しゅみは人間の分析です

いらんことばかり考えます

週報 2024/02/04 体調の一発逆転: 薬物, 風呂, 睡眠, 運動、『いますぐ書け、の文章法』を読んだ、会議中は人の顔を見るべし

1/27(土)

サラダは家で作るとうまい!

サラダを作るべく水菜とレタスを買ってみた。
じつはサラダを家で作ったことがない。なんとなく惰性で煮たり焼いたりしてきたのだ。

なんでサラダを作りたくなったのかというと、生野菜からしかとれない成分がある可能性を考えたから。あとサラダがおいしいから。後者が本音かもしれない。

はややすうま

作ってみると意外と簡単。人参を削りレタスをちぎり、水菜*1をハサミで切る。ドレッシングはオリーブオイル、白ワインビネガー、塩、クミンシードを混ぜたもの。これだけでたいへんおいしくなった。

野菜が山盛りになっていてもすぐに消えてしまう。水菜のシャキシャキがおいしくて「ものを食べている!」という喜びがある。

 

健康的かどうかはどうでもよくて、サラダはおいしいから食べるものだと理解した。

こういう経験をするとコンビニとかスーパーの生野菜が買えなくなる。あれらは塩素処理されていて別物なのだ。

🐢🐢🐢

道具は一等地に置くべし

余った瓶やコップにさしておく

コンロの近くに道具を立てるようにしてみた。ご家庭にある余った瓶、コップなどを使ってよく使う道具を入れておく。トング、スプーン、箸、ナイフなど。

たいへん便利で、例えば「野菜スープの味見をしたい!」となったらここからスプーンを引き抜いてスープをすくえばよい。

あとはゴムべらとかお玉の場所が問題だが、これは換気扇フードにマグネットフックをつけて吊すことにした。油で汚れる可能性もあるが、毎日使うものなら大丈夫だと思う。

lab.yamajitsu.co.jp

1/28(日)

体調の一発逆転: 薬物、風呂、睡眠、運動

体調どん底デー。

どん底だった。心当たりはなく「なんとなく冷えてるなー」と思いつつ夜まで過ごして最終的に「もしや風邪では?」と気づいてお灸をしてもらった。少しマシになる。

 

体調が悪くなると一発逆転を狙うのだがたいていうまくいかない。一発逆転とは「薬を飲んだらすぐよくなるはず!」とかそういうの。

体調は少しずつ変化するものであって、急に変わらないのが原則だ。良くなるときも悪くなるときもゆでガエルである。

 

それでも一発逆転したいときの手段として薬物、物理刺激、睡眠、運動がある。

薬物はコーヒー、エナドリ、酒、違法薬物、向精神薬などなど。依存性があるものばかりだ。あんまり濫用するとよくない。

物理刺激は風呂やサウナ、お灸、鍼など。循環を良くすることで解決するタイプ。受け身でいるだけで流れが良くなるので便利。

睡眠は本当は一発逆転してなくて、寝てる間に身体が勝手に整えてくれたのを「一発逆転してた!」と思ってるだけである。本当は少しずつ変わっている。

運動は物理刺激の上位互換。筋肉を動かして体液をぐわんぐわん回すのであらゆる問題が解決する。いつでも運動できたらいいのにね。なんでやる気出ないのやら。

 

これらの手段が取れないとき、体調は少しずつ良くしていくしかない。具体的にはたくさん着こんでお腹の体温を上げるとか。冷え性はこれが効くことが多い。

危険なのでやめましょう

🐷🐷🐷

赤酢ぺろぺろ

サラダ用の白ワインビネガーがなくなって代わりのものを探してみたのだが、スーパーにはそんなハイカラなもの置いてなかった。成城石井までいかないとダメそうである。

しかしとりあえず酢は買いたい。今の私は酸っぱいものブームなのである。

そこで目についたのが赤酢。リンゴ酢とかいろいろあったけれども「熟成」というキーワードに惹かれて赤酢にした。

赤酢はたしか寿司に使うやつ。と、思って調べたら今はそうでもないみたい。使うところもあるみたいだけども。

醤油みたいな色

舐めてみたらまろやかな旨味が感じられた。ただの酢じゃなくて丸みがある。

そういえば義母に創作中華料理(高い)に連れていってもらったときに赤酢が出てきた。何かのつけダレだったのだが、三人でうまいうまいと赤酢をスプーンですくって飲みまくっていたのを思いだした。

1/29(月)

なんかだるいなーと思いつつ出勤したら、同僚たちも風邪をひいてた。そういう時期なのだなあ。

チームの人も早めに撤退していったので大手を振って早めに退勤した。しめしめ。

🐭🐭🐭

ニンゲンの鳴き声を人権に代入するとエラーが出る

家のなかで「ぴょえ〜」とか「ぴょぴょぴょぴょぴょ」みたいな奇声、うめき声をあげることがある。世の人はこっそり家で踊っているものだと聞く。その類いのアレだ。

この奇声は言語野(左脳にある)から出ていない。右脳から出ていてニンゲンの鳴き声みたいなものなのだろう。明らかに言葉ではない。たまに日本語として表現できない音になるし。楽しくて脳のチューニングと思って音を出している。

 

はて、この手の奇声は表現の自由で守られるのか。

表現の自由とは人権の根本であり、圧政を敷く政府に人民が対抗するうんたらかんたらである。大事な権利。いかなる「意見」や「表現」も守られるべし、とされる。

しかし私が発しているのは「奇声」なのだ。言葉ではない。厳密には権利で保護されないと思うのだがどうだろうか。もちろん人権へのクソリプである。

🐭🐭🐭

チャットでも「ちゃんと伝わったかな?」シグナルが出せる

人は対面の会話で「ちゃんと伝わったかな?」というシグナルを確認しながら喋る*2。相手の頷くタイミング、返答の仕方で「伝わり具合」がわかる。

チャットなどの非同期コミュニケーションだと伝わったかわからなくて不安になりがち。社のエライ人も「(お知らせ記事が)よかったらいいねボタンを押してね!」と言っていた。

最初は「エライ人も人間なんだなあ」くらいに思っていたのだが、たぶんそうではない。「ちゃんと伝わったかな?」を観測する手段がこれくらいしかないのだ。

SlackやDiscordのemojiやはてなスターの引用機能も同じだ。具体的な文章に対してリアクションが来るので「どこがその人に伝わったのか」がちゃんとわかる。我々はこうやって非同期コミュニケーションで失われた情報をやりとりしてるのだ。

1/30(火)

体調が悪いな〜と思って日記で振りかえっていたら、会議だらけで消耗したことに気づいた。なぜか今のスケジュールだと火曜日に会議が4時間くらい入ってしまう。会議を発破解体するときである。

🍢🍢🍢

『いますぐ書け、の文章法』を読んだ

「新書っぽいタイトルだな〜」と思って読み始めたらびっくりした。名著である。

本書の主張は「書くための準備とかいらないから手持ちの言葉で、具体的な読者を想定し、自我を殺してサービスしながら書け」である。さらに「浮ついた言葉、社会についての云々はつまらないから、経験をもとに筆が乗るままに書け」とも言われる。

付け加えることがない。文章を書くための心構えはこれが全てだと思う。こんな完璧な文章本初めてみた。

 

文章を書くのに必要なのは自我を殺すことである。「よく見られたい」とか「ちゃんとした文章を書かなければ」「あらかじめ段落の構成をしよう」みたいなのが自我。頭でぐるぐる考えたらダメなのである。

もちろん勢いで書いてそのままインターネットに流すわけにはいかない。翌日の自分による自己レビューは最低限必要だ。でも、あくまで最初に書くのは勢いによる文章であって、その勢いをできるだけ殺さぬよう推敲したらもう手離れしてよいのである。

なんで頭で考えたらダメなのか。つまんない文章しか出てこなくなるし、書いててしんどいから。頭を使ってまともなことを書こうとするから筆が進まないのである。筆が乗った文章はおもしろい。身体から勢いを伴って書かれていると内容が何であっても、その人の特徴が出ていい文章になる。

 

「ああでもないこうでもない」と考えて悩むよりもまず書くこと。別に公開しなくてもいい。書き始めることが重要である。

 

1/31(水)

睡眠がダメな日だったのだが、同僚らと喋っていたら頭がはたらくようになった。
雑談って大事なのだなあ。毎日いらん話をしてから仕事をしたいものだ。

🎲🎲🎲

なんか🍓が安いなと思ってぱくぱく食べていたら今年は豊作だという。
言われてみるとたしかに今年の🍓は安くても味がしっかりしている。酸味がいい。

このまま3ヶ月ほど🍓を食べ続けたいものだ。

八百屋で買うと変なやつがいておもしろい

🎲🎲🎲

失われた博覧強記

伊丹十三の『ヨーロッパ退屈日記』を読み始めた。妻氏の蔵書を勝手に拾い食いしている。この本は文章が上手で美味。ユーモアもたっぷりある。
いかにもな文化人な文章で、気取っているのに品がある。実際、彼の周りには文化人が集まっていたという。

 

文化人、今や絶滅危惧種である。

教養と品があり学問や芸術に関わっている人たち。今でもそういう人はいると思うのだが、世間が権威を認めなくなったところがある。

「人文系の学者の質も変わってきた」と50歳くらいの哲学者たちは言っていて、彼らより上の世代は知識の広さ、深さがすごかったらしい。大学の非研究業務が忙しくなっている事情もあろうが、戦前生まれの世代は博覧強記が当たり前だったのだろう。

今や我々は手で文字を書かないし、知識を頭に詰めこむ必要もなくなっている。今更情報技術の恩恵を捨てることは考えられないけれども、博覧強記世代の集中力、記憶力があればな、とは思ったりもする。

2/1(木)

よわし

鰯はかわいいしうまい

鰯を焼いて食べた。

節分が近いのだが節分とは関係なく「青魚を丸ごと食べるのもいいのでは」と思って買っておいた。

鰯はよわよわフィッシュという漢字になっているとおり骨が柔らかくて食べやすかった。小骨なら呑めるほどに。

良かったので我が家のレギュラーフィッシュにエントリー。
日頃から食べる枠に入った。

🐌🐌🐌

会議中は人の顔を見るべし

会議で人の話に集中できない悩みがあったのだが、ついに解決策を発見。
それは「喋ってる人から目を離さない」である。

当たり前じゃん。当たり前なんだよなあ。

弊社だけの問題か、ソフトウェアエンジニア業種の問題なのかはわからないが、同僚たちも会議中はノートPCの画面をジッと見ている。もしかしたら画面を見たまま話をよく聞ける人らなのかもしれないが、少なくとも私には不可能である。

「人が話してるのに画面を見てるのはおかしい」という常識に改めて気づいてしまったが、同じ問題は世の中のあちこちで起きているに違いない。

2/2(金)

さいきん在宅勤務の調子が良くない。「なんか頭が回らないな」と思いながら業務が始まって「うーんやる気が出ないよ〜」と言いながら業務が終わる。成果は出たり出なかったりする。

出社したほうがいい仕事になるのは知っているのだが、頭は「できるだけおうちにいたいな〜」と言っている。朝も弱いし。

なんとかして在宅で調子よく仕事をする方法を見つけたいものである。スクワット50回とかどうだろうか?

