しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/08/07

『暇と退屈の倫理学』を読んだ

分厚いが読みやすく、おもしろい本だった。

テーマは「暇と退屈」の哲学。やることがなく、何をやってもつまらない、なんとなく退屈だ、そういった気分を分析した本である。

いや、私は忙しい、趣味がたくさんある、という人もいるかもしれない。しかし、趣味のYouTube鑑賞、お絵かき等々をしつつ、なんとなく退屈だ、暇つぶしにならない、と思うことはよくあるだろう。

 

目の前におもしろいものがあるはずなのに、なぜか退屈さを感じることはある。我々は退屈さから逃れることはできない。

こういった退屈さに正面から立ち向かい、問うのがこの本である。通読すれば、各位の人生に何か変化があるかもしれない。

 

ちなみに私はこの問題を「人生の暇さ」問題と呼んで長く考えてきた。

「人生の暇さ」問題への私の解答は「おもしろい労働」である。労働の内容をおもしろくすることで、暇さを解消しつつ、もろもろの利益を得る。そういう暫定解を出している。

「おもしろい労働」にありつくのが大変なのは理解しているが、理想的な解としては、これである。つまらない労働は賃金が高くてもやりたくない。

また、何が自分にとっておもしろいのかわからない、という自己探求の問題もある。これは各人答えが違うはずので、よく考えるとよいだろう。決して流行りの職、ただ儲かるだけの職に飛びついてはならない。

夏休み突入

お盆より1週間早く休暇に入った。本当はお盆に休むつもりだったのだが、ふつうに間違えてしまった。直前に変更ができないのでそのまま休んでいる。

でもちょうどよかった。葬式が終わって1週間しか経っておらず、今になってストレスが身体に出てきたところがある。けっこう体調が悪い*1ので、何もせずにゆっくりする予定だ。

リコリコを見ようとしたらゴキブリが出た

グラスにワインを注ぎ、さあ見るぞ、というところでゴキブリと出会った。やあ。🪓

倒すのに1時間かかり、リアルタイム視聴を断念して寝た。

知り合いが感染しまくっている

幸い我が家はまだ無事である。先日の葬式の会食で感染しないか心配だったが、今のところ感染していない。

とはいえ、もういつ感染してもおかしくない状況である。明日にも発症するものと思って備えをしている。

回復者によると、喉の痛みが強烈らしい。助言に従い、龍角散と喉スプレーを買った。

それでもなんとか回避したいが、お盆で人が移動するのであと数週間は第七波が続くのだろう。

引っ越しを考えたがたぶんしない

弔事もあって人生について考える。親の世話をしやすいところに引っ越すか?等々検討したが、車の運転をしたくないので、都市部から動けないことがわかった。自動運転タクシーが廉価になるまで、このまま都市に住む予定である。

家も手狭になってきた。もう少し家賃は出せるので、広いところへ移るのもありなのだが、引っ越しと住所変更が面倒である。

しばらくは工夫でどうにかするだろう。家具の配置をいじるだけで家は広くなるものである。

オットマンを探しに家具屋へ行った

京都の丸太町駅の南に夷川という通りがある。昔から家具屋が多く、今でもいくつか営業しているらしい。

なかでも大きな「家具の川上」という店へ行き、オットマンを探した。オットマンとは、足置きのことである。椅子に座って休まるには足置きが大事なことがわかってきたので、探しているのだ。

この家具屋はなかなかよい店だった。3Fまで所狭しと家具が並べられていて、とにかく量がある。ACTUSより充実していると思う。

かわいい計算機

近代的オフィス

オフィスチェアコーナーにはなぜか機械式計算機とPC98が置かれていた。変な店である。

有名な椅子はオカムラ、ストレスレスの製品があった。試座したい人はここに行くとよいだろう。

咀嚼しながら読む

さいきん読書がうまくできていなかったのだが、「いちいち立ち止まらずに数ページまとめて読む」ことに気をつけたらスランプから脱することができた。読書、というか思考はある程度のまとまりが必要なようである。

これに関係する問題として、1年くらい前に「意識が細切れにされている」という趣旨の記事を書いたことがある。

non117.hatenablog.com

過去の私はSNSを減らして解決した、と言っているが、読書では失敗している。結局気を抜くと意識が細切れになってしまうようだ。癖である。現代の病。

 

昔の本は一節が長い。平気で10ページくらい続くこともある。今では新書・学術書どちらも2, 3ページ一節が多い。

思考のひとまとまりのサイズが変わってきているのだろう。チャンクサイズとでも言えばよいだろうか*2。チャンクとは塊という意味である。

細切れにされた意識・思考の単位をチャンクと呼んでみると、昔の人はチャンクサイズが大きく、今の人は小さいと表現できる。

「効率的」なコミュニケーションによって、チャンクサイズは限界まで削られている。SNSだけでなく、ファスト映画とかYoutube Shortsがよい例であろう。

 

我々は時間を食うコンテンツを忌避しがちである。なのに、短いコンテンツを大量に摂取して時間を浪費する。我々は長い時間を使うのが嫌なのではなく、単に大きな塊を食べられなくなっただけなのだろう。

小さなコンテンツが大量にあるのだから、チャンクサイズが小さくても問題はない。しかし、私は読書で困るのでどうにかしようと思う。今のところ、解決策は「気合い」しかないが。

*1:汗がでないし皮膚が痒い

*2:本当に認知心理学にチャンクという用語があるようだ