況

労働

体調が最高なのでよい出力が出せています。アイデアがすぐに出てくるし、アイデアの実装もすぐに終わる状況です。集中力が高めで維持されているようですね。

体調

脚を暖めたらすべての問題が解決されました!

しかも体重が減ってきました。実際に贅肉もなくなっています。脇腹を触ったらびっくりしました。

 

冷えていると血流が悪くなり、なんでか知りませんがそこに贅肉がつくのでしょう。輸送網の効率が悪いからそこかしこにバッファーを積んでおくみたいな?

また、肩甲骨のあたりが寒くなることが増えました。これは良い兆候というか痩せたメカニズムを説明できる現象です。

というのも、背中の上半分には褐色脂肪細胞があるのですね。この細胞は脂肪をエネルギーに変換する役目を持っています。血流が良くなったことで贅肉から燃料を集めて背中で燃やしているのでしょう。

余暇

「露出せよ、と現代文明は言う」を読み終えました。数週間前の週報で書いた「内面が直接接続され身体性(無意識)が希薄になっている」ことが精神分析の文脈で分析されていました。現代社会の人々の問題、ネガティブケイパビリティのなさはいろいろな角度で論じうる問題ではありますが、精神分析の視点も新鮮でおもしろかったです。

 

「「論理哲学論考」を読む」という本を再読しています。さいきん「プログラミングと人文学(自然言語)の共通点」について考え続けていたところ、ウィトゲンシュタインがポイントなのがわかってきたので、「論考」を読みなおしている次第です。

 

ブルアカに時間を割いていた週でもありました。ガチャに課金してムツキ(正月)を天井交換したり、最新シナリオを読んで感涙したり。

ブルアカのテキストの密度が高くて高品質なのは事実ですが、私は「エデン条約編のテーマが他者問題だった」ことに注目しています。他者問題を考えたがるのはまず哲学をやる人だと思います。ブルアカ全編を通した敵(名前忘れた)が衒学的な哲学っぽい言葉を垂れ流すあたりも、ライターの哲学素養を感じるところです。

料理

いつもの一汁一菜+魚でした。土曜日にカレーを作りました。

土日に製麺をしたかったのですが、読書と書き物に押されて時間がとれそうにありません。無念。

 

今週の考えごと

プログラミングと人文学の共通点

プログラミングを用いた問題解決の極意は「データ構造の設計」にほぼ全てがあるのですが、これがまた深くておもしろい問題なのです。具体的にはstructの中身をどうやって決めるか、いかにしてstructを作っていくか、という問題意識になります。データ構造の設計がうまくいけば、めんどくさいアルゴリズムなんていらないのです。これは冗談ではなくて、同じことをgolangの作者であるRob Pikeも言っています。

structを作るべくメンバ変数をいじる操作は、人文学的な思考における言葉を選ぶ操作に似ています。哲学や社会学で思索を練るときも言葉の選び方が大事になってきます。また、インターネットで賞賛される「言語化」にも似たものがあります。新しく概念を知ることで、問題を語るのが簡単になることはよくあります。「心理的安全性」なんかが代表例でしょう。

このような概念の導入は、よいデータ構造を導入してコードをシンプルにするのと同じことをやっています。

 

なぜ遠く離れた分野に似たようなコツがあるのでしょうか?「人間が考える」ときにデータ構造=語を使うからでしょう。

「人間が考える」とは何か?を突きつめると、答えとして「集合と論理」が出てきます。一般に、集合と推論規則を使って考えるのが人間知性だとしてよいと思います。データ構造も語も何らかの集合です。データ構造や数学の集合は、要素が何かきちんと定義されているものですが、自然言語における語は要素が不明という違いはあります。人間の脳が勝手に理解し構成しているのが語なので、要素が何であるかは語れません。また、人によって語の要素は微妙に違うでしょう。

プログラミングではstructを型として抽象的に定義し、コンストラクトしたオブジェクトで具体的な処理をします。似た構造が語にもあります。言葉を辞書で引いてみると抽象的な意味の範囲が示されていますが、実際に話される言葉は文脈に埋め込まれていて、具体的な意味を示しています。型=辞書的な意味の定義域、オブジェクト=文脈に埋め込まれた言葉という対応関係です。

 

