5/6(土)愛しの電気ポット
愛用している電気ポットを修理に出した。我が家では電気ポットがなくてはならない。毎日の弁当作りと時短料理にも使えるし白湯やコーヒー、茶、カップ麺にも使える。あらゆる家電で一番酷使していておそらく電子レンジよりもよく使っている。電気ケトルではダメで、常にお湯が出てくるのが大事なのだ。
それがついに故障してしまった。大した故障ではなく単にボタンがおかしくなっただけで湯沸かしの機能としては問題ない。でも不便だし、もう買ってから5年以上経っている、ということで修理に出すことにした。買い換えてもいいのだが、基板交換で済みそうなものを捨てるのは勿体ない。
電気ポットがないだけで生活は大変不便になっている。早く戻ってきてほしい。
5/7(日)温度をあげれば服は乾く
このところよく雨が降る。前の家では衣類乾燥機で乾かしていたのだが、今の家には置く場所がない。昨今の流行りだとドラム式の全自動洗濯乾燥機を買うところだろうが、我が家は洗濯機にこだわりがあり縦型しか使う気がない(できれば二槽式がいい)。でも、そもそも乾燥機で服を乾かすのに乗り気ではない。どうやっても服は傷んでいく。部屋干しができるならそれがいい。
この日も大雨だったので部屋干しをしてみた。しかしぜんぜん乾かない。寝室に干してエアコン除湿と除湿機をフル稼働させてもダメだった。
ここでよく考えたところ、風呂についている暖房機能と除湿機を使えば素早く乾かせることがわかった。なぜなら空気は温度が高いほど水を多く保持できるから(飽和水蒸気量)。室温を上げれば自然に服の水が空気に移動するので、それを除湿機で回収すればよろしい。実験したところうまくいった。高校化学の知識が役に立つよい機会だった。
5/8(月)あらやだ虫だわ
いつものように味噌汁弁当を開けたら2mmほどの芋虫が浮いていた。
我が家では出社をする日には味噌汁の弁当を自作している。前日に野菜を切っておいて朝バタバタしながら作る。これをお昼におにぎりとともに食べる。
虫が浮いていたことは初めてではない。たまにある。ただ、理不尽なことに私しか引いたことがない。妻氏はまだ芋虫体験がないらしい。
びっくりするし嫌といえば嫌なのだが、まあそういうこともあるよねと思っていて、虫を除けたら普通に食べてしまう。毒虫でもあるまいし、100℃で10分加熱したあと90℃で4時間放置しているので安全性は全く問題ない。
でも、再発防止はしたいので虫がいたらしばらくは入念にチェックをしながら野菜を切る。しばらくすると忘れてまた虫と遭遇する。
5/9(火)バズったら小学生にも届く時代
今のインターネットには子育ての愚痴がたくさん書かれている。人類史的に、本来子育てはコミュニティで行うものなのだが、核家族化の進行と個人意識の高まりによって父母がたいへん疲弊する時代になってしまった。実際に大変であろうとは思うのだが、気になるのはこれらの愚痴を子供たちが見ることである。今やスマホを持つのが当たり前の時代で、若者ほど早いうちから欲しくなる。つまり小学生がインターネットでこれらの愚痴を読むかもしれないのだ。もちろん大変なのはわかるし愚痴りたくなるのも理解するのだが、愚痴を読んだ小学生がどう思うかは考えられていないだろう。
5/10(水)リズムがまだない
なんだか生活のリズムがうまく作れていないなと思った。片づけは落ち着いたものの、家具の配置をいじったりしているといつのまにか風呂に入る時間が遅くなってしまう。反省して翌日は早めに行動したと思ったら、また次の日にはリズムを逸脱している。
私は毎日同じ生活をしたい人間なのでリズムが大事だ。強いてリズムを復活させようとしてみたが、焦るばかりでうまくリズムを作れないようだった。どうもリズムとは自分で作るものではなく、勝手にできていくものらしい。無意識さんに任せるほかない。
5/11(木)プログラマは動詞を好む
仕事中にopenedというbool変数を見かけ、これはちょっと不思議だなと思った。なぜならopenは形容詞であり、真偽値のbool型である以上は、-edがなくても「開かれている」「閉じられている」の意味を示せるからだ。-edがついているということは語幹のopenは動詞として認識されていて、語尾をつけて過去分詞にされている。迂遠なことで文法的には過剰修飾なのだが、プログラマがそうする気持ちはわかってしまう。文脈に応じてopenが動詞であるか形容詞であるかを区別するのではなく、とりあえず動詞と仮定してしまいたいのだ。こうすることでぱっと見でコードの意味を把握できるようになる。
