しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/10/01 利休はきっと抹茶ラテを認めてくれる、台所にコーヒーの海

9/23(土)チル曜日、根かきリトライ

珍しくリラックスした土曜日。朝から元気だった。掃除をして溜まった雑務をこなす。

昼にはパスタを作った。普段のだるだる土曜日ならサッポロ一番塩味を食べるところである。土曜日は労働の疲れが噴出してあまりやる気がないものなのだ。

パスタにはベランダのバジルも使った。バジルは今カメムシマンションとなっていて、一部の株がカメムシの家になっている。彼らの住んでない葉っぱを選んでよく洗い、細かく切ってソースに入れた。汚染されている可能性はあるのだが、それを言うと我が家のベランダは排ガスに汚染されているのでもとから「穢れ」ている。気にせず食べた。

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オリーブの根かきにチャレンジする。先週敗退して根かき用の熊手を注文した。

カチコチの根鉢

これが初期状態。6号か7号の鉢いっぱいに根が撒いていて根鉢はカチコチになっている。指では崩せない。一部の根っこは黒ずんでいて死んでおり、よくない状態だった。

半分

道具があるとちゃんと崩せる。鉄ってすごい。歯医者の歯石とりの道具にも似ていてそういう気分になってきた。痛かったら左手をあげてください(手は緩めない)。

完了

最終的にここまでやった。太くて元気な根っこだけ残っている状態。これくらい残しておけば再生してくると思われる。むしろ古い根っこは除去したほうがよい。根っこは新しいほど栄養をよく吸収するそうだ。

シャカシャカ

根鉢から出てきた土をふるってみた。簡単に根っこと土が分離されておもしろい。けっこう楽しい作業だった。

土とか植物に触れていると謎のゲージが回復するような気がした。原初的な欲望なのだろうか。

9/24(日)効率的に野菜を切る方法、『植物の体の中では何が起こっているのか』を読んだ

効率的に野菜を切る方法を見つけた。ただし二人必要。

A: 野菜を切る人、ひたすら切る
B: 野菜を出したりしまったりする人

という分業をする。たったこれだけなのだが毎日の切りものが5分とかからず終わるようになった。2倍か3倍速くなってると思う。

切っているのはキャベツ、白菜、人参、玉ねぎ、ピーマン、大根など。毎晩翌日の三食分の野菜(弁当A、弁当B、夕食)を切るので一人でやるとけっこう時間がかかるのだが、本質的に時間を食ってるのは包丁を持ち替えたり野菜を出し入れする作業だとわかった。カイリキーみたいに手が4本あれば解決する問題なので、人を二人用意して分業するとよい。

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『植物の体の中では何が起こっているのか』を読んだ。

植物生理学の専門家とサイエンスライターが書いた本で、内容はわりと平易。しかし高校生物学の知識は要求されると思う。

光合成の仕組み、植物ホルモン、呼吸と代謝の話がおもしろかった。特に、呼吸と光合成が逆反応になっているところ。最終的に、植物の祖先と動物の祖先が同じ単細胞生物だった話にまでなる。

園芸趣味の観点では「頂芽優勢」の知識が実用的だった。太陽に近い芽が優先的に伸びるよう植物ホルモンで制御されている。

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テキスト生成AIへの期待に現実的なものと非現実的なものがある。非現実的なほうはテレパシーを要求していて、自分の頭の中にしかない、言っても書いてもいないことを言語化してもらおうとしているのではないか。AIが人間の脳をスキャンする世界というとSFっぽくて調子がいいが、人文系からはディストピアだとして糾弾されるやつだ。

9/25(月)占いを都合よく使う、利休はきっと抹茶ラテを認めてくれる

朝起きたら背中がひんやりしていた。あまりに冷たくて「ギリギリ生きてますね?」みたいな体調。冷え性の季節が始まっていることを認識した。

 

しいたけ占いをみたら「外に出て身体を動かすべし」「仕事から離れなさい」みたいなことが書かれていた。「そういえば妙に忙しくて最近休めてないよなあ」と思ったので週末に休みをねじ込むことにした。

占いとはこうやって使うものである。建前。ある種のメタ認知として、無理やり自分の行動を変えるのに便利である。しっくり来る助言だけ取りいれるような、都合のいい使い方をしてよい。