ここまでは考えたのですが、行き詰まりました。私の問いは「データ構造をいじるとき我々は何をしているのか?」です。

よいデータ構造(概念)を定義すると問題が一気に解けることがあります。この体験はプログラミングでも言語化でも同じです。おそらく、アイデアとはよいデータ構造を定義することなのだと思います。

「よい問いを立てると問題が解決される」ということもよく言われます。データ構造と問いはどんな関係にあるのでしょうか?データ構造は目的によって要素が変わります。ならば、問いが先でデータ構造があとなのでしょうか。なんとなく、私の体験としては問いとデータ構造が同時に確定するように、アイデアが出てきているような気はします……。なんもわからない。

 

というわけで「データ構造をいじるとき我々は何をしているのか?」を明らかにしたくて、論理哲学論考を読みなおしています。ウィトゲンシュタインは言語におけるデータ構造の解明をしているように見えます。ですが、私の問いと似た方向ではなかったようにも見えます。この問いは私のこだわりなので、これから数年かけて考えるものと思われます。

週報2022/01/09 生の理不尽さ, 勉強のしかた, 漫画のプラットフォーム

近況

労働

連休の最終日には働きたくないな〜と思っていたのですが、いざ労働してみるとふつうにこなせるのでした。しかし全力で仕事をする気はないので今年もゆるゆるやっていきます。50%出力くらいの気持ち。

体調

ユニクロで買った部屋着ズボンが暖かくて冷えがよくなっていました。鍼での脈診でも肺が良くなっている。このまま油断をしなければ大丈夫でしょう。

ですが、今度は脚の問題が見つかりました。スニーカーを4年くらい履きつぶしていたせいで、靴底が無になっていたのですね。壊れた靴で歩いても脚にダメージが入るだけです。実際に足首が痛み始めていました。左右の筋肉の付き方も変わっています。このままだとやばいので、すぐに靴を買いました。私は特殊な足の形をしているので、アシックスウォーキングへ行って選んでもらいました。

余暇

「露出せよ、と現代文明は言う」という本を読んでいます。久しぶりの大当たりっぽい本です。現代社会では内面が直接接続されている問題が精神分析と哲学の文脈で論じられています。

料理

ずっと朝食の主食に悩んでいたのですが、結局白米を食べると具合がよいことに気づきました。

このままでは週に3回くらい炊飯が必要なのですが、しばらくは気合いで回していきます。炊飯土鍋が壊れたら大型のステンレス羽釜を買おうと思っています。

今週の考えごと

生の理不尽さ

先週は「理不尽な地震やコロナ禍に意味や説明を求めてしまう人間の弱さ」について考えました。週報を書いたあとさらに考えると、「人生の意味はなにか?」という問いも同じものだと気づきました。生まれてきて生き続けている事態も偶然に発生し、偶然に影響され続けるものです。親は意図して子を産んだかもしれませんが、配偶子の結合は偶然的ですし、生まれた子がどんな成長をするかは意図によって制御しきれないものです。人間社会においても生は自然現象の側面があり、誰かが完全にコントロールすることはできません。無意識という身体性もあるので自分自身による制御も効きません。というわけで、どれだけ近代的自我が発達していても、生は近代的な合理性で説明し尽くせる現象ではありません。

なので「人生の意味はなにか?」という問いには出口がありません。生は偶然的・理不尽なものなのです。「この私はなぜこの私なのか?」を一生かけて考えている哲学者もいますが、この問いは偶然性に意味を求めているように見えます。また、似たような問いとして「幸福な人生とはなにか?」がありますが、これもあまり意味のない問いです。死ぬ瞬間まで人生を概観することはできません。どの時点においても過去は確かにありますが、端的に存在するのは現在だけです。いま幸福であることは大事でしょう。ですので「幸福な生活とは何か?」と問う価値はあると思います。一般的なかたちで「幸福とは何か?」を問うのは微妙ですが、各自が引き受けて考える問題としては意味があるでしょう。

勉強のしかた

ここ数年興味の赴くままに読書をしてきて、勉強は「〜とは何か?」「〜はどうなっているんだろう?」という好奇心で進むものだとわかってきました。ですが、これまで受けてきた公教育や大学の講義、教科書を振り返ってみると、「〜とは何か?」に応える形式になっていませんでした。たいていの授業や教科書は知識を木構造に体系化したものになっています。知識を表現するデータ構造としては正しいのですが、学習に向いた構造ではありません。なぜなら初学者にとって細部なんかどうでもいいからです。