🌭🌭🌭

路面電車はいいものだが京都の道は狭すぎる

京都市市長選挙の立候補者を眺めてみた。ふーんふむふむ

知人の話によるとどの候補者もLRTの導入に言及しているらしい。LRTとは現代的な路面電車である。

広島出身の私には馴染み深いもので、路面電車が道路の真ん中を走っている光景は当たり前だった。速度は遅いがぼーっと乗っていたら遠くまで行けて便利である。バスみたいに揺れないのもよい。3両編成だと大量の客を運べるのも魅力。

是非とも復活してほしいものだが、京都市の狭い道だと車とバトルしながら走ることになるだろう。慣れない自動車側も電車にぶつかりまくるに違いない。

 

京都市の観光客輸送はもう限界なのだが、公共どこでもドアができないかぎりは解決しないのかもしれない。

広島市中心部

*1:15分くらい吸水させるとシャキシャキになって最高にうまい

*2:できない人もいる

週報 2024/01/28 たのしいキッチンドランカー、三条御池に違和感を覚えたら京都人、神絵師の手を切る罪

1/20(土)

二度寝をしようとしたらモルモット氏のPUIPUIが止まらなくなった。野菜をあげても牧草をあげても許してくれない。王よ〜。

我が家の王

🚲🚲🚲

自転車の進化に取り残される

妻氏が起きてきたら家事をして自転車屋へ。私は新車を受けとり、妻氏はヘルメットを買った。妻氏も自転車通勤体制を強化するらしい。

ライト、鍵ホルダーを付け替えてもらい新車が完成。乗って帰る。ちゃんとフィッティングをしたのでだいぶ漕ぎやすくなった。すでに💯。これで自転車通勤しまくり勝ちまくりである。運動をいっぱいするぞ。

 

ところが家に帰って停めようとしたらロードバイク用のスタンドが合わなかった。
ロードバイクは外付けのスタンドが必要なのだが*1、十年の時を経て自転車の形が変わり、スタンドがつかなくなってしまったのだ。

再び自転車屋へ行き新しいスタンドを買って停められるようになった。つかれた……。

詳しくはこちら: ディスクブレーキロードバイク購入前に確認!スルーアクスル規格ガイド
つまりクイックリリース → スルーアクスルという変化があった。

🚲🚲🚲

社会的欲求の「平等」は難しい

20世紀は共産主義が終わった時代だった。たくさんの独裁国家ができてたくさんの人が死んだ。

なぜ共産主義はそれほどまでに力を持っていたのか。人気の秘訣はなんだったのか。
『独裁者の料理人』を読んでからそれが気になっている。

そのうち本を探すとして、自分で考えてポイントだと思われたのは「平等性」である。

当時の貧しい人にとって「平等性」は食っていけることを意味する。20世紀初頭には緑の革命も起きておらず、家に冷蔵庫もなかった。貧富の差も大きく、「平等」な生活水準は自分より上であることが期待できて共産主義を支持するメリットがあったはずである*2

革命を実行する指導者および党にとっては「平等」理念は正義である。「平等」は現実的には不可能だが、それを目指すことは「正しい」ので止めるのが難しい。それに「社会に平等を与える指導者」はかっこよく見えただろう。

 

いまの「平等」には何が求められるのか。

「食えること」の実現は容易になった。健康さはともかく腹を満たすだけならば毎食500円あれば余裕である。300円でも無理ではない。

マズロー云々で考えると次に求められるのは社会的欲求になる。人に尊敬されたり、まともに扱われること。それが昨今の多様性をめぐる政治状況なのだろうか。

食糧供給は量産技術で解決した。物の話なのでわりあい簡単だ。
「まともに扱われること」つまり個々人の人間関係は技術でなんとかなる問題ではない。ここに次の「平等」の本質的な難しさがある。

1/21(日)

新刊を出すと人が来る

関西コミティア当日。インテックス大阪まで行って同人誌を売ってきた。
売れゆきはけっこう良くて満足いく結果だった。新刊を出すと買ってくれる人がいるのだなあ、と思った。
中にはイベント会場で新規ファンになってくれた人もいて、全巻買っていってくれた。ありがたいことである。

売り場

moko-oxygen.booth.pm

買ってね!!!

🚃🚃🚃

見本誌コーナー工作活動

今回から見本誌コーナーが完全復活していた。

https://www.comitia.co.jp/beginner/ippan.html より引用

見本誌コーナーとは各サークルの新刊だけが集められた立ち読みスペースで、いろんなサークルの同人誌を手に取って吟味できる。コミケやスパコミみたいなふつうの同人イベントではスペースへ行って書き手の前で立ち読みをするので気をつかう。サークル側の人も緊張する。見本誌コーナーには本しかないので気にせずチェックし放題である。

そんな大事な場なのだが、コロナ禍の犠牲になっていた。いちばん感染対策がきつい頃には見本誌コーナーそのものがなくなっていたし、昨年の五月、九月のコミティアでも滞在時間などの制約があった。今回で制約が撤廃され、ようやく正常化したのである。

 

復活した見本誌コーナーで本を読んだあと、自分のサークルの新刊を見つけた。
少し奥まったところに置かれていたので、机の端っこの見やすいところに移動させる。

見本誌コーナーがあると、こんなセコいこともできるのである。

1/22(月)

本来は労働日だったが、コミティアの疲れを癒すために休みにしておいた。昼に起きてきたので大正解。買い物と料理、読書をしただけで終わった。

🛏️🛏️🛏️

たのしいキッチンドランカー

手羽元の赤ワイン煮込みとペペロンチーノを作る。

煮込みは琺瑯鍋を弱火で放置すればできるので、仕込んでしまえば簡単。暇になったのでワインを飲みながらスマホゲームをしていた。こうやって料理の完成を待ちながらお酒を飲む時間がもっとも幸福かもしれない。優雅なようにも見えるがただのキッチンドランカーである。料理酒がうっかり口に入ることがある*3

日本にはない味がしておいしかった

赤ワイン煮込みにはリンゴを入れた。三國シェフのレシピ通りであり、つまりフランスのやり方だ。

食べたことのない不思議な味になった。甘酸っぱい。

🛏️🛏️🛏️

三条御池に違和感を覚えたら京都人

関西の地理がよくわからない。広島出身だから。小学校や中学校で習う地元の地理知識が地味に重要で、これをすっ飛ばした入植者はどこかよそ者という感じがする。今からでもいいから授業を受けさせてくれ。小学生になりたい。ドッヂボールは嫌だけど。

鉄道に対する感覚も違う。最初に阪急の特急を見たときは有料列車なのかと思った。広島にあるのはJRの特急料金くらいである。私鉄といったら路面電車で各停。長距離の鉄道は基本的にJRである。
そののち東京に行ったときは山手線がJRでびっくりした。JRってそういう存在?関西だと阪急や京阪や近鉄、メトロなどの私鉄が強いので。

他にも奈良とか大阪の市の名前を聞いてもピンと来ないし、とにかく基礎知識が抜けている。地域ごとの移動文化、地名、土地の雰囲気などは地味に重要な知識であり、これが抜けていると住んでいても馴染んでいない感じがしてくる。

あっでも京都の通りはちょっと覚えている。マイナーなところでなければ「三条御池」と言われてもすぐにわかるような感覚。京都に関してはこれで良いのかなあ。

通り平行のはず 京に謎の交差点(もっと関西) - 日本経済新聞

1/23(火)

ニュー自転車で通勤。快適だった。

火曜日恒例の会議祭りをしてレビューをしたら夜に。低気圧で「やる気が出ないな終わろっかな〜」と言っていたらデバッグに巻きこまれて余暇が消し飛んだ。なんで……。

🌪️🌪️🌪️

神絵師の手を切る罪

調理補助の一貫として、妻氏に包丁🔪を洗ってもらっていたら指を切る事件が発生。絵描き兼漫画家様の指の薄皮がすぱりと切られてしまった。

すぐに洗いものをやめさせて圧迫止血をする。幸い傷は浅かったのですぐに血が止まった。

大豆を浸水させてる途中で投げだされた様子

妻氏は不器用でビーカーを割ったり彫刻刀で指を切ったりするタイプ。絵描きの手は大事なので包丁の手入れは自分でやることにした。

ぴゅー

1/24(水)

寒すぎる日。雪が降ると噂され職場もざわざわしていたが積もるほどではなかった。

記録によると昨年の同じ日にたくさん降ったらしい。積もって交通が混乱したのだとか。暖冬であっても季節は正確にリズムを刻むものらしい。

でも、もうすぐ立春。また暑くなるのである。

🧊🧊🧊

わかることしかやらない悪癖をなんとかしたい

私には「問題を解決する方法がわかったらサボる」「目的がわからないことをやりたがらない」という悪癖がある。

「目的が不明なことしてどうするの?」「成果は出ているし別にいいや」と長年放っておいたのだが、昨年この性格を課題に感じる事件があった。
反省して「わからんままやってみる」的な行動を採用してみたが、まだ癖を打破できてない気がする。

「なんで目的がないと嫌なのか?」と内省したところ「行為の意味を把握できてないことをやるのが嫌だ」「理解してること、理解しかけていることならやる」という行動原理なのがわかってきた。とにかく「意味」を理解するのが重要。

