しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/01/28 たのしいキッチンドランカー、三条御池に違和感を覚えたら京都人、神絵師の手を切る罪

1/20(土)

二度寝をしようとしたらモルモット氏のPUIPUIが止まらなくなった。野菜をあげても牧草をあげても許してくれない。王よ〜。

我が家の王

🚲🚲🚲

自転車の進化に取り残される

妻氏が起きてきたら家事をして自転車屋へ。私は新車を受けとり、妻氏はヘルメットを買った。妻氏も自転車通勤体制を強化するらしい。

ライト、鍵ホルダーを付け替えてもらい新車が完成。乗って帰る。ちゃんとフィッティングをしたのでだいぶ漕ぎやすくなった。すでに💯。これで自転車通勤しまくり勝ちまくりである。運動をいっぱいするぞ。

 

ところが家に帰って停めようとしたらロードバイク用のスタンドが合わなかった。
ロードバイクは外付けのスタンドが必要なのだが*1、十年の時を経て自転車の形が変わり、スタンドがつかなくなってしまったのだ。

再び自転車屋へ行き新しいスタンドを買って停められるようになった。つかれた……。

詳しくはこちら: ディスクブレーキロードバイク購入前に確認!スルーアクスル規格ガイド
つまりクイックリリース → スルーアクスルという変化があった。

🚲🚲🚲

社会的欲求の「平等」は難しい

20世紀は共産主義が終わった時代だった。たくさんの独裁国家ができてたくさんの人が死んだ。

なぜ共産主義はそれほどまでに力を持っていたのか。人気の秘訣はなんだったのか。
『独裁者の料理人』を読んでからそれが気になっている。

そのうち本を探すとして、自分で考えてポイントだと思われたのは「平等性」である。

当時の貧しい人にとって「平等性」は食っていけることを意味する。20世紀初頭には緑の革命も起きておらず、家に冷蔵庫もなかった。貧富の差も大きく、「平等」な生活水準は自分より上であることが期待できて共産主義を支持するメリットがあったはずである*2

革命を実行する指導者および党にとっては「平等」理念は正義である。「平等」は現実的には不可能だが、それを目指すことは「正しい」ので止めるのが難しい。それに「社会に平等を与える指導者」はかっこよく見えただろう。

 

いまの「平等」には何が求められるのか。

「食えること」の実現は容易になった。健康さはともかく腹を満たすだけならば毎食500円あれば余裕である。300円でも無理ではない。

マズロー云々で考えると次に求められるのは社会的欲求になる。人に尊敬されたり、まともに扱われること。それが昨今の多様性をめぐる政治状況なのだろうか。

食糧供給は量産技術で解決した。物の話なのでわりあい簡単だ。
「まともに扱われること」つまり個々人の人間関係は技術でなんとかなる問題ではない。ここに次の「平等」の本質的な難しさがある。

1/21(日)

新刊を出すと人が来る

関西コミティア当日。インテックス大阪まで行って同人誌を売ってきた。
売れゆきはけっこう良くて満足いく結果だった。新刊を出すと買ってくれる人がいるのだなあ、と思った。
中にはイベント会場で新規ファンになってくれた人もいて、全巻買っていってくれた。ありがたいことである。

売り場

moko-oxygen.booth.pm

買ってね!!!

🚃🚃🚃

見本誌コーナー工作活動

今回から見本誌コーナーが完全復活していた。

https://www.comitia.co.jp/beginner/ippan.html より引用

見本誌コーナーとは各サークルの新刊だけが集められた立ち読みスペースで、いろんなサークルの同人誌を手に取って吟味できる。コミケやスパコミみたいなふつうの同人イベントではスペースへ行って書き手の前で立ち読みをするので気をつかう。サークル側の人も緊張する。見本誌コーナーには本しかないので気にせずチェックし放題である。

そんな大事な場なのだが、コロナ禍の犠牲になっていた。いちばん感染対策がきつい頃には見本誌コーナーそのものがなくなっていたし、昨年の五月、九月のコミティアでも滞在時間などの制約があった。今回で制約が撤廃され、ようやく正常化したのである。

 

復活した見本誌コーナーで本を読んだあと、自分のサークルの新刊を見つけた。
少し奥まったところに置かれていたので、机の端っこの見やすいところに移動させる。

見本誌コーナーがあると、こんなセコいこともできるのである。

1/22(月)

