12/16(土)京都の菜の花は冬に咲く、意外と近い植物と動物
インド料理屋のタルカに行こうとして敗北。開店時間のちょっとあとに訪問したらすでに長蛇の列ができていた。1時間近く並んでまで食べようとは思わない。諦めた。
代わりにどうするか。京都市民よろしくパンを買って済ませる手もあったが、なんとなく近くのホテルのレストランに入ってみた。
高いレストランではなく、サラダと飲みものがビュッフェ形式で、メインだけ調理されて出てくるやつ。ホテル朝食とレストランの間の子みたいなもので、なかなか合理的な仕組みだと思った。
味はそれなり。サラダを食べまくれるのは便利である。
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なぜかスーパーに菜の花が売っていた。旬なのかどうかわからないが安いので買っておく。なんで冬に売ってるの?
調べてみると京野菜だった。やっぱり菜の花は春だよね。京野菜に冬の菜の花があるらしい。不思議だなあ。
スープやパスタにしておいしく食べている。
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学位としては情報系なのだが、なぜか生化学への興味が強い。趣味で代謝回路の勉強をしていたりする。
この日は「カロテノイドはなぜ赤いのか?それに抗酸化作用も持つのか?」という疑問を調べていた。つまり、色の濃い野菜が抗酸化作用に富むのはなぜなのか、という問いでもある。
答えは共役二重結合の存在だった。
二重結合と単結合がぐねぐね連なったもので、たくさん繋がっているからちょっとくらいエネルギーをもらってもうまく発散できるようだ。カロテノイドが光を一部吸収すると色素になり、一重項酸素(酸化物質)からエネルギーをもらうと抗酸化能力になる。もともと植物が光合成をするときに発生する物質が一重項酸素で、動物の体内でも発生するからカロテノイドが有効なのである。
http://www.noden.or.jp/asset/00032/Plant_Biotechnology_Laboratory/bio2016_07.pdf
12/17(日)豚肉は短冊状に切るとうまい、終電という記号
また鳩に襲われた。
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豚肉は塊で買ってきて短冊状に切るのがいちばんおいしいと思う。こんな形。
青椒肉絲に入っている豚肉に似ているかもしれない。肉はある程度厚く切ったほうがうまいのは自明っぽい。料理にもよるが1cm角で長さ5cmくらいがベストだと思う。
面倒だが自分で切らないといけない。売られているのは見たことがない。肉屋にあるのは塊か薄切りだけ。薄切りはスライサーで自動化されているのだろう。
ベーコンなら短冊状のものもあるのだけども、生肉だと無理なようだ。がんばって自分で切るしかない。
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『野ネズミとドングリ』を読んだ。
とある生態学者が「アカネズミにドングリを与えると死んでしまう」という現象を見つけたところから始まる研究の物語。ネズミはドングリをよく食べて冬を越すのになぜ死んでしまうのか?謎を解決する研究者半生の話であった。
原因を究明するところまではおもしろかったが、後半はつまらなかった。
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サークルのSlackで「どうやってお付き合いの状態から同棲の状態に持っていくのか」という問いを見かけた。
最初のハードルは家に行くことなのだと思う。下宿の学生だったら簡単。家が近いので自然と家に上がりこむ機会はできる。
難しいのが電車とかバスを使う人たち。互いに離れた場所に住んでいると、なかなか家を訪問するとっかかりがなさそうである。だから「終電」という記号ができるわけだ。
12/18(月)e-honを使ってみた、読書で何も得られなくてもいい
e-honで注文した本を受けとった。e-honは自宅配送ではなく最寄りの書店に配送するサービス。そのためなのか、発送されるまで2週間くらいかかった。裏側に取次ネットワークがあるのだろう。在庫を前提にしたインターネット本屋さんなのではなく、出版社からの取り寄せ窓口が集約されているだけなのだと思う。
発送されたらメールが届くので近所の大垣書店に行き受けとってきた。代金は店頭で支払う。ついでにいらん本を買ったりもする。