アファンタジアの影響もあるとは思う。アファンタジアの意識には音、映像、触覚、味覚、運動感覚のどれもがなくて言葉の前駆体としての「意味」しかないから。
社交ダンスをやっているように見よう見まねはできるのだが、仕事はプログラマという言語を操る仕事なのもあり、どうしても「意味がわかっていること」を重視してしまう。

 

でも「まったく知らないことは意味を把握することすらできない」のである。ダンスのステップの意味がわかるのは、ダンスを身につけたあとであり、やってみるまで意味が取れないことなんていくらでもある。それはプログラマでもそうなのだ。

ということに気づいたので今年のテーマも引き続き「わからんままやってみる」である。わけがわからんことになりたい。

1/25(木)

水曜日になると油断をする

水曜の夜にうっかり夜更かしをすることが多い。

日曜日なら「明日は労働だから体調を整えなければ」と思ってちゃんとした時間に寝る。月曜日もその意識がちょっと続いている。

それが水曜日の夜になると緩んできて油断してしまうのだと思う。

疲れもある。「疲れて休む判断ができなくなる」というやつ。オフィスワーク特有の症候で、肉体に比べて頭が疲れすぎているから判断だけできなくなってダラダラ起きてしまうのかもしれない。

今後は魔の水曜日と認識して木曜日を救っていきたい。もしかすると油断が木曜の夜にスライドするだけかもしれないけども。

🍉🍉🍉

辺鄙な場所では交流できない

あんまり同僚と飲み会、食事には行かないのだけど、それは立地が悪いだけなような気がしてきた。

もしオフィスの近所にいいお店があったら足繁く通うと思う。

 

このごろ日程調整をして大人数を集めるタイプの歓送迎会にしか行っていなくて、そういうのも一定の楽しさはあるのだけども疲れることのほうが多い。
ではなく、当日決まってそのときの気分で食事に行くようなのがよい。人数も最大6人くらいまで絞られてよい場になるのではないか。

しかしオフィスは辺鄙な場所にあるのでどうにもならないのであった。

🍉🍉🍉

作るより維持するほうが難しい

プログラミングでいちばん難しいのは、既存のシステムの挙動を維持したままプログラムを書き換えることである。つまり保守とかリファクタリングと呼ばれるもの。

業界内では当たり前の話ではあるのだが、さいきんその手の作業をしていて難しさに唸っている。

文章で喩えると「表現されている意味、語彙の順序を大きく変えることなく読みやすい文章にする」という作業だろうか。細かくちくちくやっていくしかないタイプの作業である。

1/26(金)

珍しくよい目覚め。空腹感あり。冷え性は朝に胃腸がサボタージュしがちなので、起きてすぐ食べたくなるのは稀である。アリナミンを飲んで寝たおかげかもしれない。このごろお仕事の締切ストレスで消耗しがちなので。

 

お仕事は一日中デバッグ。テストを直しCIを直した。Github Actions上のデバッグは実験用ブランチを立ててゴミみたいなコミットを積む方法しかないことを知る。

それでもdockerで再現性が高くなってるから昔よりはマシ。

🎴🎴🎴

『自炊者になるための26週』では自炊者になれないと思う

映画研究者の大学教授が自炊の方法を解説・啓蒙するエッセイ集みたいな本。自炊とは「季節ごとの食材の個性やにおいを楽しむ手段である」が主題。

実際に調理をしまくってきた人のテキストで、本気で自炊をしていることが見てとれた。特に「台所の動線を確保する」「ワインは抜栓して置いといてもいい」「焼かれる肉の気分になる」という知識は参考になった。

 

ただ、この本を読んで自炊者が増えるのか?というと疑問がある。

実践的な知恵が詰まった本なので、すでに自炊者である人のレベルを上げるのには役立つが、あくまで初級を中級にする本であり、初級の人を増やすにはまだ難易度が高いのではないか。世の中には冷蔵庫も包丁も持ってない人がいる。

第三週では「出汁を引く」ことが求められるし第六週では「遠くてもいいから旬のものを教えてくれる八百屋、魚屋を見つけるべし」と言われる。時間感覚がフルタイム拘束される人と違っていて、現実的ではない。

 

生活は自分で作って変えていくものである。前提とされる性格やお仕事の特徴が異なるので、他人の生活様式はあまり参考にならない。

あくまで「すでに自炊者である人」か「自炊者でないことを後ろめたく思っている人」のための本だと思った。

*1:つけることもできることがある

*2:実際には共産主義国家では飢える人が多かったが

*3:料理にはいい酒を使うべし

週報 2024/01/21 フランス料理の泡は大豆、デコルテに光を、『独裁者の料理人』を読んだ

1/13(土)

朝食に卵とそうめんを炒めただけのものを食べる。けっこううまい。イタリアの貧乏パスタを意識したオシャレな朝食だ。原宿で流行るに違いない。なお腹持ちは悪い。

貧乏人のパスタそうめんバージョン

お昼に外に出てみると風が強くてすごく寒い。散歩のついでにごはんも食べようと思ったのに少し歩いただけで身体は芯から冷える。しかも50mほど歩いたところで雪みたいな雨まで降ってきた。

こりゃたまらん、と家に戻り袋ラーメンを食べた。これで冷蔵庫の肉はなくなった。夜どうしよう。

 

出鼻がボキボキに折られてしまったので昼寝をした。夢にいけずな京都人が出てきていじわるをされたような気がする。「ただの嫌がらせだ!」と気づいた途端に無視をしたら場面が変わった。

🫚🫚🫚

このごろXには魑魅魍魎、AI生成されたアイコンのスパムアカウントが跋扈している。中身もAIだ。妖怪といっても差し支えないだろう。

AIは意味のない文字列がお好き

リプライ欄やフォロワー欄では見たことがあったのだが、ツイートをお気に入りしてくるスパムも出てきた。それもなぜか「ぽぽぽ」という意味のない文字列に対して。どういうアルゴリズムで動いているのか気になって仕方がない。

🫚🫚🫚

『独裁者の料理人』という本を読みはじめた。なかなかおもしろい。タイトルからわかるとおりそもそもお題がよい。出てくるのはフセインの料理人、カストロの料理人、ポルポトの料理人など。残念ながらスターリンの料理人は出てこない。もういないのではないか。

イラクのそのへんの人が「フセインの時代はよかった」みたいな雑談をするシーンがあった。なぜならイラクみたいな国は強権じゃないと統治できないから、らしい。イラク、というかアラブ諸国では部族の力が強い。部族が政治の単位なのに、それを無理やり国家という仕組みで統率するには強権が必要、という事情だ。

部族社会に逆戻りするアラブ世界|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

1/14(日)

週報を公開し読書。妻氏が起きてきたら食糧品の買い出しに出かけた。ついでに鳩スポットで鳩を眺める。寒そうだった。

 

スーパーの雑貨コーナーでガラスの瓶を買った。

塩ミルと塩瓶。塩がすぐつまめると便利

これに塩を入れておいていつでもつまんでふれるようにしておくのだ。魚、肉の下味をつけるとき、炒めものやスープの塩を調整するときに使う。

家に帰ったら惣菜ヒレカツとパンを食べ読書と昼寝。起きたらザワークラウトを仕込んだ。

📚📚📚

DiDiのカレーを再現すべくポークビンダルーを作ってみる。レシピはイナダ氏のもの。氏のカレーレシピ本を買ってきた。

ニュー積ん読

手順は酢とスパイスによるマリネ → 玉ねぎ、トマト、ニンニクを加えて1時間煮込み。作り始めてから1時間煮こむことを知ってびっくりした。仕様書はちゃんと読んだほうがいい。

長時間煮込むと野菜はグズグズになる。これを木べらで潰したら完成。仕様書にはミキサーと書かれていたが無視した。木べらでもいける。

野菜スープとカレー

DiDiのカレーかというと???な仕上がりだったが、どこか近い雰囲気はあった。肉をスパイスと酢でマリネしただけなのに不思議な風味のカレーができる。料理は魔法なのか?

ヨーグルトマリネといい、酢マリネといい、香辛料と酸で肉をつけこむとおもしろいことが起きるらしい。いろいろ実験してみよう。

1/15(月)

小雨の日。寒い日。大寒が近づいており京都は極寒である。朝は8℃あったのに午後は5℃。どんよりしていて風が吹き、通勤がつらい日だった。

ヨボヨボ出社し会議とレビューを倒して終わった。満身創痍。

 

夜はいつもの一汁一菜を食べて『独裁者の料理人』を読んだ。

🌊🌊🌊

フランス料理の泡は大豆

さいきん味噌汁に大豆を入れている。一晩水につけ、よく煮てから食べる。

大豆を煮るときは吹きこぼれに注意せねばならない。妙にぶくぶくしやすくて泡っぽいやつなのだ。

あわあわになる

「これってフランス料理の泡では?」

cook-lesson.net

正解。あの泡は野菜ジュースや出汁に大豆のレシチンを溶かしたものだったらしい。
入れすぎると大豆味になるとのこと。

1/16(火)

在宅勤務の日。会議まみれになった。

お昼はパスタ。成城石井で買って常温放置しておいたチーズを開封。削ろうとしたらなんだかチーズの色が変わっているのに気づく。水のような油脂のようなものが出ていてべちょべちょしている。

変色チーズ(たべた)

すわカビかボツリヌスかと思ったが問題はなさそう。匂いも味もチーズだった。
よくわからないが、味はふつう。おいしくパスタになった。

たぶん密閉容器内で発酵したか、重力で油脂が出てきたのだと思う。
よくパッケージを読むと冷蔵保存とかかれていた。発酵食品=常温でいけると勘違いしたのである。まあおいしいからいいや。

🪁🪁🪁

午後に本業をサボって、Slack botをいじっていたら止まらなくなった。timesチャンネルを便利にするやつ。なんでサボって別の実装をするのはこんなにも楽しいのか。

しばらくして正気に戻り、ちゃんと成果を出した。その後またbotをいじって機能を完成させた。だいたい完成したら飽きて触らなくなるからもう大丈夫。

 

