しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/04/01 ジャンボピーマンデカチャンプ

3/23(土)

疲れで寝たり寝たり……。夜に風呂に入った頃に回復した。

💻💻💻

モルモットを鎮圧しないでください

不思議の国のアリス』を読んだ。

あまりにも有名なお話なのに内容を知らなかった。「うさぎを追って穴に落ちる」くらいだと思ったらもっと複雑。たくさん動物が出てきておかしなことばかり起きる。
正直なところ、かなり狂った物語だと思う。そして狂ってることが掛け値なしに素晴らしい。予測ができないから次に何が起きるかわからない。これこそが物語である。

💻💻💻

なぜかモルモットが三回登場する。当時の英国でも有名な動物だったようだ。

外には小さなけものや鳥たちが大勢群がっていました。真ん中には気の毒な小さなトカゲのビルがいて、二ひきのモルモットに支えられ、びんから何かを飲ませてもらっているところでした。
p.57

「まったくつまらんのはおまえの話しぶりだ」と王様。
ここで一ぴきのモルモットがおもしろがって歓声をあげたので、たちどころに法廷の役人たちに鎮圧されてしまいました。(これはかなりむずかしい言葉なので、どのようになされたか説明しておきましょう。口のところをひもでぎゅっとしばれる大きな粗布のふくろを用意して、これにモルモットを頭からほうりこみ、その上にすわったのです。)
p.155

「知ってることがそれだけなら、さがってよい。」王様が続けられました。
「さがるといっても、これ以上、低くはなれません」と帽子屋。「床にひざをついておりますので。」
「では、尻もちでも、つけ。」
ここで、もう一ぴきのモルモットが歓声をあげて、鎮圧されました。
「さあ、これでモルモットはいなくなったわ。」アリスは思いました。「少しは先へ進むでしょう。」
p.156

全体的にモルモットの扱いがひどいのだが、そもそも『不思議の国のアリス』ではどの動物の扱いもひどいので大丈夫。モルモットがおもしろがって歓声をあげるのがかわいい。今ならモルカーのおかげでみんなわかるだろうけど、本当にPUIPUIというか、キュイキュイと鳴くのである。

3/24(日)

小麦食品は水を吸う

謎にテンションが低い一日だった。春にやられているのではないか。

 

あまりに気力がなくて夕食をマクドナルド🍔🍟にしてしまったのだが、マクドナルドの食べものは何を食べても飲みものが欲しくなる。たしかコーラを飲むように設計されているとかいないとか。飲まなければお腹のなかの芋と小麦が重くなって苦しむ。よく設計されたファストフードだ。

「小麦製品は水分含有量が少なくて消化が大変なのでは?」という仮説が出てきた。調べてみると、パスタ、パンなどは40%くらいが水分なのに対し、お米は65%である。ただし小麦食品の例外がうどん。うどんは茹であがりで外側が80%、中心部が50%だそうな。お米に近い特性になりそう。なるほどうどんが消化に良いとされるわけである。

今後は体調に応じて穀物の水分量を変えようと思う。明らかに今日のマクドは失敗で、お粥とかうどんを食べるべき体調だった。うどんは好きじゃないけど……。

🐌🐌🐌

ジャンボピーマンデカチャンプ

そろそろ春なので種まきをする。この夏のプランター布陣をどうするか考えたところ、唐辛子とトマトで迷ってトマトを植えることにした。なぜならインドカレーとパスタでよく使うから。実用重視である。

唐辛子も魅力的だったのだが、気になった品種がそれなりに辛いことがわかったのでやめた。

dailyportalz.jp

玉置さんが記事にしていてさすがである。

www.hotpepper.jp

内藤唐辛子というやつも気になったが、今は種が手に入りにくいようだ。

 

種ショップで目についたのがジャンボピーマン デカチャンプという品種。

味も大きさもチャンピオン級
ピーマン好きにはたまらない食感!
ソフトボール大のビッグサイズのピーマン。苦みが少なく、肉厚で甘みたっぷり。サラダにもおすすめです。
とのこと。

レビューもおもしろくて
ソフトボールくらいの大きさになる予定で頑張りたい」
と書かれていた。来年はこれにしよう。

木星サイズ

3/25(月)

ストレスは考え方を変えると減らせる

ストレス管理がうまくできてないので鍼のせんせーに「ストレスってもしかして強敵なんですか?」と聞いてみた。
「ストレスはバランスが大事で、なさすぎるとモチベーションが消滅してやばいし、ありすぎるともちろんダメ。ストレスの原因はたいていなくならないから、考えかたを変えたりすることでストレスをストレスじゃなくし中庸にしていくのがよい」
と、いいことを言われた。

「五年前の悩み言えますか?」問題とも似ている。慣れと工夫でどうでもよくなることがある。
強すぎるストレスでないならば、うまくいなす方法を編み出していくのが良いのだろうな。

🀄️🀄️🀄️

利害があると仲良くなれない

「雑談は利害関係のない人がいちばん」という真理に気づく。

どんな人間も良いところと悪いところがあって、全部良い人は存在しない。良いところは遠くからでも見えやすいが、細かい欠点は近づかないと見えにくい。ふつう隠すから。隠されていても、仕事とか取引とかの真面目な関わりでは、しばしば相手の欠点が見えてくる。一度欠点に気づいてしまうと、その人とはあまり楽しく喋れなくなる。雑談をしてても「でもこの人の仕事ぶりはあれだよな」とよぎってしまう。

おもしろいのは、利害関係がなくなってある種疎遠になるとまた楽しく喋れるタイプの人もいること。「仕事で関わらなければいい人なんだけどねえ」みたいなやつ。

もしかすると「部室」概念とか飲み友達みたいなのも利害関係がない限りにおいて成立するのかもしれない。パートナー関係は利害と雑談の両面でうまくいくのが理想なので、親密な関係は難しいことがわかる。

3/26(火)

お仕事のトラブル収拾をやってたら12時間くらい労働していた。

🌶️🌶️🌶️

リリースしたサーバーの挙動がおかしくてデバッグで活躍する。チームは大混乱に陥ったが、一人だけ冷静で素早く原因を突きとめることができた。

「私って鉄火場に強いタイプだったんだなあ」と得意に思ったが*1、よく考えるとそもそもバグが出ないのが一番である。ノーイベントグッドライフがいい。

3/27(水)

朝に走ったら身体が軽いことを知る。だから朝のランナーが多かったのか。朝は体内の水とか食べものが少ないわりに体力が回復してるので楽なのかもしれない。
それがわかったところで、早寝ができないから朝に走るのは不可能なのだけども。

🐸🐸🐸

経験は貴重な資源である

何年かやってた仕事に区切りがついたので今後の身の振り方について考え始めた。

これまでは「ややこしい問題を解く仕事が好きなのだ」という看板を掲げて仕事をしてきたが最近はそうでもない。たしかに難しい問題を解決するのは得意なのだけども、好きかというとそうでもない。今は書きもののほうが楽しい。

 

もともと功名心は乏しいし、年々感情的な執着も薄くなってきている。別に私が難しい問題を解かなくても、同僚に任せちゃえばそれでいいのではないか。プログラマが苦手な書きもので同僚たちをサポートし、勝手にものができてお給料がもらえるならそれがいちばんではないか、という考えすら出てきた。

私は運が良いようで、入社して以降おもしろい仕事ばかり任せられてきた。他の人にとっては喉から手が出るほどやりたかった仕事だと思う。これを独り占めし続けるのも悪いし、私にだけ経験が集積するのはリスクがある。

つまり経験は希少な資源なのだ。独り占めするより分け与えたほうがいい。文章や動画で、経験のエッセンスを具体的なエピソードを添えて説明する。そういう経験知を結晶化させるのに趣味でやってきた読み書き言語化修行が役に立つ気がする。

3/28(木)

社内イベントでの発表も終わって怒濤の三月が終わりつつある。この二週間はやばかった。今週は入社して以来最高の忙しさだったような気がする。

しっかり休んでいきたい。無論、次の締切りがまた来るのだけども。

🎰🎰🎰

家庭料理の味は金を出しても買えない

『おいしいものでできている』を読んだ。

イナダの食のこだわりを語ったエッセイ集。「ミニマル麻婆豆腐」の節でいいことが書かれていた。

でも自分が積極的にそれを使うことはまずありません。その理由を一言で説明するなら、「クックドゥなんか使っちゃったらお店みたいな味になっちゃう!」というところでしょうか。せっかく家で作る料理なのにありふれたお店の味になってしまうのは、それがたとえ文句なくおいしかったとしても勿体ない!と思ってしまうのです。
p.178

結論から言うと、僕はこの麻婆豆腐がとても気に入りました。「ミニマル麻婆豆腐」と勝手に名付け、今でもよく作って食べています。もちろん簡単ですぐにできる割においしいから、という理由もあります。でも単にそれだけのことではないのです。これはお店で食べる、あるいはクックドゥで作る確実においしい「四川麻婆豆腐」の代用ではありません。むしろそういう麻婆豆腐は日本中至るところでいつでも食べられます。でも「ミニマル麻婆豆腐」のシンプルな味わいというのは、実はお金を出しても買えないんです。作るしかない。今やこういうものこそが家庭料理ならではの価値のひとつなのかもしれませんね。
p.181

家庭料理の味は金を出しても買えないのである。何か工夫をしてそうなるというよりは、素朴に作ったらそうなるというだけなのだが。
他にもポテサラやコロッケの話で同じことが言われていた。「コロッケを自分で作ったら惣菜とまったく別のものができるでしょう?」と。
我が家は作ったことがある。それはおいしいものだった。かなり面倒なのだけど、たしかに自炊でしかできない味だった。そういう素朴な味の外食は駆逐されて、外の味は均一になっている。どうにかならんものだろうか。

