12/30(土) 京都元田中のカレーがエリックサウスにあった、渋谷フライパン探し
コミケ前の東京入りの日。たいていの同人イベントは日帰りで行けるのだが、コミケだけは無理だ。始発の新幹線でもサークル入場に間に合わない。仕方がないので前泊をする。
お昼の新幹線に乗って東京へ移動し、渋谷でフライパンを探す旅に出てエリックサウスでカレーを食べた。東京に来るからには東京でしか食べられないものを食べたい。
以前「イナダシュンスケの原体験は元田中のDiDiだ」ということを書いたのだが、そのまんまDiDiの味のカレーが出てきてびっくりした。
DiDiは店主が高齢なのか営業頻度が落ちている。イナダが味を継承してくれているなら重畳である。
🦔🦔🦔
渋谷でフライパン探しをしていたのは、新しいフライパンが欲しくなったから。我が家にあるのはリバーライトの中華鍋と20cmくらいのスキレットだけ。長年この二つで料理をしてきたのだが、よく考えるとふつうの平たいフライパンがなくて不便である。それに鉄フライパンは焼く、炒めるの調理に向いているが、ソースやスープを煮詰めるのに使うべきではない。ということに気づいて、ふつうのフライパンを探す旅に出た。
道具は手にとって見極めないといけない。渋谷のヒカリエ、スクランブルスクエア、西武、ロフト等々巡ったのだが、意外と物を置いているところがない。みんな今はインターネットで買うのかしら。フライパンて重さが大事だと思うのだけれども。
これらの店でいちばん品揃えがよいのはロフトだった。ビタクラフトのスーパー鉄の重さ、形が良かった。とりあえず製品名を覚えて帰る。さすがにコミケでフライパンを買って帰るわけにはいかないので……。
12/31(日)睡眠時無呼吸実況、琵琶湖でサーモンがとれたらいいのに
コミケ当日。寝れなかった。
寝れないのはいつものことで布団が変わるとダメだ。特にビジネスホテルの布団は苦手。ドーミーインでもダメ。
今回は別の要因もあった。隣の部屋から爆音いびきが聞こえてくるのである。
ゴォォォォズゴォォォォという音が周期的に。よく響く低音なので壁を貫通する。強すぎるだろう。
不穏な話だが、このいびき、たまに止まるのである。おそらく呼吸をしていない。睡眠時無呼吸なんとやら。いびきとセットの病気である。
「あっ死んだ」
「生き返った」
と実況しながら寝た(寝れなかった)。
🥚🥚🥚
コミケ自体はいつもどおり。会場へ行き設営をして本を売る。たまに知人がやってくるのでお喋りをする。午後になったら東西移動をして雰囲気を楽しむ。知り合いの本を買う。ブースに戻ってぼーっとしたら16時前に撤収。寿司詰めになって品川へ移動しなんか食べる。新幹線で京都に戻る。
さいきんは夕方の新幹線で帰るので駅弁を買うことが多い。駅弁といっても品川駅なのでいろいろバリエーションがある。肉でも野菜でも魚でも何でもある。崎陽軒は何度か食べて満足し、別のものに手を出しはじめた。
今回は海鮮丼。疲労困憊の妻氏は鰻を食べ私はサーモンにした。ロシア産のいくらが乗っている。もうロシア産使っていいんだ。
薄々感じていたことだが、東京は魚がうまい。いや焼津のほうがうまい、という人もあるだろうが、京都に比べたら東京はうまいのである。駅弁のレベルで違いが出るのだから、ちゃんとした寿司屋に行くともっとうまいのだろう。京都は魚の鮮度が弱点である。うらやましい。
1/1(月)正月は銀シャリ、安否確認訓練で「重症」を選ぶ
元旦。コミケの疲れもありヨボヨボだった。特にお腹の冷えがやばい。旅行をすると粗食とか外食にならざるを得なくてタンパク質、野菜、豆が不足しがち。
餅とか雑煮の用意ができてないので白米を炊き始める。玄米、もち麦などの混ぜものなしで。「白米は神に捧げるくらい清いもので正月にふさわしい」から。暴論だが我が国の信仰としては外れてない考えだと思う。銀シャリうまいうまい。
🎱🎱🎱
能登半島が揺れたあと、数時間後に会社の安否確認メールが来た。人事部かなにかの人が元旦から労働をしたわけである。大変だなあ。公僕は招集されるからもっと大変だけど。