書店には私の注文した本が入った箱が届くようで、書店員が店舗の在庫を集めたりはしないようだった。『訂正可能性の哲学』なんかは売り場に並んでいるのに注文してしまったので、無駄なことをした……。
いろいろとアナログな仕組みを感じる本通販だが、手に入れば何でもいいので今後も使うことにした。本は積みまくってるのですぐ届かなくていい。
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読書メーターに感想を投げると、同じ本を読んだ人からいいねがつくことがある。私は半分くらいの本に対しては酷評をしているのに、それでもいいねがつく。いいねをつける人はだいたいその本を褒めている。なんで褒めている人が酷評にいいねしてくるのかよくわからない。
というか読書メーターの感想には酷評があまりない。皆さん「この本はクソだ!」とか思わないのだろうか。読書は時間がかかるから「何か得たことにしたい」という気持ちもわからないでもないが。
でも、時間をかけても失敗することはある。ダメな本はダメである。ダメだったときは自分の審美眼を呪って反省するのがよい。買う前に鋭い嗅覚でダメ本を見つけられるようにするのだ。
12/19(火)問題を理解させるハードル、わやのわや感
「バカなふりをして質問をすると他人の頭を使える」というテクニックがある。古くから2chでも使われていた方法で、お仕事でも有効だ。
このテクニックの派生として「めちゃくちゃわかりやすい資料を作ると他人の頭を使える」という方法があるのに気づいた。単に「バカなふり」をしているだけだと簡単なことしか聞けないが、資料を作ったうえでバカになると難しいことも聞けるようになる。難しいことを質問するには、がんばって問題を理解させないといけない。このハードルがいちばん高い。
人生相談、お悩み相談とかでも似たようなことがあって、悩んでいる人のことを外からみると「そもそも何に悩んでいるのかよくわからない」ということが多い。とにかく喋ってくれないとわからないのだ。どんな問題も人に理解させるまでが勝負である。
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月一社交ダンスレッスンの場所が変わって謎の古いビルにあるダンス用の部屋を使うようになった。オーナーが元ボディビルダーのおじいちゃんで、余った部屋をダンスとかバレエをする人に貸している。
オーナームキムキおじいちゃんはビルの中をフラフラ徘徊していて、帰り際に挨拶をしたら「寒いから酒を飲んでわやになっている」と恥ずかしそうに言われた。
後日このことを会社で話したら「わや」という言葉の意味がわからない人が続出した。どうやら西でしか通じない言葉らしい。「めちゃくちゃ」という意味である。
「わや」にはわや感がちゃんとあるので日常に取りいれていただきたい。
12/20(水)せかせかしても無駄、頭の中の机に信楽焼が生える
自転車で移動していると、たまにものすごい飛ばしている人がいる。おっさん、主婦、老人、あまり属性は関係なくせっかちかそうでないかがあるようだ。
しかし飛ばしている人がびゅーんと過ぎ去っていってもだいたい信号で追いつく。私は20km/hも出してないはずなのだが、信号で待つ時間のほうが長いのである。
よっぽど運がよければすべての信号が青のタイミングで交差点に差し掛かり、停車することなく目的地に行けるのかもしれないけれども、たいてい体力の無駄である。ちんたら走ったらよろしい。
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デイリーポータルZが独立するとの報。
実はRSSの誤配信をキャッチしており、午前11時半くらいに知ってた。は〜そうか〜となってまわりに噂話をしていたら午後になって発表される。そうか〜屋根がなくなるのか〜。
編集部員たちの生活が持続可能なのか気になるところだが、それよりもDPZが終わるリスクがある、というところが心配になった。いや、もともと赤字で運営会社の偉い人から白い目で見られていたとは思うのだが、ついに行くところまで行ったな、という感想。
前からはげます会に入っているので引き続き支援をしていくのだが、さすがに一万円はご勘弁願いたい。インターネット黎明期世代には社長や大学教授になった人がそこそこいるので、そこからぶんどっていただこう。くそまじめな世の中にいらんもんを増やすために必要なのだ。できる範囲で助けていきたい。
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頭の中が混沌としていたので日記にびゃーっと書いたら、スッキリして書きものができるようになる。