夜はダンス。社交ダンスっぽくなってきたと褒められる。早く燕尾服を着せたいとも言われた。おもしろいからやってるのだけど、人前に出たいかというと微妙。

🪁🪁🪁

脳裏のコマンドを増やさないこと

『独裁者の料理人』のウガンダの章を読み終わる。ウガンダと言えば恵まれない云々という失礼な慣用句*1があるが、なぜウガンダがそうなったのかを知った。

ウガンダのイディ・アミンは軍人で元ボクサー。政治家のミルトン・オボテと一緒にクーデターをしたあとミルトン・オボテが不在のさいにクーデターを敢行して政権を得た。恐怖政治を敷きポル・ポトなみに殺している。

実は独裁者は弱い。イディ・アミンは毒殺を恐れるあまり、息子が食べすぎで腹を痛めたとき半狂乱になって側近を殺そうとした。殺人で権力を確立したものは、殺人で同じことをされると考えるのだ。

 

星一徹流の昭和タコ殴り教育を受けてきた僕は「なぐる」という選択肢は持ってしまっています。もちろん殴るわけじゃない、絶対に殴らない。でもめちゃくちゃキレた時に「なぐる」が脳裏によぎってしまうんです。「なぐる」コマンドが表示されるんです。
NTRの快楽に変換して乗り越えよう《春とヒコーキ「VIP ROOM HARUHIKO ~秘め問い~」第二十回》 | ワラパー | 芸人が集まるWEBメディア

この記事の考え方が参考になる。独裁者には「殺す」という選択肢が脳裏に浮かび、他人も同じ選択肢を持っていると見做す。

「殴る」「盗む」や「脅す」でも同様。染みついた行為は自分のなかの他者を凶暴にしてゆく。他者が凶暴になると精神は不安定になる。何もかもが恐ろしくなるだろう。

回避するには「悪い」ものから距離をとるしかない。凶暴な他者から逃げること、「悪い」行為をしないこと。

1/17(水)

出社し早めに業務を終わらせる。今日は関西コミティア新刊の締切りの日。

印刷所のプランとしてはさらに後ろの締切りもあるのだが、怖くて使ったことはない。

今回は過去一まともな進行で、日付をまたがずに原稿が完成した。表紙も連休中に終わらせていたし、追加の漫画も昨日には完成していた。今日はおまけページを作って終わり。めでたしめでたし。

と、書いているが私がやったことと言えばネタ出しとレビューと調理くらいのものである。さいきんはトーン作業をしていない。妻氏が私に指示をするコストのほうが高くつくので。でも、我が家としては一大イベントなので締切り前はバタバタピリピリするのである。

関西コミティア I-01で頒布します

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と、同時に誕生日でもあった。idに誕生日が入っているタイプのアカウントです。
ケーキを買ってきて食べる。

完璧なケーキだった

フレジェにした。フレジェのことをふつうの苺ショートだと思っていたのだが、実は違うらしい。なんで苺ショートではなくフレジェという名前なんだろう?くらいに思っていたが、ぜんぜん違う。白いところが全部バタークリームなのだ。日本の典型的なケーキ、特に家庭で作るものはバタークリームではなく生クリームを使うと思う。バタークリームは濃厚でうまいがカロリーはやばい。

1/18(木)

キラキラした体調で絶好調かと思っていたのだが、うおおと仕事をしていくうちにやる気が抜けていった。冷蔵庫でしなびたニンジンみたいな状態。なんでかなと思ったら雨だった。雨の日は身体に水が溜まって体調が悪くなりやすいのだ。

お灸をしてgotことなき。じょばじょばになった。

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人の話を聞いてないのがデフォルト

業務の勤怠システムが変わって職場が混乱している。
ちゃんと説明会が開かれて使い方解説はされたのだが、実際に使ってみるとダメだった。

 

混乱しまくってる同僚たちをみて「人々はけっこう人の話を聞いていないのだな」と思った。私も混乱したので外部に立っているわけではないのだが「それ説明されてたよね」みたいな話が入ってない人がいる。

何が言いたいかというと「体験してないことを言葉で聞いてもあまり入っていかない」ということ。その原則が一般的であることがわかって安心した。

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デコルテに光を!

という姿勢のコツがあるらしい。ダンスの先生に教えてもらった。

デコルテとは胸の鎖骨まわりの部位のこと。ここが光るくらいちゃんと胸を張ると自然とよい姿勢になる。一言で姿勢の本質を指示できるよいコツだ。9文字しかなくてリズムもよくて言いやすい。

皆さんもデコルテに光を集めてください。デコルテに太陽光パネルがあると思って。

デコルテ発電が流行るとスマホ首は駆逐され充電は満タンになる

1/19(金)

在宅勤務。もうだめ時に起きて妻氏の弁当作りをサポート。そののち業務に励んだ。巨大なPull Requestのレビューに苦悩する。

お昼にお腹が減ってなくて調理を後回しにしていたら会議が始まってしまった。飢えたまま参加し、終わってからパスタを作ってたらチームの同僚からのHELPが飛んでくる。

1時間後、おいしくなくなったパスタを完成させて食べた。

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接続詞がなくても文章は書ける。「しかし」や「だから」をフィラー的に、リズムを整えるために挿入してしまうものだがなくても意味は取れる。文脈があるから。

接続詞は決め台詞だ。ふだんは使わなくて、よっぽど大事なところでだけ使う。必殺技みたいなものなのでしょうもないところに入っていたら気づき次第除去する。除去すると文章のリズムが悪くなることがあるが、そういうときは話題が変わっていることが多い。話題が違うなら改行を入れたらよい。

改行はすごいやつで、入れるだけで話を飛ばせる。話題を強制的に変えるのにも使えるし、論理的な飛躍を隠すのにも使える。もちろん達人にはバレるが、多くの人はだませると思う。接続詞ではなく改行で話題を展開すること。これが文章で大事なことだ。

 

もちろん実践は難しい。この文章に接続詞がいくつ残っているかなんて考えたくもないし数えてもいない。

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『独裁者の料理人』を読み終わった

独裁者がどんな人生を歩んだのか、何を食べていたのか、を料理人へのインタビューから浮き彫りにする本。どの独裁者も人間である。好きな食べものがあり、腹が減ると機嫌が悪くなる。独裁者の料理人に指名されてしまったものが生き残るにはうまい料理を作るしかない。下手をすると毒を入れたとして殺される。あるものは天才的な料理の腕前で生き残り、またあるものは独裁者の母の味を盗むことで生き残った。どの独裁者にも共通するのは「他人を恐れる」ということ。殺人によって権力を奪取したものは同じように権力を奪われることを恐れるのだ。

www.hakusuisha.co.jp

*1:vimが悪い

週報 2024/01/14 調理中は腕が四本ほしい、宇宙生物ロマネスコ、『訂正可能性の哲学』を読んだ

1/6(土)

昼に新しいアルミパンでパスタを作る。ニンニクが焦げないし野菜の香りが残るし最高にうまいオイルソースパスタができた。わーいわーい。

火加減は難しいが香りがよくでる

午後は買い物。新京極へ行き自転車の新車を購入した。対応してくれる店員さんがなかなかのオタクで

「いま何に乗られてますか?」
「Scottのほげほげです。2010年の」
「あーあれですか。この頃のScottは大きめの作りになっていて、たしかに前傾がきつくなりがちですね」

という調子。我々はオタク店員が好物なので全幅の信頼をおき自転車を選んだ。これや!というものに決まってお金を払った。納車は二週間後。楽しみである。

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調理中は腕が四本ほしい

このごろ妻氏に調理補助をやってもらっている。「お芋剥いて」「お玉とって」「包丁洗って」「お皿出して」みたいな指示をする。

妻氏は調理が苦手というか、手順がきっちり定義されてないと動けないタイプ。私はあるものでてきとうに作れるタイプ。塩さえ決まればええやろ派。

と、明らかに私のほうが向いているので料理長をしている。

 

問題は腕が二本しかないこと。調理は同時にやることが多くて大変。肉、野菜に火を入れている間はコンロから離れられない。並列でやらないとボトルネックになる下処理もある。

www.webchikuma.jp

ちょうどイナダシュンスケも調理補助に関する記事を書いていた。
「料理人になるためにはどうするのか」という連載記事で「見習いは調理補助をやりまくるべし。先読みができるようになると強い」と書かれていた。

家庭料理でそこまでの効率化をする意味はあるのか?
みんな時間に追われてるので、できるなら補助してもらったほうがいいと思う。補助は料理が苦手な人でも問題ない。物を取ってきてもらうだけでもいい。そうやって一緒に台所に立つようになると、世の中は平和になるだろうなあ、と思った。

1/7(日)

社会復帰に向けて早起きをする。といっても9時だが。

週報の清書とpublishをして朝食。お昼にカレーの残り物を食べた。妻氏に最後の肉をとられ、私はひもじく豆と芋を食べる。中世農民である。

昨日の自転車屋に案内された動画をみた。ロードバイクの基礎知識を解説するもの。ちょっとダサい雰囲気の動画だけど、わかりやすくてためになった。もう10年以上ロードバイクに乗っていたのに知らないことがたくさん出てくる。自己流はダメだなあ。

午後は四条へ。ハンズで台所用品を探し、大丸へ行った。

🧈🧈🧈

シンプル地味門松文化

このごろ散歩をするときに門松の品評をしている。京都の門松はバリエーションが豊富で、変なものがいっぱりある。もっとも多いのは根引き松。

根引き松

根引き松とは写真のようなもので、根っこのついた松の新芽を玄関脇に打ちつけたもの。京都らしい家ならだいたいこのタイプの門松をつけている。質素でよろしい。

キャベツではなく葉牡丹

次に多いのがオーソドックスな松竹キャベツ。これはホテルとか旅館に多い。華美で京都の価値観ではないと思う。

真ん中の松葉がぼわぼわしていてかわいらしい

最優秀賞は大丸の門松だった。シンプルで地味なのにどこかめでたい感じがする。

つまり、色のトーンが抑えられていて、パーツが少なくて地味なのに形が美しいのが京都っぽさなのだろうか。枯山水とか茶室みたいな雰囲気。そういえば祇園のローソンも茶色い看板になっている。あの茶色は美しくないと思うが、ともかく地味であることが大事。華美にして威張ると「あれはないわ」と噂されるのが京都なのかもしれない。

1/8(月)

連休最終日。

「この休みにあれとこれとあれをやろう」と思って溜めていた娯楽TODOがある。娯楽TODOという語義矛盾はどうかと思うのだが、よく考えた結果捨てられなかった。しかし休みはあと一日。どうするのだ?