理想的な学習は家庭教師がいちばんです。大雑把に全体の見通しを示し、生徒が興味を示したら深く掘ってゆけばよい。興味がなければ放っておく。ですが、全生徒が家庭教師を雇うのは不可能ですし、公教育の思想に反するものです*1。「国民はこれこれの学を修めるべし」という思想においては生徒を教室に集め、権威的な教科書と教師でもって勉強をさせるシステムになります。

教師の力量によっては教室でも家庭教師のようなことができるかもしれません。全体像を示すのは家庭教師でなくても必要でしょう。ふつうの生徒は体系化された教科書を読んでも全体構造を把握できません。強制されて一周したらわかるかもしれませんが、主体性のない学習ほど無駄で苦しいものはありません。なので、授業の合間合間でこの知識が体系全体のどこに位置づけられて、何のためにあるのか、どんな理由で発見されたのかを示せる人がよい教師なのでしょう。

non117.hatenablog.com

私がよい本の条件で挙げた「サービス」にもこの資質が必要なのかもしれません。

漫画のプラットフォーム

商売は新規顧客と固定客がバランスよくいることで成り立ちます。この原則は飲食店だろうが漫画家だろうが変わりません。漫画家にとっての固定客とは、漫画家についたファンのことです。

連載漫画家の獲得できるファン人数は雑誌の読者数=発行部数で決まります。雑誌の枠を超えたファンを得る方法がアニメ化などのメディアミックスです。もちろん口コミでファンが広がり、単行本だけ買ってくれる人がつくこともありますが、単行本が有意に売れる時点でメディアミックスは約束されています。口コミで増えるのはジャンルのファン集団の範囲が限界でしょう。

一方で同人活動やインターネット上での創作はSNSユーザー数が潜在的なファンの数になります。雑誌に比べて潜在ファンの母集団が圧倒的に大きいのです。また、これらの創作活動は商業連載に比べて自由で利益率が高い特徴があります。締切や内容は自分で決められますし、編集の給与を稼がなくていいので商業連載よりも少ないファン数で食っていけます。

問題はどうやってファンを増やすか、です。商業でも同人でも課題になります。漫画雑誌の場合は読者に偏りがあるので、読者層に受ける題材を描く必要があります。一方で同人活動の場合は何も制約はありませんが、情報で溢れたインターネットで人目をひくのは難しいという問題があります。

 

この課題を抽象的に考えると、ファンの獲得は「漫画家と読者をマッチングさせる問題」になります。雑誌の場合は、読者が雑誌を買っている時点でマッチングが成立しています。マッチングをしてみたうえで読者がファンになったりならなかったりしているので、この情報をもとに編集は打ち切りか投資を決めるのです。

インターネットでマッチングといえばプラットフォームです。pixivはイラストレーターとファンをマッチングするシステムですし、Amazon楽天は商店と消費者です。Netflixは動画制作者と視聴者、Spotifyはアーティストと音楽ファンです。検索エンジンSNSもマッチングをするシステムになっています。

プラットフォームは効率的なシステムです。特にインターネット上のシステムとして実装されるとき、威力はとてつもないものになります。経済学における市場の仕組みを素朴に実装したものがプラットフォームなのだから当然です。

 

雑誌はプラットフォームでしょうか?マッチングはさせていますが、プラットフォームではありません。プラットフォームは市場そのものなので、自由に売り手と買い手が参加することが求められます。雑誌は出版社によって連載が規制された市場です。これはプラットフォームになりえません。

では、インターネット上に漫画のプラットフォームはあるのでしょうか?LINE漫画とニコニコ静画はプラットフォームの要件を満たしていました。ですが、どちらのサービスも既存雑誌の転載が主であり、プラットフォームになりうることを認識していないように見えます。プラットフォームになることに対して自覚的なのはマンガノでした。集英社は漫画のプラットフォームを狙っているのかもしれません。

漫画のプラットフォームができたらどうなるのでしょうか?漫画家の利益率は高くなるでしょう。同人誌と同じくらいの収益構造になるはずです。印刷費とかBoothの利用料と同じだけプラットフォーマーが取っていきます。この利益率は印税より高いので既存出版社は困ったことになります。このとき、漫画家にとって出版社を通す価値はあるのでしょうか?庶務をしてくれてアイデアやフィードバックをくれる優秀な編集がついているならばよいでしょう。ですが、優秀な編集がいるならば出版社から獲得する必然性はありません。となると、編集と漫画家のマッチングシステムができる可能性もあるでしょう。

