しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/02/12 ペットというエゴ, 創作を趣味にするには

近況

先週述べたとおり、春でやられる人が増えてきた。妻氏が突然怒りっぽくなったと思ったら顔面蒼白で血行不良だった。お灸で快癒す。そして私も自律神経は不穏だった。無限に瞼が痙攣する。困って自律神経のツボを調べたところ、大衝というツボを見つけた。足の親指と人差し指の腱の間。ここを指圧やお灸で刺激すると、たちまち自律神経がまともになった。春・ストレス対策として有用なのでぜひやってみてほしい。

春は暖かくなって弾みがつきやすい。急にテンションがあがって変なことをする。不安感も出る。そして残念なことに、自殺者も多い。弾みでやってしまうそうだ。危険な季節なので、意思でどうこうできるとか考えず、養生してほしいものである。

ペットというエゴ

我が家で飼っているスナネズミチェコ太郎がそろそろ死にそうだ。チェコから輸入された個体なのでチェコ太郎。

白ねずみ

もちろん悲しいのだが、実はもう慣れてしまっている。我が家ではもう十年齧歯類を飼っていて、チェコ太郎は八代目のねずみである。ジャンガリアン🐹が二代、スナ🐭が六代。どちらの種も寿命は三年くらいで、どんなに長くても四年くらいしか生きられない*1。三年は長いようで短く、あっという間にねずみは老い死んでいく。

私や妻氏はあまりペットに構わず、ただそこに存在しておられるだけで満足している。懐いてくれなくていい。夜になるとねずみは起きてきて巣材をひっかき回したり、紙箱を囓ったりする。その音がしていればそれでいい。

その割にペットの世話は大変だ。毎日の餌やり、掃除、そして何よりも通院。できれば病院には連れていきたくないのだが、明らかな腫瘍が見つかったならば処置しないわけにはいかない。歯が悪くなったら切ってもらう。通院はお金もかかるし時間も食う。一度病院通いが始まるとなかなかやめられない。通院せずに天寿をまっとうされるならばそれが一番なのだ。チェコ太郎はその点手間がかからず、うちから一歩も出ずに死のうとしている。身体もきれいだ。また、ペットがいると家を長くあけられない問題もある。旅行は三日が限界である。

倫理的に考えると、ペットを飼うことは人間のエゴ以外の何ものでもない。独善的な欲望によってその生はある。産まれさせたのはブリーダー・里親かもしれないが、ペットを購入し、飼っている点で責任はある。

かれら動物、特に小動物は人間に想像できるような内面はない。何がかれらにとって善き生であるかはわからないし、想像することに意味はない。事実として、生老病死という自然のシステムがそこにあるだけなのだ。生への意味づけすらも人間の勝手な解釈にすぎず、自然の側から見ると、我々のエゴに罪という色はない。

と、冷静に、事実的に考えるとペット飼育に何も問題はないのだが、それでも主観としては倫理的な問題を感じずにはいられない。そこに納得をつけるならば「エゴであることから目をそらさずに認めつつ、できる限りの世話をする」が結論になるだろう*2。生死のシステムは未だ人間にどうこうできるものではない。かれらが飢えぬように餌をやり、寝床を清潔にする。ただそれだけでよいのである。

挿絵

創作を趣味にするには

創作を趣味にする人は多く、年々増えている。なぜ創作したがるのか?暇だからだ。現代人はみな暇つぶしに飢えている。一日中畑を耕さないと生きていけない時代ではない。無茶苦茶な働きかたをしない限り、どこかで時間のつぶしかたに悩むことになる。
基本的に暇は毎日生じる。だから(創作)趣味は生活の一部になっていなければならない。衝動的に、月に数日だけやるようなものでは、とても暇は癒やせない。

理想的な創作趣味は、毎日没頭できて、成果をみながら自分でニヤニヤできるもの、である。他人から褒められるとか、お金になるとかは二の次である。自分で満足して、おすそ分けを他人にあげたらなぜか喜ばれる、これが健全だ。創作趣味を仕事にしてそれだけで食っていけるようになるのも幸福だが、たいていの趣味は稼げない。食い扶持は他の「有用な」専門性で確保しておいて、趣味として好きな創作をするのが現実的だ。

「自分に合った創作ジャンルを見つける」のがいちばん難しい。たいてい世間の流行に誘惑されて、好きでもないことをやってしまう。他人の歓心を買うために、本意でないことに注力してしまう。憧れや流行ではなく、なんとなく毎日やってしまうものを見つけるのが大事で、そのようなジャンルを見つけられたならば幸福である。もし、自分に合ったジャンルを見つけて毎日打ちこめるならば、メンタルは安定し、自己愛も高いレベルで維持される。見返してニヤニヤできるものがまわりにあり、それが自分の作ったものだから。

問題は、他人との比較をしてしまうこと。どうしても同ジャンルの他者の作品を見ていくうちに目が肥え、自分の出力レベルで悩むだろう。作品の質は、センス(価値観)と技術で決まる。センスは良いものをたくさん観察することで磨かれ、技術は(考えながら)毎日作ることで向上する。ゆえに、この創作ジャンルが自分に向いている!と真にわかったならば、毎日作り、たまに本物のよい作品をみるしかない。こうして、生活の一部としての趣味に戻ってくるのである。

*1:計算が合わない?繁殖させて五🐭家族を同時に飼っている時期があった

*2:できることをする、という結論はほかの問題でも便利である