いつも安否確認システムの訓練では「重症」「全壊」を選んでいる。訓練だから何を送ってもよい、という理由でふざけてめちゃくちゃな選択肢にしがち。
しかし、今回は本番だ。指が勝手に「重症」「全壊」を押そうになるのを押しとどめつつ「無事です」という報告をした。
フォロワーは津波が来る場所に住んでいて避難していたし、火事も酷そうだ。元旦から家を失うなんて厳しい話だなあ。
1/2(火)寝正月、酔って小豆を炊く
引き続き疲れがあって布団と仲良く過ごした日だった。寝正月。夕方になってビタミンBが足りないのに気づいたが、時既にお寿司。アリナミンを飲んだが今日はもうダメ。
昼は包丁のメンテナンスをしていた。本来は年末にやるべきものだが、サボっていたせいで大掃除延長戦である。10月くらいに見つけた記事を頼りにはまぐり刃に小刃をつけた研ぎにしてみた。小刃をつける感覚がわかってきてまた一つ切れ味がよくなった。きけん。
夕方になっても体力が戻らず外食になる。しかし飲み屋くらいしか空いていない。近所のフレンチ飲み屋へ行った。前菜がとにかくうまくて良かったのだが、うまさを受けとめる体力もなくてちょっと勿体ないことをした。
しかもワインとビールを飲んだだけで酔いと冷えが回ってめちゃくちゃになる……。わりと散々な新年二日目だった。
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酔っぱらいながら小豆を炊いた。小豆は12月の豆ブームのときに買ったものである。ひよこ豆、大豆、小豆などの豆類をいろいろ買ってストックしていたのだが、小豆は渋抜きが必要でスープに混ぜこむのは難しい。仕方がないのでぜんざいとして炊くことにした。正月にぴったりである。
ぜんざい、というか小豆を煮るのは意外と簡単で、
- 小豆を水から煮る(浸水なし)
- 沸騰して放置したあと煮汁を捨てる
- 水を入れて1時間煮る
- 砂糖を大量に入れる
の手順でできた。ほとんど放置してるだけなので何も難しいことがない。
こうして二日目にぜんざいがあった。
1/3(水)正月とコロナ禍の類似、事件が起きると娯楽は弱い
三が日は暇だ。ふだんの休日はスーパーが開いているので「あれを作ろうこれを作ろう」と思いながら買い出しをすることで散歩(運動)にしている。しかし正月は百貨店とコンビニ以外は休みでなかなか外出の目的地を設定できない。難儀なことに人混みも嫌いなのだ。初詣にも行かない。
かくして運動不足により背中や腰が痛みはじめる。アリナミンを飲んで寝まくったので疲労からは回復してきたものの、行くところがないので不健康なのは変わらないのであった。一日料理とインターネット、読書をして終わる。明日こそはどっかいきたい。
この感じ覚えがあるな、と思ったがコロナ禍の最初の3ヶ月が正月みたいな雰囲気だった。いや、正月よりも店が閉まっていたかも。空いているのはスーパーとコンビニだけ。百貨店も閉まっていた覚えがある。
コロナ禍が苦痛だった人は行くところがない辛さを覚えていたのだ、とようやく理解できた。たしかに散歩の目的地がないのは不便である。しかし当時は死にいたる病だったので、あのような対応になるのもしかたない、とも思う。
🍮🍮🍮
正月にいろいろ事件が起きたせいで、皆さんインターネットで元気である。あれこれ事件について批評をされている。こういうときには漫画の全話無料や民法の特番、YouTuberの特別企画とかが提供されても大して観られない。だって現実の事件、事故のほうがおもしろいのだから。
つまり娯楽のための、暇をつぶすためのコンテンツは現実が平和である限りにおいて需要があるのだろう。毎日テレビとインターネットの向こうで事件が起きていたらコンテンツなんてなくてもよいのだ。多くの人にとっては。
事件の報道やSNSの反応をみて嫌な気分になる人もいる。何より災害の当事者になる人もいる。そういう人にとってはコンテンツどころではないのだが、それ以外の大衆にとってはコンテンツになってしまうのである。そして娯楽産業は大衆に消費されることで成り立っている。
(画面の向こうで)事件が起きると娯楽は需要がなくなるのである。