 

十年後に漫画業界はどうなっているのでしょうか。上記の想像どおりになるとは限りません。プラットフォームを軌道に乗せるのはたいへんだからです。いくつもの企業が挑戦して失敗してきました。ですが、今やあらゆるメディアがプラットフォーム化されているので、漫画もそうならないとは言えないのです。

*1:ノイマンはこんな教育を受けていました。欧米の貴族階級は今もやっているかもしれません。

週報2022/01/02 悪意の出てこない物語

正月は実家に帰らず家の整理整頓に明け暮れています。工夫で家が広くなると嬉しいし実利もあります。リファクタリングです。

近況

労働

27日と28日に労働をして仕事が収まりました。

Rubyの型をつける方法を調べていて、公式のやり方がよいことがわかりました。Sorbetは微妙そうです。メンテナの態度に不穏なものを感じるし、型解釈くんがC++実装だとコミュニティがメンテナンスできない。

体調

睡眠位相が後ろにずれていて2時から10時まで寝てしまう。しんどいですね。0時までに寝て8時に起きるのがいちばんです。

愚かにも厚手のズボンを履くと足の冷えがましになることに気づきました。部屋着は柔らかいものを好むのですが、夏に買ったテロテロズボンは少し薄すぎたようです。ユニクロか何かで厚手の柔らかい布を探します。

余暇

包丁を研いだり押し入れをひっくり返したり。たくさんいらないものが出てきました。捨てます。ガラクタの整理は簡単なのですが、妻氏の排出した紙類、ネームとか落書き、原稿の整理はたいへんでした。紙の整理に8時間くらい費やした気がします。

2021年ふりかえりを書いていました。といってもかけたのは二日くらい。2018年は相当苦労をして書いていたので、だいぶ作文に慣れてきたようです。

料理

今年は片づけに夢中で料理はてきとうです。気まぐれにパスタを作ったり袋麺で済ませたり。袋麺はたいへん便利で我が家では多用されます。キャベツや白菜と鶏肉を茹でて取り出したあとに袋麺を調理すると完全栄養食になります。

今週の考えごと: 悪意の出てこない物語

アンディ・ウィアーの「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読み終わりました。アンディ・ウィアーとは「火星の人」を書いた人です。現代時間軸と現代科学を用いておおよそ現実的なSFを書く人です。デビュー作の「火星の人」はおもしろくて数年前に一気読みした覚えがあります。映画化もされました。なぜか邦題は「オデッセイ」と意味のわからないものになっていましたが我が国ではよくあることなのでまあいいでしょう。小説はおもしろいので小説を読むとよい。

アンディ・ウィアーの第三の長編が「プロジェクト・ヘイル・メアリー」です。主人公が起きたら恒星間宇宙船に一人きりというところから始まります。この作品はどんなネタバレも楽しみを損なうのでこれ以上は語りませんが、たいへんおもしろい作品でした。電子書籍にもなっているので是非読んでください。

そして読み終わって気づいたのが、アンディ・ウィアーは「悪意に頼らずに物語を動かす」という特徴です。これは「火星の人」のときもそうでした。主人公が宇宙のどこかで一人ぼっちになり、トラブルに見舞われるのですが、トラブルはいつも想定外の出来事や単なるミスで起きます。ここに人間の意図はないのです。

ふつうの創作だと悪意や人の意思を使って物語を動かすことは多いでしょう。世界を滅ぼそうとする敵だとか、主人公の足を引っ張る愚か者だとか。アンディ・ウィアーの著作にはこの手の悪意を持った人間が一切出てきません。これはSFとして大事なことです。

なぜ悪意を出さないのが大事なのか?科学的な現象=物語上の出来事は人間の悪意なしで起こせるからです。SFとしては出来事が悪意によって引き起こされる必然性はありません。

なぜ悪意に頼らなくても大丈夫なのか?科学は既知の範囲でのみ有効な道具だからです。科学は未知の領域ではミスをしますし、副作用を起こします。既知の範囲でミスが起きうるとわかっていたら対処はできますが、知らないことには何も手が打てません。なので、科学的な現象だけを使っても悪意に頼らずトラブルを起こすことはできます。