本来は労働日だったが、コミティアの疲れを癒すために休みにしておいた。昼に起きてきたので大正解。買い物と料理、読書をしただけで終わった。

🛏️🛏️🛏️

たのしいキッチンドランカー

手羽元の赤ワイン煮込みとペペロンチーノを作る。

煮込みは琺瑯鍋を弱火で放置すればできるので、仕込んでしまえば簡単。暇になったのでワインを飲みながらスマホゲームをしていた。こうやって料理の完成を待ちながらお酒を飲む時間がもっとも幸福かもしれない。優雅なようにも見えるがただのキッチンドランカーである。料理酒がうっかり口に入ることがある*3

日本にはない味がしておいしかった

赤ワイン煮込みにはリンゴを入れた。三國シェフのレシピ通りであり、つまりフランスのやり方だ。

食べたことのない不思議な味になった。甘酸っぱい。

🛏️🛏️🛏️

三条御池に違和感を覚えたら京都人

関西の地理がよくわからない。広島出身だから。小学校や中学校で習う地元の地理知識が地味に重要で、これをすっ飛ばした入植者はどこかよそ者という感じがする。今からでもいいから授業を受けさせてくれ。小学生になりたい。ドッヂボールは嫌だけど。

鉄道に対する感覚も違う。最初に阪急の特急を見たときは有料列車なのかと思った。広島にあるのはJRの特急料金くらいである。私鉄といったら路面電車で各停。長距離の鉄道は基本的にJRである。
そののち東京に行ったときは山手線がJRでびっくりした。JRってそういう存在?関西だと阪急や京阪や近鉄、メトロなどの私鉄が強いので。

他にも奈良とか大阪の市の名前を聞いてもピンと来ないし、とにかく基礎知識が抜けている。地域ごとの移動文化、地名、土地の雰囲気などは地味に重要な知識であり、これが抜けていると住んでいても馴染んでいない感じがしてくる。

あっでも京都の通りはちょっと覚えている。マイナーなところでなければ「三条御池」と言われてもすぐにわかるような感覚。京都に関してはこれで良いのかなあ。

通り平行のはず 京に謎の交差点(もっと関西) - 日本経済新聞

1/23(火)

ニュー自転車で通勤。快適だった。

火曜日恒例の会議祭りをしてレビューをしたら夜に。低気圧で「やる気が出ないな終わろっかな〜」と言っていたらデバッグに巻きこまれて余暇が消し飛んだ。なんで……。

🌪️🌪️🌪️

神絵師の手を切る罪

調理補助の一貫として、妻氏に包丁🔪を洗ってもらっていたら指を切る事件が発生。絵描き兼漫画家様の指の薄皮がすぱりと切られてしまった。

すぐに洗いものをやめさせて圧迫止血をする。幸い傷は浅かったのですぐに血が止まった。

大豆を浸水させてる途中で投げだされた様子

妻氏は不器用でビーカーを割ったり彫刻刀で指を切ったりするタイプ。絵描きの手は大事なので包丁の手入れは自分でやることにした。

ぴゅー

1/24(水)

寒すぎる日。雪が降ると噂され職場もざわざわしていたが積もるほどではなかった。

記録によると昨年の同じ日にたくさん降ったらしい。積もって交通が混乱したのだとか。暖冬であっても季節は正確にリズムを刻むものらしい。

でも、もうすぐ立春。また暑くなるのである。

🧊🧊🧊

わかることしかやらない悪癖をなんとかしたい

私には「問題を解決する方法がわかったらサボる」「目的がわからないことをやりたがらない」という悪癖がある。

「目的が不明なことしてどうするの?」「成果は出ているし別にいいや」と長年放っておいたのだが、昨年この性格を課題に感じる事件があった。
反省して「わからんままやってみる」的な行動を採用してみたが、まだ癖を打破できてない気がする。

「なんで目的がないと嫌なのか?」と内省したところ「行為の意味を把握できてないことをやるのが嫌だ」「理解してること、理解しかけていることならやる」という行動原理なのがわかってきた。とにかく「意味」を理解するのが重要。

アファンタジアの影響もあるとは思う。アファンタジアの意識には音、映像、触覚、味覚、運動感覚のどれもがなくて言葉の前駆体としての「意味」しかないから。
社交ダンスをやっているように見よう見まねはできるのだが、仕事はプログラマという言語を操る仕事なのもあり、どうしても「意味がわかっていること」を重視してしまう。