1/4(木)観光地は原宿になる、書くための儀式
社会が動き出したぞ、と意気込んで外出。寺町のロードバイク屋さんへ行き、グラベルロードバイクを観察した。売れ残っているのか黒いカラーの商品が多くて困る。私はもうちょっと明るい色がいい。春とか夏っぽいやつ。
欲しい商品を絞りこんだら今日のところは撤退。あとはまたインターネットでよく調べることにした。
久しぶりに訪れた寺町・新京極商店街は観光地の度合いが増していた。フルーツ飴、タピオカ、八角デカ唐揚げ、10円パン。
原宿でいちご飴店が増えているという記事を思いだした。京都の観光地に出店してくる企業は東京の流行にも敏感である。こうやってどの観光地でも似たような食べものを売るのだろう。京都らしい観光食べものは祇園と錦に任せて、新京極は原宿化するのである。
知らんけど。
しっかり八千歩くらい歩いて帰ってきたらお布団読書としゃれ込んだ。運動をしているので布団でだらけていても罪悪感がない。読書が捗る場所は布団と電車が二大巨頭だ。運動をしっかりしたならば布団で本を読み、あわよくば寝てしまってもよいのである。
🫘🫘🫘
『作家の仕事部屋』を読んだ。
フランスの代表的な小説家に対して「どんな方法で書いてるのか?」とインタビューした記事の邦訳本。だいたいどの作家も「朝起きて何も食べずに書く」「天井がないといい」みたいな変な儀式を持っていて、儀式を経ないと書けない。その儀式が作家によって全く異なっており、共通する方法というものはなかった。
じゃあ自分の儀式は何かな?と思っていたらこの記事ができた。
これを読んだ妻氏は
「(常時メモをとり毎日書き続けるのが)狂っていて参考にならない」
と言った。そうかもしれない。
1/5(金)大阪フライパン探しの旅、大阪は自己主張の街
大阪の千日前道具屋節へフライパンを買いにいった。我が家は出不精すぎて京都引きこもりである。府境をまたぐのは同人イベントへ行くときだけ。買い物目的で大阪に出たのは初めてではなかろうか?
なんでわざわざ大阪まで行くのかというと、百貨店やハンズに売られているフライパンはテンプレブランドのものしかないから。ちょっといいフライパンを多様な選択肢から選びたい。何ならフランス製のものも見てみたい。というわけで専門店を目指したのである。
買ったのは中尾アルミ製作所のアルミとステンレスでできたフライパン。外側がステンレスで内側がアルミという変なやつだ。アルミの熱伝導率の良さとステンレスの蓄熱性をかけ合わせる設計の製品だと思われる。
これで料理をすると妙に香りが良くなる。メカニズムは不明で「鉄鍋に残った油が匂い物質を吸着している」「鉄鍋から溶けだした鉄イオンが匂いをマスクしている」等々仮説は考えられるが、はっきりしたことはわからない。ともかく、鉄鍋だと出せないタイプの香りが残るらしい。特にパスタが別物の味になった。店のレベルに近くなっている。
弱点は肉を焼けないこと。焼けないこともないのかもしれないが、火加減は非常に難しい。野菜ならばぜんぜんくっつかないのになぜか肉はくっつきまくる。剥がすのは簡単だが、肉を炒めるのには使わないほうがいいようである。とろみのある仕上がりを目指す料理が得意なフライパンだった。
🥞🥞🥞
なんばを訪れてわかったのは、大阪の看板はやかましいのに押しつけがましくないこと。看板は「ここに眼科があるで!」と主張するだけであって「あなたは今すぐレーシックをすべきです」みたいなことを言ってこない。山手線の広告は「すぐに脱毛と植毛をしろ」と命令してくる。
大阪のおばちゃんの派手な色の服も自己主張である。大阪は主張が大事な都市、と言うと彼らの態度ともマッチして納得感があると思う。
🥞🥞🥞
『世界のへんな肉』を読んだ。
世界一周をしながらラクダ、キリン、アルマジロ、イグアナなどのへんな肉を食べる話。旅行記ではなく、肉を食べたときのエピソードが中心。
世界では日本人にとってまずい肉も食べられているようで、人間は生きるためなら何でも食べるのだなあ、と思った。
文章は読みやすい。が、内容はちょっと薄味でエモ系のエッセイ。軽い読み物としてはおすすめできる。