科学の副作用つまりトラブルはいろいろあります。歴史的には、二酸化炭素排出による温室効果もそうですし、放射線の初期の研究における被爆もそうだったでしょう。知らないものはどうしようもないのです。

 

余談ですが、既知の範囲でならうまくいく性質はお仕事でもよく問題になります。抽象的に言うと「情報が足りていれば最適な意思決定をしうる」ということです。宮本茂氏が似たようなことを言っています。

岩田氏: あと、宮本さんは「どうしても解けない問題があるときは、きっと誰かが嘘をついている」って言うんですよ。

ええ。それは別に「悪意で嘘をついている」って話じゃなくて、誰かの認識が間違ってたり、事象の捉え方が間違っているから問題が解けないんじゃないかって、そう考えるんですね。

宮本さんってね。なんというか“視点を動かす天才”なんですよ。そのすごさ(視点を動かすことの価値)を、分かりやすい言葉で伝えられると、いろんな人に喜んでもらえますから,とても面白いんですよね(笑)

https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20141226033/

チームでのお仕事では、各人の頭から情報を集めて最適な判断をするものですが、認識間違いによって情報が足りないと判断は最適になりません。また、「いい問いを立てると問題が解ける」というのも似たような事例です。どんな問いが立てられているかによって、集められる情報が変わるからです。科学革命が起きるのも問いの性質が変わるときです。問いは視点を規定します。問いを立てることで情報を集め、その場その場での最適な判断をするのが理性一般のやり方なのです。余談終わり。

 

悪意に頼っても物語はおもしろくできます。ですが、物語もたくさん語られてきて複雑化しているので、単純な悪役を出してもおもしろくありません。悪役を出すからには悪役の人生の深みが必要です。魅力的で説得力のある悪役を出すのも難しいですが、悪役に頼らず意図せぬ結果だけで物語を進めるのも難しいでしょう。

ところが悪意に頼るのは楽なのです。近年さまざまな陰謀論が跋扈するのも、悪意を想定するのが楽だからです。人間という動物は群れてコミュニティを作り、敵味方を識別します。敵は悪意を持っています。こう想定するのは人類のファームウェアレベルの機能ですし抗いがたいものです。ですが、現実にはそれほど悪意は多くありません。ないわけではありませんが、多くは意図せぬ結果や偶然の出来事でしょう。敵か味方かを決めず、固い事実が判明するまで態度を宙づりにしておくこと、これが科学的な態度といえます。

科学的な態度を貫徹させると困ったことになります。極端な例を挙げると、大地震が起きて大事な人が死んだとしても悪役や悪意を認定することはできません。現実的・理性的にふるまうことは、どんな不条理が起きても存在しない悪意を想定しない態度を意味します。たいへん厳しい態度です。人間的ではありません。おそらく一流の科学者でも身近なところで不条理が起きたらこの態度を取れないでしょう。

不条理に対抗できるのは信仰です*1。不条理には(根源的)理由がありません。同様に信仰にも理由はありません。近代以前は不条理も多かったことでしょう。人は簡単に死にました。だから信仰に価値があったのです。それが近代以降は不条理が減りました。死ににくくなりました。同時に、信仰の対象は宗教から科学へと移りました*2

ですが科学的手法・態度は生活世界にとって関係のないものです。われわれはただ道具として科学技術の結晶を使えればよいのであって、生活をする個々人に理性や科学は必須ではありません。理性を使い悪意の想定をやめよと言っても仕方がありません。なのに、理不尽に対抗する伝統的な信仰は失われつつあります。理性も信仰も弱くなっていることは、不条理に対して説明をする原理が失われていることを意味します。納得のできない人々は不条理に対して意味のない責任主体を求めるようになるでしょう*3。しかし、大地震が起きて人が死んだとしても責任主体はいません。地震を原因としてどのように死んだのかは説明できますが、なぜ地震がいま、その場所で起きたのかを説明する原理は究極的には存在しない、あるいは無意味です*4

そういう意味で、アンディ・ウィアーの物語は科学者としての強い理性でもって書かれています。悪意はまったく出てこないので、アンディ・ウィアーのネガティブ・ケイパビリティは相当なものです。SFとしてはこの態度は手放しに褒められます。なので、上記の私の懸念はともかくとして「火星の人」と「プロジェクト・ヘイル・メアリー」は素晴らしい作品です。それは間違いありません。

