しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2023/01/22 RSSで記事を集める, ピアノを再開した

近況

大寒である。一年でもっとも冷える時期。やってられないので、すべてを諦めてソファや布団で寝てすごしている。

今週は同人誌の締め切りがあった。妻氏の主催するサークルの新刊を作っていた。 新刊と言っても、自主連載している漫画を集めて本にするだけなのだが、ちょうど書きかけだった最新話の仕上げも重なって忙しくなった。でも、今回はかつてなくまともな進行で、深夜まで作業せずに入稿できた。次こそは早割りで作りたいものである。

ギャグ漫画、お楽しみください。https://seiga.nicovideo.jp/watch/mg712718

できごと

  • Tweetbotが死んでしまった。お墓もできている。
  • 妻氏がAirPods Proを洗濯してしまう。干したらなおった。
  • ダイソン球は完成せず。
  • 呼吸の大事さを思う。集中→呼吸が浅く→腸が止まる→自律神経わるく。
  • 京都はゆるやかな坂になっているのを実感。帰りの自転車がきつい。

ピアノを再開した

『ぼっち・ざ・ろっく!』の影響で、演奏もよいなと思った。素直に影響を受けるとギターやベースに手を出すところだが、ピアノにした。ピアノの経験があり、電子ピアノが家にある、という事情もあるが、それよりも一人の演奏で音楽として成立するかを重んじた。

弦楽器の音は好きで、ギター、ベース、バイオリンも魅力的なのだが、これらの楽器は一人で弾くより、組んだほうが(圧到的に)楽しい、という特徴がある。他方、ピアノは88個も鍵盤があって音域は広いし、ピアノ単体で複雑な音楽を演奏できる。楽譜もいっぱいある。人と組むのも、いや、組むからこそおもしろい、という話はあるが、私は自分のために弾ければそれでよかったので、ピアノにした。

十年ぶりに練習をすると、昔よりも正確に楽譜が読めるのに気づいた。十代の頃はあまり楽譜を読みとらずに、なんとなくで弾いていた。音の強さや長さ、タッチ表現はちゃんと楽譜に書かれている。なるほど、楽譜は音楽の「言語」であり、書かれたとおりに弾けば、音が再現されるのである。

楽譜がちゃんと読めるようになり、耳も肥え、好みの曲もはっきりしてきた。これなら独学でピアノを再開しても大丈夫だろう。ふだんは家の電子ピアノで弾き、たまに近所のスタジオにあるグランドピアノを借りて弾こうと思う。

twitterの衰退

twitterが衰退し続けている。非公式クライアントを禁止したのは、APIサーバーのコストが無視できなくなった、等の合理的理由があるのだろう。おそらく多数派のユーザーには影響がなく、移行を強いられたユーザーも時系列表示機能やリストを使えば、最低限同じ体験にはできる。古参ユーザーからすると劣化しているのだが、依然として多くの人が留まっておりプラットフォームとしては強い。twitterは情報流通の経路を握っており、人間関係のグラフデータ構造自体に価値がある。人々がなんとなくタイムラインを見続ける限り、このネットワークは金になるだろう。

しかし、twitterを脱出する人々も目立つようになってきた。万が一twitterが消滅したら人間関係が失われる。もう二度と連絡できなくなる人もいるかもしれない。そうしたリスク、あるいはその他不満のために、mastodon等への移住が起きている。私もmastodonでの生活を数年続けており、userstreamがなくなった第一次mastodonブームのときに移住している。その後数年間、mastodonで生活し分散SNSも善し悪しだな、と思うようになった。今はSNS自体を相対化し、 一歩引いたところから利用している。

SNSには大きく、二つの機能がある。知人の近況共有と、ニュースである*1SNSは、 DMやグループチャットと違って、「会話」をしなくても近況が得られる。この特徴は明確にメリットであり、SNSという専用のシステムを使う意味がある。ニュースは「バズった」「炎上した」「トレンドに入った」「よく記事が読まれた」等々の話題共有のしくみ、機能。正直なところ、SNSにおいてニュースがよい働きをしてきたかは疑問である。害の方が上回っていなかっただろうか。SNSでニュース・記事を見つけると、たいてい不快な感想、コメントがついてくる。 

RSSで記事を集める

近況を知るのはSNSでよいとしても、ニュースは別の手段で集めればよい、ということに気づいた。こうしてRSSを頻繁に見るようになった。Google Readerはもうないが、RSSリーダー自体はまだまだ生きているし、より便利になっている。

RSSリーダーはInoreaderを使っていて、ブラウザのタブに固定モードで表示している。一日に何回か、RSSリーダーのタブを訪問し、新着記事をながめる。気になったものがあれば、タブに開いておいてそのうち読む。基本的に流し読みをして、文章がわかりにくかったり、つまらなくなったらタブを閉じる。そう簡単によいコンテンツには出会えない。ひまつぶしだと思ってクオリティは求めない。たいてい、仕事や書き物、読書の助走として、やる気がないときに読む。

SNSにリアルタイム処理は必要なのか

RSSで記事を読むようになって、SNSのリアルタイム性は必要なのかな?と思った。mastodonTwitterを再現するために、たいへん負荷のかかる仕組みを実装している。一つトゥートを投げると、それがフォロワーのサーバーに書き込まれるのだ。一般に、書き込み処理はコストが高く、サーバー規模拡大の足かせになる。mastodonのsidekiqワーカーおよびプロトコルのActivity Pubに問題があるのは周知のとおりだ。

インターネットで情報を流すとき、その仕組みを作るソフトウェアエンジニアはしばしばPubSub(出版-購読型モデル)に遭遇する。PubSubをPull型で作るか、Push型で作るかはいつも議論になる。そして、たいてい正解は中間にある。PullとPushを併用する。twitterも、有名人のツイートはPullされ、小さなアカウントはPushする仕組みになったと記憶している。書き込み処理はコストがかかるから。

脱線した。問いは、SNSの同期頻度が高すぎるのではないか?である。どうせヒマつぶしにすぎない。近況共有のツールであり、もともとの名称はマイクロブログである。そして本質的な価値は人間のネットワークにある。リアルタイムである必然性はないのではないだろうか。もし、リアルタイム性を減じられるならば、システムをPull型よりに作れる。これは、RSSに近いものになるだろう。

*1:SNSは議論のツールとして民主主義が云々、という意見は無視してよい。ややこしい議論は対面でやったほうが効率的である。