3/29(金)

プランはお茶を飲む余裕から

今週はとみに疲れたのであえてゆっくり仕事をする。お茶を煎れて飲みながらぼーっとメモ帳を眺める。

 

だらだらしていると勝手に今後の仕事の計画が思い浮かぶ。どの仕事を優先したら最適になるか、あれは後回しでいいや、など。
これってPDCAのPなのだな。プラン、計画。しばしば現実の仕事ではPとCとAが抜け落ちるものだが、大事なのはPである。できない人がそれなりにいるし、できる人も忙しいと忘れてDDDDしてしまう。
Pをちゃんとやるのに必要なのは、お茶を飲む時間である。まったりお茶を飲んでリラックスしていると、自然にやりたいことが浮上してきてやる気も出るのである。余裕がなかったり、急かされるのがいちばんダメ。

🍵🍵🍵

説明せよ説明せよ納得させろ

妻氏の会社のとあるマネージャー配下の人が辞めまくっているらしい。今の人はどういうときに辞めるのか、どういう環境になら残るのか?を考えたところ「ちゃんと説明されることが大事」なのに気づいた。
私の世代も含め、納得できないことがあるとそれに耐えられず去ってしまう*2。説得されること、説明されることが大事な世の中になってきているのだ。やたらと言語化にまつわるビジネス書があるのもそれが背景。

 

やや問題に思うのが、説明する - 説明されるの関係に権力勾配があること。うまい説明をして納得させてくれる人は人気になり、権力を持つようになる。インターネットでもよく見られる構図ですね。

また、説明は論理的に正しくなくても良い、という性質がある。大事なのは聞き手の納得であり正しいことではない。もちろん聞き手にとっては正しいと思われるのだろうが、客観的にみるとおかしな説明で人が説得されちゃうことはよくある。

これらの観点を総合すると「リテラシーを身につけましょう」みたいなつまんない話になるのだが、騙されないためには実際に必要なのだからしょうがない。事実の認識と論理的正しさの検証はできたほうがよい。

 

私としては権力が欲しいわけではなくて*3、単に好奇心であらゆることを調べて理解するようにしている。結果として、よくわからん説明とか常識から自由でいられるのが便利だが、あくまで趣味として深い理解が得られるように本を読むのである。

*1:メトリクスが整備されてたおかげでもある

*2:説明の技術が低いとロジハラと言われるのですごい社会だと思う。洗脳は態度も含めてうまくやりましょう。

*3:権力が欲しかったらバズるタイトルにして記事をわけるべきである

週報 2024/03/24 麺の太さ戦争

3/16(土)

お香エンターテインメント

お香を買ってみた。薫玉堂のお試し用16本入り台座付き。

目的はリラックス。しばしば頭を使いすぎて体調が自爆するので、匂いでぼや〜っとできないかと目論んでいる。それはそうとして、家でいい匂いがしてたらうれしい。

意外と簡単にお香を試せた

豆皿に乗せて点火。けっこうな勢いで煙が出てきた。もわもわもわもわ
この煙がなかなかおもしろいエンタメだった。不規則にゆらゆらするので見ていて飽きない。匂いに頼らずともこの煙を見ているだけで頭を空っぽにできるかも。

ジャパニーズワビサビ

お香が消えると茎みたいな灰が残った。お香に火をつけたら煙の花を咲かせ、灰が残る。侘び寂び的サムシングが感じられる。

部屋にはしばらく残香が漂っていた。数時間経ってもうっすら香る。

🚍🚍🚍

バターの暴力

イナダのレシピを写経し、その通りにパスタと蒸し野菜を作った。

多すぎるバターは身を滅ぼす

パスタは大量のバターで細切りピーマンを炒めて麺を和えただけのもの。バターは二人で30グラム。あまりに多くて日和ったのだが「最初はレシピを守らなくちゃ……!」と信じてそのまま作ったらやっぱりバターは多かった。私はおいしくいただけたのだが、妻氏が降伏。海外旅行でバター責めに会ったときのトラウマによりたいへん苦手らしい。次は10グラムにする。

🚍🚍🚍

バターはフランスの煮干し

バターを使うと簡単にパスタがまとまることがわかった。なんというか、パスタはオリーブオイルと大蒜で作ると麺と油脂がバラバラな味になることがある。乳化の難しさだと思うのだが、バターを使うとこの問題が起きにくいようである。

なるほどこれは昆布や煮干しなのだ。日本でイージーに使える旨味物質があるように、フランスやイタリアにもバター、生クリームがある。入れるだけで簡単に料理がまとまり、うまくなるもの。

だが、イージーな調味料こそが文化的な壁になる。三國シェフは「生クリームをドバドバ入れるフランス人にはなれない」と理解して日本に帰ってきた。我々はバターびちゃびちゃ生クリームドバドバには耐えられないのである。煮干しはなんぼでも入れられるのに。

どの文化の料理にも、イージーな調味料はあるはず。人類のうまいものへの欲望は普遍的であり、誰もが楽をしてうまいものにありつきたい。その結果としてバターや煮干しがよく使われるようになったのである。しかし、我々がバターに耐えられないようにモンゴル人は和食を食べても「ぜんぶ魚味じゃん。羊肉のほうがいい」となるかもしれない。イージーな調味料は幼少期からの洗脳で適応するので、そこに分厚い食文化の壁ができるのだろう。

3/17(日)

料理は技術か素材か問題

『ミニマル料理』の凝縮ポモドーロを作った。

  1. オリーブオイルと塩をフライパンに入れる
  2. 半割りにしたトマトを並べ蓋をして火にかける
  3. トマトの皮をとって潰しねっとりするまで煮こむ
  4. パスタと和える

これだけ。ニンニクとかチーズを入れてもいいのだけど、あえて入れないで作ると上品な酸味とトマトの旨味が感じられてうまかった。
たしかにイナダ氏の言うような「高級店のシンプルさに通じる味」が感じられる。

放置するとソースになる魔法

ただのスーパーのトマトが高級な味になるということは、高級店の味は素材のコストよりも技術が支配的だということである。それが実感できた。
調理技術を高めるほど技術料を支払わずにおいしいものにありつけるのなら*1、これほどうれしい投資はない。料理のやる気が高まった。

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先日の「カレーは玉ねぎ100g/人必要」仮説ですが、実験したところ非常にうまいスパイスカレーができたことを報告しておきます。

🎋🎋🎋

毎日走るようにしてみたら、生活に「走る」コマンドが増えた。例えば次に渡る信号が青になっているとき。急いでなければ走らなくていいのだけども、ただでさえ運動は足りてないので走るチャンスが増えたと思って走ればよい。街中で走るのは目立つからちょっと嫌なのだけども、信号ならまわりの人も納得するはずだ。

3/18(月)

麻疹について調べる。なんでも京都で感染者がちょくちょく出ているようだ。

熱が出るだけでなく発疹が身体中にできたり、後遺症が残ったりとなかなかしんどいものらしい。ワクチンを二回打っておけばかからずにすむというので、できればそうしたい。不幸なことに私の世代は一回しか打ってないのだ。昔から一回しか打ってないことは認識していたのだが、増え続ける外国人観光客のせいで麻疹の流入が活発になってきた。もう逃げられないので病院を探して予約の調整をし始めた。

🎐🎐🎐

自転車通勤をするようになってから気づいたのだが、京都って午後になると強い風が吹くのだ。冬だけかもしれない。夏は暑すぎて意識したことがない。なんで毎日のように4mの風が吹くのかはわからないのだが、自転車で移動してると向かい風になることがあって甚だ不便である。今日なんか7mの風だったし。あんまり風が強いと体力を消耗してしょうがないので、そういう日は別の手段で通勤しようと思った。

3/19(火)

刹那的な欲望に負ける動物と人間

会議だらけで消耗。社内イベントの発表資料を作っていたら21時まで働いてしまった。

自らの家を破壊するおろかなネズミたち

スナネズミの掃除は毎週日曜日に行う。おがくずや牧草、厚紙などでできた巣を破壊し、巣材をほぼ入れ替えてしまう。スナネズミたちは狼狽し、あちこちにおしっこをする。そして失意の昼寝をする。

本当は巣で昼寝をするものなのだが、巣がなくなったせいで回し車の下に隠れて寝ているのが見つかった。熟練のスナネズミならば数時間で巣を再構築するものなのだが、新人スナネズミたちはまだ巣作りが下手らしい。

哀れに思って紙箱を与える。スナネズミたちは喜んだのかどうかわからないが、そこを巣にして昼寝をし始めた。これで安泰。と、思いきや彼らは巣箱を囓りはじめた。スナネズミは厚紙を囓ることを至上の喜びとしており、その欲望にあらがえないのだ。

 

こうして一夜にして彼らの巣は崩壊した。刹那的な欲望に負けて家を失うのはどこか人間にも通じる愚かさである。

あまりに哀れだったので、後日木製の箱を与えた。

⭐️⭐️⭐️

ペンギン・ハイウェイ』を読んだ

あらすじ: 常に冷静で大人びた小学生の男の子「アオヤマくん」が主人公。アオヤマくんは歯科医院に勤めるお姉さんのペンギンを産み出す能力、街に起きる異常現象を「研究」と称して調査していく……。

 

キャラクターがよかった。アオヤマくんは大人びたことばかり言うのに20時になると眠くなってしまうし、まだ乳歯がグラグラしている。お姉さんはアオヤマくんを「少年」と呼ぶし、気分で生きていて何を考えているかわからない。ミステリアスでクールなお姉さんだ。