他にもIsOpened()関数みたいな変化系もある。やはりプログラマは動詞を使いたがるもので、関数名にIs接頭辞を使うことでboolを返すことを示そうとする。変なのだが、長い歴史のなかで特殊化されたプログラマ方言英語が標準になっており、認知負荷の低減という価値もあるのだから郷に入るほかない。ただ、ちょっと気持ち悪いなと思うことはある。
5/12(金)職業: 勇者
同僚たちが早々に退勤してハイラルの勇者になっていった。有給を取っているものもいた。彼らの本業は勇者であり、業務は副業である。
その他
- 車の音がうるさい出窓をホワイトキューオンと本棚で塞いだ。けっこう音の大きさが変わって驚いている。
- レーズン酵母を培養したらカビが生えた。冷蔵庫で放置されてたレーズンを使ったのだが、放置するうちにカビが巣くっていたのではないか。
- パスタも昆布を入れるとうまくなる。無慈悲な出汁の暴力。
- 知人に食洗機と乾燥機を譲った。片道GOという便利なサービスを用いると格安で東京まで運搬できるらしい。
- 概日リズム障害対策の常道は光量の調整らしい。夜は家を暗くしてみている。
- トウモロコシの季節。モルモットはトウモロコシの皮とひげが好物。買って与えた。キャベツの外皮もモルモットによい。彼らの好物は人間が捨てるものばかり。
『福翁自伝』を読んだ
皆さんが愛する1万円札の人物こと福沢諭吉(福翁)の自伝である。晩年、福翁が脳溢血を発症する前に口述筆記された貴重な資料。江戸時代に九州の下級士族として生まれ、蘭学に惹かれて成長してゆくさまが語られる。当時の習俗がよく表現されていておもしろい。何より福翁の語りがうまい。リズムが良くてめちゃくちゃ読みやすいので誰にでもおすすめできる。
これを読むまでの福翁の印象と言えば、1万円札、学問のすゝめ、脱亜入欧、慶応義塾くらいだったのだが、読後は福翁の性格そのものを尊敬するようになった。当時は階級社会がキツくて武士が偉くて当たり前だったのに、福翁は誰にでも分け隔てなく接していた。また、彼の知識をもって明治政府に入れば社会的な成功が約束されているのに、役人が威張っていて品がないという理由で役人にはならない。平等さ、自由主義、独立心は幼い頃からの一貫した気質だったらしい。この点で福翁は業績に関わらず尊敬できる人物だと思った。
SNSでは文脈が落ちる
檜垣先生が昔の哲学者の発言「文系大学院生は1日25時間研究しろ」を引用してツイートしたらプチ炎上した。不快に思った人がいるなら申し訳ない、ということでツイートは消されたのだがそれがかえってよくなかったらしい。研究者たちがいろいろと言及をしていき、元の発言が消えたのに言及だけで燃え続けた。ある有名な大学教授も、もとの発言の文脈を把握せぬまま言及している様子が観られた。はて、これはTwitterの構造的問題だな、と察しがついた。
炎上は同じレベルで読めない人に到達するから発生する、という側面もあるが、今回のケースは「読み」のレベルは同じであり、文脈が欠けてしまったのが問題である。元の発言が消えているのに言及だけが残り、言及が言及を生む。言及の言及まで行くともう文脈は残らない。ツイートを消したから起こったのかというと、そうとも言えない。リツイートは発言を切りとるので消さなくても同じ問題が起きる。
他人をダシにしたくない
文脈の欠落はSNSの構造的問題だが、他方で言及そのものにも問題がある。なんで人々は言及をするのかと言うと、話題にいっちょ噛みして自己開示をしたいからである。SNSの空間にお題が投げられ、それに自分の思ったことを添えるだけで「つぶやき」になるし時事ネタなので歓心も買いやすい。言及する人は思ったことを述べているだけなので悪気もない。
ニュースに言及するならまだいいが、困るのは他人をダシにして自己開示をする人である。いちばん上等な自己開示はニュースや他人のあらに頼らないものだと思うのだが、頼らないで自己開示をし続けるとネタがなくなり、ふつうは他人をダシにしてしまう。そればかりやっているのが、今のインターネットの乱痴気騒ぎである。
この記事も一種の言及をしているので罪からは免れない。インターネットで発信している限り、いや何かを表現している限り言及の構造からは自由にはなれないものだが、できれば言及から自由にありたいと思っている。特定個人への言及がもっとも罪が重く、ある集団に共通する行為、癖など個人を超えたものへの言及ならば罪は軽いだろう。つまりそれって人間の分析なのだろうなあ。