 

私の述べたことは本作とは関係のないものですが、物語の世界から現実の世界に戻ってくると上記のことを意識せずにはいられませんでした。それだけ現実の世界は微妙な状況に陥っています。

科学と信仰の間の中途半端な状況にある問題を考える参考文献として、國分功一郎氏と千葉雅也氏の対談本の「言語が消滅する前に」が挙げられます。古典ギリシア語には中動態があり、する - されるの関係だけではなかったという話をベースに、現代の言葉の使われ方が「科学的な」責任主体を求めてしまうことを論じています。

*1:このブログで、人が死んでも日々の生活によって立ち直れるのではと書いていたのを思い出したが、生活のなかの癖や生活の枠組みとして信仰があるのかもしれない

*2:科学は科学哲学からみると信仰でもあるのですが、たいていのケースでは現実に妥当するので、信仰でない側面もあります。だから安心して信仰してもよいとはいえます。

*3:コロナ禍という不条理における陰謀論

*4:そして人生の意味も根源的理由がなくて不条理に近いものがあるのは別の話か

2021年ふりかえり

お仕事

この一年は新規プロジェクトのメインエンジンとして働いていました。就労してからいちばんおもしろい仕事をやっている気がします。なんでおもしろいのかというと、珍しいシステムを作っているからです。前例がなくて検索しても答えは出てこないので、ぜんぶチーム内で考えて判断をします。解くべき問題がたくさん転がっていて楽しい環境です。

これまでのお仕事はふつうのウェブ技術で要件に応じた機能を作るものでした。要求に対して最適な設計をすればそれでよくて、問題は負荷くらいのものでした。ですが、新しいお仕事はこれまでの経験が(あまり)役に立たないので、検討すべきことが大量にあります。私の上に経験豊富なリーダーがいるのですが、それでもリーダーひとりで考えきれないのは明らかです。チーム発足当初は指示待ち気分で、のほほんと構えていたのですが、次第に「勝手に問題を拾って解いていかないと進まない」という認識に変わっていきました。

ということがあって、(ある程度)勝手に動いて勝手に答えを出せるようになりました。これが今年一番の変化だったと思います。

体調管理

鍼と散歩で冷え性に立ち向かっていますが、まだ勝てそうにありません。スタンディングデスクを手に入れ立ったままコーディングや会議をするようになりましたが、冷えるものは冷えます。冷えるとだんだん頭の働きが鈍くなり、進捗が破滅してゆきます。冷えは運動不足が原因なので在宅勤務をしている限り根本治療は無理かもしれません。Anova足湯という対策はどうか。今思いつきました*1

漫画お手伝い

家業の同人漫画制作をしています。妻氏が作画をして、二人でネームやネタ出し、アシスタントが私です。かつては二次創作もやっていましたが、今はオリジナルだけで活動しています。商業漫画に足を踏み入れかけたこともありますが、出版社をとりまく環境や編集ガチャのことを考えて方針を変え、いまは好きな題材を好きなペースで書くようにしています。

原稿はイベント前にわーっとなってから描くのではなく、毎日やるようになりました。同人誌なので締切なんてありませんが、あえて締切を作って守るようにしています。安定して本を出すこと、たくさん描いて経験を積むことが主目的ではあるのですが、単に毎日描くのが楽しいというモチベーションもあります。当初は1週間ごとの締切にしていましたが、さすがに無理があったので2週間ごとに改めました。少しずつ作画スピードは上がっているので、何もなければ数ヶ月で100ページの同人誌を作れるでしょう。同人誌が分厚いと存在感があっておもしろいので何とかして完成させたいものです。

漫画は

に掲載しています。

原稿が完成したらSNSに載せていくつもりだったのですが、実際にアップロードしてみるとTwitterもPixivもTumblrも読みごこちがダメでした。漫画は2ページ単位で読んで、めくって驚く体験が大事です。ページがずれていたり、全ページが俯瞰できてしまうと漫画を読む体験にはなりません。