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突如として抹茶ラテのおいしさに目覚める。こんなおいしいものがあったなんて。

利休に抹茶ラテを煎れさせるクソコラがあるが、抹茶ラテはほんとうにおいしいので利休も認めてくれるのではないか。認めてくれない場合は180cmの体躯から暴力が飛んでくるであろう。

 

抹茶グッズというか茶碗と茶筅、抹茶粉は持っていたので自分で作ることにした。ふつうに薄茶を点て少量の砂糖と牛乳を垂らすと美味である。苦味と甘味、それを支える乳のタンパク質が一体となって味わい深い飲みものになる。

9/26(火)朝は余裕があってほしい、モバイルディスプレイ

朝、いつもの時間に起きて忙しく支度をしていたら「朝余裕がなさそうだし、早起きするのが向いてそう」と妻氏に言われた。アッたしかに。

というのも私は朝起きやすいタイプで、いつも7時に起きて8時半まで二度寝をしているのだ。妻氏はつつかれても起きないタイプで対極的。

朝忙しいのは嫌なもので、少しのミスで時間がなくなり慌ててしまう。出社時間に余裕は持たせているものの、出勤が遅れるとそれだけ遅く帰ることになる。これもまた嫌なことだ。

もしかして、私は朝型が向いているのか?と気づいて生活を変えてみることにした。

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モバイルディスプレイを買ってみることにした。スマホを繋いで画面を大きくするのが目的。新幹線移動中、会社での日記に用いる。

サブの目的に、同人イベントでの広告表示がある。お品書きとか漫画、イラストを印刷して掲示するのは毎回手間だし、イベントの机は狭くて掲示できる紙の数が限られている。デジタル表示にしてスライドショーさせたら便利なのでは?という考え。すでにやっているサークルもある。

9/27(水)カメムシ飛散予報、我々は卵を食べている、キーワードでテキストを素描する

7時に起きてオリーブの世話をしていたらカメムシが多いのに気づく。マンションの廊下もカメムシがたくさん。まさか……。

会社の最寄り駅を降りたら地面はカメムシの染みだらけ。ベランダ植物についてるカメムシ量でカメムシお天気予報ができることがわかった。

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ディルにも虫がついていた。

にょろにょろ

これはピクルスに使ったディルの余りを水にさしておいたもの。あわよくば発根させてプランターに植えようと思って室温で放置していたらイモムシが発生したのだ。もともと卵がついていたのだと思う。

幼虫のサイズがこれだと卵は相当小さい。卵がついているか見分けるのも難しいので、ふだん我々は卵を食べていることがわかる。よっぽど嫌な人はしっかり洗うしかなさそう。洗うとハーブの香りが落ちるのが悩ましいところ。

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文章の下書きはキーワードを羅列するだけでよいのに気づいた。テキストを書くとき、我々は「何を書くか」「どんな順番で書くか」「どう表現するか」でそれぞれ悩む。これらの作業を一気にやると頭が爆発するので、問題を分割しよう、というわけだ。

キーワードのメモから清書ができる様子

例えばこんな感じ。これは9/29に美容院に行ったときの記録。左がその場で書いたメモで、右が夜に書いた清書の日記。キーワードだけのメモがあれば、あとは思いだして書けるのだが、逆にキーワードも残ってないと細部が思いだせない。

DPZ古賀さんも同じことを言っていた。

「あ、これはいいな」という瞬間が結構あるんですよね。それをメモしておくんですが、1日のメモの数って4個くらいなんです。そこまで多くもないし、使うところと使わないところがあるんです。使わないところを見返すと、たいしたことじゃないことが書いてありますね……。でも、書いておかないと、「面白い」「家の中でのトピックだったな」と思ったことを、本当に忘れちゃうんです。だから、とにかく忘れないように、「こんなことを話した」というレベルのことでもメモに書いています。

DPZ編集部の古賀及子さんインタビュー 毎日日記を書く原動力は「ひとつもわからないけど、なんだか書けちゃって」 - 週刊はてなブログ

 

キーワードがよいのはぱっと見で把握しやすいこと。キーワードで話の「幹」である「何を書くか」「どんな順番で書くか」が整理されているので「どう表現するか」に注力しやすい。

