しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/01/21 フランス料理の泡は大豆、デコルテに光を、『独裁者の料理人』を読んだ

1/13(土)

朝食に卵とそうめんを炒めただけのものを食べる。けっこううまい。イタリアの貧乏パスタを意識したオシャレな朝食だ。原宿で流行るに違いない。なお腹持ちは悪い。

貧乏人のパスタそうめんバージョン

お昼に外に出てみると風が強くてすごく寒い。散歩のついでにごはんも食べようと思ったのに少し歩いただけで身体は芯から冷える。しかも50mほど歩いたところで雪みたいな雨まで降ってきた。

こりゃたまらん、と家に戻り袋ラーメンを食べた。これで冷蔵庫の肉はなくなった。夜どうしよう。

 

出鼻がボキボキに折られてしまったので昼寝をした。夢にいけずな京都人が出てきていじわるをされたような気がする。「ただの嫌がらせだ!」と気づいた途端に無視をしたら場面が変わった。

🫚🫚🫚

このごろXには魑魅魍魎、AI生成されたアイコンのスパムアカウントが跋扈している。中身もAIだ。妖怪といっても差し支えないだろう。

AIは意味のない文字列がお好き

リプライ欄やフォロワー欄では見たことがあったのだが、ツイートをお気に入りしてくるスパムも出てきた。それもなぜか「ぽぽぽ」という意味のない文字列に対して。どういうアルゴリズムで動いているのか気になって仕方がない。

🫚🫚🫚

『独裁者の料理人』という本を読みはじめた。なかなかおもしろい。タイトルからわかるとおりそもそもお題がよい。出てくるのはフセインの料理人、カストロの料理人、ポルポトの料理人など。残念ながらスターリンの料理人は出てこない。もういないのではないか。

イラクのそのへんの人が「フセインの時代はよかった」みたいな雑談をするシーンがあった。なぜならイラクみたいな国は強権じゃないと統治できないから、らしい。イラク、というかアラブ諸国では部族の力が強い。部族が政治の単位なのに、それを無理やり国家という仕組みで統率するには強権が必要、という事情だ。

部族社会に逆戻りするアラブ世界|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

1/14(日)

週報を公開し読書。妻氏が起きてきたら食糧品の買い出しに出かけた。ついでに鳩スポットで鳩を眺める。寒そうだった。

 

スーパーの雑貨コーナーでガラスの瓶を買った。

塩ミルと塩瓶。塩がすぐつまめると便利

これに塩を入れておいていつでもつまんでふれるようにしておくのだ。魚、肉の下味をつけるとき、炒めものやスープの塩を調整するときに使う。

家に帰ったら惣菜ヒレカツとパンを食べ読書と昼寝。起きたらザワークラウトを仕込んだ。

📚📚📚

DiDiのカレーを再現すべくポークビンダルーを作ってみる。レシピはイナダ氏のもの。氏のカレーレシピ本を買ってきた。

ニュー積ん読

手順は酢とスパイスによるマリネ → 玉ねぎ、トマト、ニンニクを加えて1時間煮込み。作り始めてから1時間煮こむことを知ってびっくりした。仕様書はちゃんと読んだほうがいい。

長時間煮込むと野菜はグズグズになる。これを木べらで潰したら完成。仕様書にはミキサーと書かれていたが無視した。木べらでもいける。

野菜スープとカレー

DiDiのカレーかというと???な仕上がりだったが、どこか近い雰囲気はあった。肉をスパイスと酢でマリネしただけなのに不思議な風味のカレーができる。料理は魔法なのか?

ヨーグルトマリネといい、酢マリネといい、香辛料と酸で肉をつけこむとおもしろいことが起きるらしい。いろいろ実験してみよう。

1/15(月)

小雨の日。寒い日。大寒が近づいており京都は極寒である。朝は8℃あったのに午後は5℃。どんよりしていて風が吹き、通勤がつらい日だった。

ヨボヨボ出社し会議とレビューを倒して終わった。満身創痍。

 

夜はいつもの一汁一菜を食べて『独裁者の料理人』を読んだ。

🌊🌊🌊

フランス料理の泡は大豆

さいきん味噌汁に大豆を入れている。一晩水につけ、よく煮てから食べる。

大豆を煮るときは吹きこぼれに注意せねばならない。妙にぶくぶくしやすくて泡っぽいやつなのだ。

あわあわになる

「これってフランス料理の泡では?」

cook-lesson.net

正解。あの泡は野菜ジュースや出汁に大豆のレシチンを溶かしたものだったらしい。
入れすぎると大豆味になるとのこと。

1/16(火)

在宅勤務の日。会議まみれになった。

お昼はパスタ。成城石井で買って常温放置しておいたチーズを開封。削ろうとしたらなんだかチーズの色が変わっているのに気づく。水のような油脂のようなものが出ていてべちょべちょしている。

変色チーズ(たべた)

すわカビかボツリヌスかと思ったが問題はなさそう。匂いも味もチーズだった。
よくわからないが、味はふつう。おいしくパスタになった。

たぶん密閉容器内で発酵したか、重力で油脂が出てきたのだと思う。
よくパッケージを読むと冷蔵保存とかかれていた。発酵食品=常温でいけると勘違いしたのである。まあおいしいからいいや。

🪁🪁🪁

午後に本業をサボって、Slack botをいじっていたら止まらなくなった。timesチャンネルを便利にするやつ。なんでサボって別の実装をするのはこんなにも楽しいのか。

しばらくして正気に戻り、ちゃんと成果を出した。その後またbotをいじって機能を完成させた。だいたい完成したら飽きて触らなくなるからもう大丈夫。

 

夜はダンス。社交ダンスっぽくなってきたと褒められる。早く燕尾服を着せたいとも言われた。おもしろいからやってるのだけど、人前に出たいかというと微妙。

🪁🪁🪁

脳裏のコマンドを増やさないこと

『独裁者の料理人』のウガンダの章を読み終わる。ウガンダと言えば恵まれない云々という失礼な慣用句*1があるが、なぜウガンダがそうなったのかを知った。

ウガンダのイディ・アミンは軍人で元ボクサー。政治家のミルトン・オボテと一緒にクーデターをしたあとミルトン・オボテが不在のさいにクーデターを敢行して政権を得た。恐怖政治を敷きポル・ポトなみに殺している。

実は独裁者は弱い。イディ・アミンは毒殺を恐れるあまり、息子が食べすぎで腹を痛めたとき半狂乱になって側近を殺そうとした。殺人で権力を確立したものは、殺人で同じことをされると考えるのだ。

 

星一徹流の昭和タコ殴り教育を受けてきた僕は「なぐる」という選択肢は持ってしまっています。もちろん殴るわけじゃない、絶対に殴らない。でもめちゃくちゃキレた時に「なぐる」が脳裏によぎってしまうんです。「なぐる」コマンドが表示されるんです。
NTRの快楽に変換して乗り越えよう《春とヒコーキ「VIP ROOM HARUHIKO ~秘め問い~」第二十回》 | ワラパー | 芸人が集まるWEBメディア

この記事の考え方が参考になる。独裁者には「殺す」という選択肢が脳裏に浮かび、他人も同じ選択肢を持っていると見做す。

「殴る」「盗む」や「脅す」でも同様。染みついた行為は自分のなかの他者を凶暴にしてゆく。他者が凶暴になると精神は不安定になる。何もかもが恐ろしくなるだろう。

回避するには「悪い」ものから距離をとるしかない。凶暴な他者から逃げること、「悪い」行為をしないこと。

1/17(水)

出社し早めに業務を終わらせる。今日は関西コミティア新刊の締切りの日。

印刷所のプランとしてはさらに後ろの締切りもあるのだが、怖くて使ったことはない。

今回は過去一まともな進行で、日付をまたがずに原稿が完成した。表紙も連休中に終わらせていたし、追加の漫画も昨日には完成していた。今日はおまけページを作って終わり。めでたしめでたし。

と、書いているが私がやったことと言えばネタ出しとレビューと調理くらいのものである。さいきんはトーン作業をしていない。妻氏が私に指示をするコストのほうが高くつくので。でも、我が家としては一大イベントなので締切り前はバタバタピリピリするのである。

関西コミティア I-01で頒布します

🌱🌱🌱

と、同時に誕生日でもあった。idに誕生日が入っているタイプのアカウントです。
ケーキを買ってきて食べる。

完璧なケーキだった

フレジェにした。フレジェのことをふつうの苺ショートだと思っていたのだが、実は違うらしい。なんで苺ショートではなくフレジェという名前なんだろう?くらいに思っていたが、ぜんぜん違う。白いところが全部バタークリームなのだ。日本の典型的なケーキ、特に家庭で作るものはバタークリームではなく生クリームを使うと思う。バタークリームは濃厚でうまいがカロリーはやばい。

1/18(木)

キラキラした体調で絶好調かと思っていたのだが、うおおと仕事をしていくうちにやる気が抜けていった。冷蔵庫でしなびたニンジンみたいな状態。なんでかなと思ったら雨だった。雨の日は身体に水が溜まって体調が悪くなりやすいのだ。

お灸をしてgotことなき。じょばじょばになった。

🌑🌑🌑

人の話を聞いてないのがデフォルト

業務の勤怠システムが変わって職場が混乱している。
ちゃんと説明会が開かれて使い方解説はされたのだが、実際に使ってみるとダメだった。

 

混乱しまくってる同僚たちをみて「人々はけっこう人の話を聞いていないのだな」と思った。私も混乱したので外部に立っているわけではないのだが「それ説明されてたよね」みたいな話が入ってない人がいる。

何が言いたいかというと「体験してないことを言葉で聞いてもあまり入っていかない」ということ。その原則が一般的であることがわかって安心した。

🌑🌑🌑

デコルテに光を!