 

でも「まったく知らないことは意味を把握することすらできない」のである。ダンスのステップの意味がわかるのは、ダンスを身につけたあとであり、やってみるまで意味が取れないことなんていくらでもある。それはプログラマでもそうなのだ。

ということに気づいたので今年のテーマも引き続き「わからんままやってみる」である。わけがわからんことになりたい。

1/25(木)

水曜日になると油断をする

水曜の夜にうっかり夜更かしをすることが多い。

日曜日なら「明日は労働だから体調を整えなければ」と思ってちゃんとした時間に寝る。月曜日もその意識がちょっと続いている。

それが水曜日の夜になると緩んできて油断してしまうのだと思う。

疲れもある。「疲れて休む判断ができなくなる」というやつ。オフィスワーク特有の症候で、肉体に比べて頭が疲れすぎているから判断だけできなくなってダラダラ起きてしまうのかもしれない。

今後は魔の水曜日と認識して木曜日を救っていきたい。もしかすると油断が木曜の夜にスライドするだけかもしれないけども。

🍉🍉🍉

辺鄙な場所では交流できない

あんまり同僚と飲み会、食事には行かないのだけど、それは立地が悪いだけなような気がしてきた。

もしオフィスの近所にいいお店があったら足繁く通うと思う。

 

このごろ日程調整をして大人数を集めるタイプの歓送迎会にしか行っていなくて、そういうのも一定の楽しさはあるのだけども疲れることのほうが多い。
ではなく、当日決まってそのときの気分で食事に行くようなのがよい。人数も最大6人くらいまで絞られてよい場になるのではないか。

しかしオフィスは辺鄙な場所にあるのでどうにもならないのであった。

🍉🍉🍉

作るより維持するほうが難しい

プログラミングでいちばん難しいのは、既存のシステムの挙動を維持したままプログラムを書き換えることである。つまり保守とかリファクタリングと呼ばれるもの。

業界内では当たり前の話ではあるのだが、さいきんその手の作業をしていて難しさに唸っている。

文章で喩えると「表現されている意味、語彙の順序を大きく変えることなく読みやすい文章にする」という作業だろうか。細かくちくちくやっていくしかないタイプの作業である。

1/26(金)

珍しくよい目覚め。空腹感あり。冷え性は朝に胃腸がサボタージュしがちなので、起きてすぐ食べたくなるのは稀である。アリナミンを飲んで寝たおかげかもしれない。このごろお仕事の締切ストレスで消耗しがちなので。

 

お仕事は一日中デバッグ。テストを直しCIを直した。Github Actions上のデバッグは実験用ブランチを立ててゴミみたいなコミットを積む方法しかないことを知る。

それでもdockerで再現性が高くなってるから昔よりはマシ。

🎴🎴🎴

『自炊者になるための26週』では自炊者になれないと思う

映画研究者の大学教授が自炊の方法を解説・啓蒙するエッセイ集みたいな本。自炊とは「季節ごとの食材の個性やにおいを楽しむ手段である」が主題。

実際に調理をしまくってきた人のテキストで、本気で自炊をしていることが見てとれた。特に「台所の動線を確保する」「ワインは抜栓して置いといてもいい」「焼かれる肉の気分になる」という知識は参考になった。

 

ただ、この本を読んで自炊者が増えるのか?というと疑問がある。

実践的な知恵が詰まった本なので、すでに自炊者である人のレベルを上げるのには役立つが、あくまで初級を中級にする本であり、初級の人を増やすにはまだ難易度が高いのではないか。世の中には冷蔵庫も包丁も持ってない人がいる。

第三週では「出汁を引く」ことが求められるし第六週では「遠くてもいいから旬のものを教えてくれる八百屋、魚屋を見つけるべし」と言われる。時間感覚がフルタイム拘束される人と違っていて、現実的ではない。

 

生活は自分で作って変えていくものである。前提とされる性格やお仕事の特徴が異なるので、他人の生活様式はあまり参考にならない。

あくまで「すでに自炊者である人」か「自炊者でないことを後ろめたく思っている人」のための本だと思った。

*1:つけることもできることがある

*2:実際には共産主義国家では飢える人が多かったが

*3:料理にはいい酒を使うべし