しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2022/11/06 カフェ作業習慣復活, サービス精神とプロ性, マキネッタ茶, コインに任せて意思を手放す

近況

家具屋さんで新しいオフィスチェアの注文をしていたら、担当のお姉さんの持っているカタログに大きな虫がとまった。担当のお姉さんは「わあ!」と言って一瞬固まったのちに虫をふりはらった。「きゃー」とかじゃなくて「わあ!」なのがおもしろかった。肝が太いというか。

 

冬の風物詩、冷えにやられている。鍼の診断でも五臓のうち三つがやられていた。腎と心と肝。私は毎年11月15日と1月15日付近で体調が悪くなる。季節の変わり目というやつだろう。その時期は鍼の通院を外さないようにしている。たいてい大量のお灸をされて回復するが、今年もそうなりそうだ。

 

鍼の先生に簡易な回復方法を教えてもらった。目をつむるだけ。横になれるなら横になったうえで瞑目するのでもよい。スマホは触らないこと。頭に情報を入れないようにするのが目的だ。仕事中であれば座ったままでよい。目をつむると深呼吸もしやすくなる。深呼吸も神経を整えるのによい。

 

毎日体重を測っているうちに、夜食を食べた翌日には体重が減らないのに気づいた。これだけは再現性がある……と思う。ダイエットは人類の最大の関心事なので「xxをすると体重が増える」という論文と「xxをすると体重が減る」という論文の両方とも存在する。インターネット記事も同様。もはや何もあてにならないので、自分の身体を観察し実験するのがいちばんだと思う*1

カフェ作業習慣復活

カフェで読書、週報執筆、プログラミングをしたら捗った。
まわりに人がいるのが大事なのだろうか。相互監視、緊張感のある空間が集中力を産むのかもしれない。高校や塾の自習室あるいは図書館みたいな空間を求めている。

近所のタリーズは妙に作業者の多いカフェで、いつ行ってもPCや論文、本を開いている人がいる。今日は図面を開いて新居の設計をしている夫婦もいた。作業をする人ばかりなので緊張感があってよい。

ただしご飯は大したことない。というかおいしくない。でも作業が目的なのでそれでもいい。コーヒーはうまい。

サービス精神とプロ性

サービス精神が主で利己心が従なのがプロだと思う。昔の記事で、本はサービスと内容で評価できる、と書いた。

non117.hatenablog.com

本でのサービスは読者にわかりやすく伝えること。サービス精神と対立するのは利己心、独りよがり。

書物ではサービス精神が多いほどプロの物書きと言える。これは一般化可能で、利己心をある程度おさえてサービスをするのがプロである。漫画家でも歌唱でも何でも。昔からよく指摘される原則でもあると思う。

でもこれが難しいのも周知のとおり。ただ自分を安売りするのではなく、自立した精神のままサービスをするのが理想である。理想のプロ性を持っている人は利他とか愛と呼ばれる精神を体現しているのだろう。

マキネッタ茶

マキネッタで紅茶も抽出できるのでは?と思ってやってみた。マキネッタとはコーヒーをいれるための道具である。インスタ映えするのでキラキラしたキャンプ写真に登場することが多い。

otonaplan.exblog.jpところが、この道具、もともと茶をいれるためのものだったらしい。インターネット調べ。なるほどマキネッタは湯を噴水させるだけの機構である。なんでも抽出できるはずだ。

acts-coffee.net実際にやってみると濃厚な紅茶ができておいしかった。特に香りがよくなる。

コインに任せて意思を手放す

決断が必要なときはコインに決定をしてもらうことにした。コインに決めさせて人間は責任意識を負わない、というシステム。

些細な事例としては夕食のメニューに悩んで決まらないとき。重いケースは大きな出費、人生の選択など。選択肢を絞るところまでは考えて、どっちでもいい二択が残ったらコインの裏表で決める。

コインの決定には絶対に従う。どんなに重い決断であっても、コインに委ねると決めたら従わなければならない。コインの結果を裏切るとき、意思がはたらくから。意思とセットになっている責任を放棄するためにコインを投げているのだ。コインを無視する決定をしたら意味がない。

 

なぜ意思を放棄したいのか?自己責任が嫌だからだ。自分が決めたことには100%の責任が発生し、判断の結果を引きうけないといけないが、偶然性に決めてもらうことで責任を薄めることができる。他人からみたらこの理屈は通じないが、内心の平和のために必要な仕組みである。

やっていることは神頼みと同じである。二択まで絞ってどっちがよいかわからなくなったら、あとは天に任せる。超越的存在を仮定し、意思を放棄する契約を結びそれに従う。人事を尽くして天命を待つとはこのことである。

人事は尽くさねばならない。安易に神頼みをするのもよくない。軽く考えて答えが出て、結果を引きうけられる場合は自分で判断すればよい。本当にどっちでもいいとき、どっちでもいいが結果が重すぎる場合に神頼みを使う。

超越的存在の偶像としてめんだコインをつくった

意思を排除したい理由

都市とインターネットをみたらわかるように、現代では曖昧さが嫌われている。都市では効率的に空間を使わなければならない。地価と経済的生産性によって、稼げない空間は排除される。有用性だけが求められる。インターネットでは「なんとなく」な行為が許されていない。特に炎上時に顕著だが、すべての行動には納得可能な理由が添えられてなければならない。
曖昧さを嫌い、人為で支配しようとするのが現代である。病的だとは思うが、科学的説明を内面化した人々は多く、あらゆる場で納得が求められる。身の回りが人為で横溢すると、何ごとも人為、意思でなさねばならぬと思ってしまう。

しかし、人為が意図したとおり「ああすれば、こうなる」ように世界はできていない。人為に関係なく事故や災害は起きる。そもそも生の始まりにも偶然性が絡んでいる。どこまでも偶然性があり、偶然性という暴力に晒されるのが生である。いくら技術が発達しようとも人は車とぶつかったら死ぬ。

そういった意思の専横に反抗し、偶然性を受けいれるのがコインを投げて決める態度である。そんなに意思を求めないから責任も引きうけない、という気持ちで意思を手放す覚悟をした。

*1:物理的に食べすぎると増えやすい原則はあるが