近況
Splatoon 3のフェスに参加していた。ナワバリバトルはいいのだが、トリカラバトル?とやらの意味がわからずにプレイしていた。ルールがわからくてほとんど負けてしまう。暇つぶし派の同志に土下座である。
御苑散歩
前の日曜日は京都御苑で散歩をしていた。
京都の住宅街は意外と緑地が少ない。家と道路しかなくて、散歩コースとしては飽きやすい。左京区であれば鴨川や疎水、何かしらの寺社があるものだが、私の近所には少ない。繁華街に近くて便利ではあるが、車のための街になっている。
京都にはもう10年くらい住んでいるのに観光はしたことがない。同僚や友人も同様で、インドアな人はこんなもんである。「観光とは、そこに噂どおりのものがあるのを確認する行為だ」と誰かが言っていた。そのとおりである。
観光には興味がないのだが、自然は眺めたい。たまにそういう気分になる。というわけで、緑を求めて御苑に行ってみた。
京都御苑へ足を踏み入れるのは二回目で、一回目は大学院生の頃だったはず。当時、Ingressにハマっていて夜な夜な緑陣営の拠点を焼いていた。京都御苑にもポータルが多数あったので、足を運んだ次第である。
しかし御苑はちょっと微妙だった。たしかに緑は多かったのだが、砂利道が歩きにくく、木々はほとんど松だった。管理の行き届いた人工的な空間であって、変化には乏しかった。
やっぱり鴨川だな、と思った。
平日
平日は久しぶりの週5勤務。実装はせずにほとんどサブ業務の作文、資料作りをしていた。意外と体調はまともだったが、進捗は芳しくない。締切りが近くて焦る。
役割を重視しない文化
昔、であること、できること、すること - non117's diaryというテキストを書いたことがある。社会的な評価である役割よりも、本人のできること、することが大事だ、という主張。先日、中途で入ってきた同僚と喋っていて、「役割よりできること」という考えはごく一部の社風でしか通じないことに気づいた。
自由な雰囲気のソフトウェアエンジニア業界であっても、「ナントカエンジニア」みたいな役割を作って人を役割にはめ込むことは多い。もちろん、自律性の高い人は枠にとらわれずに行動するのだが、組織としては役割を作ってしまう。役割からの逸脱は歓迎されない。
しかし、役割は(ある程度)無視して組織に必要なことを、自分の能力が最大限発揮されるように、働くべきである。自由な文化の組織でしか通じないかもしれないが。
情報空間での優先度付け
Twitterで流れてくるテキストをすべて、真面目に、読んでいる人がいるのを知った。
ということは私は真面目に読んでない。私の友人たちも真面目に読んでない。それがふつうだと思っていた。
しかし、全部読んでしまう人はいるし、おそらくたくさんいるのだと思う。SNSでトレンドの話題にいちいち怒る人たちも、たぶん真面目に読んでいるタイプだと思う。すべてに感情的に対応するので疲れるし、疲れた結果、より怒りやすくなるだろう。
たぶん、彼らはコンテンツの優先度づけをしていないのだと思う。真面目に読まない側の人は、テキストを読む前に読むに値するかを判断している。
なんでそんなことをするのか?疲れるから。情報が多すぎてきりがないから。本質的にインターネットは暇つぶしにすぎないため、SNSコンテンツが多いのは悪いことではない。なのだが、スマホとSNSに切り刻まれている - non117's diaryで書いたようにすべてに対応して精神をこまぎれにするのはよくない。もちろんメンタル的にも。
私はSNS以前からインターネットをしていたから優先度付けできるようになったのだろう。2000年くらいのインターネットには今ほど情報がなく、すべてがゆっくり流れていた。当時は2chやテキストサイトを全部読む余裕があった。そこへ少しずつ情報が増えていき、ブログブームを経てSNSが誕生した。私にとっては少しずつ情報が増えていったのである。なるほど優先度をつけるよう適応しても不思議ではない。
一方で、スマホ以降の世代は、インターネットを始めた当初から情報が多い環境である。彼らにとって、優先度付けする態度が自明ではないのも理解できる。
午前は使いものにならないのに気づいた
時計遺伝子のタイプ、睡眠リズムのタイプという怪しい分類があるのだが、私はオオカミタイプとやらだな、と自覚した。つまり夜型である。夜型ではあるが、不眠症のイルカ型ではなく、寝入りが遅いもののちゃんと寝られる。睡眠時間は7時間半くらい必要。
朝はだいたいぼーっとしていて10時からの会議はあんまり内容を聞いていない。午後なら大丈夫。コーディングが捗るのは正午前から昼食までと17時以降。どうしてもこの時間帯でないと知的生産ができない。
もしかすると運動習慣などで改善できるのかもしれないが、自分の頭がよく働く時間はここしかないのだと思って諦め始めている。自分の身体にはあらがえないので、諦めて身体仕様に従い、適応するのが一番である。
ここ数年は自分の身体に従ってばかりである。頭で身体を支配しようにもうまくいかない。合わせるしかない。こういうのが大人になることの第二段階なのかな、とも思う。第一段階が社会に合わせること、業務ならばチームで働くこと。第二段階が身体および無意識と仲良くすること。