なるほど、これだけ魅力的なキャラクターを量産するから森見作品はアニメ化ばかりされているのだろう。

⭐️⭐️⭐️

文体は意識をデータにしたもの

お話の筋もおもしろかったのだが、なんというか、文体が合わない感じがした。
『四畳半神話体系』もいまいちキャラクター以外に惹かれなかったので、森見登美彦とは文体が合わないのだと思う。

 

文体が合わないと「この文章何か意味があるのかな?私にはイメージできないんだけど」となる。これは本当に合う合わないの問題で、作者が悪いわけではない。相手は名の知れた商業作家なのだ。お伝える能力に問題があるわけがない。

これもイメージのやり方が異なっているのだろう。お仕事でも文章を書いたとおりに読まれないことがある。逆にその人の文章は読みにくいなと感じる。
文章は意識とかイメージをデータ化したもので、そのフォーマットが人によって微妙に異なるのだ。それが文体だと思う。

3/20(水)

麺の太さ戦争

朝食にそうめん。米ブームに翳りがみえてきて、急にそうめんが食べたくなったのだ。昨夜の夜食にも食べている。また夏にかけて箱買いをするのかも。

たいていそうめんは塩とオイルだけでいただくのだが、今期のブームでは新しい食べかたを発見して試している。時間どおりに茹でたら流水で洗い、水をよくきって皿に盛る。そこにオリーブオイル、酢、塩をてきとうにふりかけまぜて食べる。美味である。妻氏に紹介したら「うどんのほうがうまい」と言って細麺アンチ活動をしてきたので中指を立てておいた*2

麺の太さで12時間レスバができる

酢とオイルでおいしくなるということは、そうめんはサラダなのである。実際サラダの材料として使われることも多いようだ。いろいろと酢、オイルの組み合わせを変えていくとおもしろい味が見つかるかもしれない。

🌜🌜🌜

『一人称単数』を読んだ

村上春樹の短編集。なんだか変な話が多くて記憶に残った。

お気に入りは「品川猿の告白」。
群馬県の古びた温泉旅館に人語を喋る猿がいて、身の上話をしてくれるという話。その猿は意中の人間の女性の名前を盗むことでその欲を昇華させる。猿はもう盗まないと言っていたが、後日主人公の前に名前を盗まれたかのようにみえる女性が現れる……。

3/21(木)

皿数を増やすのは面倒だが味は良くしたいジレンマ

ミニマル料理をやるようになってから「料理は具材を入れすぎたら味がわからなくなる」ということに気づいた。一つの料理に入れていい野菜、肉は三種類か四種類が限度。あんまり増やすと味がぼやけてしまう。雑味も出やすくなるかも。

しかし自炊は現実を生きるための食事だ。栄養バランスと調理の手間を考えると、一つのスープにたくさんの野菜を入れたくなる。こうして、おいしいけどやや微妙な味のスープができる。

素材の味が感じられるおいしい料理にするには具材の種類を絞らないといけない。栄養バランスを考えると皿の数を増やすしかなくなるのだが、手間は増やしたくない。難しい問題だが、酢を使った作りおきなどに活路があるような気がする。冷蔵庫で冷やしてもおいしいままの料理ってかなり限られるので。

👒👒👒

デジタル人間とサービス趣味の問題(未解決)

しいたけ占いに「山羊座はサービスしすぎて自滅するのに気をつけてください」と書かれることが多い。これは私にはよく当てはまる性質で、私は何も見返りが得られなくてもサービスをしてしまうことがある。「わかりやすくなるよう背景からしっかり説明してさしあげよう」とか「この発見(ライフハック的なもの)を記事に残してGoogle検索の糧にしよう」とか。というかこの週報だってそうだ。別にお金がもらえるわけではない。なのに毎日それなりに手間*3をかけて書いている。半分は自分のためだが、もう半分は読者と知人のためだ。サービスするのが趣味なのである。

問題はサービスしすぎて燃え尽きる可能性。疲れてるのに惰性でサービスしちゃうと体調が大変なことになる。何度も自滅してきたので回避できるようになってきたが、今でもたまに自滅寸前までいくことはある。週報以外の仕事とか、生活でのサービスが積もってそうなる。

また、別の性格として「興味を持ったら100%の力でやるが、興味がなかったら0の出力しかださない」というものがある。つまりデジタルな行動様式を持っているデジタル人間である。でじでじ

サービス趣味とデジタル行動様式が合わさると「興味のあるサービス趣味(仕事)には必ず100のパワーを出す」という行動になる。楽しいのだけどたいへんだ。こうして私は日々自滅とのチキンレースをしているのである。週報は効率化を重ねて余裕で書けているのだが、他にもたくさんサービス趣味(仕事)がある。どうにかして50のパワーで済ませていかないとダメなのだろうなあ、と思った。解決策はみえてない。

3/22(金)

業務でスライドを作りながら録音していたら「自分で思っているより喋るスピードが遅い」ということに気づいた。何度やってもそうなる。主観的にはせかせか精一杯喋ってるのに録音だと遅く聞こえるのだ。誰でもそういう事象は起きるのかも?とも思ったが、妻氏によると私はもったり喋るタイプらしい。それに会話に口を挟むのは得意ではない。音ゲーが苦手なタイプ。なので本当にもったりした喋りなのだなと納得した。せっかちに見えるよりは良いでしょうと前向きにとらえている。

🔎🔎🔎

さいきんお茶に凝っている。高い茶葉の味を知ってしまい基準があがってしまったのだ。このままだと破産する……!と思ったが、よく計算してみるとお茶に凝る前は毎日ペットボトルのお茶を買っていた。これがちりつもすると、けっこうな額になる。結局、高い茶葉を買って毎日飲んでもペットボトルお茶と同じくらいの費用になることがわかった。だからといって破産へ向かってはならぬのだが、ちょっとだけ安心した。

*1:技術が高まった先に素材の違いが効いてくる

*2:しょっちゅう麺の太さバトルしてます

*3:毎日15〜30分、土曜日にプラス1時間くらい

週報 2024/03/17 物語に潜るための風呂

3/9(土)

『スパイス完全ガイド』と『ミニマル料理』を読んだ

どちらも稲田俊輔の本。

イナダ氏のレシピは手順が明確でわかりやすいのが特徴。読んだら何をすべきかよく理解できる。料理中は忙しいので簡潔に書かれているのがありがたい。

❤️❤️❤️

www.seitosha.co.jp

『スパイス完全ガイド』は教科書みたいな本。レシピよりもスパイス解説、コラムの文章のほうが多いかもしれない。本当に「完全」なガイドなので、スパイス本で迷ったらこれを買えば間違いない。

 

麻婆豆腐レシピのページに変なことが書かれていた。

イナダのつぶやき: いかなる定義をひねくり出しても麻婆豆腐をカレーから分離することは不可能だというのが僕の見解です。
P.40

「麻婆豆腐はカレーであるか?カレーではないか?」というTwitterネタの文脈を参照している。
私も麻婆豆腐はカレーだと思う。

❤️❤️❤️

www.shibatashoten.co.jp

僕は古い料理本を読むのが好きです。その中でも特に好きなのが50年くらい前の家庭料理本の数々なのですが、そこに掲載されている料理を実際につくったり、レシピから味を想像したりしていると、それは現代の家庭料理とは大きく異なっていることに気付かされます。あえてざっくり言うと、それらはおしなべてなかなかの手間がかかる割に、案外素っ気ない味に仕上がります。
素っ気ない、と言うと悪口に聞こえるかもしれませんが、その素っ気なさは実は極めて好ましいものでもあります。「素材そのものを生かした料理」なんて大上段に構えるつもりはありませんが、ただ、そこには凛とした飽きない味があります。そして少々皮肉なことに、今の私たちが日常的に利用する飲食店よりもっと敷居の高い、いわゆる高級店のシンプルで研ぎ澄まされた料理にも通じるものがそこにはあるのです。昔の人はたちは、こんないいものを家で食べていたのか、という驚きがあります。
P.4 絶対に読んでほしい前書き

手間がかかる昔のレシピを合理的・効率的になるよう再構成したのがミニマル料理である。高級店のシンプルさを自宅で再現できるので、食べ疲れしない。自炊入門に最適な本でもある。

3/10(日)

カレーの玉ねぎは一人100g

やや失敗カレーとてきとう野菜煮

いつものようにDiDiのインドカレーを作ったらやや失敗。しゃばしゃばの水多めになってどろりとした感じが出なかった。味はおいしいのだが、スパイスが辛く感じる。スパイスの量はレシピ通りなのになぜ?