覚悟を決めて効率的に処理することにした。これじゃあ娯楽じゃなくて仕事だが今日やるしかない。これまで怠けていたツケが来ている。

方法は前に前に詰めること。娯楽なのでタスク自体は非常に簡単。小粒なものから順番に処理していった。スマホゲーム複数のイベントシナリオとコミケで買った同人誌。庭のプランターの手入れ、昼夜の自炊、買い出しなど。日記も夕方に書き始めて夜の時間が空くようにしてみた。

結果、とても充実した一日となった。なんかおかしい気がするのだけど、たくさん遊べたのでよしとする。

実は一般的に効率的なタスク処理法なのかもしれない。今の流行だとシフトレフトとか言われるやつだろうか。

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日記はなぜか起きた時刻が書かれる

桐生あんず氏の『休職日記2』を読んだ。復職編である。休職からの復職というものは少しずつ稼働時間を増やすものらしい。知らんかった。

だんだん調子を取り戻していく日記かと思ったが波瀾万丈だった。家事に追われコンテンツ消化に終われ、同居人が突然魚を釣ってくる(鯵フライ祭)、インフルエンザ感染。

調理する人からすると突然鮮魚が家に来るのは恐怖でしかない。魚は足がはやいんだぞ。釣り趣味はやばいなと思った。

 

他人の日記としての発見もあった。必ず起きた時間が書かれるのである。「10時起床」みたいな書きだし。私もよくやる。というか毎日書いている。なんで日記は起床時間を書いちゃうのだろうな。戦中戦前の日記の場合は天気も書かれる。不思議な文化だ。

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カッチビリヤニが簡単美味

ビリヤニを炊いた。二回目。

ライタつきビリヤニ

今回はカッチという炊き方。この方法がもっとも楽だった。なのにそれっぽい味になる。とてもおいしかった。

  1. スパイス入りヨーグルトに肉を数時間漬け込む
  2. 香り米を浸水させる → 茹でる
  3. 玉ねぎを褐色になるまで炒める
  4. 玉ねぎに1を混ぜ、上に茹でた米を載せる
  5. 20分極弱火で火にかけて10分蒸す
  6. トマト、玉ねぎを切ってクミン、塩入れたヨーグルトに混ぜる(ライタ)

という手順で作った。詳しくは水野さんのビリヤニレシピ本を参照すべし。

ビリヤニだけだと野菜が不足するのでぜひライタを添えてほしい。マリネに使った残りのヨーグルトに野菜を入れたらできて、ビリヤニにかけるとうまい。単体でもうまい。ガスパチョに似た料理かも。

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食事による集団の維持

東浩紀の『訂正可能性の哲学』を読んでいる。
「構成員が入れ替わってルール(言葉づかい)が少しずつ変わるのに同一性を保っている集団」について哲学されていた。本文での例だと家族だが、家族に限らずそういう集団はある。

例えば大学のサークル。サークルの例会が毎週木曜日の18時からナントカ棟の201であって決めごととか連絡をする。たまに誰かが発表をする。楽器の練習でもいい。例会が終わったらそれぞれのグループを作って近くのご飯やさんへ行き食事をする。毎年人が入れ替わるし日によっては来ない人もいるのだが、そのような恒例行事をすることでサークルのサークルらしさが維持される。大学でなくても定時後の飲み会、趣味の集まり、友人の恒例行事でも同じことが言える。

 

食事という儀式が大事なのかもしれない。決まった行動Aをしたあとに必ずご飯を食べる、という形式。いつもの「あの店」かもしれないし、毎回違うかもしれない。卓を囲むメンバーは固定でもいいし、たまに知り合いの知り合いが来てもよい。

家族であれば「めでたい出来事があったのですき焼き大会をやる」というような文化だったり。

このように「行動(出来事)→食事」の形式が集団の同一性を維持するのに役立っているのではないか。

1/9(火)

仕事始め。いつもの時間に起きられるか心配だったのだが、難なくスッと起きられた。8時。連休中は10時に起きてた。

自転車で出社してぼーっと会議に参加。重い議題もないしゆるやかなスタートだ。

 

会議から業務に戻っても皆さんどこかゆっくりした調子。いいぞいいぞ。私もだらける。

結局ほとんど手を動かさずにコードレビューだけして退勤した。早めに終わって読書の時間を確保するのである。

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素直で内省する人を好む

私と妻氏は口が重い人を好む。喋らせてみても「……。あー」という調子で時折考えこみ、何かまとまった段階で喋るような人。内省をする人。

内省ができる人は自分の意見を持っている。世間的な一般論を返してこない。興味がない話題だったら素直に「わからない」と言う。無理をしない人。

 

こういう人のことを「身体がある」という言葉で評価してきた。我が家独自の用語である。しかし「身体がある」「身体がない」は抽象的でわかりにくい。
どういう意味なのか、突き詰めて考えたら「自分の固有の経験をもとに思ったことを素直に述べられる人。経験を自分のなかで咀嚼している人」という定義が出てきた。

出来事に対して「感じたこと」を咀嚼するとその人らしさが出る。それを聞くのが人間観察の旨味なのだろう。

1/10(水)

さっそく労働にやられたのかどんよりとした一日だった。会議と会議をやってあとはDynamoDBのAWS SDKと戯れる。たまにドキュメントには載っている機能が実装されていなくて困る。big techの作るOSSは雑なものがある。

 

そこそこのところで退勤して夜は読書をしていた。『訂正可能性の哲学』がおもしろい。風呂で1時間、出てきて1時間読む。あとちょっと。

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宇宙生物ロマネスコ

こわいよ〜

このごろスーパーや八百屋でロマネスコを見かける。フラクタルで、とてもきもちわるい。宇宙人か神が設計した植物だと思う。もしかしたらモンスターかもしれない。

最初は近所のスーパーで見つけたので、そのスーパーの趣味かと思ったのだが、後日別の八百屋でも売られていた。陰謀論的主体が私の行く先々にロマネスコを置いていっているのだろうか?いや、旬なのかしら。こわいので私は食べない。

ロマネスコは宇宙人が銀河系内に播種した生物に違いない

1/11(木)

うっかり早起きしたら睡眠が不足してダメになった日。私はなぜか日の出とともに起きることがあって、何時に寝たかに関係なくそうなる。ランダム中途覚醒の能力を持っている。

この日はアラームの40分前に起きたので、そのまま活動し始めたが一日頭が動かずぼーっと仕事をして終わった。朝起きたときはスッキリ感があったのに……。

 

しかも夕方に鍼で自律神経をふにゃふにゃにされてしまう。ストレスと疲れがあるので副交感神経優位にされちゃったのだ。必要な処置だが、仕事も読書も捗らなくなって寝るしかなくなる。読書したかったのに……。

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日記のメモ書きに「軽車両なので軽油を飲む」と「ロマネスコを集めて巨大ロマネスコを作る」と書かれていた。

軽車両とは自転車のことである。人が軽油を飲む。

ロマネスコフラクタルなので、ロマネスコを集めて積むと一段階大きなロマネスコが作れる。さらに上を目指すと数十メートルの大きさになるだろう。

1/12(金)

わりあいしっかり寝た。その代わりアラームで起きて遅刻ギリギリ。労働者をしていていちばん嫌なのは時間に縛られることだ。かといってコアタイムのない会社にいたら夜がどんどん遅くなる気がする。つまり8時間労働が良くない、という話。

 

このごろ自転車通勤をがんばっている。12月の週報で「通勤で運動するのが最適」と書いた。それの実践。久しぶりにしっかり走っているので足、腰、背中の筋肉が痛む。

なんでこれまで乗っていなかったのかというと、自転車のサイズが合っていなくて、正しい乗り方も知らなかったから。自転車屋の動画を見てから正しい姿勢、正しいサドルの高さで乗るようにしたらずいぶんスムーズに漕げるようになった。おもしろいくらい進むようになり楽しく乗っている。

ただ、やっぱり今の自転車はサイズが合っていない。ハンドルを握るとお尻が前にずれて、サドルにお尻を合わせるとハンドルに届かなくなる。買い換えた判断は正しかったようだ。もちろん、パーツだけ交換してハンドルを近くする選択もあったけれども、もう13年も乗っているのでよいだろう。

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『訂正可能性の哲学』を読んだ

読みやすくて濃密でおもしろかったのだが、要約が難しい。なんで難しいのかな、と思って「25年後の『存在論的、郵便的』から『訂正可能性の哲学』へ」というイベントの動画を見たところ、それがデリダおよび東の議論のスタイルなのだとわかった。一冊の読書体験として考えながら読むことで、読者に何か新しいものが残る、という哲学書なので一読して要約できるようなものではないのだろう。

が、それでも私の中に残ったものとしては月曜日の日記の「食事による集団の維持」と

理性的で公的な言葉ではなく、感情的で私的な言葉こそが、一般意志の暴走を、すなわち「自然」や「公共」や「真実」や「正義」の絶対性を切り崩す(p.326)

というところ。

「食事による集団(家族的類似性)の維持」は東が書いたものではなく、私が勝手に東の議論と千葉の「宗教的なものについて考える」講演を合体させて考えたものである。

後者の「感情的で私的な言葉こそが〜」というのは現代社会の「真面目さ」批判であり、批判の対象は「真面目」すぎる「正しさ」の政治とか現今のインターネット、ビッグデータ人工知能による民主主義実装等々。人文学をやっているものだとごく自然に覚える現代社会への違和感である。が、私は他人の「真面目さ」が変わることに期待をしていないので「他者に対してここまで熱くなれないな」とも思った。

 