そこで、マンガノを使うようにしました。マンガノは集英社はてなが組んで作った漫画掲載サービスで、GigaViewerを無料で使えるのが特徴です。GigaViewerは多くの出版社に採用されている漫画ビューワー実装なので読みごこちは信頼できます。また、マンガノは読者向けUIだけでなく管理画面も優れていました。今のところ、マンガノが個人の漫画を載せるサービスとして最適だと判断しています。

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挿絵です

アファンタジア

漫画制作を手伝っていたある日、自分がアファンタジアであることに気づきました。アファンタジアとは頭の中にイメージ映像を思い浮かべられない人のことです。イメージ盲とも言えます。例えば、目を閉じて親の顔を思い浮かべることができません。

なぜ気づかなかったのかというと、生活や仕事で困ったことがなかったからです。イメージとして覚えなくても理解していることはうまく説明できます。

なぜ気づいたのかというと、妻氏がよく画像を丸ごと覚えていたからです。例えば、「レシピに載っている醤油、味醂、酒etcの量を覚えておいてください」とお願いすると、それを精確に覚え再生してもらえます*2。また、数学のテストを画像記憶で乗り切ることができたそうです。

ずっと画像を覚えられる人が特殊だと思っていたのですが、あるときインターネットで「頭の中 イメージ ない」でGoogle検索をしたら、特殊なのは自分の方であることがわかりました。これまで人と喋ると言葉の使い方が少しだけ違う感じがして違和感があったのですが、根本原因がわかって安心しています。

料理

趣味・家事として料理をしています。平日が家事としての料理で、休日が遊びの料理です。

今年は小麦粉遊びをやっていました。

製パンも製麺も半年ほど続いており、休日は小麦粉を捏ねまくっています。パン作りは未だに整形が下手くそなのですが、味は安定するようになりました。レーズン酵母とフランス製の小麦粉*3が決め手のようです。製麺は気まぐれにやっています。作るのはパスタや中華麺ですが、そろそろ蕎麦にも手を出しそうです。機械に製麺させるので中年趣味ではありません!

平日の料理では効率を大事にしていました。その結果、こんな記事ができました。

今の自炊界隈の流行りはホットクックかつくりおきなのですが、いろいろ試行錯誤した結果、独自路線を歩んでいます。この記事の知見は日々の研究と土井善晴氏の動画で得た知識がベースになっています。

読書

今年も余暇の中心は読書でした。from:non_117 読んだ - Twitter Search 記録によると、だいたい70〜80冊くらい読んでいたようです。フィクションはSF 1冊だけであとは人文書や科学系の読みものです。

よかった本はこちら。

  • 理不尽な進化
  • 欲望会議
  • 「わからない」という方法
  • さらば、民主主義
  • 中国の大盗賊
  • イメージを読む
  • プロジェクト・ヘイル・メアリー

どれもサービスがよい本です。サービスがよい本とは

で考案した評価基準で、簡単に言うと読みやすいということです。

内容が乏しい、あるいは簡単な本が読みやすいのは当たり前ですが、内容とサービスが両立した本は少ないながらも存在します。内容もサービスもよいのが最高の本です。

週報

日記を抜粋し再編集した週報を始めました。もう2年半ほどプライベートな日記を書いているのですが、日記に対する問題意識も出てきました。書いたはしから忘れてしまうことと、自分にだけわかる文章になっていること、です。日記は書いたときの自分にとって自明なことが省かれていたり、認識が混乱していることがあります。すると、あとから読んでも意味がわからない記述が残ります。読み返しても価値が低いのは微妙だなと思って、記憶があるうちに再編集するようになりました。

まとめ

2019年のふりかえりで「ひと鍬だけ入れる」という考え方を紹介しました。2年間、この考えを敷衍して何でも日常の習慣に組み込んできました。体調管理、読書、日記、料理のすべてが習慣になっています。

今年は漫然と続けてきた習慣が自分なりの体系としてまとまったように思います。本の選び方と料理の技術について深く理解しました。

次に理解したいのは体調管理、つまり身体の仕組みです。これから2年か3年かかるかもしれませんが、理解してしまえばあとの人生が楽になるでしょう。引き続き習慣化と観察をやっていこうと思います。

*1:低温調理器で足湯がしたい :: デイリーポータルZ すでに玉置さんがやっていました。有効そうなので真面目に検討します。

*2:アファンタジアにとってはとても便利です

*3:https://tomiz.com/item/00019302 MINOTERIES VIRON社のラ・トラディション・フランセーズ