レシピに立ち返り確認したところ、玉ねぎの量が少ないのに気づいた。2人ぶんで200g必要なところ100g入れたかどうか。なるほど玉ねぎが少なくてカレーのボディ部分が手薄になっていたのだろう。だからスパイスが多く感じられた。

「どのレシピも玉ねぎは200g必要なのだろうか?」と思ってイナダ氏のレシピをくまなく調べると「玉ねぎとトマトの総量が200gになるように設計されている」ということがわかった。トマトを入れなければ玉ねぎが200gだし、トマトがあるなら玉ねぎは120gである。インターネット上に見られる他のレシピも似たような量だった。

カレーにおいて、トマトと玉ねぎは旨味担当である。土台になる。ここがしっかりしてないと、カレーはカレーらしくならない。必ず1人100g(以上)入れること。*1

🛌🛌🛌

漫画家短命すぎる問題

鳥山明の件で文化功労者になった漫画家を調べてみた。

著名なのは

あたり。手塚治虫は入っていない。

おそらく、死ぬのが早すぎたから。手塚治虫は60で死んじゃっている。文化功労者とは、年金付きの栄誉称号なので生きていてそれなりに高齢でないともらえない。

水木しげるは「睡眠力」の漫画で有名なようにちゃんと寝ていたし、ちばてつやは病気により50代で連載をやめたそうだ。うしろ二人の少女漫画家は月刊誌に連載していた。やっぱり漫画、特に週刊連載は命を削って仕事をしているのだろう……。

3/11(月)

トイレの鏡で頭を見たらアホ毛があった。茶柱みたいでめでたい。

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物語に潜るための風呂

お昼休みに『ペンギン・ハイウェイ』を読んでいて、いいシーンにさしかかったところ、昼休憩の残り時間が気になって本を閉じてしまった。

物語は、小説でも漫画でもそうだが、楽しむためには「潜る」必要がある。潜っているときは邪魔が入ってはならない。邪魔をしてくるのはあらゆる人、音、それからスマホ。一人でいてもあの四角い画面がチラチラ視界に入るだけで読書の邪魔になるのだ。

だから風呂がいちばん。浴室に本だけを持ちこみ、風呂蓋に置いて読む。邪魔をしてくるのは額を流れる汗だけ。汗が垂れてきたら視界を塞ぐし、顎から滴って本を濡らすこともある。これほど残念なことはない。

風呂は最高の読書環境ではあるが、長居しすぎると脱水で死ぬかもしれない。長くとも30分くらいにしておくのがおすすめだ。

そう言いつつ、私はこの日60分読んでいたのだが。

のぼせに注意してね!

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『ダブリナーズ』を読んだ

www.shinchosha.co.jp

20世紀初頭のダブリン市民の様子を描いた短編集。なんでダブリンかというと作者ジョイスの出身地だから。

ジョイスは当時の著名な小説家であった。ずっとスイスやらフランスにいたと思うのだが、アイルランドの小説を書き続けたらしい。『ユリシーズ』がいちばん有名だが、これもダブリンが舞台。あと『フィネガンズ・ウェイク』というラップでできたような小説を書いて顰蹙を買ったらしい。言葉の意味よりも音を重視して音楽的に作った小説なので翻訳不可能だと言われていたが、日本語には翻訳されている。どんだけ日本の文化は厚いのだ。

短編のなかでは『下宿屋』『痛ましい事故』『死せるものたち』がよかった。前二つはかなり短いのにお話としておもしろく記憶に残った。10ページ足らずで「そんな人間もいたんだろうなあ(実在しない)」という感想を得た。

3/12(火)

ハーブは冷凍しておくとよい

『スパイス完全ガイド』でイナダ氏が「ハーブはどしどし冷凍すべし」と言っていたので、そのようにした。今後も種類を増やしていきたい。

はさみでざくざく切ってバットに並べて冷凍処理→ジップロック

冷凍に向かないのはバジル。バジルは生でもすぐ香りが落ちるのだ。イタリア人もプランターからもいで使うので、新鮮なバジルをペーストしたければプランターで飼うほかないのだろう。といっても、ジェノベーゼ以外であんまり使わないのだけども。

🍊🍊🍊

同僚が夜中の足の冷えで悩んでいたので運動を勧めた。私も冷え性で運動はできてないのだが、鍼師に「軽く息があがる程度の運動」を勧められている。いや、できればやりたいのだよ。

そこへ他の同僚たちも集まってきてやんややんやと冷え対策の議論をし始める。やれ湯たんぽだの電気毛布だの。湯船には浸かっているらしいので、すでに対策をしているようにみえた。

運動の話をしていたら筋トレ趣味の人も出てきた。「高負荷トレーニングをしたあとサウナに入ればいいんですよ」とのたまうので「出たなキン肉マン」と返して追い払った。

3/13(水)

スナネズミたちが回し車をケージにぶつける音であまり眠れなかった。

主犯

回し車の向きを変えることで解決した。

🐐🐐🐐

おいしい料理のポイントはいくつかあるけれども、切り方のウェイトは大きいのかもしれない。麺には細長く、スープには細かく。煮物であれば箸でつまみやすいように。この点をよく気をつけないと、簡単に味が落ちるのかも。

そう考えて今日は味噌汁の具をダイス状になるよう意識して切ってみた。フランス野菜スープイーブイはそういう切り方だったはず。

3/14(木)

塩豚がうまい。豚肉をフォークでぶすぶすに刺して塩とスパイスをまぶし、シートで脱水したものである。

赤身:脂肪 = 9:1くらいがうまい

これが冷蔵庫で二週間以上もつのだ。そしてうまい。現代てくのろじ〜をもってしても生肉の保存は難しい。ふつうの肉だと二週間経つともう食べられない。運が悪いとお腹を壊す。それが水を抜いて薄塩をしておくだけでおいしさが維持できるのだ。

この方法が良いのは干し肉とまではいかないこと。カチカチにはならず、ほどよく水分が抜けたくらいで食べやすい。塩辛くもない。ちょっとだけ水を抜いたうえで冷蔵庫の恩恵を受けるから、食べやすさと保存性のバランスが取れるのだと思う。

塩豚を切り落として卵と一緒に焼く、右画像の赤いやつはザワークラウト

毎朝、塩豚と卵をテフロンプレートに乗せて、グリルで焼くと完璧な朝食になる。朝のタンパク質には悩み続けてきたが、暫定のベストがこれである。

🐙🐙🐙

行き先不明の物語を好む

さいきんの読書は非エンタメの物語(主に文学)へ舵を切っている。その理由が結晶化されてきたので語ってみよう。

 

大事なのは、目的地がわからないこと。

行き先が明瞭なのがエンタメ作品である*2。例えば「魔王/仇/悪いやつを倒す」とか「どこそこへ向けて旅をする」パターン。ゴールに向けて寄り道をしつつも進んでいき、伏線はゴールを導くために配置される。その上で読者を驚かせる展開があると盛りあがる。

いつからかわからないのだが、私はゴールが見えていることに満足できなくなった。ゴールを決めた時点でその物語のとりうる選択肢は相当に狭まるのであり、ある程度エンタメ作品を読んできたら「次の展開はこの選択肢のどれかだね」と想定できてしまう。物語のジャンルが定まっているのも良くなくて、忠実にジャンルの文脈を守っている作品であるほど展開の幅が狭くなってしまう。まったく予想できないものが読みたい。

長年、哲学とか思想系の本を読んできたのだがこちらにも飽きつつある。サービスが良くて議論のレベルが高い本は暇をつぶすには楽しい読書になるのだけど、行き先や展開はエンタメ以上にはっきりしていることが多い。学者が「わけがわからないよ〜」となりながら書いたものには行き先不明なものもあるが、あまり出会えるタイプの本ではない。というわけで、「行き先不明で何も起きなくてもよい」とする(主に文学)方面を掘ったほうが私の需要は満たせるのではないか、と思ったのである。

 

「人が書いてる(語ってる)うちに思ってもみないものを吐きだす」という現象は私の好きなテーマである。何度も週報で触れられている。これはもう私の「性癖」みたいなものなので、性癖の赴くがままに従うしかないのであろう。

3/15(金)

家のまわりを走る

運動をどうするかについてずっと悩んでいたのだが、ついに走ることになった。昨日の鍼で「ストレスがひどくて冷えが入っている。頭を空っぽにする必要があって、(やっぱり)運動がおすすめです」と言われたのがきっかけ*3。運動が必要なのはわかっていて一万歩くらい歩くようにはしてたのだが、時間がかかるのが嫌だった。時間のことばかり考えるのは貧しいが、走ると効率的に運動ができて、かつ冷え性の対策になるのは明らかだ。続くかどうかはわからないがとりあえずひと月くらい実験して変化を観察したい。

🗼🗼🗼

文化からは逃れられない

ここ数ヶ月フランス料理とかインド料理にお熱なのだが、なかなかうまくいかない。おいしく作るためにはけっこうな手間がかかるわりに、何か物足りなさを感じることがある。

なんの変哲もないにゅうめん

この日、自炊が面倒になりながらにゅうめんを作ってみた。野菜と鶏肉、きのこと昆布、煮干し、鰹節を煮立てて素麺をゆがいただけのもの。これがたいへんおいしかった。手間に対しておいしすぎる。諸外国料理だとこんな簡単にはおいしくならない。

なぜ簡単なのにおいしいのか?
「育った文化の味だから」ではないか。

 

日本ではどの料理もジャパナイズされて受容される。魔改造というやつだ。でもそれが日本人の口に合うのだから仕方がない。そして料理人も諸外国料理の研鑽を積んだ末に、和食および日本の調味料に回帰することが多い。土井善晴三國清三もそうだった。

料理は文化なのだ。生まれ育った文化の外に出るのは非常に難しい。たしかに練習をしたら外国料理をそれらしく、おいしく作れるのだが、そんなことをしなくても自分の文化の料理ならより簡単においしいものが作れるのである。結局、プロの料理人も諸外国料理を日本風に改造して提供することが多いし、あまり現地の方法にこだわりすぎず、自分に合うように作るのがいいのかもしれない。

*1:https://www.sbfoods.co.jp/recipe/detail/08408.html エスビーのレシピは2人ぶんなのに玉ねぎトマトを350g入れている。水に至ってはイナダ氏のレシピの4倍。加熱時間はほとんど変わらないので、この分量だと4人ぶんできるだろう。いくらなんでも多すぎるので、誤植かレシピが雑かのどちらかだと思われる。