ただ「感情的で私的な言葉」を抑圧してしまっている自分はいて、なんとか出してきたいな、という思いはある。それを後押しするよい本だったと思う。

週報2024/1/7 事件が起きると娯楽は弱い、観光地は原宿になる、書くための儀式

12/30(土) 京都元田中のカレーがエリックサウスにあった、渋谷フライパン探し

コミケ前の東京入りの日。たいていの同人イベントは日帰りで行けるのだが、コミケだけは無理だ。始発の新幹線でもサークル入場に間に合わない。仕方がないので前泊をする。

お昼の新幹線に乗って東京へ移動し、渋谷でフライパンを探す旅に出てエリックサウスでカレーを食べた。東京に来るからには東京でしか食べられないものを食べたい。

 

以前「イナダシュンスケの原体験は元田中のDiDiだ」ということを書いたのだが、そのまんまDiDiの味のカレーが出てきてびっくりした。

DiDiは店主が高齢なのか営業頻度が落ちている。イナダが味を継承してくれているなら重畳である。

上真ん中のゴア風ポークビンダルーがDiDiの味(だったと思う)

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渋谷でフライパン探しをしていたのは、新しいフライパンが欲しくなったから。我が家にあるのはリバーライトの中華鍋と20cmくらいのスキレットだけ。長年この二つで料理をしてきたのだが、よく考えるとふつうの平たいフライパンがなくて不便である。それに鉄フライパンは焼く、炒めるの調理に向いているが、ソースやスープを煮詰めるのに使うべきではない。ということに気づいて、ふつうのフライパンを探す旅に出た。

我が家にあるやつ
https://www.furaipan.com/shouhin/15furaipan/kiwame/furaipan01.shtml#BOX-CARTLINK より引用

道具は手にとって見極めないといけない。渋谷のヒカリエ、スクランブルスクエア、西武、ロフト等々巡ったのだが、意外と物を置いているところがない。みんな今はインターネットで買うのかしら。フライパンて重さが大事だと思うのだけれども。

これらの店でいちばん品揃えがよいのはロフトだった。ビタクラフトのスーパー鉄の重さ、形が良かった。とりあえず製品名を覚えて帰る。さすがにコミケでフライパンを買って帰るわけにはいかないので……。

www.vitacraft.co.jp

12/31(日)睡眠時無呼吸実況、琵琶湖でサーモンがとれたらいいのに

コミケ当日。寝れなかった。

寝れないのはいつものことで布団が変わるとダメだ。特にビジネスホテルの布団は苦手。ドーミーインでもダメ。

今回は別の要因もあった。隣の部屋から爆音いびきが聞こえてくるのである。
ゴォォォォズゴォォォォという音が周期的に。よく響く低音なので壁を貫通する。強すぎるだろう。

不穏な話だが、このいびき、たまに止まるのである。おそらく呼吸をしていない。睡眠時無呼吸なんとやら。いびきとセットの病気である。

「あっ死んだ」
「生き返った」

と実況しながら寝た(寝れなかった)。

🥚🥚🥚

コミケ自体はいつもどおり。会場へ行き設営をして本を売る。たまに知人がやってくるのでお喋りをする。午後になったら東西移動をして雰囲気を楽しむ。知り合いの本を買う。ブースに戻ってぼーっとしたら16時前に撤収。寿司詰めになって品川へ移動しなんか食べる。新幹線で京都に戻る。

石油王証明書を頒布(本をたくさん買ってくれる人のことを石油王と呼んでいる)

さいきんは夕方の新幹線で帰るので駅弁を買うことが多い。駅弁といっても品川駅なのでいろいろバリエーションがある。肉でも野菜でも魚でも何でもある。崎陽軒は何度か食べて満足し、別のものに手を出しはじめた。

今回は海鮮丼。疲労困憊の妻氏は鰻を食べ私はサーモンにした。ロシア産のいくらが乗っている。もうロシア産使っていいんだ。

薄々感じていたことだが、東京は魚がうまい。いや焼津のほうがうまい、という人もあるだろうが、京都に比べたら東京はうまいのである。駅弁のレベルで違いが出るのだから、ちゃんとした寿司屋に行くともっとうまいのだろう。京都は魚の鮮度が弱点である。うらやましい。

琵琶湖でサーモンがとれたらいいのに

1/1(月)正月は銀シャリ、安否確認訓練で「重症」を選ぶ

元旦。コミケの疲れもありヨボヨボだった。特にお腹の冷えがやばい。旅行をすると粗食とか外食にならざるを得なくてタンパク質、野菜、豆が不足しがち。

疲れてスイカゲームしかできない

餅とか雑煮の用意ができてないので白米を炊き始める。玄米、もち麦などの混ぜものなしで。「白米は神に捧げるくらい清いもので正月にふさわしい」から。暴論だが我が国の信仰としては外れてない考えだと思う。銀シャリうまいうまい。

🎱🎱🎱

能登半島が揺れたあと、数時間後に会社の安否確認メールが来た。人事部かなにかの人が元旦から労働をしたわけである。大変だなあ。公僕は招集されるからもっと大変だけど。

いつも安否確認システムの訓練では「重症」「全壊」を選んでいる。訓練だから何を送ってもよい、という理由でふざけてめちゃくちゃな選択肢にしがち。

しかし、今回は本番だ。指が勝手に「重症」「全壊」を押そうになるのを押しとどめつつ「無事です」という報告をした。

フォロワーは津波が来る場所に住んでいて避難していたし、火事も酷そうだ。元旦から家を失うなんて厳しい話だなあ。

1/2(火)寝正月、酔って小豆を炊く

引き続き疲れがあって布団と仲良く過ごした日だった。寝正月。夕方になってビタミンBが足りないのに気づいたが、時既にお寿司。アリナミンを飲んだが今日はもうダメ。

昼は包丁のメンテナンスをしていた。本来は年末にやるべきものだが、サボっていたせいで大掃除延長戦である。10月くらいに見つけた記事を頼りにはまぐり刃に小刃をつけた研ぎにしてみた。小刃をつける感覚がわかってきてまた一つ切れ味がよくなった。きけん。

 

夕方になっても体力が戻らず外食になる。しかし飲み屋くらいしか空いていない。近所のフレンチ飲み屋へ行った。前菜がとにかくうまくて良かったのだが、うまさを受けとめる体力もなくてちょっと勿体ないことをした。

しかもワインとビールを飲んだだけで酔いと冷えが回ってめちゃくちゃになる……。わりと散々な新年二日目だった。

おせち料理かもしれない

🥄🥄🥄

酔っぱらいながら小豆を炊いた。小豆は12月の豆ブームのときに買ったものである。ひよこ豆、大豆、小豆などの豆類をいろいろ買ってストックしていたのだが、小豆は渋抜きが必要でスープに混ぜこむのは難しい。仕方がないのでぜんざいとして炊くことにした。正月にぴったりである。

一度煮て渋を抜かないと食べられない

ぜんざい、というか小豆を煮るのは意外と簡単で、

  1. 小豆を水から煮る(浸水なし)
  2. 沸騰して放置したあと煮汁を捨てる
  3. 水を入れて1時間煮る
  4. 砂糖を大量に入れる

の手順でできた。ほとんど放置してるだけなので何も難しいことがない。

こうして二日目にぜんざいがあった。

おもち何個入れますか?

1/3(水)正月とコロナ禍の類似、事件が起きると娯楽は弱い

三が日は暇だ。ふだんの休日はスーパーが開いているので「あれを作ろうこれを作ろう」と思いながら買い出しをすることで散歩(運動)にしている。しかし正月は百貨店とコンビニ以外は休みでなかなか外出の目的地を設定できない。難儀なことに人混みも嫌いなのだ。初詣にも行かない。

かくして運動不足により背中や腰が痛みはじめる。アリナミンを飲んで寝まくったので疲労からは回復してきたものの、行くところがないので不健康なのは変わらないのであった。一日料理とインターネット、読書をして終わる。明日こそはどっかいきたい。

 

この感じ覚えがあるな、と思ったがコロナ禍の最初の3ヶ月が正月みたいな雰囲気だった。いや、正月よりも店が閉まっていたかも。空いているのはスーパーとコンビニだけ。百貨店も閉まっていた覚えがある。

コロナ禍が苦痛だった人は行くところがない辛さを覚えていたのだ、とようやく理解できた。たしかに散歩の目的地がないのは不便である。しかし当時は死にいたる病だったので、あのような対応になるのもしかたない、とも思う。

🍮🍮🍮

正月にいろいろ事件が起きたせいで、皆さんインターネットで元気である。あれこれ事件について批評をされている。こういうときには漫画の全話無料や民法の特番、YouTuberの特別企画とかが提供されても大して観られない。だって現実の事件、事故のほうがおもしろいのだから。

つまり娯楽のための、暇をつぶすためのコンテンツは現実が平和である限りにおいて需要があるのだろう。毎日テレビとインターネットの向こうで事件が起きていたらコンテンツなんてなくてもよいのだ。多くの人にとっては。

事件の報道やSNSの反応をみて嫌な気分になる人もいる。何より災害の当事者になる人もいる。そういう人にとってはコンテンツどころではないのだが、それ以外の大衆にとってはコンテンツになってしまうのである。そして娯楽産業は大衆に消費されることで成り立っている。

(画面の向こうで)事件が起きると娯楽は需要がなくなるのである。

1/4(木)観光地は原宿になる、書くための儀式

社会が動き出したぞ、と意気込んで外出。寺町のロードバイク屋さんへ行き、グラベルロードバイクを観察した。売れ残っているのか黒いカラーの商品が多くて困る。私はもうちょっと明るい色がいい。春とか夏っぽいやつ。

欲しい商品を絞りこんだら今日のところは撤退。あとはまたインターネットでよく調べることにした。

フルーツ飴屋が何軒もあった

久しぶりに訪れた寺町・新京極商店街は観光地の度合いが増していた。フルーツ飴、タピオカ、八角デカ唐揚げ、10円パン。

dailyportalz.jp

原宿でいちご飴店が増えているという記事を思いだした。京都の観光地に出店してくる企業は東京の流行にも敏感である。こうやってどの観光地でも似たような食べものを売るのだろう。京都らしい観光食べものは祇園と錦に任せて、新京極は原宿化するのである。
知らんけど。

ナンナンヤ コイツ

しっかり八千歩くらい歩いて帰ってきたらお布団読書としゃれ込んだ。運動をしているので布団でだらけていても罪悪感がない。読書が捗る場所は布団と電車が二大巨頭だ。運動をしっかりしたならば布団で本を読み、あわよくば寝てしまってもよいのである。

🫘🫘🫘

『作家の仕事部屋』を読んだ。

フランスの代表的な小説家に対して「どんな方法で書いてるのか?」とインタビューした記事の邦訳本。だいたいどの作家も「朝起きて何も食べずに書く」「天井がないといい」みたいな変な儀式を持っていて、儀式を経ないと書けない。その儀式が作家によって全く異なっており、共通する方法というものはなかった。

じゃあ自分の儀式は何かな?と思っていたらこの記事ができた。

non117.com

これを読んだ妻氏は
「(常時メモをとり毎日書き続けるのが)狂っていて参考にならない」
と言った。そうかもしれない。

1/5(金)大阪フライパン探しの旅、大阪は自己主張の街

大阪の千日前道具屋節へフライパンを買いにいった。我が家は出不精すぎて京都引きこもりである。府境をまたぐのは同人イベントへ行くときだけ。買い物目的で大阪に出たのは初めてではなかろうか?