という姿勢のコツがあるらしい。ダンスの先生に教えてもらった。

デコルテとは胸の鎖骨まわりの部位のこと。ここが光るくらいちゃんと胸を張ると自然とよい姿勢になる。一言で姿勢の本質を指示できるよいコツだ。9文字しかなくてリズムもよくて言いやすい。

皆さんもデコルテに光を集めてください。デコルテに太陽光パネルがあると思って。

デコルテ発電が流行るとスマホ首は駆逐され充電は満タンになる

1/19(金)

在宅勤務。もうだめ時に起きて妻氏の弁当作りをサポート。そののち業務に励んだ。巨大なPull Requestのレビューに苦悩する。

お昼にお腹が減ってなくて調理を後回しにしていたら会議が始まってしまった。飢えたまま参加し、終わってからパスタを作ってたらチームの同僚からのHELPが飛んでくる。

1時間後、おいしくなくなったパスタを完成させて食べた。

🥥🥥🥥

接続詞がなくても文章は書ける。「しかし」や「だから」をフィラー的に、リズムを整えるために挿入してしまうものだがなくても意味は取れる。文脈があるから。

接続詞は決め台詞だ。ふだんは使わなくて、よっぽど大事なところでだけ使う。必殺技みたいなものなのでしょうもないところに入っていたら気づき次第除去する。除去すると文章のリズムが悪くなることがあるが、そういうときは話題が変わっていることが多い。話題が違うなら改行を入れたらよい。

改行はすごいやつで、入れるだけで話を飛ばせる。話題を強制的に変えるのにも使えるし、論理的な飛躍を隠すのにも使える。もちろん達人にはバレるが、多くの人はだませると思う。接続詞ではなく改行で話題を展開すること。これが文章で大事なことだ。

 

もちろん実践は難しい。この文章に接続詞がいくつ残っているかなんて考えたくもないし数えてもいない。

🥥🥥🥥

『独裁者の料理人』を読み終わった

独裁者がどんな人生を歩んだのか、何を食べていたのか、を料理人へのインタビューから浮き彫りにする本。どの独裁者も人間である。好きな食べものがあり、腹が減ると機嫌が悪くなる。独裁者の料理人に指名されてしまったものが生き残るにはうまい料理を作るしかない。下手をすると毒を入れたとして殺される。あるものは天才的な料理の腕前で生き残り、またあるものは独裁者の母の味を盗むことで生き残った。どの独裁者にも共通するのは「他人を恐れる」ということ。殺人によって権力を奪取したものは同じように権力を奪われることを恐れるのだ。

www.hakusuisha.co.jp

*1:vimが悪い

週報 2024/01/14 調理中は腕が四本ほしい、宇宙生物ロマネスコ、『訂正可能性の哲学』を読んだ

1/6(土)

昼に新しいアルミパンでパスタを作る。ニンニクが焦げないし野菜の香りが残るし最高にうまいオイルソースパスタができた。わーいわーい。

火加減は難しいが香りがよくでる

午後は買い物。新京極へ行き自転車の新車を購入した。対応してくれる店員さんがなかなかのオタクで

「いま何に乗られてますか?」
「Scottのほげほげです。2010年の」
「あーあれですか。この頃のScottは大きめの作りになっていて、たしかに前傾がきつくなりがちですね」

という調子。我々はオタク店員が好物なので全幅の信頼をおき自転車を選んだ。これや!というものに決まってお金を払った。納車は二週間後。楽しみである。

🍝🍝🍝

調理中は腕が四本ほしい

このごろ妻氏に調理補助をやってもらっている。「お芋剥いて」「お玉とって」「包丁洗って」「お皿出して」みたいな指示をする。

妻氏は調理が苦手というか、手順がきっちり定義されてないと動けないタイプ。私はあるものでてきとうに作れるタイプ。塩さえ決まればええやろ派。

と、明らかに私のほうが向いているので料理長をしている。

 

問題は腕が二本しかないこと。調理は同時にやることが多くて大変。肉、野菜に火を入れている間はコンロから離れられない。並列でやらないとボトルネックになる下処理もある。

www.webchikuma.jp

ちょうどイナダシュンスケも調理補助に関する記事を書いていた。
「料理人になるためにはどうするのか」という連載記事で「見習いは調理補助をやりまくるべし。先読みができるようになると強い」と書かれていた。

家庭料理でそこまでの効率化をする意味はあるのか?
みんな時間に追われてるので、できるなら補助してもらったほうがいいと思う。補助は料理が苦手な人でも問題ない。物を取ってきてもらうだけでもいい。そうやって一緒に台所に立つようになると、世の中は平和になるだろうなあ、と思った。

1/7(日)

社会復帰に向けて早起きをする。といっても9時だが。

週報の清書とpublishをして朝食。お昼にカレーの残り物を食べた。妻氏に最後の肉をとられ、私はひもじく豆と芋を食べる。中世農民である。

昨日の自転車屋に案内された動画をみた。ロードバイクの基礎知識を解説するもの。ちょっとダサい雰囲気の動画だけど、わかりやすくてためになった。もう10年以上ロードバイクに乗っていたのに知らないことがたくさん出てくる。自己流はダメだなあ。

午後は四条へ。ハンズで台所用品を探し、大丸へ行った。

🧈🧈🧈

シンプル地味門松文化

このごろ散歩をするときに門松の品評をしている。京都の門松はバリエーションが豊富で、変なものがいっぱりある。もっとも多いのは根引き松。

根引き松

根引き松とは写真のようなもので、根っこのついた松の新芽を玄関脇に打ちつけたもの。京都らしい家ならだいたいこのタイプの門松をつけている。質素でよろしい。

キャベツではなく葉牡丹

次に多いのがオーソドックスな松竹キャベツ。これはホテルとか旅館に多い。華美で京都の価値観ではないと思う。

真ん中の松葉がぼわぼわしていてかわいらしい

最優秀賞は大丸の門松だった。シンプルで地味なのにどこかめでたい感じがする。

つまり、色のトーンが抑えられていて、パーツが少なくて地味なのに形が美しいのが京都っぽさなのだろうか。枯山水とか茶室みたいな雰囲気。そういえば祇園のローソンも茶色い看板になっている。あの茶色は美しくないと思うが、ともかく地味であることが大事。華美にして威張ると「あれはないわ」と噂されるのが京都なのかもしれない。

1/8(月)

連休最終日。

「この休みにあれとこれとあれをやろう」と思って溜めていた娯楽TODOがある。娯楽TODOという語義矛盾はどうかと思うのだが、よく考えた結果捨てられなかった。しかし休みはあと一日。どうするのだ?

覚悟を決めて効率的に処理することにした。これじゃあ娯楽じゃなくて仕事だが今日やるしかない。これまで怠けていたツケが来ている。

方法は前に前に詰めること。娯楽なのでタスク自体は非常に簡単。小粒なものから順番に処理していった。スマホゲーム複数のイベントシナリオとコミケで買った同人誌。庭のプランターの手入れ、昼夜の自炊、買い出しなど。日記も夕方に書き始めて夜の時間が空くようにしてみた。

結果、とても充実した一日となった。なんかおかしい気がするのだけど、たくさん遊べたのでよしとする。

実は一般的に効率的なタスク処理法なのかもしれない。今の流行だとシフトレフトとか言われるやつだろうか。

🎋🎋🎋

日記はなぜか起きた時刻が書かれる

桐生あんず氏の『休職日記2』を読んだ。復職編である。休職からの復職というものは少しずつ稼働時間を増やすものらしい。知らんかった。

だんだん調子を取り戻していく日記かと思ったが波瀾万丈だった。家事に追われコンテンツ消化に終われ、同居人が突然魚を釣ってくる(鯵フライ祭)、インフルエンザ感染。

調理する人からすると突然鮮魚が家に来るのは恐怖でしかない。魚は足がはやいんだぞ。釣り趣味はやばいなと思った。

 

他人の日記としての発見もあった。必ず起きた時間が書かれるのである。「10時起床」みたいな書きだし。私もよくやる。というか毎日書いている。なんで日記は起床時間を書いちゃうのだろうな。戦中戦前の日記の場合は天気も書かれる。不思議な文化だ。

🎋🎋🎋

カッチビリヤニが簡単美味

ビリヤニを炊いた。二回目。

ライタつきビリヤニ

今回はカッチという炊き方。この方法がもっとも楽だった。なのにそれっぽい味になる。とてもおいしかった。

  1. スパイス入りヨーグルトに肉を数時間漬け込む
  2. 香り米を浸水させる → 茹でる
  3. 玉ねぎを褐色になるまで炒める
  4. 玉ねぎに1を混ぜ、上に茹でた米を載せる
  5. 20分極弱火で火にかけて10分蒸す
  6. トマト、玉ねぎを切ってクミン、塩入れたヨーグルトに混ぜる(ライタ)

という手順で作った。詳しくは水野さんのビリヤニレシピ本を参照すべし。

ビリヤニだけだと野菜が不足するのでぜひライタを添えてほしい。マリネに使った残りのヨーグルトに野菜を入れたらできて、ビリヤニにかけるとうまい。単体でもうまい。ガスパチョに似た料理かも。

🎋🎋🎋

食事による集団の維持

東浩紀の『訂正可能性の哲学』を読んでいる。
「構成員が入れ替わってルール(言葉づかい)が少しずつ変わるのに同一性を保っている集団」について哲学されていた。本文での例だと家族だが、家族に限らずそういう集団はある。

例えば大学のサークル。サークルの例会が毎週木曜日の18時からナントカ棟の201であって決めごととか連絡をする。たまに誰かが発表をする。楽器の練習でもいい。例会が終わったらそれぞれのグループを作って近くのご飯やさんへ行き食事をする。毎年人が入れ替わるし日によっては来ない人もいるのだが、そのような恒例行事をすることでサークルのサークルらしさが維持される。大学でなくても定時後の飲み会、趣味の集まり、友人の恒例行事でも同じことが言える。

 

食事という儀式が大事なのかもしれない。決まった行動Aをしたあとに必ずご飯を食べる、という形式。いつもの「あの店」かもしれないし、毎回違うかもしれない。卓を囲むメンバーは固定でもいいし、たまに知り合いの知り合いが来てもよい。

家族であれば「めでたい出来事があったのですき焼き大会をやる」というような文化だったり。

このように「行動(出来事)→食事」の形式が集団の同一性を維持するのに役立っているのではないか。

1/9(火)

仕事始め。いつもの時間に起きられるか心配だったのだが、難なくスッと起きられた。8時。連休中は10時に起きてた。

自転車で出社してぼーっと会議に参加。重い議題もないしゆるやかなスタートだ。

 