*2:わかりやすさのために文学性とエンタメの二項対立の議論にしているが、実際には両者が混ざり合った小説、漫画、映画があり、比率は作品によってさまざま。

*3:村上春樹が「書くためには体力が必要だ」といって走っているのにも影響されている。総合的に材料が揃ってきて最後のひと押しがされてしまった感じ。

週報 2024/03/10 脳裏のおじゃまぷよを消し続ける生活

3/2(土)

たのしい金縛り体験

たまに金縛り・睡眠麻痺になっているのに気づいた。

布団ではなくソファで寝てると体験できるアトラクションで「息が苦しい!」という感じがしながら幻聴とか幻覚、幻タッチがやってくる。幻聴はテープの早回しみたいな音で何言ってるのかよくわからなかった。「さいしんのうかがく」によると「夢を見てるときに記憶の整理をしており、このときシナプス発火が通常の倍速」だそうな。だから早回しテープになる。幻覚、幻タッチは非常にリアルで良かった。ほっぺたに誰かが触った感触があり、妻氏かと思ったが妻氏はベランダにいた。幽霊さんの仕業である。

ふつうは金縛りを経験すると怖くて寝るのが嫌になるらしい。なんで私がこんなに楽しんでるのかというと、いつものアファンタジアが理由。意識のなかには荒涼とした闇しかないので、幻覚はとっても新鮮で楽しいのだ。

でも身体が動かせなくて息が苦しいのは困る。息だけ自由にできる金縛りがあったら喜んで体験したい。

💣💣💣

『職業としての小説家』 を読んだ

小説家になるための本じゃなくて、村上春樹の小説家人生をふりかえる自伝的エッセイだった。読みやすい文体で、率直に彼の思うところが書かれていた。

いずれにせよ、長く小説家をやっている人間として、実感で言わせてもらえれば、新人レベルの作家の書いたものの中から真に刮目すべき作品が出ることは、だいたい五年に一度くらいのものじゃないでしょうか。少し甘めに水準を設定して、二、三年に一度というところでしょう。なのにそれを年に二度も選出しようとするわけだから、どうしても水増し気味になります
p.71

芥川賞についてのコメント。これくらい率直である。怒る人もいるかも。でも保坂和志もまったく同じ趣旨のことを言ってたので事実であろう。「あれ新人賞やぞ?」ということ。

最初の章に「何らかの賞をとれば商業作家活動の入場券をもらえるが、作家であり続けるのがいちばん難しい。長く続けるには賞を取るのとは別の何かがいる」ということが書かれていた。この本の主題は「いかにして村上春樹が作家であり続けたのか」である。

 

あとはこれがよかった。

読んだ人がある部分について何かを指摘するとき、指摘の方向性はともかく、そこには何かしらの問題が含まれていることが多いようです。つまりその部分で小説の流れが、多かれ少なかれつっかえているということです。そして僕の仕事はそのつっかえを取り除くことです。どのようにしてそれを取り除くことかは、作家が自分で決めればいい。たとえ「これ完璧に書けてるよ。書き直す必要なんてない」と思ったとしても、黙って机に向かい、とにかく書き直します。なぜならある文章が「完璧に書けている」なんてことは、実際にはあり得ないのですから。
p.162

3/3(日)

今日は先代スナネズミの一周忌なのだが、何の因果か新しいスナネズミを買いにいくことになった。心にスナネズミ型の穴が空いて以降「近くのペットショップにいたら迎えよう」と心づもりはしていたのだが、なかなか入荷されることはなかった。スナネズミはレアなペットで扱っている店は少ない。需要も少ないのだと思う。キュートでユーモラスなのに。

一周忌の日になったのはたまたま。妻氏の同僚のケモナー氏が「EXPOCITYの店にかわいいのが入荷したから買うべし」とけしかけてきたらしい。阪急とモノレールでえんやこら移動してみたらよい個体がいたので買ってしまう。本当は一匹だけのつもりが、よく見たら姉妹で売られていたので二匹連れ帰ってきた。

仲良しなのではなく奪い合いをしている

🍒🍒🍒

新規ネズミを迎え入れたのは3年か4年ぶり。令和の新人の扱いがわからなくてあわあわした。ペレットを店のと合わせたり、水飲み器の教育をしたり忙しい。

疲れて昼寝をしてたらねずみのカサカサゴソゴソ音が聞こえてくる。そういえばこういう生活だった。ねずみがいる家というのは。昼寝サウンドはねずみの物音に限る。

🍒🍒🍒

万博記念公園のあたり、広々としていてよかった。京都だとまず見られない広さだ。

なんであんなに広々としているのか。「大阪は空間の使い方が豪勢だ」という話を聞いたことはあるのだが、阪急梅田の豪奢な雰囲気と万博記念公園は同列に比べられない気がする。

3/4(月)

妻氏との共有Workflowyメモにおかいものメモコーナーを作った。

変なものを入れないように

ここにめんだこ、野菜、夢など好きなものを書きこんでいく。

🔩🔩🔩

さいきん長編漫画を見かけない。長編というのは、長く連載された漫画ではなく、数百ページあってそれだけで完結するお話のことだ。小説業界だとむしろこちらがふつう。なぜか漫画業界は連載ぶつ切り形式になってしまった。雑誌を生かし原稿料を配るための経済原理なのだろう。あとどれだけ持つかわかんないけれども。

手塚治虫萩尾望都の長編漫画を読むと、現代の流行りものとは違う漫画体験ができるのに気づく。テーマがちゃんとあって、話をきちんと終わらせるように作られているので連載漫画よりも深みがある。連載ものって無駄に長かったり、その月(週)の作者の体調によって話がつまらなくなったりする。それよりは、完成度の高い研ぎ澄まされた長編を読みたいかもしれない。今や長編漫画は商業漫画にはなくて、むしろ同人誌に残っているのかもしれない。

3/5(火)

新人ねずみたちがペレットを食べてくれない。ペレットとはペット用のカロリーメイトみたいなものである。

食べないのは困るので「ハンストか?」「このペレットがいいのか?」と試行錯誤してみたのだが、一向にペレットは食べなくて鳥の餌の雑穀だけを食べ続けるのだった*1文鳥用の豆、穀物、野菜が入ったもの。本当に鳥の餌である。

ねずみは鳥だった

「これ栄養どうなの?」と思って調べてみるとびっくり。鳥の餌のほうがペレットよりもタンパク質が豊富だった。鳥さんの体を作るのだからたしかに栄養はある。

よく考えてみるとペレットはカロリーメイトである。「毎日これだけを食え」と言われたら私なら発狂する。そりゃあお野菜とか穀物、豆のほうがよろしい。ねずみたちはただ素直に生きているだけなのだ。

これまでのねずみはみんなペレットで飼ってきた。
ねずみ観が崩壊する経験となった。

📼📼📼

文章は書きなおすと読みやすくなる。書きなおすたびにトゲトゲが取れて摩擦のない珠になる。

神話や民俗伝承などの口伝にも「語りなおし」の過程があるのに気づいた。

口伝は音のメディアなので残らない。古老が火を囲んで子供達に話をするとき、その都度語りなおさないといけない。毎回同じようなお話をするわけだが、全く同じになるわけではない。そのときの気分、失念で細部が変化していく。おもしろかろうと思ってお話を変えてしまう人もあるだろう。

こうやって変化することが「語りなおし」による磨きであり、お話を洗練させるのに必要な作業なのである。文章でも同じように磨かなければならない。捨てて書きなおすのである。

3/6(水)

脳裏のおじゃまぷよ

業務の隙を見つけて休みにした。このごろストレスが高めらしいので何もしないをする。
何もしないつもりだったのに、気がついたら確定申告やら靴磨き、包丁研ぎをしていた。ずっと気がかりだった雑事が片づいてホッとする。

 

これも一種のセルフケアなのだろうか。同僚たちはちょくちょく休むのだが、たいてい家族の世話のために休んでいる。そういう休みも休養にはなるのかもしれないが「セルフケア」かというと微妙だ。ある種の労働である。セルフケアできてない人は相当多いと思う。

生活をしてると脳裏に「あれやらなきゃ」が溜まっていく。忙しいとおじゃまぷよが溜まって意識を圧迫する。それを取り除くのが自分のための休みなのだろうか。

消しても消しても降ってくるんですけど〜!