なんでわざわざ大阪まで行くのかというと、百貨店やハンズに売られているフライパンはテンプレブランドのものしかないから。ちょっといいフライパンを多様な選択肢から選びたい。何ならフランス製のものも見てみたい。というわけで専門店を目指したのである。

銀色のやつ

買ったのは中尾アルミ製作所のアルミとステンレスでできたフライパン。外側がステンレスで内側がアルミという変なやつだ。アルミの熱伝導率の良さとステンレスの蓄熱性をかけ合わせる設計の製品だと思われる。

これで料理をすると妙に香りが良くなる。メカニズムは不明で「鉄鍋に残った油が匂い物質を吸着している」「鉄鍋から溶けだした鉄イオンが匂いをマスクしている」等々仮説は考えられるが、はっきりしたことはわからない。ともかく、鉄鍋だと出せないタイプの香りが残るらしい。特にパスタが別物の味になった。店のレベルに近くなっている。

乳化も勝手に進む

弱点は肉を焼けないこと。焼けないこともないのかもしれないが、火加減は非常に難しい。野菜ならばぜんぜんくっつかないのになぜか肉はくっつきまくる。剥がすのは簡単だが、肉を炒めるのには使わないほうがいいようである。とろみのある仕上がりを目指す料理が得意なフライパンだった。

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なんばを訪れてわかったのは、大阪の看板はやかましいのに押しつけがましくないこと。看板は「ここに眼科があるで!」と主張するだけであって「あなたは今すぐレーシックをすべきです」みたいなことを言ってこない。山手線の広告は「すぐに脱毛と植毛をしろ」と命令してくる。

大阪の看板は自己主張をする

大阪のおばちゃんの派手な色の服も自己主張である。大阪は主張が大事な都市、と言うと彼らの態度ともマッチして納得感があると思う。

🥞🥞🥞

『世界のへんな肉』を読んだ。

世界一周をしながらラクダ、キリン、アルマジロ、イグアナなどのへんな肉を食べる話。旅行記ではなく、肉を食べたときのエピソードが中心。

世界では日本人にとってまずい肉も食べられているようで、人間は生きるためなら何でも食べるのだなあ、と思った。

文章は読みやすい。が、内容はちょっと薄味でエモ系のエッセイ。軽い読み物としてはおすすめできる。

文章を書く方法2024

『作家の仕事部屋』を読んだ

フランスの小説家に「どうやって、どこで、どんな環境で書いているのか」「書く前の儀式みたいなものはあるのか」とインタビューする本。20人くらいインタビューされていて、みんな方法がバラバラでおもしろかったので私も書いてみる。

書き方

私の書きものはアウトライナーへのメモ書きから始まる。あらゆる思いつき、観察の記録はアウトラインに記録されている。スマホのない時代であれば手帳を使っていたのかもしれない。散歩をしていて思いついたらサッと走り書きをする。文章として完全でなくてもよい。

こうやって一日中メモ書きをしたら夜に編集と清書をする。メモ書きを別のエディタにコピペし、絵文字で段落を区切りながら清書をする。これが日記になる。日記はごく少数の友人に公開しており、ある程度ちゃんとした文章を目指して書いている。文字数は二千文字から五千文字くらい。

さいきんは日記を書いたあとに週報用の下書きも作っている。日記から一日のまとめと、週報に載せられる話を抜粋する。日記と週報では読者層が異なるので、週報向けのテキストはいちから書き起こしている。読者が違うと自明にしてよい知識が違うので、書き方から変わってくるのである。

短く書きたい

さいきんの悩みは週報が長いことである。毎回五千文字を超えている。文章のリズムと語彙レベルによって読むスピードは変わるので一概に何文字がいいとかは言えないのだが、一般的にはウェブ媒体は三千文字が上限だと言われている。たまにnoteとかで「一万文字かけて解説!」という記事があるが読者に負荷がかかるのでやめたほうがいい。短くまとまるならそれがいちばんなのだ。そう言いつつ私は毎週五千文字書いているので批判する資格はないのだが。

短くするために、週報ではなく公開用日記に分割するプランもあった。しかし、平日の私は頭がぱーになっている日があり、そういう日の日記には多くの混乱が見られる。混乱も含めて近況共有になるのかもしれないが、私は混乱したものを世にお出ししたくはない。よって、平日にちゃんとした推敲をするのは不可能で、土日に混乱を減じたものを書かざるを得ないのである。

あるいは単に話題を減らせればいいのかもしれないが、毎日何かしら思ったり思いついたりするもので、それを残したいという欲がある限りトピックの数を減らすのは難しい。短い文章を目指しても、トピックが多いと膨れてしまうものなのだ。

作業環境

アウトラインはスマホタブレット、PCといろいろなデバイスから書いている。さいきんはスマホでメモすることが多い。

清書はiPhoneを大きな画面に映して、Bluetoothのキーボードを使って書く。いろいろと環境には悩み、一時期は手書きにまで行ったのだが、今のところいちばんうまく書けるのがiPhoneである。キーボードであることは必須ではなく、別にフリックでもいい。よくわからないのだが、画面が狭ければ狭いほど集中して文章が書けるのである。PCだと気が散ってダメ。

あと周りに音があるのもダメ。聞いていると書けないし、書いていると聞けない。

この方法の一般性

  • 毎日書くこと
  • 寝かせて清書をすること

あたりまでは一般性がある方法だと思う。何を使ってどこで、どんなエディタで書くのか、については人によって異なるものだろう。各位が模索するところである。

まとめ

  • 一日中メモを書いて、それをiPhoneで清書している
  • 一日の終わりに清書をして寝かせる
  • 頭がまともなときに推敲をして公開する
  • 文章は短くて密度が高いことが重要
  • 作業環境は各自で模索せよ

週報 2023/12/31 コーヒー依存、新年で生まれ変わる、有能さとおもしろさは関係がない

12/23(土)コーヒー依存、『哲学の三つの伝統』を読んだ、ザワークラウトは薬

朝食後コーヒー。コーヒーうまいよう。あまりにうまいので豆2杯で500ml抽出し、ぜんぶ飲んでしまった。アナエロビックはすごいなあ。

これまではケチって一杯だけ飲み、あとは冷蔵庫にしまっていた。平日の朝に飲むようにとっておいたのだ。

だがそれももうやめだ。その場で飲む。

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『哲学の三つの伝統』を読んだ。

古代中国、インド、ギリシアの三つの哲学の共通項を論じた本。どの哲学にも共通するのは「世界はどうなっているのか」「人間はどう生きるべきか」という問い。中国とインドの哲学は論証を重視しなかったが、ギリシアの哲学は論理的な厳密性を重視した。その結果として欧州に科学が発生し、世界を席巻するに至った。科学は「世界」に対する問いであり、どの文明圏でも再現するから。

ただ、そんなにおもしろい本ではなかった。半分くらい読んでない。

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どよ〜んと元気なく過ごしていたところ、サラダとザワークラウトを食べたら復活した。

前から再現する現象なのだが、家で飼ってる発酵食品を食べるとすぐに元気になることがある。乳酸菌や酵母が作った栄養素が原因かとも思ったのだが、彼らの作るビタミン類をサプリで飲んでもこれほど効くことはない。おそらく生きた菌に含まれる何らかの物質がすみやかに血中に取り込まれているのだろう。

これは突拍子もない発想でもなくて、老化を抑制する物質(NMN)が経口摂取で血中に展開されることがわかっている。NMNはNADの前駆体で、NADは細胞呼吸や酵素反応などあらゆる場で使われる重要物質である。重要なので生体が速やかに取り込む、という仕組みがさまざまな物質に対して備わっていてもおかしくはない。

というわけで、妙に元気になるので今後もザワークラウトを食べ続けようと思うのであった。

12/24(日)靴磨き沼の入り口、読んだ本まとめた

週報を仕上げ、ポトフを作り靴磨きをした。

靴磨きがわりと好きなことに気づきつつある。靴職人曰く「革は人間のお肌と同じで保湿が大事。生きてるようなもの」とのこと。実際に靴クリームを塗っていくとツヤツヤきれいなお肌になる。テカらせていくのがとても楽しい。

東急ハンズに行くとブラシだのクロスだのいっぱいメンテ用品が売られている。油断するといろいろと揃えたくなるもので、これは沼だなと思った。

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スーパーに行くと人だらけ。みんなクリスマスイブで浮かれているのだろうか。
骨付きもも肉が売られていたが買わなかった。同じもも肉なら、いつも味噌汁弁当に入れていて食べ飽きているので……。こういうときのために地鶏を調達したら楽しいのかもしれない。

いつもの肉、魚、野菜を買って帰った。年の瀬でだんだんやる気がなくなる予定なので食材もてきとう控えめにした。

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今年読んだ本のリストアップをしてみる。そのうち記事として出す予定。

結局、四半期まとめは書けていないし年末まとめも書く気がないのだが、読んだ本くらいはまとめてもよかろう、と思ったのだ。

まめなもので、読書メモは大量にある。いつ読んだか、どのページで何を思ったか、何が書かれていたかがWorkflowyに溜まっている。もう2年ぶんくらい。これを2023年1月1日からさらっていって、雑感を書いたら完成だ。1時間くらいでできた。

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12/25(月)通勤で運動するしかない、『三流シェフ』を読んだ

「健康のためには運動しかない」という真理に屈して自転車通勤を再開した。

これまでは電車やバスと徒歩で移動することが多かったのだが、どう考えても自転車通勤ほどの負荷にはならない。会社までの数kmを自力で移動するのだ。日常に組み込める運動で、これほど便利なものはほかにない。

一時期はいわゆる電動キックボードや電動自転車に目移りしたものだが、それも諦めた。自分の足だけで移動する。

 

自転車も買い換えることにした。今乗っているのは学生時代にバイト代(二回払い)で買ったロードバイクだが、じつは体型に合っていない。どうポジションを変えてもハンドルが遠いので胴体か腕が短いのだと思う。買った店もしょぼいところだったし、フィッティングがうまくされなかったのだろう。学生時代の買い物なんてそんなものだ。もう十数年乗っていることだし、頃合いではあるだろう。

というわけで2024年は自転車通勤し続けるのがテーマです。

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『三流シェフ』を読んだ。

三國清三の自伝。世界的に有名なシェフだが、私にとってはYouTuberである。読んでみたら偉大なシェフだった。怒鳴ったり蹴ったりするけど。

生まれは北海道の貧しい家。漁師の父に連れられて手網漁をしていたらしい。児童労働!