毎日の日記は頭のなかの「机」を片づける作業である。放置すると「机」に信楽焼の狸とか巨大鏡餅などが置かれて作業ができなくなるので、そうなる前に「モヤモヤ」を文字にしないといけない。
「机」のお片付けを一人ではできない人は多いらしい。衆人環視のSNSとかに頭の中身をぶちまけているのはそういう事情なのだろうか。なんでもいいから片づけたらいいよ、とは思う。
厄介なのは「机」が狭くなる体調。健康管理をミスるとたまに「机」が極小になって、本当に何も考えられなくなる。そうなったら寝るしかない。『うつ病九段』を読むに、うつもそういう病気であるようだ。「机」が狭くなると簡単な計算もできなくなる。たしかに脳の病気っぽい。
12/21(木)ザワークラウトのクオリア、目的なく散歩をしたい
紫色のザワークラウトができた。
この頃我が家には紫色のキャベツ、紫色の玉ねぎばかりある。健康趣味の一貫として色の濃いものを食べるのだ。
ちょうど前のロットのザワークラウトがなくなりそうになったので、こちらも紫色で仕込むことにした。
すりおろし、揉み、瓶に詰める。溶液は綺麗な紫色になった。どこかアメリカの食べものみたいな趣。
この紫色はアントシアニンである。アジサイの色。pHによって色が変わるのが特徴で、アジサイだと土壌のpHを反映するという雑学がよく語られる。ザワークラウトだと発酵が進むにつれて色が変わるはず。食べ頃が可視化されるのではないか。
漬けて一週間くらい経ったらこんな色になった。若干淡いかな?という感じ。もしかすると乳酸菌がアントシアニンを分解しちゃっていて指示薬になってないのかもしれない。
味はよい。黄色いキャベツよりも臭みがないような気がする。今後も紫色でやっていきたい。どうでもいいが、古いラノベ世代は紫色と聞くと『紫色のクオリア』が連想される。よいSFだった。
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鍼にいったら初めて「腎(体力の指標)が下がっていない」と言われた。豆のおかげだ。実感としても体力は増えていて、疲れにくくなってきている。
代わりに「心(ストレスの指標)の低下」を指摘された。体力が増えたら調子にのって仕事に投じてしまうのである。
「(ストレスを減らすには)ぼーっとしたらいいですか」「運動がいちばんです」と言われた。う、運動苦手……。
目的地なく散歩できる性格だったらよかったのだけども。
12/22(金)態度が読めない人もいる、「コミュニティ」の利害関係の変化
人間関係の問題は「態度が悪い」で九割説明できるのだが、説明できたところで対処できるわけではない。態度とは非言語的なシグナル、表情とか声のトーンなど、よっぽど訓練しないと制御できないものである。
意識高い記事でよく言われるようにコミュニケーションで伝わる情報の大部分は態度である。悪い態度は一瞬で伝わるし、逆に態度を読みとってもらえないといって怒る人もいる。態度としてこれ見よがしに出してるのに無視されるケース。喧嘩のバチバチしたあの感じですね。「わたしの機嫌をとれ」というシグナル。
困ったことに態度をまったく読めない、読むセンサーが備わってなさそうな人もいる。ふつうは態度で伝わることに甘えて「はっきり言うのはよしておこう」となるものだが、センサーがない人にははっきり言わないと、逆に問題が起きることがある。慣れるとセンサーあり人種かどうか見分けがつくので、覚悟して言っていくしかないのだと思う。
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インターネットでよく言われる「コミュニティ」という言葉に違和感がある。コミュニティとは共同体のことで、近くの土地に住んでいて利害関係をともにする人たちである。「仲間内」とか「身内」みたいな要素は「共同体」の本質ではないと思うのだが、インターネットで使われる場合は「利害関係」ではなく単なる「身内」の意味になる。
ということは社会学でも認識されているようで「人が集まっている」くらいの意味しかないことがわかった。
オンラインコミュニティでも何らかの利害関係はあると思う。それが「共同体」の利害関係とは異なっているのが違和感の正体だ。
サロン的なシステムであれば金銭とメンバー限定情報の交換だし、それ以外はたいてい承認を通貨とした関係である。単に人が集まっているということはあり得なくて、誰もが何か目的をもって集まっているのだ。その形が情報や承認というこれまでになかった形をしているから、コミュニティと言われてもピンとこなかったのである。