会議から業務に戻っても皆さんどこかゆっくりした調子。いいぞいいぞ。私もだらける。

結局ほとんど手を動かさずにコードレビューだけして退勤した。早めに終わって読書の時間を確保するのである。

🍅🍅🍅

素直で内省する人を好む

私と妻氏は口が重い人を好む。喋らせてみても「……。あー」という調子で時折考えこみ、何かまとまった段階で喋るような人。内省をする人。

内省ができる人は自分の意見を持っている。世間的な一般論を返してこない。興味がない話題だったら素直に「わからない」と言う。無理をしない人。

 

こういう人のことを「身体がある」という言葉で評価してきた。我が家独自の用語である。しかし「身体がある」「身体がない」は抽象的でわかりにくい。
どういう意味なのか、突き詰めて考えたら「自分の固有の経験をもとに思ったことを素直に述べられる人。経験を自分のなかで咀嚼している人」という定義が出てきた。

出来事に対して「感じたこと」を咀嚼するとその人らしさが出る。それを聞くのが人間観察の旨味なのだろう。

1/10(水)

さっそく労働にやられたのかどんよりとした一日だった。会議と会議をやってあとはDynamoDBのAWS SDKと戯れる。たまにドキュメントには載っている機能が実装されていなくて困る。big techの作るOSSは雑なものがある。

 

そこそこのところで退勤して夜は読書をしていた。『訂正可能性の哲学』がおもしろい。風呂で1時間、出てきて1時間読む。あとちょっと。

🖼️🖼️🖼️

宇宙生物ロマネスコ

こわいよ〜

このごろスーパーや八百屋でロマネスコを見かける。フラクタルで、とてもきもちわるい。宇宙人か神が設計した植物だと思う。もしかしたらモンスターかもしれない。

最初は近所のスーパーで見つけたので、そのスーパーの趣味かと思ったのだが、後日別の八百屋でも売られていた。陰謀論的主体が私の行く先々にロマネスコを置いていっているのだろうか?いや、旬なのかしら。こわいので私は食べない。

ロマネスコは宇宙人が銀河系内に播種した生物に違いない

1/11(木)

うっかり早起きしたら睡眠が不足してダメになった日。私はなぜか日の出とともに起きることがあって、何時に寝たかに関係なくそうなる。ランダム中途覚醒の能力を持っている。

この日はアラームの40分前に起きたので、そのまま活動し始めたが一日頭が動かずぼーっと仕事をして終わった。朝起きたときはスッキリ感があったのに……。

 

しかも夕方に鍼で自律神経をふにゃふにゃにされてしまう。ストレスと疲れがあるので副交感神経優位にされちゃったのだ。必要な処置だが、仕事も読書も捗らなくなって寝るしかなくなる。読書したかったのに……。

🐝🐝🐝

日記のメモ書きに「軽車両なので軽油を飲む」と「ロマネスコを集めて巨大ロマネスコを作る」と書かれていた。

軽車両とは自転車のことである。人が軽油を飲む。

ロマネスコフラクタルなので、ロマネスコを集めて積むと一段階大きなロマネスコが作れる。さらに上を目指すと数十メートルの大きさになるだろう。

1/12(金)

わりあいしっかり寝た。その代わりアラームで起きて遅刻ギリギリ。労働者をしていていちばん嫌なのは時間に縛られることだ。かといってコアタイムのない会社にいたら夜がどんどん遅くなる気がする。つまり8時間労働が良くない、という話。

 

このごろ自転車通勤をがんばっている。12月の週報で「通勤で運動するのが最適」と書いた。それの実践。久しぶりにしっかり走っているので足、腰、背中の筋肉が痛む。

なんでこれまで乗っていなかったのかというと、自転車のサイズが合っていなくて、正しい乗り方も知らなかったから。自転車屋の動画を見てから正しい姿勢、正しいサドルの高さで乗るようにしたらずいぶんスムーズに漕げるようになった。おもしろいくらい進むようになり楽しく乗っている。

ただ、やっぱり今の自転車はサイズが合っていない。ハンドルを握るとお尻が前にずれて、サドルにお尻を合わせるとハンドルに届かなくなる。買い換えた判断は正しかったようだ。もちろん、パーツだけ交換してハンドルを近くする選択もあったけれども、もう13年も乗っているのでよいだろう。

🎠🎠🎠

『訂正可能性の哲学』を読んだ

読みやすくて濃密でおもしろかったのだが、要約が難しい。なんで難しいのかな、と思って「25年後の『存在論的、郵便的』から『訂正可能性の哲学』へ」というイベントの動画を見たところ、それがデリダおよび東の議論のスタイルなのだとわかった。一冊の読書体験として考えながら読むことで、読者に何か新しいものが残る、という哲学書なので一読して要約できるようなものではないのだろう。

が、それでも私の中に残ったものとしては月曜日の日記の「食事による集団の維持」と

理性的で公的な言葉ではなく、感情的で私的な言葉こそが、一般意志の暴走を、すなわち「自然」や「公共」や「真実」や「正義」の絶対性を切り崩す(p.326)

というところ。

「食事による集団(家族的類似性)の維持」は東が書いたものではなく、私が勝手に東の議論と千葉の「宗教的なものについて考える」講演を合体させて考えたものである。

後者の「感情的で私的な言葉こそが〜」というのは現代社会の「真面目さ」批判であり、批判の対象は「真面目」すぎる「正しさ」の政治とか現今のインターネット、ビッグデータ人工知能による民主主義実装等々。人文学をやっているものだとごく自然に覚える現代社会への違和感である。が、私は他人の「真面目さ」が変わることに期待をしていないので「他者に対してここまで熱くなれないな」とも思った。

 

ただ「感情的で私的な言葉」を抑圧してしまっている自分はいて、なんとか出してきたいな、という思いはある。それを後押しするよい本だったと思う。

週報2024/1/7 事件が起きると娯楽は弱い、観光地は原宿になる、書くための儀式

12/30(土) 京都元田中のカレーがエリックサウスにあった、渋谷フライパン探し

コミケ前の東京入りの日。たいていの同人イベントは日帰りで行けるのだが、コミケだけは無理だ。始発の新幹線でもサークル入場に間に合わない。仕方がないので前泊をする。

お昼の新幹線に乗って東京へ移動し、渋谷でフライパンを探す旅に出てエリックサウスでカレーを食べた。東京に来るからには東京でしか食べられないものを食べたい。

 

以前「イナダシュンスケの原体験は元田中のDiDiだ」ということを書いたのだが、そのまんまDiDiの味のカレーが出てきてびっくりした。

DiDiは店主が高齢なのか営業頻度が落ちている。イナダが味を継承してくれているなら重畳である。

上真ん中のゴア風ポークビンダルーがDiDiの味(だったと思う)

🦔🦔🦔

渋谷でフライパン探しをしていたのは、新しいフライパンが欲しくなったから。我が家にあるのはリバーライトの中華鍋と20cmくらいのスキレットだけ。長年この二つで料理をしてきたのだが、よく考えるとふつうの平たいフライパンがなくて不便である。それに鉄フライパンは焼く、炒めるの調理に向いているが、ソースやスープを煮詰めるのに使うべきではない。ということに気づいて、ふつうのフライパンを探す旅に出た。

我が家にあるやつ
https://www.furaipan.com/shouhin/15furaipan/kiwame/furaipan01.shtml#BOX-CARTLINK より引用

道具は手にとって見極めないといけない。渋谷のヒカリエ、スクランブルスクエア、西武、ロフト等々巡ったのだが、意外と物を置いているところがない。みんな今はインターネットで買うのかしら。フライパンて重さが大事だと思うのだけれども。

これらの店でいちばん品揃えがよいのはロフトだった。ビタクラフトのスーパー鉄の重さ、形が良かった。とりあえず製品名を覚えて帰る。さすがにコミケでフライパンを買って帰るわけにはいかないので……。

www.vitacraft.co.jp

12/31(日)睡眠時無呼吸実況、琵琶湖でサーモンがとれたらいいのに

コミケ当日。寝れなかった。

寝れないのはいつものことで布団が変わるとダメだ。特にビジネスホテルの布団は苦手。ドーミーインでもダメ。

今回は別の要因もあった。隣の部屋から爆音いびきが聞こえてくるのである。
ゴォォォォズゴォォォォという音が周期的に。よく響く低音なので壁を貫通する。強すぎるだろう。

不穏な話だが、このいびき、たまに止まるのである。おそらく呼吸をしていない。睡眠時無呼吸なんとやら。いびきとセットの病気である。

「あっ死んだ」
「生き返った」

と実況しながら寝た(寝れなかった)。

🥚🥚🥚

コミケ自体はいつもどおり。会場へ行き設営をして本を売る。たまに知人がやってくるのでお喋りをする。午後になったら東西移動をして雰囲気を楽しむ。知り合いの本を買う。ブースに戻ってぼーっとしたら16時前に撤収。寿司詰めになって品川へ移動しなんか食べる。新幹線で京都に戻る。

石油王証明書を頒布(本をたくさん買ってくれる人のことを石油王と呼んでいる)

さいきんは夕方の新幹線で帰るので駅弁を買うことが多い。駅弁といっても品川駅なのでいろいろバリエーションがある。肉でも野菜でも魚でも何でもある。崎陽軒は何度か食べて満足し、別のものに手を出しはじめた。

今回は海鮮丼。疲労困憊の妻氏は鰻を食べ私はサーモンにした。ロシア産のいくらが乗っている。もうロシア産使っていいんだ。

薄々感じていたことだが、東京は魚がうまい。いや焼津のほうがうまい、という人もあるだろうが、京都に比べたら東京はうまいのである。駅弁のレベルで違いが出るのだから、ちゃんとした寿司屋に行くともっとうまいのだろう。京都は魚の鮮度が弱点である。うらやましい。

琵琶湖でサーモンがとれたらいいのに

1/1(月)正月は銀シャリ、安否確認訓練で「重症」を選ぶ

元旦。コミケの疲れもありヨボヨボだった。特にお腹の冷えがやばい。旅行をすると粗食とか外食にならざるを得なくてタンパク質、野菜、豆が不足しがち。

疲れてスイカゲームしかできない

餅とか雑煮の用意ができてないので白米を炊き始める。玄米、もち麦などの混ぜものなしで。「白米は神に捧げるくらい清いもので正月にふさわしい」から。暴論だが我が国の信仰としては外れてない考えだと思う。銀シャリうまいうまい。