🌮🌮🌮

帯は広告だから捨てていい

本を買ってきた。休日になると買いたかった本が集まってきて勝手にカゴに入っていく。金を使う趣味は料理と読書だけなので「本は無料」をモットーに好きなだけ買うようにしている。本棚の容量と読書スピードがあるので、無限に増えるわけではない。月に5〜10冊程度。

帯だけにすると滑稽だ

買ってきてテーブルに置いといたら帯がうざったく見えてきた。

帯は広告なのだ。本屋の数万冊の本のなかから「我を買え」とアピールするための広告。本来の装丁を台無しにしてくれる。

買ってしまったら帯はもういらない。広告は役目を終えている。帯は全部捨てましょう。

3/7(木)

白菜は飲みもの

スナネズミが給水機の使い方を覚えてくれないので白菜から水を吸っていただいている。スナネズミにとって白菜は飲みものである。彼らは砂漠やステップを故郷としているので、もともと水はあまりいらない。野菜の水分だけで生きられるようにできているのだ。

スナネズミ二匹サイズ

生き物は小さくなるほど大きなものを食べる。🐜が虫や果物を引きずって食べるように、🐭も身体と同じくらいの大きさの白菜を余裕で食べきる。人間が自分と同じ大きさのものを食べられるだろうか。白菜10本、パイナップル5本くらい?想像するだけでお腹がぱんぱんになりそうだ。

🔜🔜🔜

レシピを写経する

本のままだと使いにくいので自分で写経することにした。アウトライナーに溜めてしまう。

レシピデータベースはアウトライナーがぴったり

写経してみるといろいろ良いことがあった。

  • 書いてるうちに少し覚える
  • 書いてるうちにレシピの設計意図を理解する
  • データベースになって一覧できる
  • スーパーに行ってから材料を確認できる

クックパッド等々のレシピサービスではダメで、自分で作ることに意味があるようだ。そういえば昔の主婦は手書きのレシピノートを持っていた。あれも写経だったのだろう。手書きのほうがよく覚えられるはずだが、紙は並び替えや訂正が難しいのが悩ましい。電子化してデータベースにするのがよい。

3/8(金)

稲田俊介のスパイス本を読んでいたら「カレー四天王のスパイスは混ぜて置いとくといいよ」と書かれていた。🫙入りスパイスを台所に並べるなんて、そんな鼻持ちならないことをしていいのか。

カレー粉っぽくなった

でも便利そうなので採用。クミン、コリアンダーターメリック、チリを等量ずつ混ぜておいた。いかにもカレーっぽい色の粉だ。

 

実は一つミスをしていて、チリペッパーパウダーではなくチリパウダーを入れてしまった。チリペッパーパウダーは唐辛子の粉だが、チリパウダーはテクス・メクス料理で使う調合香辛料。味の大勢には影響がないのでそのままにしている。というか分離不可能。

香辛料の名前はややこしいのがもう一つ。ベイリーフベイリーフである。
???
ローリエとカシアリーフと言ってもいいが、ベイリーフあるいはベイリーブスと呼ぶことが多い。どちらも葉っぱのスパイスなのだが、植物的には別種で葉脈の形がぜんぜん違う。なのに名前が同じで匂いも似てないこともないらしい。

スパイスはややこしすぎる。

🍬🍬🍬

水曜日に「忙しいとおじゃまぷよが溜まって意識を圧迫する」と書いたのだが、もしやこれがストレスなのかしら。先週は「ストレスの感覚がわからない」と書いていたのにもう手のひらが一回転してしまった。

*1:鳥の餌はペットショップでおすすめされた

週報 2024/03/03 フォークを持って歩くと変な気分になる

2/24(土)

午後から眼鏡屋へ。完成した新・眼鏡を受けとった。
かけてみると遠くが見えない。なるほどこれが近視の世界。私は本来眼鏡が必要ない視力なのだが、PC作業を楽にするためにあえて遠視設定の眼鏡を作ったのである。

そのままかけて街へ出る。わざわざ目のスペックを落とすために眼鏡をかける人はなかなかいるまい。ふだん見えるものがぼやけて変な感じがする。「ぼーっとできて便利だな」と思った。

 

次に紅茶専門店*1へ行き蓋碗(がいわん)と中国茶、紅茶を買ってきた。蓋碗とは茶器である。蓋が茶こしになる。

ルピシア「蓋碗(がいわん)」を使ってみよう - YouTube

なかなかおもしろい店で、茶についての蘊蓄を語りながら煎れ方を教えてくれた。茶の品質もサービスも良い。気に入ったので足繁く通うことにした。

蓋で茶葉を受けながらカップに注ぐ

📽📽📽

お湯は沸かしたてでなければならない

紅茶屋店主がくれた煎れ方指南書を読むと「給湯ポットのお湯は死んでるから使うな」と書かれている。えっそうなの。
茶というものは湯のなかの酸素が大事で、沸かしたてのものでないと味が落ちるらしい。知らんかった。
たしかに沸かしてすぐ煎れると味が違う。びっくり。

スープ料理も「スープは水のうまさを超えることはない」というしワインも日本酒も水が大事だ。お茶も然り。おそらくコーヒーも。
水ってなんなんだろう。

📽📽📽

前世の記憶

www.shopping-charm.jp

モルモット、うさぎなどの小動物向けのおやつにパリパリサラダというものがあって、やたらとモル様の食いつきが良い。
「そんなにおいしいものなのかな?」と思って食べてみる。

人参などの野菜が原料で人間が食べても安心

にっが。
青臭くて苦くて青汁みたい(飲んだことない)。

 

妻氏は「この味記憶がある……」と言いだした。前世の記憶にちがいない。

2/25(日)

昨日の発見によりお茶がおいしくて飲みまくり。体調が悪いのもあって引きこもって喫茶読書(自宅)としゃれこんでいた。

 

夜に妻氏と「人生暇すぎ問題」について議論していたところ「技術を磨き続けていたら退屈しない」ということがわかってきた。私の場合はたくさん読んでたくさん書いていればよい。お絵かきでも同様。手を動かすのが大事である。

🍥🍥🍥

『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んだ

非常におもしろくて500ページ近くあるのに6日で読み終わってしまった。おすすめ。
私の性格が少し村上春樹に似ているのがおもしろかった。「スン」としていて好き勝手にやるところ、人と比べたがらないところに共感できる。
先輩として見習っていきたい。

二階がプライベート、一階が公的、地下一階が「自意識うじゃうじゃ」、地下二階が???

この本でいちばん大事なのは「地下二階」へ行くくだり。「地下二階」とは人間の深層意識とか無意識とかそういうところにある「何か」のことで、これを現実世界に持ち帰って小説やら何やらで表現するのが芸術一般の使命である。

 

他にも文章の技術的な話とかおもしろい話がたくさんあった。

というのは、僕もかなりたくさん本を読んできたけれど、本当にいい物語って少ないんです、意外に。これだけいっぱい本が出てるけれども、まあ、人によって自分の心を打つ話って、それぞれ違ってくるわけであって、一人の人間が一生のうちに巡りあえる本当に素晴らしい物語というのは、心の核心にまで飛び込んでくる小説というのは、それほど数多くないような気がする。
p.124

 

——そのとき、現実の牡蠣フライを超えたい、みたいな気持ちはありますか。
村上 そうだね。テレビでおいしそうにジュージュー揚げている画面が映るじゃない。そんなんじゃなくて、とにかく字面を見ているだけで、牡蠣フライが無性に食べたくなってくるような文章を書きたい。
——牡蠣フライ超えの意思がある。
村上 うん、現実の牡蠣フライより、もっと読者をそそりたい。
p.405

2/26(月)

朝、安寧のおふとんは泥の沼に。ほうほうのていで這いだし月曜日の朝支度をした。寝つきも悪く、3時ごろに妻氏も私も起きていた気配があったのを覚えている。
原因はカフェイン。お茶がおいしくて調子にのって紅茶を煎れてたら寝られなくなっちゃったのだ。
二日連続でひどいことになってるので、今日こそは青茶(烏龍茶のこと)などで我慢する。するぞ。

🌙🌙🌙

新眼鏡は遠視鏡なので遠くが見えない。
わかっていたが、まさか会議室のプロジェクターの文字が見えなくなるとは思わなかった。文字を読むために眼鏡を外して裸眼で見る。老眼の人みたいだが、遠くをみるためにやっていて逆である。

 

同僚と雑談してると眼鏡のことを聞かれた。
「裸眼のほうがよく見えるのだが、あえて近くしか見えないようにするメガネを作ったのだ」と言うと「なにいってんだこいつ」みたいな目で見られる。

「PCを24時間見ててても目が疲れにくくなるんですよ」
「それはわかる」
「近くに焦点を合わせることで、ピントの合う視空間を圧縮してね」
「???」

結局わかってもらえなかった気がする。便利なんですよ?

2/27(火)

ふぁぼは押すだけなら無料です

たまに「私ってどうせ結婚できないし」みたいなテキストを見かけることがあるのだが、あれってどう答えたらいいのだろう。「そうじゃないわよあなたは素敵よ!」みたいなレスをするのが世間的な正解だとは思うのだが、そこから展開が二つありえる。

「ありがとう」で終わるケースと「いやでも私はダメなの」ケース。
困るのが「いやでも私はダメなの」のほう。何を言っても「いやでも私は……」が返ってくる無限ループに陥って相手をしていると消耗してしまう。繰りかえしているとまわりも学習し「私って……」の時点でスルーするようになる。こうして「いやでも私は……」と返しちゃう人はますます孤独になる。
かといって「ありがとう」で済ませるのもまあ搾取だ。同情の押し売りみたいなことになっている。

 

私は大変な天邪鬼であるようで「構ってくれ」「褒めて」オーラを感じると防御陣営を作りはじめる。
かわいげのある「構って〜」だったら「ふぁぼは押すだけなら無料です」と言いながらポチッとやるのだが、人によってかわいげはあったりなかったりする。なので、基本的には「私は自由です!」と思いながら天邪鬼をやる。

🚔🚔🚔

モルジャンプとピーマンの謎

夕方のモルモットお世話でししとうをあげる。
「当たり」だったらどうしよう。一応毒見をしてから与えた。

案の定*2食いつきが良くて、なぜだろう?と考えたらモルモットの故郷の味なのだとわかった。ピーマンや唐辛子族は南米原産である。ピーマン自体は北米で唐辛子から分化したそうだが、南米には辛くない唐辛子もあったろうから食べていたのではないか。

いやでも、モルモットジャンプをしてもピーマンには届かないのでは?
謎は深まる。嘘かもしれない。カスの嘘として登録しよう。

youtu.be

2/28(水)