しかしキーワードは消費期限が短い。特に日記だと、数日後にキーワードをみても細部が思いだせなくなってしまう。寝るまで、あるいは翌朝に清書をして「固定化」するのがよい。

日記だけでなく論理的な文章でも「幹」の整理と「枝葉」の表現の工程分けはできる。より「幹」の整理が大事で難しい、というだけ。

9/28(木)かつてない快眠、台所にコーヒーの海

かつてない快眠ができた。水曜日から「7時以降なら目が開いたタイミングで起きる」実験をしたところ、0時にすこーんと寝てしまった。自然な目覚めに従うと夜の寝つきもよくなるらしい。寝入りがよかったからなのか、起きるのも自然で理想的だった。

朝型だったことを知る

もともと私は二度寝に弱い体質である。土日祝日に二度寝をするとたいてい体調が悪くなるのだ。自律神経がおかしくなるのだと思う。なので平日でも二度寝をせずに一度目で起きるべきなのだ。

早寝早起きになって模範的でよろしいが、この睡眠リズムが万人に合うとは思わない。鍼の先生にも「いつ寝るか、どれくらい寝るか、などの睡眠リズムは人によって異なるから、自分にとって最高の睡眠法を模索するしかない」と言われた。

🍪🍪🍪

ところが調子よく朝の時間を過ごしていたらコーヒーをドリッパーごと倒してしまう。台所の作業台からコンロにかけてコーヒーの海ができた。液体だけでなくコーヒー粉末も混ざっていて面倒なことこの上ない。

観念して掃除をしていたら妻氏が起きてきたが驚かれなかった。「圧力鍋のピンを抜いてシチューを噴火させたときほどのことではない」とクールに対応される。

私はたまに大ポカをやらかす。こぼす、こがす、割る、落とす、シチュー噴火。調子がいいときほどぼーっとしていて注意が欠陥するのでコーヒーの海ができるのである。どうしようもないのであまり気にしてはいない。

9/29(金)バカンス実施、頭の整理とメモ帳

休みの日。予定通り「バカンス」にした。

家でゆっくりしたあと美容院へ行き髪の毛のみじかみを得る。そのあと北白川でラーメンを食べ、川端のホームセンターで園芸コーナーを眺めて帰ってきた。

自宅に戻ったら昼寝をして夜になった。大残業をした妻氏と合流し月一社交ダンス指導を受ける。

 

ダンスの先生と姿勢の話をしていたら「家の中でもヒールのある靴を履くと姿勢がよくなる」ことに気づいた。よい姿勢は背骨を立て続けるので、かかとの支えが大事なのだ。

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LogSeqというアウトライナーを知り、調べたが宗派が違うと判断した。私はWorkflowyのままでよさそうである。

なぜなら知識や考えを整理するには木構造のアウトラインがあればじゅうぶんだから。

人間にとってわかりやすいデータ構造は木構造である。木構造とは本で言うと章、節、段落みたいな構造のこと。あらゆる本、お話が木構造になっていることからも、普遍的な把握方法なのがわかる。

 

高度なメモ帳には、タグでドキュメントを横断管理する仕組みがあるが、タグをつけただけでドキュメント群が構造化されることはない。タグのついたドキュメント相互がどんな関係にあるのかはタグ付けだけでは表現されないし、タグをたくさん含む長いドキュメントがリンクされても何が関連するのかわからない。結局、人間が整理する必要がある。

タグに価値があるとしたら「忘れてしまったドキュメントを掘り起こす」機能だろうか。構造化ではなく、偶然性による知識の再発見である。Scrapboxなんかはそういうデザインになっていると思う。タグをつけたら思わぬドキュメントが発掘される体験。しかし忘れているのなら「今ここ」では必要のない知識なのだと思う。

これは私の思想だが「脳は必要なら必ず思い出す」はずである。具体的な名前が出てこずとも「あのときのあれ!」という感覚で想起される。

そう考えると、複雑なメモ帳を好む人は、忘れることを恐れているようにも思われる。「必要なら必ず思い出す」とは対立する考え方だ。

ものごとは忘れてしまっても構わない。それよりも、「今ここ」で整理することが大事である。混乱した頭を、テキストを使って整理するのが書きながら考えることの本質なのだ。

中秋のめん月