🎱🎱🎱

能登半島が揺れたあと、数時間後に会社の安否確認メールが来た。人事部かなにかの人が元旦から労働をしたわけである。大変だなあ。公僕は招集されるからもっと大変だけど。

いつも安否確認システムの訓練では「重症」「全壊」を選んでいる。訓練だから何を送ってもよい、という理由でふざけてめちゃくちゃな選択肢にしがち。

しかし、今回は本番だ。指が勝手に「重症」「全壊」を押そうになるのを押しとどめつつ「無事です」という報告をした。

フォロワーは津波が来る場所に住んでいて避難していたし、火事も酷そうだ。元旦から家を失うなんて厳しい話だなあ。

1/2(火)寝正月、酔って小豆を炊く

引き続き疲れがあって布団と仲良く過ごした日だった。寝正月。夕方になってビタミンBが足りないのに気づいたが、時既にお寿司。アリナミンを飲んだが今日はもうダメ。

昼は包丁のメンテナンスをしていた。本来は年末にやるべきものだが、サボっていたせいで大掃除延長戦である。10月くらいに見つけた記事を頼りにはまぐり刃に小刃をつけた研ぎにしてみた。小刃をつける感覚がわかってきてまた一つ切れ味がよくなった。きけん。

 

夕方になっても体力が戻らず外食になる。しかし飲み屋くらいしか空いていない。近所のフレンチ飲み屋へ行った。前菜がとにかくうまくて良かったのだが、うまさを受けとめる体力もなくてちょっと勿体ないことをした。

しかもワインとビールを飲んだだけで酔いと冷えが回ってめちゃくちゃになる……。わりと散々な新年二日目だった。

おせち料理かもしれない

🥄🥄🥄

酔っぱらいながら小豆を炊いた。小豆は12月の豆ブームのときに買ったものである。ひよこ豆、大豆、小豆などの豆類をいろいろ買ってストックしていたのだが、小豆は渋抜きが必要でスープに混ぜこむのは難しい。仕方がないのでぜんざいとして炊くことにした。正月にぴったりである。

一度煮て渋を抜かないと食べられない

ぜんざい、というか小豆を煮るのは意外と簡単で、

  1. 小豆を水から煮る(浸水なし)
  2. 沸騰して放置したあと煮汁を捨てる
  3. 水を入れて1時間煮る
  4. 砂糖を大量に入れる

の手順でできた。ほとんど放置してるだけなので何も難しいことがない。

こうして二日目にぜんざいがあった。

おもち何個入れますか?

1/3(水)正月とコロナ禍の類似、事件が起きると娯楽は弱い

三が日は暇だ。ふだんの休日はスーパーが開いているので「あれを作ろうこれを作ろう」と思いながら買い出しをすることで散歩(運動)にしている。しかし正月は百貨店とコンビニ以外は休みでなかなか外出の目的地を設定できない。難儀なことに人混みも嫌いなのだ。初詣にも行かない。

かくして運動不足により背中や腰が痛みはじめる。アリナミンを飲んで寝まくったので疲労からは回復してきたものの、行くところがないので不健康なのは変わらないのであった。一日料理とインターネット、読書をして終わる。明日こそはどっかいきたい。

 

この感じ覚えがあるな、と思ったがコロナ禍の最初の3ヶ月が正月みたいな雰囲気だった。いや、正月よりも店が閉まっていたかも。空いているのはスーパーとコンビニだけ。百貨店も閉まっていた覚えがある。

コロナ禍が苦痛だった人は行くところがない辛さを覚えていたのだ、とようやく理解できた。たしかに散歩の目的地がないのは不便である。しかし当時は死にいたる病だったので、あのような対応になるのもしかたない、とも思う。

🍮🍮🍮

正月にいろいろ事件が起きたせいで、皆さんインターネットで元気である。あれこれ事件について批評をされている。こういうときには漫画の全話無料や民法の特番、YouTuberの特別企画とかが提供されても大して観られない。だって現実の事件、事故のほうがおもしろいのだから。

つまり娯楽のための、暇をつぶすためのコンテンツは現実が平和である限りにおいて需要があるのだろう。毎日テレビとインターネットの向こうで事件が起きていたらコンテンツなんてなくてもよいのだ。多くの人にとっては。

事件の報道やSNSの反応をみて嫌な気分になる人もいる。何より災害の当事者になる人もいる。そういう人にとってはコンテンツどころではないのだが、それ以外の大衆にとってはコンテンツになってしまうのである。そして娯楽産業は大衆に消費されることで成り立っている。

(画面の向こうで)事件が起きると娯楽は需要がなくなるのである。

1/4(木)観光地は原宿になる、書くための儀式

社会が動き出したぞ、と意気込んで外出。寺町のロードバイク屋さんへ行き、グラベルロードバイクを観察した。売れ残っているのか黒いカラーの商品が多くて困る。私はもうちょっと明るい色がいい。春とか夏っぽいやつ。

欲しい商品を絞りこんだら今日のところは撤退。あとはまたインターネットでよく調べることにした。

フルーツ飴屋が何軒もあった

久しぶりに訪れた寺町・新京極商店街は観光地の度合いが増していた。フルーツ飴、タピオカ、八角デカ唐揚げ、10円パン。

dailyportalz.jp

原宿でいちご飴店が増えているという記事を思いだした。京都の観光地に出店してくる企業は東京の流行にも敏感である。こうやってどの観光地でも似たような食べものを売るのだろう。京都らしい観光食べものは祇園と錦に任せて、新京極は原宿化するのである。
知らんけど。

ナンナンヤ コイツ

しっかり八千歩くらい歩いて帰ってきたらお布団読書としゃれ込んだ。運動をしているので布団でだらけていても罪悪感がない。読書が捗る場所は布団と電車が二大巨頭だ。運動をしっかりしたならば布団で本を読み、あわよくば寝てしまってもよいのである。

🫘🫘🫘

『作家の仕事部屋』を読んだ。

フランスの代表的な小説家に対して「どんな方法で書いてるのか?」とインタビューした記事の邦訳本。だいたいどの作家も「朝起きて何も食べずに書く」「天井がないといい」みたいな変な儀式を持っていて、儀式を経ないと書けない。その儀式が作家によって全く異なっており、共通する方法というものはなかった。

じゃあ自分の儀式は何かな?と思っていたらこの記事ができた。

non117.com

これを読んだ妻氏は
「(常時メモをとり毎日書き続けるのが)狂っていて参考にならない」
と言った。そうかもしれない。

1/5(金)大阪フライパン探しの旅、大阪は自己主張の街

大阪の千日前道具屋節へフライパンを買いにいった。我が家は出不精すぎて京都引きこもりである。府境をまたぐのは同人イベントへ行くときだけ。買い物目的で大阪に出たのは初めてではなかろうか?

なんでわざわざ大阪まで行くのかというと、百貨店やハンズに売られているフライパンはテンプレブランドのものしかないから。ちょっといいフライパンを多様な選択肢から選びたい。何ならフランス製のものも見てみたい。というわけで専門店を目指したのである。

銀色のやつ

買ったのは中尾アルミ製作所のアルミとステンレスでできたフライパン。外側がステンレスで内側がアルミという変なやつだ。アルミの熱伝導率の良さとステンレスの蓄熱性をかけ合わせる設計の製品だと思われる。

これで料理をすると妙に香りが良くなる。メカニズムは不明で「鉄鍋に残った油が匂い物質を吸着している」「鉄鍋から溶けだした鉄イオンが匂いをマスクしている」等々仮説は考えられるが、はっきりしたことはわからない。ともかく、鉄鍋だと出せないタイプの香りが残るらしい。特にパスタが別物の味になった。店のレベルに近くなっている。

乳化も勝手に進む

弱点は肉を焼けないこと。焼けないこともないのかもしれないが、火加減は非常に難しい。野菜ならばぜんぜんくっつかないのになぜか肉はくっつきまくる。剥がすのは簡単だが、肉を炒めるのには使わないほうがいいようである。とろみのある仕上がりを目指す料理が得意なフライパンだった。

🥞🥞🥞

なんばを訪れてわかったのは、大阪の看板はやかましいのに押しつけがましくないこと。看板は「ここに眼科があるで!」と主張するだけであって「あなたは今すぐレーシックをすべきです」みたいなことを言ってこない。山手線の広告は「すぐに脱毛と植毛をしろ」と命令してくる。

大阪の看板は自己主張をする

大阪のおばちゃんの派手な色の服も自己主張である。大阪は主張が大事な都市、と言うと彼らの態度ともマッチして納得感があると思う。

🥞🥞🥞

『世界のへんな肉』を読んだ。

世界一周をしながらラクダ、キリン、アルマジロ、イグアナなどのへんな肉を食べる話。旅行記ではなく、肉を食べたときのエピソードが中心。

世界では日本人にとってまずい肉も食べられているようで、人間は生きるためなら何でも食べるのだなあ、と思った。

文章は読みやすい。が、内容はちょっと薄味でエモ系のエッセイ。軽い読み物としてはおすすめできる。

文章を書く方法2024

『作家の仕事部屋』を読んだ

フランスの小説家に「どうやって、どこで、どんな環境で書いているのか」「書く前の儀式みたいなものはあるのか」とインタビューする本。20人くらいインタビューされていて、みんな方法がバラバラでおもしろかったので私も書いてみる。

書き方

私の書きものはアウトライナーへのメモ書きから始まる。あらゆる思いつき、観察の記録はアウトラインに記録されている。スマホのない時代であれば手帳を使っていたのかもしれない。散歩をしていて思いついたらサッと走り書きをする。文章として完全でなくてもよい。

こうやって一日中メモ書きをしたら夜に編集と清書をする。メモ書きを別のエディタにコピペし、絵文字で段落を区切りながら清書をする。これが日記になる。日記はごく少数の友人に公開しており、ある程度ちゃんとした文章を目指して書いている。文字数は二千文字から五千文字くらい。