フォークを持って歩くと変な気分になる

通勤荷物これだけ

通勤荷物の軽量化を進めていったら手荷物がサーモスのスープジャーとフォークだけになった。この二つを駐輪場まで持っていって自転車のハンドルバッグに入れる。
スープジャーには味噌汁を入れるのだがフォークで食べる。先週まではちゃんと箸だったが、自転車に載せるとカチャカチャ鳴ってうるさいので解雇した。
スープジャーはいいのだが、フォークを持って歩いていると変なことをしている気分になる。そわそわする。スプーンでもナイフでもダメそう。

原付くらいのスピード制限です

🐭🐭🐭

電気ケトルを買った。デロンギのやつ。
沸かしたてのお湯がうまいことに気づいてからコンロで沸かしてお茶を煎れていたのだが、やっぱりめんどくさい。それに危ない。妻氏の着る毛布が火に近づいたことがあった。湯沸かしくらいなら電気で済むので、電気でやるのがよろしい。

 

ケトルを選ぶときに思ったのが「プラスチックの見た目の悪さ」だ。
どうやってもプラスチック製品は安っぽいというか、ある種のダサさがある。金属や硝子、磁器の光沢には勝てない。
唯一の例外があるとしたらスケルトンなプラスチック。ゲームボーイのスケルトンのやつ良かったのだが、復活しないものか。
なんであれ流行ってたんだろう。たしか初代iMacもスケスケだったような。95年くらいの世界的潮流だったのかしらね。

2/29(木)

さいきん白髪が出てきているのだが、なぜか左側だけから出てくる。
一説によると白髪はよく使う脳から生えるらしいので、私は左脳ばかり使っているということである。たしかに言語野太郎なので整合的だ。
となると、最終的には左が真っ白になるのかもしれない。
ブラックジャックか?(逆です)

🔅🔅🔅

自家醸造はプロに勝てない

「万が一、日本で自家醸造が解禁されたら何か醸してやろう」とそのときを待っていたのだが*3、さいきんやる気がない。たぶん本当に解禁されてもビールを一度作って終わりにすると思う。

なぜならワインも日本酒もおいしく作るには難易度が高いから。ワインにはワイン用のブドウがあって一般人は手に入れられないし、日本酒はそもそも仕込みの手順がむずかしい。どぶろくなら簡単かもしれないが、あれおいしいの? つまり、おいしくつくるには技術的な積み上げが必要なのである。プロには勝てない。

これは勝手な印象なのだが、ビールなら素人でもわりあい簡単にできそうである。なぜならビールは工業的な酒だから。麦を糖化させるし、味つけはホップ。煮沸してから醸すので再現しやすいのだと思う。

反面、味が単調になりやすい。だから私は好んで飲まなくなった。炭酸も苦手だし。
そういうわけで、好んで飲まないので仮に解禁されても作り続けないと思う。

3/1(金)

ダビデ像の尻

このごろ京都はどこにいってもフランス人がいる。なんでフランス人だとわかるかというと、フランス語が特徴的な音をしているから。妻氏がフレンチポップを聞くのもあって判別ができる。

この日、ラーメン屋に行くとフランス人男性二人組が券売機と格闘していた。英語メニューはあるのだが、何かわからないことがあるようで店員に質問をしている。
特に焦ってもいなかったのでぼーっと待っていたらフランス人男性たちの尻がやけにもっちりしてるのに気づいた。

そういえば欧州の人は尻がでかいのだった。
ダビデ像のことを思いだしながら、二人の背中を見て待った。

🎾🎾🎾

しいたけ占いのしいたけが「山羊座は三月ヤバいけどがんばって」みたいなことを言ってくる。

「この人はこんなに素晴らしいセンスを持っているのに、人生に対してつい、守りと慎重さを重視しがちになっちゃうから、この人には年に何回か限界を超えさせて、自信をつけてもらおう」と、変な運命をぶっこんでくるのです。
ですから、この時期の山羊座は運命からありがたくも、迷惑な「限界越え案件」をぶっこまれそうな勢いなので、「やってやるよ!」と言って「高速脳みそ回転モード」で乗り切っていってくださいね。

なんの偶然か今月は本当にヤバいのである。巨大な締切りが控えている。
というかすでに限界を迎えていて、鍼では「ストレスで心・腎・肝・脾がダメになってますねえ」と言われる始末。

でもストレスって私にはよくわからないのだ。「ストレスが溜まっている感覚」というのはなくて、ただ「頭が回らないな〜」という事実しか感知できない。いろいろ感覚が足りてないのでその一つなのかも?その結果、いろいろ溜めこんでそのうちダウンする。

そうはいっても締切りは来ちゃうので、身を守りながらやっていくしかない。まさに試練である。

shiitakeofficial.com

*1:ルピシアではない

*2:モルモットはピーマンが大好きである

*3:法改正ではなく政令改正でいけるという話がある

インドカレーにヨーグルトを入れるときの注意

DiDi再現カレーを作っていたときのこと。1週間前にあけたヨーグルトをカレー鍋に投入したらダマになってしまった。混ぜても解消できず、食べるときもダマダマ……。

もわもわが浮いている

 

調べによると、よく混ぜないとダメらしい。

ヨーグルトを加える時よく混ぜてなめらかにしてから加えるとダマになりにくいです。トロトロになるまでよくかき混ぜてみて下さい。豆乳グルトも同じです。
加えてからは煮過ぎず弱火で。

indocurryko.net

よく混ぜてください。以上です。

 

どうでもいいのだが、上記記事のURLが"yoyoguruguru"となってるの最高だと思う。

週報 2024/02/25 しっぽを見るのは犯罪です

2/17(土)

カフェ飯にはイヤホンが必要

お昼に近所の洋食堂へ。開拓である。外食のバリエーションを増やしておきたくて。
このごろ忙しさで自炊に失敗することが多いので、気軽に使えて健康的なものが食べられる店が必要なのだ。「健康お手軽」制約を入れた時点で中華、ラーメン、イタリアン、フレンチ、和食専門店が落ちる。残ったのが洋食堂とかカフェ飯と呼ばれる形態。

真のからあげを食べた

開拓した店は当たりだったのだが、長居する女性二人組が早口で喋り続けているのが気になった。まさにマシンガントーク。内容も恋愛観についてのぶつけ合いといった感じで、楽しくお喋りしているのかよくわからない。互いに話を聞いてなさそう。

そういう会話を聞くのは辛いので、遭遇したときのためにイヤホンを持っておくべきなのだ。カフェ飯系にはかしましいおばちゃん集団も来るので注意が必要である。

🏀🏀🏀

8時間モニタを見るのはふつうではない

眼鏡屋へ。眼鏡が合わなくなってるのでは?頭痛と肩こりの原因でもあるのでは?と思って作り直しプロジェクトを進めている。

用途はPC作業特化にした。左が1.2あるところへあえて遠視的な矯正をして、1mくらいまでしか見えないようにする。

「毎日8時間モニタをみる生活をしているので、遠くまで見える必要がないのだ」
処方箋をもらうとき、眼科でそう言ったらドン引きされた。

1mより遠くが見えない生活、どういうものなのか想像できなくて不安である。ド近眼のプロである妻氏は何が不安なのかわからない様子だった。

🏀🏀🏀

道具は美しければよい

いらない調理器具を買いたくなることがある。実用性はどうでもよくて、道具として美しければそれでいい。

例えば菜切り包丁。野菜を切ることに特化した和包丁で、他の用途には使えない。でもシルエットがいいのだ。前から欲しいのだが、明らかに使わないので買っていない。使うにしても今ある包丁と競合してしまう。

www.kai-group.com

今日もハンズをうろつき、最終的に茶さじを買った。これは本当に使うもの。キッチン用品コーナーに行って何か買って帰れるとうれしい。

 

あ、調理用ピンセットは美しくて実用性抜群なので十本持っていても良い。おすすめ。

2/18(日)

自動リラックス職場

久しぶりにびよーいんへ。忙しいことを見越して前回は短めに切ってもらっておいた。そのバッファも食いつぶしてしまったので、諦めて出頭。みじかみをえた。

 

妙にいいにおいがしたので「何のフレグランスを使ってるんですか?」と尋ねてみる。

サブカルクソにおい棒*1は枯れてるし、最近は何も使っていなくて、シャンプーとか精油を使って仕事をしていたら、このにおいになってしまう。お客さんにも娘にも「このにおいなに?」と聞かれるが、本当に何もしていない」

とのことだった。業務をしてるだけでリラックスできるなんて。羨ましい。

🏢🏢🏢

DiDi再現カレー

妻氏はこのごろミニベロ整備にお熱で、今日も部品や工具を買うべく走り回っていた。喫鴨川もしているようで羨ましいことだ。

ついでにDiDiに寄ったらしい。我が家いちおしのカレー屋である。以前にもイナダシュンスケのエッセイを交えて紹介した。

 

DiDiは自宅再現のためのスパイスセットも売っていて、妻氏が買ってきてくれた。

「これの素性を明らかにすれば完全再現できる!」と思ってDiDiカレー粉をぺろり。

う〜んよくわからない。胡椒、ターメリック、クミンシード、コリアンダー、カルダモンはわかるが、残りがよくわからない。むねん。

なんなんだこの粉は

作り方はふつうにインドカレーだった。

  1. 玉ねぎ、にんにく、生姜を刻んで炒める
  2. カレー粉を入れる
  3. 1と同時に鶏もも肉に焼き目をつけるように焼く
  4. 2のフライパンに3の鶏もも肉、ヨーグルト、水、野菜をいれて長時間煮こむ
  5. 最後にガラムマサラと塩で調味