中学を卒業したら調理師の学校へ行き、札幌のホテル、帝国ホテル、ジュネーブ大使の料理人と出世していく。帝国ホテルでは鍋洗いしかしてなくて料理はさせてもらえなかったのに、当時の総料理長が塩ふりの様子だけで腕前を見抜いて海外派遣させたらしい。総料理長の目がやばい。

スイスで経験を積んだ三國は、大使との契約満了後も欧州に残り修行を積んだ。一時期はフランスの三つ星レストランを渡り歩いていたというので、やはり技術とか才能の類があったのだろう。

 

日本に帰ってきたのは「自分は日本人でありフランス人の真似事はできない」と痛感したから。天才シェフに「セパラフィネ(洗練されてない)」と言われたり、まかないを作ったら同僚から「味が薄い」と言われたりして「日本人はクリームドバドバ、バターびちょびちょの料理は作れない」と理解したそうな。こうして日本人としてのフランス料理をつくるようになり、今の地位がある。

結局のところ育った文化からは逃れられない、という話である。

非常に読みやすいのに密度があってよい本だった。

12/26(火)カフェインのやばさに気づく、野菜の質がわからない

在宅勤務で会議地獄。蟻地獄。字が似てるね。

午後はコーディングをしまくっていた。コーヒーを飲み、玉露を飲み、とカフェインを注入しまくっていたら退勤後に頭が変になる。精神ではなく物理の話。頭の血管がじわーっとして後頭部がぞわぞわするのだ。

調べてみたら「カフェインは頭の血流を妨げる」という情報が見つかった。カフェインの効果が切れたら頭の血流が増えてぞわぞわするわけである。

ついでにカフェインの作用機序について調べていたら「脳の疲労物質が溜まっても集中力が切れないようにする(ドーパミン抑制神経の活性化を阻害する)」ということがわかった。あれ?立派な薬物なのでは?合法なだけでやばいやつ。

でもやめない。やめられない……。さすがに控えめにしようとは思ったけれども、コーヒーはうますぎるので離脱不可能だと思う。

🪘🪘🪘

料理人は極まっていくと「素材の質がすべて」みたいなことを言いだす。魚だとわかりやすくて、魚の締め方や処理で身の味が変わる。肉も同様で、いい育て方をしていても処理が悪いと血が残りまずくなる。

じゃあ野菜はどうなのだろうか。萎びている、ツヤツヤしているというのはわかるのだけれども、どういう野菜が良いのか、基準をよく知らない。

一つ気づいたのは、夕方に八百屋に行くから微妙な野菜ばかり掴んでいる説。もしかすると朝に買い物をすると、良い野菜が手に入るのかも。そういえば過去の週報で「午前のスーパーは野菜が輝いていた」と書いたことがあるような……。

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12/27(水)腰の爆発を診る、英国人は紅茶で不眠症にならないのか?

年内の最終出社。明日は在宅。カフェインの影響で睡眠が終わっており、フラフラな状態で仕事をした。

お昼に「腰が痛い」という同僚の姿勢をチェックする。私は猫背を治した姿勢のオタクなので見たらわかるのだ。

席に行ってみて猫背の具合、腰の反りなどを確認してみたが、そう悪い感じはしない。机の高さはおかしかったがそれくらい。

「じゃあ何で腰が爆発したんだろうね」と話すうちにマットレスが悪い可能性に行きあたる。同僚はいいマットレスを買ったのに、妻子に取られてしまったらしい。それなのでは〜?

 

家に帰ったらおりゃーっと最後の仕事をしにかかる。年内にキリのいいところまで終わらせたくて20時すぎまで働いてしまった。結局、バグがとれずに撤退する。

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カフェインといえばコーヒー、紅茶。紅茶といえば英国。英国人は一日に何杯も紅茶を飲むそうだが不眠症にならないのだろうか?

調べてみると「たしかに紅茶を飲みまくる」「紅茶には必ずミルクを入れる」ということしかわからなかった。不眠である、という情報は出てこない。

一説によるとお茶のテアニンがカフェインと拮抗する作用を持っているのだとか。たしかに紅茶はホッとするような気持ちになる。コーヒーみたいなウオオオという薬みたいな作用とはちょっと違うのかもしれない。

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12/28(木)新年で生まれ変わる、今年の収穫は「猿真似」

仕事納めの日。遅めに起きて在宅勤務。昨日残しておいたバグをとって仕事が納まったことにした。コードレビューはされてないが、機能は完成した。完成したのだ。その後は定時までだらだらして終わり。

 

退勤するときに同僚たちが「締めの挨拶」みたいなものをチャットに書き残していく。そうせざるを得ない妙な雰囲気が仕事納めにはある。

日本だけでなく中国や韓国も同じだと思うのだが、我々にとって年末と元旦は特別である。今でも元旦の休みだけは死守されるお店が多いし。

我々にとっての新年は「生まれ変わり」みたいなものなのだ。古くは数え年の考え方がそれ。西欧の考え方だと年は誕生日を基準とするものだが、我々にとっては誕生日よりも元旦のほうが重要らしい。実際には何も変わらないのに、大きな区切りがここにある。

数え年というのは、中国に由来する古典的な東洋の年齢観である。人は生まれたときすでに「一」であり、また歳をとるというのは、年末にやってくる歳徳神のなせるわざ。新しい歳を運んでくるのは、先祖が浄化されて神格化した神さまの仕業だと考えられた。年末の大掃除も門松を飾るのも、すべてこの歳徳神を迎えるためだ。

「満」と数え年 | 玄侑宗久公式サイト

ぺかー てってれーん

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今年はストレスも高めだし忙しかった。来年はもっと忙しくなるだろう。

 

7月に大きな変化があった。

同僚に「あなたは思うような出力をしてくれない」と言って怒られる。最初はこちらも怒ったのだが、上司に協力してもらいつつ話を聞いてみたら、私に要求されている仕事は妥当な内容だった。明に言われてなかったけども。「じゃあなんでちゃんと要求し説明しないの?」とは思ったが、そういう説明が苦手な人なのはわかっていたのでそこは呑んだ。

「説明しないほうが悪い」とすることもできるが、世の中は言語化が得意な人ばかりではないのだから仕方がない。それにさまざまな合理的事情があり、私はまだまだその人と仕事をやっていく必要があった。要求の仕方に文句はあったが、能力のある人なので尊敬もしていた。

という複雑な状況があり、自分を変えて対処することにした。向こうからの説明がなくてもこちらから察して相手のやってほしそうなことをやる。具体的にどうやって?「とりあえず真似すれば当たるでしょ」という結論に至った。これが正解だったのだろう。そのうち、うまく仕事の連携ができるようになった。

 

猿真似は効率的な学習法である。今は何でも「わかりやすく説明しろ」と言われる世の中だが、かといって人々の説明能力はさほど上がっているわけではない。皆が相互に説明を要求して窮屈になっているのが実情だ。だからああしろこうしろ言われる前に察して真似しておけばお得なのである。その点の価値観を転換することで、得られるものがあった。

それに、察してもらって悪い気になる人とかいないのである。できるなら察しておけばよい。

11/29(金)フランス料理は肉を食べさせる技術、有能さとおもしろさは関係がない

休暇に突入。しかし忙しい。明日は東京だし明後日はコミケコミケから帰ってきたら正月でスーパーはみんな閉まっている。野菜や肉を備蓄しておかないと食っていかれない。朝食を食べ、体調が整ったら八百屋とスーパーをはしごして食材調達に奔走した。

週報原稿を書いて料理動画をみたあとフランス料理に挑戦する。三國シェフのレシピ。

www.youtube.com

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この二つを作って

どちらもおいしくて癒やされた

こうなった。

どちらもたいへんおいしくできた。満足である。レシピ通りにやったらスーパーの材料でもおいしいフレンチができることがわかった。

🛷🛷🛷

妻氏が飲み会の反省会を二日遅れでしていた。話を聞いてみると「仕事ができる人だと思っていたのに喋ってみるとおもしろくない」という悩みだった。期待外れというやつ。

しかしよく考えてみると有能さとおもしろさは関係がない。効率を優先し視野が広くて真面目であれば有能になれるかもしれないが、我々の求めるおもしろさは真面目さとは真逆の特性である。不真面目であるとよいところがある。

しかし不真面目だと仕事が雑になる。実際私や妻氏は雑な仕事をしがちなタイプなので困っているところもある。真面目さと不真面目さの間でいいバランスを求めて揺れている。だから真面目さ一辺倒の人も不真面目さ一辺倒の人も趣味が合わない。それはもうそういうものだから仕方ないな、となった。

 

ちなみにこのブログの記事も真面目に書かれていない。真面目なように見えるのは私が「問いを立てて論理的に考える」のが好きなだけであって、取り扱う題材については「なんでもいいし明日には考えが変わっているかも」と思っている。そういうふうに、真面目にやらないことをモットーに書いているので、くれぐれも読者の皆さんは真面目に受けとらないようにしていただきたい。