さいきんは日記を書いたあとに週報用の下書きも作っている。日記から一日のまとめと、週報に載せられる話を抜粋する。日記と週報では読者層が異なるので、週報向けのテキストはいちから書き起こしている。読者が違うと自明にしてよい知識が違うので、書き方から変わってくるのである。

短く書きたい

さいきんの悩みは週報が長いことである。毎回五千文字を超えている。文章のリズムと語彙レベルによって読むスピードは変わるので一概に何文字がいいとかは言えないのだが、一般的にはウェブ媒体は三千文字が上限だと言われている。たまにnoteとかで「一万文字かけて解説!」という記事があるが読者に負荷がかかるのでやめたほうがいい。短くまとまるならそれがいちばんなのだ。そう言いつつ私は毎週五千文字書いているので批判する資格はないのだが。

短くするために、週報ではなく公開用日記に分割するプランもあった。しかし、平日の私は頭がぱーになっている日があり、そういう日の日記には多くの混乱が見られる。混乱も含めて近況共有になるのかもしれないが、私は混乱したものを世にお出ししたくはない。よって、平日にちゃんとした推敲をするのは不可能で、土日に混乱を減じたものを書かざるを得ないのである。

あるいは単に話題を減らせればいいのかもしれないが、毎日何かしら思ったり思いついたりするもので、それを残したいという欲がある限りトピックの数を減らすのは難しい。短い文章を目指しても、トピックが多いと膨れてしまうものなのだ。

作業環境

アウトラインはスマホタブレット、PCといろいろなデバイスから書いている。さいきんはスマホでメモすることが多い。

清書はiPhoneを大きな画面に映して、Bluetoothのキーボードを使って書く。いろいろと環境には悩み、一時期は手書きにまで行ったのだが、今のところいちばんうまく書けるのがiPhoneである。キーボードであることは必須ではなく、別にフリックでもいい。よくわからないのだが、画面が狭ければ狭いほど集中して文章が書けるのである。PCだと気が散ってダメ。

あと周りに音があるのもダメ。聞いていると書けないし、書いていると聞けない。

この方法の一般性

  • 毎日書くこと
  • 寝かせて清書をすること

あたりまでは一般性がある方法だと思う。何を使ってどこで、どんなエディタで書くのか、については人によって異なるものだろう。各位が模索するところである。

まとめ

  • 一日中メモを書いて、それをiPhoneで清書している
  • 一日の終わりに清書をして寝かせる
  • 頭がまともなときに推敲をして公開する
  • 文章は短くて密度が高いことが重要
  • 作業環境は各自で模索せよ

週報 2023/12/31 コーヒー依存、新年で生まれ変わる、有能さとおもしろさは関係がない

12/23(土)コーヒー依存、『哲学の三つの伝統』を読んだ、ザワークラウトは薬

朝食後コーヒー。コーヒーうまいよう。あまりにうまいので豆2杯で500ml抽出し、ぜんぶ飲んでしまった。アナエロビックはすごいなあ。

これまではケチって一杯だけ飲み、あとは冷蔵庫にしまっていた。平日の朝に飲むようにとっておいたのだ。

だがそれももうやめだ。その場で飲む。

🛵🛵🛵

『哲学の三つの伝統』を読んだ。

古代中国、インド、ギリシアの三つの哲学の共通項を論じた本。どの哲学にも共通するのは「世界はどうなっているのか」「人間はどう生きるべきか」という問い。中国とインドの哲学は論証を重視しなかったが、ギリシアの哲学は論理的な厳密性を重視した。その結果として欧州に科学が発生し、世界を席巻するに至った。科学は「世界」に対する問いであり、どの文明圏でも再現するから。

ただ、そんなにおもしろい本ではなかった。半分くらい読んでない。

🛵🛵🛵

どよ〜んと元気なく過ごしていたところ、サラダとザワークラウトを食べたら復活した。

前から再現する現象なのだが、家で飼ってる発酵食品を食べるとすぐに元気になることがある。乳酸菌や酵母が作った栄養素が原因かとも思ったのだが、彼らの作るビタミン類をサプリで飲んでもこれほど効くことはない。おそらく生きた菌に含まれる何らかの物質がすみやかに血中に取り込まれているのだろう。

これは突拍子もない発想でもなくて、老化を抑制する物質(NMN)が経口摂取で血中に展開されることがわかっている。NMNはNADの前駆体で、NADは細胞呼吸や酵素反応などあらゆる場で使われる重要物質である。重要なので生体が速やかに取り込む、という仕組みがさまざまな物質に対して備わっていてもおかしくはない。

というわけで、妙に元気になるので今後もザワークラウトを食べ続けようと思うのであった。

12/24(日)靴磨き沼の入り口、読んだ本まとめた

週報を仕上げ、ポトフを作り靴磨きをした。

靴磨きがわりと好きなことに気づきつつある。靴職人曰く「革は人間のお肌と同じで保湿が大事。生きてるようなもの」とのこと。実際に靴クリームを塗っていくとツヤツヤきれいなお肌になる。テカらせていくのがとても楽しい。

東急ハンズに行くとブラシだのクロスだのいっぱいメンテ用品が売られている。油断するといろいろと揃えたくなるもので、これは沼だなと思った。

🚍🚍🚍

スーパーに行くと人だらけ。みんなクリスマスイブで浮かれているのだろうか。
骨付きもも肉が売られていたが買わなかった。同じもも肉なら、いつも味噌汁弁当に入れていて食べ飽きているので……。こういうときのために地鶏を調達したら楽しいのかもしれない。

いつもの肉、魚、野菜を買って帰った。年の瀬でだんだんやる気がなくなる予定なので食材もてきとう控えめにした。

🚍🚍🚍

今年読んだ本のリストアップをしてみる。そのうち記事として出す予定。

結局、四半期まとめは書けていないし年末まとめも書く気がないのだが、読んだ本くらいはまとめてもよかろう、と思ったのだ。

まめなもので、読書メモは大量にある。いつ読んだか、どのページで何を思ったか、何が書かれていたかがWorkflowyに溜まっている。もう2年ぶんくらい。これを2023年1月1日からさらっていって、雑感を書いたら完成だ。1時間くらいでできた。

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12/25(月)通勤で運動するしかない、『三流シェフ』を読んだ

「健康のためには運動しかない」という真理に屈して自転車通勤を再開した。

これまでは電車やバスと徒歩で移動することが多かったのだが、どう考えても自転車通勤ほどの負荷にはならない。会社までの数kmを自力で移動するのだ。日常に組み込める運動で、これほど便利なものはほかにない。

一時期はいわゆる電動キックボードや電動自転車に目移りしたものだが、それも諦めた。自分の足だけで移動する。

 

自転車も買い換えることにした。今乗っているのは学生時代にバイト代(二回払い)で買ったロードバイクだが、じつは体型に合っていない。どうポジションを変えてもハンドルが遠いので胴体か腕が短いのだと思う。買った店もしょぼいところだったし、フィッティングがうまくされなかったのだろう。学生時代の買い物なんてそんなものだ。もう十数年乗っていることだし、頃合いではあるだろう。

というわけで2024年は自転車通勤し続けるのがテーマです。

🎲🎲🎲

『三流シェフ』を読んだ。

三國清三の自伝。世界的に有名なシェフだが、私にとってはYouTuberである。読んでみたら偉大なシェフだった。怒鳴ったり蹴ったりするけど。

生まれは北海道の貧しい家。漁師の父に連れられて手網漁をしていたらしい。児童労働!

中学を卒業したら調理師の学校へ行き、札幌のホテル、帝国ホテル、ジュネーブ大使の料理人と出世していく。帝国ホテルでは鍋洗いしかしてなくて料理はさせてもらえなかったのに、当時の総料理長が塩ふりの様子だけで腕前を見抜いて海外派遣させたらしい。総料理長の目がやばい。

スイスで経験を積んだ三國は、大使との契約満了後も欧州に残り修行を積んだ。一時期はフランスの三つ星レストランを渡り歩いていたというので、やはり技術とか才能の類があったのだろう。

 

日本に帰ってきたのは「自分は日本人でありフランス人の真似事はできない」と痛感したから。天才シェフに「セパラフィネ(洗練されてない)」と言われたり、まかないを作ったら同僚から「味が薄い」と言われたりして「日本人はクリームドバドバ、バターびちょびちょの料理は作れない」と理解したそうな。こうして日本人としてのフランス料理をつくるようになり、今の地位がある。

結局のところ育った文化からは逃れられない、という話である。

非常に読みやすいのに密度があってよい本だった。

12/26(火)カフェインのやばさに気づく、野菜の質がわからない

在宅勤務で会議地獄。蟻地獄。字が似てるね。

午後はコーディングをしまくっていた。コーヒーを飲み、玉露を飲み、とカフェインを注入しまくっていたら退勤後に頭が変になる。精神ではなく物理の話。頭の血管がじわーっとして後頭部がぞわぞわするのだ。

調べてみたら「カフェインは頭の血流を妨げる」という情報が見つかった。カフェインの効果が切れたら頭の血流が増えてぞわぞわするわけである。

ついでにカフェインの作用機序について調べていたら「脳の疲労物質が溜まっても集中力が切れないようにする(ドーパミン抑制神経の活性化を阻害する)」ということがわかった。あれ?立派な薬物なのでは?合法なだけでやばいやつ。

でもやめない。やめられない……。さすがに控えめにしようとは思ったけれども、コーヒーはうますぎるので離脱不可能だと思う。

🪘🪘🪘

料理人は極まっていくと「素材の質がすべて」みたいなことを言いだす。魚だとわかりやすくて、魚の締め方や処理で身の味が変わる。肉も同様で、いい育て方をしていても処理が悪いと血が残りまずくなる。

じゃあ野菜はどうなのだろうか。萎びている、ツヤツヤしているというのはわかるのだけれども、どういう野菜が良いのか、基準をよく知らない。

一つ気づいたのは、夕方に八百屋に行くから微妙な野菜ばかり掴んでいる説。もしかすると朝に買い物をすると、良い野菜が手に入るのかも。そういえば過去の週報で「午前のスーパーは野菜が輝いていた」と書いたことがあるような……。

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12/27(水)腰の爆発を診る、英国人は紅茶で不眠症にならないのか?