典型的なインドカレーと違うのは鶏もも肉をマリネしないところくらいだろうか。焼き色をつけるためなのかもしれない。ヨーグルトがまぶしてあると焼き色はつかない。

具を入れるとインドカレーは見栄えがしなくなる問題

秘密はスパイスの調合にあることがわかった。聞いたらふつうに教えてくれそうなものだけども、自分で試行錯誤してみたい。そういうゲームだ。

2/19(月)

コンピューターにMPを吸われている

仕事に疲れてソファで虚無をやる。寝ていない。寝てないぞ。

疲れてしまうのはモニタを眺め続けているから。今まで当たり前にやってきたけれども、緊張性頭痛がでるようになってから消耗の激しさを自覚するようになった。

コンピューターは人間の魔力とかMPとかそういうものを吸うに違いない。増え続けるメンタルヘルス諸問題も半分くらいはコンピューターに問題があるのではないか。

失ったMPは散歩とかモルモットつんつく、食事などで回復される。ソファで虚無をやるのもその一種だ。

 

コンピューターはリモートで仕事ができるほど便利な道具だが、その反面浴びせられる情報が多すぎる。情報量が我々を疲れさせるのである。

人間の脳は視界に入る情報を常に処理していて、意識に上らなくてもシナプスでシャカシャカ計算し続けている。だから「なんか今自分の名前が書かれていた気がする」みたいに気づくことができるのである。

そんなものは見ているだけで疲れるはず。本当に疲れてるときは文字も動画も視界に入れてはいけないのだと思う。だから自律神経をやると「散歩をしろ」「森へいけ」みたいな話になるのだ。

 

そういえば以前「画面が狭いほうが原稿が進む」ということを書いた。これも情報量が少ないほど集中できるという原理であろう。

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我が家には妖刀がある。

持つものを狂わせるナイフ

左の二本。有次*2の牛刀とペティナイフである。よく切れる。

おそろしいことに、この包丁を持っていたら自分や人を刺す想像をしてしまう。切れ味がすごい上に、包丁のシルエットが細身でシュッとしているから「めっちゃ切れるで!」という印象を与えてしまうのだと思う。

でも、美しい。美しさと怖さが同居するような道具は良いものだと思う。

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『外国語学習の科学』を読んだ

第二言語習得論とは効率的な外国語学習を目的とした学問である。心理学と社会言語学を応用した領域。

で、どうやったらいいのか。

  • インプットをたくさん、毎日少しずつアウトプット
  • 外国語を聞きながら文法の解釈もしてみる

この本で言われるインプット量は、おそらく我々の想像よりだいぶ多い。たぶん多ければ多いほど良い、まである。ただし興味が持ててある程度知識があるものを聞くこと。だいたい内容が理解できて、未知の単語も類推できるくらいの難易度がよい。

おもしろかったのは「言語はルールでは割り切れない」というところ。正しい文法規則と単語を組み合わせただけだと自然な言語にならないのだ。「昨日知らない人が私の財布を盗みました」みたいなやつ*3。実際に使われる言葉には無数の例外があり、それを文法として記述しきることはできないのだ。

2/20(火)

夢の神に願うとサボれる

夢に同僚が出てきてDJをしていた。隣の席の同僚である。多趣味でいろいろやってる人だからよく登場していろんな役をやらされている。私の夢のなかで。

そのDJイベントは身内でやるようなもので、私も出番があるようだった。同僚の次が私の番。同僚はたまに音を止めてしまっていたが、それでもちゃんとやっているようだった。

私はDJなんかやったことない。このごろdjayというアプリを入れてApple Musicの曲をautomixさせてはいるものの、自分で曲を繋いだことはない。いまだにアプリの操作方法すらわからないのだ。

「困ったな〜出たくないな〜」と思いながらこれが夢であることに気づいていた。そこで一計を案じる。
夢の神かに「どうにかして出番をキャンセルしてくれ」と頼み込んでみた。

するとそのうち画面が変わって、ソファでぐったりしている自分がいるのに気づいた。40℃の熱が出ていて流行り病にかかっているらしい。

こうして無事に出番をサボることができた。

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会議でのこと。

「この工夫をすれば、1ふわねこ週の工数が空くじゃないか。何をさせよう」と同僚に言われ、とっさに「寿司でも握ります」と答えた。

もちろん握れない。

2/21(水)

見るべきものは少ない

このごろ私を悩ませている緊張性頭痛の原因を考えてみる。何かを凝視し続けていると目首肩が凝って血流が悪くなり、頭が重くなるのではないか。

私にはなんでもしっかり見る癖があるようで、無意識に目のまわりに力を込めている。文字が好きだしよく見えるからだと思う。両眼で1.0近く出てしまう。妻氏は0.5しか出ないメガネをかけているので、いつもぼんやりしている。
街を歩きながら「あの張り紙みた?」と聞いてもだいたい「なにそり」と言われる。私はあらゆるものをじっくり見ていて、そのせいで疲れるのだ。

よく考えると目が良くてもそんなにいいことはない。縄文時代に文字はない。多少目が悪くても罠が作れたら狩りはできる。現代社会では道路も文字だらけだが、車を運転しない限りは文字がはっきり見えてなくて良い。歩行者は信号と近づいているものに気づけたらそれでいい。

 

街の中だけでなくディスプレイやスマホを見るときも真面目、不真面目モードを使い分ける。どうせタイムラインに大したことは書かれていないし、重要な情報なら名前と同じように光ってみえる。ほとんどの情報はぼや〜っと薄目で見るくらいでよいのである。

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Slackに「まめちしき: 蟄居は蟹ではない」と書いたら🦀のリアクションが全種類ついた。みんな暇なのかね。

2/22(木)

朝、同僚を駅で見かけたがあえて回避。柱に隠れる。まだ頭が人間モードじゃないのだ。あーうーしか言えない状態。冷え性の朝は遅い。

出社し、席についてもSlackのログを読まない。チャットログも人間モードが必要。

なのにコードは読めた。プログラミング言語人工言語でそんなに複雑じゃあないから。

つまり頭が起きてきたら人間モードになるのである。人間は複雑な存在である。

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レモンが便利。家にあるとマリネに使えるし、輪切りにして紅茶に入れるとうまい。見た目もよろしい。柑橘はえらいやつだ。

じつはコーヒーにいれてもよい

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しっぽを見るのは犯罪です

あらゆる人間に興味があるのだが、人間と喋るのは面倒、という話をしていた。

人間にはざっくり意識上の部分と意識下の部分があって、私が興味を持っているのは意識下のほうである。その人の根っこみたいなものが無意識の深いところにあるイメージ。そこを知りたい。もちろん自分のも。

 

でも簡単には見せてもらえない。というか、根っこについて自分で把握してる人なんかほとんどいない。説明できるほど内省してる人は稀だし、わかっていても深い関係にならないと教えてもらえない。言語化能力も必要で、言葉を磨かないと語れない。

私は根っこが知れればそれでいいので「催眠アプリを使って無意識さんに喋らせたらどうか」とも思ったが非倫理的すぎる。
そんなことをしたら私は即座に逮捕処刑されるであろう。

 

あれかな。耳と尻尾が生えた獣人の国ではなぜか尻尾を見せるのが失礼とされているのに、私は異常に尻尾を見たがっていて収監されかねない、みたいな話。
いや違うんですよ、文学とか芸術の世界では尻尾が問題になっているのです。

2/23(金)

イデアと言うのにプラトンが関係ないことがある

天皇誕生日により休み。未だに12月23日の休みが2月に移動したことに戸惑いを隠しきれない。

 

朝から晩まで『みみずくは黄昏に飛びたつ』を楽しく読む。川上未映子村上春樹の対談本。

哀れ川上未映子

村上春樹は『騎士団長殺し』に「イデア」という用語を出したのを川上未映子が『国家』を読んでまで解釈しようとしたのに、村上春樹本人はプラトンとの繋がりを意識してなかったくだりが良かった。「正しい」解釈なんかどうでもいいことがわかる。

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きょうの料理

昼にスープを作る。野菜と肉を煮たもの。

そこからどう進化させるか迷ったが「マカロニと牛乳とマスタードを入れよ」と私の中の直観音様が言ったので、その通りにした。

結果、たいへんうまいスープになった。慣れた料理ならばレシピなんかいらんのである。

シチューみたいな何か

夜はビリヤニ。ヨーグルトマリネの方式にした。米に翼が生えて吸いこむように食べられるが、食後は血糖値乱高下に苦しむことになった。

ビリヤニとサラダ

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クヨクヨしない小説を探していく

『みみずくは黄昏に飛びたつ』に「日本の「純文学」は近代的自我とかエゴの葛藤にこだわりすぎ。僕(村上春樹)はおもしろいとは思わない」ということが書かれていて、いたく共感する。

地下一階のクヨクヨ室を評価しない話

私がたくさん本を読んでおきながら(日本の)小説には手を出していないのはその辺りの事情があった。私小説的とでもいうのだろうか、人が葛藤してクヨクヨしてるさまを読みたいとは思わない。

村上春樹のこの発言により、海外文学にはそうではない作品があるのを知った。そういえば『百年の孤独』も近代的自我が問題にならないな。

 

「本当に素晴らしいと思える小説は人生で五冊あるかどうかだと思う」という発言も励みになる。合わないものは合わないので、積極的に選別しながら小説のほうも探索していこうと思った。

なお、村上春樹の対談・エッセイは好むが小説の文体は好きじゃなかった。文体とは不思議なものである。

*1:リードディフューザーのこと。美容師がそう言ったわけではない

*2:刀鍛冶がルーツの包丁屋

*3:日本語では「知らない人」という主語を入れず、単に「昨日財布を盗まれた」と言う