年内の最終出社。明日は在宅。カフェインの影響で睡眠が終わっており、フラフラな状態で仕事をした。

お昼に「腰が痛い」という同僚の姿勢をチェックする。私は猫背を治した姿勢のオタクなので見たらわかるのだ。

席に行ってみて猫背の具合、腰の反りなどを確認してみたが、そう悪い感じはしない。机の高さはおかしかったがそれくらい。

「じゃあ何で腰が爆発したんだろうね」と話すうちにマットレスが悪い可能性に行きあたる。同僚はいいマットレスを買ったのに、妻子に取られてしまったらしい。それなのでは〜?

 

家に帰ったらおりゃーっと最後の仕事をしにかかる。年内にキリのいいところまで終わらせたくて20時すぎまで働いてしまった。結局、バグがとれずに撤退する。

♟️♟️♟️

カフェインといえばコーヒー、紅茶。紅茶といえば英国。英国人は一日に何杯も紅茶を飲むそうだが不眠症にならないのだろうか?

調べてみると「たしかに紅茶を飲みまくる」「紅茶には必ずミルクを入れる」ということしかわからなかった。不眠である、という情報は出てこない。

一説によるとお茶のテアニンがカフェインと拮抗する作用を持っているのだとか。たしかに紅茶はホッとするような気持ちになる。コーヒーみたいなウオオオという薬みたいな作用とはちょっと違うのかもしれない。

www.itoen.co.jp

12/28(木)新年で生まれ変わる、今年の収穫は「猿真似」

仕事納めの日。遅めに起きて在宅勤務。昨日残しておいたバグをとって仕事が納まったことにした。コードレビューはされてないが、機能は完成した。完成したのだ。その後は定時までだらだらして終わり。

 

退勤するときに同僚たちが「締めの挨拶」みたいなものをチャットに書き残していく。そうせざるを得ない妙な雰囲気が仕事納めにはある。

日本だけでなく中国や韓国も同じだと思うのだが、我々にとって年末と元旦は特別である。今でも元旦の休みだけは死守されるお店が多いし。

我々にとっての新年は「生まれ変わり」みたいなものなのだ。古くは数え年の考え方がそれ。西欧の考え方だと年は誕生日を基準とするものだが、我々にとっては誕生日よりも元旦のほうが重要らしい。実際には何も変わらないのに、大きな区切りがここにある。

数え年というのは、中国に由来する古典的な東洋の年齢観である。人は生まれたときすでに「一」であり、また歳をとるというのは、年末にやってくる歳徳神のなせるわざ。新しい歳を運んでくるのは、先祖が浄化されて神格化した神さまの仕業だと考えられた。年末の大掃除も門松を飾るのも、すべてこの歳徳神を迎えるためだ。

「満」と数え年 | 玄侑宗久公式サイト

ぺかー てってれーん

🏅🏅🏅

今年はストレスも高めだし忙しかった。来年はもっと忙しくなるだろう。

 

7月に大きな変化があった。

同僚に「あなたは思うような出力をしてくれない」と言って怒られる。最初はこちらも怒ったのだが、上司に協力してもらいつつ話を聞いてみたら、私に要求されている仕事は妥当な内容だった。明に言われてなかったけども。「じゃあなんでちゃんと要求し説明しないの?」とは思ったが、そういう説明が苦手な人なのはわかっていたのでそこは呑んだ。

「説明しないほうが悪い」とすることもできるが、世の中は言語化が得意な人ばかりではないのだから仕方がない。それにさまざまな合理的事情があり、私はまだまだその人と仕事をやっていく必要があった。要求の仕方に文句はあったが、能力のある人なので尊敬もしていた。

という複雑な状況があり、自分を変えて対処することにした。向こうからの説明がなくてもこちらから察して相手のやってほしそうなことをやる。具体的にどうやって?「とりあえず真似すれば当たるでしょ」という結論に至った。これが正解だったのだろう。そのうち、うまく仕事の連携ができるようになった。

 

猿真似は効率的な学習法である。今は何でも「わかりやすく説明しろ」と言われる世の中だが、かといって人々の説明能力はさほど上がっているわけではない。皆が相互に説明を要求して窮屈になっているのが実情だ。だからああしろこうしろ言われる前に察して真似しておけばお得なのである。その点の価値観を転換することで、得られるものがあった。

それに、察してもらって悪い気になる人とかいないのである。できるなら察しておけばよい。

11/29(金)フランス料理は肉を食べさせる技術、有能さとおもしろさは関係がない

休暇に突入。しかし忙しい。明日は東京だし明後日はコミケコミケから帰ってきたら正月でスーパーはみんな閉まっている。野菜や肉を備蓄しておかないと食っていかれない。朝食を食べ、体調が整ったら八百屋とスーパーをはしごして食材調達に奔走した。

週報原稿を書いて料理動画をみたあとフランス料理に挑戦する。三國シェフのレシピ。

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この二つを作って

どちらもおいしくて癒やされた

こうなった。

どちらもたいへんおいしくできた。満足である。レシピ通りにやったらスーパーの材料でもおいしいフレンチができることがわかった。

🛷🛷🛷

妻氏が飲み会の反省会を二日遅れでしていた。話を聞いてみると「仕事ができる人だと思っていたのに喋ってみるとおもしろくない」という悩みだった。期待外れというやつ。

しかしよく考えてみると有能さとおもしろさは関係がない。効率を優先し視野が広くて真面目であれば有能になれるかもしれないが、我々の求めるおもしろさは真面目さとは真逆の特性である。不真面目であるとよいところがある。

しかし不真面目だと仕事が雑になる。実際私や妻氏は雑な仕事をしがちなタイプなので困っているところもある。真面目さと不真面目さの間でいいバランスを求めて揺れている。だから真面目さ一辺倒の人も不真面目さ一辺倒の人も趣味が合わない。それはもうそういうものだから仕方ないな、となった。

 

ちなみにこのブログの記事も真面目に書かれていない。真面目なように見えるのは私が「問いを立てて論理的に考える」のが好きなだけであって、取り扱う題材については「なんでもいいし明日には考えが変わっているかも」と思っている。そういうふうに、真面目にやらないことをモットーに書いているので、くれぐれも読者の皆さんは真面目に受けとらないようにしていただきたい。

2023年に読んだ本

今年は週に一冊本を紹介することを目標に読書をしていた。だいたい金曜日までに一冊読み終わっていればよくて、早めに読み終わった本が溜まることもあれば、ギリギリまで読み終わらないこともあった。一種の締切があったので安定して本を読み続けられた。リズムは大事。

一年は52週。読んだ本も52冊だった。これ以外は読んでないと思う。漫画も最近は読まない。当たりはこのなかで5冊くらいで、もうちょっと基準を緩くしたら20冊くらいだと思う。下のリストで⭐️をつけてある。

三割くらいはダメな本だった。途中で投げればいいものを、サンクコストにやられていつも最後までめくってしまう。最初の数ページで捨てる判断もできていない。いつまでたっても読書は上手にならない。

 

ドゥルーズ - 檜垣立哉
ドゥルーズ入門書。ベルクソンを引き継ぐ「生」の哲学者である、という整理がコア。ちょっとむずい本。

 

忘れられた日本人を読む - 網野善彦
読書ログがないが読んだような気がする。宮本常一と網野の思い出話とか、網野歴史学からの解釈。

 

⭐️⭐️民俗学の旅 - 宮本常一
宮本常一の自伝。おもしろかった。「維新以前の人のことばには抑揚、リズムがあった」という記述がよい。『忘れられた日本人』を先に読むべし。

 

⭐️戦後日記 - 三島由紀夫
三島事件へ向けてだんだん不穏になっていく三島の日記。文章が上手い。その時代らしい言葉遣いが残っていてよい。余暇は劇場、映画、キャバレー、ナイトクラブ、酒。

 

⭐️⭐️⭐️徒然草 - 兼好
説明不要。おもしろい段がたくさんあった。陰キャ文学なので合う人にはとても合う。

 

⭐️⭐️人間の生き方、ものの考え方 - 福田恆存
the 人文学という感じの教養書。説教かも。「言葉の意味をちゃんと理解して使ってますか?」「人間は本質的に孤独」がメッセージ。

 

ベルクソンの哲学 - 檜垣立哉
檜垣立哉に言わせると「生」の哲学の人。むずくて要約できない。

 

医学の歴史 - 梶田昭
胆汁質とかの呪術っぽい医学から近代医学までを語る本。「できることは悩みに対応する慰めなのに、たまにしかできない癒しを看板に掲げたところに、医学の宿命的な辛さがある」p42

 

自律神経の科学 - 鈴木郁子
内臓を支配する神経と内臓から情報を吸いあげる神経がある。皮膚刺激で自律神経が影響を受け、胃腸の動きを活発化させたりする。鍼灸の原理の一つ。ちょっと冗長な本。

 

カラスと京都 - 松原始
90年代の京大学生生活を描くエッセイ。カラス研究者になるまでの半生。

 

日本語の起源 - 大野晋
日本語はタミル語から派生したという仮説の本。語彙だけでなく文化の類似性も指摘しており、説得力はある。

 

⭐️⭐️⭐️福翁自伝 - 福澤諭吉
とてもおもしろい(読みやすい)。適塾時代のハチャメチャが楽しそう。

 

君が戦争を欲しないならば - 高畑勲
空襲体験の壮絶な描写、などなどの講演集。おそらく火垂るの墓の原体験。

 

⭐️東と西の語る日本の歴史 - 網野善彦
日本は東西で文化的に別物だよ、という主張の本。

 

⭐️⭐️日本人の身体観の歴史 - 養老孟司
死体を人扱いしない日本文化・社会への恨み節なのだが、よく考えられていておもしろい。「実在感」がキーワード。日本には身体をないかのように扱う文化がある(身体の実在感がない)。

 

語学の天才まで1億光年 - 高野秀行
冒険のためなら現地で言語を覚えればいいのだ本。どの言語にもノリのようなものがあるらしい。自虐的なのにドヤ顔をする書き方が苦手だった。

 

⭐️⭐️言語はこうして生まれる - モーテン・H・クリスチャンセン, ニック・チェイター
言語は即興的なものであり、ジェスチャーゲームのようなものである。きっちりした意味がある盤石な体系ではない、と主張する本。すべては言語ゲームである。

 

言語の本質 - 今井むつみ, 秋田喜美
オノマトペによって言語は身体とつながっているんだぞ本。アブダクションも大事。アブダクションは論理的には正しくないが、新しい知識を作りうる。おもしろいがちょっと読みにくい。

 

⭐️パスタでたどるイタリア史 - 池上俊一
古代ローマから現代までパスタでイタリアの歴史を語る本。おもしろい読みやすい。中世ではごちそうだったのに、今や母親の味となっている。

 

短歌をよむ - 俵万智
短歌とは「あっ」と思った心の動きを詠む文学である。私は短歌とは相性が悪いことがわかった。

 

⭐️⭐️人はみな妄想する - 松本卓也
ラカンの哲学の変遷をたどる本。むずいがおもしろかった。

 

躁鬱大学 - 坂口恭平
躁鬱人の生態を描くエッセイ。「どんな人間も悩みは同じである。人は、人からどう見られているかだけを悩んでいる」p.154

 

⭐️⭐️⭐️唯脳論 - 養老孟司
社会にあるもの全部脳の産物だよ本。養老孟司は雑な議論をしがちだが、アイデアは天才だと思う。「意識とは脳の二階である」「哲学には運動系と感覚系の対立構造がある」という指摘がよかった。

 

大阪的 - 井上章一
大阪にまつわる誤解を解消していく本だが、文章が下手でつまんなかった。後半読んでない。

 

「問い」から始まる哲学入門 - 景山洋平
問いが大事なのは間違いないので、よいタイトルだと思ったらおもしろくなかった。冗長。

 

さわれば分かる腹診入門 - 平地治美
腹診とは中医学、漢方での診断方法。お腹を触ってお灸する場所を決める。体質ごとの診断方法が書かれていた。

 

⭐️⭐️⭐️考える練習 - 保坂和志
保坂和志が若手編集部員を説教する口述筆記の本。めちゃくちゃおもしろい。創作論のような内容。

 

からだ・こころ・生命 - 木村敏
養老孟司が「死は二人称でしかない。なぜなら自分の死は体験できないし、意味のある死は二人称的な関係だけだから」と引いていたので読んだ本。論文集だが、他はまじめに読んでない。むずい。

 

継続するコツ - 坂口恭平
「ふつうの人は否定してばかりで、そうやっていると食えなくなるぞと言ってくる。無視してよい」「おもしろくないことを続けてはいけない」あたりがメッセージ。あくまで坂口恭平のコツが書かれている。

 

これならできるオリーブ栽培 - 山田典章
小豆島脱サラ有機オリーブ農家の本。オリーブの苗を買ったので読んだ。

 

「野口体操」ふたたび - 羽鳥操
脱力をするための体操の方法、および野口三千三の思い出話。動画でみたほうがよさそう。

 

自閉症とマインド・ブラインドネス - サイモン・バロン=コーエン
自閉症者が他人の心や意図を読めないのはなぜか、という問いを解くために心のモデルが提案される。心理学界隈向けの専門書。読みにくい。

 

⭐️⭐️⭐️芸術のパトロンたち - 高階秀爾
パトロンの権威を示すための芸術が社会に広まるにつれて、芸術家の地位も向上していった。現代では大衆および公的機関がパトロンである。めちゃくちゃ文章が上手。

 

⭐️⭐️ビジュアル・シンカーの脳 - テンプル・グランディン
視覚、映像で考える人たちもいるんだよ本。視覚思考者には物体視覚思考者と空間視覚思考者がいる。あと言語思考者もいる。社会が言語偏重でよくない、という政治的主張もある本。コアの主張はおもしろい。

 

おしゃべりな脳の研究 - チャールズ・ファニーハフ
頭の中で声が聞こえる人たちについて研究した本。読みにくい。

 

植物の体の中では何が起こっているのか - 嶋田幸久, 萱原正嗣
光合成の仕組みについて理解できる本。植物の生長や紅葉などについても語られる。

 

⭐️日記 - 五木寛之
直木賞作家の日記。だんだん文章が上手になっていっておもしろい。

 

⭐️陰翳礼讃 - 谷崎潤一郎
暗いのがいい!という主張で有名なエッセイ。しかしよく考えると欧州のほうが暗いはず。目の暗さ耐性が違うので。陰翳礼讃以外のエッセイがおもしろかった。

 

⭐️⭐️お言葉ですが4 - 高島俊夫
敬愛する高島先生のエッセイ集。

 

絶望名人カフカの人生論 - カフカ
カフカの書簡から抜粋した「名言」を並べた本。「名言」に添えられたコメントが説教臭くてダメ。つまらん。

 

⭐️⭐️中世を旅する人びと - 阿部謹也
欧州の中世社会がどのような仕組み、文化だったかを概観する本。読みやすくておもしろい。非常に治安が悪く、他人を信用しない疑心暗鬼の世界だった。

 

⭐️⭐️お言葉ですが1 - 高島俊夫
敬愛する高島先生のエッセイ集。

 

生きづらい明治社会 - 松澤裕作
明治時代、戦前の貧困層問題についての本。現代の問題に無理やりつなげて批判しようとする魂胆がみえるダメな本。

 

⭐️⭐️お言葉ですが2 - 高島俊夫
敬愛する高島先生のエッセイ集。

 

味つけはせんでええんです - 土井善晴
土井先生の哲学?が語られたエッセイ集。ちょっと散らかっていて読みにくい。内容も背伸びをしていて、抽象的に語ろうとして失敗している感じがする。

 

すばらしい暗闇世界 - 椎名誠
ナショジオ原稿集めた本。世界中を探検してる人のエッセイで、文章が上手なのでおもしろい。内容もサービスもよい。

 

⭐️観光客の哲学 - 東浩紀
ポストモダン哲学は結局社会を変えられてないよね、という問題意識から、現代社会の問題を捉え直そうとする試み。解決するためのキーワードが「観光客」らしいが説得的ではなかった。続きの「訂正可能性の哲学」につづく。

 

中国共産党 世界最強の組織 - 西村晋
日本人の中共理解はなっとらん、とお叱りをしてくる本。共産党の中央じゃなくて末端組織に焦点を当てて解説している。

 

⭐️⭐️食事のせいで、死なないために - マイケル・グレガー, ジーン・ストーン
栄養学の本。豆食え野菜食え果物食え。豆は実践してみたら著効した。食べろと言われているものの半分は抗酸化物質である。

 

野ネズミとドングリ - 島田卓哉
ネズミがドングリ食べたら死ぬのはなんで?という問いを調べる本。タンニンへの馴化が答え。ネズミが好きなので買ったが、あまりおもしろくはなかった。

 

哲学の三つの伝統 - 野田又夫
ギリシア、インド、中国に共通する哲学は何か、を問う。「世界はどうなっているのか」「善く生きるにはどうしたらいいか」がコア。この問いを語る形式が文化圏によって違って、欧州は世界の謎について厳密に問うたから科学を生みだせた。ちょいむず本。

 

⭐️⭐️三流シェフ - 三國清三
三國シェフの自伝。貧しい漁師の生まれなのに持ち前のセンスと突破力で世界的な料理人になっていく物語だった。フランス人になれない、と悟って日本に帰るくだりがおもしろい。

 

ベストは『徒然草』、『福翁自伝』、『唯脳論』、『芸術のパトロンたち』、『考える練習』。どの本も文章が上手で中身が詰まっていた。

前に「いい本はサービス(文章の上手さ)と内容の両方が備わったものだ」と書いたことがある。今でもそう思う。しかしそういう本を発掘するのが大変なのである。そこは当時、わかっていなかった。

non117.com

週報 2023/12/24 読書で何も得られなくてもいい、わやのわや感、頭の中の机に信楽焼が生える

12/16(土)京都の菜の花は冬に咲く、意外と近い植物と動物

インド料理屋のタルカに行こうとして敗北。開店時間のちょっとあとに訪問したらすでに長蛇の列ができていた。1時間近く並んでまで食べようとは思わない。諦めた。

 

代わりにどうするか。京都市民よろしくパンを買って済ませる手もあったが、なんとなく近くのホテルのレストランに入ってみた。

高いレストランではなく、サラダと飲みものがビュッフェ形式で、メインだけ調理されて出てくるやつ。ホテル朝食とレストランの間の子みたいなもので、なかなか合理的な仕組みだと思った。

味はそれなり。サラダを食べまくれるのは便利である。

野菜食べ放題ランド

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なぜかスーパーに菜の花が売っていた。旬なのかどうかわからないが安いので買っておく。なんで冬に売ってるの?

調べてみると京野菜だった。やっぱり菜の花は春だよね。京野菜に冬の菜の花があるらしい。不思議だなあ。

スープやパスタにしておいしく食べている。

カレースープをよく作る

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学位としては情報系なのだが、なぜか生化学への興味が強い。趣味で代謝回路の勉強をしていたりする。

この日は「カロテノイドはなぜ赤いのか?それに抗酸化作用も持つのか?」という疑問を調べていた。つまり、色の濃い野菜が抗酸化作用に富むのはなぜなのか、という問いでもある。

 

答えは共役二重結合の存在だった。

ja.wikipedia.org

二重結合と単結合がぐねぐね連なったもので、たくさん繋がっているからちょっとくらいエネルギーをもらってもうまく発散できるようだ。カロテノイドが光を一部吸収すると色素になり、一重項酸素(酸化物質)からエネルギーをもらうと抗酸化能力になる。もともと植物が光合成をするときに発生する物質が一重項酸素で、動物の体内でも発生するからカロテノイドが有効なのである。

http://www.noden.or.jp/asset/00032/Plant_Biotechnology_Laboratory/bio2016_07.pdf

12/17(日)豚肉は短冊状に切るとうまい、終電という記号

また鳩に襲われた。

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豚肉は塊で買ってきて短冊状に切るのがいちばんおいしいと思う。こんな形。

細め分厚く箸でつまめるように

青椒肉絲に入っている豚肉に似ているかもしれない。肉はある程度厚く切ったほうがうまいのは自明っぽい。料理にもよるが1cm角で長さ5cmくらいがベストだと思う。

面倒だが自分で切らないといけない。売られているのは見たことがない。肉屋にあるのは塊か薄切りだけ。薄切りはスライサーで自動化されているのだろう。

ベーコンなら短冊状のものもあるのだけども、生肉だと無理なようだ。がんばって自分で切るしかない。

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『野ネズミとドングリ』を読んだ。

とある生態学者が「アカネズミにドングリを与えると死んでしまう」という現象を見つけたところから始まる研究の物語。ネズミはドングリをよく食べて冬を越すのになぜ死んでしまうのか?謎を解決する研究者半生の話であった。

原因を究明するところまではおもしろかったが、後半はつまらなかった。

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サークルのSlackで「どうやってお付き合いの状態から同棲の状態に持っていくのか」という問いを見かけた。

最初のハードルは家に行くことなのだと思う。下宿の学生だったら簡単。家が近いので自然と家に上がりこむ機会はできる。

難しいのが電車とかバスを使う人たち。互いに離れた場所に住んでいると、なかなか家を訪問するとっかかりがなさそうである。だから「終電」という記号ができるわけだ。

12/18(月)e-honを使ってみた、読書で何も得られなくてもいい

e-honで注文した本を受けとった。e-honは自宅配送ではなく最寄りの書店に配送するサービス。そのためなのか、発送されるまで2週間くらいかかった。裏側に取次ネットワークがあるのだろう。在庫を前提にしたインターネット本屋さんなのではなく、出版社からの取り寄せ窓口が集約されているだけなのだと思う。

厳選積ん読

発送されたらメールが届くので近所の大垣書店に行き受けとってきた。代金は店頭で支払う。ついでにいらん本を買ったりもする。

書店には私の注文した本が入った箱が届くようで、書店員が店舗の在庫を集めたりはしないようだった。『訂正可能性の哲学』なんかは売り場に並んでいるのに注文してしまったので、無駄なことをした……。

いろいろとアナログな仕組みを感じる本通販だが、手に入れば何でもいいので今後も使うことにした。本は積みまくってるのですぐ届かなくていい。

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読書メーターに感想を投げると、同じ本を読んだ人からいいねがつくことがある。私は半分くらいの本に対しては酷評をしているのに、それでもいいねがつく。いいねをつける人はだいたいその本を褒めている。なんで褒めている人が酷評にいいねしてくるのかよくわからない。

というか読書メーターの感想には酷評があまりない。皆さん「この本はクソだ!」とか思わないのだろうか。読書は時間がかかるから「何か得たことにしたい」という気持ちもわからないでもないが。

でも、時間をかけても失敗することはある。ダメな本はダメである。ダメだったときは自分の審美眼を呪って反省するのがよい。買う前に鋭い嗅覚でダメ本を見つけられるようにするのだ。

12/19(火)問題を理解させるハードル、わやのわや感

「バカなふりをして質問をすると他人の頭を使える」というテクニックがある。古くから2chでも使われていた方法で、お仕事でも有効だ。

このテクニックの派生として「めちゃくちゃわかりやすい資料を作ると他人の頭を使える」という方法があるのに気づいた。単に「バカなふり」をしているだけだと簡単なことしか聞けないが、資料を作ったうえでバカになると難しいことも聞けるようになる。難しいことを質問するには、がんばって問題を理解させないといけない。このハードルがいちばん高い。

人生相談、お悩み相談とかでも似たようなことがあって、悩んでいる人のことを外からみると「そもそも何に悩んでいるのかよくわからない」ということが多い。とにかく喋ってくれないとわからないのだ。どんな問題も人に理解させるまでが勝負である。

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月一社交ダンスレッスンの場所が変わって謎の古いビルにあるダンス用の部屋を使うようになった。オーナーが元ボディビルダーのおじいちゃんで、余った部屋をダンスとかバレエをする人に貸している。

オーナームキムキおじいちゃんはビルの中をフラフラ徘徊していて、帰り際に挨拶をしたら「寒いから酒を飲んでわやになっている」と恥ずかしそうに言われた。

 

後日このことを会社で話したら「わや」という言葉の意味がわからない人が続出した。どうやら西でしか通じない言葉らしい。「めちゃくちゃ」という意味である。

「わや」にはわや感がちゃんとあるので日常に取りいれていただきたい。

12/20(水)せかせかしても無駄、頭の中の机に信楽焼が生える

自転車で移動していると、たまにものすごい飛ばしている人がいる。おっさん、主婦、老人、あまり属性は関係なくせっかちかそうでないかがあるようだ。

しかし飛ばしている人がびゅーんと過ぎ去っていってもだいたい信号で追いつく。私は20km/hも出してないはずなのだが、信号で待つ時間のほうが長いのである。

よっぽど運がよければすべての信号が青のタイミングで交差点に差し掛かり、停車することなく目的地に行けるのかもしれないけれども、たいてい体力の無駄である。ちんたら走ったらよろしい。

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デイリーポータルZが独立するとの報。

実はRSSの誤配信をキャッチしており、午前11時半くらいに知ってた。は〜そうか〜となってまわりに噂話をしていたら午後になって発表される。そうか〜屋根がなくなるのか〜。

編集部員たちの生活が持続可能なのか気になるところだが、それよりもDPZが終わるリスクがある、というところが心配になった。いや、もともと赤字で運営会社の偉い人から白い目で見られていたとは思うのだが、ついに行くところまで行ったな、という感想。

前からはげます会に入っているので引き続き支援をしていくのだが、さすがに一万円はご勘弁願いたい。インターネット黎明期世代には社長や大学教授になった人がそこそこいるので、そこからぶんどっていただこう。くそまじめな世の中にいらんもんを増やすために必要なのだ。できる範囲で助けていきたい。

dailyportalz.jp

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頭の中が混沌としていたので日記にびゃーっと書いたら、スッキリして書きものができるようになる。

毎日の日記は頭のなかの「机」を片づける作業である。放置すると「机」に信楽焼の狸とか巨大鏡餅などが置かれて作業ができなくなるので、そうなる前に「モヤモヤ」を文字にしないといけない。

「机」のお片付けを一人ではできない人は多いらしい。衆人環視のSNSとかに頭の中身をぶちまけているのはそういう事情なのだろうか。なんでもいいから片づけたらいいよ、とは思う。

厄介なのは「机」が狭くなる体調。健康管理をミスるとたまに「机」が極小になって、本当に何も考えられなくなる。そうなったら寝るしかない。『うつ病九段』を読むに、うつもそういう病気であるようだ。「机」が狭くなると簡単な計算もできなくなる。たしかに脳の病気っぽい。

チョットカリルデ

12/21(木)ザワークラウトクオリア、目的なく散歩をしたい

紫色のザワークラウトができた。

柴漬けみたいだがザワークラウトである

この頃我が家には紫色のキャベツ、紫色の玉ねぎばかりある。健康趣味の一貫として色の濃いものを食べるのだ。

ちょうど前のロットのザワークラウトがなくなりそうになったので、こちらも紫色で仕込むことにした。

紫キャベツは脳みたい

すりおろし、揉み、瓶に詰める。溶液は綺麗な紫色になった。どこかアメリカの食べものみたいな趣。

この紫色はアントシアニンである。アジサイの色。pHによって色が変わるのが特徴で、アジサイだと土壌のpHを反映するという雑学がよく語られる。ザワークラウトだと発酵が進むにつれて色が変わるはず。食べ頃が可視化されるのではないか。

ちょっと淡くなっている

漬けて一週間くらい経ったらこんな色になった。若干淡いかな?という感じ。もしかすると乳酸菌がアントシアニンを分解しちゃっていて指示薬になってないのかもしれない。

 

味はよい。黄色いキャベツよりも臭みがないような気がする。今後も紫色でやっていきたい。どうでもいいが、古いラノベ世代は紫色と聞くと『紫色のクオリア』が連想される。よいSFだった。

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鍼にいったら初めて「腎(体力の指標)が下がっていない」と言われた。豆のおかげだ。実感としても体力は増えていて、疲れにくくなってきている。

代わりに「心(ストレスの指標)の低下」を指摘された。体力が増えたら調子にのって仕事に投じてしまうのである。

「(ストレスを減らすには)ぼーっとしたらいいですか」「運動がいちばんです」と言われた。う、運動苦手……。

目的地なく散歩できる性格だったらよかったのだけども。

12/22(金)態度が読めない人もいる、「コミュニティ」の利害関係の変化

人間関係の問題は「態度が悪い」で九割説明できるのだが、説明できたところで対処できるわけではない。態度とは非言語的なシグナル、表情とか声のトーンなど、よっぽど訓練しないと制御できないものである。

意識高い記事でよく言われるようにコミュニケーションで伝わる情報の大部分は態度である。悪い態度は一瞬で伝わるし、逆に態度を読みとってもらえないといって怒る人もいる。態度としてこれ見よがしに出してるのに無視されるケース。喧嘩のバチバチしたあの感じですね。「わたしの機嫌をとれ」というシグナル。

困ったことに態度をまったく読めない、読むセンサーが備わってなさそうな人もいる。ふつうは態度で伝わることに甘えて「はっきり言うのはよしておこう」となるものだが、センサーがない人にははっきり言わないと、逆に問題が起きることがある。慣れるとセンサーあり人種かどうか見分けがつくので、覚悟して言っていくしかないのだと思う。

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インターネットでよく言われる「コミュニティ」という言葉に違和感がある。コミュニティとは共同体のことで、近くの土地に住んでいて利害関係をともにする人たちである。「仲間内」とか「身内」みたいな要素は「共同体」の本質ではないと思うのだが、インターネットで使われる場合は「利害関係」ではなく単なる「身内」の意味になる。

ということは社会学でも認識されているようで「人が集まっている」くらいの意味しかないことがわかった。

 

オンラインコミュニティでも何らかの利害関係はあると思う。それが「共同体」の利害関係とは異なっているのが違和感の正体だ。

サロン的なシステムであれば金銭とメンバー限定情報の交換だし、それ以外はたいてい承認を通貨とした関係である。単に人が集まっているということはあり得なくて、誰もが何か目的をもって集まっているのだ。その形が情報や承認というこれまでになかった形をしているから、コミュニティと言われてもピンとこなかったのである。